オバマ大統領ノーベル平和賞本当の狙い

 09年10月09日



レルネット主幹 三宅善信  


▼スウェーデンとノルウェイの関係

  2009年10月9日、ノルウェイのノーベル平和賞委員会から、バラク・フセイン・オバマ米国大統領を今年度のノーベル平和賞受賞者とする旨が発表された。確かに、オバマ氏は「黒人初のアメリカ大統領」として選ばれ、かつ、4月のプラハでの『核廃絶』演説や『グリーン・ニューディール』(地球温暖化防止への取り組み)等、これまでのアメリカ大統領とはひと味もふた味も違ったことをしてくれそうな気にさせてくれたが、大統領に就任してまだ10カ月も経たず、大風呂敷を広げただけで、まだ、なんの実績も上げていない「オバマ大統領にノーベル平和賞を授与」というのはいかにも性急という印象を受けた人は、私だけではないであろう。そこで、本『主幹の主観』愛読者の皆さんのために、「オバマ大統領ノーベル平和賞受賞の本当の狙い」について考えてみよう。

  まず、「ノーベル平和賞」とは何か? ノーベル賞は、ダイナマイトを発明したアルフレッド・ノーベルの遺産によって1901年に設立された国際的な賞であることは誰でも知っている。しかし、毎年、この時期に発表される「ノーベル賞」には、実は、性格の異なる三つのカテゴリーがあることはあまり問題視されていない。一番目のカテゴリーは、「物理学賞」・「化学賞」・「生理学・医学賞」・「文学賞」である。これらの賞は、スウェーデンにあるそれぞれの専門機関(アカデミー等)が選考し、毎年、ノーベルの命日である12月10日に、ストックホルムのコンサートホールにおいて、スウェーデン国王によって親授される。二番目のカテゴリーは、「平和賞」である。この賞だけは、ノルウェイ政府によって指名された選考委員会によって選考され、同じく12月10日にオスロの市庁舎においてノルウェイ国王から親授される。

  因みに、バイキングの末裔であるノルウェイ人は、15世紀から19世紀まではデンマークの支配を受け、ナポレオン時代にスウェーデンに引き渡され、以後、90年間はスウェーデンの統治下にあり、ノルウェイ王国として独立したのは、1905年に時のデンマーク王フレデリク8世とスウェーデン王カール15世の娘との間に生まれた次男カール殿下が初代ノルウェイ王ホーコン7世(兄は7年後にデンマーク王とアイスランド王の即位したクリスチャン10世)として迎えられた。これは、ノーベル賞が制定された4年後のことであり、ノーベル賞が制定された時点(1901年)では、スウェーデンとノルウェイは同じ国(正確には、イングランドとスコットランドのような「同君連合」国家)であった。

  三番目のカテゴリーは、「経済学賞」である。この賞も、日本では「ノーベル賞」のひとつとして報道されているが、実際には、1968年に、スウェーデン国立銀行創設300周年記念事業の一環として設立された『アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン銀行賞』というのが正式名称であって、厳密には「ノーベル賞」には当たらないという解釈をする人も多々ある。昨年秋のリーマンショックに端を発する世界同時不況をもたらせたアメリカの金融恐慌の元凶は、「サブ・プライムローン」や「CDS(=Credit Default Swap)」(註:住宅ローンを再証券化した金融商品をさらに証券化し、債権を直接移転することなく信用リスクのみを移転できる取引))を生み出すことを可能にしたデリバティブ(=金融派生商品)の格付けを行うための確率微分方程式として知られる『ブラック=ショールズ方程式』を編み出した功績により、1997年に「経済学賞」を受賞したマイロン・ショールズをはじめとする金融工学のお歴々が多々居るが、この部門の受賞者たちが、人類の進歩と福祉の増進、世界平和に確立等に貢献した人物および団体に与えられる他のノーベル諸賞と同列に置くわけにはいかないと思っているのは、私だけではないであろう。


▼「ノーベル平和賞」の特徴

  しかし、今回、私が問題にするのは「経済学賞」ではなく、「平和賞」である。私の家には、日本人初のノーベル賞受賞者である湯川秀樹博士や朝永振一郎博士といった物理学者が亡祖父(故三宅歳雄師)と親しかった関係で、幼少の頃より、ノーベル賞受賞者の「大博士」(子供の頃には、そのように呼んでいた)と接した機会に恵まれたが、そんな私が、ノーベル賞に対して最初に疑問を持ったのは、中高生の頃、ベトナム戦争の当事者であるアメリカのヘンリー・キッシンジャー国務長官と、北ベトナムの労働党(現ベトナム共産党)のレ・ドクト政治局員が、『パリ和平協定』交渉の功績によって受賞(1973年)したり、沖縄返還交渉の功績によって、抜け穴だらけの『非核三原則』を提唱した佐藤栄作元総理が受賞(1974年)した辺りから、この「平和賞」だけは胡散臭いノーベル賞だと思うようになった。


2005年に来日した際に1987年当時を振り返る
三宅善信代表とゴルバチョフ元ソ連大統領

  何故なら、物理学賞や化学賞などの成果は、数百年を経過しても、人類の歴史に燦然と記録される業績に違いないが、平和賞の業績なんて、数十年(場合によっては数年)もしない内に、すっかり色褪せてしまう可能性が高いからである。このことは、1994年に中東紛争の当事者(つまり「大量殺戮の張本人」)であるPLOのヤセル・アラファト議長やイスラエルのイツハク・ラビン首相(翌年暗殺)やシモン・ペレス外相(現大統領)たちが受賞するに及んでいよいよ明白になったと、当時は思った。因みに、佐藤栄作氏も私がまだ小学生であった頃にわが家に来たことがあるし、1975年の平和賞受賞者であるソ連の反体制派物理学者アンドレイ・サハロフ博士とも、1987年にミハイル・ゴルバチョフソビエト共産党書記長(当時)の提唱によってクレムリンで開催された『核のない世界と人類生存のための国際フォーラム』にオノ・ヨーコや、日本貿易会会長の三村庸平三菱商事会長らと共に亡祖父が招かれ、そのお供をしてクレムリンに入り、席上、「自由の身」となったサハロフ博士と最初に出会った日本人は、他ならぬこの私である。筑紫哲也が編集長を務めた当時の『朝日ジャーナル』誌に写真付きで報じられた。

  毎年、ほぼ同じような選考基準で選ばれるノーベル物理学賞や化学賞などとは異なり、ノーベル平和賞の受賞者には、実は、4つの異なったカテゴリーがある。ここで言う「カテゴリー」とは、その受賞対象部門である「国際平和」・「軍縮」・「慈善事業」・「環境保全」といったような「分野(field)」の意味ではなく、受賞者自身の類型のことである。第1番目は、(「敵・味方」の立場を越えて)ある分野で長年、人類社会の福祉増進に挺身してきた人である。例えば、第1回受賞者で、国際赤十字を創設したスイス人のアンリ・デュナンや、インドのコルカタの貧者を救援してきたカトリック「神の愛の宣教者会」創設者でアルバニア人のマザー・テレサ。アメリカにおける公民権運動の指導者で暗殺されたM・L・キング牧師。あるいは、長年、「アパルトヘイト(人種隔離政策)」に抵抗してきた南アフリカのデズモンド・ツツ大主教(英国国教会)。「密林の聖者」と言われたアルバート・シュバイツァー(註:実は、シュバイツァーは医師であるだけでなく、J・S・バッハのオルガン演奏家であると同時に、新約聖書の共観福音書研究の大家でもあって、シュバイツァーにとっては、医学も音楽も皆、信仰の伝道手段のひとつであったことは、案外知られていない。三宅歳雄師は1982年に『アルバート・シュバイツァー賞』を授与されている)等である。おそらく「ノーベル平和賞」と聞いて、大多数の人が「受賞者に相応しい人」を想像するカテゴリーである。当然と言えば当然であるが、宗教家が多い。因みに、現在の日本では、宗教家はどんなに市民のために役立つことをしても、国家からの叙勲の対象外である。因みに、インド独立の父マハトマ・ガンジーは5度「ノーベル平和賞」受賞の打診を受けたが、その都度、固辞したことが知られている。


2007年にドイツで開催されたG8宗教指導者サミットの際に
地球温暖化について意見を交換した
三宅善信代表とツツ元大主教


▼戦争の張本人にも授与されるノーベル平和賞

  第2番目は、先ほど述べた――キッシンジャー米国務長官とベトナム労働党のレ・ドクト政治局員や、PLOのアラファト議長やイスラエルのラビン首相やペレス外相――のような国際紛争の当事者であり、かつその調停者に功績があったと見なされる人々である。他にも、ジミー・カーター米国大統領の仲介による「キャンプ・デービッド合意」で中東に歴史的な和平をもたらせたイスラエルのメナヒム・ベギン首相とエジプトのアンワル・サダト大統領も同様のパターン(1978年受賞)である。また、そのカーター元大統領も、大統領退任後の積極的な平和活動によって2002年にノーベル平和賞を受賞している。あるいは、南アフリカ共和国におけるアパルトヘイトを終わらせた白人側指導者のフレデリック・デクラーク第8代大統領と黒人側指導者のネルソン・マンデラ第9代大統領のように、相対立する立場の人をセットで受賞させるというパターンである。


湾岸戦争の最中の1992年2月、三宅家を訪れて夕食を共にした
ジミー・カーター元米国大統領夫妻

  第3番目は、赤十字国際委員会、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)、国際連合児童基金(UNICEF)、国連平和維持軍、地雷禁止国際キャンペーン、国境なき医師団、国際原子力機関(IAEA)、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)等の国際機関等である。他の全てのノーベル賞部門が、基本的には「個人」に対して授与されるのに比べて、このように「団体」に対しても授与されるのが、ノーベル平和賞の大きな特徴である。

  第4番目が今回問題にしているカテゴリーである。これは、特定の国(たいていは全体主義国家)において、人権や自由を回復するために活動している人々にとってのシンボル的存在であり、彼もしくは彼女をノーベル賞に指名することによって、その全体主義政権が彼もしくは彼女を亡き者にすることを出来にくくするというノーベル委員会の極めて政治的なメッセージを発信するためのカテゴリーである。具体的には、社会主義末期のポーランドの労働組合指導者レフ・ワレサ(後に同国大統領)や、中国政府によって抑圧されたチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世、ビルマの軍事政権によって長期間自宅軟禁をされているアウンサンスーチー女史などもこのパターンである。


2007年9月、ダラムサラで75分間にわたってダライ・ラマ14世法王と
意見交換をした三宅善信代表

  そして、今回のバラク・オバマ大統領もこのパターンである。といっても、民主主義国家にして、世界最強の軍事力と経済力を誇るアメリカ合衆国の大統領を誰が抑圧するのだ? と疑問に思われる方も多々おられるであろうが、私が、オバマ大統領をこの類型に入れるのは、ある意味、この第4類型の全く逆形だからである。何故なら、全くの逆形は、本質的には原型と同じ意味があるからである。つまり、第4番目の類型は、ノーベル平和賞を受賞させることで、世界の耳目を集めさせ、強大な国家権力と雖(いえど)も無視し得ない国際世論というお目付役を作るという意味である。事前にアメリカという強大な猫の首に鈴を付けて、かの国の行動を抑制しようとする試みである。


▼アメリカによる軍事作戦阻止が目的

  それでは、いったい、アメリカのどの行動に対してノーベル委員会は鈴を付けたのであろうか? 目的は二つある。一番目は、イスラエルによるイランの原子力施設への攻撃(巡航ミサイルもしくはステルス攻撃機による爆撃)の回避である。これは、「秘密裏に核兵器を開発していた」とされるフセイン政権のイラクに対して、1981年6月、イスラエル空軍の最新鋭(当時)のF16戦闘爆撃機と、それを護衛するF15戦闘機(もちろん、共に米国製)がサウジアラビアの上空を侵犯して、突如イラクの原子力施設を破壊し尽くしたことで名高い『バビロン作戦』(註:この辺りの詳しい経緯については、2007年1月9日に上梓した『1.19ペルセポリス作戦』(http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r12-220.htmへ跳べるように)に詳解されているので、ご参照下さい)が知られているが、おそらく、これと同様のイランの原子力施設(濃縮施設や原子炉そのもの)への軍事攻撃のオペレーションが差し迫っていた可能性が高い。

  もちろん、イスラエルがこの軍事作戦を実行するためには、アメリカによる事前承認が必要である。あるいは、イスラエルがこの作戦を行わなくても、場合によっては、米軍が直接、巡航ミサイルもしくはステルス爆撃機によるイランの核施設へのピンポイント攻撃をする可能性が高まっていたのかもしれない。昨今の国際社会におけるイラン批判の世論形成のプロセスは、アメリカの対イラク戦争開戦前夜(2003年)に極めて似通っているからだ。ただ、常識的には、イランに対してアメリカが正面切って軍事作戦に打って出たのでは、国際的な非難も大きいし、また、対米テロ攻撃の標的となりやすいであろうから、ここはやはり、イスラエルにイラン攻撃をさせて――フセイン政権なき今となっては、イラクの上空をイスラエル空軍機が飛行することを妨げるものは誰もいないであろうから、軍事オペレーションは容易であるはずである――アメリカは補助的な役割(例えば、ピンポイント攻撃しやすいようにスパイ衛星等の情報を提供したり、ペルシャ湾内やアフガニスタン国境付近で軍事訓練等を行い、イラン軍の注意を惹きつけたりすることによって、結果的にはイスラエルの軍事作戦を実行しやすくする)を果たすことになるであろう。

  二番目の目的は、そして、長い目で見れば、アメリカにとってはこちらのほうが辛いと思われる政治的・経済的動きが、湾岸諸国だけでなく欧州や日中まで巻き込んだ形で、アメリカの目を盗んで進行していることが、オバマ大統領へのノーベル平和賞授与の報せの三日前に露見したのである。それは、もし、実現していれば、アメリカの世界経済支配が一挙にぐらついたかもしれず、それだけに、その動きを阻止しようとするアメリカの決意――この動きの音頭を取った湾岸の小国への見せしめとして、この国の原油施設を破壊するとかいった軍事オペレーションが可能――も高かったと思われる。だから、その動きを先に掴んだノーベル賞委員会が、先手を打って、アメリカの動きを封じたのである。


▼「ドル建て原油取引中止」への米国の警告VSノーベル賞委員会

  それは何かというと、10月6日「ドル建ての原油取引を止める」という企てであった。世界で唯一、アメリカ合衆国という国だけが、安物の紙に緑色のインクで印刷しただけの紙切れを「ドル紙幣」と称して輪転機をフル稼働させ、自分たちは汗水垂らして働くことなしに、世界中のあらゆるものを好きなだけ購入できるツールにしたという「神話」を崩壊させる有力なきっかけになるからである。サダム・フセインが除かれたのも、彼が「対米挑発」を繰り返していたからではなく――フセイン大統領の対米挑発は1990年代からずっと続けられていたが、湾岸戦争においても、アメリカのイラク攻撃は限定的なものであった――フセイン政権が、原油輸出の決済通貨を米ドルからユーロへと切り替えようとしたことが、アメリカの逆鱗に触れたからであろう。

  何故なら、「貿易における国際決済通は米ドルでなければならない」という“神話”が崩壊することがアメリカにとっては最も困ることなのだから…。第二次世界大戦後六十数年間にわたって「働かずに食べる(世界の諸国民の生産物に寄生して生きる)」というシステムの上に乗っかって生きてきたアメリカ人が、今さら、日本人のように勤勉に働いて工業製品を生産することは不可能である。工業製品を輸入して農産物を輸出するという「途上国」に成り下がってしまっているアメリカが依然として世界を“支配”できているのは、とりもなおさず、「貿易における国際決済通は米ドルでなければならない」という“神話”のおかげだからである。

  しかし、10月6日の英国インディペンデント紙の報じるところによれば、アラブの湾岸諸国が、原油取引における米ドル決済を中止し、日本円・人民元・ユーロ・湾岸協力会議(GCC)諸国が検討している新統一通貨および金(gold)による「通貨バスケット」に移行しようという試みで、日・中・露・仏・伯5カ国の中央銀行総裁らが、サウジアラビア・アブダビ・クエート・カタールら湾岸諸国と秘密裏に交渉が始まっているとのことである。「通貨バスケット」とは、日本やアメリカやかつての西欧諸国のように変動相場制を採っていないある国が、その国の通貨と米ドル等の外貨(=変動相場制を採っている国の通貨。「hard currency」と呼ばれ、極めて兌換性が強く、世界中で通用する)との交換比率を決定する際に、一国の通貨――例えば、米ドル――だけをその対象としていたら、その通貨の価値が急激に変動した場合、それに釣られて自国の通貨の価値も急激に変動してしまうことを避けるために、複数の通貨を“バスケット(籠)”の中に混ぜ込んで、為替変動のリスクを相殺しようとする方法のことである。現在、シンガポール・ロシア・中国などが、自国通貨の為替レートとして「通貨バスケット」を採用している。

  たしかに、この湾岸の産油国がこのシステムを採用したら、昨秋の米国金融危機時における米ドルの価値の急落のような局面においても、たとえ米ドルの価値が下落したとしても、その分、ユーロや日本円の価値が上昇するので、損害が発生しない。あるいは、小さな損害で食い止めることができる。今後、ますます米ドルの価値が下落する可能性がある――米国がその放漫財政体質を改めることができないため――ので、米ドルによる大量の外貨準備を有する湾岸諸国や中国・ロシア・日本などは、将来、大損になることが判りきっている米ドルによるこれ以上の外貨準備の積み増しを避けたいところであるし、ユーロを米ドルに代わる国際決済通貨としたがっている欧州各国との利害が一致するところである。


2002年6月、アフリカでのHIV/AIDSに関する国際会議で知り合って以来、
交流のあるノーベル平和賞選考委員(当時)の一人グナール・シュテルセットノルウェイ国教会
オスロ主教(当時)と三宅善信代表

  しかし、もしこれらのセオリーが現実のものと化したら、アメリカの経済は地に落ちるであろうから、それだけはどうしても避けたいので、今なお、アメリカが「世界最強」と言える分野である軍事力という手段を用いてこの試みに対抗するであろうことは目に見えているので、その誘惑を事前に断ち切るために、急遽オバマ大統領にノーベル平和賞を与えたとしたら、ノルウェイ政府の炯眼はたいしたものであると言えよう。そして、そのことを瞬時に見抜いた私の洞察力はもっと凄いと言えよう。

 

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