レルネット主幹 三宅善信
▼昭和天皇とマッカーサー元帥
2009年11月14日、日本政府の強い要請もあって、本来の予定を一日縮めてでも来日したバラク・オバマ合衆国大統領夫妻が、限られた時間内ということもあり、通常、国賓をお迎えする場所である皇居の「宮殿」(註:国賓の接遇や内閣の親任といった公式行事が行われる場所)ではなく、珍しく「吹上御所」(註:両陛下のお住まい)で天皇陛下と会見したのであるが、この時、車寄せまでお出迎えになられた天皇陛下に対して、オバマ大統領が(日本式に)深々と頭を下げて挨拶(お辞儀)した姿が印象的であった。
天皇陛下に丁寧な挨拶をするオバマ大統領 |
この“事件”に対して、内外でいろんな意見が飛び交った。日本人の中には、「これで昭和天皇の屈辱は晴らした」と言う者も居た。もちろん、これは、敗戦直後の1945年9月27日にアメリカ大使公邸で行われた連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥と昭和天皇の「会見」の時の1枚の写真のことを意味していることは言うまでもない。翌日の新聞各紙に、腰に手を当てて開襟シャツでリラックスした大柄なマッカーサー元帥と、モーニングで正装し緊張して直立不動の小柄な昭和天皇が並列している写真が掲載されて、あらためて当時の日本人は「敗戦」を身に染みて感じたことであろう。しかし、この時の「会見」での昭和天皇の発言が、マッカーサー元帥の心を突き動かし、戦勝国アメリカの敗戦国日本に対する占領政策をすっかり転換させたことは、あまりにも有名なエピソードであるので、あらためて触れるまでもない。
日本人に敗戦を実感させた1枚の写真
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この「会見」に際し、彼我の「立場の差」を見せつけるため、昭和天皇の御料車がアメリカ大使公邸の車寄せに到着した際に、当初の予定では、マッカーサー元帥自身は、出迎えも見送りもしないことになっていた―事実、出迎えは副官が務めた―にも関わらず、歴史的な「会見」を終えた後、昭和天皇がお帰りになられる際には、マッカーサー元帥は予定を変更して、玄関まで昭和天皇をお見送りした。それは言うまでもなく、勝者敗者の区別ではなしに、「一廉(ひとかど)の紳士」に対する礼儀として自然とそういう振る舞いになったのである。
昭和天皇を玄関先までお見送りするマッカーサー元帥
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▼外国の元首にお辞儀をしてはいけない大統領
しかし、この度の天皇陛下との会見時のオバマ大統領の「お辞儀」を見て「昭和天皇の屈辱」云々というのでは、何十年も前のことで未だに大騒ぎするお隣のファナティックな国民と民度のレベルが変わらない。一方、当のアメリカでも、今回のオバマ大統領の「お辞儀」を問題視する人が少なからず居たから驚きだ。欧米式のマナーでは「握手の際に相手の目を見て頭を下げない」ことなど誰でも知っていることである。特に、欧州と比べて「歴史の浅い」アメリカ合衆国においては、その国家元首たる大統領が欧州各国の国家元首―当然、世界最初の「共和制」(註:古代ギリシャ・ローマにおける「共和制」と、近代民主主義国家における「共和制」が全く別物であることは言うまでもない)国家であるアメリカ合衆国が成立した当初は、アメリカ合衆国の大統領が会見する世界各国の国家元首のほとんどは「君主」であった―と会見するときに、「辺境の成り上がり者」として見下されないためにも、また、「身分制度」等という前近代的な頸木から解放された「共和制」という人類文明の最先端を行っていると自負しているアメリカ文明―そのアメリカ合衆国において、長年黒人が奴隷として扱われてきたという皮肉な歴史があるが、少なくともWASP(白人アングロサクソン・プロテスタント)という主流派においては―を象徴として担っている大統領たる人物が、前近代的な身分社会の君主に対して遜(へりくだ)るような恭しいお辞儀をしないということが、まさにアメリカの自負心であったことは言うまでもない。
事実、今から約半世紀前にアメリカ史上初の「非WASP」として、アイルランド系のカトリック教徒であったジョン・F・ケネディが大統領に就任した際には、当時、キューバ危機で世話になったローマ教皇ヨハネス23世と会見するとき、ケネディがヨハネス23世に跪かないか本気で心配したアメリカ人も大勢いたそうである。もちろん、ケネディは「カトリック教徒」としての「個人」的事情よりも、「合衆国大統領」としての公人の立場を尊重して、教皇の目を見て握手をしたことは言うまでもない。因みに、ポーランドのレフ・ワレサ大統領が、同じポーランド出身の教皇ヨハネ・パウロ2世と会見した際には、カトリック教徒としての立場を優先して跪いて教皇の手に口づけまでして敬意を表したが…。
▼相手の文化を尊重するオバマ大統領
だから、今回の天皇陛下との会見時に、オバマ大統領が「お辞儀」をしたことを問題視する声が、アメリカ国内で上がったのも、頷けないわけではない。しかし、(当時は「世界の中心」であった欧州から見て)辺境の一新興国に過ぎなかった19世紀のアメリカ合衆国と、「唯一の超大国」として敵味方の区別なく誰もがその圧倒的なプレゼンスを認めざるを得ない21世紀初頭のアメリカ合衆国を同列に論じること自体ナンセンスである。その外交上のプロトコルも変わってきて当然であろう。国際会議の席上、合衆国大統領が自分より高齢な他国の元首のために、先を譲ったり、着席しやすいように椅子を引いてあげたとしても、その振る舞いは、微笑ましい仕草として彼の人となりが素直に出たものとして、かえって好感度が上がるというものである。
何度も言うが、欧米人が握手をする際には、「相手の目をまっすぐに見据えて、頭を下げない」などということは、たとえ彼が大統領でなくとも、誰でも知っていることである。しかし、オバマ大統領は天皇陛下にお辞儀をした。しかも、オバマ大統領の「お辞儀」は今回が初めてのことではない。世界的な金融危機への対処を探るために、2009年4月9日にロンドンで開催されたG20(主要20カ国による金融サミット)会議の際に、先に到着していたサウジアラビアのアブドラ国王と出会った際にも、「お辞儀」をした“前科”がある。つまり、今回のオバマ大統領のお辞儀は、米国内での批判が起こることを予見した上での半ば確信犯なのである。
サウジのアブドラ国王にお辞儀をするオバマ大統領
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しかも、相手が「国王陛下」なら誰にでもお辞儀をするかというと、そうではない。オバマ大統領は、英国の君主であるエリザベス2世女王と会見した際には、西欧式に相手の目を見据えて握手をしている。ということは、オバマ大統領は、中東の君主国であるサウジアラビアから極東の君主国である日本(註:日本国内でどういう議論があるにせよ、国際社会においては、日本は「立憲君主制」国家としてカテゴライズされている)まで含めて、(欧米から見て)「東洋の君主」に対する際には、東洋の習慣である「お辞儀(拝礼)」という作法で接することが、相手の文化を尊重するという態度であることは言うまでもない。かくいう私も、ローマ教皇に謁見した際には、西洋式に相手の目を見据えて握手をしたが、ダライ・ラマと会談した際には、東洋式に合掌してお辞儀をした。それが、相手を尊重した礼儀だと思うからである。
▼思わず頭の下がったオバマ大統領
しかし、今回のオバマ大統領のお辞儀について、もう少し違った角度から見ることができるかもしれない。それは、実際に陛下と対面して「思わず頭が下がった」という見方である。ここまでに論じてきたことぐらい、オバマ大統領自身も人に言われなくても解っていたであろうし、よしんば、そうでなくとも、天皇陛下と会見するに当たって、大統領府のスタッフから、日本と皇室の歴史やペリー提督以来150年間に及ぶ日米関係についてブリーフィングを受けてきたはずである。しかし、その様子を伝える映像を見る限り、そのような前提条件をすべて超えて、笑顔で吹上御所(自宅)の玄関まで出迎えに出られた小柄な初老の陛下のお姿を見て、アメリカ合衆国の大統領としてではなく、バラク・オバマ個人として、思わず自然と頭が下がったのだと思う。
私は、そのわずか三日後に大阪に行幸啓された両陛下のお姿を間近で拝見する機会に恵まれた。その日は、東京で行われた「即位20周年奉祝行事」の時と同様に、肌寒く、また雨が降り続けた一日であったが、両陛下のご到着を沿道で長時間立ちっぱなしで待っていた人々のために、寒風と雨が吹き込むのも厭われず御料車の窓を開けっ放しで、にこやかに手を振って沿道の人々に応えておられるお姿が印象的であった。私は、右翼でも国粋主義者でもなんでもないが、外国からの賓客だけでなく、名もない一般国民に対しても誠意を込めて接しておられる陛下のお姿を拝見して、思わず「天皇陛下万歳!」と叫んでいた。
沿道の人々に手を振られる両陛下
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今日は神代の昔から連綿と続く新嘗祭(にいなめさい)の日である。おそらく、皇居の奥深く誰も見ていない所(註:「新嘗祭」は、天皇自身が一人で行う天皇の宗教的霊性に関わる最重要な秘儀であることは言うまでもない)でも、寒い中、天皇陛下は数時間をかけて丁寧にそのご祭事を執り行っておられるものと思われる。決して「誰も見ていない」からと言って、手抜きなんかせずに誠実にご奉仕されているであろう。
これと全く次元が異なるが、鳩山新政権の目玉のひとつとして「事業仕分け」の様子が報道されていたが、行政の透明性・公開性という点では大いに評価できるにせよ、仕分け人たちが、あたかも「勝てば官軍」気取りで、各省庁の担当官を断罪してゆく姿には、決して清々しいものがあったとは言えない。結局、世界の人々から尊敬されるのは「威あって猛からず」という姿だと思う。