レルネット主幹 三宅善信
▼コロコロ変わる前原国交大臣の発言
日本の「ナショナル・フラッグ・キャリア」たる日本航空(以下、JALと略す)の株価がとうとう一桁(8円)になった。『北斗の拳』式に言えば「お前は既に死んでいる」状態だ。1997年の山一証券の破綻以来、1998年の日本長期信用銀行…と、日本を代表する企業が次々と破綻したり、上場廃止に追い込まれていったので、破綻した企業の経営陣が記者会見の席上で頭を垂れる姿に、われわれはもう慣れっこになってしまった感がある。それらの破綻処理のプロセスで「公的資金の投入」ということが何度も行われてきた。そして、その多くの場合について、私はそのことについて批判的な意見を述べてきた。
しかし、今回のJALの破綻は、それらの破綻とはまた違った面で国民の関心が高い。正直言って、たとえ証券会社が破綻したとしても、株や債権を持っていない人には「関係ない話」であるが、鉄道やフェリーと並んで公共交通システムの一翼を担う航空会社―沖縄の離島や北海道の僻地など、空港以外に公共交通機関に選択肢がないところも多々ある―なだけに、特に、乗り入れ航空会社がJAL一社だけの地方空港を抱える自治体の住民にとっては死活問題である。という訳で、マスコミもこの問題を積極的に採り上げている。と言うわけで、「縄文からポケモンまで」あらゆる分野の問題を採り上げる『主幹の主観』サイトでも、本件について触れないわけにはゆかないであろう。
今回のJAL破綻問題での「A級戦犯」は、前原誠司国土交通大臣である。前原国交大臣は、就任早々、「二社体制はこれからも維持する(9/17)」とか、「法的整理は現時点では一切考えていない(9/24)」とか、「日航の自主再建は十分に可能(9/30)」とか、ことある毎に強調してきた。ところが、11月に入るや、なかなかドラスチックな合理化に踏み出さない経営陣や労組に脅しをかけるためか、「コストカットしなければ会社の存続が難しい(11/6)」だとか、「法的整理しないとは言っていない(11/18)」とかいった「法的整理(破綻処理)」路線へと大きく舵を切っていった。ところが、実際にJALの資金ショートを懸念した動きが明るみになってくる(例えば、通常は“ツケ”で給油している海外の乗り継ぎ地の空港での給油の際に、信用不安が原因で「現金で燃料代を支払え」と迫られたら、たちまち飛行機が飛べなくなったり、海外の空港に着陸したJAL機が借金の“カタ”として差し押さえられたりしたら、たちまち運行が継続できなくなる)と、また、一転して、「国が全額出資している政策投資銀行の融資に、さらに政府保証を付けるのは“二重の政府保証”になる(12/22)」と発言して、あたかも「信用がある」ように装わせた。
同様に、12月29日に、企業再生支援機構が『法的整理案』(註:このコンテクストにおいては、「法的整理」と「公的整理」はほぼ同様の意味で用いられている。要するに、これまでJALに融資してきた銀行団に対しては債権放棄を求め、一般投資家には株主責任として株券の紙切れ化である「100%減資」を強要すること。ニュアンスの違いは、「公的整理」のほうには、さらに「公的資金を投入する」という要素が加わる。一方で、「私的整理」は、銀行団は一部の債権放棄に応じるものの、一般投資家にとっては、株式の価値は激減するが、機を見て株式市場で売却することも可能である)を銀行団に示して、大納会の日にJALの株価が90円台から60円台までに一気に急落すると、年末年始の航空需要の繁忙期に無用の混乱を生じさせないためにか、「必ずしも“法的整理ありき”というようなことではない(12/30)」とリップサービスした。その結果、正月休みを経た1月4日の大発会では、再び90円台を付け返した。そこで、支援機構の発表にビックリして大納会で投げ売りした投資家も安心して、その後三日間は日航株を買い戻す者も大勢いた。
ところが、1月8日になって「政府として支援機構を介した“公的整理”をする」と声明を発表し、67円あったJALの株価は、一日で37円(−45%)に、さらにその翌日には8円(−79%)にまで急落し、事実上「紙切れ」になった。このような場合、大損した個人投資家に対して、よく「株主責任」と言われるが、一般投資家は、銀行団や政府との話し合いの席に着かせてもらえないどころか、事実上、最新の最重要な情報も開示されていない―たいていの場合、テレビや新聞のニュースとして知るので、会社情報の鮮度においては、まったく株式を保有していない一般人と同様である―ので、「破綻」などの重要な情報に接してから保有している株式を売却しようとしても、ウリとカイの比率が100:1とか1000:1とウリ一色となってしまい、株式市場では売買は比例配分されるので、小口の一般投資家が無事売り抜けられることは、事実上、不可能である。そこで、もし、12月30日の前原大臣のリップサービスが、政権関係者や利害関係者たちの保有株式を「売り抜ける」ために行われたのだとしたら、当然犯罪行為に当たるし、そうでなくとも、前原大臣の4カ月間の発言のブレによって、多くの投資家に損失を与えたことの道義的責任は重いと思うのは私だけではあるまい。
▼起死回生のハイチ救援ボランティアでJALを救う
とは言っても、生命維持装置によってかろうじて生きながらえている重症患者の人工呼吸器のスイッチを切ったのが、前原国交大臣であっただけで、問題の“根”はそんなところにはないことは言うまでもない。日本航空の「高コスト」体質そのものにある。会社としてのJALは、もう何年も前から、いわば、身体じゅうに輸液やインターベンションの管をいっぱい挿管されて、人工呼吸装置によってかろうじて延命してもらっている状態だったことは、ほとんどの人が知っていた。ただ、皮肉なことにJALの労資およびOBだけがたちだけが気が付いていなかった―あるいは、気が付いていないふりをしていた―だけであった。もっと言えば、気付いていたが「俺たちは“親方日の丸”だから、何をやっても絶対に潰れない」と確信犯的に思っていた。2002年のJAS(日本エアシステム)との統合時に、長年親しまれてきた垂直尾翼のロゴマークを「鶴丸」から現在の「日の丸風」のロゴに変更したことに、彼らの潜在意識が現れている。しかし、このデザインも、見方を変えれば、欠けた日輪が沈みかけているようにも見える。皮肉にも『沈まぬ太陽』どころか、『沈みゆく太陽』となってしまった。当然、天下りの受け皿としてJALを利用してきた国土交通省(旧運輸省)も同罪である。
しかも、この度し難いJALの「親方日の丸」体質に、ふたつの不幸な要素が重なった。ひとつは、その「親方」であるところの「日本」そのものが沈みつつあるということである。40年間、アメリカに次いで世界第2位を誇ってきた日本のGDPが2009年に中国に追い越された。2000年の時点では、日本のそれは中国の約4倍であったから、その凋落ぶりは顕著である。つまり、「出来の悪い子」をカバーするだけの体力が日本にはなくなったということである。その上、世の中、「革命(政権交代)」があったときには、新しく政権に就いた者は、新たに配下となる家来(官僚)や民衆に、「時代が変わった」ということを身に染みて解らせるために、誰もが知っている「大物」をスケープゴート(生贄の羊)として血祭りに上げ、「俺様に睨まれたらどういう目に遭うか解っているだろうな…」と凄味を効かすことによって人心を掌握するのが常である。前原国土交通大臣は、建設省と運輸省と国土庁が合併してできた国土交通省の中の「旧建設省閥」を叩くために、就任早々「八ッ場ダム」の工事を中止させ、「旧運輸省閥」を叩くためにJALを法的整理したのである。そういう点では、前原氏はセオリー通りのことをしただけであるし、JALは運が悪かったとも言える。
さりとて、JAL関係者に罪がなかったかというと、嘘にある。やはり、最大の罪はJALの労資にある。曰く、「9.11テロの影響で…」、「ジェット燃料の高騰で…」、「リーマンショックによるビジネス客の減少で…」と、いくらでも経営不振の理由を論(あげつら)うことはできるが、そんなこと、世界中の航空会社にとって共通の問題であって、そのような中でも、「儲かっている」航空会社だっていくつもある。現に、全日本空輸(ANA)は同じような環境下でも、企業努力によって破綻せずに経営されているではないか…。しかしながら、JALの場合は、ことこのような事態に至るまで、現役もOBたちも、その企業年金の給付率の引き下げに頑なに抵抗してきた。そのことが、どれだけ多くの「なんとかJALを助けてやろう」と思ってきた人々にまで、「そこまで我欲を主張するんやったら…」と思わせ、結果的には、「(お手柔らかな)私的整理」から「(無慈悲な)法的整理やむなし」へと考えを変えさせてしまったであろう。ことここに至っても、なお「年金減額反対!」と言っている連中を見ると、「肝心の会社が潰れたら、元も子もなくなるのに…」と、眉をひそめているのが大多数の国民であろう。
因みに、私がJALの労組だったら、以下のようなキャンペーンを打つ。「まもなく、JALは破綻します。しかし、われわれがいろいろと主張してきたのは、決して自分たちの我欲からではありません。資本主義(合理化)の論理にだけ従えば、機体もレンタル、乗務員も派遣もしくは過重労働…。航空会社にとって最も大切な社会的責任である安全性の優先順位が落ちます。結果的には、お客様にとっても、デメリットになってしまいます」と発言する。でも、政治家や経済界、マスコミは「この世界不況の時代に何を甘えたこと言っている!」と非難してくるであろう。そこで「私たち(JALの社員)に私心がないことを証明するために、機長・操縦士・客室乗務員等社内からボランティアを募って、今回のハイチ大地震の被災地に特別機を飛ばします。中国では、政府の命令一下、翌日には国交のないハイチ目指して人民解放軍による救援部隊を派遣しました。しかし、おそらく日本政府はいつまで経っても小田原評定(2001年2月1日付の『放置国家ニッポン:国際救助隊発信せよ』を参照)で、実際に自衛隊が現地へ行く頃には、プライマリーなニーズがなくなっている頃でしょう」と、批判の矛先のすり替えを謀る。
そして、続けて「一方、日本の国際人道NGOの皆さんは、今すぐにでも、助けを求めている人々のところへ飛んで行きたくても、カリブ海の小国ハイチへ飛んでゆく手段がなかなか確保できない(当然のことながら、フロリダ等からのハイチ行きの商業フライトはほとんどキャンセルされているから)でしょう。ですから、私たちの責任で一機用意するので、救援活動に行きたいNGOや被災地を取材したいマスコミの皆さんは、明日の○○時までに関西空港(いつもガラガラだから)にそれぞれ必要な機材を持って集まってください。ただし、往復のジェット燃料代がないので、JALハイチ救助隊のために募金ください!」と呼びかければ、「JALもなかなかええところあるな」と世間に思わせることができるであろう。あとは、『世界ウルルン滞在記』(註:皮肉にもこの番組はJALが取材協力していた)ばりに、感動的な場面を演出する…。特攻隊の出撃時のように、社員の家族総出で送り出す。もちろん、ハイチでは人道NGOと一緒に救援活動に汗を流す。帰国後も、後日談を放送させるのである。大幅減俸を自己申請したエリート機長のご内儀がスーパーでレジ係のパートとか、美人キャビンアテンダントが老人介護施設でボランティアとか、整備士が地元の幼稚園の遊具を修理するとか…。そうすると、「JALの連中も一生懸命頑張ってるやないか」という声が巻き起こり、世論に敏感な政治家からも「JALはなんとか破綻処理ではなくて…」ということにもなるであろう。「姑息な手段」と白眼視する人もおられるであろうが、日本人は「お涙頂戴」のストーリーが大好きなのである。
▼自衛隊の“空母”をハイチに派遣してプレゼンスを示す
今回のJALに対する破綻処理について、民主党政権の方法の拙さは最初に指摘したとおりである。絶対に避けなければならないのは、不採算部門を切り捨てた上で、1兆円とも言われる巨額の公的資金(=国民の血税)の投入の投入することJALを再生した挙げ句、美味しい部分だけをアメリカのハゲタカに喰わせるという十年ほどの間に金融機関で行ってきた小泉・竹中の売国奴路線の繰り返しである。いったん、株式市場から強制退場(=株価の価値がゼロになる)させた企業に公的資金を注ぎ込んで再生させた場合、新たに発行される株式は、納税額に比例して国民に分配されるべきである。納税者たる国民も、自分が株式を有している会社が儲かることを望むであろうから、せいぜい「新生JAL」を利用することになるであろう。もちろん、即、売却して現金化を図るのも自由だ。
ただし、公的資金の投入によって息を吹き返した「新生JAL」が、自己努力によって破綻しなかったANAよりも有利な位置に着くことだけは避けなければ、モラルハザードになる。解りやすい例を挙げれば、営業努力によって3万円だった運賃を2万円にした会社と、放漫経営で倒産した結果、潤沢な公的資金が導入され、その資金を用いて1.5万円のダンピングチケットを販売して市場の独占を謀ろうとするような状態だけは避けなければ社会正義が貫徹されない。投入された公的資金を返却しきるまでは、新生JALの首には「納税者の下僕(しもべ)」の証(あかし)たる首輪を付けておかねばならないことは言うまでもない。最も避けなければならないセオリーは、経営努力してきた全日空と放漫経営をしてきた日本航空を合併して救済しようとする考え方だ。「悪貨は良貨を駆逐する」というではないか…。それに、ANAとJALが合併して「ANAL」になったら、ネーミングからして最低である。もちろん、国内航空市場の一社化は、独禁法上も許されない。だんだん、話があらぬ方向になってきたので、本筋へ戻そう。
ハイチ地震の救援策に関して結えば、やはり、JALの救援隊が行くよりも、日本国としては中国同様、自衛隊を即日、派遣すべきであった。その理由については、2001年2月1日付で発表した『放置国家ニッポン:国際救助隊発信せよ』で述べたとおりである。しかも、私には腹案があった。先遣部隊として「日の丸」を付けた航空自衛隊機を即日飛ばすのは当然としても、それ以外に、大型艦船を派遣するのである。何故なら、当然のことながら、ポルトー・プランスの都市機能は空港をはじめ、発電や水道水といったライフラインのインフラまで徹底的に破壊されていることは、大統領官邸が瓦解した第一報の映像を見ただけで判断できるからである。
そこで、日本だけでなく、救援隊を派遣している各国の航空機―ほとんどの場合、ハイチ側の着陸事情を考えるとヘリコプターになるだろう―の離発着のための安定的なベースとなるヘリ空母や大型揚陸艦を派遣するのである。もちろん、海上自衛隊の大型艦艇には、病院施設や宿泊施設や発電設備も備えているであろう。私が鳩山総理だったら、即日、最新鋭のDDH(ヘリコプター搭載護衛艦=ヘリ空母)「ひゅうが」 を派遣するであろう。因みに、「ひゅうが」の全長は197m、総排水量は19,000tという巨大艦である。当『主幹の主観』読者の中には、自衛隊の海外派遣の是非云々について問題にするような低レベルの人は居ない―というより、1999年のトルコ大地震の際にはLST(輸送艦=ドック型揚陸艦)「おおすみ」が、2004年のスマトラ沖大地震の際にはLST「くにさき」が、それぞれ現地へ派遣されているという既成事実がある―と思うが、それでも、「航空自衛隊機による急派なら意味が解るが、巨大艦なんて現地に到着した頃には勝負は終わっている」と思われる向きもあると思う。
しかし、それは艦船の速度に関する認識が足りない。民間の高速コンテナ船でも、東京・ロサンゼルス間は1週間で到達できる。東京からハイチまでは、直線距離だと約13,000kmなので、巡航速度500MPH(=800km/h)の輸送機なら16時間で行けるが、巡航速度30ノット(=54km/h)の「ひゅうが」の場合でも、パナマ運河を経由するので、横須賀→ハイチ間の距離は約15,600kmあるが、昼夜兼行で航行すれば12日間で到着できる。全幅33mの「ひゅうが」は、パナマ運河をギリギリ通行することができるいわゆる「パナマックス」サイズに設計されているのだ。さすれば、1月25日頃には、到達できるであろう。倒壊した大統領官邸や国連現地事務所等の機能の一部を「ひゅうが」内に置くことも可能である。「ひゅうが」に遅れて、呉から発出した「おおすみ(同級の「しもきた」「くにさき」を含む)」がこれに加わる。因みに、おおすみ型LSTの巡航速度は22ノット(=40km/h)なので、呉→ハイチ間の距離約16,400kmだと現地到着は1月30日頃になる。
こうして、(日本周辺海域で軍事的な緊張が高まらない限り)「ひゅうが」は1カ月間ほど現地に海域に留まり、救援活動の司令塔の役割を果たし、後続の「おおすみ」型二番艦の到着を待って(つまり、瞬間的には、日本のDDHとLSTは三艦同時にカリブ海に居ることになる)、これと任務を交代して帰国の途に就く。ただし、帰路は往路とは逆に、フロリダ半島沖を北上し、バージニア州のノーフォーク海軍基地を経由して国連本部のあるニューヨークへ立ち寄り、仰々しく国連事務総長から感謝状を受け取るセレモニーを演出し、大西洋を横断して、ハイチと縁の深いフランスやスペインを経由して、地中海からスエズ運河を通過してインド洋経由からマラッカ海峡を経て、南シナ海・東シナ海経由で横須賀に戻るのである。このことによって、1月15日で切れるテロ対策特別措置法に基づく自衛隊のインド洋給油活動の終了の−イメージを薄めつつ、国際社会に対して災害発生時の日本の貢献をアピールするのである。もちろん、「おおすみ」型の二隻も、一番艦は数日後に、二番艦は数週間後に現地を離れ、ハワイ(真珠湾基地)もしくはサンフランシスコ(アラメダ海軍)経由で撤収するというのが、日本の国益に叶った最も費用対効果のよい方法だと思うが、このような「絵」の描ける人が、現在の日本政府には居ないのが残念である。