ヒニクのタン:バンクーバー冬季五輪考   

 10年02月22日



レルネット主幹 三宅善信  


▼最も得をしたのは「カーリング娘」

  バンクーバー冬季オリンピックの話題で国内が盛り上がっている。しかし、試合会場の中だけならまだしも、場外でもいろいろと話題を振りまいてくれている。スノーボードの國母選手の“腰パン”騒動しかり、宇宙航空研究開発機構(JAXA)から提供された人工衛星用の新素材まで使いながら、不注意から「重量超過」となったリュージュや、スケルトンの「シール剥がし」による失格事件等、あまりのレベルの低さが、大会の盛り上がりに水を差している。日本選手団だけで言えば、今回のオリンピックで唯一の勝利者は「女子カーリングチーム」だけであると言っても過言ではない。1試合の中継時間が約3時間で、予選だけで9試合行われるので、都合27時間もテレビに露出することになる。冬季五輪の競技は、フィギュアスケートを除けば、たいていフルフェイスのヘルメットやゴーグルで顔を覆っていたり、疾風の如く駆け抜けていったり、ほんの数十秒から数分間で終了してしまう競技がほとんどなので、選手の顔を覚えるだけで大変である。

  その点、競技をする選手が4名(リザーブ1名)しかいない上に、素顔がどアップで写るカーリングの選手は大いに得をしている。その上、ストーンを投げる(滑らせる)際には、氷面に顔を近づけるので照明ハイライト効果もあって、たいていが“美人”に見える。(日頃から、大変な鍛錬をしているという自負のある)本人たちは、チャラチャラした響きのある「カーリング娘」と呼ばれることを嫌い、「クリスタルジャパン」と呼んで欲しいようであるが、そう呼ぶべきかどうかは、彼女たちの実力次第である。私は名前負けしないことを期待しているが…。おまけに、日本代表チーム(註:通称「チーム青森」と呼ばれているが、リザーブを入れた5名の内、北海道出身者4名、長野県出身者1名で、青森県出身者は誰もいない!)のスキップ(主将)目黒萌絵選手が所属するみちのく銀行では、カーリング人気に乗じて、金利が上乗せされた「チーム青森応援定期預金」は早くも600億円もの預金を獲得したそうだ。もちろん、マスコミにもどんどん採り上げられるので、その広告宣伝効果たるや計り知れないものがある。こうなったら、女子フィギュアの安藤美姫選手(トヨタ自動車)に金メダル取ってもらって、勝利インタビューの際に、英語で「トヨタ自動車は信頼を裏切らない誠実な会社です」米国民向けに発言してもらったら、現在、米国連邦議会の公聴会で窮地に立たされているトヨタ自動車にとっては有り難い援軍となるであろう。アメリカ人のフィギュアスケート好きは尋常じゃないから…。


▼フィギュアスケートの採点基準はとても客観的

  そもそもいったいいつ頃から冬季オリンピックはこのようになったのであろうか? かつては、冬季五輪の競技種目と言えば、スキー競技と言えば、ひたすら体力勝負のノルディック種目の距離競技や技術的鍛錬と度胸の要るジャンプ競技か、目もくらむような坂を滑り降りてゆくアルペン競技であった。また、スケート競技では、これまたひたすら体力勝負のスピードスケートと、技術的鍛錬と美しさを競い合うフィギュアスケートくらいのものであった。それに、スキー競技では持久力と射撃の正確さを競うバイアスロンや室内での球技系のアイスホッケーとそり系のボブスレーぐらいのものであった。これらの競技に共通しているのは、主観的な採点種目であるフィギュアを除けば、タイムや距離やポイントといった「客観的指標」によって成績が決まる競技であるということである。

  否、フィギュアにおいても、まったくなんの基準もない中で「印象のみによって採点する」のではなく、例えば「3つ以上の異なった飛び方(註:同じ三回転でも、ルッツ、アクセル、フリップ、ループ等6種類の飛び方がある)のジャンプを3回以上、スピンを2回以上しなければならない…」とかといった演技の中に必ず入れなければならない「elements(要素)」があって、その要素の難易度と完成度に応じて採点されるという点では、「客観的指標」がある。かつては、「Compulsory(規定)」と言って、華やかな衣装を着用して音楽に合わせて華麗に踊る「Free(フリー)」競技の前日に、地味なジャージ姿で、スケートのブレード(刃)でひたすら決められた完璧な形の円や三角を氷上に描く競技が行われた。しかも、1960年代まではコンパルソリーのポイントが6割+フリー4割と重視されており、文字通り「Figure(形体・図表) Skate」であった。1972年の札幌冬季五輪の後、ルール改正があり、コンパルソリー4割+ショートプログラム2割+フリー4割となった。その後、どんどんとコンパルソリーの比率が3割、2割と減ってゆき、1991年にとうとう廃止になった。という訳で、フィギュアスケートも、本来は明確な客観的採点基準のある競技であった。


▼冬季オリンピック競技から外すべき種目

  競技そのものの好き嫌いは別として、オリンピック憲章にあるように、そもそも、オリンピック競技が「Citius (より速く), Altius (より高く), Fortius (より強く).」という境地を目指すものであるとすると、冬季オリンピックの競技の中には、いささか「五輪種目」として相応しくない種目があるように思われる。もちろん、どの競技を五輪種目に採用するかしないかは、各競技団体の力関係や放送権料の問題等が複雑に絡み合って、一言では言い表しがたいが、最近では、日本やアメリカの反対を押し切って、2012年のロンドン五輪から、男子の野球と女子のソフトボールが五輪種目から外されたことは、記憶に新しい。しかし、そのような要素は今回は考えないとして、純粋に、「より速く、より高く、より強く」という境地から判断すると、即刻、冬季五輪の競技から外すべきだと思う種目が三つある。それは、モーグルとスノボ・ハーフパイプとショートトラックの三種目である。

  モーグルとスノボ・ハーフパイプについて言えば、スポーツとしての運動量の多さや空中でのバランス感覚はたいしたものだと思っているが、空中でのバランス感覚以外に、速度や高さも競っているにもかかわらず、選手の身につけている衣装がダブダブなことが気になってしょうがない。ゴールまでの到達速度やより高い飛翔(その飛翔の高さは、助走として斜面を滑走しているときの速度に比例する)を目指すのであれば、自ずと選手が身につける競技用スーツは、できるだけ風の抵抗の少ない形状を選ぶはずである。100分の1秒を競うスピードスケートやアルペン競技などの選手の競技用スーツは、いかにも空気の抵抗が少なそうな衣装である。見ているこちらが、「雪や氷の上であの恰好では、寒くないのか?」と思ってしまうほどである。1000分の1秒を競うリュージュやスケルトン競技などの競技用スーツなど、繊維を用いる以上、どうしても生じてしまう表面の凹凸をなくするために、ラバー製の競技用スーツを着用して、高速度での衝突による衝撃から頭を保護するためのヘルメットの形状ですら、空気抵抗を極限にまで抑えたやや長細い古代エジプトのファラオの王冠のような形状をしている。

  つまり、「より速く、より高く、より強く」を目指す以上、少しでも相手選手より有利になるように、そういう競技用スーツを着用して競技するのが普通であろうに、モーグルとスノボ・ハーフパイプの選手の競技用スーツの形状がそうでないということは、「世界一」を競う種目として、まだそこまで煮詰まっていない競技なのではないかと思う。それに、これらの競技会場では、フィギュアスケートのように、音楽に合わせて演技するわけでもないのに、ポップな音楽が意味なく大音量で流されていることも気になる。要するに、「胡散臭い競技」だということである。当然のことながら、「胡散臭い選手」も多々出てくる。だから、“腰パン”ぐらいでガタガタいうべきでない。モーグルやスノボ・ハーフパイプを競技に加えた時点で、十分に予想されたことである。

  では、「なんでショートトラックにケチを付けるねん?」という声が、特にお隣の国から聞こえて来そうであるが、これにもちゃんとした理由がある。確かに、ショートトラック選手の競技用スーツは、スピードスケートほどではないけれど、一応は、ピチッとした空気抵抗のことまで考えたスーツである。転倒する可能性がスピードスケートで比べて遥かに大きいので、ショックアブソーバーの意味も込めて、やや厚手の素材を使用しているあたりも、アルペンの競技用スーツを共通性がある。しかし、私が「胡散臭い競技」だと思っているのは、この点ではない。


▼最も胡散臭い競技ショートトラック

  まず、「トラック」と名付けながら、「トラック」がない。陸上のトラック競技でも、スピードスケートでも、一人の選手が走る(滑る)ことができるレーンは予め定められており、みだりに他者のレーンに侵入したら進路妨害を取られる。もちろん、陸上競技場の場合は1周400m、スピードスケートリンクの場合は、室内・屋外を問わず1周500m と、トラックの長さが厳密に規定されている。ところが、ショートトラック競技では、一応、「1周111.12m」と規定されていながら、実際には、60mX30mのアイスホッケーやフィギュアスケートのリンクを共有して使うことから、「コーナー(カーブの部分)」に数個ずつのブロックを置くだけで、明確なラインが引かれている訳ではない。だから、選手はコーナーを回るときに、強い遠心力に対抗するため極端に身体を内側に傾け、なんとその左手はコーナーブロックより内側の氷面に着いて滑っている。したがって、「1周111.12m」と規定されながら、実際に1周が何メートルあるか誰も正確には計測していない。まことに胡散臭いではないか…。

  次ぎに、「トラック競技」として、500m(4.5周)、1,000m(9周)、1,500m(13.5周)、3,000m(27周)、5,000m(45周)と距離別で五種目ありながら、公式記録タイムを計測せず、着順のみを争うという胡散臭さである。したがって、選手たちは、最初から全力で滑走するというような愚かなことは行わない。タイムレースなら、予選レースでは、今、自分が競争している相手以外の組の選手のほうが良いタイムを出すかもしれないので、たとえ、予選が何組あったとしても、それぞれの予選に出場した選手は全力で滑走するはずである。したがって、陸上競技ならば、短距離走・中距離走・長距離走と、使う筋肉も異なるので、出場する選手はそれぞれまったく別の人物である。つまり、同じ選手が100m走と1,000m走と10,000m走のメダルを取ることは絶対にない。しかし、順位レースであるショートトラック競技では、たとえ、1,000mであろうと、5,000mメートルであろうと、途中までは、ポジショニング等の「駆け引き」でゆっくりと滑っているので、実際に「エンジン全開」となるのは、ラスト1周のベルが鳴ってからだ。つまり、同じ選手が短距離と長距離でメダルを取れるということだ。この点は、競輪と似ている。

  さらに、通常、個人別レーンが仕切られていない「トラック」競技(中距離以上)では、後ろの選手が前方の選手を追い抜く際には、必ず外側から追い抜かなければならない(当然、先頭を行く選手は「最短距離」である最も内側のレーンギリギリを走行・滑走するので、無理に内側から追い抜くということは、レーンの内側へ入ってしまい失格になったり、前方の選手と接触転倒してしまうから)ことになっているが、ショートトラック競技では、内側から追い抜いても良いことになっており、事実、これを無理に試みる選手がいるので、当然、先を行く選手は「追い抜かれまい」として、一層内側に切れ込んでくるので、「走路妨害」だの「転倒」だという後味の悪い結果になってしまうことが多い。事実、ショートトラックは審判団の失格判定に対して、最もクレームの数が多い競技である。この点も胡散臭い競技である。しかも、この競技を特異とする国が、もし自分が負けたら、なんでもかんでも判定に文句をつけたがる――選手や監督だけでなく、国民こぞって文句ばかり言う「瞬間湯沸かし器」みたいな――お隣のあの国だから、始末に負えない。たしか、あの国が前回のトリノ冬季五輪までに獲得した31個のメダルの内、29個がショートトラック競技だというから、私の言説はまんざらオーバーでもないであろう。幸い、今回のバンクーバー五輪では、スピードスケートやフィギュアスケートといった「一流の種目」でもメダルが取れて、中国の二倍以上の獲得数で「アジア王者」の立場にいるから、それほどでもないけれども…。

  その上、ショートトラックの「リレー」種目というのも戴けない。4人1チームで行うこのリレー競技は、滑走する選手が入れ替わり立ち替わり何度も滑ってよい上に、「中継」は、バトンやタスキではなく、「タッチ」すれば良いことになっている。その「タッチ」も、プロレスのような手と手でタッチするのではなく、滑り終えた選手がこれから滑る選手の背中をプッシュするという胡散臭い方法である。しかも、現在、滑っていない選手たちも、陸上競技のように「中継」エリア内でおとなしく待っているのではなくて、なんとリンクの内側を一緒にグルグル回っているのである! そして、タイミングを見計らって、いきなり「レーン」(と言っても、実際にはレーンなどはないが…)へ内側から飛び出してきて、交代する選手から背中を押されて加速するのである。この「中継」が、レース中のべつまくらつ繰り返されるのである。「しまり」がなくて、見ているだけでも気持ち悪い。

  そして最後に、私がこの競技で最も胡散臭いのが、狭い「トラック」を数名の選手が入り乱れて滑るという点である。特に、ひとつの国から複数の選手が出場するレースでは、A選手を勝たせるためにB選手が他の選手を妨害すれば、簡単にA選手が勝ててしまうという点である。おまけに、数名の選手が入り乱れて滑るので、転倒の巻き添えをくって、複数の選手がコースアウトすることがままあるという点だ。たしか、2002年のソルトレーク五輪の時に、明らかに力量の劣った(註:本来なら準々決勝で敗退していたが、先着の選手が失格となったため、繰り上がりで準決勝へ進出した)オーストラリアの選手が、準決勝・決勝と二試合連続で、先頭集団から大きく離されて後塵を拝するのみであったが、なんという運命の悪戯か、二試合とも先頭集団の全員がゴール直前の多重衝突で転倒して、コースアウト。結果的に、このオーストラリアの選手が金メダルという「漁夫の利」を得ることになった“事件”があまりにも有名である。彼は、メダリストへのインタビューで「作戦通りでした」と言って、ユーモアで関係者の気まずい雰囲気を和ました。


▼髀肉の嘆

  以上のような理由から、私は、モーグルとスノボ・ハーフパイプとショートトラックは、オリンピック競技には相応しくないと思っている。ところで、読者の皆様の中には、お前はまだ今回のタイトルの前半部分である「ヒニクのタン」について何も言っていないではないか? と疑問を持たれている人も居るかと思うが、十分、私の舌(tongue=タン)は十分に、いくつかの競技に対して皮肉を言った。しかし、私が特に冬季オリンピックの選手について気になっているのが、男女を問わず、その鍛え上げられた体躯である。特に、先に述べたような理由で、非常に身体のラインが出る競技用スーツを着用しているので、ボディラインフェチの私としては、どうしてもそちらに目が行ってしまう。特に、今回のバンクーバー五輪で注目したのは、スピードスケートの日本選手団の競技スーツである。あのゴールドとブラックのやつである。間違いなく、今回の各国チームの競技用スーツの中では一番格好良い。

  おまけに、股間の逆三角形(デルタ)部分から腰の部分に紐が付いているように見えて、最初に登場した女子選手のそれを見て「ひょっとして○○選手の下着は紐パン?」と良からぬ妄想をした人も多々あったと聞く。もちろん、最新のテクノロジーを用いてあのスーツを製作したミズノ社の説明(「あの部分は特別よく伸びる素材を用いているので、表面上、違った色に見えるだけ…」という説明)を聞くまでもなく、続いて登場したむくつけき男子選手も同じように見えたので、「紐パン」ではないことはすぐに判ったが…。それよりも、私の目が行くのは、やはり、あの立派に育った太腿部や形の良いヒップである。体格で欧米人に劣る(註:勢いがついたほうが速く滑れるに決まっているので、スピードスケートでは一般的に大柄な選手のほうが有利である。一方、急カーブや転倒の多いショートトラックでは小柄なアジア人選手のほうが有利である)日本人選手は、スピードスケート競技において、少しでも風の抵抗を軽減するために、年々、その姿勢を低くして滑る傾向が強まっている。皆さん一度、あの中腰の姿勢を取って見られたら判ると思うが、あの姿勢は、太腿と腰と背筋にえらく負担がかかる。

  典型的な中年メタボおやじ(体脂肪率39%という噂まである!)の私は、浴場の鏡に自らの姿を写して見たら、まるで「上陸したゾウアザラシ」のような体型である。どこまでが尻でどこからが脚であるかの区別すら判然としない。スピードスケートの選手と同じ恰好をしてみたら、垂れ下がったお腹の贅肉で膝ぐらいまでしか見えない。もし、カーリング選手の投石フォームを真似して(こう見えて、何も運動もしたことないのに、身体だけはやたら柔軟である)みたら、思わずお腹の贅肉が地面に着いてしまった! こんなところで、ウジウジと妄想を書き連ねていないで、劉備玄徳の「髀肉の嘆」じゃないけれど、残された人生でどれだけの花を咲かすことができるか、「一勝負かけてみよう」という気にさせられた。


戻る