レルネット主幹 三宅善信
▼ 第61回国慶節
10月1日は、中華人民共和国の国慶節(建国記念日)である。中国国内だけでなく、世界各国の大使館・領事館等でも「国慶節」の祝宴が開催され、各地の“有力者”が招かれることになっている。私も毎年、在大阪中華人民共和国総領事主催の祝賀会に招かれて出席しているが、特に、今年は「尖閣事件」があったので、参加者(特に、ホテルの宴会場で開催される祝宴には、各方面から装花が寄せられる)が減るかと思いきや、例年どおりの参加者数で、しかも、恥も外聞もなく、大阪に本社のある名だたる企業からは大量の装花が贈られていた。おそらく、企業にとっては、今年も装花を贈るか贈らないかは、中国政府からの「踏み絵」として捉えられているのであろう。
大阪市内のホテルで開催された第61回国慶節祝賀パーティで
鄭祥林中国総領事と三宅善信代表 |
言うまでもなく、中華人民共和国は、1949年10月1日、国共内戦に勝利した毛沢東が天安門の楼上から百万人が一度に集うことができるという天安門広場の人民に向かって、高らかに「中華人民共和国」の建国を宣言したシーンはあまりにも有名であり、現在の中華人民共和国(以下、あえて他の名称と区別する必要のない場合は「中国」と略す)の国章にも、5つの星と一緒に天安門が図案化されている。101年前まで、大清帝国の皇帝がましました紫禁城の正門である「天安門」の満州語(註:満州語は、日本語と同様、世界で数少ない膠着語に類型され、主語(S)+補語(O)+述語(V)という語順を取る。百年前には1億人が話せたという満州語は、中国共産党の「言語(民族)浄化」政策によって、今ではわずか50人程の高齢者しか話せなくなったまさに「絶滅危惧言語」である。「生物多様性」を云々する者は、同時に「言語(民族)多様性」を尊重しなければならないことは言うまでもない)の意味は、「天命を受けた(皇帝が)安定した国を治める」という意味だそうだ。今回の「尖閣事件」は、一般中国国民にとっては、国慶節という最高のタイミングでナショナリズムを鼓舞することができた最高の演出であった。
▼ 中国政府は日本に面子を潰されていきり立った
さて、今回の尖閣諸島付近における中国漁船の海上保安庁巡視艇への衝突事件を題材に、中国という国の「国柄(constitution)」について考えてみることにする。ことの経緯を簡単に記述すると、「事件」は9月8日に、日本の海上保安庁が「(停止命令を無視して逃げようとした中国漁船が急に舵を切り巡視艇にぶつけてきたので、船長および乗組員を)公務執行妨害容疑で逮捕した」という一報に始まった。この問題に対する中国側の反応は素早く、また、常軌を逸するくらい過激さを増していった。翌9日、中国は、「尖閣諸島付近に漁業監視船を派遣した」と発表。10日、中国の外交部部長(外相)が丹羽宇一郎駐中大使を呼び出し抗議。11日、中国が日中間の東シナ海ガス田交渉の延期を一方的に通告。12日、副首相級の外交担当国務委員が丹羽大使を深夜に呼び付け抗議。13日、全人代副委員長の訪日延期を通告。19日、日本側が「船長の拘留期限の10日間延長」を発表。中国側が閣僚級以上の交流停止を表明。20日、上海万博に招待された日本人1000人の訪中計画の受け入れをドタキャン。同時、河北省石家荘市で軍事管理区域に侵入したとして日本の建設会社フジタの社員が拘束される。21日、国連総会に出席するため、ニューヨークを訪問中の温家宝国務院総理(首相)が「即時無条件釈放」を要求。23日、中国は、日本が中国(内蒙古)から90%以上輸入依存しているレアアース(希土類)の対日輸出を禁止。24日、那覇地検が「処分保留」のまま船長の釈放を決定。25日、船長が拘留されていた石垣島からチャーター機で船長が中国へ帰国。中国は、日本政府に「謝罪と賠償」を要求……。といった流れになる。
中国政府は、ことの発端からいきり立ち、「(事件の)責任はすべて日本側にある」との決めつけで、次第に要求をエスカレートさせて行った。その間、丹羽大使も含めて、日本政府の高官たちの発言は、一貫して「国内法に照らして、粛々と処理する」と繰り返すばかりであった。もちろん、国際法的にはこの答えが「正解」なのであるが、この回答法は、二つの意味で中国側の面子(めんつ)を潰した。まず、「国内法に照らして…」という日本側の見解は、「はじめから、そこに領土問題など存在しない」ということの表明であり、中国が資源確保のためにその領土的野心を剥き出しにしている南シナ海の西沙諸島(パラセル諸島)と南沙諸島(スプイラトリー諸島)等の問題とも絡めて、譲ることができないポイントであった。さらに、それ以上に中国共産党指導部を怒らせたのは、中国的な面子の考え方を無視したからである。
中国では、秦の始皇帝以来連綿と伝わる「皇帝専制」政治(註:天からその権威を授与されたひとりの絶対者と、彼によって支配される億兆の人民と、それを可能にする上意下達の官僚機構)の伝統が、中国共産党による「一党独裁」政治においても貫かれている。このシステムは、党中央においても地方においても「入れ子構造」的に成立している。つまり、「上位者の命令は絶対」であるということである。一見すると、支配者が圧倒的に優位に見えるこのシステムであるが、実は、支配者こそ大変なのである。何故なら、「上位者の命令は絶対」という建前がある以上、もし、誰かによってその命令が公然と無視されたら、そのことはすなわち、その命令者の権威が揺らぐということに繋がるからである。だから、彼らは紀元前3世紀から21世紀の現在に至るまで、直ぐに「粛正(処刑)」をするのである。自分を否定する者の存在を認めた瞬間、誰も彼の権威を認めなくなるからである。
ところが、今回のケースは、中国当局の「命令」を受ける相手は、「外国」である日本政府であるから、そんな「命令」を聞いてくれる余地がない。中国共産党のヒエラルキーの下位から順に、日本に対して無法な要求を突きつけて行って、これを悉く無視されたのでは、彼らの「支配者」としの面子は丸潰れになるのである。日本への非難は、外交部の一報道官から始まって、外交部長、副首相、全人代副委員長、そしてついには温家宝首相まで行った。もし、これらの段階の何処かで、日本政府が聞く耳(中国側の事情に配慮する姿勢)を見せたら、彼らも急に軟化したであろう。漁民の生命・財産なんて屁とも思っていない中国指導部なのだから…。彼らが必死で守りたかったのは、自分自身の権力の源泉だったのであるから…。ところが、温家宝首相まで行ってしまったのに、日本政府は「国内法に照らして、粛々と処理する」と金太郎飴のような回答をしたから、「ガキの使いやあらへんでぇ!」と吼えたまでである。ファミリーレストランのウエイトレスとトラブルになった質の悪い客が、「ねぇちゃんやったら話にならん。店長出せ!」とか「社長呼んでこい!」と管を巻くのと同じ論理である。さもないと、些細なことに難癖をつけた自分のビヘイビア(振る舞い)が他の客から笑いものになるからである。
▼ 中国国務院総理vs那覇地検次席検事
さすがに、胡錦涛国家主席=共産党総書記が、最後まで日本批判を公然と口にしなかったのは、もし、胡錦涛主席が日本批判を口にしたのにもかかわらず、日本政府がこれを無視したら、逆に、中国国内で胡錦涛主席の権威が吹っ飛んで、それこそ共産党政権の崩壊に繋がるからである。しかも、9月24日、日本政府は突如、事件の幕引きを木っ端役人である那覇地検の鈴木亨次席検事にさせた。鈴木次席検事は、「公務執行妨害罪で拘留していた被疑者(中国漁船の船長)を、処分保留のまま釈放することに決定した。被疑者はトロール漁船の一船長にすぎず、本件は、巡視艇みずきの追跡を免れるためとっさにとった行為と思われ、計画性等は認められず、被疑者にはわが国での前科等もない(当たり前や)。加えて、わが国国民への影響や今後の日中関係を考慮すると、身柄拘束を継続して捜査を続けることは相当でないと判断した」と記者会見で述べたものだから、いよいよ中国共産党幹部の面子が潰れたのである。せめて、これが菅直人首相とまではいかなくとも、官房長官とか外務大臣とかの口から言ってもらえれば、「どや、わしが言うたら、日本政府も態度を変化させたやろう(なぜだか大阪弁)…」と、中国国内向けに発言できて、彼らの面子はかろうじて保てたものを…。
まあ、これも、昨年来の日米関係の不安定化と並んで、民主党政権のコストと言えば言えるであろう。田中角栄首相以来、歴代の自民党政権は、中国共産党政権とズルズルの関係を結んできた。ある者は、ODA(政府開発援助)という形で日本国民の税金を湯水の如く中国にくれてやり、国会や会計監査の目から切り離されたその金の一部を自分の懐に還流させるという売国奴まがいの錬金術に精を出し、また、「意見が対立する問題」に関しては、その解決を将来の世代に託し、自分たちは目の前にある美味しいところだけを食べるという手法が罷り通ってきたのである。しかし、それとて、「圧倒的に豊かな日本」と「圧倒的に貧しい中国」という両国間の乖離した関係があればこそ成り立ってきた関係であって、近年の「世界第2位の経済大国」の地位が日本から中国へと入れ替わる事態に至って、このような自民党政権時代のパラサイトな関係が維持できるはずもなくなっただけのことである。つい最近まで、中国共産党は、「自由な選挙を実施しながら、半世紀以上の長きにわたって政権を保持し続けることができた自民党システム」を本気で研究してきたほどである。
もっとも、昨夏、日本国民から弊履の如く捨てられた自民党政権であったが、昨年来の「普天間基地移設問題」で揺らいだ日米関係を修復するためにも、また、中国の横暴にもある程度目を瞑ってくれるためにも、ひょっとしたら、アメリカや中国のほうが、自民党政権の復活を願っているかもしれない。もちろん、今回の中国政府の所業の発端となったのは、昨年来、日米間の相互信頼に深刻な亀裂をもたらした鳩山由紀夫政権の普天間基地移設問題に対する態度の間隙を就いて、中国側から仕掛けてきた事件であったことは、言うまでもない。1945年の日本の敗戦から1972年の沖縄返還まで、尖閣諸島を含む沖縄県の先島諸島は「アメリカ領」であったのだから、その元「アメリカ領」であった沖縄県の諸島嶼が、そっくりそのまま日本に返還されたのであるから、沖縄県に属するすべての地域は「日本領」であるということはアメリカも認める明白な国際法上の地位を得ているのである。
▼ 尖閣を新しい普天間に
むしろ、今回の事件をきっかけに、尖閣諸島が日本領であることを内外に示すためにも、私は尖閣諸島に「米軍基地」を置くことを提案する。場所も前々から決めていた。一般に「尖閣諸島」と言えば、必ず映像の紹介される面積3.82ku(約115万坪)の「魚釣島(中国名:釣魚台)」をイメージするが、実際には、西表島の北方約150kmの海域に東西約100kmの幅にわたって点在する5つの島嶼と3つの岩礁からなる無人島群で、行政上は沖縄県石垣市に属する。最高点362mの「山岳」が大部分を占める魚釣島には、樹木も豊富で、センカクモグラという哺乳類の固有種(もちろん絶滅危惧種)まで居る――土の中に棲むモグラがどのようにして、この絶海の孤島まで来たのかは不明――くらい自然に恵まれている。2番目に大きい久場島は、魚釣島の北東約40kmに位置し面積は0.91ku(約27万坪)である。3番目に大きい大正島は、魚釣島のはるか東約100kmに位置し面積は0.06ku(約1.8万坪)である。
しかし、私が「米軍基地」を置こうと提案しているのは、魚釣島の東南東約5kmに浮かぶ面積0.31ku(約9.3万坪)の北小島と、面積0.40ku(約12万坪)の南小島である。何故なら、北小島の最高点は125mしかなく、また、南小島の最高点は139mしかないからである。しかも、両島の面積の2/3は海抜2mくらいの平地で、樹木はほとんど生えていない。しかも、北小島と南小島の間の距離は、わずか250mしか離れていない。ということは、この2つの島にブルドーザーを持ち込んで、周辺の浅瀬も含めて真っ平らに整地すれば、おそらく海抜約30mの約40万坪の平地に約2500mの平行滑走路を2本有する立派な海兵隊基地が造れるではないか…。もし、両小島の間の海峡が「埋め立てるには深すぎる」のなら、羽田空港D滑走路で培ったプラットホーム状の滑走路で両島を繋げばよい。
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海中に数百本の杭を打ち込んで、海面から浮いた場所に
滑走路を建設した羽田空港D滑走路 |
そして、ここに「世界で一番危険な基地」であると米軍自身も認める普天間基地を移設すればよい。絶海の孤島ゆえ、騒音問題など誰に遠慮する必要もない。沖縄本島まで約300kmの距離があるが、台北までなら約150kmしか距離がない。台湾海峡に「有事」が発生したら、尖閣諸島に海兵隊の基地があったほうがずっと睨みも効く。物資などは台湾北部の基隆港から運べばよいし、緊急着陸をしなければならないときなどは、台北の中正国際空港も使える。沖縄県民にとっても、実質的「県外移設」である。基地の名前は、そのまま「普天間」とすればよい。共に同じ天を仰がない日本(民主主義国)と中国(全体主義国)との間に「普遍的な天」を築く基地という意味である。尖閣諸島問題では、よく台湾が中国と組んで日本を非難することがあるが、それは大きな間違いである。台湾本島(中華民国)自体が中華人民共和国に狙われているのに、その中国と組んで日本を非難するなんて論外である。せっかく尖閣諸島を手に入れても、その台湾本島自体が中国の手に落ちたら何の意味もないではないか!
▼ 何故、中国人や韓国人はあのように偉そうな口をきけるのか?
しかし、今回の「尖閣事件」は、日本国民にとって悪いことばかりではない。これまで、なんとなく「中国という隣国に幻想を抱いてきたバカな国民」たちも、中国という国が、いかに自分勝手な悪い国であるかということ思い知ったであろう。残念ながら、日本の周辺には「良い国」はひとつもないのである。だから、中国や北朝鮮や韓国といった国々から、「日本人は(先の大戦に対する)反省が足らん」などと言われても、深刻の受け止める必要はないのである。今回の「尖閣事件」のような明々白々、自分たちのほうが悪い事態でも、「盗っ人猛々しい」の譬え通り、日本政府と日本国民を恫喝してくるくらいであるから、たとえ彼らが先の大戦中のことについて何か言ってきたとしても、「自分たちに都合の良い作りごと」と思って、聞き流せばよい。
私は、つい数日前に出席した平城遷都1300年記念協賛WCRP創設40周年「世界宗教者まほろば大会」の際にも、「ヒロシマ・ナガサキの原爆投下日を、国連の世界平和の日にしよう」という日本人参加者からの提案に対して、「少なくとも、『日本人が原爆落されて可哀想』と思っている中国人や韓国人は居ない。日本の植民地侵略に対する当然の報いである」と、激しく日本を批判した韓国の国会議員(元安全保障委員長)が居たことを報告しておかなければならない。
彼ら、中国人や北朝鮮や韓国人たちは、何かというとすぐに「歴史認識」という言葉を持ち出す。それに、日本の左派やメディアが便乗して「日中韓で共同の歴史認識を!」などと戯けたことを言っている。曰く「日本人は歴史への反省が足りない云々」と…。私はいつも疑問に思う。何故、日中韓で歴史認識の話をする際に、まず、「歴史認識」のなんたるかについて議論をしないのかと…。彼らの主張には、2つの大きな「問題」があることを指摘する。第1番目は、「歴史的事実をどの時点で評価するのか?」という問題である。例えば、朝鮮半島と日本との関係について言えば、20世紀の前半には、確かに日本(大日本帝国)と朝鮮王朝(日韓併合時には大韓帝国)との関係は、日本が朝鮮半島へ侵出する形を取った。しかし、13世紀の後半には、中国(大元帝国)と高麗王国の連合軍が日本に対して侵略(註:韓国ではこれを「日本征伐」と呼んで、高麗・元連合軍が日本を撃退したと教えている)戦争を二度にわたって挑んだいわゆる「元寇」がある。どちらの時点で、相手が攻めてきたかを問題にすることによって、歴史的事実の評価は正反対になることがあり得る。
▼「歴史認識」という言葉そのものに「問題」がある
次に最も重要な「歴史認識そのもの」がある。中国大陸においては、殷(商)王朝の一諸侯に過ぎなかった周の姫発(後の「武王」)が、下克上によって、殷王朝最後の帝辛(いわゆる「紂王」)を攻め滅ぼし、それに取って代わって周王朝を開いたが、それから数百年経ってなお周王朝の権威が一応保たれていた春秋時代に活躍した孔子や孟子は、「周王朝による秩序(天下の統治)」を正当化するために、前王朝である殷王朝の所業を――特に、紂王を悪逆非道の王と決めつけ――全否定することによって、現王朝の所業を全肯定する思想を確立した。いわゆる「易姓革命」の論理である。爾来、中国大陸や朝鮮半島に盛衰する全ての王朝は、暴力革命(下克上)によって成立した自らの王朝の正統性を主張するため、この前代の支配者の業績――業績があったからこそ、支配者になれたはず――を全否定することによって自らの権力(暴力)行使を正当化してきた。
その本質は、21世紀の現代になっても少しも変わっていない。中国では、清朝を否定し、蒋介石の中華民国を否定して、数千万人を死に至らしめた毛沢東の暴力革命(註:国共内戦だけでなく、文化大革命も)を正当化してきた。韓国に至ってはもっと酷い。大日本帝国統治時代はもとより、「独立」後の初代大統領である李承晩→尹●善(●は「さんずい偏に、普」という字)→朴正熙→崔圭夏→全斗煥→盧泰愚→金泳三に至るまで、七代の大統領は全て、クーデターで失脚するか、在任中に暗殺されるか、死刑・無期懲役判決を受けるかといった具合で、前任者の業績を全否定することによってしか政権の求心力が保てないという不幸な運命にある。1990年代に入って、国民からの直接選挙で大統領が選ばれるようになったからは、金泳三→金大中→盧武鉉そして、現職の李明博大統領に至るまでは、さすがに前大統領が殺されたり、投獄されたりすることなくなったが、盧武鉉は、大統領退任後、在任中の不正献金問題を追求され、隠遁先の自宅裏山から投身自殺したことは今でも記憶に新しい。
つまり、現在権力を握っている政権が前政権の業績を全否定するということは、すなわち、自分たちも近い将来全否定されるということを意味しているのであるが、彼らはそのことを解っていないらしい。すなわち、「過去を否定する者」は、将来の世代によって「自分たちが否定される者」であるということである。だから、そんな連中の騒ぎ立てる声に聞きを傾ける必要はない。何故なら、数年(長くても数十年)経てば、彼らは彼ら自身の後継者によって、必ず全否定されることが明白だからである。たとえ、こちらが「悪いことをした」と思っても、彼らに謝る必要はない。何故なら、たとえ謝罪して「許しを得た」としても、そんな「許し」は、彼らの後継者たちによって簡単に反故にされるからである。つまり、連中は「借金を踏み倒しても平気な外道と同じ」である。親の財産3000万円を継承した息子が、その後、親に5000万円の借金があったことが判明しても、財産だけ相続して、借金には知らぬふりをするようなものである。親の財産(正の遺産)を継承したいのなら、借金(負の遺産)も継承すべきである。日本は戦時中も、関東大震災の復興資金として欧米から融資を受けた借金を毎年、律儀に金利を付けて返済していた。これこそが敗戦後の日本の信用に繋がった。
万世一系の日本は、自分たちの先祖や前任者の遺産を、正も負も共に背負ってきたので、簡単に過去の出来事を否定できないのであって、むしろ、あっさりと自分たちの先祖や前任者の所業を全否定する連中よりも、はるかに信用に足りる。何故なら、過去を否定しないということは、未来に責任を持つという意思表示であり、過去を平気で否定するということは、現在の自分たちの行為の責任も取るつもりはないということと同義語であるからである。今回の「尖閣事件」に対する中国政府のビヘイビアを見ても、連中の外道っぷりは明白である。むしろ、これまでその目覚ましい経済発展ぶりにのも目を奪われていた日本や諸外国の企業も「チャイナリスク」の大きさを思い知ったであろう。適当な理由を付けて身柄を拘束されたフジタ建設は、中国へ進出しているどの企業であっても、「明日はわが身だ」と認識すべきである。
中国共産党政権の目標遂行のためであれば、「尖閣事件」とは何の関係もないレアアースの禁輸をしたり、現地駐在員の身柄を拘束したり、一般観光客のツアーをキャンセルさせたり、上海万博における日本文化紹介の機会であったアニメフェスティバルやSMAPのコンサートまで中止にさせた国である。そう言えば、SMAPのヒット曲に『世界に一つだけの花』という歌があったが、中国は自分たちのことを「世界にひとつだけの華」だと理解しているのだろう。半日デモで日の丸を焼く参加者のプラカードには、最近、必ず「小日本」という揶揄する言葉が記されている。今から、61年前の今日、天安門の楼閣の上から毛沢東が高らかに叫んだ「中華人民共和国」の国号からして、自分たちのことを「世界の中心にある唯一の華」だと思っていることが明々白々である。