ビンラディン殺害とみどりの日   

 11年05月04日



レルネット主幹 三宅善信  


▼ 「戦争」という「ゲーム」のルール

  アルカイダの最高指導者オサマ・ビンラディン氏がパキスタン北部の隠れ家に潜伏しているところを、米海軍特殊部隊SEALによって襲撃されて殺害され、その遺体は、時を置かず、インド洋上の米海軍艦船でイスラム教の儀式に則って水葬された。というニュースが飛び込んできた。「9.11同時多発テロ」事件から十年、多くのアメリカ国民は、この日の来ることを心から望み、また、各種の世論調査で人気凋落の一途だったオバマ大統領も、来年の大統領選挙での再選に弾みがかかった。

  世界中からの「お尋ね者」であったビンラディン氏は、意外なことに、首都イスラマバード近郊のパキスタン軍の基地の直ぐ傍の優雅な「隠れ家」に潜伏していたのである。ということは、彼を“英雄”として匿う人がパキスタン軍内にもたくさんいたという証拠である。だから、「情報漏れ」を警戒して、米軍は“友軍”たるパキスタン軍に報せることなく、秘密裏に『ジェロニモ』と名付けた急襲作戦をパキスタン内に地上部隊の駐留している陸軍の特殊部隊デルタフォースではなく、パキスタン兵とはまったく接点のない海軍の特殊部隊SEALによって実行し、見事に成果を挙げたのである。

  もちろん、だからといって今回の“襲撃”がそのまま容認されるという訳にはいかない。まず第一に、今回の襲撃作戦は明らかに“殺人”である。「国家による殺人」は容認されて、「個人による殺人」のみ犯罪とされるのでは、法治主義とは言えまい。もちろん、アメリカは世界最強の軍隊を有しているので、たとえ軍隊が“人殺し”をしたとしても、これを捕まえて処罰することは物理的に不可能である。だからといって、「なんでもあり」なら、これまた法治主義でもなければ、民主国家でもないことになってしまう。

  読者の中には、そんなこと言っても、そもそも「軍隊というものは、大量に人殺しをするための暴力装置であり、作戦行動を司る兵士あるいはその司令官に対して“殺人罪”は適用できないに決まっているじゃないか」という向きもあるかもしれないが、それは大いに間違っている。もし、そうだとしたら、「マレーの虎」として恐れられた大日本帝国陸軍大将の山下奉文も東条英機も殺される必要はなかった。「軍隊とは人殺しをするための組織なのだから、その指揮官が人殺しを命じてどこが悪い」という論理になってしまう。だから、彼らは、形の上だけでも“戦犯”として裁判に掛けられ、単なる戦争指揮以外のいろんな罪を着せられて、そして死刑に処せられていったのである。

  そもそも、主権国家の正規軍同士が「人殺し(通常これを「戦争」と呼び、一般の「殺人」とは区別している)」を行う際には、双方が守らなければならないルール――満たさなければならない条件――が厳格に規定されている。1899年に締結されたいわゆる『ハーグ陸戦条約』という国際条約である。宣戦布告、戦闘員・非戦闘員の区別、捕虜・傷病者の扱い等についての規定であり、もし戦争執行者が(たとえ知らなかったとしても)この規定を守らなければ、将来、「戦犯」に問われることになる。こういった明確に規定されたルールの下で行われる“ゲーム”が、国際法上の「戦争」である。もちろん、「ルールあるところに反則あり」は世の常であるが、少なくとも、国連の常任理事国やG8を構成するような「主要国」――大時代的な呼び方をすれば「列強」――は、このルールに基づいて戦争しなければ国際的に批判される。


▼ 「丸腰」の人間を殺したら、やはり「殺人」

  そこで、今回の米海軍特殊部隊SEALによるビンラディン氏襲撃作戦が、単なる「殺人」ではなく「戦争」行為であるあるためには、『ハーグ陸戦条約』という国際法上の「戦争」という条件を満たしていなければならない。しかし、ビンラディン氏はあくまで国際テロ組織アルカイダの最高指導者であって、彼の回りには常に相当の武装集団が居るが、それらは『ハーグ陸戦条約』の言うところの「主権国家の正規軍」でないことは明白である。彼らは「犯罪者集団」と言うべきであって、したがって、彼らに対する武力行使は「戦争」とは呼べない。だから、2001年9月11日にニューヨークのWTCビル他で起きた出来事も「同時多発テロ事件」と呼ばれたのである。1941年12月7日の「真珠湾攻撃」とはまったく性格が異なる。ところが、当時の米国大統領ジョージ・W・ブッシュは、これを「テロとの戦争」と呼んで、その首謀者であるオサマ・ビンラディン氏を匿ったかどによってアフガニスタンに戦争を仕掛けたことは、皆さんご承知のとおりである。米国政府は、自分たちの「人殺し」を合法化するために、なんとしても「戦争」という状態にしておかなければならなかったのである。

  よしんば、百歩譲って、米国のアルカイダに対する軍事オペレーションを「戦争」だと規定した――近年、主権国家の正規軍同士の戦争はほとんどなくなったので、この種の軍事オペレーションは「非対称戦争(Asymmetric War)」と名付けられるようになった――としても、問題が残る。ある国の軍隊が、第三国の領土・領空・領海内で軍事オペレーションを行う場合には、当該国の政府に対して予め通知して、許可(了承)を得ておく義務があるだろう。しかし、今回のビンラディン襲撃では、アメリカ政府はパキスタン当局にそのことを事前通知した形跡はない。ということは、「戦争」のルールを破っていることになる。

  しからば、これがもし、警察権の行使による国際手配されている犯罪者の逮捕であれば、それなりの問題が生じる。通常の犯罪なら、容疑者はできるだけ無傷で逮捕しなければならないからである。もちろん、容疑者が発砲等で応戦してきたので、逮捕が困難になり、やむを得ず「射殺」することはあっても、今回の「襲撃」では、アラビア語の衛星放送アルジャジーラ等によると、同室にいたビンラディン氏の妻の証言では、ベッドの上のビンラディン氏は「丸腰」であったというではないか! いかに「極悪人」とはいえ、武装していない丸腰の人間を射殺するなんて、警察権の行使の域を超えている。否、たとえ「戦争」であったとしても、許される行為でないことは明らかである。


オペレーションルームのテレビ画面を通じて、オサマ・ビンラディン氏殺害の
一部始終を凝視するオバマ政権の主要メンバー

▼ 「水葬」の謎は、『007は二度死ぬ』を見よ

  しかも、オバマ大統領、クリントン国務長官、ゲーツ国防長官、マレン統合参謀本部議長らが、ホワイトハウスのオペレーションルームに据え付けられている大型テレビ画面を通じて、地球の裏側で起こっているその「襲撃」の一部始終を海軍特殊部隊SEALの隊員のヘルメットに据え付けられた小型テレビカメラから送られてくる「実況生中継」を視ていたのである。えらい時代になったものだ。おそらく、丸腰のビンラディン氏に対して、一度にトドメを刺さずに手足などから順に銃弾を撃ち込んで、かなり酷いなぶり殺しにしたのであろう。「鉄の女」と言われたヒラリー・クリントン国務長官の顔色を見れば、相当凄惨な場面だったことが想像できる。だから、「死体」が明るみの出ることを憚って、24時間以内にインド洋上で「水葬」したのであろう。

  これらのことを誤魔化すために、「死体」が国際社会の白日の下に曝されてはいけないので、そそくさと「水葬」に伏したのであろう。その言い訳が、「イスラム法に則って24時間以内に“埋葬”した。ただし、一般的なイスラム教徒(ユダヤ教徒もキリスト教徒も同じ)と同じように地上に埋葬したのでは、将来、そこがテロリストの“聖地”になってはいけないので、“水葬”した」と言うのである。かなり、我田引水の論理である。おそらく、今後、この問題は、アズハル等のイスラム法の権威からクレームが付くこと必定であろう。というか、これでは、ビンラディン氏が本当に殺害されたのかどうかすら疑わしい。一応は、「DNA鑑定をした」そうであるが…。仮にDNA鑑定がなされたとしても、確かサウジアラビアの大金持ちの息子であったビンラディン氏は、五十数人兄弟だったはずだから、DNAのパターンのよく似た兄弟が居てもおかしくはない。

  皆さんは、1967年に封切られたショーン・コネリー主演の映画007シリーズ『You Only Live Twice (邦題:「007は二度死ぬ」)』をご覧になったと思う。浜美枝がボンドガールを務め、第五十代横綱佐田の山(後の出羽の海理事長)がボンドの繋ぎ役のエージェントだったり、あの丹波哲郎が日本の情報機関(因みに、日本の特殊部隊は「忍者」)の首領タイガーだったりと、大いに楽しましてくれる映画である。その冒頭のシーンで、香港にいたジェームズ・ボンドがベッド上での睦言の最中に、何者かに襲撃されてベッド毎蜂の巣にされるという意外なシーンから始まる。そして、白い布でグルグル巻きにされたボンドの死体が、香港に停泊中の英国海軍の巡洋艦で「葬儀」が行われた後、「水葬」されるのである。もちろん、それは敵である国際犯罪テロ組織「スペクター」の目を欺くための芝居である。今回の、ビンラディン氏殺害と日を置かずして水葬に帰したというホワイトハウスの発表を聞いて、真っ先にこの『You Only Live Twice』のシーンを思い出した。

  この映画の最後に、スペクターとジェームズ・ボンド率いる「忍者部隊」が激戦を繰り広げる南九州の山岳地帯のクレーター(映画では、クレーターの地下に、スペクターのロケット発射基地がある)は、あろうことか、昨年末以来噴火を繰り返している霧島連山の新燃岳である。嘘だと思うのなら、Google Earthで確かめて見て欲しい。しかも、この映画のロケのために日本を訪れていた監督やプロデューサーら数名は、香港へ移動するために当初登搭乗することになっていたBOAC(英国海外航空)機が羽田空港を出発する直前になって撮影スケジュールに変更が生じてキャンセルしたが、その数時間後にBOAC911便は、富士山上空の乱気流に巻き込まれて空中分解して墜落…。乗客乗員は全員死亡したので、ルイス・ギルバート監督一行は「危うく二度死ぬことになるところだった」と言ったそうだ。因みに、この年、日本国内では旅客機の墜落事故が5件も発生している…。

  このように、「遺体のない死」は人々の想像力を掻き立てさせる。それ故、本能寺に夜襲を受けた信長は、光秀に対するせめてもの「あたん(仕返し)」として自らの死骸を見つからないようにした。あの時代は、討ち取った敵将の首を晒し者にして初めて、世間から「勝者だ」と認められるからである。『忠臣蔵』でも、亡君の仇吉良上野介の首を担いで泉岳寺まで凱旋する赤穂浪士を晴れがましいものして描いているではないか…。また、徒党を組んで江戸府中を騒がせた浪士たちのパレードを幕府は取り締まっていないではないか…。ところが、現代では事情はまったく逆になるのである。科学技術の進歩によって、遺体を見れば、それがどのような殺され方をしたかが判ってしまう。ましてや、デジタル映像技術の進歩によって、その場に居ない人でも、その遺体の検証に参加することができてしまうようになった。だから、遺体は隠されねばならない。ビンラディン氏の隠れ家を急襲した米海軍特殊部隊からホワイトハウスに送られてきた映像が漏れることはないであろう。どこかの国の「sengoku38」事件のようなものを期待しているのであるが…。


▼ 「みどりの日」同様、操作された日程

  たとえ、ビンラディン氏の殺害が事実であったとしても、はたして、この「ジェロニモ作戦」が行われたのは、本当にこの一両日であったかどうかは判らない。各方面に一定の措置をしてから発表したとは考えられないだろうか? たとえば、今日、5月4日は、日本では「みどりの日」という国民の祝日である。私は、1999年4月23日に『「国民の祝日」の不思議』という作品を本サイトに上梓した。その中で、私は「『○○の日』というふうに『の』の付く祝日には記念日としての必然がない。『3月3日は耳の日』や『8月7日は鼻の日』というのと同じレベル」と書いた。その証拠に、この文章を上梓した当時、「みどりの日」は4月29日であった。もし、その祝日に、アメリカ合衆国の独立記念日(1776年7月4日に「独立宣言」が公布された)のように歴史的必然的根拠があるのなら、コロコロ変わるはずがない。その4月29日は、1988年までは「天皇誕生日」であったし、2007年以後は5月4日に移動し、4月29日は「昭和の日」となった。因みに、1988年から2006年までは、5月4日は「国民の休日」(註:「国民の祝日」と「国民の祝日」の間に挟まれた日は、休日にするという制度)という訳の解らない休日であった。

  であるからして、私はそもそも「みどりの日」なる祝日に反対である。なんで、「みどりの日」があって、「あかの日」や「あおの日」が無いのか根拠が希薄である。「国民の祝日に関する法律」の第2条によれば、「みどりの日」とは、「自然にしたしむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ」ための日ということになっている。はたして、日本国民の何割が、このようにしているか…? 単なるGW(ゴールデンウイーク)を形成する連休のひとつとしてしか認識していないであろう。私は20年以上にわたって、「みどりの日」には、法律の主旨に従って、終日、庭の植木やビオトープの手入れをする日に当ててきた――そのせいで、その後数日間は、身体中が筋肉痛でヒイヒイ言っている――祝日が5月4日に移動してからは、この日は宗教的な祭事が結構多くて、庭の手入れどころではなくなって来ている。

  日本人にとって、「緑」とは、「山の緑(海は青)」に代表されるように、豊かな自然を象徴している。1950年以来、天皇陛下ご臨席の下、全国植樹祭が開催されているが、生物学者として自然を愛された昭和天皇(今上陛下も魚類学者であるが…)の誕生日であった4月29日を平成になってから「みどりの日」という祝日にしたことはそれなりに意義があるが、ならば、なぜ4年前、これを5月4日に移動したのか? 時の政府のご都合主義と言わざるを得ない。しかし、「所変われば品変わる」で、イスラム教では、緑は「神聖な色」ということになっている。中近東の国々では、国旗にたいてい緑色の部分が含まれている。カダフィ大佐の統治するリビア(正式名称は「大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国」)では、国旗は全面緑の単色である。イスラム教徒にとって、緑色はそれほど神聖な色なのである。だから、日本に「みどりの日」なる国民の祝日があることを知ったら、彼らは驚くであろう。

  その「みどりの日」に、イスラム原理主義運動グループ「アルカイダ」の最高指導者オサマ・ビンラディン氏がアメリカの特殊部隊によって、公然と殺害されたのである。「単純なアメリカ人」が「9.11の報復」とバカ喜びするのは致し方ないにしても、不思議なことに、アメリカという文明国の国際法を無視したこの「野蛮な行為」に避難が集まるどころか、これを公然と批判する国はほとんどない。ということは、世界各国は、アメリカ政府が「好ましからざる人物」(註:外交官特権を認めないないという意味での「Persona non grata」という意味ではなく、文字通り、「存在そのものが不都合な人物」という意味)と指定した人物は、その人物がたとえ国家元首であろうが宗教的指導者であろうが、アメリカ軍やCIA等の諜報機関が、当該国の主権を侵してまで侵入していって、これを殺害しても文句を言わないという意味である。つまり、一国家に過ぎないアメリカ合衆国という国が、国連や国際法よりも上位に来る存在であるということを認めるという意味である。


▼ 視聴者にとってなんの益もない地デジ放送

  まもなく、日本では、五十年以上にわたって国民各層に慣れ親しんできたテレビのアナログ放送が終了(2011年7月24日)して、地上波デジタルに全面的に切り替えられる。これからテレビが普及して行くような途上国なら、はじめからデジタル放送であったとしても構わないが、既に日本全国普く放送設備があるのを放棄して――その一番、判りやすいシンボルは、1958年に完成した高さ333mの東京タワーを放棄して、約2倍の高さ634mの東京スカイツリーを建設したこと――、新しい放送設備に更新しているのは、まだ解るとしても、国民全員に既存のテレビ受像器(およびVHFアンテナ)を放棄させて、自前で新しいテレビ(もしくは、切り替えチューナー)を購入させるという政策を強制させていることに国民は何故、文句を言わないのか? 地デジになって良くなった点なんかほとんどない。鮮明な画像など、三日も視ていれば慣れてしまう。皆さんも、チャンネルをすぐに切り替えることができない(大量のデータが圧縮されているから)ことへの苛々を感じたことであろう。鮮明な画像など、三日も視ていれば慣れてしまう。

  デジカメも同様のことが言える。銀塩フィルムを使った以前の一眼レフカメラでは、十分な明るさの下では、シャッターを押した瞬間(1000分の1秒後)にカメラが反応して、映像を撮ることができる。流れ落ちる滝の水滴まで映るし、目の前を通り過ぎる新幹線だって普通に撮影できる。ところが、どうだ。近頃のデジカメでは、一眼レフでも、シャッターを押した10分の何秒後にかしか撮影ができない。だから、野球やゴルフのスイングの瞬間を撮ろうとしても、映った映像は、既に振り切った後の姿である。もし、ボールをヒットする瞬間を撮ろうとしたら、カメラマンが予測して1秒ぐらい前にシャッターを切らないと巧く写らない。家庭でも、乾杯の瞬間やバースデイケーキの蝋燭を吹き消す瞬間を撮ろうとして、タイミングのズレた画像になった経験がデジカメにはおありであろう。おまけに、銀塩フィルムが手に入りにくくなったので、使えなくなった一眼レフカメラが数台、私の手元にある。どうしてくれる。でも、こちらはまだ企業や個人の選択の問題であるが、テレビの地デジ放送はまったく事情が異なる。2001年7月25日に改正された「電波法」によって、「アナログ放送の電波を十年後に停波」することになったからである。現在、各放送局に総務省から交付されている放送免許の有効期限が2011年7月24日までということになっている。

  つまり、日本の地デジ切り替えは、お上の都合によって一方的に決められたのである。放送事業者は「放送免許」がなければ放送事業が営めないから、弱い立場である。世界に冠たる日本の家電製品のメーカーはどんなテレビでも造ることができる。ただし、放送局から流れてくる電波が地デジのみとなったら、それを受信する機器を造らざるを得ない。ましてや、一般消費者をやである。もちろん、経済的に成熟した日本において、かつての高度経済成長期における家電「三種の神器」のように、国民の大半が同じような家電製品を短い期間に集中的に購入するというパターンはほとんど見込めない。近年でいえば、携帯電話くらいのものであろう。だから、国民に一斉にテレビを買い換えさせるというこの事業は、大変な景気刺激策にはなるであろう。各家庭の屋根の上に鎮座ますますアンテナも、VHF用の大きなものからUHF用の小さなものに変えなければならない。40年以上前からあった地方ローカル放送用のUHFのアンテナではなく、まったく新しい地デジ用のUHFアンテナが必要になる。それも、多少は景気刺激策になるであろう。しかし、それだけでは、このような制度を変更することの理由にはならない。このことは、2008年7月27日に上梓した『五十而知天命?』でも書いた。

  また、地デジ放送には、いろんな問題点がある。特に、災害に対して脆弱なのは国民の生命財産に関わる一大事である。まず、集中豪雨や大雪などの悪天候時に電波が巧く受信できないこと。次に、チャンネル切り替え時の遅延に見られるように、放送局側で膨大なデータを圧縮して送信し、受像器側でこれを回答して映像・音声化しているので、大地震の際の「緊急地震速報」などの受信が1〜3秒くらい遅れる。地震の揺れの到達の10秒前に速報を知ることができれば、建物から逃れることができたり、走行中の車を安全に停車することができたりしたものを、ほんの数秒の差でいのち取りになることもなきにしもあらずである。あるいは、2011年7月24日のアナログ放送終了数秒前に大地震が発生したても、放送局は本当に電波を停めるのであろうか? まだ、地デジテレビに切り替えていない何十万人もの人々――特に、独居の高齢者――が、突然、テレビが映らなくなって訳が解らなくなったところに、注意喚起や避難指示の放送が受けられずに、何千人もが落命するということが起こらないとも限らないであろう。われわれは、3月11日の東日本大震災を通して、数々の「想定外」の事態が起こりうることを学んだはずである。


▼ 地デジ切り替えはVHFの周波帯を米軍が独占するため

  ならば、何故、日本では、21世紀になってから急に「地デジ切り替え」が政府によって推進されるようになったのか? NHKが世界に先駆けて開発し、1989年から実用放送を始めたBSハイビジョン(註:MUSE方式のHDTV。画面の横縦比16:9はその後、世界の標準となった)は、なんとアナログ放送であったが、この方式は、その後のデジタル技術の進展――特に、インターネットを中心とするITの急速な普及――に押されて、2007年9月30日にひっそりと終了した。そして、この頃から、NHKと民放キー局の女子アナがサッカー日本代表の青色のユニフォームを着て「♪テレビは変わる。地デジに変わる。2011〜♪」というスポットCMがNHK・民放を問わず頻繁に流されるようになったことは、皆さんもご存知のとおりである。

  そろそろ、今日の話の結論が出るときが来た。皆さんは、21世紀になってからの日本おける政府主導の地デジ放送への強引な切り替えと、今回の米海軍特殊部隊によるオサマ・ビンラディン氏の殺害になんの関係があるのか? とお思いであろう。しかし、実は、関係が大ありなのである。私は今、「21世紀になってから政府主導で強引に地デジ切り替えを推進された」と書いた。その十年以上前から、既にアナログ方式によるハイビジョン放送が立派に実用化されていたというのに…。それは、日本の放送法が強引に改正させられた2001年に何が起こったかを考えれば解ることである。アメリカではジョージ・W・ブッシュ政権が指導して直ぐに、アルカイダの影響下にあると言われたアフガニスタンでタリバン政権が、あの玄奘三蔵法師も見たというバーミヤンの巨大な石仏が爆破され、そして、「9.11同時多発テロ」事件が勃発し、アフガン戦争が始まった年である。

  皆さん、本論の前半部分で述べたホワイトハウスのオペレーションルームで、今まさに、パキスタンで起こっている米海軍特殊部隊によるオサマ・ビンラディン氏の隠れ家への襲撃現場を、壁掛けの大型テレビモニターを通じてバラク・オバマ大統領以下のホワイトハウス首脳が食い入っている写真を見て、何か気付かないか? 彼らが凝視している画面の映像を撮影しているのは、特殊部隊SEALの隊員のヘルメットに付けられた小型テレビカメラであるが、その映像をどうやって地球の反対側のワシントンDCまで飛ばしてきているのだろうか? ということが、私の指摘したいポイントである。そう米軍は今、全世界に展開するIT化した軍隊からの可視情報を、なんとインターネット経由ではなく、最も単純で、しかも成熟した技術であるVHFの周波帯による電波を飛ばすことによって、ワシントンDC(もしくは、米軍の司令部や基地)へと飛ばしているのである。VHFの周波帯は、非常に単純な器械で鮮明な動画が送れることは、この半世紀間のテレビ放送を通じて、普く知れ渡っているところである。だから、彼らはその周波数を全世界で自分たちのために独占したいのである。

  VHFなら333mの東京タワー(正式な名称は「日本電波塔株式会社」)で十分である。集中豪雨時でも、大雪の日にも53年間、一瞬たりとも欠かさずアナログ放送用のVHFの電波を送り続けてきた。しかし、同じ領域に地デジ放送用のUHFの周波数の電波を届けようとすると、高さが二倍近い634mの東京スカイツリーの建設が必要となった。つまり、VHFの電波のほうが便利だということである。因みに、「ビンラディン」を中国語で記述すると「本拉登」だそうである。「日本政府を引っ張って(「拉」はpullという意味)高い塔に登らせる」というふうにも読める…。だから、米軍=アメリカ政府が日本政府に圧力を掛けて、VHFの周波帯を空けさせるために、地上波デジタル放送への移行を促したのである。皆さんも、もし、アナログとデジタルの切り替えスイッチ好きのチューナーやテレビモニターをお持ちであれば、是非、キープしておかれることをお奨めする。日本のアナログ放送が終了して、すっかり安心した勢力が、これからVHFの周波帯を使ってどんな映像や音声を送ってくるか、運が良ければ視ることができるかもしれないからである。

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