レルネット主幹 三宅善信
▼「通信の秘密」を侵すほうがはるかに悪質
出張先から戻ってきて、ネットで今日のニュースのヘッドラインを確認していたら、「島田紳助が暴力団と親密な付き合いをしていたことが判明し、即日、引退を表明した」というビックリするようなニュースが流れていた。しかも、その記者会見には、島田紳助の所属する株式会社よしもとクリエイティブ・エージェンシーの水谷暢宏社長も同席しての、会社としての“公式”の会見であった。発表の内容は以下のとおりである。(http://www.yoshimoto.co.jp/cmslight/resources/1/86/110823.pdf)私は、この記者発表の内容を一瞥して、日本の民主主義社会を危うくするとんでもない内容を含んだものであるにもかかわらず、そのことを指摘しているマスコミが現時点で一社もないことを危惧し、忙しい中、急いで筆を執ることにした。
私は、たとえその人物が芸能人やスポーツ選手のごとき有名人であれ、名も無き市井の一市民であれ、その人が起こした個別の事件の内容については一切、興味がない。もちろん、その当該人物が、政治家や公務員といった公権力の行使に関わる人であった場合は、事情が全く異なるが…。したがって、今回の“事件”で言えば、タレントの島田紳助が、どのような反社会的団体とどのような関係であったかなんぞに興味はない。それよりも、公権力を行使する側(捜査陣や公判課程)の手続きが正しいかどうかのほうが、遥かに気になる。「権力の監視役」を自認するマスコミなら、私と同じ視点を持って報道に当たらなければならないはずであるのに、実際には、丹念に取材した内容を報じるのではなく、メディア・スクラム(註:ひとつの事件に各局・各社が一箇所集中して加熱取材すること。往々にして、関係者や近隣住民に迷惑をかけ、その割に内容が画一的。このことを揶揄して「マスゴミ」と呼ばれたりする)状態になるだけで、しばしば当局側の発表を鵜呑みにして、公の電波を使ってこれを拡大再生産し、社会に要らぬ予見を与えてしまっている。
本件に関する会社(よしもと)側の発表によると、「…平成17年6月頃から平成19年6月頃までの間、暴力団関係者との間に一定の親密さを伺わせる携帯メールのやり取りを行っていたことが判明いたしました…」とのことである。記者会見に行った人が本物のジャーナリストであるならば、この時点で、まずひっかからなければならないはずである。会見にあるように、よしもとサイドは、いったいどのような手段で、島田紳助の携帯通信の内容を知り得たのであろうか?「通信の秘密」の保障は、民主主義国家にとっては極めて重要な基本的人権のひとつであるはずである。国家権力による盗聴や検閲が常態化しているどこかの全体主義独裁国家ならいざしらず、民主主義国である日本において、「通信の秘密」が侵されたとしたら、ある個人が暴力団と親密な関係にあったかどうかよりも、そちらのほうが遥かに重罪のはずである(註:例外的な事例としては、誘拐事件の容疑者の通信を傍受するような「人命救助」に関わる場合には許され得るが…)。
であるからして、マスコミは、水谷暢宏社長に対して「会社はどのような不正な手段によって、そのような情報を入手したのですか?」と、そちらのほうを質すべきである。英国の名門紙タイムズや米国の衛星テレビFOX等を所有し、英語圏における世界的コングロマリットであるニューズ・コーポレーションを築き上げ、「世界のメディア王」と言われたルパート・マードック氏が、傘下の大衆紙ザ・サンの日曜版「ニュース・オブ・ザ・ワールド」が、著名人の電話を盗聴していた事実が明るみに出ただけで、170余年の歴史と三百数十万の発行部数を有する同紙が、先月廃刊に追い込まれたばかりである。さすがに、英国は民主主義のなんたるかを解っている。
▼ 取り調べ情報をリークした警察
もっと問題であるのは、よしもとサイドがそのような情報をどうやって入手したかである。サラリーマンが、うっかり職場のパソコンを使って個人的なメイルを送受信して、その記録が会社側に押さえられるというケースがしばしばあるが、島田紳助が使ったのは、個人の携帯電話であるからして、もし、会社側が「盗聴(厳密には「盗見」だが…)」したのでなければ、誰かが紳助と暴力団関係者の間に交わされた親密なメイルの内容を「盗見」して、その内容をよしもと側にリークしたはずである。さもなければ、会社側から「紳助おまえこんなことしてたやろ?」と口頭で問い質しても、「そんなことしてるはずおまへんがな!」と返されて終いである。今回のように、紳助がグーの根もなく認めるためには、少なくとも、その親密なメイルの内容がプリントアウトされて紳助本人に示されたはずである。だとしたら、その内容を会社側に提供した者が居るはずである。島田紳助と「親密な関係にあった」とされる暴力団関係者がそんな自分に不利益になるようなことをするとは考えられないから、常識的には、捜査当局がリークしたと考えるのが筋である。
だとしたら、今度は、警察が違法行為をしていることになる。おそらく、別件で暴力団事務所を捜査した際に押収した文物の中から、当該暴力団関係者と島田紳助が「親密な関係」にあるなんらかの証拠物件が出てきたのであろう。警察が捜査の過程で、証拠物件を押収することはなんら問題がない。ただし、その押収した証拠品を、全く別の事案で用いることは違法である。しかも、覚醒剤の取引や賭博への常習参加といった「違法行為」ならいざ知らず、暴力団関係者と「親密な関係」があるだけで犯罪者扱いされるのであれば、糖尿病で入院したやくざの担当になった主治医の先生も犯罪者になるし、小学校で仲の良かった同級生がやくざになった場合、彼と年賀状を交換している友人たちも皆犯罪者になってしまうではないか! 問題なのは、暴力団関係者云々ではなく、個別の犯罪行為そのものが問題にならなければならないことは言うまでもない。
ということは、警察が本来の犯罪捜査とは関係ない島田紳助と暴力団関係者との個人的なメイルの内容をリークし、今後このような面倒を起こさないように、場合によっては「よしもと」に改札関係者の天下りを臭わしたかもしれない。そのことは、「…今回判明した行為自体は法律に触れるものではなく、また、経済的な利害関係が認められるものではありません…」と、会社自らが認めているではないか。このようなケースは、昨年来、大きな事件となった財団法人日本相撲協会の「八百長事件」の際にも見られた。元々、野球賭博事件を捜査していた線上で、大関琴光喜の名前が浮上し、そのことによって琴光喜関は日本相撲協会を解雇された。
しかし、押収した琴光喜関の携帯電話に(当然のことながら)いろんな力士とのメイル通信の記録が残っており、そこで名前の出てきた多くの力士たちについて、警察当局が相撲協会にリークしたからこそ、野球賭博事件とは何の関係もなかった多くの関取衆が、「八百長事件」という全く別の疑惑で、大相撲界を追放されることになった。警察当局は、暴力団が関わったとされる琴光喜関の野球賭博事件――こちらは、れっきとした犯罪――に関する捜査権限はあるが、そのプロセスで出てきた大相撲の八百長――社会的には問題があるが、八百長行為自体は違法行為ではないから、警察も捜査しなかった――疑惑について、捜査情報を民間団体である日本相撲協会にリークすることこそ違法行為である。おまけに、リッチな財団法人日本相撲協会の役員として、警察関係者を天下りさせようと目論んだのなら、こちらのほうこそ犯罪的行為である。本件については、2010年7月25日に上梓した『漢検協会→相撲協会→全日本仏教会』読いただきたい。
▼ なぜ、吉本興業から社名変更をしたのか?
しかも、よしもと側の処置にも問題がある。その情報の不法な入手経路はもとより、よしもと側がこの情報に接したのは「8月中旬」と自ら答えている。だとすると、8月20日から21日にかけて日本テレビ系列でオンエアされた日テレネットワーク最大のイベントである『24時間テレビ』のパーソナリティを島田紳助にさせることはおかしいではないか?
記者会見では、「24時間テレビ終了後、紳助を呼んで問い質したところ、本人が認めた」と言っているが、これって、「既に決まっていて今さら変更の難しい24時間テレビを終えてから、よしもとは事の経緯を知ったことにしよう」という意図が丸見えである。そもそも、私はこの『24時間テレビ』という企画そのものに辟易している。「愛は地球を救う」と銘打ちながら、緊迫しているリビア情勢にも、三百数十万人が飢えているソマリア飢饉にも触れず、ロートルの元局アナに24時間マラソン――どうせ、カメラの回っていないときはほとんど休憩しているのでしょうけれど――を走らせて、安物の「感動」を演出している程度では、国民から思考力を奪うだけで、日本のテレビは百害あって一利なしと、22日にFacebookに書いたが、それ以上に偽善に満ちていたのが、よしもとであった。
私は、本論において、これまで、島田紳助を雇用している会社の名前を「よしもと(厳密には、株式会社よしもとクリエイティブ・エージェンシー)」と紹介してきたが、この会社名そのものが胡散臭いではないか? みんなが知っている、あの大阪の「笑いの殿堂」の会社名は「吉本興業」株式会社だったはずである。私が学生時代に使っていた美容院は、吉本興業本社の入ったビルのテナントのひとつで、お客として多くの芸人をよく見かけたし、たまたまエレベータで林正之助会長と乗り合わせたりすると、一介の青年である私にでも、「せいぜい○○美容院使うたってくださいな。しっかり儲けて家賃払ってもらわんとあかんさかいにな〜」と気さくに語りかける爺さんだった。その吉本興業が、1980年の「漫才ブーム」によって、大阪ローカルからギャラが一桁高い東京(全国区)へ進出を果たした紳助・竜介、明石家さんま、それに続く、ダウンタウン(浜田雅功・松本人志)やナインティナイン(岡村隆史・矢部浩之)らの活躍によって、日本のエンタメ界は吉本興業抜きでは語れなくなった。東京進出の経緯は、横山やすし・西川きよしのマネージャーからスタートして常務取締役制作部長にまで登り詰めた木村政雄氏(2002年退職)から直接聞いたことがある(註:2000年に刊行された木村氏の『気がつけば、みんな吉本 全国“吉本化”戦略』に詳しいので、あらためて論じない)が、元々パイの小さいお笑い界だけでなく、全芸能界を制覇したかに見えたその時から、“陰”の部分が極大化してきた。
その最たるものが、「創業家」――厳密には、創業家である吉本家の妻せいの弟である林正之助家――と現経営陣による争いで、現経営陣は、全国放送の各キー局・準キー局やソフトバンクらがコンソーシアムを結成して「クオンタム・エンターテイメント株式会社」なる会社を設立し、2009年にTOB(株式公開買い付け)によって、上場企業たる吉本興業株式会社の買い占め、社会による監視の目の行き届かない非上場企業にしてしまった。それ以後は、自分の身の安全ばかり気にする「サラリーマン役員」たちが、やたら「コンプライアンス(=責任逃れのためのアリバイ工作)」を振りかざし、会社の“宝”である芸人を育て、守るよりは、これを“消耗品”として、不都合があれば即、切り捨てるようになってしまった。
社名も、伝統ある「吉本興業」から「よしもとクリエイティブ・エージェンシー」に変更した(註:厳密には、旧「吉本興業」を消滅させ、クオンタム・エンターテイメントを新「吉本興業」とし、これを持ち株会社にしてその傘下に、事業会社である「よしもとクリエイティブ・エージェンシー」他をぶら下げる形式をとっている)。この理由は、簡単である。“興行”という言葉が、暴力団をはじめとする「かたぎ」ではない社会に属するビジネスであるという響きを持っているから、それをカタカナ言葉であるクリエイティブ・エージェンシーに置き換えたのである。しかし、このようなことを気にすること自体、自らを「興行会社である」と自覚している証拠であるとも言える。今後、各方面からいろんな情報が出てくるであろうが、たとえそれらが見かけ上、どのような表現をなされようが、その背後には、私が本論で述べたようなことがあって、そこから派生したものであることは明白である。
▼ 島田紳助「トリックスター」論
そもそも今回の問題がここまで大きく取り上げられたのは、人気絶頂の芸人であった島田紳助が、別に罪を犯して逮捕されたわけでもないのに、一夜にして「芸能界引退」というラディカルな結論を発表したからである。否、たとえ逮捕されたとしても、裁判で有罪が確定するまでは「推定無罪」として取り扱われるのが民主主義国の常識であるから、警察沙汰になる前にさっさと「自主廃業」を決めてしまうなんて、「よほど人に知られては拙いこと(違法行為)でもあったのであろう」と、逆に勘ぐられてしまう可能性すらある。しかし、よくよく考えてみると、日本国中を探しても、島田紳助という芸人が「品行方正な立派な人物である」と思っていた人は一人も居ないであろう。
否、むしろ、ヤンキー出身の体育会系芸人の島田紳助という人物が、その芸風を活かしながら、いろんなことに挑戦して紆余曲折の結果、トップに立ったというべきであろう。だから、たとえ、紳助が「バーで良からぬ筋の客とけんかになった」としても誰も驚かないであろう。同じことでも、歌舞伎界一の名門である市川宗家の御曹司である市川海老蔵に起こったから、大騒ぎになったのである。つまり、島田紳助という芸人のキャラクターの中に、すでに「やんちゃ(悪行)」は含まれているはずである。視聴者もそのことを了解して、紳助の出演する番組を視ているはずである。その点では、横山やすしと同じである。暴力団関係者と親密な関係があったことぐらいで「何を今さら…」というものである。「暴力団関係者と一緒に写真に写っていた」ことのいったい何が悪い?
政治家でも芸能人では、人気商売のひとは必ずと言って良いほど、「ご一緒に写真を撮らせていただけますか?」と尋ねられれば、十中八九は「良いですよ」とにっこり笑って写真撮影に応じるものであって、その際、いちいち「あなたは暴力団関係者ですか?」なんて質問できるはずはない。
島田紳助という芸人は、そもそも「トリックスター」(註:トリックスターとは、宗教学や文化人類学において、自然界の秩序を破り、状況を引っかき回すことによって、手詰まりになった世界に新しい状況を生み出す人物のこと。例えば、『西遊記』における孫悟空)なのである。彼が(彼のキャラクターが)テレビ界に編み出した新しい手法はたくさんあるが、ここでは、その内の2つを取り上げる。まず、2002年から始まった日本テレビ系列の『行列のできる法律相談所』(通称「行列」)という人気番組である。これまで、現職の弁護士が出演する形式のバラエティ番組はいくつかあったが、いずれも同時に登場する弁護士は1人きりであり、出演者たちの「ああでもない。こうでもない」といろんな意見を述べた後、裁判官のごとき役割で「法律では、こうなっています!」と、それらの意見に“判決”を下す。
ところが、この『行列のできる法律相談所』では、4人の弁護士がそれぞれ異なった意見を述べて、お互いに他の弁護士の論点を批判する。つまり、「法律の解釈というものは絶対的なものではない」ということを一般視聴者に解らしめる役割を果たした。しかも、MCである島田紳助によって、それらの弁護士たちがイジられて、弁護士のイメージを堅いばかりで取っつきにくい職業というものから、テレビの人気者に変えるという役割を果たしたことは、この番組レギュラーであった丸山和也弁護士が参議委員議員に、橋下徹弁護士が大阪府知事になったことからも明らかである。
▼「安全運転」しない者こそ真の芸人である
もうひとつの功績は、2005年から始まったフジテレビ系列(FNS)の『クイズ! ヘキサゴンII』(通称「ヘキサゴン」)である。番組改編期の特番で、フジテレビ各番組出演者対抗形式を取ったり、いろいろと演出は変化するが、基本形は、雛壇にたいしたことのない芸人(旬の過ぎた一発屋等)を並べて、その珍解答ぶりをMCである島田紳助がイジり、その「おバカ」ぶりを競わせるという演出。従来は、正解を出すことを目的としていたクイズ番組を、逆に、どのように間違えるかを競わせるという逆転の発想をした点で、テレビ界に新しい演出方法を確立させた功績は大きい。しかも、この番組のレギュラー解答者たちで結成した音楽ユニットが『NHK紅白歌合戦』に出場するに及んで、音楽プロデューサーとしての才能も発揮したと言える。
芸能人というのは一般に、若手の頃は、売れる(テレビに露出する)ためには何でもする人種である。とにかく、自分に与えられたほんの何秒かの間にインパクトを残して、視聴者に顔と名前を覚えてもらわなければならない商売である。ところが、少し顔が売れてくると、ましてや、たけし、タモリ、さんま、紳助クラスの「大物」になってくると、当初の毒舌や過激な演出はすっかりと影を潜め、皆「安全運転」に終始するようになってくる。そして、だんだんと「芸」がつまらなくなってくるという道を辿る。同じ番組に出ている出演者同士でも、その人物の名前が番組名に冠せられている、いわゆる「冠」番組クラスと、雛壇の後列に座っている芸人とでは、ギャラが数百倍の差があることもしばしばであるから、この恵まれた立場を失いたくないからである。
そんな中で、島田紳助は「大物」であるにも関わらず、常に新しい番組形式を開拓しようという努力の跡が見られた希有な芸人である。しかも、ちょっとテレビで顔が売れただけの芸人で、ちょっと一般人より多く金を持っているからといって、「セレブ然」として高級レストランやブティックで大量の買い物をしている勘違い者が多い芸能界であるが、紳助は「芸人とは、所詮は蔑まれる職業」であることをよく自覚している芸人であった。よくワイドショー等で、レポーターが芸能人のことを報告している際に、視聴者に向かって当該芸能人に対して「敬語」を使ってレポートしているシーン(「誰々さんが、○○されました」とか…)がよく見られるが、これもまた問題である。何様のつもりだと言いたい。
いずれにしても、今回の“事件”はまだ始まったばかりであり、この“事件”のもたらす波及効果は、思わぬところまで拡大するであろう。場合によっては、国政選挙にまで影響を及ぼすかもしれない。いずれにしても、日本のテレビ界や芸能界の“闇”の部分を垣間見る絶好のチャンスと捉えるべきであろう。