レルネット主幹 三宅善信
▼ チュニジアやエジプトとは訳が違うリビア
約半年間の“内戦”(註:実際には、圧倒的な軍備を誇るNATO軍による攻撃によって、カダフィ大佐率いるリビア政府軍が敗走したのであって、決して、ベンガジに拠点を置く反政府勢力によって“革命”が起こされたのではないことは明白なので、本来なら“内戦”ではなく、欧米の軍事介入と言うべきであるが…)を経て、42年間続いたカダフィ政権が崩壊した。日本のマスコミをはじめ世間ではこれを、リビアの西隣のチュニジアで澎湃として湧き起こった「ジャスミン革命」(註:警察の横暴に抗議した一青年の焼身自殺に端を発し、FacebookやYoutubeやTwitterといったネット時代の情報ツールによって瞬く間に、閉鎖社会に拡大した民主化要求暴動によって、23年間続いたベン=アリー独裁政権が、わずか9日間であっという間に崩壊し、その機運が、北アフリカや中東のアラブ系長期独裁諸国家の民衆に伝播し、アラブ社会を揺るがした事件)が、ベン=アリー政権の崩壊からわずか十日後には、リビアの東隣エジプトにも波及し、31年間続いたムバラク政権もわずか2週間で崩壊するに及んで、1989年11月の「ベルリンの壁崩壊」からわずか1カ月間に、盤石を誇っていたかに見えた東欧の社会主義諸国家の共産党政権がドミノ倒し的に崩壊したことを想起し、「砂漠の狂犬」・「アラブの暴れん坊」と恐れられたカダフィ大佐によって40年以上も長期間にわたって独裁体制が敷かれていたリビアにも自然に波及したものとされているが、これはとんでもない間違いである。本論は、ならば、なぜ今の時期にカダフィ大佐が排除されたのかを問うものである。
自国の“国益”の追求のみが究極の関心事である国際政治の世界では、他国の民主主義――当該国の人民が独裁者によって抑圧されているか、基本的人権が尊重され、豊かで快適な生活を営んでいるか――などには基本的に関心がない。もし、ある国(たいていの場合、アメリカであるが…)が、「他国の民主主義云々」と言った場合、必ずその裏には、何らかの打算があると思ったほうがよい。古くは、東南アジアでスハルト(インドネシア)やマルコス(フィリピン)といった(アメリカの言うことをよく聞く)長期独裁政権を支持し続けてきたし、近くは、立法機関たる議会すらないサウジアラビアの専制王政や、アラブ世界の中で唯一イスラエルと平和条約を結んでくれているエジプトのムバラク独裁体制を欧米が支持し続けてきたことからも明らかである。欧米諸国にとっては、相手国が「イスラム国家かキリスト教国家か」や「独裁国家か民主国家か」などという設問自体、どっちでもよい問題なのである。重要なのは、「欧米の言うことを聞くか聞かないか」という一点である。欧米の言うことを聞くのなら、シャリーア(イスラム法)統治下のサウジ王家も、独裁制のムバラク政権も是認するということであった。
であるからして、欧米に「非民主的な独裁政権が自国民の人権を抑圧しているので打倒する」というような大義名分を主張する権利はない。そもそも、近代におけるアフリカや中東地域は、欧米列強の帝国主義によって“支配”を受けていた地域である。「非民主的」というのであれば、当該地域の人民の意向を無視してこれを植民地支配してきた欧米列強こそ非民主的である。そして、それらの国々の多くは、今から50年ほど前に、一応“独立”するにはしたが、それらの国々の中で、いったいどれだけの国々が民主化できたかと言えば、答えは悲観的なものならざるを得ない。たいていは、非民主的な独裁政権が今でも幅を効かせているか、もしくは、内戦の続くソマリアのような破綻国家と化している。そして、欧米はそれらの国々の独裁者を通じて、相変わらず、彼の地の人民から収奪を続けているのである。独裁者が居るほうが、欧米にとっては都合が良いともいえる。
それらの独裁者の中には、自分が百パーセント国富を独占したいので、欧米によってシステム的に収奪される分が惜しいと思う人間が出てくることもある。油田や鉱山や運河といった欧米資本によって造り出された施設の国有化である。これらの多くは、当地の人民によって熱狂的に歓迎される傾向があるが、なんのことはない。自分たち(=特定の一族)が欧米の資本に取って代わっただけであって、相変わらず、大多数の人民は貧しいままである。また、それらの独裁者の中には、欧米の“支配”に対して挑戦する輩も出てくる。ただし、ちょっと考えてみれば判るように、欧米列強に対して軍事力でこれに挑んで、一定の成果を挙げる(現地で、反欧米戦争をするのではなく、欧米まで攻め込む)ことができた国なんて、この百年間、日本をおいて他にはない。いかに、フセインやカダフィといっても、ニューヨークやパリを爆撃することなんぞ、はじめから不可能な話である以上、彼らの「反欧米姿勢」はあくまで、自国民の統治やアラブの大義を近隣諸国家に訴えるためのポーズにすぎない。
▼ ライオンと猪八戒
国産の作品では、厳密にはアニメではないがが、1964年から1969年まで続いた国民的人形劇『ひょっこりひょうたん島』の「ライオン」さん(註:「ライオン」という名前のライオン。元来はライオン王国の王様であったが、その暮らしに飽きてひょうたん島の住民となった途端に愛玩動物にいないひょうたん島では、子どもたち以下の一番低い社会階層に置かれた。なぜだか、サーカスに入団することを希望し、博士さんを尊敬している)の声優である。私の中では、滝口順平の声のキャラクターは、幼年期によく視た『クマゴロー』と『ひょっこりひょうたん島』の二作品によって刷り込まれたと言ってよい。
それともうひとつ、1960年代で忘れてはならないアニメ作品に手塚治虫原作の『悟空の大冒険』がある。日本初の本格的連続テレビアニメとしての金字塔を打ち立てた『鉄腕アトム』の後継番組として1967年に始まった『悟空の大冒険』は、あまりにも、前作の『鉄腕アトム』が「不朽の名作」(歴史を超えて評価される作品という意)であったせいか、はたまた、その表現方法が時代に先駆けてあまりにもシュールであったために、アニメ史上あまり高く評価されていないが、私は別だ。『西遊記』をベースにしていることは当然であるが、他の「西遊記もの」と異なり、孫悟空は三蔵法師のことを「おっしょう(御師匠)様」と呼ばずに、「坊さん」と呼びかけているのも洒落ているし、八戒と沙悟浄という随者以外に、子供用アニメにもかかわらず、当時としては珍しく「竜子」という独自のお色気キャラ――声優は、峰不二子でお馴染みの増山江威子――も登場させている点でも、先駆的である。
もちろん、滝口順平の役は、豚面の怪物「猪八戒」である。『悟空の大冒険』に限らず、日本における猪八戒の役柄は、その豚面からの連想で、貪欲で三枚目と決まっているが、本来は、その名が示すように、天界の天蓬元帥が罪を犯して下界に落とされ、豚面の妖怪として人喰いをするようになるが、観音菩薩と出会ってからは、自ら五葷三厭(=八戒)を断つ決心をして僧侶としての精進生活に励み、取経者である三蔵法師の弟子となった人物である。もう一人の従者「沙悟浄」と共に、改心さえすれば、いかなる大罪人も罪人の姿のままで救済されるという大乗仏教の神髄を体現している。声優滝口順平が演じる多くの役は、猪八戒のように、人間の持つ「弱さ」故に犯してしまった罪という「負い目」を抱えながらも、陽気な性格の持ち主として描かれる役回りが、この八戒の役で確立されたと言えよう。
▼ 軍事的脅威になる独裁者はアフリカや中東には居ない
その意味で、十年前の「9.11米国中枢同時多発テロ」は、欧米にショックを与えたが、あれはあくまで「テロ事件」であって、欧米の正規軍を軍事行動によって撃破して、彼の地まで攻め込んだ訳ではない。したがって、中東やアフリカの独裁者たちが抱えている軍隊は、欧米列強と戦争するための軍隊でない――あの程度の軍備では話にならない――ことは明白である。ならば、なんのために軍隊があるのか? 隣国からの軍事的侵攻を防ぐためか? それも、答えはノーである。アフリカや中東地域において、正規軍同士が国境を越えて戦火を交えたのは、「アメリカの飛び地」とも言えるイスラエルと周辺のアラブ諸国との戦争(第1次〜第4次中東戦争)という全く別の種類の戦争を除けば、サダム・フセインが起こしたイラン・イラク戦争とクウェート侵攻ぐらいのものである。あとはすべて“内戦”である。ならば、アフリカや中東諸国の軍隊はなんのためにあるかと言えば、独裁者が自国民を支配するための暴力装置にすぎない。だから、空母やハイテク戦闘機や中距離ミサイルといった他国に攻め込むための兵器ではなく、装甲車や機関銃といった暴動鎮圧のための対人兵器が主な装備になるのである。
逆を言えば、欧米諸国は「彼が独裁者である」という理由だけで彼を排除しようとするようなことはない。ましてや、欧米に対して軍事的脅威になり得るような独裁者はアフリカや中東には居ないことも明白である。もし、今回のカダフィ大佐の排除の理由が、「砂漠の狂犬カダフィは危険きわまりない人物だから…」というのでは、彼は過去40年間、ずっと「アラブの暴れん坊」だった訳で、急に危険な人物になった訳ではない。否、むしろ、「テロ支援国家」として、世界各地で頻発する反欧米のテロ事件の首謀者を匿ったり、これに物心両面の支援を与えていたとされる20年ほど前のほうがよほど危険であった。でも、彼の挑戦的な物言いに対して、一度たりとも欧米諸国はカダフィ大佐を排除しようとはしなかったではないか! ならば、現地点になって、何故、欧米諸国は、急にカダフィ政権を排除しにかかったのか…?
このことのヒントは、2003年の3月に始まったイラク戦争にある。サダム・フセインも欧米から見れば、ずっと昔から「悪い奴」であった。1979年にイラクの政権を奪取した翌1980年には、もう隣国イランとの戦争を始め、その戦争を8年間続け、その間、イラク国内の反体制派であるクルド人たちの虐殺等を行ったが、「イラン憎し」のアメリカ(註:アメリカは1979年のイラン革命の際、アメリカ大使館員が一年以上にわたって人質になり、以後、今日に至るまで、アメリカはイランと外交関係を断絶している)や、イスラム革命の自国への波及を恐れるサウジアラビアをはじめとする湾岸諸国は、イラクのフセイン政権を支援した。また、イラクの1980年のクウェート侵攻をきっかけに1991年に始まった湾岸戦争では、イラクは欧米を中心に結成された多国籍軍に破れたにもかかわらず、フセイン政権は温存された。そのフセイン政権が打倒されたのは、サダム・フセインとはむしろ敵対関係にあったオサマ・ビンラディンによって引き起こされた「9.11米国中枢同時多発テロ」事件に端を発するアメリカのアフガン戦争(2001年開戦)の流れの中で、突如、「イラクが大量破壊兵器を隠し持っている」というやくざまがいの因縁(註:刑事裁判同様、「(大量破壊兵器が)ある」と疑っている米国側が「ある」ことを証明するには、その隠し持っている大量破壊兵器を発見しさえすればよい(故に、証明の義務は米国側にある)が、そのようなものは「ない」と主張しているイラク側が「ない」ということを米国側が納得する形で証明することは不可能であるから)がアメリカによってつけられ、それを理由に2003年、米英軍を中心とした有志連合によって戦争がふっかけられ、フセイン政権が崩壊したことからも明らかである。
▼ フセインが排除されたのはドル本位制を否定したから
では、アメリカは長年、サダム・フセインの傍若無人な行動を見逃しながら、何故2003年になって急に、フセイン政権を打倒することにしたのであろうか? 答えは簡単である。それまで、原油をはじめ国際間の貿易の決済は米ドルで行うというルールを、フセイン大統領がユーロでも行えるように変更しようとしたからである。第二次世界大戦の結果、アメリカが得た最大の利権とは何か? それは、「国際間の貿易の決済には米ドルを使わなければならない」という国際ルールである。これは何も、アメリカと貿易する国だけではなくて、例えば、日本とフランス間の貿易においても決済通貨は米ドルを使わなければならないということである。したがって、アメリカを敵視する北朝鮮だって、国家を挙げて米ドルの偽札(スーパーK)を製造するというおかしなことをしなければならなくなる。そのことによって、アメリカに敵対する国々(例えば、冷戦時代のソ連東欧圏諸国)も、一生懸命汗水垂らして働いて手に入れた米ドルを使ってでしか、その国に必要な物資を外国から輸入することができない仕組みになっているのである。一方、アメリカ自身は、まったく働かなくても、輪転機で紙にベンジャミン・フランクリンの肖像(=百ドル札)さえ印刷しておれば、世界中からなんでも輸入することができる。つまり、合衆国政府は利用限度額無制限、支払い不要の夢のプラチナカードを持っているようなものである。このような国の財政赤字が縮小するはずがない。税収が不足すれば、なんの担保がなくてもドル札をどんどんと印刷すれば良いのであるから…。逆を言えば、過去六十数年間、世界経済はアメリカの財政赤字の分だけ拡大してきたとも言える。
サダム・フセインは、このような誰もが変えたくても変えることのできない「鉄のルール」に風穴を開けようとしたのである。米ドルを唯一の国際決済通貨にするのではなく、域内5億人の総人口を有し(米国は3億人)、GDPの規模でも米国のそれを上回るEU(欧州連合)の統一通貨であるユーロと米ドルのどちらでも国際決済できるようにしようというのである。どう考えても、せっかく原油を輸出して稼いだ外貨の支払いを“敵”であるアメリカの通貨で受け、その資金の運用を米国債を中心に運用される国際マネーマーケットで行う以外に方法がないというのでは、自分たちが原油を輸出して儲ければ儲けるほど、米国政府を「豊かにする(財政赤字の補填をする)」手伝いをしているようなものである。また、世界経済的にも、国際決済通貨を米ドルとユーロの二本立て――個人的には、日本円もそれに加えてもらえれば、為替がどのように変動しようと、「円高不況」云々と騒ぐ必要がなくなるのであるが――にしたほうが、放漫なアメリカの財政政策を正すことができるので望ましいと考えるのであるが…。
実は、サダム・フセインのこの試みが、アメリカの逆鱗に触れたのである。2000年11月、フセイン大統領は、イラクの原油輸出の「ユーロ建て決済」への移行を提起した。これは、アメリカにとって最も都合の悪い話である。もし、この動きが、アメリカと対立する産油国であるイランや南米のベネズエラに波及したら、それこそ、上述したような「アメリカの特権」が失われて、アメリカはあっという間に財政破綻国家に転落する。だから、アメリカは、イラクに在りもしない大量破壊兵器隠匿疑惑やアルカイダとの関連疑惑を突きつけて、イラク戦争をむりやり始めたのである。まるで、徳川家康が豊臣家を滅ぼすために、方広寺の梵鐘の銘文にあった長い文字列の中から「国家安康」と「君臣豊楽」という普通名詞を、「豊臣家の繁栄のために徳川家を呪詛するものである」との因縁をつけて、大坂の陣へ持ち込んだのと同じやり方である。イラク戦争の際の米軍の作戦コード名は、確か「Operation Enduring Freedom (不滅の自由作戦)」であったが、これは、アメリカが米ドル札を世界の基軸通貨として諸国間の金融決済に使用を強制し続けることの自由をもたらす作戦という意味である。その結果が、どういうことになったかは、私がここであらためて記すまでもない。
▼ カダフィ大佐の「善政」
ここで、いよいよ今回の主題であるカダフィ大佐のケースである。カダフィ大佐はフセイン大統領同様、ずっと以前から「悪い奴」であった。しかし、いつでも軍事的に撃破しようと思えばできたにもかかわらず、長年にわたって欧米はこれを見逃してきた。なのに、何故、今回、こうしてカダフィ大佐が排除されることになったのか? 今回のリビアにおける“内戦”は、決して今春来、チュニジアやエジプトで起こった「ジャスミン革命」と軌を一にするものではない。ジャスミン革命の際には、チュニスやカイロといったその国の首都で、民衆による反政府デモが巻き起こり、この動きが急激に拡大して、最初は取り締まりを試みた独裁者たちが、それが巧くいかなくなるや、徐々に融和策を提案していったが、このいずれもが「Too little. Too late.」で政権が自己崩壊を起こしたのである。
しかし、リビアの場合はそうではない。首都トリポリでは、民衆蜂起は何も起こらなかった。トリポリ(国土の北西端)から遠く離れたベンガジ(国土の北東端)で、欧米の傀儡である反政府勢力が「カダフィ排除」をぶち上げ、反政府勢力(註:とても「軍隊」と呼べるような組織ではなかった)が西進する沿道を空からNATO軍が援護射撃して、トリポリへの街道を防衛するリビア国軍を撃破したから進撃できたのであっって、決して「反政府軍」の力ではないことは明白であり、そのことは、政権奪取後、新政権が欧米諸国に大きな「借り」ができるということである。しかも、たいていの場合、反政府軍が兵を首都まで進め、これが陥落したときには、首都の民衆は、内心はどうであれ、「新しい支配者」の機嫌をとるため、歓呼でもってこれを迎え入れるのが、われわれが20世紀に何度も見てきた光景であったが、今回のトリポリ陥落時に、トリポリの民衆が反政府軍の入城を歓喜をもって迎え入れている映像にいまだかつてお目にかかっていない。すなわち、トリポリの民衆にとっては、同国人の独裁者カダフィが居なくなったけれど、異国の「傀儡の王」が新たな支配者になっただけのことである。この「傀儡の王」は、おそらく、欧米よりの政策を執り、リビア人の富である原油を欧米人のために差し出すであろう。
ここでさらに重要なことは、今回のカダフィ大佐排除のきっかけは、巷間問題にされているような「石油利権云々」といったような次元の話ではない。サダム・フセインの場合と大変よく似ている。フセインは、原油輸出の決済通貨を米ドルからユーロに切り替えようとしてアメリカの逆鱗に触れた。ならば、カダフィの場合は、いったい何が欧米の逆鱗に触れたのであろう。それは、ここ数年、カダフィ大佐が進めてきたアフリカにおける欧米支配の打破への動きが、いよいよ現実化してきたからである。日本における「カダフィ大佐」像は、「砂漠の狂犬」・「アラブの暴れん坊」と言われた30年前とほとんど変わっていないが、それは大間違いである。半世紀以上前の「スエズ危機」で名を馳せたエジプトの英雄ガマール・ナセルによる「汎アラブ主義」(事実、エジプトをシリアは一時「アラブ連合共和国」という連合国家を形成していた)や、北アフリカと中東諸国による「アラブ連盟」とイスラエルとの間で戦われた4次にわたる中東戦争、さらには、パレスチナの英雄ヤセル・アラファトによるPLO(パレスチナ解放機構)…。こういった「英雄の世代」に少し遅れて登場してきたカダフィ大佐(註:伊達政宗は、「自分がもう10年早く生まれてきたら、信長・秀吉・家康らと共に天下人レースに割って入れたのに…」と惜しんだのと同じような感情)は、なんかと自分の歴史的価値を彼らと並び称せられるものになりたいと思って、現時点から見ればトリッキーなこと――その中には、欧米から「テロ支援国家」や「ならず者国家」と称せられるような1988年のパンナム機爆破事件のようなこと――もいろいろと試みたが、1990年代後半からは、カダフィ大佐はきわめて穏健な支配者と変容した。
なぜなら、40年間におよぶカダフィ大佐の“善政”により、リビアはアフリカで最も豊かな国家となったからである。カダフィ大佐がクーデターで権力を握る前のリビアの識字率は10%以下であったが、現在では90%以上で、十分に食べることのできない人の割合を示す貧困率も米国以下であり、その点では「先進国」であるとさえ言える。これは、カダフィ政権が実施してきた医療費・教育費の無償化政策のおかげであり、国民の大半がスンニ派のイスラム教徒であるにもかかわらず、女性が自動車を運転することまで禁止されているサウジアラビアなんかとは裏腹に、黒ずくめの忍者のごとき「アバヤ」(註:被服の程度により、ブルカ、チャドル、ヘジャブなどと呼ばれるヴェールがある)で全身を覆う女性も見あたらない、極めて「欧米的」な世俗国家である。しかも、洋の東西を問わず、「金持ち喧嘩せず」の黄金律は適用される。アフリカ一豊かになったリビア国民が、以前のような過激な行動に出ることは難しい。現有秩序をガラガラポンするような試みをした場合、新たにものを得る(今より豊かになれる)確率より、今あるものを失う確率のほうが高いと感じたとき、人は現状肯定派になる。逆に、「失うものが何もない」状態に置かれたとき、人は最も危険になる。ダメ元でチャレンジしてくるからである。ガザ地区のパレスチナ人しかり、アフガンゲリラしかり…。
▼ アフリカ独自の通信衛星を持つ意味
つまり、かつてのような意味(テロを輸出するならず者国家)で、世界はリビアを危険視する必要はなくなったのである。カダフィ大佐を排除するのであれば、30年ほど前にすべきであった。当時から欧米には大義名分があったし、欧米にはその能力があったのに、そうしなかった。ならば、なのになぜこの時点になってカダフィ大佐を排除したのか? ここに欧米の大いなる欺瞞がある。21世紀に入ってカダフィ大佐が進めてきた二大政策が、欧米が自ら設定し、日本を含む世界各国に強要してきた自分たち優位のルールに異議申し立てを試み、そのことが現実性を帯びてきたからである。欧米人にとって、アフリカ人同士が民族紛争で何百万人死のうと、本質的にはなんの関心もない話――もちろん、形式的には「大変憂慮している」とかいったコミットメントしているポーズは取るけれども――である。むしろ、双方に武器その他を売りつけることができるので嬉しいぐらいだ。中東における紛争も、イスラエルに害が及ばないかぎりは、同様である。だから、その次元において、いくら「砂漠の狂犬」や「アラブの暴れん坊」であっても、痛くも痒くもない。欧米が危険を冒して――具体的には、地上部隊を派遣して――介入する必要はない。しかし、21世紀に入って、サダム・フセインが「原油の貿易決済のユーロ建て」を主張したとたんに、アメリカによって排除されたことを思い出してほしい。要は、今回、カダフィ大佐はとうとう「欧米の既得権益の尾」を踏んでしまったのである。はっきり言って、それが急遽、カダフィ大佐がリビアの指導者から除かれる理由となった。では、カダフィ大佐がその尾を踏んでしまった「欧米の既得権益」とはいったい何であろうか? それは、以下の2点である。
まず、カダフィ大佐は、欧米によってファシリティ(設備)が独占されている電気通信事業をアフリカ人の手に入れようとした。古代から現代に至るまで、最新の科学技術というものは「高きから低きへ」あるいは「中心部から周縁部へ」と伝搬するものであるが、伝達速度はその間にどんどんと増してゆき、中心部が新たに獲得し普及するのに100年かかった新技術が、自分たちではそれを開発できなかった周縁部において、わずか1年間で隅々にまで普及が促進することがある。テレビ技術を例に取ると、半世紀間以上のテレビ放送の歴史がある日本では、まず白黒放送の期間があって(もちろん、その前にラジオだけの期間が相当あった)、その後、アナログのカラー放送の期間が30年間ほどあって、ハイビジョン(HDTV)だのデジタル放送に切り替わった。ところが、これからテレビ放送が始まるアフリカの僻地などでは、いきなり、画像の鮮明なデジタル放送から始まるのであって、「お前たちいきなりデジタル放送なんて贅沢だ。まず白黒テレビを10年、それからカラーTVをアナログで30年、しかる後に、デジタルに…」なんてことにはならいないのである。電話についても同じことである。まず、ダイヤル式の黒電話(実は、その前に、電話をかける前に手動でコイルをグルグルっと回して、受話器を取ると、電話局に繋がって、先方の電話番号を告げて繋いでもらう壁掛け式の電話機があったが…)、それから、プッシュフォン。それから、コードレス電話(親機には、たいていFAX機能も付いていた)。そして、重たい自動車電話。最後に、携帯電話という「進化」のプロセスを一足飛びにして、つい数年前まで、遠隔地の仲間に情報を伝達するには、狼煙を上げたりドラムを叩いていたようなサバンナの遊牧民が、いきなり携帯電話で連絡を取り合ったりするようになるものである。
そんな訳で、今やアフリカにおいても、否、人口密度が低くて広大な面積に有線電話の設備を遍く設置することが困難なアフリカにおいてこそ、携帯電話は必需品となった。ところが、広大なこの大陸において、この携帯電話事業やインターネット事業を展開してゆくために必要不可欠なファシリティーである通信衛星事業は、欧米が独占してきた。しかし、通信(放送)衛星や気象衛星といった人工衛星は、赤道上空約38,000kmの高々度地点で地球の自転と同じ方向に回る「静止軌道」に居なければならないため、高緯度の欧米各国や日本が打ち上げるより、赤道がその大陸上を通過するアフリカや南米の国々が打ち上げるのが、燃料や制御の上から言って最も合理性がある(註:逆に、地表の詳細な様子をくまなく監視しなければならない、軍事偵察衛星や資源探査衛星やカーナビに使われるGPS衛星等は、北極と南極を結ぶ南北軸を地球が自転しているので、衛星が南北に一周する90分間に東西に約2,500kmずつズレてゆくので、ロンドン上空を通過した衛星は、90分後にはモスクワ上空を、その90分後にはニューデリー上空を、その90分後には北京上空を地表から数百kmという低高度を舐めるように飛んでゆく)。それをアフリカ各国は、自前の通信衛星を持たないため、欧米の通信衛星を利用するしかなく、アフリカ全体で毎年5億ドル(約380億円)もの巨費(この費用は、年々増加することはあっても減ってゆくことはない)を欧米の通信会社に支払ってきた。
この事態を解消するため、カダフィ大佐は「アフリカ独自の通信衛星を持とう!」とアフリカ各国に声をかけて、2007年、ロシアに依頼して4億ドル(約300億円)でアフリカ独自の通信衛星を打ち上げた。その全費用の3/4に当たる3億ドルをリビア一国で拠出し、残りの1億ドルをアフリカ全体で分担して打ち上げたのである。もちろん、アフリカ各国は、この衛星を通じて自由に通信することができる。つまり、カダフィ大佐は、アフリカ全体の発展のためにその国富を提供したのである。だから、欧米によってでっち上げられた今回の「カダフィ追放劇」においても、国外脱出したカダフィ大佐一家を匿う国が何カ国も出てきたのである。リビアから多額の借金をしていた欧米の金融機関が、「カダフィが追放されたので、わが社には借金の返済義務がなくなった」と公然と表明した連中と、カダフィ大佐のどちらが倫理性が高いかは言うまでもない。しかし、このカダフィ大佐主導による「アフリカ衛星」は欧米の虎の尾を踏むことになった。
▼ アフリカ統一通貨の創設を目指したカダフィ
次に、「カダフィ大佐追放劇」の決定的な機会となったのは、アフリカ独自の金融秩序の構築宣言であったであろう。「国際貿易の決済通貨は米ドルのみとする」という現有の世界経済秩序は「ブレトン・ウッズ協定」によって、第二次世界大戦中に確定した。そして、世界銀行(World Bank)と国際金融基金(IMF)が設立され、今日に至っている。爾来今日まで、11代に及ぶ世界銀行の総裁は米国から、IMFの専務理事(=議長・代表)は欧州から選ばれ続けてきた。つまり、国際的な金融秩序は、有無を言わさず「欧米のルールに従わせる」という意味である。世銀IMFともに米国に次ぐ第二番目の資金拠出国である日本からでさえ、一度も総裁(世銀)や専務理事(IMF)が選出されたことがないくらいの「白人クラブ」である(因みに、G7財務相・中央銀行総裁会議にほうは、7年に1度は日本が議長国を務めることになっている)。
それをカダフィ大佐は、2011年、カメルーンの首都ヤウンデに本部を置くAMF(アフリカ通貨基金)の設置を目指した。全世界を支配しているIMF(註:1990年代末のアジア通貨危機の際、韓国やASEAN各国は、国家財政赤字立て直してのため、IMFによる厳しい勧告を受け、本来なら自国の財政政策を自由に施行できる国家主権の制限を受けた)にとって、たとえアフリカという「一部」であったとしても、IMFの世界支配網に「穴」があくことだけは絶対に許すわけにはいかない…。しかも、カダフィ大佐は、このAMFへの出資を申し出た欧米や中東の産油国からの要請を拒否した。なぜなら、国家財政基盤の弱いアフリカ各国の中に、巨大な資本を有する欧米の政府系金融機関や民間のファンドが「混入」すれば、せっかく創設したAMFが、あっという間に欧米のハゲタカやオイルマネーに牛耳られてしまうことが明白だからである。そのことに欧米は頭に来た。何度も繰り返して言うように、欧米にとっては、自分たちが創ったルールこそ“バイブル”だからである。その“秩序”に挑む癌細胞は、フセインであれ、カダフィであれ“排除”せねばならない。もちろん、AMFの最大の拠出国は、豊富な石油資源を抱えるリビアであるが、AMFをリビアの支配下に置くつもりがないことは、その本部をカメルーンの首都ヤウンデに置いたことからも読み取れるであろう。
AMFと並んで、アフリカの自主独立のためにカダフィ大佐が設立を目指したのは、「アフリカ中央銀行」の創設である。EUが結成された際にフランクフルトに設立された欧州中央銀行(ECB)が欧州の通貨統合に大きな役割を果たし、その結果、2002年から統一通貨「ユーロ」が導入されたことは記憶に新しい。日本に暮らすわれわれは、独立国家たるものその国の中央銀行が独自の貨幣を発行し、自律的に金融政策を執行するなんてことは当たり前の常識だと思っているが、それ自体に価値のある金貨や銀貨と異なって、なんの担保もない紙切れに図柄を印刷しただけのものが「紙幣」として流通するには、物品の譲渡やサービスの供与の対価としてその紙切れを受け取った者が皆、この紙切れを用いて自分も同様に誰かから物品の譲渡やサービスの供与を受けることができるであろうという“信用”の元に成立する「共同幻想」のシステムである。その共同幻想が成り立つためには、その通貨の発行母体(当該国)の“信用”が極めて重要である。因みに、世界で最初に「紙幣」を通貨として国内はもとより国際間の決済に使えるようにした国は、約800年前のモンゴル帝国である。モンゴル帝国の強大な軍事力が、人類史上初めて登場した紙幣にその信用を担保させたのである。膨大な財政赤字を抱えていつデフォルトするか判らない国や政情が不安定でいつクーデターが起こるか判らないような国の通貨を長期間手元に置いておきたいバカは居ない。そのような国の通貨は、当該国人(自国民)同士の支払い時にすら、自国通貨よりも外貨(ドル)での受け取りを望まれるケースが、社会主義時代の東欧諸国でもしばしば見られた。現在の欧州で言えば、もし、ギリシャがEUに加盟していなければ、とっくの昔に誰もギリシャ独自の通貨を受け取らなくなってしまっているだろう。しかし、大半のアフリカ諸国は、東欧諸国よりも遙かに国家としての安定度は低い。したがって、そのような国家が供する通貨を有り難がって受け取る人が居ない以上、それらの国々には、独自の紙幣を発行する甲斐性(能力)がない。
そこで、セネガル・マリ・コートジボアール・ニジェール等の西アフリカの旧フランス植民国や、チャド・カメルーン・赤道ギニア・コンゴ共和国等の中央アフリカの旧フランス植民地国では、西アフリカ諸国中央銀行あるいは中央アフリカ諸国中央銀行が発行するCFAフランなる共同通貨が流通している。為替レートは、かつては1フランスフラン=100CFAで固定されていたが、旧宗主国の通貨であるフランスフランが欧州統一通貨ユーロに移行したため、現在では1ユーロ=約650CFAフランである。因みに、このCFAは「Colonies Francaises d'Afrique (アフリカにおけるフランス植民地)」の略称であったが、現在では「Communaute´ Financie`re Africaine (アフリカ金融共同体)」と読み替えられている。しかし、この金融システムはわずか旧フランス植民地の12カ国でしか運用されていない上に、極めて「植民地主義」の臭いがするため、カダフィ大佐は、これに代わる全アフリカ54カ国が加盟するアフリカ中央銀行の創設を計画し、アフリカ統一通貨「アフロ」の導入を模索した。当然、このアフリカ中央銀行には、全アフリカの金融決済を担保するだけの信用を得るための基金が必要になるが、その大半をリビアが拠出したが、その本部はナイジェリアの首都アブジャに置かれたことからも、カダフィ大佐は、それをリビアの支配下に置こうとしたものではなかったことは明白である。
そして、カダフィ大佐の提唱した「金融の自主化三点セット」の最後が、アフリカ投資銀行である。この銀行の使命は、アフリカにおける各種の大規模開発プロジェクトに対して、当該国一国だけでは資金的に困難を生じるので、従来は、欧米の資本を導入してきたが、それをアフリカ各国が相互に資金提供をし合うことによって、その開発プロジェクトによってもたらされた富をアフリカ自身のものとするのが、その主なねらいである。このアフリカ投資銀行は、国内ですでに多くの油田開発が行われ、その結果もたらされた莫大な富によって、教育費や医療費の無償化を実現し、識字率や乳幼児死亡率を先進国並みに高めることが実証されたリビアをモデルに行うため、その本部がトリポリに置かれることになったが、これもまた、アフリカをリビアの支配下に置くことが目的でないことは一目瞭然である。これらの決定は、AU(アフリカ連合)の首脳会議によって公式に決定されたものである。
これらのアフリカにおける金融の自主化が、将来どれだけ多くの富をアフリカにもたらすかは計り知れないが、そのことは、19世紀以来継続されてきた欧米によるアフリカからの収奪――これらの中には、金やダイヤモンドやレアメタルといった地下資源だけでなく、奴隷という形で数百万人もの人間も収奪された――を終わらせることになるだけでなく、これからもたらされるであろう金融資本もアフリカ人の手に渡ることを意味し、いつも人権だの平和だの教育だのといった「きれいごと」ばかり主張してアフリカ支配を継続してきた欧米各国にとっては、見逃すことのできない「アフリカの謀反」であって、今回ばかりは、その首謀者であるカダフィ大佐を許すことができなかったというか、アフリカ諸国のレベルがそこまで上昇してきたということである。欧米にとって望ましいアフリカ像は、依然として18世紀以前の「暗黒大陸」としてのアフリカであることは言うまでもない。こういった視点から、今回の「カダフィ追放劇」を見れば、世界の現状がよりよく理解できるであろう。