この世には神も仏もありまして

12年4月8日



レルネット主幹 三宅善信

▼明治になってから始まった花祭り

  4月8日は、言わずと知れたお釈迦様の誕生日、すなわち、「灌仏会・降誕会・花祭り」などと呼ばれる仏教徒の祝祭日である。ところが、イエス・キリストの誕生日とされるクリスマスと比べると、あまり国民的イベントにはなっていない。日本国民の7〜8割は仏教徒であり、クリスチャンは1%にも満たないことから考えれば、不思議な現象である。何故、仏誕(Buddha’s Birthday)がかくも人気がないのかを考えるに、この4月8日という祝祭日の設定そのものに少し無理があるからである。まず、(現在、世界中で最も広範囲に使用されている)グレゴリオ暦の4月8日に仏誕を祝うのは、日本だけである。英語版Wikipediaで「Buddha’s Birthday」を検索しても、その日付の項目に、「East Asia except Japan」とわざわざ断って、「2011: May 10,  2012: May 28,  2013: May 17… 」と解説されている。つまり、日本以外の「仏教国」とされる東アジアの各国では、毎年「動く」仏誕日を祝祭日としているのである。

  何故そういうことが起きたかと言うと、釈迦(ゴータマ・シッダルタ BC463-BC383)が生まれたとされる日は、古代インドの陰暦の「第2月」に当たる「Vaisakha(ウエサカ)」の満月の日(15日)であったと伝承されているからである。この祝日が、中国を経て日本へ伝わる過程で、中国の陰暦(註:1カ月が29.3日からなる12朔望月と、1太陽年(365.25日)を太陽の黄道上の視位置によって24等分した二十四節気のズレを2〜3年に1回、閏月を設けることで調整)の4月8日に比定されて、それがそのまま日本の仏教にも導入されていたが、明治5年に旧暦(「天保暦」と呼ばれる太陽太陰暦)から新暦(グレゴリオ暦)に切り替わる際に、盂蘭盆会(お盆)などは、季節感を尊重して1カ月スライドして旧暦の7月15日を新暦の8月15日に置き換えたのに、灌仏会(仏誕)は、桜の花が満開の頃が良いということで、そのまま新暦の4月8日に比定された。以後、灌仏会のことを「花祭り」と呼ぶようになった。

  そういう意味で、4月8日が仏誕日であるというのは、日本だけの特殊事情であって、クリスマスのような国際的な広がりがない。実は、クリスマスも、現在ではほとんどの国ではグレゴリオ暦が使われているので12月25日であるが、神聖ローマ帝国でグレゴリオ暦が採用された1582年よりも以前には、クリスマスはユリウス暦の12月25日に行われていた。現在でも、教会暦にユリウス暦を使っているロシアやギリシャなどの東方正教会では、イエス・キリスト生誕から現在までの約2千年間のユリウス暦とグレゴリオ暦のズレ(13日間)によって、1月7日にクリスマスが行われているが、その意味で、東方正教会のクリスマスと日本の仏誕会は似ているかもしれない。

  その上、仏誕会を判りにくくしているのが、釈迦の人生にとって重要な三つの節目である「仏誕」と「涅槃(悟りを開くこと)」と「成道(入滅すること)」の日が、インドの暦では皆、「Vaisakhaの15日」ということになっているのである。「仏誕」と「涅槃」と「成道」という全く別の日が、カレンダー上で同じ日になる確率は、4,800万分の1しかないので、仏教が伝来する途中で、情報の錯綜が生じたか、あるいは、意図的な改変がなされたかであろう。という訳で、日本では仏誕会は4月8日に、涅槃会は2月16日に、成道会は12月8日に斎行されているところが多い。


▼イースターの日はなぜ毎年動く

  釈迦の次はキリストについてである。世界中のキリスト教徒にとって最も重要な祝祭日は、「イースター(復活祭)」である。日本では、クリスマスが国を挙げてのバカ騒ぎになるのに対して、イースターはその日どころか存在すら知らない人が大多数である。しかし、よくよく考えてみれば判ることであるが、どんな凡人にも誕生の日と死亡の日はあるが、「十字架で磔にされてから三日目に復活した(と信じる)」のはイエスだけであって、だから彼はキリストなのであるということを信じることがキリスト教徒の信仰告白なのだから、キリスト教徒にとって彼もしくは彼女をキリスト教徒たらしめているのは、イースター(復活祭)を祝うか祝わないかにかかっているとも言える。

  ところが、このイースターの日が怪しい。なにせ二千年も昔の中近東の話であるからある。イエスが活動したユダヤ人社会にも、バビロニア暦(陰暦)の影響を受けて成立したユダヤ暦(陰暦)があった。ナザレのイエスは、エルサレムのグルゴダの丘で磔刑にされたことは誰でも知っている。それ故、キリスト教徒は十字架をシンボルとしているのだ。当然、そのことを記録するためには「いつ・どこで・だれが」ということが必要になるが、この「いつ」の部分は、磔刑が行われたエルサレムで当時使われていたユダヤ暦の新年(ニサンの月)の出来事であった。バビロニア暦では「春分」が年初であったので、春分を含む月(グレゴリオ暦でいえば3月)の新月が月初(=元日)となる。ユダヤ暦も同じであった。「春が新年」ということ自体、農業文明地域では自然なことである。現代の日本でも、4月1日から新年度が始まるくらいだ。そして、ユダヤ人たちは、旧約聖書の『創世記』にあるように、神ヤハウエは「天地自然を5日間で創造し、6日目にアダムを創ってよしとされ、7日目に休まれた」ということで、現代のわれわれにまで伝わる「週七日」というカレンダーを創り出した。その7日目の日を「安息日(シャバット)」と呼び、現在のわれわれのカレンダーでは土曜日(註:厳密には、金曜日の日没直後から土曜日の日没まで)に当たる。もちろん、シャバットの期間中、ユダヤ教徒は火を使う(電気も含む)を使うことをはじめ、一切の労働をしてはならないことになっている。

  グルゴダの丘で磔刑にされたナザレのイエスは、マリアをはじめ関係者たちによって葬られたが、その三日後(三日目)に墓に行ってみると、その死体は見つからず、キリストとして復活した(ことになっている)。その日が、古代ユダヤ暦の「ニサンの月の15日(=満月)で日曜日」だったのである。つまり、グレゴリオ暦に換算すると、「春分以後の最初の満月の前日の後に来る最初の日曜日」ということになる。だから、もし、春分(閏年でないかぎり、たいてい3月20日)の翌々日が満月で、かつ日曜日だったら、復活祭は3月22日ということになり、逆に、春分の当日が満月で、かつ月曜日だったら、復活祭は4月24日ということなってしまう。つまり、復活祭イースターは約1カ月の幅をもって移動する祝祭日なのである(この判りにくさが、何よりも季節感を大事にする日本において、クリスマスと比べてイースターがポピュラーにならない原因でもある)

  ということは、今から二千年ほど前のことであるが、「キリストが復活した日」は、「満月(15日)でありかつ日曜日であった」ことになる。したがって、キリストが磔刑になったのは、そのあしかけ三日前、すなわち、13日の金曜日だったことになる。だから、欧米圏では「13日の金曜日」は縁起の悪い日となった。そこに、イエスが磔刑になる前日の「最後の晩餐」の際にも、裏切り者のユダを含めるとキリストの弟子が13人いたとかいう複数の迷信が集合してそういうことになった。因みに、大学2回生の娘に「なんで13日の金曜日は縁起が悪いか知っているか?」と聞いて驚いた。娘は「チェーンソーを持った男(ジェイソン)が猟奇殺人事件を次々と起こした日だから…」と真顔で答えた。1980年に封切られ、11作目までシリーズ化されたホラー映画『Friday the 13th(13日の金曜日)』ももはや都市伝説となった。このようなプロセスを経て、歴史は厚みを増して行くのであろう。もちろん、敬虔なキリスト教徒にとっては、イエスの受難日は大変大切な祈りの日である。


▼イースターと呼ばれるのは英・独語圏だけ

  先ほどから、私は「復活祭」のことを「イースター」となんの断りもなく記述しているが、実は、「イースター(Easter)」という語は、日本仏教において、「仏誕会」あるいは「灌仏会」のことを「花祭り」と呼ぶようになったと同様、本来、キリスト教とはなんの関係もない。原始キリスト教会(註:イエスの死後にエルサレム周辺で形成された弟子や関係者による小規模な信仰共同体)では、キリストの復活を祝う行事を、この時期にユダヤ人の間で広く行われていた「ペサハ(過越の祭り)」(註:その昔、エジプトで奴隷状態にあったユダヤ人がモーゼに導かれて脱出する際に起きたとされる数々の奇跡のひとつ。神ヤハウエが起こした伝染病でエジプト人が次々と倒れる中、家のドアに特殊な印を付けたユダヤ人だけが、その災厄を過ぎ越すことができたという故事に基づく祝祭。詳しくは、拙論『都市と伝染病と宗教の三角関係』を参照)と集合する形で行われた。よって、「復活祭」という言葉は、新約聖書で用いられている言語であるギリシャ語では「Π?σχα(パスハ)」と呼ばれ、現在でも、南欧東欧といったラテン語系(カトリック教会)やギリシャ語系・スラブ語系(正教会)の諸言語では、「パスカ」もしくは「パスハ」大祭と呼ばれている。

  ならば、何故、キリスト教国でもないこの日本で「復活祭」のことを「イースター」と呼ぶのか? それは、日本が英米語圏(から大きな影響を受けている)の国だからである。キリスト教は、4世紀にローマ帝国の国教となったが、その後、北欧のゲルマン民族へも拡がって行ったが、その際、キリスト教の「復活祭」は、ゲルマン神話の春の女神「エオストレ(Eostre)」の祝祭と重層化していったのである。それ故、ドイツ語圏では、「Ostern」と呼ばれるようになって、ゲルマン語系から派生したアングロ・サクソン語(=英語)では「Easter」となったのである。そのイースターが、今年(2012)年は、4月8日、つまり今日。そして、2013年には3月31日に、2014年には4月20日になるのである。つまり、4月8日に「灌仏会(花祭り)」が固定されている日本においては、釈迦の誕生日とキリストの復活日という二重のめでたい日は、約35年に1度しか巡ってこない佳節なのである。もちろん、クリスマスの場合と同様、現在でもユリウス暦を教会暦に用いている東方正教会では「パスハ大祭(復活祭)」の日程が異なることは言うまでもない。


▼願わくば花の下にて春死なん

  いずれにしても、今年の仏誕会とイースターは、各地で桜(ソメイヨシノ)が満開の中、また、見事な満月(厳密には十六夜月)の中、迎えることができた。古来、日本では、花(桜)と月は、和歌の重要なモチーフである。一般に、「桜は春」で「月は秋」の素材と考えられているが、ひとつの風情である「朧月(おぼろづき)」は春のモチーフである。文部省唱歌『朧月夜』でも、「菜の花畠に、入日薄れ、見わたす山の端、霞ふかし♪」と歌われている。因みに、春に月が霞んで見えるのは、気象学的には、この時期盛んに中国大陸から飛んでくる黄砂のせいである場合が多いが、そのような野暮は言わないことにする。要するに、日本人は、桜にしろ月にしろ、移ろいゆくものに自分の人生を被せて共感するのである。

  先ほど、「釈迦の人生にとって重要な三つの節目である「仏誕」と「涅槃」と「成道」の日が、インドの暦では皆、“ウエサカの15日”ということになっている」と書いたが、ここで、日本人の風情とウエサカとを見事に合わせた詠んだ和歌をひとつ紹介する。それは、平安末期から鎌倉初期に活躍した歌人の西行(俗名:佐藤義清、鳥羽院に北面の武士として仕えた)は、奥州から四国まで広く諸国を行脚したが、その辞世に、「ねかはくは はなのもとにて 春しなん そのきさらきの 望月の比」という歌が詠まれている。西行の没年月日は、文治6年2月16日ということで、確かに「如月(きさらぎ)の望月の頃(16日)」のことであるが、満月(厳密には十六夜月)は条件を満たしているとしても、「如月(2月)」で「花(桜)の下にて 春死なん」は無理がないだろうか? しかし、「文治6年2月16日」をグレゴリオ暦に換算してみると、なんと「1190年3月23日」ということになり、暖冬の年であれば、畿内でも十分に桜が咲いている時期といえよう。つまり、西行は、自らの死期に瀕して、花と月という和歌の二大要素を盛り込み、かつ、釈尊の入滅まで自分の死に被せて(つまり、「俺はただ者じゃないんだぞ」という宣言)までしたのである。今年の場合は、仏誕会と月見・花見が被さっているが、西行の場合は、成道会と月見・花見が被さるという構造を取っている。


▼「死」は『ひょっこりひょうたん島』の隠されたテーマ

  このように、「今年の4月8日は、ただの4月8日ではない」ということを縷々述べてきたが、キリストと釈迦が同時に登場するという意味で、もうひとつ紹介しておきたい話がある。なにしろ、今回の外題は『この世には神も仏もありまして』である。ただ、キリスト(神)と釈迦(仏)が登場しただけでは、まだ不十分である。そこで、さらに趣向を凝らして、私が子供の頃にテレビで視た『ひょっこりひょうたん島』という人形劇のエピソードをひとつ紹介しよう。もちろん、1964年から69年まで5年間にわたって1224回も続いた国民的ミュージカル人形劇『ひょっこりひょうたん島』については、何も私から紹介する必要もないであろう。今にして思えば、私は、私の小学生時代とほぼ重なるこの人形劇によって、他人との駆け引きや心の機微というものを学んだと思う。半世紀が経過した今でも、他人を類型化する際に、「あいつはドン・ガバチョのような奴」とか「サンデー先生のようなキャラ」というふうに無意識に類型化していることがある。

1話15分間の『ひょっこりひょうたん島』では、「漂流する島」であるひょうたん島が、ガバチョやトラヒゲやダンディーさんと5人の子供たちを乗せて、あちこちへ漂着し、その漂着先の住人たちとの間で、いろいろな問題が巻き起こされるというパターンで、その漂着先(場合によっては、『海賊シリーズ』のように、先方からひょうたん島に乗り込んでくることもある)毎に、数十話からなるシリーズで構成されている。中でも、私の印象に残っているのは、4人の奇妙な海賊たちが登場し、海賊キッドにまつわる宝探しをする『海賊シリーズ』と、海に浮かんでいたはずのひょうたん島が大砂漠の砂の上を漂流するという突拍子もない設定の『アラビアンナイトシリーズ』である。今回、紹介するのは『アラビアンナイトシリーズ』である。ひょうたん島が漂着した砂漠の中の国には、アル・カジル王という独裁者と死んだ一人娘のシエラザード姫(の幽霊)、それに4人の家臣(兵隊)が居るのであるが、このシリーズ全編を貫く主題は、子供向きの人形劇なのに、なんと「死」の問題なのである。

  登場した頃のアル・カジル王は、何百年も前にこの城にかけられて呪いのせいで夜も眠れない腹いせに、何か口をつくとすぐに「首を刎ねよ!」と命令する。お化けの国から来た火の玉は、子供たちに捕まり、調理のためのコンロや夜間の照明として一日中こき使われたことを悲観して入水自殺をしてしまう。また、人の良い王の家臣たちも、安月給では彼らが夢にまで見ていた世界一周旅行に一生行けないことを悲観して、豆腐の角に頭をぶつけて死んでしまう。さらに、国王にいのちの大切さを諭すために「死んだふり」をしたドン・ガバチョは、本物の幽霊の怒りに触れて死ななければならないことになってしまう。しかし、ガバチョは「死んだ」ことを逆手にとって、シエラザード姫の救出を計る。ここで説かれるのは、死者の世界と生者の世界はすぐ隣同士にあるということである。ガバチョが死んだことを嘆く子供たちを霊界から見たガバチョは、以下のような歌を詠む。「やれ嬉し ガバチョは死んでも 人気者 かたじけなさに 涙こぼるる」そして、いろいろあって、お化けの国との間で全面戦争が勃発する。独立主権国家たる『ひょっこりひょうたん島』では、結構、諸外国(海賊や魔女も含む)「戦争」が起こる。安っぽい「不戦の誓い」なんか説かない。実際に、戦争に巻き込まれる中で、平和の意味を問うのである。

  そして、『ひょっこりひょうたん島』における「戦争」は、一見、荒唐無稽に見えて、実はよく描かれている。おそらく、制作されたのが太平洋戦争から20年も経過していない時期だけに、制作サイドにも声優サイドにも軍隊生活の実体験がある人が大勢いたのであろう。しかし、その十年後に制作されたアニメ『宇宙戦艦ヤマト』では、砲やミサイル等を用いて「敵」と交戦する明らかな職業軍事組織であるにもかかわらず、不思議なことに、軍隊に付きものの「階級」がない。乗組員の間には、艦長・技術班長・通信士・機関士等の「職能」による区別はあるものの、大佐や少尉とかいった「階級」がなく、乗組員同士の敬語は、主に「長幼の序」によって間合いが計られている。しかし、「同期」の戦闘班長の古代進と航海班長の島大介は、お互いタメ口で会話しているのに、同じく同期の生活班長兼看護婦兼レーダー監視手の森雪は、古代進には「古代くん」と呼びかけているが、島大介には「島さん」と呼びかけるなど、表現にブレがみられる。その点、『ひょっこりひょうたん島』においては、たとえ「義勇軍」であっても、子供たちの間で臨時の「階級」が決められ、大人のドン・ガバチョやトラヒゲであっても、後から義勇軍に加わったということで三等兵として扱われ、上意下達の命令に従っている。


▼かたじけなさに涙こぼるる

  話を本題に戻すと、「お化けの国の使い」となり、アル・カジル王国とお化けの国の全面戦争の原因となったシエラザード姫を取り戻すため、ハカセ(「ハカセ」という名の天才少年)があらゆる古文書を読破した結果、「死んだ人を蘇らせる方法」を発見する。しかし、その方法というのが「ベツレヘム、ブッダガヤ、メッカという世界の三大聖地を一日で巡礼する」という途方もないことで諦めかけたが、「砂漠に贋の三大聖地を造って、それを一日で巡礼する」という奇策をガバチョが出し、トラヒゲが私財を投じて造ったテーマパークのような三大聖地――しかも、キリスト・釈迦・マホメットの役はみんなガバチョが扮装――の巡礼を、お化けたちの妨害をその都度排除しながらもなんとかし終えると、なんとシエラザード姫が生き返るのである。この時の三大聖地を巡礼中に一行が歩きながら絶えず歌うのが『モダン御詠歌』という歌である。その歌詞がふるってるので、紹介しよう。

贋ブッダガヤでガバチョ扮する釈迦に合うハカセ
贋ブッダガヤでガバチョ扮する釈迦に合うハカセ

「こーの世にはー神も仏もありましてぇッ。かたじけーなーさーに涙こぼるーるぅッ♪
なーにごとも神と仏のおぼーしーめしぃッ。かたじけーなーさーに涙こぼるーるぅッ♪
なーにごともこまった時の神だーのみぃッ。よろしーくおー願いいたしますのよぉッ♪
ひょっこりひょうたんじーまぁッ♪」

  この歌は日本人の宗教観というものをよく表している。すなわち、「神仏というものは、人間が作業仮説として設定したものであって、人間側の都合によって、それを如何ように利用してもよい。ただし、有り難い存在であるから、邪険に扱ってはいけない」ということである。本日の話の最初に、4月8日に因んで、仏誕(花祭り)とキリストの復活について述べたが、これらのストーリーも、また祝祭日の期日設定もご都合主義によって創られたものであるが、世界中の何億人という人々によって、現に敬われ、祝われている祝祭日なので、仇や疎かにしてはいけないという意味である。そういえば、西行も、伊勢の神宮に参詣した折、「なにごとの おわしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」と詠んだという。もちろん、西行ほどのインテリが神宮にどういう神が祀られているかどうか知らないはずはない。しかし、西行が感じた有り難さは、神宮のご正殿だけではなく、五十鈴川にかかる宇治橋からあの森のような神域を通って行く参道も含めて、総体としてのお伊勢さんであり、また、目の前に見える神宮だけでなく悠久の歴史も含めたお伊勢さんの圧倒的な存在感に触れて、その「かたじけなさ」に涙をこぼしたのである。

この「かたじけない」という日本語も、「もったいない」や「おかげさま」同様、外国語に翻訳しにくい日本語である。特に、昨年3月11日の東日本大震災を経た日本人としては、現に私が今、ここに、こうしてあるということのかたじけなさに涙をこぼしながら、今宵は、満月(十六夜月)と満開の桜を愛でようと思う。

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