私が金正恩なら4月12日に打ち上げた

12年4月12日



レルネット主幹 三宅善信

▼ミサイル防空は「年中無休24時間体制」で

  北朝鮮がその打ち上げを予告していた“人工衛星”光明星3号の発射期限(2012年4月12日から16日までの5日間の07:00〜12:00)の初日(4月12日)が過ぎたが、彼らは、まだそのロケット(銀河3号)を打ち上げなかった。おそらく、日本や韓国をはじめ周辺国を焦らそうという作戦だと思うが、結論から言って、それは戦略的に損をすることになると思う。今回は、「強勢大国の関門を開く」ために、北朝鮮が数年かけて準備してきた「金日成(キム・イルソン)主席生誕百周年」と、図らずも時期的に重なった三代目金正恩(キム・ジョンウン)氏の跡目相続イベントを分析してみようと思う。

  本論に入る前に、まず、論外の意見から取り上げよう。日本のマスコミ報道の中には「弾道ミサイルを発射するなら発射するで、さっさと発射してくれなきゃ、毎日朝から緊張してスタンバイしなければならないではないか…」というとんでもない意見を真顔で表明するバカもいる。本当に攻撃してくる時は、今回みたいに「発射予告」なんかしてくれない。そんなことをしたら、必ず、先制攻撃されてミサイルの発射基地を叩かれるからである。だから、通常ならミサイルは地下サイロに隠すか、潜水艦に搭載して何処に潜んでいるか判らなくするのである。ということは、仮想敵国の弾道ミサイルに攻撃に備えて、ミサイル防空体制なんか「年中無休24時間体制」で準備しておかなければならないのが常識である(例えば、アメリカはカナダと共同してNORAD:北アメリカ航空宇宙防衛司令部を設置して、24時間体制で、ミサイルや戦略爆撃機の発射、各種人工衛星の軌道の監視等を行っており、少しでも異変があれば大統領や首相にホットラインで連絡できるようになっている)

  北朝鮮や中国からの弾道ミサイルは発射後数分で日本まで届くのであるし、現に、日本列島を十分射程に納める何百という中国や北朝鮮の中距離弾道ミサイルが日本に向けられているのである。何も今回のような「テポドン騒ぎ」がなくても、国民の生命・財産を守るためにも、政府は日頃から緊張感をもって迎撃体制を敷いておくのが当たり前というものだ。日本全国に「年中無休24時間営業」のコンビニが数万店あって、現在でも、1カ月に数百店のペースで増殖していっているのであるから、その内、千店分くらいの人的資源をミサイル防衛システム構築に当てても良いと思うぐらいだ。

▼「第一書記」とは何か?

  前置きはこれぐらいにして、北朝鮮では、金日成主席の生誕百周年という国家的祝賀行事の幕開けとして、昨年末に死去した金正日(キム・ジョンイル)総書記の後継者である金正恩氏を「朝鮮労働党代表者会」の席において、最高指導者として「第一秘書」というポジションに就けた。因みに、日本のマスコミは、金正恩氏のために「創設された新しい地位」として、「第一書記」という言葉を当てているが、この用語法は二重の意味で間違えている。よく、全体主義国家の支配政党である共産党――国によっては、社会党・労働党・バース党・人民革命党等の独自の呼び名が付けられているが実態はほぼ同じ――の独裁者の政党内での役職(註:これらの国家では、議会や内閣といった正式の国家機関よりも、私的な存在である共産党のほうが上位の指導機関と見なされている)として、書記長や総書記という役職があるが、この役職のロシア語名(共産主義政党は、ロシアで最初に政権を奪取したので、共産主義に関する用語の多くはロシア語由来である)Генеральный секретарь」英語で言えば、「General Secretary」に当たる。この言葉を文字通り翻訳すれば、「総秘書」であり、事実、朝鮮語の表記(註:チョソングルはハングルやカナ同様「表音文字」であるが、その発音からして、その原語が「書記」ではなく「秘書」であることは明白)では、「総秘書」と呼ばれているのであるが、日本のマスコミは、共産主義国家の指導者の呼称として、旧ソ連時代の「書記長」や中国の「総書記」が定訳となっているので、それに合わせる形で朝鮮労働党「総書記」と呼んでいる。辞書を引間でもなく、「secretary」の第一義は「秘書」である。ただし、この「General Secretary (あるいは、Secretary General)」という役職は、国連の場合は「事務総長」と翻訳され、アメリカ合衆国の閣僚等の場合、たとえば「Secretary of States」を「国務長官」と翻訳しているので、政治的には、実に“幅”のある用語として注意しなければならない。

  次に、「第一書記という役職が、金正恩氏のために新設された」ということであるが、そもそも、旧共産主義諸国において、「第一書記」という役職は、かなり馴染みのある役職であった。モンゴル・ポーランド・東ドイツ・チェコスロバキアおよび、現役でも共産主義国家であるベトナム・キューバ各国の支配政党の党首は皆「第一書記」と呼ばれていた(いる)。これは、“本家”のソ連が、独裁者であったスターリンの死後、彼の「個人崇拝」を否定するために、ニキータ・フルシチョフが共産党のトップの役職を「書記長(Генеральный секретарь)」から「第一書記(Первый секретарь)」(=数ある書記の中の第一位の意)へと改めたことに由来している。ただし、たとえトップの役職を書記長(総書記)から第一書記に変更したからといって、そのことが「独裁」的傾向の減少を意味するものでないことは歴史が証明している。キューバの革命指導者のフィデル・カストロ国家評議会議長は、1965年から2011年までキューバ共産党中央委員会の第一書記の座にあった。因みに、現在、フランスの大統領選を現職のニコラ・サルコジと争っているフランソワ・オランドは、2008年まで、フランス社会党の「第一書記(Premier secre´taire)」に職にあったことからも、「第一書記」という役職自体は、必ずしも、共産主義国家の独裁者の役職ではないと言えよう。言いようによっては、古代ローマの皇帝の敬称のひとつとされた「Pr?nceps(第一人者)」も同意であり、日本の内閣総理大臣も英訳は「Prime Minister(第一大臣=首相)」であるから、統治機構における「第一」という呼称は、結構、普遍的な役職のひとつなのかも知れない。

▼独裁体制と儒教文化の親和性

  ともあれ、金正恩氏の本来の役職は「第一秘書」であるが、ここでは、読者の便を図ってわが国におけるマスコミ一般の表記である「第一書記」と呼ぶことにする。しかし、「金王朝」の三代目たる金正恩は、何故、父親である金正日の役職であった「総書記」を継承しなかったのか? もちろん、祖父である金日成は、いわば、宗教教団における「教祖」的存在であるから、「永遠の主席」という永久欠番をこれに付与することは理解できるが、二代目以降は、普通は同じ役職に就くのが通例である。本願寺教団でも、親鸞聖人は「宗祖」として、本尊である阿弥陀如来を祀った阿弥陀堂よりも大きな御影堂に御真影(木像)祀られているが、二代以降前代の門主に至るまで「歴代宗主」の御影は、その左右に絵像が祀られているだけである(註:浄土真宗の教学から言えば「祀る」という日本語は不適切であるが、一般の人々に解りやすいように、あえてこう表現した。また、第12代准如の時代に、本願寺は東(後の真宗大谷派)と西(後の浄土真宗本願寺派)に分立したが、ここでは西本願寺を例に論じたが、東本願寺も原理的には大差ない)。であるからして、金正恩は亡父金正日と同じ「総書記」の地位に就いても一向おかしくなかったはずである。ならば、何故、金正恩(を担ぐ勢力)は「第一書記」という役職を設けたのであろうか?

  韓国・朝鮮人は、われわれ日本人よりも遙かに儒教文化の影響を受けている。何事にも「現状維持」を以て旨とする儒教という思想体系は、漢帝国がその国家統治の基本理念に取り入れて以来、支配者にとって都合の良いシステムとして二千年間にわたって機能してきた。論語の『泰伯』篇にある「民は之に由(よ)らしむべし。之れを知らしむべからず」というイデオロギーは、皇帝による専制にも、また、共産党の独裁体制にとっても都合が良かった。だから、キリスト教文化を背景とした欧州圏で二十世紀末に崩壊してしまった共産主義独裁体制が、強力な儒教文化圏だった中国とその周辺国家において保存されてきたのである。近代欧米のような社会契約論に基づく個々人の集合体である市民社会とは異なり、価値判断の基準が「身内か他人か」である部族共同体の宗教である儒教にとって、最重要視される価値は「孝悌」であって「忠義」ではない。一党独裁の共産主義と儒教は親和性があるとも言える。共産党の「党」とはまさに「徒党」の党であるからである。しかも、その理念を、金日成→金正日→金正恩という「血」の論理で正当化しようとしているのだから、まさに儒教的論理はうってつけな訳である。ただ問題があるとすれば、金正恩は三男だということである。長兄(金正男)も次兄(金正哲)も居るので、それを飛び越えて金正恩が最高指導者の位に就く方法はないものかと…。

▼唐王朝の故事に倣って

  そこで、金正恩(を担ぐ勢力)は、こう考えた。「総書記」を「空官」にしようと…。読者の皆さんは「空官」という言葉をご存じであろうか? 国家の制度上存在する高位の官職ではあるが、その職に就いていた人が特別の事情でその位を離れた際に、後任者がその前任者と同じ官職を名のることが憚られるような場合に、その役職だけは存在するが空席にしておいて、その次席の役職をもって当該役職の代務とみなすという考え方である。一番有名な例は、唐帝国の二代皇帝となった太宗李世民は、父李淵(高祖)と共によく戦い、唐帝国の建国に大きな功績を挙げたが、世民と比べて功績の少なかった長兄李相哲建成が立太子され、一方、世民には「天策上将」などという訳の判らない称号が与えられたことに不満を持ち、兄と弟を暗殺(玄武門の変)し、父帝から譲位されて二代皇帝となった。その意味では、李世民は皇位を簒奪した訳ではあるが、その後は、外交内政によく勤め、後に「貞観の治」と言われる唐王朝の全盛時代を築いた。

  唐帝国はまた、儒教の徳治主義と法家の法治主義のバランスを巧くとった「律令」システムで国家統治を行い、中央政府には、皇帝の下に三省六部という官庁を置いた。三省とは、皇帝の意向をもとに法案を起草する中書省、法案を審査する門下省、そして、その法律を行政化(執行)する尚書省である。そして、その尚書省(内閣に相当)の下に、吏部・戸部・礼部・兵部・刑部・工部(省庁に相当)の六部が置かれた。李世民は、皇位に就く直前まで、この尚書省の長官である尚書令(総理大臣に相当)に任じられていたため、これを憚って、唐帝国が滅亡するまでの二百数十年間、尚書令の職は空席(形式上は、皇太子が就任した)となり、実際の尚書省の長官は、次官であった左右の僕射(実質的宰相)が務めることとなった。因みに、日本の官職の「唐名」として有名なのは、豊臣秀吉の「太閤(関白の唐名)」であり、徳川光圀の「黄門(中納言の唐名)」である。大坂冬の陣のきっかけとなった徳川幕府から豊臣家への因縁づけとしてでっち上げられた「方広寺鐘銘事件」では、一般には、「国家安康」・「君臣豊楽」という銘文の部分を「家康を分断し、豊臣を楽しむ」と解釈して難癖を付けたことが有名であるが、他にも、幕府の儒学者林羅山によって「右僕射源朝臣」という箇所――もちろん、本来の意味は「右大臣である源朝臣=徳川家康」という意味であることは林羅山は知っていながら――を、「徳川家康を射殺す」という意味だと無茶苦茶ないちゃもんを付けたことはあまり知られていないが、「右僕射」が右大臣の唐名であるあることは言うまでもない。

  北朝鮮の指導部の連中も、当然、李世民の故事を知っているので、唐王朝二代皇帝李世民における「尚書令」のように、北朝鮮金王朝の二代目金正日の「総書記」を空官にしたものと思われる。これには、また、別の「保険」的意味も付与できうる。何故なら、「永遠の主席」たる国父金日成――唐王朝で例えるなら「高祖」李淵――以外に、二代目の金正日を「永遠の総書記」――唐王朝で例えるなら「太宗」李世民――と位置づけることによって、三代目以後を「特別な人」であると位置づけなくて済むという論理である。もちろん、金正雲体制が巧く機能している間は、「第一書記という特別な役職は、軍事の天才金正雲将軍様独自のもの」ということにしておきながら、金正雲体制に不都合が起きると、一応は、「天寿を全うした」初代・二代とは異なる「苦労知らずの暗愚な三代目」として、四代目を継承する人物がこれを仕分けることが可能になる便利な方法(=保険)なのでもある。そして、おそらく二十代後半という若さでトップの地位に就いてしまった金正雲第一書記が、「天寿を全うできる」と思っている人は、北朝鮮指導部の中にも一人も居ないであろう。ということは、最期は、あらゆる「巧く行かなかったことの責任」を彼が全部おっ被されて殺されるということを意味する。四代目を継承する人物は、その人物が金正雲の身内――例えば、長兄の金正男(キム・ジョンナム)や義叔父の張成沢(チャン・ソンテク)――であったとしても、あるいは全くの他人であったとしても、決して「四代目」とは言わずに、「新たな体制の初代」と名乗ることになるであろう。

▼ヴォストーク1号の衝撃

  このように、政治に携わる者は、否応なしに「将来の歴史」に責任を負うことになるので、必ず「歴史的な見方」というものを身につけておかなければならない。ドイツ帝国の「鉄血宰相」と呼ばれ、欧州の田舎者であったドイツを列強の地位にまで引き上げたビスマルクは「愚者は経験に学ぶが、賢者は歴史に学ぶ」(註:厳密には「愚者は、自分の経験によって判断するが、私はむしろ他人の経験を尊重する」)と言ったが、まさにそのとおりである。さすれば、今回の北朝鮮による「人工衛星(弾道ミサイル)の発射予告」は、どのようにすれば良かったのであろうか? 4月12日から16日まで行われる「金日成主席生誕百周年」記念事業の“祝砲”として、人工衛星「光明星3号」を打ち上げたいのであれば、今日4 月12日をおいて他に打ち上げるべき日はなかったのである。それを、今日4 月12日に打ち上げなかったということは、たとえ明日以後に打ち上げに成功しようと失敗しようと、北朝鮮当局がこれを「人工衛星」と言い張るつもりであるなら、歴史的にはもう今、この時点で「負けている」のである。何故だか説明しよう。

  皆さんは、そもそも人類の宇宙開発の歴史にとって、4 月12日という日が、何を意味する特別な日であることをご存じであろうか? 4月12日という日は、1961 年、人類初の宇宙飛行士となったソ連のユーリ・ガガーリン少佐(註:飛行中に中尉から少佐に昇進)が、宇宙船ヴォストーク1号に乗って、たったの2時間弱という短い時間であるが地球を周回し、「地球は青かった」という名文句を残した記念すべき日である。因みに、日本ではあまり知られていないが、ガガーリンは「私はまわりを見渡したが、神は見当たらなかった」とも言った。無神論の共産主義国家の宇宙飛行士としては、優等生的発言である。当時、米ソ両超大国は「冷戦」の真っ最中であり、有人宇宙船を含む人工衛星の開発技術が大陸間弾道ミサイルの開発技術と直結していることは誰でも知っていたし、ソ連による有人宇宙船技術の先行がアメリカはもとより西側諸国の安全保障に致命的な痛手をもたらすものであることが明白であったにもかかわらず、ガガーリンの宇宙飛行は、ソ連社会主義圏だけではなく、激しく敵対していた欧米や日本においても賞賛の嵐を巻き起こし、世界各国を巡回したガガーリンは、国家体制の如何を問わず「人類の英雄」として歓迎された。

  このことひとつだけでも、人類の宇宙開発の歴史における4月12日の特別性は十分であるが、実は、この日付は、その後のアメリカの宇宙開発にも見えないプレッシャーを与え続けた。米ソ両超大国間の宇宙開発の歴史は、一般には、最初の人工衛星スプートニク1号の地球周回軌道投入成功(1957年)や有人宇宙船ヴォストーク1号(1961年)の成功によってソ連がリードした(註:人工衛星で先を越されたアメリカは、この翌年、慌ててNASAを設立した)が、そのことによって危機を抱いたジョン・F・ケネディ大統領の「われわれは十年以内に人間を月に送る」という国家プロジェクトが実現した1969年のアポロ宇宙船による「人類初の月面着陸」によって、最終的にはアメリカが勝利したと思われているが、果たしてそうは簡単に言い切れないことは、その後の宇宙開発の歴史を見ても明らかである。

▼4月12日は「宇宙開発の日」

  「別の天体」である月への人類の到達という偉業の次の目標となったのは、地球周回軌道への長期滞在(いわゆる「宇宙ステーション」の開発)であるが、これに先鞭を付けたのも、ソ連の宇宙船ミールである。そして、もうひとつの目標となったのは、従来は一回ごとに「使い捨て」であった宇宙船を何度も再利用して、地上と地球周回軌道間を何度も往復させる「シャトル」の開発であり、この技術はアメリカのスペースシャトルによって実現された。実は、ソ連も独自のシャトルであるブランを開発したが、ソ連崩壊の煽りを受けた経済困窮によって、打ち上げはお蔵入りとなった。しかし、このスペースシャトルも、当初の計画では、数機を同時に運用して、(高価な宇宙船本体が「使い捨て」でないため、比較的安価に運用できるから)ひと月に2回程度(年間25回程度)打ち上げを実施(=20年間で500回程度打ち上げ)することになっていたスペースシャトル計画は、相次ぐ事故と複雑すぎるシステムのメンテナンス費用の高騰によって、目標の打ち上げ数の十分の一も運用しない内に、2011年遂に退役してしまった現在、地球周回軌道を飛び続ける国際宇宙ステーション(ISS)への人間の送迎はロシアの「成熟された技術」であるソユーズ宇宙船によって独占され、また、補給用物資の運搬は、一般にはあまり知られていないが、日本の巨大ロケットH-IIB(註:H-IIBの積載可能トン数は、16.5tとスペースシャトルと同規模を誇る)が専ら担当しているのである。つまり、米露間の宇宙開発競争の決着はまだついていないのである。

  このように、アメリカがソ連による有人宇宙船ヴォストークの成功を如何に意識して、これに対抗しようとしていたかは、人類初の宇宙往復ロケットとなったスペースシャトルの初号機(註:厳密には、コロンビア号に先立って、滑空実験をするための原寸大のプロトタイプである「エンタープライズ号」が作られたが、この機体は、ジャンボジェットの背中に乗せて、高々度まで上昇して切り離されて、地上に生還するものであったが、宇宙へ飛ぶための機体ではないので、敢えて「初号機」の栄誉はコロンビアに与えたい)であるコロンビア(註:「コロンビア」はアメリカの雅号であり、日本人が日本最大の戦艦に、日本の雅号である「大和」と命名したのと同じ感覚)を初めて打ち上げたのが、何を隠そう1981年の4月12日のことであった。それだけアメリカにとってソ連による有人宇宙船ヴォストークの成功は大きな出来事であったのである。因みに、4月12日は、「世界宇宙飛行の日」に定められている。ここまで書けば、何故、私が「北朝鮮は4 月12日に打ち上げを実施しなければならなかった」かと主張している意味がお解りであろう。北朝鮮が“人工衛星”光明星3号を搭載した銀河3号の発射を「平和目的の人工衛星だ」と、国際社会に主張するためには、4 月12日が最も効果的な日だったからである。ソ連やアメリカがそうであったように、どっちみち、人工衛星と弾道ミサイルとは同じ技術なのだから…。もし、「賢者」であろうとするのであれば、人は自分の経験からではなく、歴史から学ばなければならないからである。

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