レルネット主幹 三宅善信
▼オリンピックを変えた三つのオリンピック
2013年9月8日早朝(日本時間)、ブエノスアイレスで開催されていたIOC総会において、2020年の夏期オリンピックならびにパラリンピックの開催都市が、韓国や中国からの執拗な妨害にもかかわらず、イスタンブールとマドリッドを押さえて東京に決定したことは、久しぶりの「明るい話題」で早朝から日本中が盛り上がった。早速、都市インフラの整備や関連グッズの販売などの経済波及効果なんぞといった細事に算盤を弾いている連中がいるが、私はそんなことは屁とも思っていない。たしかに、半世紀前(1964年)の日本は、東京オリンピックに合わせて、新幹線もできたし高速道路も開通し、日本の大都市の姿を一変させた。しかし、現在の日本のような経済的に成熟した先進国におけるオリンピックの意味は、2008年の北京五輪のごとき新興国のようなオリンピックであってはならないことは言うまでもない。
近代オリンピック117年の歴史の間に、これまで30回の夏季五輪大会(以後、特に断らない場合は「夏季五輪」を指す)が開催されたが、私から言わせると、これらの各大会の内、それまでのオリンピック大会のあり方を根本から激変させ、なおかつ、そのオリンピック大会によって新たにもたらされた方法が今なお継承されている「転換点となった大会」は、たった三回しかない。一つ目は、1936年に開催されたベルリン五輪である。二つ目は、1964年に開催された東京五輪である。そして、三つ目が1984年に開催されたロサンゼルス五輪である。
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ベルリン五輪の聖火入場の場面と、衛星中継された東京五輪の開会式 |
第二次大戦後の世界は、アドルフ・ヒトラーの業績を悉く否定してきたが、誰もが「オリンピックには欠かせないもの」思っている聖火リレーと開会式のクライマックスとしての聖火台への点火という演出は、ナチの国威宣揚のために、あのヒトラーがベルリンオリンピックのために考案した演出である。今なお、多くの民族の手を経て五輪開催地までリレーされてきた聖火の点火は開会式最大の演出である。二つ目は、東京オリンピックにおける人工衛星を利用した世界同時中継の導入である。人類史上にこれまで存在しなかった「何十億人もの人々が同時に同じ画面を視る」というこのイベントを通じて、「人類としての一体感」を人々に植え付けた。もちろん、それ以後のオリンピックは、テレビというものを抜きにしては考えられなくなったどころか、「テレビに写り映えのしない競技の廃止」とか「テレビの放送時間内に収まるように競技ルールを変更させる」などと、今では、テレビの存在が大きすぎるぐらい悪影響を与えている。そして、三番目が、「オリンピックは商業的儲かるものである」という方程式を確立したロサンゼルス五輪である。それ以前のオリンピックは、どちらかというと多額の財政支出をもたらすものという認識があったので、実質的には経済力にゆとりのある都市しか開催できなかったが、ロス以後は、開催希望都市間の誘致合戦がより激しくなった。
▼人類文明を変えるオリンピックに…
だから、2020年の東京オリンピックは、これら3回の「偉大なる大会」のように、従来のオリンピックのあり方を根底から変換し、かつ、五十年後のオリンピックのあり方にまで影響を与えるような大会にしなければ開催する意味がない。例えば、紛争地域の人々を大量に招待し、彼らの目の前で、皮膚の色や話す言葉や信じる宗教は違っても「人類はこうして一緒にひとつのことがなせる」ということを実演してみせるというのもひとつの方法である。
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トイレや非常口やレストランなど、一目で判るピクトグラム |
1964年の東京オリンピックは、「世界中の何十億人の人々が同時に同じテレビ画面を視る」という現象をもたらし、そのことが「人類としての一体感をリアリティあるものにした」と述べた。しかし、そのことは、たまたま1964年に衛星を使ったテレビの中継放送が可能になった(註:最初の衛星TV中継は、1963年に起きたJ・F・ケネディ大統領の暗殺事件の一報)だけで、日本人の貢献ではないではないという人がいると思う(註:実は、ブラウン管を使うテレビの技術そのものは、1926年(大正15年)末に日本人の高柳健次郎が発明したことはあまり知られていないが…)ので、東京オリンピックで初めて導入され、これこそ人類文明に対する日本人の偉大な貢献というものをひとつ紹介しよう。
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種目別の競技会場が一目で判るピクトグラム |
それは、東京オリンピックのために日本人が考案し、その後のオリンピックのような国際イベントはいうに及ばず、世界中のあらゆる公共スペースで使われるようになった「ピクトグラム(pictogram)」というアイデアである。ピクトグラムは、東京オリンピックのために大量に来日する日本語を理解できない外国人と、外国語の苦手な日本人との間でコミュニケーションが容易く取れるようにするための「世界共通記号」の発明である。非常口の方向の指示やトイレの男女の区別など、たとえその国の文字が理解できなくても「一目で識別できる」それらの記号を知らない人はいないであろう。もちろん、オリンピックの各競技の会場の位置を知らせるための競技別ピクトグラムも発明された。これらは皆、日本人が発明したものであるが、日本人には、千年以上も前から漢字という象形文字から、ひらがなやカタカナという記号を創り出したという伝統がある。
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画面をクリックするだけで様々な操作ができるアイコン |
その後、ピクトグラムの考え方は、現実の世界における「案内表示」だけでなく、東方正教会の聖画と同じ「アイコン(icon)」という名称で、パーソナルコンピュータの世界に取り込まれ、パソコンができる以前の時代には、BASICやCOBOLやFORTRANと言った難しいプログラム言語を理解している人(=システムエンジニア)しか触れなかったコンピュータという代物を、「誰もが使える家電」に変えるのに、パソコンの普及に大いに貢献した実績を疑う者は誰もいないであろう。このアイコンというピクトグラムは、小さな画面に大量の情報を詰め込まなければならない携帯電話やスマホのトップ画面でも広く採用されるようになった。そして、このトップ画面のアイコンの配列は、明らかに、「金剛界曼荼羅」のアイデアを借用している。これまた千年以上も昔に、一言で表現することが難しい密教世界をより解りやすく説明するために空海が導入した方法である。このように、現在、世界中に遍く存在しているこのアイコンもピクトグラムも、1964年の東京オリンピックがなければ、発明されなかったかもしれないのである。
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スマホのトップ画面は曼荼羅世界と同じ理念 |
▼でも、国民的歌手が不在…
このように、私に言わせていただければ、2020年に開催される東京オリンピックが「成功した」と言えるかどうかは、「人類文明を変えることができたかどうか」という一点に尽きるが、そのような希有壮大は話以外にも、もうひとつ、今後の日本社会のあり方を考える上でのヒントだけを紹介しておこう。2020年のオリンピック開催都市が東京に決まって、国中を挙げてお祝いムードに包まれている中で、私はひとつの問題提起をしたい。それは、2020年の東京オリンピックのシンボル曲を歌う国民的歌手が、残念ながら現在の日本には不在であるということである。
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「国民的歌手」と言えば三波春生 |
半世紀前なら、この手の歌とくれば「三波春生」と相場が決まっていた。『東京五輪音頭』しかり、大阪万博の『世界の国からこんにちは』しかりである。老若男女誰でも唱うことができた。半世紀を経過した現在でも、幼少の頃に聞いたこれらの歌を私は口ずさむことができる。考えてみれば、もの凄い影響力である。しかし、2020年の東京オリンピックのシンボル曲を歌える国民的歌手が、残念ながら現在の日本には不在である。いわば、国民の過半数が「この人なら…」と同意するような歌手という意味で、である。もちろん、現在の日本にもミリオンセラー連発のAKB48もいれば、三波春生のど派手さだけを継承するのであれば、きゃりーぱみゅぱみゅでも構わない。でも、果たして、彼女たちが7年後の2020年の時点でもトップアイドルでいられるかどうか? と問えば、答えは「ノー」であろう。ましてや、50年後の日本歌謡界においてもレジェンドの地位を保ち続けている国民的歌手なんて、おそらくもう現れないであろう。このように、オリンピックとは、実に多くのことを考えさせてくれる課題なのである。