六十而耳従?

18年7月27日



レルネット主幹 三宅善信

▼半分にしても富士山より高いエベレスト

本日で恙なく満60歳の還暦を迎えた。ちょうど20年前の今日、私はエッセイ集「主幹の主観」コーナーで『四十にして惑わず? 林住期に突入』を執筆した。その十年後(10年前)には、『五十而知天命?』を上梓した。公式ウェブサイト「レルネット」を開設して20年、通算ヒット数は66万件を超えたから、毎年、のべ33,000人が拙文を読んでくださっていることになる。ただし、ここ数年は、ネット上での意見表明の「主戦場」を、より速くアップでき、読者との双方向性が確保されるFacebookに移したので、かつてのような頻繁な更新を期待しておられる「主幹の主観」ファンの皆様には、ご迷惑をおかけしていることをまずお詫びしたい。

20年前、私は『四十にして惑わず? 林住期に突入』において、「人間の能力40歳ピーク説」(下図参照)を展開したが、それから20年を経過して、「今でもそのように思うか?」と問われたら、やはり「Yes」と答えるであろう。というか、より確信を込めて、「私が予言したとおりであった」と振り返るであろう。特に、ここ数年間の「脳力」の減退には、われながら恐ろしいものがある。まさに『中臣大祓』で言うところに「高山の末、短山(ひきやま)の末より、佐久那太理(さくなだり)に落ち多岐(たぎ)つ…」という急降下状態である。しかしながら、元々、到達している領域(ピーク値)がとてつもなく高いから、たとえ半減していたとしても、それでも「常人よりも上」なので、客観的には判りにくいであろうが、自分自身としては、かなりショックを受けている。たとえて言えば、標高8,848mのエベレスト山は「たとえ半分の高さ」になったとしても、「富士山(3,776m)より高い」というようなものである…(笑)。

年齢別総合能力比較
年齢別総合能力比較

一切を越えた境地である「遊行期」

古代インドの思想に、人生の「四住期」というものがある。すなわち、最初は、一人前になるためにいろいろと学ぶ期間である「学生(がくしょう)期」。次に、一家の主として妻子を養い、社会的な仕事をなす期間である「家住(かじゅう)期」。それから(ここからが、きわめてインド的なのであるが)、出家して精神的な修行生活に入る「林住(りんじゅう)期」。そして最後に、それら一切を越えた境地である「遊行(ゆぎょう)期」の、人生における4つの節目である。この考え方から言っても、もし人生を80年とすると、だいたい20歳頃までが学生期、40歳頃までが家住期、60歳頃までが林住期、そこから先が遊行期ということになろう。私は、その考え方に沿って、過去20年間を「林住期」として、それより以前の家政(妻子を養う)に重きを置いた「家住期」とは打って変わって、世の中のために正論を発信することに重きを置いて、現実社会に限らずネット世界においても大いに力を注いできた。おかげで、本来の主戦場である宗教界以外でも、社会的にもいろんな役職に就いて、それなりの扱いを受けるようになってきた。

そして、いよいよそれら一切の執着を越えた境地である「遊行期」に突入である。この極めてインド的な「遊行期」というのは、ひとことで言えば「惚け老人になってあちこち迷惑を掛けまくって徘徊する」という意味である。儒教的人生観で言うところの「六十而耳従」とは、「60歳になったら、たとえ耳にどんな話が聞こえても動揺したり、腹が立つことはなくなった」という人間としての「完成の境地」を説いたものであろうが、それは人間の洞察として完全なものとは言えない。何故なら、その十年後の「七十にして心の欲する所に従いて矩(のり)を踰えず」という、いわば「70歳になると、自分が行うすべての行動は、意識せずとも道徳の規範から外れることはなくなった」という境地自体が、いわば、「惚けて他人様に迷惑を掛けまくっている」ということすら解らなくなっているということと密接に関連しているからである。『中臣大祓』で言うところの「根国(ねのくに)底国(そこのくに)に坐(ま)す速佐須良比賣(はやさすらひめ)と言ふ神持ち佐須良(さすら)ひ失ひてむ…」という境地である…。アルツハイマー病は、第三者的にそれが顕在化する10年以上前から、脳内のアミロイドβの蓄積等の予兆が始まってしまっているからである。

▼口に従う…

私は、満60歳の還暦を迎える7月27日の朝06:30に、米国の首都ワシントンDCで開催されるRe-imagining Interfaith Conference (RIC)という国際会議を事実上運営するために大阪を離れる。還ってくるのは、比叡山宗教サミット記念世界平和祈りの集いが開催される前日の8月3日の夜である。比叡山宗教サミットに続いて、広島入りして8月6日の慰霊諸行事にも参加する。60歳にしてなお圧倒的な仕事量をこなし、長年にわたる経験と、ピーク時と比べれば半減したとは言え、富士山よりもはるかに高いエベレストのような思考能力のもとに、いろんな団体の運営に対していろいろと総合的に判断して指示を出してあげているのに、それに対して「楯突く」アホな連中が世界中にはごまんと居る。その連中のすべての知識を合計しても、私の1/10にも満たないであろうに、そのアホさ故に、自らがアホであることすら解らないのである…。

私が遊行期を迎える最初の還暦の日に、これらの人々を相手にするために、わざわざワシントンDCまで出かけなければならなくなったということは、この後20年の私の人生を暗示しているようなものである。「耳に従わ」なければならないのは、彼らのほうである。私は声を大にして言いたい。「オレの話を聴け!」と…。そのことが、ひいては人類の進歩と調和に繋がることは目に見えているのだから…。良いことと言えば、時差の関係で、日本とアメリカで2回還暦の誕生日を祝えることぐらいである。

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