レルネット主幹 三宅善信 ▼渦中の人、明石康氏からの手紙 昨日、東京都知事選で「渦中の人」になった明石康氏から、私宛に一通の手紙が届いた。差し障りのない部分を紹介すると、「(前略)大阪の国連協会午餐会では、久しぶりにお会いでき、大変幸いでした。イギリス御出張は成果が色々と挙がった様子ですね。お芽出とうございます。(中略)"物"や"経済"もさることながら、"心"や"質"が問われる昨今ですが、革新的な宗教指導者への期待大なるものがあります。どうか一層御自愛の上、活動範囲を深化・拡大されんことを切に祈ります。(後略)」という内容である。 祖父(三宅歳雄)と明石康氏とは、氏が国連に入られてまだ間もない頃からの長いお付き合いだ。そんな関係もあり、40年間務められた国連を辞された明石氏は、昨春、大阪の拙宅にご挨拶に来られ、その際、食事を挟んで、数時間お話する機会があった。また、11月には国連協会の午餐会で再びご一緒する機会があった。手紙には、その後の私の英国への出張(ロンドン大学日本宗教研究所ならびにIAFR執行理事会への出席)について触れられている。 私はここで、明石氏の都知事という行政特別職への適性を云々するつもりはない。しかし、氏が40年にわたる国連での経験で得られたことのひとつに、国際政治という一見「国益と国益のみがぶつかり合う場である」と多くの日本人が考えている問題が、それほど単純でないということを身をもって体験されてきたということだ。そのひとつに「宗教と民族」の問題がある。明石氏が国連事務総長特別代表として活躍されたカンボジアやボスニア・ヘルツェゴビナの国連暫定統治機構での仕事においても、ほとんどはこの問題に取り組まれたのだ。そこで、「"物"や"経済"もさることながら、"心"や"質"が問われる昨今ですが、革新的な宗教指導者への期待大なるものがあります」という内容が記されることになる。 日本人(政府も)は、国際世界を構成する基本単位としては、19世紀にヨーロッパで確立した国民国家による独立主権国家のみを考えがちであるが――「国際連合=United Nations」という名称からしてそうだ――実は、それ以外にいろいろな構成単位があることにあまり気づいていない。せいぜい20世紀の後半になって強大な経済的影響力を持つようになった「多国籍企業」や、環境・人権・平和などの関心別の市民運動を基にした「NGO(非政府機関)」くらいのものだ。 しかし、国連ができる何百年も前から、地球上に広く分布し、諸国家の政治的決定以外の意志で動いていた「超」国家的な組織があった。それが宗教である。500年も前(戦国時代)にはるばる日本まで来ていたイエズス会の宣教師たちは、日本(統一国家すら形成されていなかった)の政治状況や諸文化についての詳細な報告文を、インドのゴアにある同会の東洋本部を通じてカトリック教会の総本山ローマへ送り、いちいち教皇の指示を受けていた。現在でも、数十カ国の加盟国を有する世界イスラム連盟などは国際社会の有力な構成単位である。このあたりの詳しい分析については、先日、英文で上梓した『Dialogue or Encounter』をお読みいただければお解りだと思う。 ▼国土なき民族 外敵によって国土を蹂躙された歴史を持たない日本人は、被征服民族の悲嘆も理解できなければ、ましてや、長い間、国家というものを持たない(持てない)民族が存在することなど、想像すらつかないだろう。ユダヤ人は、紀元1世紀にローマ帝国によって国を滅ぼされて以来、20世紀の中頃(1948年)にイスラエルを建国するまで、1900年の長きにわたって、主に欧州各地で辛酸を舐めながら生き延びてきた。さらに、3000年位前にはエジプトで奴隷にされ(モーゼの「出エジプト」)、2500年位前にはカルディアに連れ去られ(「バビロン補囚」)、それらの体験が旧約聖書の物語として現在に伝わっている。現在でも、イスラエル本国に住むユダヤ人よりも、ニューヨークに住んでいるユダヤ人の人口のほうが多いと言われている。 また、現在、トルコとの間で緊張関係が強まっているクルド人などもそうだ。第一次世界大戦の戦後処理によって、欧米列強の都合で中東地域に勝手に国境線が引かれた結果、クルディスタン山岳地帯に住んでいた千数百万人のクルド人は、トルコ・イラク・イラン・シリア・カフカス(旧ソ連)の5カ国に分割された。いずれの国でも少数派としていじめられてきた。湾岸戦争時にイラク国内の反政府勢力としてフセイン政権によって毒ガス攻撃をされたのもクルド人だ。この手の少数民族問題は旧ユーゴ地域をはじめ世界中各地にあり、冷戦後の国際秩序の最も大きい不安定要因になっている。 これらのことが、明石康氏の宗教重視路線であって、決して巷間噂されているような特定の宗教団体との蜜月関係というわけではない。さもなくば、都知事選挙出馬で多忙を極めているこの時期に、選挙権のある東京都民でもなければ、会員の投票行動に大きな影響力を与えるという巨大教団の指導者でもない私に、わざわざこのような手紙をよこすはずもない。それにしても、東京都民はまだ幸せである。それぞれに、バックグラウンドや個性の異なる数人の有力候補が知事選を争うのであるから、選び甲斐があろうというものだ。わが大阪などは、庶民に人気のある現職タレント知事に挑戦するのは全て、名前も聞いたことのない(どういう政策をしようとするのか想像もできない)泡沫候補ばかりで、860万府民が今後4年間の府政を託すことになる首長を選ぶ権利が実質的に疎外されていると言っても過言ではない。 ▼国土(country)・国民(nation)・統治機構(state) ここで、「今回のタイトル(『自・公・民・共?』)の意味が判った。都知事選の分析や」と思うのは、早とちりである。私が言いたい「自・公・民・共」とは、自民・公明・民主・共産という有力政党のことではない。「公共の場とは何か?」ということを考えているのである。近代国民国家成立(日本の場合だと明治維新)「以前の公共性」と「以後の公共性」とでは、明らかに意味が異なるということである。近代以後、「公共」=「官」という意味で捉えられてきた。国民皆兵しかり、義務教育しかり、政府が定めた(官制の)マニュアルに従って、「国家」の構成員である「国民」は、皆悉くその網に絡め取られてしまっている。 大陸から切り離された島国で、ほとんど「単一民族」国家といえるわが国においては、「国土」を意味するcountryと、「国民」を意味するnationと、「統治機構」を意味するstateの3要素が、ほとんど重なり合ってきたため、その統合体である「国家」というものをほとんど意識することすらなかった。アメリカ合衆国のごとき、極めて人為的に建国された国家は、これらの3要素がバラバラになってしまわないように、常に強力な統合原理が必要である。このことは、第二次世界大戦後人為的に建国されたユーゴスラビアが、強力な統合原理のひとつであった社会主義体制崩壊によって、際限のないモザイク国家になってしまったことを見るまでもなく明らかだ。90年代に旧ソ連や旧ユーゴで起きたことが、21世紀にアメリカや中国で起きないと誰が明言できるであろうか。 「自然発生的国家」に暮らすが故に、日頃、「人為的国家」の統合原理というものを意識していない日本人も、長い歴史の間には、これを垣間見る瞬間が何回かあった。例えば、東は朝鮮半島から西はポーランドまで、史上最大の版図を誇ったモンゴル帝国が日本に襲来した1274年の「文永の役」と1281年の「弘安の役」(いをゆる「元寇」)の際の鎌倉幕府の対応や、日蓮聖人による『立正安国論』の執筆は、「神国日本」という統合原理を創り出した。日蓮は、明らかに国土・国民・統治機構という国家の3要素を意識して同書を著している。また、朝鮮半島・台湾・南洋諸島などを版図に拡大した20世紀前半の大日本帝国も(諸民族を「日本人」にしてしまう無理を埋め合わせるため)強力な天皇制の下、人為的な「神国日本」という統合原理を必要とした。そして、大日本帝国の崩壊した1945年以後も、今度は「経済第一主義」という新たな統合原理を創り出して、これを諸価値を測るスケールにしてきた。 ▼官制の「公的」空間と民間の「共同」空間 しかしながら、これらは長い日本の歴史の中ではどちらかというと「例外的な時代」であって、一般的に日本人は「国家」というものを意識せずに生活してきた。近代以前の日本人にとって、自分の居場所は儀礼・習慣を共有する共同体(ムラ)であり、これを「世間」と呼んだ。そこには、共有空間としての鎮守の杜やお寺というものが機能していた。これらの聖なる空間は、近代の法体制の下、公益法人のひとつである「宗教法人」が管理する境内や礼拝施設という世俗的な価値体系によって規定された対象物に貶められてしまった。そして、それらの聖なる空間は、工場や会社と同じ「私」有地のひとつとなり、官制の「公」園や「公」民館などが公共施設となって、公的管理の下、市民の憩いの場して提供された。 私有地(宗教法人の所有物)となった神社仏閣は、バブル期の大都市では、「土地の利用効率が低い」という理由でどんどんと処分(マンション等に建て替えられた)されてゆき、同時に、そのコミュニティを支えていた氏子や檀家も都心部から郊外へ転居してしまった。また、過疎化の進んだ農村部では、寺社の後継者難から「無住」の寺社が増え、宗教法人の名義そのものを売り飛ばす不逞の輩まで現れるようになった。拙レルネットにまで、「宗教法人の名義を1億円で買いませんか?」というブローカーからのお声(勘違いもはなはだしい)がかかったくらいだ。 私は何も、この情報化・グローバル化の進んだポストモダンの時代において、すべてを「前近代的な社会に戻せ」と言っているのではない。近代社会が創り出した諸価値を「所与の価値」として、盲目的に追認するのではなく、近代を克服するいわば「第三の道」を創出するべきだと考えている。政治・経済の分野で言えば「国際化(主権国民国家中心)」や「資本主義化(世界市場化)」と言った価値を超える新たなグローバルな価値の創出が待たれるように、文化・宗教の分野においても新たな「公共性」の創出を期待したい。これらは、あくまで「官」によって「公的管理」された公共ではなくて、自由なひとりひとりの「民」によって創り出されるものでなければならないことはいうまでもない。 |