レルネット主幹 三宅善信
▼あの日から十年…
6月4日で、あの天安門事件から満十周年である。1月7日の昭和天皇の崩御に始まり、11月9日の「ベルリンの壁」崩壊、12月3日の「マルタ宣言(米ソ冷戦の終結)」に終わる1989年は、まさに激動の20世紀掉尾を飾る10年の幕開けとなった。なかでも、全世界を震撼させた出来事が、6月4日の天安門「血の日曜日」事件である。
ケ小平氏の指導による経済の改革解放政策がもたらせた副産物として、思想の自由化がある。氏は不遇の文化大革命時代「白い猫か黒い猫か(思想)が問題なのではなく、ネズミを獲る猫かどうか(成果)が肝要である」と述べたことで有名である。極めて非効率的な共産主義(官僚主義)による統制経済の枠をはずして、マーケットエコノミー(市場経済)を導入すれば、一党独裁の共産主義の思想統制にもガタがくるのは当然の帰結であるが、当のケ小平氏をはじめ中国共産党幹部にとっては、自分たちの独占的な支配体制を揺るがす事態がかくも急激に訪れるとは思ってもいなかった。事実、この年、長年、人々の前に立ちはだかってきた「ベルリンの壁」があっけなく崩れ去った。
皇帝専制の時代から中国の国家権力の象徴ともいえる紫禁城(故宮)の正門「天安門」前広場を「平和的に占拠(座り込み)」していた民主化要求の学生・労働者・市民たちから、この広場を「奪還」するために、人民解放軍の戒厳部隊が戦車・装甲車などを繰り出して、催涙ガスや実弾を発砲し、多数の死傷者を出す惨劇となった。この様子は、折からの中ソ首脳会談の取材に来ていた諸外国のマスコミによって世界中に逐一、報道された。この事件によって、「毛沢東のような教条主義者ではなく、開明的な指導者である」と国際的に評判の高かったケ小平氏の内外のイメージは大きく傷ついた。
私が、この事件の第一報を聞いたのは、ロンドンで旧知の国際合同銀行の社長と中華料理を食べている時だった。バブル絶頂期の当時、それまでのオイルダラーに代わって、世界中がジャパンマネーの動きに恐々としていた時代だった。戦後四十数年続いた米ソ両超大国による冷戦のおかげで、盟主アメリカは、ただ一人「毛色の変わった(人種も宗教も異なる)」先進国である日本を西側陣営(G7)に留めておくために、日本に「何の国際的責務も負うことなしに」好き候、金儲けに専念させてくれた。それが、敗戦国日本の奇跡的ともいえる高度経済成長の大きな要因であった。ところが、その前提である「米ソ冷戦体制」がこの年(1989年)に終焉し、冷戦時代の徒花(あだばな)であった日本経済の凋落の予兆も同時に始まったのである。
▼中国では「9」の付く年に大事件が起こる
20世紀における中国の歴史を紐解くと、興味深い「法則性」があることに気づく。歴史的「大事件」は必ず「9」のつく年に起こっているのである。1919年5月4日、北京で、学生・労働者らによる抗日の「五・四運動」が始まった。1949年10月1日、「中華人民共和国」成立。1959年3月10日、チベットのラサで「対中国反乱」が勃発。人民解放軍を派遣しこれを武力鎮圧。宗教指導者ダライ・ラマはインドへ亡命。同年9月、「中ソ対立」激化。1969年3月2日、国境紛争を繰り返していた中ソ両軍がダマンスキー(珍宝)島で衝突。1979年1月1日、米中国交成立。同年2月17日、中国軍がベトナム侵攻「中越戦争」始まる(3月16日まで)。1989年6月4日、天安門事件…。
私は、常々「予言の非論理性」を主張しているが、過去の傾向から類推できる「予測」を否定するものではない。あらゆる「予言」や「占い」はインチキだが、確率(統計)論的「予測」は極めて科学的であり、かつ論理的である。この「予測」は、物理的現象においては「確実に当たる(何パーセントかの正解率がある)」が、文化的・精神的事象に関しては不確定な因子が多すぎて精度が落ちることは否めない。したがって、20世紀におけるこれまでの中国の歴史で「9」の付く年に大事件が発生してきたからといって、今年、何か大事件が起きるかどうかは全くの不明である。しかし、先月には、NATO軍機によるユーゴスラビアの「中国大使館誤爆」という国際的「事件」が発生したし、この先、極東地域(もちろん「地理的概念」である)の平和と安定に大きな影響を及ぼす事態が、朝鮮半島その他の地域で勃発しないと誰が断言できるであろうか。
ソ連亡き現在、世界の総人口の5分の1を有し、唯一アメリカに軍事的に対抗しうる21世紀の「超大国」を目指して邁進している中国は、この秋(10月1日)に建国50周年の国慶節を迎える。1958年生まれの私は、1949年の中華人民共和国建国の様子を歴史の資料としてしか知らないが、記録映像で見る限り、その様子は、まるで歴代中国王朝の皇帝の即位式そのものだ。この日(1949年10月1日)、共産党・人民解放軍・政府の要人(文武百官)を従えて、巨大な天安門の楼閣に登壇(登極)した毛沢東主席(皇帝)は、全世界に向けて高らかに「新中国(新王朝)」の成立を宣言する。今でも、天安門には超巨大な毛沢東(高祖)の肖像画と「中華人民共和国万歳・世界人民大団結万歳」という中国のスローガンが大書きされている。また、「世界一広い」と言われる天安門広場の中央には毛主席紀念館(霊廟)が建てられ、特別な防腐処理をされた高祖毛沢東主席の遺骸が王朝(現共産主義体制)が続く限り、「聖地」として崇められ、死してなお、人民に君臨し続けている。
1960年代、社会主義の兄貴分であったソ連と袂を分かち、社会の実状を無視した大躍進政策によって食糧不足による餓死や政治的粛正による累々たる死体の山を築きながら、当時「魂を揺るがす革命」と最上級の賞賛を受けた文化大革命が、今日では「大後退の10年」と断罪されていることからすれば、十年前の「天安門事件」も、現在の「社会主義市場経済」も、香港やマカオを飲み込んだ「一国両制」も、果たして歴史の評価に堪えうるものかどうか甚だ疑問である。
しかしながら、国際社会もまた無責任この上ないもので、なんでも「やった者勝ち」である。6月4日のマスコミ報道を見ている限り、十年前の「天安門事件」について、真剣に触れたものはほとんどなかった。十年前どころか、昨年の今頃は大騒ぎだったインドとパキスタンの核実験ですら、その後、両国は核兵器の運搬手段のミサイル発射実験まで行った(実戦配備した)のに、国際社会は何のバッシングもしていないではないか…。文字通り、自分の我が儘を通した者勝ちである。国際社会では、遠慮なんかしてたらバカをみる。恐らく、来年の今頃は、「コソボ紛争」も忘れられてしまうのであろう。日本が金科玉条のごとく尊重している国連ですら、要は、第二次世界大戦の戦勝国(安保理の5常任理事国)が自分たちに都合の良いように創ったシステムに過ぎない。激動の20世紀もあと数百日に迫った今日、いい加減に、ひとびとを不幸にするシステムである主権国家万能主義というまやかしから目覚めるべき時ではないかと思う。
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