レルネット主幹 三宅善信 ▼スハルト王朝の終焉 注目のインドネシア総選挙が7日に行われた。44年ぶりの自由選挙ということで、現地ではお祭り騒ぎだったそうだが、投票終了後3日も経っても、まだ開票率が数パーセントというあたり(単純に計算すると、開票率100%になるには2ヶ月も必要!)が、いかにもこの国らしい。 韓国からアセアン各国まで、数年前までは「NIES(新興工業国)」といわれた東および東南アジア諸国の驚異的な経済成長は、昨年来の世界的金融危機で、国際的金融投機筋の餌食となって大きなダメージをを受けた。中でも、市場経済の成熟度が低く、民主主義が十分に定着していないインドネシアの社会混乱は大きく、昨年5月21日、40年間続いた「スハルト独裁体制」が呆気なく崩壊したことは記憶に新しい。国民経済の半分を牛耳っていたといわれるスハルト一族への怨嗟の声は巷に満ちあふれ、瓦解の危機に瀕していたにもかかわらず、わが外務省はどういう情報収集をしていたのか、インドネシアの最大貿易相手国(輸出入とも)であり、かつ、最大の経済援助国(累積の円借款は3兆5000億円で同国の被援助額の90%に当たる)である日本国の代表として政権崩壊前夜に橋本総理(当時)がのこのこと出かけて行き、スハルト大統領(当時)とにっこり笑って握手したのだ。そのことが、インドネシア国民に対してどれだけ日本のイメージを傷つけたことであろうか? ともかく、政権が持ちこたえられなくなったスハルト大統領は、政権解体の軟着陸をめざして、「子飼い」の腹心で、なおかつ「技術畑出身(政治的なマイナスイメージが少ない)」の閣僚バハルディン・ハビビ博士を副大統領に指名(98年3月11日)し、さらに自身の退陣の日(5月21日)には、後継大統領に指名した。もちろん、目的は、スハルト一族の安泰とゴルカル党(スハルト体制の翼賛与党)の勢力温存である。本来であれば、才能豊かなハビビ氏はこの国を立ち直らせることができたであろうに、最悪のタイミングでスハルト大統領から後継指名を受けたので、国民の「反スハルト感情」のターゲットにされてしまった。スラウェシ(セレベス)島出身のハビビ大統領は、13歳の頃、スハルト氏と巡り会い、以後、スハルト氏に家族同然の扱いを受けた。24歳で西ドイツのアーヘン工科大学(航空工学)を卒業。航空機メーカーの名門メッサーシュミット社に入社。1969年、33歳の若さで同社の副社長兼技術部長に就任した秀才である。78年には、インドネシアの研究・技術担当大臣となり、同国の工業ハイテク化に尽力した人物である。 ▼ワヒド党首とは旧知の仲 さて、今回のインドネシア総選挙についての日本での報道は、スハルト氏の後継者である「ハビビ大統領の守旧派与党ゴルカルVS改革派(メガワティ女史率いる闘争民主党やアミン・ライス氏率いる国民信託党)」という単純な図式で捉えているが、果たしてそうであろうか? これでは、まるで、長年にわたって「保守対革新」という図式(55年体制)でしか日本の政権抗争を捉えることのできなかったのと同じではないか。各放送局とも、現地ジャカルタから連日選挙の様子を伝えてきたが、投票日以前には、ほとんど注目されなかった政党名が、開票が始まってから急にメディアに紹介されるようになったことに皆さんはお気づきであろうか? その名は、アブドゥル・ラフマン・ワヒド議長率いる国民覚醒党である。日本のほとんどのメディアが、現時点で得票率24%(第2位!)の国民覚醒党の存在にやっと気付き、これまでの「ゴルカル党VS革新諸新党」という図式の中に、何ごともなかったかのように潜り込ましている。因みに、現時点での得票順位は、闘争民主党37%、国民覚醒党24%、ゴルカル党15%、開発統一党6%、国民信託党5%…の順位である。つまり、このまま行くと、一党で過半数に達する政党 がない=連立体制になるということである。 実は、私はこの国民覚醒党の議長アブドゥル・ラフマン・ワヒド師とは、個人的な面識がある。同師は、インドネシアの穏健イスラム教団体の指導者である。2億人の人口を抱える同国は、世界最大のイスラム教国(国民の90%がイスラム教徒)である。ともすれば、イスラム教国といえば、中近東(砂漠地帯)のアラブ諸国のことを想起しがちであるが、それらの国の人口はどこもせいぜい数百万人程度であり、人口1億2000万人のバングラデシュと共に、世界のイスラム教徒の大半は、実は、湿潤な米作地帯に暮らしていることを知っている人は案外少ないのである。
元々が、「all or nothing」の「砂漠の宗教」であるイスラム教の人々(アラブ系)は、ともすれば、原理主義的な議論(妥協しない)になりがちであるが、「あれもこれも」の東南アジアのモンスーン地帯に住むイスラム教徒たちは、極めて現実的(複数の価値観を許容する)な議論を行うので、個人的には好感が持てる場合が多い。アブドゥル・ラフマン・ワヒド師もそのひとりである。同師は、多数の宗教が平和裡に共存し、非キリスト教世界で唯一の先進国となった日本のことを大変よく研究されている。特に、徳川家康についての知識はたいしたものだ。親日的な同師がインドネシアの新しい指導者となれば、日本国民の利益にも繋がると思われる。激しく敵対し合うメガワティ女史の闘争民主党とハビビ大統領のゴルカル党はお互い、相手方が中心となって政権を取ることだけは阻止しようとするであろうから、案外、場合によっては、穏便な国民覚醒党の同師が新大統領になる(少なくとも、国会議長くらいは確実)かもしれない。 ▼アジアにおける「女帝」の意味 さて、今回のテーマである「現代アジアにおける王朝」についてであるが、これは当然、本来の意味における「王朝(タイや日本のような立憲君主制)」という意味ではなくて、共和制政体における特定のファミリーによる権力の独占についての話である。叩き上げの創業者が、その息子に「家業を継いで欲しい」と願うのは当然の心境である。この原理は、本来は公のものであるはずの国家権力(萬遜樹氏の『「異形」として近代「日本」――日本の「公私」混同』参照)においても当てはまる。それが「君主制」という形態を採るのなら、誰も文句は言わない。ところが、形式上は国民から選挙で選ばれた大統領(総統・主席・領袖)という形、すなわち「共和制」という形態を採りながら、実質は「王朝(dynasty)」というのはいかがなものかと考える。創業者の嫡子が「偉大なる領袖様」の跡を継いだ北朝鮮はいうまでもなく、フィリピンのマルコス体制(1986年2月崩壊)などもそれを狙っていた。 ところが、今回のインドネシアの総選挙で、「スハルト王朝」による権力と富の独占は批判して、第一党になろうとしている闘争民主党のメガワティ・スカルノプトリ総裁も、その名が示すように「インドネシア建国の父」スカルノ初代大統領の長女である。なんのことはない。「スハルト王朝」から「スカルノ王朝」への「大政奉還」に過ぎないではないか? 伝説的「国民的英雄」のカリスマを利用して、政権を獲ったところで、シャッポが変わるだけで、国民から富と自由を簒奪する特定一族による独占構造はちっとも変わらないのではないのだろうか? ここで気づいて欲しいことは、アジアにはこのような政権が山ほどあるということである。しかも、アジア的特徴として、国家の創業者(建国の父)から息子へではなくて娘への権力移行という形を採ることが多い。父から息子への権力移譲というのは直線的(例えば、金日成→金正日)であるが、父から娘への場合は、一旦、他者に権力が奪われ(当然、息子や娘たちは現政権から迫害され)た後、その簒奪者の権力が腐敗し、困窮した国民の中から、澎湃(ほうはい)として「建国の父」の正当な後継者(カリスマも継承していると信じられている)待望論が巻起こってくるのである。それが、どういう訳か息子ならぬ娘なのである。インドのネルー首相の娘インデラ・ガンジー女史はあまりにも有名であるが、パキスタンの首相ベナジル・ブット女史(故ブット将軍の娘)、バングラデシュのハシナ・ワゼド女史(故ムジブル・ラーマン大統領の娘)、スリランカのクマラトゥンガ大統領(故バンダラナイケ首相の娘、母親のシリマボ女史は首相に)等、皆「建国の英雄」を父に持った女性は、その後、国家の最高位まで登り詰めている。現在は「反体制派」として弾圧されているが、ミャンマーのアウンサン・スーチー女 史(アウンサン将軍の娘)もいずれは国家の指導者になる日が来るであろう。
「建国の父」から、なんらかの紆余曲折の後、「後継者としての娘」への権力の移行の問題は、考えてみれば、いろいろと面白い現象である。古代日本史においてたびたび登場した「女帝」も、これまでのような記紀解釈(天照大神から天孫ニニギ命への権力移譲を現実の女帝から皇孫への権力移譲のモデルとするという解釈。この場合、女帝はあくまでも本格政権のためのショートリリーフ)でよいのだろうか? 例えば、新王朝の創業者である継体天皇(皇統譜をみても先代の武烈天皇とは10親等も離れているから、たぶん王朝を簒奪した全くの他人)と孫娘の推古女帝。「壬申の乱」の影響で、王朝が天智天皇系と天武天皇系で交錯した時代の持統女帝・元明女帝(天智系)や元正女帝・称徳女帝(天武系)など、むしろ、南アジア各国における「建国の父のカリスマの継承者としての女性リーダー」のモデルのほうが適切なのかもしれない。その証拠に、不思議と女性首脳の時のほうが政権が安定してる場合が多いではないか。 |