SAGA(物語)の性(さが):Star WarsにおけるRacism 
              
        1999.6.29    


レルネット主幹 三宅善信


▼20世紀最後のスターウォーズ

いよいよあと10日で、話題の映画『Star Wars EpisodeT:The Phantom Menace』の日本封切りである。5月19日の全米公開では、初日だけで230万人が会社をサボって映画館に足を運び、2,800万ドル(33億円)の興行成績を挙げたと伝えられる超話題作である。長年、EpisodeTの映画化を待ち望んでいた私としても、当「主幹の主観」において、既に5月末に『昔々、ある所に…』というエッセイで、この作品について触れた。その際には、主に着眼点を「物語(saga)のお伽話的構造」について論じたので、今回は、同作品(多くのハリウッド映画も同様)に潜む白人優越主義について述べてみたい。「封切り」を前に、TVや雑誌等で、既に数々の特集が組まれており(東宝洋画系映画館では、昨年のクリスマス映画の時に既に「予告編」が流れていた)、昨今では、インターネットを通じて、映画の「内容」が流布しているので、私が映画のストーリーに立ち入って解説しも、興醒めにはならないであろう。今回のテーマの分析を行うために、EpisodeTのあらすじに沿って話を進める。

映画は、♪パンパカパーン、パパパパンパカパーン♪ という曲と「20世紀フォックス」のロゴマークで始まる。私は子供の頃、「21世紀になってもあのマークは使われるのだろうか?」と心配したものだが、いよいよその時が近づいてきた。EpisodeTの出だしは、嬉しいことに、これまたお馴染みの宇宙空間に文字が流れ込んで行くというオープニングスクロールで舞台設定が告げられる。「…銀河共和国を混乱が襲った。辺境の星との交易に税金を課すべきか否かで、貪欲なTrade Federation(通商連合)は武力での解決を計り、艦隊を出動。惑星ナブーを封鎖してしまった。この非常事態に、共和国元老院は果てしない討議を繰り返すばかりであった。そこで、元老院議長ヴァローラムは、事態打開のため、特使として2人のジェダイ騎士を通商連合側に派遣した…」いうまでもなく、この2人のジェダイ騎士が、今回の主役であるリーアム・ニーソン演じる「マスター(師匠)」クワイ=ゴン・ジンと、人気上昇中のユアン・マクレガー演じる「若きパダワン(修行中のジェダイ)」オビ=ワン・ケノービである。

小説版『EpisodeT』では、いきなり砂漠の中でのポッド・レースのシーンから始まる。このビデオゲームソフトを売らんかな丸出しのスピード感溢れるレースシーンは、もちろん最新のCG技術のなせる業である。22年前のEpisode W(『スターウォーズ』第1作)で、銀河帝国の超弩級人工惑星デススターの地表の溝をスレスレに小型の宇宙戦闘機が飛び交うシーンで、コンピュータ制御によるモーションカメラ技術を確立させたスターウォーズシリーズ伝統からいっても、この出だしは当を得ているのであるが、劇場版『EpisodeT』では、観客の「掴みが大切」ということで、拙稿『昔々、ある所に…』で書いたように、イスタンブールのような惑星ナブーへの通商連合の進撃シーンから始まる。しかし、この映画(EpisodeT〜Vシリーズ)の主題は、天才少年アナキンの発見からジェダイ騎士への成長、そして、「悪の権化」ダース・ベーダーへの堕落というお話なのであるから、やはり原作どおり、ポッド・レースのシーンから始めるべきだと思う。

ここに、わずか9歳の天才少年操縦士アナキン・スカイウォーカー(姓からして飛行機乗り)が登場する。ライバルのセブルバ(なんだかキャビアの種類みたい)はじめ、アナキン以外のポッドレーサーたちは全て人類より五感と運動神経の優れたエイリアンたちである。しかも、この年端も行かない天才少年は、その母シミ・スカイウォーカーと共に、あの蛙の化け物(9歳になる私の息子は「お父さんにそっくりだ」と言っているが)ジャバ・ザ・ハットが支配する「砂の惑星」タトゥイーンのならず者が集まる都市モス・エスパの悪徳中古部品屋ワトーの奴隷というショッキングな設定である。もちろん、この2つの太陽に照らされた「砂の惑星」タトゥイーンは、Episode Wで、少年ルーク・スカイウォーカーが育った星でもある。そこでの、幼年期のアナキンの苦労と活躍の話から物語は始まる。


▼アメリカの世界戦略?

舞台は一転して、外交特権を持つ特使を乗せた船であることを示す赤色の小型宇宙挺が、緑色に輝く惑星ナブーとそれを包囲する通商連合(Trade Federation)の巨大な艦隊に向かって一直線に近づいてゆく。この特使が2人のジェダイである。しかし、通商連合の総督ヌート・ガンレイは、彼らを陰で操るダース・シディアス(今回の敵役の一人。銀河に数千年来存在してきたジェダイ騎士から堕落した悪逆カルト集団「シスの暗黒卿」の生き残り。その弟子がもう一人の敵役ダース・モール)の命令で、特使の抹殺を謀り、惑星ナブーへの進軍を開始する。そして、バトル・ドロイド(人間のような形をした戦闘用ロボット)軍団の総攻撃によって、平和な惑星ナブーはあっという間に占領されてしまう。この辺の設定は、平和な小国コソボ自治州(ナブー)をミロシェビッチ率いる敵役セルビア人のユーゴ連邦(通商連合=背後で操る暗黒卿はロシア?)が蹂躙し、それを勇敢にも「正義の軍隊NATO(ジェダイ騎士)」が解放するという筋書きに似ていると思うのは私だけであろうか…。そういえば、アメリカでこの映画が公開されたときは、NATOによるユーゴ空爆が最も激しかった時と奇妙に符合する。

この星は、年若いが聡明な女王アミダラ(ナタリー・ポートマン)が統治している。からくも通商連合の司令艦から脱出した2人のジェダイは、ナブーに着陸すると、追っ手をかわして、沼地でひょんなことから両生類人のジャー・ジャー・ビンクスと一緒になる。ジャー・ジャー・ビンクスは、この星の水中に棲む先住民グンガン族のはみ出し者であった。ただし、この両生類人を「下等な生物」と蔑んでいたナブー人によって水中へ追いやられたグンガン族はナブー人が占領されることを内心では喜んでいた。「銀河の共通語(どういう訳か英語)を正しく話せない」このジャー・ジャーと2人のジェダイの珍道中があって、まんまとナブー宮殿に侵入したジェダイは、アミダラ女王を救出し、通商連合の暴力行為と条約違反を銀河政治の中心である共和国元老院(国連のようなもの)に訴えるため、後事を総理シオ・ビブルに託し、脱出する。

このアミダラ女王のヘアスタイルと衣装が奇抜である。まるで、清朝の西太后のような格好である。ここで私は思った。22年前のルーク・スカイウォーカーの衣装は柔道着のような感じであったが、これは、当時、急激に経済の国際化を進めていった日本に、この映画を売り込まんとするジョージ・ルーカスの意図があったのだ。すると、今回は、ハリウッド映画市場(アメリカ経済)にとっての最後にして最大のマーケットになりうる中国をターゲットにしたものと考えられる。アミダラという名前も、阿弥陀と曼陀羅を折衷したいかにも東洋的な名前にしてある。

しかし、よく観ると、ここにこの映画の人種的偏見(racism)が感じられる。クワイ=ゴン、オビ=ワン、アナキンをはじめとする正義サイドの主役も、ダース・シディアス(=パルパタイン?)、ダース・モールの邪悪サイドの主役たちも、全て白人である。モンゴロイドや黒人はあくまでクリーチャー(CGによって創り出された種々のエイリアンたち)同様、脇役に過ぎない。軍事占領されても右往左往するだけナブーの官僚たちは皆、一重瞼で鼻が低く、LとRの発音の区別も付かない東洋人を連想させる。先住民のグンガン族に至っては、知的レベルが劣るような表現である。

そういえば、クラシックシリーズ(Episode W〜Y)の主役たち、すなわち、ルーク、レイア姫、ハン・ソロも皆白人である。Episode Wの「砂の惑星」タトゥイーンの原住民ジャワ族(砂漠で屑鉄集めをしている部族)やEpisode Yの「緑の惑星」エンドアの原住民イオーク族(無邪気に遊んでばかりいる部族)といった東洋人を連想されるような身長の低い「人類」が登場し、銀河帝国の抑圧から主役たちの活躍によって解放されるという設定だ。これらの表現を作者が意図したのならもっての外であるが、意図していなかったのならなおのこと、アメリカ社会に潜む白人優越主義が図らずも露見したということである。


▼フォースは聖霊か、それとも…。

からくも惑星ナブーを脱出したアミダラ女王および少数の従者と2人のジェダイは、貿易連合の追跡を逃れて(この時、たまたまこの宇宙船に乗り合わせた操縦用ドロイドがR2-D2)、破損した宇宙船を修理するために、立ち寄った惑星がタトゥイーンである。ここで、宇宙パイロットになることを夢見ていた奴隷の天才少年アナキンと2人のジェダイ、さらには将来アナキンと結ばれ、次世代の主役ルーク・スカイウォーカーとレイア姫の双子を産むことになる女王の侍女パドメ(実は、アミダラ女王)が運命的な出会いをするのである。宇宙船の部品を手に入れるため、「運動能力の劣る人類」であるが故に、これまで一度もレースに勝ったことのなかったアナキンに賭けてポッドレースに勝ったクワイ=ゴン・ジンは、アナキンの只ならぬフォース(理力)の強さを感じる。笑ってしまうのが、母親思いのアナキンが、母シミの家事を少しでも楽にしようとして内緒で創ったドロイドが、あのC-3POだというのである。なぜ、家事を手伝わすのにおしゃべりなプロトコール(儀礼・通訳)ドロイドなんか創るんだ…。

ここで、観客サービスとして、Episode W〜Yの名脇役ジャバ・ザ・ハットが、レースの主催者(この星の支配者)としてチラッと姿を見せる。また、このポッドレースのシーンは、チャールトン・ヘストン主演の超大作『BEN HUR(ベン・ハー1959年)』の戦車競走シーン(奴隷のベン・ハーがローマのユダヤ総督になった仇敵メッサラを破る)を思い起こさせる。因みに、この映画はアカデミー賞11部門受賞というハリウッド映画史上に燦然と輝く金字塔を打ち立てる。ルーカスはこの快挙の再現を狙っているのか…。この戦車競走のシーンは、後に『007』シリーズでもパロディー化された。それに、映画『BEN HUR』の副題は、確か「The Tale of Christ(キリスト物語)」だった。艱難辛苦の末、復讐を成し遂げたユダヤ人ベン・ハーが最後に辿り着く境地はむなしさであり、そこに自ら十字架を背負ってゴルゴダの丘を昇るイエスの姿(復讐では成就しないということ)がオーバーラップさせられるという演出になっている。

実は、フォースについての考え方は、師弟関係にあったクワイ=ゴンとオビ=ワンとでも意見が対立していた程、フォースとは危うい力なのである。クワイ=ゴンは、この少年を、ジェダイの伝説にある「フォースに調和をもたらす選ばれし者」だと直感する。しかも、これまでのEpisode W〜Yでは、「フォースは何か霊的(spiritual)な力であり、それを修得するためには、特殊な修行が必要である」という設定であったが、今回は、アナキンの血液を採取して、その細胞に含まれるミディ=クロリアンと呼ばれる共生生命体(地球上のほとんどの生物の細胞内に共生し運動エネルギーを作り出しているミトコンドリアのようなもの)の分量によってフォースの強さが決まるという話になっている。因みに、アナキンのミディ=クロリアン値は2,000であり、ジェダイの大師匠であるヨーダよりも高い! このミディ=クロリアンが、全ての生命の源である宇宙に遍くフォースへの連結体であるというのだ。しかも、アナキンには父親がおらず、母シミ・スカイウォーカーとこのミディ=クロリアンが直接結びついて産まれた子供だというのだ。これでは、「聖霊(Holly Spirit)によって処女マリアが懐妊し、その子(神の一人子)イエスが産まれた」という新約聖書の話と同じではないか…。

まんまと宇宙船の部品をせしめて、しかも、奴隷であったアナキンを「自由の身」にした(この時、謎の刺客=ダース・モールに襲われ、間一髪で脱出。シスの暗黒卿の復活を知る)クワイ=ゴン・ジン一行は、当初の目的地である銀河共和国の首都コルサントヘ向かう。ここに、宇宙の政治を行う銀河共和国元老院と宇宙の平和の守護者ジェダイ騎士団(英語では、○○修道会と同じOrderという表現)の総本山「ジェダイ聖堂」がある。最初に述べたように、通商連合のナブー占領に端を発する銀河共和国元老院の混乱は、両者にそれぞれ肩入れする勢力もあり、小田原評定状態であった。議員たちのある勢力は、この混乱の責任を取らせて議長のヴァローラムを追い落とそうとしていた。

なんだか、あまりアメリカのいうことを聞かなかったから国連の事務総長を再選されなかったブトロス・ブトロス=ガリ氏のようだ。その当時のアメリカの国連大使として、事務総長追い落としの功で国務長官に昇進したのがあのオルブライト女史である。惑星ナブー代表の元老院議員が、あのパルパタイン(Episode W〜Yでは、ダース・ベーダーを操り、銀河皇帝として君臨)である。銀河元老院へのアミダラ女王の直訴によって、通商連合の不義が報告され、通商連合避難決議案が承認される。その間の混乱に乗じて、パルパタインは元老院議長の座を手に入れる。


▼「完全性」を全うするためには

一方、クワイ=ゴン・ジンの関心は、自分が発掘した驚異の天才少年アナキンに正式にジェダイとしての修行をさせるように、ジェダイの最高意志決定機関の評議会に諮る。そのメンバーの中に、お馴染みの大老師ヨーダがいるのである。この評議会の構成が興味深い。人数が12人なのである。この12という数字は、古代イスラエルの「失われた12部族(世界中に拡がっていったアダムとイブの子孫)」や、イエス・キリストの「12使徒」、中世の『アーサー王物語』における12人の「円卓の騎士」、さらには、アメリカの司法制度における12人の陪審員と同じ数字である。時計の文字盤や月の数が12しかないのと同様、12というのは、彼らの伝統では「完全な数」なのである。もともとスターウォーズは9部作(EpisodeT〜\)を予定していたが、ジョージ・ルーカスはこの度「6作品(EpisodeT〜Y)しか映画化しない」と明言した。これでは、12の半分(不完全)しかなくて2分の1ダースしかない。12なければ、「ダース」モールにも「ダース」ベーダーにもなれないではないか…。

このジェダイ評議会の老師たちは、意外なことに、クワイ=ゴンの要請(ジェダイになるための必須条件であるフォースが人並みはずれて強いアナキンにジェダイの修行を受けさせること)を却下するのである。ジェダイ騎士団のルールでは、フォースの強い赤ん坊を1歳までに親元から引き離し、ジェダイとなるべくマスターの下で修行させねばならないのである。まるで、近頃流行の「0歳児右脳教育」の世界だ。その理由は、ものごころがついてからでは、その人の内心にある「恐れ」や「怒り」が、フォースを暗黒面に導いてしまう可能性があるからである。9歳にして奴隷として人生の辛酸を舐めたアナキンにはそれがあるというのだ。しかし、喜怒哀楽全てを含めて人間なのであり、神ならぬ身の人間が喜怒哀楽を否定しなければジェダイになれないのなら、ジェダイ騎士はまるでサイボーグである。

意外にも、アナキンをパダワンとして訓練することをジェダイ評議会から禁止されたクワイ=ゴンは、弟子のオビ=ワンとアミダラ女王一行、さらには同行を許されたアナキンと共に通商連合占領下の惑星ナブーへと引き返す。ジェダイの伝統では、同時に2人の弟子を持つことは許されず(そういう意味では、「一子相伝」のシスの暗黒卿も同じ)、新たな弟子としてアナキンを迎えるために、評議会に「オビ=ワンを独立させる」と宣言したクワイ=ゴンとオビ=ワンの間にも、信頼関係が崩れ、精神的な溝ができてしまう。


▼「劣等民族」をいかに利用するか

ナブーに戻ったアミダラ女王と2人のジェダイ、それにジャー・ジャー・ビンクスとアナキンは、それぞれに戦いを繰り広げる。特に、アミダラ女王の才能は素晴らしく、ナブー人を憎んでいたグンガン族の首長ナスの自尊心を擽(くすぐ)り、彼らをこの戦争に巻き込むことに成功。幾万というグンガン族がバトル・ドロイドと戦う。この辺りは、『Episode Y(ジェダイの復讐)』において、「緑の惑星」エンドアの先住民であるイオーク族が、ルークたちの戦いに協力させられ、多くの犠牲が出るのと同じ構造である。湾岸戦争でもコソボ戦争でも、数人のアメリカ兵が殺されたら大騒ぎになるのに、「敵」のイラク人やセルビア人(一般市民でも)が何千人死のうと関係ないというアメリカのエゴが見える。日本人もガイドライン法でアメリカに利用されなければいいのだが…。この時、少年アナキンの戦闘機パイロットとしての才能が開花する。偶然、R2-D2と組んで宇宙戦闘機を操縦する(もちろん初体験)はめになるにもかかわらず、ナブーの衛星軌道にいる敵(通商連合)旗艦をやっつけてしまう。ナブー宮殿に侵入したアミダラ女王は、侍女パドメの影武者作戦で、一気に占領本部にいた通商連合の総督ヌート・ガンレイのところまで行き、これを制圧してしまう。

これら、戦いのプロではない婦女子の活躍と比べて、戦いのプロであるはずの2人のジェダイ騎士たちの活躍は今ひとつ見劣りする。いくら歌舞伎の敵役のような「隈取り」をしたダース・モールがツインタイプの光剣(ライトセーバー)を巧みに操るからといって、2人がかりでかかって「いい勝負」とは情けない。それどころか、ちょっとした隙に離ればなれになったクワイ=ゴン・ジンは、ダース・モールに殺られてしまう。その後のオビ=ワン・ケノービは、怒りに任せて狂ったように戦い、遂にはこの強敵ダース・モールを倒してしまう。しかし、この姿こそフォースの暗黒面そのものではなかったのか。『EpisodeX(帝国の逆襲)』の際に、惑星ダゴバの大老師ヨーダの下で修行中のルークが、怒りに任せて光剣を振り回し(ダース・ベーダーの首を切ったら自分の顔だった)、ヨーダから「ジェダイになる修行は無理だ」と言われた時、オビ=ワンの亡霊が現れ、ヨーダに「私も(若い時は)そうでした」と言って、修行の継続を頼むシーンが思い出される。

かくして、師を失ったオビ=ワンはジェダイとして一人立ちし、師の意志を継いで、アナキンを弟子として育てることになるのである。全体としては、20年前のクラシックシリーズ(Episode W〜Y)と話を合わせるためにかなりの無理をしているところがあるが、その間のCG技術の進歩とジョージ・ルーカスの名声の向上(巨額の資金が集まる)によって、映像的には素晴らしい出来映えになっているが、何か物足りなさを感じるのは私、ひとりではあるまい。その中でも、現在進行中の「唯一の超大国」アメリカの世界征服(米国標準のグローバルスタンダード化)の姿が見え隠れする。

死んだクワイ=ゴン・ジンが薪で焼かれるシーンは、『EpisodeY(ジェダイの復讐)』でダース・ベーダー焼かれるシーンと同じであるが、『EpisodeT』の勝利の祝典のシーンを観て思い出すのは、『Episode W』(クラシック第1作)の最後のシーン、すなわち、銀河帝国を撃破した反乱軍(旧共和国軍)の首長レイア姫から、ハン・ソロとルーク・スカイウォーカーが叙勲されるシーンである。ミレニアム・ファルコン号の機関誌として、この2人と共に生死を賭けて戦ったにもかかわらず、見た目が類人猿(ポンキッキーズのムックに似ている)のチューバッカには何の勲章も授与されず2人の横にならんで吠えるだけというところに、この映画(ひいてはアメリカ人)の潜在的な人種偏見(白人優越主義)があると思った。「Every saga has a beginning…(あらゆる物語には始まりが…)」という『EpisodeT』のコマーシャルがあったが、文字通り、この白人優越主義こそが、このsaga(物語)の性(さが)とも言えよう。


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