世界を分かつ新たな壁:地球化と地域化
              
        1999.11.9    

レルネット主幹 三宅善信

▼ベルリンの壁崩壊:その時私は…。

今から10年前の今日(1989年11月9日)、突如として「ベルリンの壁」が崩壊した。その時、私はたまたまドイツにいたので、その時のことをハッキリと覚えている。東西冷戦という第二次世界大戦後の世界を2分してきた原理の象徴である「ベルリンの壁」がなくなったことで、世界中の多くの人々は「より平和な時代が到来するであろう」と希望を胸に抱いた。しかしながら、その夢は、翌90年8月2日にイラクが隣国クウェートに武力侵攻(翌91年1月17日〜2月27日の湾岸戦争へ拡大)したことによって、早くも破られた。

その後、91年1月にはソマリア内戦が激化、同年9月にはユーゴスラビアの内戦(「連邦」を体制を維持しようとする盟主セルビア共和国軍と独立志向の各構成共和国部隊の戦闘地域は、クロアチア→ボスニア・ヘルツェゴビナ→コソボと次々と伝播し、99年6月まで続いた)が始まり、94年4月にはツチ族とフツ族によるルワンダ内戦、また、アフガニスタン内戦から飛び火した中央アジア地域の旧ソ連邦構成共和国地域でのイスラム原理主義勢力による終わりの見えない内戦等々、1900年代最後の10年間は、冷戦によって隠されていた民族・宗教対立(分裂指向)の問題に火が付いた10年間であったと言っても過言ではない。

 その一方で、この10年間は、90年10月の東西ドイツ統合、91年6月の南アでのアパルトヘイト廃止、92年6月のリオ地球環境サミット、92年12月のソ連邦消滅(CIS独立国家共同体成立)、93年1月のEC統合市場(EU)発足、95年1月のGATTに代わるWTO(世界貿易機関)発足、97年7月香港返還など、逆に、分裂から融和・統合へと指向する動きも活発に見られた。

これらの人類史の一大転換点とも言えるこの10年間の動きの方向性を決定づけた歴史的出来事(historic event)こそが、最初に述べた「ベルリンの壁」崩壊の出来事であった。最初に記したように、その時(89年11月)、私はちょうどフランクフルトにいた。国連経済社会理事会公認カテゴリーTのNGOであるIARF(国際自由宗教連盟=世界最古の国際的諸宗教対話団体1900年にボストンで創立)の定例理事会(5〜7日)に出席するために、当時、国際事務局のあったドイツに滞在していたのである。

引き続いて(8〜9日)同所で開催された「万国宗教会議百周年」記念事業を企画するIIOC(国際宗教協力団体連絡協議会)に出席。9〜11日にはバチカンを訪問し、カトリック教会の諸宗教対話評議会幹部との会談。11〜13日にはニューヨークの国連チャーチセンターで開催された「日米摩擦に関するパネル討議」にパネリストとして出講。13〜15日はワシントンDCのインド駐米大使公邸でカラン・シン大使(先祖代々カシミール地方のマハラジャの家柄)と半年後に大阪で開催される日米協議会の打ち合わせを行った。


▼再三モスクワを訪れて

そういう訳で、立場を異にする各国の関係者とこの事件の歴史的意義についてホットな意見を交換する機会に恵まれた。特に、IARFは、もともと東欧地域のトランシルバニア地方(ルーマニア西部のハンガリー人が多数生活する地域。『ドラキュラ』の舞台)から起こったといわれる「ユニテリアン(Unitarian=キリストの三位一体説を否定するキリスト教の少数派。抑圧された歴史を有する)」の流れを汲むリベラルな人々が始めた運動であり、それ故、宗教的マイノリティの人権保護という問題に大きな関心を持っている。

この時(1989年)も、ゴルバチョフ氏の登場により、ソ連・東欧社会主義圏に変化の兆しが見え始めてきた数年前から、チェコやハンガリーの社会改革の後押しをし、また、東欧諸国家中最悪といわれたルーマニアのチャウシェスク独裁体制下で抑圧されているトランシルバニア地方(長年ハンガリー領であったのを第二次世界大戦後ルーマニア領に編入)の少数派ユニテリアンを支援する活動について協議を行っていたところであった。

私はこの前後に、祖父(故三宅歳雄)の鞄持ちとして、相次いで3回モスクワを訪問したので、ゴルバチョフ氏登場後のソ連の変化を身を持って体感した。まず、1987年2月に、ゴルバチョフ書記長(当時)が主催した『人類の生き残りのために――核兵器のない世界をめざす国際平和フォーラム』に祖父が、武者小路公秀国連大学副学長(当時)や三村庸平三菱商事会長(当時)らと共にクレムリンに招かれたことがある。ブレジネフ時代に「反体制物理学者」として流刑されていたサハロフ博士が自由の身になって、このフォーラムに姿を現し、最初に言葉を交わした日本人は私である。その時の様子が、当時の『アサヒジャーナル』に写真つきで掲載された。この時のゴルバチョフ氏の「ソ連による核実験の一方的な停止(モラトリアム)」宣言は、「相手がやるからこっちもやる」というエンドレスな冷戦的拡大論にケリをつける歴史的な方針転換であった。実は、核実験禁止運動に対する祖父の情熱は相当なもので、1957年という極めて早い時点で、一民間人でありながらクレムリンまで行ってソ連のブルガーニン首相(当時)と2時間にわたる直談判をしているくらいだ。

その後も、87年6月には、WCRPの国際管理委員会に出席。88年6月には、ロシア正教宣教千年祭(西暦988年に、東ローマ帝国から野蛮人扱いされていたスラブ民族(Slave=奴隷)のルーシ=ロシア人たちがギリシャ正教に改宗した)に招かれてモスクワを訪れたことがあるので、この間の急激な社会変動を体験できた。特に、ロシア正教の儀礼についての研究が私の修士論文のテーマだったので、興味をもってこの「千年祭(Millennium)」に参加した。この時に、ミレニアムという言葉の意味を初めて知ったくらいだ。


▼対立項に過ぎない地球化と地域化

以上のような経緯で、東西冷戦体制は崩壊したのであるが、そのことによってかえって根の深い問題が起きてきた。冒頭に述べた民族・宗教対立の問題だ。東西冷戦時代の対立項は、共産主義VS資本主義、あるいは、全体主義VS民主主義という、世界中どこででも成り立つ普遍的な公式上での対立であった。ロシア・中国・東ドイツ・キューバ等、人種的にも、文化的にも、歴史的にも全く異なったバックグランドを持つこれらの国々の人々が普遍的に奉じることのできるシステムという点では、共産主義というのは、驚異的なシステムであった。それは、共産主義だけに関わらず、資本主義・全体主義・民主主義のいずれもが、ある意味では、世界中いつでもどこでも存在可能な、ある意味で「普遍的な」システムである。したがって、これらの対立項は、ある意味では理解しやすい。

 ところが、冷戦体制崩壊後は、これらの対立項に代わって、「地球化」と「地域化」という対立項が顕著に現れてきた。この新しい対立項とこれまでの対立項の一番異なるところは、「地球化という概念がもう一方の地域化という概念を包括できる」と思い込んでいる点になる。いわゆる「グローバリゼーション」論である。以前の「共産主義VS資本主義」や「全体主義VS民主主義」といった対立項としてではなく、「全体と部分(構成要素)」のごとき、集合論的解釈がなされているのである。この誤ったグローバリゼーション解釈の根拠は、冷戦の終結により、「資本主義が共産主義を飲み込んだ」というような包摂主義的な解釈や「(時代遅れの)全体主義はいずれ民主主義に凌駕される」というような社会進化論的な解釈から導き出されたのである。

 しかし、これらの包括主義的・社会進化論的解釈は正しいとは言い難い。アメリカでは、自然科学の世界におけるダーウィニズムが嫌い(日本人の常識では考えられないことであるが、「公立学校の教科書で進化論を教えるべきか、否か?」ということが大統領選挙の大きなテーマになる程の国である)なくせに、社会科学の世界では、常に「社会進化論」はもてはやされる。この社会進化論は、「(人類史上最も進化した社会形態である)アメリカの基準(民主主義・資本主義・英語等)を世界中の普く人々が受け容れるべきだ」という包括主義を生み出す。世界中のもろもろの事象をこの価値観の基準に従って断じる。これでは、まるで「世界は(カトリック)教会という聖なる天蓋(Sacred Canopy)によって覆われている」と考えていた宗教改革以前の中世ヨーローッパ社会と変わりがないではないか。

これらの考え方が間違っているといえるのは、広く生物界を見渡してみればすぐに理解できることである。生物は単純な(下等な)生物からどんどん「進化」して、複雑な(高等な)生物になったのではない。もちろん、ある意味では、単純→複雑という構造上の変化はかなり一般的に起こっているが、だからといって、「原始的である」と考えられているバクテリアや地衣類が駆逐されてしまってこの地球上から姿を消して、「高等である」と信じられている鳥類や哺乳類ばかりになってしまったかというと、そうではないことは明らかである。三十数億年前にこの星に最初の生命が誕生して以来、ヒトもインフルエンザウイルスも同じ三十数億年間かけて進化(新化)してきたいわば兄弟姉妹なのだ。構造上の単純さや複雑さは、単なる見かけ上の違いに過ぎない。ある意味では、見かけ上の変化があまり変わっていない生物がいたとしたら、それらはそれだけ完成度が高い生物であったと言っても過言ではない。

同様に、世界中に何千とあるさまざまな言語や生活習慣(宗教も含む)のいずれもが、いわば、質的な意味では優劣をつけがたい(量的にはもちろん大小はある)存在であるということを認識すべきである。もちろん、交通や通信の手段が飛躍的に進歩した現代社会においてはは、過去何万年も続いてきたような「他の社会と隔絶された社会が独立して存在すること」を不可能にしてきた。だからといって、そのことは、人類文明の社会進化論的解釈を促すのではなくて、より多元的(相対的)な社会が存在するということをわれわれに判らせてくれたというに過ぎない。

1990年代に入って世界各地で勃発した民族・宗教紛争の原因は、この地域化の動きと、これに抗して普遍的原理を打ち立てようとする(打ち立てられると錯覚している)グローバリゼーション論とのせめぎ合いの帰結である。10年前の今日、「目に見える」ベルリンの壁は崩れ去ったが、新しい千年紀(Millennium)を迎えようとする今日、地球化と地域化という対立概念のもとに、もう一度、「見えない壁」がわれわれの前に築かれようとしている。これらの壁をいかに壊して行くかが、来るべき千年紀に人類が生き残って行けるかどうかのキーが隠されているように思われる。

*筆者は、12月3〜5日に、天理大学を会場に開催される第4回国際経営文化学会 99年次大会:大会テーマ「責任ある地域地球主義と多元性――地域知能と統治力――」において、初日(12月3日)に発表を行うことになっている。聴講希望者は、直接、大会事務局(天理大学おやさと研究所 担当高橋氏 tel:0743-63-7310)まで、お問い合わせください。


戻る