レルネット主幹 三宅善信 ▼文化によって異なる死体の扱い
さて、現代世界に生きるわれわれは、否が応でも、毎日のように、戦争・テロ・事故・天災等々、死体が大量に発生する事態をメディアの報道を通して知る。もちろん、それ以外にも、身近な友人や家族の伝統的な意味での「死」すなわち、病死・老衰死などにもたびたび接する機会がある。さらには、遺伝子工学や医療技術の飛躍的な進歩によって、クローン生命や脳死・臓器移植という「人工的な生死」の問題にも直面させられている。それぞれの問題について論じることは興味深いテーマであるが、今回は、特に、「日本人の遺体観」について考察を進めてみたい。 ここ数カ月の間にも、一万数千人以上の犠牲者を出したトルコや台湾での大地震があったが、この救援活動ならびに復旧支援の様子を伝えるメディアの報道を視ていて気になる場面があった。もちろん、最初の数十時間、あるいは数日間は、「人命救助第一」ということで、瓦礫の下でまだ生存しているかもしれない人を救出するために、世界各地から応援に駆けつけたレスキュー隊が大活躍したのは当然のことである。このことは恐らく、世界中どこの国でも変わらないであろう。しかし、ここからの行動様式がそれぞれの文化の違いによって変わってくるのである。地震発生後、二週間を経て、生存者発見の可能性が全くなくなってからの復旧活動のありかたが違うのである。もし、大地震で5,000名が行方不明になったとして、そのうちの4,000名の遺体が回収されたとすると、計算上は、残り1,000名分の遺体がまだ瓦礫の下に埋もれているはずである。ところが、一旦、「流れ」が救出活動から復旧活動へと変わると、パワーショベルなどの大きな重機を用いて、どんどんと倒壊した建物を片づけてゆくのである。おそらく、あの重機の下にも何体かの遺棄されたままの屍が埋もれているであろうに…。トルコからの震災復旧活動の様子を伝える報道を視ていた多くの日本人は私と同じ感情をもってテレビ画面を視ていたに違いない。 ▼墜落遺体を徹底的に探せ ここに日本人の遺体に関する典型的な態度を現した例がある。それは、1985 年8月に起きた日航ジャンボ機墜落事故の際の出来事である。この事故は、単独の飛行機事故としては最悪の520人という犠牲者を出した大惨事を記憶されている方も多いであろう。「お盆」の帰省客を満載した東京発大阪行きJL123便は、飛行中に胴体最後尾の与圧隔壁と垂直尾翼が吹き飛ぶという考えられない事故に遭遇し、それでも、機長たちの懸命な姿勢制御の努力によって30分間、関東上空をダッチロールした挙げ句(つまり、乗客は30分間もこの世のことならぬ恐怖感を味わった)に、群馬県の御巣鷹山に激突して、乗員乗客524名のうち520名が死亡したという悲惨な事故である。中には、そのような恐怖体験の最中でも冷静に、愛する家族への遺言をメモに走り書きした人もいたそうである。この惨事の犠牲者のうち22名が外国人であった。 航空機事故の現場というものはいずれも凄惨なものであろうが、この事故でもそうであった。山の斜面の半径数キロの範囲にわたってジャンボ機の破片ならびに遺体が飛び散らばった。焼けこげて身元判別困難な遺体や、中には、左腕だけが木の枝にひっかかっていたり、下半身だけが谷間に転がっていたりしたケースもあったという。当然のことながら、警察関係者による遺体の身元確認作業が行われた。中には家族が見れば一目で確認できるような完全な遺体もあったが、一方で、歯科治療の歯形の照合や、着衣や装飾品から本人を推定するという方法で本人確認された遺体もたくさんあった。極端な場合、指一本だけや片耳だけというような部分遺体もあったそうである。この事故の際に、監察医として遺体の身元確認にあたった飯塚訓氏が著したした『墜落遺体』(講談社1998年)によると、バラバラになった遺体の身元の確認には127日間も要したという。技術的な墜落原因の追求よりも、遺体探しに熱心だ。 この本に、興味深い事実が記されている。それは、遺体を引き取りに来た家族の態度が、日本人と外国人(英国・米国・豪州・韓国人等)とでは大きく異なっていたそうである。事故現場の凄惨な様子 (生存の可能性どころか完全な遺体の発見すら難しい) を一目見たある外国人遺族に、日本の警察がいかに身元確認のための努力をしているか説明すると、怪訝な顔をして「なぜ手や足まで(誰のものか)識別しなければならないのか?」と逆に質問をされたという。そして、「死んでいるということは、精神が宿っていないのだから物体と同じではないか。だから、すべてをまとめて火葬にすればいいだけである。それより、補償条件の交渉に入りましょう」と言われたそうである。また、別の20代の外国人女性の犠牲者は、両足と左手だけの離断遺体で指紋と身体特徴によって身元確認された。遣族に説明したら、「娘に間違いありません。ありがとうございました」と礼を言われた。「ご遺体はどのようにされますか?」と尋ねると、「娘は神さまのところに召されて幸せです。肉体は一緒に亡くなった人とともに埋葬してください」と言われたそうである。 ところが、日本人の場合は、これらの態度とはまるっきり異なっていた。「完全な(五体揃った)遺体」に固執するのである。遺体の顔かたちがハッキリしていて、身元確認が容易であったとしても、もし、片足が欠けていたら「徹底的にその片足を探して欲しい」という。もし、遺体が発見できない、あるいは誰の遺体か特定できないような場合には、「せめて本人が所持していた腕時計や靴などの遺留品だけでも欲しい」というそうである。あれから14年の年月が経過した今でも、毎年、8月12日になると、何百人もの遺族が御巣鷹山に登山し、墜落現場で慰霊祭を行い、現場の土を家へ持って帰ったり、あるいは、家から持参した酒など故人が好んだものを現場に撒いりしている光景がテレビで紹介される。14年の間に日本航空の社長も何人か代わったであろうが、それでも、必ずこの日には、社長が御巣鷹山に登山し、事故の犠牲者の霊を供養しているそうだ。 ▼遺体の「遺」とは… 「日本人の遺体観」について話をしているのだから、当然のことながら、「遺体」という言葉が多用されるのは当然であるが、それ以外にも、私は「遺伝子工学・遺言・遺棄・遺留品・遺族」など、「遺」という漢字の付く言葉をしばしば用いてきた。ここに、日本人の遺体観について語るためのヒントがあると思い、『広辞苑』で「遺」という言葉の意味をひいてみると: 1)忘れること。置き去りにすること。「遺棄・遺失物」。 2)残ること。特に死後に残すこと。「遺跡・遺愛・遺言」。 3)やり残されたもの。漏れ。「補遺・拾遺」。という意味が出てくる。 因みに、「遺体」という言葉を引いてみると: 1)(父母の残した身体の意から)自分の身体。 2)人のなきがら。遺骸。 という意味が出てくる。 遺言や遺留品の「遺」が、遺体の「遺」と同じ意味を持つことは容易に判るとしても、遺伝子工学の「遺」まで共通の概念で括られるとは…。英語のgeneの日本語訳に「遺伝子」という言葉を当てはめた人はなかなか偉いと思う。古代中国の思想家孔子と曾子の対談を曾子の門人が記録したと伝えられる『孝経』に「身体髪膚これを父母に受く。敢えて棄傷せざるは孝の初めなり」という言葉がある。近代啓蒙主義の洗礼を受けた欧米人は、生きている時の自分の身体は「自分のもの(自己決定可能なもの)」であると思っているが、伝統的な東アジアのアニミズム世界の解釈では、生きている(自分の)身体ですら「(父母からの)遺体」であるから、死ぬからといって自分の自由にすることはできない。遺体は、まさに先祖から伝わって子孫に残す「預かりもの」である。リチャード・ドーキンスの表現を借りれば「身体(自分の人格)は遺伝子の乗りもの」なのである。文字通り、遺体は屍体にあらずである。 日本人は、人間存在について、欧米的あるいはキリスト教的な、「高貴な(神から特別に付与された)精神」と「(単なる被造物の一種に過ぎない)低級な肉体」に分けて考える「霊肉二元論」ではなく、霊性と物質を明確に区分することができないアニミズム的感覚の中に生きているのである。日本においては、「死体」は単なるdead bodyではなく、先祖から子孫へと代々受け継いでゆくべき「遺体(親から遺された身体)」である。そのことは、さらには、人間をひとり他の生物存在から隔離して尊いものであると考える立場ではなく、あらゆるモノに霊性を認める、いや、モノにこそ霊性があると信じる、文字通り「山川草木悉皆成仏」の世界である。 ▼臓器に対する礼節? 昨年から今年にかけて、日本人の遺体観について考える大きなヒントとなる2つのトピックスがあった。まず、ひとつめは、昨年10 月に先天性四肢切断症の大学生乙武洋匡氏が著した『五体不満足』(講談社1998年)というミリオンセラーがブームになったことである。「五体不満足」という意表を突いた題名と、表紙には、頭と胴体だけしかない(手足は全くない)青年(乙武氏)が、電動車椅子に乗ってこちらを向いてニコッと笑っている写真が掲載されているというかなりインパクトのある本なので、読まれた人は多いであろう。その著作の中でも、乙武氏が書いているように、出産に臨んだほとんどの日本人が口にする言葉は「五体満足な赤ちゃんでありさえすればいい」と願い、また、実際そのように口にする。 ふたつ目の例は、最初の心臓移植手術(和田移植)から三十数年間タブーとされてきた脳死者からの臓器移植が、今年に入って4件も実施されたということである。もちろん、先進国である日本の多くの医療機関は、臓器移植を実施するだけの設備も能力も備えながら、長らく脳死臓器移植が行えなかった。その間、数多くの移植希望患者が、大金を投じて欧米へ出かけて移植手術を受けてきた。人口1億2500万人を擁する日本であるから、交通事故による脳死や、くも膜下出血や脳梗塞による脳死者は、国中のどこかで毎日のように発生しているはずである。また、臓器移植以外に助かる道のない重度の心臓病や肝臓病等の患者も多数いるはずである。しかるに、日本国内での脳死臓器移植が長らく行われなかったのは、とりもなおさず、「霊肉一体論」の日本人の宗教観が邪魔をしていたとしか考えられない。 私は、本年6月に、世界で最も多くの生体肝移植を実施した実績を誇る京都大学医学部付属病院の医師を招いて、宗教家(神道・仏教・新宗教)たちと、臓器移植問題についての話し合いの場を用意した。ここで大変興味深かったのは、欧米の宗教家に比べて極めて科学技術指向の強い日本の宗教家たちは、脳死者からの臓器摘出やこれを必要とする患者への移植そのものの神学的是非にはあまり関心を持たず、むしろ、「摘出した臓器の運搬の方法(釣った魚を家まで持ち帰るためのクーラーボックスのような箱に収納して運ぶ)が、死者の臓器に対して礼節を欠いている」という点にこだわった。曰く「もっと、恭しく捧げ持ちなさい」と…。 また、医者の方も、「脳死者から臓器を摘出する時には、麻酔注射を打ってから摘出手術を始める」という。おかしいではないか? 医者が言うように、「脳死は人の死」だということであれば、脳死者は痛みを感じないはずである。なのに、痛み止めの麻酔薬を注射するのである。もし、脳死者が痛みを感じるのであれば、まさに、それは「生きている」のであるから、脳死状態ではないはずである。明らかに矛盾している。しかし、日本の医者は言う。「これが臓器提供者に対する礼節です」と…。まさに、宗教家も医師も、どちらも日本人である。 ▼死んでまで痛い目に遭うのは… 臓器移植というような特殊な医療のケースでなくとも、現在では、ほとんどの日本人は病院で死ぬ。最終的な(ターミナルな)段階では、たいてい、体中に多くの生命維持装置や各種のセンサーを装着した状態でベッドに横たわっている。見るからに「痛々しい」状態である。そこで、愛する家族を見送った多くの日本人は、死亡診断直後に医者から質問される「より確かな死因探求のための死後解剖」や「医学研究生のための献体」、さらには比較的低年齢で死亡した場合などは「臓器提供」などの遺族の意思確認に対して、「死んでまで、痛い目に遭うことはない」と言って、これを断り、「五体満足な遺体」を病院から引き取って、故人が住み慣れた家へと連れ帰る。 そして、葬儀の際には、宗教上のシンボルである本尊や僧侶の読経(神官の祭詞)に対して拝礼するのではなく、死者の遺体や遺影(顔写真)に対して、恭しく頭を垂れるのである。葬儀告別式が済んだら、五体満足な遺体を火葬に付して、死者の遺骨を遺族みんなで丁寧に拾い集める。そして、それを恭しく陶器の壺に入れて、家まで持ち帰り、仏壇に供えて毎日、生前と同じように、これ(遺骨)に朝夕の食事を供し、遺骨に丁寧に別れを告げ、7週間(四十九日の満中陰)後に一族の先祖が葬られている「○○家の墓」に埋葬するのである。 それ故、遺骨のない死は真っ当な死ではない。不幸にして、最初の例のような航空機事故などに遭ったら、遺体は徹底的に探される。第二次世界大戦が終わって半世紀が経過したが、今でも毎年、サイパンやフィリピンあるいは日本国内で唯一の地上戦が行われた沖縄などに遺骨収集団が派遣され、深いジャングルの中から「草蒸す屍」を発掘しては、これをあらためて荼毘に付して、慰霊祭を行っているのである。戦争行為の是非などは問題にはならない。あくまで、死者に対する生きている側の人の礼節の問題なのである。 このように、遺体に対する態度の分析から、日本人の生命(ライフ)観・世界(スペース)観を少しでも理解していただければ、今回の「主幹の主観」は、意味のあるものになったと思う。 |