2000年「大阪」冬の陣
 
              
       00年 1月 15日
 
レルネット主幹 三宅善信     

▼アンチ東京感情はあるか?

  前作で「関ヶ原合戦」を採り上げたのに続いて、今回は「大阪」冬の陣について書く。徳川氏と豊臣氏の天下争いであった歴史上の「大坂」冬の陣は、関ヶ原合戦が行われた14年後の慶長19年11月19日から同年12月20日(グレゴリオ暦では、1614年12月19日〜翌年1月19日)までの1カ月間、大都市大坂を舞台に戦われた。関ヶ原合戦時にはまだ幼少であった太閤秀吉の遺児秀頼が立派に成人したのを見て、老い先短い家康が徳川幕府永続の礎を築くために仕掛けた徳川政権仕上げの戦であった。難攻不落の大阪城を十重二十重に取り囲んだ20万の徳川混成軍に対してゲリラ的義勇軍とも言える真田幸村らが果敢に戦ったが、これに実質的に勝利した徳川氏は和睦の条件として大阪城の外堀(条件破りをして内堀までも)を埋めさせた。そのことが、結果として5カ月後に戦われる「夏の陣」で堀を埋められて丸裸同然になった大阪城が陥落、豊臣氏の滅亡につながった。

  さて、私が今回書きたいのは、日本史上の大事件である「大坂」冬の陣ではなくて、現在、戦われている大阪府知事選挙についてである。昨年4月に史上最高の得票である235万票という知事選史上最高の得票数(因みに石原慎太郎都知事は166万票)を集めて再選した横山ノック知事のセクハラ疑惑に端を発する一連の騒動の責任を取って、それまで強気だった横山知事が突然、辞任したことによる「出直し」選挙のことである。今回、自民党が分裂選挙になった原因は、5年前に遡る。地方自治体の首長が、相乗り候補の擁立によって「総与党」体制下するようになって久しいが、このことが議会のチェック機能の低下をもたらし、ひいては政治不信を招いたことはいうまでもない。

  そういう状況下で5年前の統一地方選挙が戦われた。しかも、阪神淡路大震災の直後という極めて大切な時期であったにも関わらず、府知事選挙直前に参議院議員から転向した横山ノック氏に、共産党を除く当時の各政党の相乗り候補である中央官庁(確か科学技術庁の事務次官)からのパラシュート候補小林氏が一敗血にまみれた。当時、盛んに言われたのが「大阪の反東京感情」であった。大阪において、「大阪弁を話せない人物」が知事になるということは、いわば、「大阪弁をしゃべられへん男」が阪神タイガースに監督になるようなものである。吉本興業ですら、大阪弁のイントネーションが悪いと、メイン(漫才や新喜劇の役者として)雇ってくれない程の土地柄である。

  この「事実(本人の資質に関わらず、東京者では勝てない)」は、地元政界に大きな後遺症を与えた。本来ならば、この時でも、東京都知事選挙のように、閣僚経験者クラスの「大物」が、国会議員の職を投げ出してチャレンジすべきであった。大阪府知事という役職は、事実、予算の規模からいっても中央省庁ひとつ分くらいは裕にある。しかも、議院内閣制の総理大臣とは異なり、知事職というのは全権を掌握したいわば大統領職に匹敵する重責である。それを、政党の意見を聞く「小役人」を連れてきて、形だけシャッポに据えようという魂胆がはじめから間違っている。


▼235万石の天下人ノック太閤殿下

  そこで、昨年4月の府知事選である。4年前横山ノック氏ひとりにぼろ負けした各政党関係者は、共産党推薦の鰺坂真氏を除いて(共産党は常に単独候補という点では筋が通っている)、最後まで独自の候補を擁立することができず、最終的にはノック候補の所へ擦り寄っていった。ノック候補からは「推薦無用」と足下を見られたにもかかわらず、恥も外聞もなく「自主投票」などといって、与党と野党の中間的存在である「ゆ党」たらんとしたではないか? そのばかばかしさにうんざりしたのか、既成政党の談合に飽き飽きした府民が235万票という知事選史上最高得票をノック候補に与えて知事選再選を果たさせた。いわば235万石の天下人の誕生だ。その連中が、「セクハラ疑惑」が出た途端、手のひらを返したように「ノック批判」に回り、大阪「冬の陣」とばかり、色めき立ったことも無責任といえば、無責任だ。

  衆議院総選挙が秒読み段階に入った現時点で、中央の「自自公」の枠組みが大阪で通用するはずもないことは明らかだ。日本一「自民党が弱い」大阪(前回の総選挙では、「大政党に有利」なはずの小選挙区で、19選挙区のうち3選挙区しか自民党は議席を確保していない)の情勢次第では、来るべき総選挙を「自自公」の枠組みで戦えなくなる可能性が大きい。党本部のお偉さん方は、「自民党の基礎票に公明党の組織票をプラスしたら選挙に勝てる」とお考えのようだが、そうは行かないことは、明石康が負けた昨年4月の東京都知事選挙で実証済みのはずである。自民党の支持者というのは、案外ロイヤリティが低いので、「計算の出来る」公明党と組んだら、必ず、付け足された票数と同等かそれ以上の票が、いわゆる「公明党アレルギー」というゆうやつで逃げて行くということを気づいていないのだろうか? 新宗連をはじめ、自民党を支持している数多くの宗教教団のことをどのように考えているのだろうか? 個別の選挙区で、創価学会の幹部に内緒で協力依頼をすることは戦術的に有効であるが、公的に公明党に選挙協力を求めた政党はどこも、必ずそれ以上の票が「逃げる」ということを戦略的に覚悟すべきである。

  民主党も下品である。中央では「自自公」批判を展開しながら、大阪では、その「自自公」が担ぐ太田房江候補に相乗りして与党の旨味を吸おうというのだから…。「政権」というのは「二大政党」による政権の定期的交代システムが大規模な民主主義国家では今のところ最もよく機能するシステムのようだ。「永久与党」も「永久野党」も政治をダメにする。その意味でも、昨年春の「タレント候補VS共産党候補」、そして今回の「相乗り官僚候補VS共産党候補」という、実質的に多様な政策の選択の可能性を府民から奪ってきた知事選にうんざりしていたところへ、「第3の候補」として、学校法人専務理事の平岡龍人氏が果然として立候補を表明して、俄然、面白くなってきた。私も、前々から「都知事選挙にはあれだけの顔ぶれ(石原・鳩山・増添・明石・三上・柿沢の各氏)が名乗りを挙げるのに、どうして府知事選挙には誰も手を挙げないのか?」と思っていたが、「まともな人」では、誰も手を挙げる人がいなかった中、「負ければ家名に傷がつく」にもかかわらず、今回の平岡氏の突然の立候補は壮挙と言えよう。これで、府知事選が面白くなった。


▼大阪城 ←→ 真田山 ←→ 四天王寺

  宗教団体や財界・労働組合などという支援団体がないおかげで、ノック前知事が大鉈を揮うことができた「(他府県と比べて)手厚すぎる老人医療費のカット」や府立高校の「(私学と比べて)安すぎる授業料への値上げ」に対しては、大学の教授であった鰺坂候補が知事になればこれを(ノック政策と)逆行させる上に、地盤沈下の久しい大阪の経済復興に壊滅的打撃を与えるであろうし、清風学園の経営者である平岡候補が知事になれば、全国の都道府県で最悪だという財政状況を好転させるために、さらに大鉈を揮って行財政改革を進めるであろうことが容易に想像できる。通産省のエリート官僚であった太田候補が知事になれば、中央からの金をうまく引き出し、小渕政権同様、ばらまき景気刺激策、ばらまき福祉政策を実施するであろう。最終的には財政破綻が待っているだろうが、「どうせそんな先まで知事をしていない」ということであろう。「大阪弁がうまくしゃべれるかどうか?」なんかというようなケチな中傷合戦よりも、具体的な政策を府民に示すテレビ討論会を是非、実施していただきたいものだ。いずれにしても、楽しみな「大阪冬の陣」である。

  最後に、歴史上の「大坂冬の陣」に話を戻すと、現在の大阪城(豊臣氏を滅ぼした徳川幕府が、西国大名の力を削ぐために、旧大坂城を埋め殺してその上に、現在の大阪城を建立した)の真正面に建っているのがクラシックなビルが大阪府庁(知事室の窓からは素晴らしい大阪城が眺望できる)であり、大阪城から南方向に伸びている古代から陸地(日本最初の都「難波の宮」がおかれた)上町台地上の「茶臼山(四天王寺の辺りの丘)」に本陣を敷いていた徳川家康と対抗するために、大坂城と茶臼山の中間地点の「真田山(高津神社辺り)」に出城を構えてこれを迎え撃ったのが、かの有名な真田幸村である。現在その真田山には、「常勝関西」を標榜する創価学会の関西総本部(西の信濃町)が建っている。そういえば、池田大作名誉会長の詩歌には「錦城(大阪城の雅号)」と「常勝関西」という言葉がよく出てくる。

  そして、真田山と茶臼山の中間辺り(上六付近)に、清風学園が本拠地を構えている。そういえば、清風学園の創設者故平岡宕峯師(平岡龍人氏は同師の三男)は、日本最初の寺、四天王寺を建立した聖徳太子を篤く信仰していたことで知られている。「天下の名城」大阪城を誰が獲るかが楽しみだ。2002年にワールドカップサッカーが開催されるときの長居競技場のロイヤルボックス席に座る人を決める選挙でもある。「歴史は繰り返す」というから、この「大阪冬の陣(知事選挙)」に続いて、数カ月後には「夏の陣(衆議院総選挙)」が行われるであろう。大阪城の堀を埋めるのは誰だ?


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