レルネット主幹 三宅善信 ▼宗教家不在のマスコミ報道 高級官僚から援交に走る女子中学生に至るまで、モラルハザードが崩壊してしまったこの国では、相変わらず目を覆いたくなるような事件が次から次へと発覚する。通り魔殺人・幼児虐待・監禁陵辱・遺体放置(ミイラ化)と、留まるところを知らない。この半年間に起こった事件(何も資料を見なくても思い出す事件)だけでも、山口県と池袋の両通り魔殺人事件、文京区の春菜ちゃんお受験殺人事件、京都市の「てるくはのる」事件、新潟県の少女9年間監禁事件、ライフスペースと加江田塾のミイラ化遺体発見等々…。 これらの事件が起こる度にマスコミ(特にテレビ)は、事件の背景をもっともらしく解説してみせる社会学者や精神病理学者や犯罪心理学者といった「先生」をスタジオに招いて、有り難そうに彼(女)らの「教説」を拝聴する。これまで一度も「事件」が発生する前にそれを予測したり、事件が起こってしまってから犯人(容疑者)を言い当てたりしたことがないにもかかわらず…。また、これらの問題に対して、「宗教家」に取材しているところを見たことがない。宗教家は単に「(葬儀等の)儀式を執行する人」であって、決して論理的に物事の構造を解説できる人とは思われていないようである。これがアメリカ当たりだったら、こういう問題に対しては、必ず、有名大学の教授陣と並んで、○○司教とか△△ラビといった宗教家にも意見を尋ねるところであるが…。 一方、テレビ番組は、これらのいわゆる専門家(社会学者や精神病理学者や犯罪心理学者等)といわれる「専門家」のいうことは無条件に聞き入れてしまう。もっとも、毎週テレビの画面に登場するような司会陣のほとんどは、教養もなければ論理的な応答もできない連中(テレビ番組を視ている大多数の人もそうだから仕方がないといえば仕方がない)だから、ゲストの「専門家」のご意見に対してバサッと切り込むことができるような人材はほとんどないのが現状だ。テレビというメディアは一般市民に与える影響が極めて大きいのだから、内容にもう少し責任を持って、出演者のIQテスト(特に、タレント=皮肉なネーミングだ)でもして「そこそこのレベル」以上の人しか出演させないようにして欲しいものだ。でないと、テレビを視ている人も、「この程度の内容で世渡りができるのか」と勘違いしてしまうではないか…。 ▼きっと天国の○○ちゃんも云々 ところで、最近、民放の低俗ワイドショーはいうまでもなく、NHKのきちんとしたニュース番組でも気になる表現がある。それは、猟奇事件や通り魔事件の被害者、あるいは、特に、児童などが殺されたりした事件の被害者の告別式の現場(特に、出棺のシーン)からの中継の際によく使われるレポーターの表現である。曰く「きっと天国の○○ちゃんも…」私には、この「天国の云々」という表現が気になってならない。放送局のレポーター氏のいう「天国」っていったいどういう意味なんだろうか? 正確な概念規定が行われているのであろうか? そもそもレポーター氏は「天国」の存在を信じているのであろうか? それとも、単に人が死んだ際に用いる慣用句なんだろうか? 以下の諸点で、この「天国」という表現には問題が考えられる。 まず、「天国」といったような「霊的な死後の世界」が存在するのかしないのかが明確では(国民的合意が取れて)ないではないか。呼称はどうであれ、「霊的な死後の世界」の存在を信じる人は、国民の70〜80%はいるであろう。しかしながら、逆を言うと、20〜30%の人(刑法その他の法律もそういう主旨から作られている)は、「死んだら終い(死後の世界なんか存在しない)」と考えている(私もその一人だ)ことになる。そうすると、「事件」の被害者やその家族が、そのような無神論者でないと誰が言えるのか? その人たちにとって、「きっと天国の○○ちゃんも云々」という表現は失礼ではないか? 次に、70〜80%の「死後の霊的な世界」を信じる人々にとっても、その「世界」に対する認識(呼称)はバラバラであるはずである。「死後の世界」のことを「天国」というのは、本来、キリスト教の表現のはずである。そして、この国のクリスチャンの人口は、カトリック・プロテスタントその他諸教派すべて合計しても、人口の1%に満たないはずである。大多数の日本人は仏教徒(その証拠に、テレビで中継される被害者の葬儀・告別式もほとんどが仏式)であるからして、その死者(被害者)の霊魂は、行くとしても「極楽」や「浄土」へ召されるはずである。否、必ずしも「極楽」や「浄土」とは限らなくて、人によっては「地獄」や他の世界(餓鬼道・畜生道等)へ召されるかもしれない。さらに、仏教の中には、禅宗のように「霊肉二元論を否定」している(生前の「悟り」こそ大切で、死後の霊魂なんかは問題外)宗派もある。 ▼スーパー天国は、やりたい放題 そうすると、死後、その人の霊魂が「天国」というところへ行ける可能性は、この国においてはほとんどないという結論に達することは容易に推察できる。にもかかわらず、この国のテレビのレポーターは毎回「きっと天国の○○ちゃんも云々」という表現を無神経に使っている。ということは、テレビ関係者は相当バカばかりであるか、もしくは、テレビ界だけで通用するローカル言語(隠語、いわゆる「ギョーカイ語」)としての「天国」という言葉が、一般言語の意味体系とは別個に存在するかのどちらかである。そういえば、マスコミによって造られた言葉に「接待天国」や「風俗天国」といった言葉があったが、これらは明らかに比喩である。「やりたい放題」という意味である。明らかに、宗教が説く本来の「天国」とは意味が異なる。 ところが、事件報道の犠牲者の霊魂について述べる際のマスコミ用語としての「天国」と、宗教用語としての「天国」とは、表現上の発音や表記上の漢字が同じであるにもかかわらず、意味が異なるのでかえって誤解を生じやすい。逆に、一見、まったく関係のないように見えるもののほうが論理的に近縁であったりする。例えば、以前『ウルトラマンに観る親鸞思想』で論じたような「光の国」と「浄土」の関係類比などがある。マスコミ用語としての「天国」は、狭義(クリスチャン)の「天国」だけでなく、仏教徒の「極楽」や「浄土」や、さらには、正反対の「地獄(餓鬼・畜生等)」まで含めた「死後の霊魂が行く世界」という意味で使われているだけで留まらず、「霊魂」の存在を否定している無神論者や唯物論者の「死後の世界」までも包摂した非常に大きな、いわば「スーパー天国」ともいうべき万能語なのである。そういえば、マスコミが使うときの「天国」という語には、もともと「やりたい放題」という意味があったっけ…。まさに、マスコミが「やりたい放題」のスーパー天国である。 |