検査に手心加えます:悪いのは政治家?
00年 2月 29日 |
レルネット主幹 三宅善信
▼検査が厳しすぎたら私に言ってください
大蔵省に集中しすぎた権限(財政と金融)を分割し、国際的に失墜した金融信用秩序の回復を目指して設置された金融監督庁の「屋上屋」機関である金融再生委員会の越智通雄委員長(当時)が、2月19日、こともあろうに、今年から検査に入る信用組合の関係者たちを前にぶった演説(講演会の主催者である同じ森派の蓮見進代議士へのリップサービスという面があるが)が元で、「大臣」を辞任する(実質的には更迭)羽目になった。石原慎太郎都知事がぶち上げた大手銀行対する外形標準課税構想の時にも、「事前告知を受けていなかった」発言で、石原都知事からバカ呼ばわれされたばかりだから、同氏はまさに「泣きっ面に蜂」状態だ。
金融監督行政の長が「(監督庁の)検査が厳しすぎたら、議員を通じて私のところへ言って来てください。最大限考慮します(手心を加えます)から」なんて発言をしたら、国民の(国際マーケットも)金融行政に対する信頼が失墜するのも当然である。たとえ実態がそうであったとしても、決してそれを言葉にしてはいけないことは、政治家として常識中の常識である。公の立場にある人にとって「李下に冠を正さず」は基本である。私が3歳になった息子に、最初に訓えた諺・格言も「李下に冠を正さず」だった。曰く「(悪いことをしただろうと)疑われることは、実際に悪いことをするよりも、さらに悪いことである」えらい教育をしているもんだ、わが家は…。実は、私のペンネームのひとつに李正冠(イ・ジォングァン)がある。もちろん、「怪しい」と疑われるような内容の文章を書く時の洒落である。
ところで、今回の越智委員長の「手心」発言について、マスコミや野党は批判するばかりであるが、それだけでは、ことの正鵠(せいこく)を得ていない。なぜ、越智委員長がそのような発言をしたのかという根本的な理由が解っていない。この問題は、実は、明治以後の行政システムの構造的問題と密接に関連しているからだ。あるいは、この国の健全な民主主義の運営を考える上で大いなる問題があるともいえる。
▼見たけど見ていない
私は、最近、ある法人の代表役員に就任するため、とある地方法務局(出張所)へ赴くことがあった。必要な書類十数部を整えて、書類を提出しに行ったら、窓口で以下のように応対された。三宅:「何しろ初めての経験ですので、過不足・不適切な点があれば、ご指示いただきたい(実際は、「雛形」の用紙のブランクになった箇所に固有名詞を書き込んで、登記印を捺すだけ。間違いようがない)」 法務局:「必要書類が全部整ってから内容を審査します」 三宅:「ですから、足りない書類があれば、今ここで仰ってください。私が当該法人の代表役員で、印鑑もここにありますから」 法務局:「全部書類が整わないと審査できませんので、今日のところはお引き取りを…」 そして、私が家に帰り着くよりも前に、法務局から電話がかかってきた。そして、私が家から法務局に電話すると、法務局:「これこれの書類が足りません」 三宅:「その書類が足らないということは、私が提出した書類の中味をご覧になったから、そう言われているのですね」 法務局:「いいえ、あくまで書類は全て整ってからしか見ません(審査いたしません)」 三宅:「おかしいじゃないですか。見なければ、書類が足りているか足らないかどうして判るのですか?」 法務局:「見た(確認した)けれど、見て(審査して)いないんです…」
代表役員当人が出頭しているのだから、その場で言ってくれればすぐ済むものを、わざわざ一旦、帰らせて、再来庁させようという魂胆である。家に帰り着くまでに電話がかかってきたということは、直ぐに内容をチェックしたということの証拠である。それを「見たけれど、見ていない」というのだ。こういう押し問答が何回かあって(その度に、私の代理が何回か法務局に足を運んだ)、また、電話がかかってきた。法務局:「提出された『法人規則』が2部ありますが、いったいどちらが『原本』で、どちらが『謄本』でしょうか? 判らないのですが…」 三宅:「そんなもの一目で判るでしょう。『原本』は、捺してある印鑑が朱色のほうで、それをコピーに撮った『謄本』は、印鑑の部分が黒色のほうじゃないですか」 法務局:「しかし、『謄本』の裏に『これは原本と相違ない』と裏書きされていませんが…」 三宅:「あなた今、『謄本の裏に』と仰ったじゃないですか。つまり、あなたは『こちらが謄本だ』と、明確に認識していたから、『謄本の裏に云々』と仰ったんでしょう。それなら、初めから『裏書きが抜けている』というべきであって、『どちらが原本で、どちらが謄本が判らない』などという言い方はすべきじゃないでしょう」 法務局:「……」 結局、忙しい中を2週間ほどかかって、数回、法務局へ足を運んで、登記事項が完了し、その登記簿謄本を持って、また次の所轄庁へと足を運ぶこととなった。
▼政治家と役に立たない「役人」
読者の皆さんも、このようなバカげた役人との応答をどこかで経験されたことがあるでしょう。この法務局の役人は、私よりどう見ても十歳以上は年少であるのに、口を利き方が横柄である。「公務員は公僕(public
servant)である」という意識がまるでない。一方、最近、知り合いになったある代議士に、笑い話としてこの法務局でのエピソードを話すと; 代議士:「お忙しい三宅先生に対して何たる失礼な奴だ」 三宅:「いやいや、彼も職務熱心のあまり杓子定規になっていたのでしょう。役人はあれくらいでちょうどいいんです」 代議士:「先生の顔を一目見たら、人品方正な方だと判るはずです」 三宅:「いやいやこの髭面ですから『怪しいグル』にでも見えたのじゃないですか」 代議士:「今度からそのようなことがおありでしたら、是非、私に申しつけて下さい。何でもすぐにさせますから…」 この代議士は、中央省庁の現職の総括政務次官である。しかも、大臣が国際交渉で外遊中の留守居役の多忙な時に、私のために2時間も割いて下さったのである。この代議士と私の年齢差は、逆に十歳以上代議士のほうが年長であるのに、言葉遣いはとても丁重であった。もっとも、国会議員の使う「先生」は、中国人の使う「先生」と同じで「○○さん」程度の意味であるが…。
このことから判ることは、税金から給与を貰っているのに、国民(納税者)のことなんか少しも考えていない「役人」があまりにも多いので、その不自由さに対する国民(企業や団体でも可)の側の「代替手段」として、この国の政治家が存在するのである。「国会議員」という本来、国全体のこと(安全保障や国際関係)を考えなければならない立場の人が、国民の役に立たない「役人」を強制的に動かすための装置として機能してしまっているのである。この国では、選挙で選ばれた「国民の代表」たる国会議員の仕事は、本来の業務である「立法」のためとしてではなく、「行政」の一部となっている。
▼日本文化と相容れないキャリア官僚
明治維新以来130年間が経過して、この国の「近代的」諸制度が各所で制度疲労を起こしている。その中でも、顕著なのが「キャリア(旧制では高等文官)制度」である。そもそも、この国では「試験によって高級官僚を任官する」という制度は馴染まないものと考える。当時、世界文明の中心国(中華)であった中国(随・唐帝国)の諸制度をなんでもかんでも有り難がって真似をした飛鳥・奈良時代の日本にあって、中国では盛んに行われていたのに、どうしても日本に受け容れられなかった2つの制度が宦官と科挙の制度である。私が考え出した日本宗教文化の図式からすると、「儒教―(宦官+科挙)=仏教―(出家+戒律)=神道(日本教)」という公式が成り立つくらい、科挙の制度は「非日本的なもの」なのである。
その「科挙(国家公務員採用試験第T種)」によって選ばれたキャリア官僚ほど、本来「非日本的なもの」はない。キャリア官僚は、まさに国を危うくする現代の奸臣である。そういえば、例の新潟県警の小林幸二本部長や関東管区警察局の中田好昭局長は共にキャリア官僚である。彼らの釈明会見を聞いて「またいつもの言い訳か」と思ったのは、私だけではあるまい。「(監察の当日に)県警本部長と温泉で麻雀したけれど、そのことと監察に手心を加えることとは関係ない」 論理的には、二つの事象(監察と接待)は別件であるが、社会から疑念の目を向けられても仕方がない、文字通り「李下に冠を正す」行為に他ならない。冒頭の越智金融再生委員長の「(検査が厳しすぎたら)私に言って来てください。最大限考慮しますから」発言同様、ここらで一度、根本的に制度を改める必要がある。
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