「大和魂」考
       00年 05月30日
 
レルネット主幹 三宅善信

▼百年単位、千年単位で…

  森総理の「神の国」発言のおかげで、レルネットのヒット数は上昇し、読者からは「今度は『政治と詐欺の境界線』のテーマで書いて欲しい」というリクエストまで舞い込む始末である。世紀末(千年紀末)に当たり、これから先のこの国の形について、目先の課題ではなくて、この十年間にこの国で、あるいは世界で起きたさまざまな予兆を通して、百年先、千年先の歴史の評価に耐え得る日本人の自然観・死生観・宗教観等についてじっくりと考える時期に来ているのではないかとさえ思う。

  亡くなった小渕「前」総理は、「二兎追う者は一兎も得ず」と言って、孫子の代に大借金を残すバラ撒き経済刺激政策を行った(しかも、本人は死んで、責任すら取れなくなってしまった)が、私に言わせていただければ、こんなもの全くのナンセンスである。経済などどちら(好況・不況)でもいい。本来、景気というものは自ずから(「神の見えざる御手」によって)「上がったり下がったりする」ものなのである。20年も30年も続く好況もなければ不況もない。平均的な日本人の場合を考えれば、一生の間に、数回の好景気と数回の不景気を経験するだけのことである。各個人が就職期や退職期にどちらが当たるかは、いわば「運」次第である。この十年間、「戦後最悪の不況」と言われながら、飢えて死んだ日本人が一人でもいるか? それどころか糖尿病患者の数は増える一方である。このゴールデンウイークの海外旅行者数は史上最高だったそうである。旧ユーゴ地域やアフリカ諸国の人々が聞いたら、「どこが不況だ!」と怒るにちがいない。

  そこで私は、せっかく森総理が「天皇を中心とした神の国」などという「右がかった」話題を提供してくれたので、前作『森を見て木を見ず:「神の国」論争』に続いて、たぶん、神道政治連盟の皆さんも関心があるであろう「大和魂(やまとだましい)」について、今回は採り上げてみたい。


▼勇猛果敢な日系ボクサー

  私が最初に「大和魂」という言葉を知ったのは、記憶に残っている限りでは、小学生の頃(1960年代後半)にテレビで視たボクシングの世界タイトルマッチの一シーンであった。ハワイ出身の日系人(だったと思う。日本語が少し不自然だったから)ボクサーの藤猛(ふじたけし)という選手が彗星のように現れ、世界チャンピオンになって、彗星のように去っていった。ハードパンチャー(ほとんどディフェンスの技術がない)の藤猛選手は、「仇役の外人」(藤猛選手自身が「アメリカ国籍」なのであるが、当時は、その辺の理屈はよく解らなかった)チャンピオンを派手にKOした後で「大和魂!」と叫んだのである。当時、ボクシングと言えばme-ismの『あしたのジョー』しか知らなかった少年期の私にとっては強烈なインパクトがあった。だいいち、彼のリングネームからして、いかにもって感じの「藤(=富士山のフジ)+猛(=日本武尊のタケル)」ではないか…。あまりにも出来過ぎている。しかも、リング上で勝利者インタビューを受ける彼は、TV中継の画面に向かって「岡山のおばあちゃん視てる?」と曰った…。45歳以上の(日本)人なら、彼のことは誰でも覚えているであろう。

  もちろん、20世紀前半に行われた日中戦争や太平洋戦争で、「大和魂」という惹句(コピー)が、「非道な欧米列強によって植民地化された大東亜諸国の民衆を解放する聖戦ために、勇猛果敢に戦った皇軍の兵士たちを鼓舞する」ためのものであったことは言うまでもない。意味するところは、勇猛果敢・清廉潔白・滅私奉公等をひっくるめたたいそう立派な精神状態のことである。たぶん、神道政治連盟の皆さんの意図する「大和魂」も、これに似たり寄ったりの概念であろう。しかし、「大和魂」という言葉(言霊)が持っているイメージとは、本来それだけのものなのであろうか? 


▼朝日に匂ふ山桜花

 「敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花」18世紀後半の国学者本居宣長の詠んだ和歌である。辞書を索けば、「大和魂=大和心」であり、「漢意(からごころ)・漢才(からざえ)の反対語」とある。明治維新の思想的原動力となった尊皇攘夷思想のいわば「家元」みたいな大国学者である本居宣長が詠んだ歌であるからして、国学者のいうところの「大和心(魂)」とは、いわば「朝日に匂ふ山桜花」のようなものということになる。まるで禅問答である。そういえば、Made in Japan のアニメとして全世界を席巻した『ポケモン』の仇役ロケット団が登場するときに吐く決め台詞も「なんだかんだと聞かれたら 答えてあげるが世の情け…」だった。ほとんど、同じ精神構造である。『広辞苑』によると、「大和心(やまとだましいに同じ。日本人の持つ、やさしく、やわらいだ心情)」とある。とてもじゃないが、特攻精神には結びつかないではないか…。「大和魂」とは、後天的に(学習して)身につけるべき「漢才(中国風の学問・教養)」に対する語であることは間違いない。

  先日、小学校5年生になる長男が、子供向けに易しく書かれた『源氏物語』を読んでいるを知った。私が初めて『源氏物語』を読んだ(読まされた)のは、高校の古典古文の授業というシチュエーションだったため、テストに出る文法などの小難しい解説の丸暗記が主だったので、稀代の長編恋愛小説であにもかかわらず、少しも「すぐれてときめき給」わなかったことを思い出す。「今の子供たちはませているなぁ」と思いながら、これを横取りして54帖一気読みを試みた。高校の夏休みの宿題で、参考書片手に54帖一気読みして以来のことである。41歳の現在、恋愛経験は光源氏に遥か及ばないとしても、人生の機微の体験ならいい勝負かもしれない。少なくとも十代の頃とは大違いである。子供向けにも関わらずこれがなかなか面白い。これなら、小難しい文法なんぞは後回しにして、口語文で先に読むべきであったと思ったくらいだ。


▼光源氏の教育方針

  この『源氏物語』を一気読みしている途中で、ハタと手が止まった。21帖『乙女』の巻である。須磨から都へ(野党から与党へ)復権した源氏は、これまで逆風だった政界の風向きが一気に自分のほうへ傾き、秘中の秘であったはずの冷泉帝出生の秘密(父桐壺帝の女御藤壺と源氏の間の不義の子が現天皇の冷泉帝)が露見したにもかかわらず、かえって位人臣を極めて太政大臣に昇進。六条院に壮麗な屋敷を建てて、春夏秋冬それぞれの御殿に妻(複数)を住まわせ、人生の絶頂期を迎えるという件である。そこで源氏は、最初の妻葵の上の実家で育てられていて、この年元服したばかりの12歳の嫡男夕霧を大学(律令制度における大学寮)に入学させる場面がある。当時の公家社会では、「蔭位(おんい)の制」といって、高位の貴族の子には本人の能力に関係なく、父・祖父の位階に応じて一定の位階が与えられ、それに相当する官職に就ける(キャリアからスタートできる)という特権があった。にもかかわらず、源氏は大切な嫡男をノンキャリからスタートさせるのである。少し長いが、同じ年頃の子供を持つ親としても興味深いので引用してみる。

「…高き家の子として、司・冠心にかなひ、世の中の盛りに驕りならひぬれば、学問などに身を苦しめむことは、いと遠くなむおぼゆべかめる。戯れ遊びを好みて、心のままなる官爵に昇りぬれば、時に従う世人の、下には鼻まじろぎをしつつ、追従し、気色とりつつ従ふほどは、おのづから人とおぼえて、やむごとなきやうなれど、時移り、さるべき人に立ち後れて、世衰ふる末には、人に軽め侮らるるに、かかりどころなきことになむ侍る。なほ才を本にしてこそ、大和魂の世に用ゐらるる方も強う侍らめ。さしあたりては、心もとなきやうに侍れども、つひの世の重しとなるべき心おきてを習ひなば、侍らずなりむ後も、うしろやすかるべきによりなむ…」 おおかたの意味は、「身分の高い家柄の子供だからといって、苦労せずに思い通りの官職につけば、後になって勉強する気なんてバカバカしくって起きやしない。強力なバック(源氏)がいるうちは、みな追従し、おべっかを使うけれども、内心ではバカにしているに違いない。そういう状態が続くうちは、自分でも実力があると錯覚して自惚れているのだが、時勢が変わり、バックがいなくなると、世人は手のひらを返したようになるものだ。その点、学問(漢才)を基本にしてこそ、実際能力の効用が発揮されるのだ。入学当初は官位が低くて不満だろうが、最終的には国家を支える重臣になるべき心構えを習得するなら、私が死んだ後も安心だという訳で…」ってところか…。


▼大和魂だけでは役に立たない

  ここでいう「大和魂」とは、後天的に学習することによって身に付く「漢才」ではなくて、生まれつきの感受性や日常生活の中で自然に育まれた適応能力のことを指しているのは明らかだ。この日本固有の精神の発露を紫式部は源氏をして「大和魂」と呼ばせしめている。ここでいう「大和魂」とは、花鳥風月の愛(め)で方から女性の口説き方まで含めている。しかも、「大和魂」だけでは不十分で、「漢才」とのコンビネーションがなければ役に立たないとまで言い切っている。つまり、「和魂漢才」である。この「和魂漢才」と近代(明治維新以後)における「和魂洋才」とは、表現は一見似ている(先進国の美味しいところ取りだけして、本質は変えない)が、その指し示すところは全く異質である。なぜなら、前者(平安時代)の「和魂」は、いわば「可憐な花を愛でる風流心」であり、後者(近代)の「和魂」は、いわば「外敵に挑む果敢な闘争心(=荒魂)」のことであるからである。

  神道の世界で古来説かれてきた人間精神(魂)の4つの状態、すなわち、和魂(にぎみたま)・荒魂(あらみたま)・幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)のうち、和魂(にぎみたま)こそが和魂(わこん)の典型であり、その大いなるものが「大和魂」であると考えたほうが自然ではないだろうか。それを踏まえて、もう一度、本居宣長の和歌を味わってみると「敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花」の意味が良く解る。宣長から後れること半世紀、19世紀前半に活躍した『南総里見八犬伝』で有名な読本作者の曲亭馬琴の『椿説弓張月(ちゅんせつゆみはりづき=琉球王朝を舞台にして犬塚信乃が活躍する話)』には、以下の叙述がある。「…事に迫りて死を軽んずるは、大和魂なれど、多くは慮(おもいはかり)の浅きに似て、学ばざるの過ちなり…」ともある。どうやら、日本人は合理的な思慮の外の感覚的行動にこそ、美学を求めているのであるに違いない。それなら、森総理も立派な日本人である。世界に通用するかしないかは別として…。


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