「20世紀の10大ニュース」考
01年 1月11日 |
レルネット主幹 三宅善信
▼日本的な「ベスト・テン」企画
ついにというか、やっとというか、とうとう"21世紀"の幕が開けた。クリスチャンではない多くの日本人にとって、イエス・キリストの誕生を基準(これをAnno Domini=「主の紀元」1年と定めた)に策定されたグレゴリオ暦の2001年目ということになる"21世紀"という呼び方やそれに基づいた"世紀末"や"新世紀"という表現を無批判に用いることには賛成できかねる(イスラム圏ではヒジュラ暦が、上座部仏教圏では佛暦が用いられていることはいうまでもない)が、文明や社会の変遷を百年単位・千年単位で総括・展望するための「便利な区切り」と考えれば、そう目くじらを立てることもあるまい。それにしても、1999年から2000年に変わる時に、コンピュータが誤作動を起こして社会に大変な混乱が起こるかもしれないと心配した1年前の"Y2K"騒ぎが嘘のような世紀替わりであった。
さて、"世紀末"でもあった昨年末には、師走の恒例行事である「今年の10大ニュース(事件)」とともに、「20世紀の10大ニュース(事件)」などというものが「世紀末」的イベントとして行われていた。他にも、「アニメ番組ベスト100」とか「20世紀プロ野球ベスト・ナイン」とか「20世紀ニッポンの歌(紅白歌合戦)」等々、それぞれの分野別に"ベスト・テン"ものが行われていた。それらに共通するものの中に、極めて"日本的"な要素があるように思われたので、前世紀へのレクイエムの意味も込めて、今回はこれをテーマに取り上げてみたいと思う。
もし、私がこのような"ベスト・テン"ものの企画者だったら、まず、候補の選定方法からはじまってランキングの得点計算方法まで、最初に明確にしてから「募集」を始めると思うが、テレビ局の企画ものなどには、そのような意図はあまり感じられず、むしろ、12月1日にスタートしたデジタル放送の売り物のひとつである「アルタナティブ(双方向性)」の便利さばかりが強調される嫌いがあった。もし、これらのあり方が「IT社会の推進」の題目のもと、各種の世論調査や果ては公職選挙の投票方法そのものに無批判に援用されてゆくのであれば、道を誤る(現在でも、既に十分、踏み外している)ような気がする。
▼投票参加者には120歳の超高齢者が望ましい?
まず、不特定多数の人々に「ベスト・テン」を投票させる際に、主催者側で予め「候補」を選んでおいてから参加者に「投票」させるのか、それとも事前に一切の「候補」を立てずに、参加者が任意に投票したものをジャンルもなにも考えずに片っ端から累計してゆくという2つの方法が考えられるが、後者の場合は、例えば政治的事件と天変地異、科学的発見と文化的な流行などが「十把ひとからげ」にカウントされることになり、そのことに果たして「意味」があるのかどうかということが疑われる。「候補」のジャンルを限定せずに投票を行うのなら、"有権者"を限定するのもひとつの方法だと思う。例えば「国会議員に聞いた、今世紀の十大事件は?」とか「女子高生に聞く○○ベスト・テンは?」という統計の取り方である。しかし、やはり王道は、予めジャンル毎に「候補」を決めておいてから、投票させるのが本筋であろう。
しかし、この方法を採用したとしても、まだまだ問題が残る。それは、人は一般的に、最近の記憶のほうがずっと以前の記憶よりもより鮮明に残るからである。例えば、1995年に起きた阪神淡路大震災と1923年に起きた関東大震災とでは、死者の数では、関東大震災のほうが20倍以上の大惨事であったにもかかわらず、某テレビ局が実施した「20世紀の10大事件」には、阪神淡路大震災のほうが挙げられていた。もちろん、件の関東大震災といえども、20世紀に世界で発生した数多の自然災害(地震・噴火・台風・津波等)の中でいえば、必ずしもトップ10に挙げられるような「超」大災害であったかどうかというとその限りではないことは明白である。
しかも、20世紀に起きた出来事を1901年から2000年に至るまで、"公正"に評価しようと思ったら、理論的には投票者の年齢が120歳(!)くらいでなければならず、実際に行われている「20世紀の10大事件」の投票者の大半が、そもそも20世紀の前半に起きたことを「知らない(経験していない)」ということすらあり得る。これなど、人々の「経験」による差違の要素を排除しようと思えば、ほとんど誰も経験していない「19世紀の10大事件(笑い)」を募集しなければならない羽目になる。20世紀に起きた事件なんて、まだまだ生々し過ぎて…。
▼「現」支配者にとって都合の良い「歴史」
読者の皆さんは、「19世紀の10大事件」(を考えてみる)なんてなんの意味があるのか? と思われるかもしれないが、これが結構、「20世紀の10大事件」を考えてみる上で役に立つ示唆を与えてくれている。なぜなら、その(事件が起きた)時は、誰もが「大変な事件だ」と思ったようなことでも、後で考えてみると、あまり大したことではなかったり、逆に、その時は「大したことはない」と思っていたいたことが、後から考えてみると、時代のターニングポイントになっていたりすることがあるからである。その点、「19世紀の10大事件」を考えてみることは、少なくとも、百年の歴史の風雪に耐えて、今なお色褪せない重要性を持っている出来事だけが「19世紀の10大事件」に生き残れるのであるから、われわれが「20世紀の10大事件」について考えるときにも、この選択が、果たして百年後においても妥当性を有しているかどうかという目で自己を厳しくチャックしながら行う必要があるからである。
果たして、日本で昨年末に盛んに行われた「20世紀の10大事件」特集なるものが、そのような基準で選考されたのであろうか? 大いに疑問を感じる。というよりも、大半は、そういう方法論的妥当性の考察が必要であるということなど、考えてもみないで実施されているであろう。なにせ、わがニッポン人という民族は、あまり「歴史によって自らが評価される」ということを意識しない民族性を有しているように思われるからである。
世界中において、多くの歴史書(についての公式記録)が、メソポタミアに「国家」というものが成立して以来――それは同時に記録を付けるための「文字」というものの発明にもつながっているのであるが――書き続けられてきた。しかし、それらの多くは、歴史書を編纂させている「現」支配者にとって都合のよい歴史の記録である場合がほとんどである。古代エジプトのファラオの記録しかり、『日本書紀』しかりである。ところが、世界史上、希に見る長期間にわたり、次の時代の支配者が前の時代の支配者の記録書を作るという営みを続けてきた民族がある。他ならぬ漢民族がそうである。漢字という、世界史上に奇跡ともいえる豊かな文字文化を発明したこの民族は、その最初の段階から、歴史の記録を付けるということに執念を燃やしてきた。孔子の『春秋』しかり、司馬遷の『史記』しかり…。
▼「易姓革命」と「万世一系」のどちらが歴史的か?
しかも、漢民族の発明(というよりは、歴史的経験知)した「次の王朝が前の王朝の公式記録を作成する」という方法は、極めて合理性のあるものである。執筆者は、現支配者に遠慮する必要がなく、自分が調べたことをそのまま記録に残すことができる。為政者も、前王朝がいかにして成立し、いかにして栄え、いかにして滅んだかを知ることができるので、歴史書に書かれてあることを尊重する限り、極めて有効なテキストとなり得る。"易姓革命"ということが王朝成立の前提であった中国文化の偉大な遺産である。その点、神代の昔から"万世一系"の天皇(「祭祀王」としての天皇は、新嘗祭などを通じて、その都度、再生し、古の皇祖神と一体化する)を戴くこの国においては、かえって歴史認識(historical perspective)が希薄になる。
日本の歴史書と言えば、『日本書紀』・『続日本紀』に始まる律令国家の公式の国史や鎌倉幕府の公式記録『吾妻鏡』や江戸幕府の公式記録『徳川実録』の他に、個人が執筆したものの中に、以下の3作品が代表的である。1)鎌倉武士の台頭した時代に、日本の歴史を「道理」の盛衰によって「7期」に分け、王法仏法相互扶助説を説いた関白九条兼実の弟、天台座主慈円の『愚管抄』。2)南北朝時代に、「南朝」を正当化するための神秘的歴史観による大義名分論を核心とし、末法思想を否定した北畠親房の『神皇正統記』。3)元禄時代に、日本の歴史が公家9変と武家5変を経て徳川政権になった推移と、歴史上の人物・事件に儒教倫理を尺度として批判を加えた新井白石の『読史余論』。などが挙げられるが、どの作品も、はるか過去のことに対しては、そこそこ客観的であろうとするが、自分の時代に近しいところでは、実のところ、極めて「我田引水」の性向が強く、統一的な歴史認識が貫かれているとは言い難い。
中国の歴史書においては、ひとつのパターンが存在する。最初に、(その歴史書が編纂されることになった)前々王朝末期の社会的混乱と堕落した帝王のあり方が描かれる(例えば、「酒池肉林」の故事で悪名の高い殷の紂王)。続いて、「天命」が下って(ここでいう「天命」とは、人々に挙兵することを乞われるという形式を取る)次の王朝の高祖(創業者)となる聖天子(例えば、周の武王)が登場する。易姓革命が起き、新しい王朝がスタートする。その間、いろんな出来事があって、政権に腐敗を生じ、最後には前王朝が崩壊してゆく(つまり、この歴史書を編纂させた現王朝の創業者の登場前夜となる)のであるが、その最後の(現支配者にとっては)一番「美味しい部分」は、実は、現王朝が滅んでから後、次期王朝の歴史学者によって編纂されるのである。天下を手中に治めた者は誰でも、後の世の歴史(学者)の評価を気にしながら政治を進めなければならないのである。この方式は、漢民族だけではなく、中華帝国を支配した異民族王朝においても、厳格に踏襲された。モンゴル人の王朝である『元史』を漢民族の王朝である明朝が編纂し、明朝の歴史(『明史』)を満州人の王朝である清朝が編纂した。
ところが、残念なことに、20世紀の中国においては、この中華帝国悠久の伝統が履行されなくなったのである。1911年、これも20世紀の出来事だ。辛亥革命によって清朝が崩壊し、その後、孫文が南京に都して中華民国が建国された。さらに、1949年には、毛沢東が北京に都して中華人民共和国が建国し(中華民国は台湾に逃れ、現在に至っている)したが、いずれも『清史』を編纂していない。中国の伝統に従えば、前王朝の史書を編纂できる権利を有するものが、次なる中華帝国の「天命を受けた(民衆によって承認された)」支配者であるにもかかわらず…。両共和国とも、実行支配の有無は別として、悠久の昔から連綿と続く中華帝国の正当な継承者ではないのかもしれない。台北の「故宮」博物院にも、北京の「故宮」博物院にも、資料は山ほど保存されているにもかかわらず…。『清史』を編纂していないのだから…。満州に勃興した女真族の首領ヌルハチ(清朝の高祖)から"Last Emperor"宣統帝溥儀に至るまでの『清史』の一刻も早い編纂が望まれる。
▼核開発・電脳・遺伝子
さて、もう一度、「20世紀の10大事件」に話を戻すが、ここまで書いた前提を踏まえて、われわれが自信を持って22世紀の歴史家に残すことのできる「20世紀の10大事件」について考えてみよう。年々の流行などいうまでもないが、例えば「バブル経済とその崩壊」といったような、10・20年経てば色褪せてしまうような項目も、はじめから除外されなければならない。最低でも50年、できれば以後数百年間にわたって人類のあり方(生活や考え方)そのものに直接的影響を与えた物事でなければ、「20世紀の10大事件」にカウントするには相応しくない。そうすると、20世紀に起きた出来事の中から10の"historic events"を選ぶのは簡単な作業ではない。
比較的決めやすいのは「科学的分野」からの選出である。これから私が挙げる3点について異存のある者はおそらくいないであろう。まず、アインシュタインの相対性理論の発見とそれに基づく核エネルギーの開発。次に、コンピュータの開発とその社会全般への応用。さらに、DNAの発見とバイオ・テクノロジーの進展。これら3つの分野の業績を抜きにしては、今後のわれわれの生活は考えられないし、百年経っても「20世紀の3大発見・発明」として評価されるであろう。さらに、人によっては、この3つに加えて、宇宙開発とIT技術の普及を挙げるかもしれないが、この両者は、オリジナリティ性において、前3者とは比べるまでもなく劣っている。あくまで、既成の概念や技術の延長線上にあるといえる。世界を変えた技術といえば、自動車と航空機の普及は、生活のあり方を一変させた。
▼社会主義という壮大な実験
次に、「社会的分野」からの選出である。この分野については、「科学的分野」のそれよりは、はるかに難しい。なぜなら、百年後にはそのようなもの(考え方)はすっかり姿を消しているかもしれないし、逆に、千年前からそのような考え方を有している人がいたかもしれないからである。
そのような中で、まず、確実に挙げられるのが「社会主義政権の成立、実施、崩壊」という壮大な社会実験である。社会主義という概念自体は、そう新しいものではない。18世紀末のフランス革命直後や19世紀の経済学者K・マルクスのように、限定された地域においてごく短期間実験されたり、理論上で提唱されたりはしたことがあったが、何といっても、1917年のロシア革命に始まる本格的な社会主義政権の誕生以後のことである。この社会主義という壮大な実験には、世界中で十数億の民が実際に参加し、数千万人の犠牲(「反革命分子」ということで粛正された)が払われて、終わろうとしている。1989年の「ベルリンの壁」崩壊や1991年のソビエト連邦解体をもって社会主義が払拭されたと思うのは大きな間違いである。現在でも、中国・北朝鮮・ベトナム・キューバなどでは、「社会主義の実験」が継続されているからである。それよりも、欧米各国や日本などでは、社会主義の発想を取り入れた福祉政策などが大胆に採用され、ある意味では、「社会主義思想の継承者」と言ってもよいかも知れない。
▼大量生産・大量消費・大量廃棄・大量殺戮…。
二番目が、「大量生産・大量消費・大量廃棄社会」の出現であろう。これも、18世紀に英国で始まった産業革命の延長線上にあるともいえるが、「大衆」レベルでの大量消費という現象を生み出したのは、20世紀の所産である。19世紀までの社会には存在しなかった"消費者"という概念まで生み出された。このことは、世界中の隅々にまで便利な消費財を行き渡らせ、工業製品の世界標準化(例えば、世界中どこの国で買った乾電池でも使うことができる)をもたらせたが、同時に、このあり方は、大量の廃棄物を生み出し、重大な環境破壊をもたらせた。19世紀以前の社会が、基本的に省エネ、リサイクル社会であったことに思いを致していただきたい。1973年の石油ショック以来、「持続可能な開発・発展」ということが、先進国・途上国を問わず、合い言葉のようになったが、現実には、この種の自主規制は、資本主義体制と深く結びついた「開発」重視の業には抗しがたく、ついに、1992年にリオ・デ・ジャネイロで開催された国連環境サミットならびに、世界中の「温暖化ガス(炭酸ガスやメタンなど)」の排気量を1990年のレベルにまで削減するという「温暖化防止枠組み条約締約国会議(COP)」が組織され、近代になって以来、初めて「制限」ではなく「縮小」を目指す体制が合意されるようになった。
三番目が、世界中の多くの地域において選挙が実施されるようになり、ほとんどの人々が政治的決定に参画するようになったということである。このことを「社会の進歩や民主主義の成熟」などと手放しで喜ぶのは短絡的な見方である。いわゆる「近代国民国家(nation state)の形成」は、一方で、19世紀以前の戦争が、限られたプロの戦闘員(騎士や武士)同士の"ルール"に基づいた殺し合いであったのが、当該地域に居住するすべての人々(非戦闘員)を巻き込んだ"ルール"なき殺し合いの場と化すことを意味するからである。しかも、20世紀の科学技術の驚異的な発展によってもたらされた「大量破壊兵器」の開発は、各地で、信じられない程の死体の山を築くことになった。恐らく21世紀の戦争の形態が、ハイテク兵器によるピンポイント攻撃が主になると思われるので、ひとつの街ごと破壊し尽くしてしまうような戦争のあり方は、極めて20世紀を特徴づけるものとなるだろう。こういった観点からもう一度、「民主主義」という制度の人類史における普遍妥当性を考えてみる必要がある。ワイマール共和国の民主制がなければ、ヒトラーも政治力を持ち得なかったという皮肉を考えてみるがいい。
▼グローバル化とローカル化
最後に来るのが、いわゆる「地球化」という考え方である。もちろん、二千数百年前にアレキサンダー大王はインドにヘレニズム文化を伝えたし、ローマ・ペルシャ・中国を結んだシルクロードの交易、さらに、大航海時代以後のここ五百年は、それこそ地球規模で文物が移動したが、人々が生活する上で、地球規模で物事を考えなければならないようになったのは20世紀の特徴である。人・物・金・情報等が絶え間なく行き来し、地球の反対側で起こっている出来事が、即、今の自分のあり方に影響を与えるようになった。このことも、実は、2つの面を生み出した。ひとつめは、文字通りの「グローバル(普遍)化」である。ふたつめは、皮肉なことに、人々に「ローカル(特殊)化」を意識させるようになった。
この星に住む人間は、何人もグローバル化の影響を受けずに過ごすことはできないが、そのことがかえって、人々を民族主義や宗教原理主義などへと走らせる結果となった。ここにおける民族主義や宗教原理主義の危険性は、多様な民族や宗教の存在についての知識がほとんどなかった時代のそれ(例えば、中世欧州の十字軍)よりも、はるかに危険度が高い。自らの拠って立つべきアイデンティティ(民族・宗教等)が既に「絶対的に相対化」されてしまっている世界において、この現状に目を瞑り、自らの拠って立つアイデンティティを「絶対化」しなければ成り立たないという無理が生じるからである。20世紀に世界の各地で発生した数々の民族・宗教紛争は、いずれも「出口」の見えない泥沼化してしまったことが、これを証明している。
こうして、「20世紀の10大ニュース」を考えてみると、核開発・コンピュータ・遺伝子工学・大量生産・大量消費・大量廃棄・社会主義・民主主義・大量殺戮・地球化などというキーワードが紬出す諸現象によって構成された人類史上、極めて特殊な100年間であったと言えるのではないだろうか。また、このような、基本原則に対する考察を抜きにして、目の前の諸現象にだけ着目して感覚的に「ベスト・テン」ものを選ぶ日本人の感性――古来より、日本人に好まれた数多の「○○番付」を見れば判る――からすると、20 世紀という時代が日本人にとっていかなる時代であったかという自己吟味なしに、ただ単に、日めくりを1枚めくっただけで「21世紀に突入だ!」などと、ノー天気なことを言っている場合ではないと思うのは、私だけではないと思う。
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