放置国家ニッポン:国際救助隊発進せよ
01年 2月01日 |
レルネット主幹 三宅善信
▼その時、日本政府は何をした(しなかった)のか
インド各地で共和国記念日が祝われていた1月26日、パキスタン国境に近いインド西部のグジャラート州でマグニチュード7.9(エネルギーの大きさでいえば、阪神淡路大震災を引き起こした兵庫県南部地震の約10倍に相当!)の超大型地震が発生し、ただ日干しレンガを積み上げただけのような地震に極端に弱い構造の建物が多い地域だけに、死者・行方不明者の数は、15,000人とも20,000万人とも言われる(一説には10万人!)大惨事になった。最近、日本列島全体で地震や火山の噴火が"活動期"に入ったと言われている日本人にとって、21世紀の幕開け早々、中米エルサルバドルの大地震(地滑り等で死者・行方不明者千数百名)に続いての超大災害だけに、「そのうち日本にも大地震が…」と、気にしている人も多いだろう。
もちろん、"世紀"などという呼称や区切りは、西洋人が勝手に創り出した概念に過ぎないので、地球規模の地質学上の出来事(event)とはなんら関係ないことはいうまでもない。今般の西インド大地震で、突然、いのちを落とされた方にはご冥福をお祈りするし、家族や大切な人を亡くされた方には、こころからのお悔やみを申し上げるが、このことへの対応を通じても、私が日頃から指摘している日本文化の諸相のあれこれが見えてくるので、今回は、この大惨事への対応から話を説き起こしたい。
今回の大地震では、欧州諸国やトルコからの救援隊がいち早く現地入りしたというのに、「アジアの隣国」で、なおかつ、経験豊富な地震大国でもあるニッポンからは、とうとう(政府の)救援隊が派遣されなかった。否、正確には「救援隊の派遣を検討したが実施されなかった」ということだ。以下、公表されている関係官庁の当日の動きを記してみると、日本政府に今回のインド西部大地震の第一報が入ったのは、地震発生後約1時間半経過した26日の15:00頃だった。早速、外務省に検討チームが構成され、16:00には"救助チーム(註:救援活動には、救助チーム・医療チーム・復興支援チームがある)"の派遣が決定された。
しかし、ここからが日本的である。救援部隊の派遣を決めるのは外務省の仕事だが、派遣の特別予算(何にでも使える「機密費」があるじゃないか!)をつけるのは財務省の仕事であり、具体的なスタッフの人選は、警視庁・東京消防庁・海上保安庁などに依頼して"派遣"してもらい、その都度、スペシャルチームを編制するのである。しかも、公式には、相手国がら"派遣の要請"がないと出動できないことになっている。これをニューデリーの日本大使館を通じてインド政府に打診しつつ(こんなこと聞いても混乱している相手政府がまともに応えてくれるはずはない)、平行して航空券の手配にかかった。しかし、この時期(乾期)は、インド旅行にとって最も良い季節のために、インド行きの便はどの便もほとんど満席で、派遣隊30名分の席が確保できず、三々五々別便に分かれて手配しなければならなかた。"要人"が外遊するための政府特別機を使えば良いではないか!
ところが、いつまで経ってもインド政府からの派遣要請が来ずに、翌27日早朝、とうとう日本政府は救助チームの派遣を断念してしまった。27日午後のニュースの画面には、各国からの救助隊が懸命に人命救助活動をしている様子が映し出されていた。彼らは皆、インド政府からの"要請"を受けてから出発したのだろうか? そんなはずはない。「ともかく来た」から、インド政府(実際には、空港の入国管理官)も受け入れざるを得なかったのであろう。その証拠に、日頃から、宗教的・軍事的・政治的に厳しく対立している隣国パキスタンの救助隊さえ"現地"入りしていた。これなど、まさに「敵に塩を贈る」行為そのもので、相互不信から「核兵器開発競争」にまで展開している印パ両国関係の思わぬ緊張緩和に役立つかもしれない。
▼危機管理能力の欠如する社会
6年前の阪神淡路大震災の際に、被災地に最も近い(というよりは、被災地そのもの)に自衛隊の伊丹駐屯地があったが、当時、さんざん検証されたように、被災地の自治体からの「派遣要請」がなかった(自治体の首長そのものが被災して連絡ができなかった)ために、さらには、東京の首相官邸(当時は村山内閣)の深刻な事態の把握と迅速な決断ができなかったために、初期動作に遅れをとって、やおら失わなくてもいい人命を徒にした点を反省して、その後、官邸に対策室を設けることになった。また、今般の中央官庁統合においても、さらに官邸のリーダーシップを強めるという趣旨で、一層の情報の一元化と状況判断の迅速化が図られるようになったはずである。
こういった「予想されざる事態」が発生した際には、客観的な情報が全て出揃った次点では「時既に遅し」ということになっている場合が多く、限定された情報の中で、的確に将来の事態を推測し、現時点としては最善の判断を下す人(機構)が必要なことは、政府に限らず、企業でも、家庭でも同じである。この際、自らがリスクを負って決断できる人がいるかいないかは、結果において決定的な差を生じさせる。つまり、「予想された方向に事態が推移しなかったら、責任は俺が取るから、お前たち(現場)は○○をしろ!」と命令できる人(機構)がシステムとして存在するかどうかという問題である。いわゆる"危機管理"の問題である。
そして、日本社会が最も苦手なことがこの危機管理であることは、政治・経済・安全保障・公衆衛生・企業風土・学校教育等のどの分野に目をやっても明らかである。このことによって、国民の生命・財産がいかほど無為に失われているかを考えたことはあるのだろうか? 明治以降(特に戦後)の日本が、公には、民主主義的な法治国家を標榜し、また、実際にもこれを目指してきたことはいうまでもないが、その実は、その全く逆の場合が多かったことは、これまで本『主幹の主観』コーナーでたびたび論じてきたとおりである。しかも、今回は、国民の生命・財産に直接関わる危機管理の問題である。このような事態に際して、予め策定されていた法律や制度といったシステムを作動させて対処することになっているはずである。
もちろん、今回のインド西部大地震は、直接的には日本人の生命・財産には関係のない、いわば「対岸の火事」である。しかし、このような日本の状況において、興味深い出来事があった。開会されたばかりの国会でも、「KSD疑獄」や「機密費流用事件」にばかり目がいって、対応がおざなりになっている感のある事件のひとつに、海上自衛隊幕僚長による「無許可インド救援活動」がそのひとつである。事態の推移は概ね以下のとおりである。
▼海自艦が幕僚長判断で救援物資積む
2月15日からインドのムンバイ(旧ボンベイ)で行われることになっていた『インド建国50周年記念国際観艦式』に親善参加するため、たまたま1月27日に横須賀港を出港してインドに向けて航行していた海上自衛隊の護衛艦「あまぎり」が、1月29日夜、寄港地の沖縄で毛布や医薬品を積みこんでいたことが、30日明らかになった。外交ルートでの話がまとまる前に、海上幕僚長が独自の判断で、人道的支援を決めたもので、防衛庁内局も黙認した(後になって、「防衛庁長官が指示を出した」などという嘘丸出しの言い訳を発表した)。今回の地震では、27日朝に出発予定だった政府の緊急援助隊が中止になるなど、政府外務省とインド側との協議が混乱しており、緊急事態に対応しきれない政府の判断を待たず、海上自衛隊が行動した形だ。
「あまぎり」は1月27日に神奈川県の横須賀港を出港した。航行中に現地の被害の深刻さが明らかになり、海上自衛隊では29日夜に沖縄に寄港した「あまぎり」に毛布約1,000枚、缶詰飯と乾パン計約2,500食、医薬品などを県内の基地から集めて積み込んだ。船への装備積み込みは艦長など指揮官の権限でできるが、他国に渡す場合には国としての援助などの枠組みが必要となる。29日には防衛庁内で「物資を載せることで艦船の権限外使用にあたらないか」などの声もあったという。制服自衛官の中には「シビリアンコントロール(文民統制)と言いながら、対応が難しい場合は、防衛庁内局は指揮官の責任にしてしまう」と批判する声も出ているそうだ。
藤田幸生海上幕僚長は「私に与えられた権限で、基地の非常用の資材を護衛艦に積み込んだ。インドに提供する場合には別の法的な枠組みが必要になると思う。観艦式に集まる海軍の世界ではお互いに助けあう精神があるので、必要になった場合に対応する物資がないといけない。必要がなければ沖縄に戻す」と話している。
防衛庁では30日正午すぎ、斉藤斗志二長官がインド大使と会談し、「外務省から要請があった場合に迅速に対応できるよう検討している」として、医官らによる国際緊急援助隊を送る用意があることを表明している。護衛艦への資材搭載について防衛庁首脳は「政府としての対応が決まっておらず、外務省からの要請がないので防衛庁としては対応を検討していると言うしかない。しかし、護衛艦はインドに航行中で、今回を逃せば必要な場合に間に合わない。海上自衛隊から申し出があったので緊急避難として認めた」と話している。【1月31日付
毎日新聞】
▼放置(法治?)国家の本領発揮
しかし、官邸や外務省が判断できないからといって「現場の行動を許す」というのでは、満州事変(1931年)で関東軍の行動を追認した若槻内閣と同じだ。「自衛隊という形で行くのだから、官邸の判断は不可欠だ」というのでは、森首相の無判断・無能と河野外相の無責任(こんなことは、いまさら言うまでもないことであるが)で、シビリアンコントロールを自ら放棄していることになる。政治家も政治家なら官僚も官僚である。「機密費」疑惑で戦々恐々の外務省幹部は、インド西部大地震救援活動について迅速に判断すべきことをやっていない。防衛庁内局(こちらも、昨年は調達実施本部の不祥事が大事件となった)は外務省の顔色をうかがって決断できないので、結局現場の指揮官が判断することになる。国籍不明機の領空侵犯などが発生した時にも、"訓練"の名目で部隊を警備に出動させるといったことも、指揮官の判断で行われてきたが、これも緊急事態に対する政府の対応の遅れが現場にしわ寄せされた結果である。首相官邸が判断して防衛庁が手順を踏む原則を貫くには、迅速な判断とともに、「どこまで現場が判断していいのか」を法的に明記する必要がある。文字通り「放置(法治?)国家」ニッポンの本領が発揮された場面である。
実は、私は、この国の民主主義(の成熟度)を信用していない。このような体たらくな政治家や官僚ばかり排出されてくるのは、まさに、国民の民度そのものの低さの現れである。もっと正確に言えば、「"(信仰に基づいた)自己"の確立された個人が、各々の判断と責任でもって、"(普遍的な)理念"に対して"契約"を結ぶことによって"社会"を構成する」という意味での"民主主義"や"法治国家"というシステムは、確立された自己もなければ、普遍的な理念もなければ、契約という概念もないこの国においては馴染まない。西欧型の民主主義の真似事は、ニッポン人を決して幸福にするシステムではないとさえ言い切れる。非常に勝れた誰か(これを「お上」と呼ぶ)に全面的に統治権を依託してしまう、いわば"幕府政治"のほうが、中途半端な真似事の民主主義より、応答責任と判断機能を停止してしまっている大多数のニッポン人にとっては、比較的幸福に暮らしてゆけるのではないか、とすら思える。
しかし、だからといって、グローバル化された世界において、日本社会だけが「唯我独尊(劣?)」を主張することができないことは言うまでもない。何も、砲火を交える戦争にならなくても、エネルギーでも食料でも、ほんの数週間、輸入がストップすれば、それだけでお手上げである。国際社会と真っ向から対決して、北朝鮮やイラクのような耐乏生活に耐えられるだけの根性を持った日本人はほとんどいないであろう。この点において、「鎖国政策」を貫いていた徳川幕府とは、条件が大いに異なるのである。「国際貢献」抜きには、経済大国としての日本の存立はあり得ない。そこで、逆説的になるが"Think locally (ムラの論理で考えて). Act Globally (地球規模で活動する)."スーパーNGO団体の設立を提案したい。年間1兆円もあれば、十分活動ができる。なにせ、スタッフは全員ボランティアなので人件費が必要ないのだから…。金融機関に注ぎ込んだ公的資金や訳の判らない公共事業に注ぎ込んだ巨万の無駄金と比べたら微々たるものである。
▼国際救助隊を創設せよ
トレーシー兄弟とサンダーバードのメカ |
それは何かというと、世界中のどんな地域で大災害や大事故が発生しても、12時間以内に現地へ飛んで行き、派手な人命救援活動をして、サッと引き揚げる"国際救助隊"を結成するのである。責任者の「独断」で活動ができる民間(NGO)の団体として…。『Thunderbirds
(サンダーバード)』をイメージしていただければ、分かり易いと思う。スタッフは全員ボランティアなので人件費が必要でない上に、当然のことながら、非営利団体(NPO)なので法人税も不要である。"国際救助隊"への寄付行為はすべて免税措置を受けられるようにすれば、賛助会員(個人・法人)もたくさん集まるであろうし、最初のうちは、国からも「現物供与」という形で、自衛隊の輸送機や艦船を寄付してもらえばいい。「戦争をしない軍隊」である自衛隊にとっては、旧式の兵器はなかなか捌けないであろうから、「これ(払い下げしたの)で最新鋭の兵器を購入することができる」と防衛庁の幹部たちも喜ぶであろう。
航空機の操縦や艦船の運行、あるいは医療行為等については、それなりの専門技能が必要であろうから、自衛官や民間航空会社のパイロット、医師・看護婦等の希望者を募り、年間に1週間程度の有給休暇を取ってもらい、その間は、"国際救助隊"の"基地"でスタンバイしてもらえばいい。できれば、『サンダーバード』のように、リゾート気分たっぷりの南の島に"基地"を造れば、自分が当番の時に災害や事故が発生しなければ、本物の休暇を楽しめる。たぶん、滅多に大災害などは発生しないであろうから、ほとんどの"救助隊員"はのんびりと「いのちの洗濯」ができるはずである。災害はいつどこで発生するか判らないので、「いざ出動!」という時、すぐに現地へ赴けるようにするためには、太平洋・大西洋・インド洋と3カ所くらい"基地"を造ってもいいだろう。「出動・不出動」等の判断をする"司令官"も、当番制にすればよい。誰だって、最高判断者の緊張感を味わってみたいだろう。ずーっと続くのなら重荷であるが…。
バージルが操縦するメカ輸送機のTB2号 |
「高校生に社会奉仕活動を」などというケチくさい教育改革よりも、誰か政治家の中で、これぐらいの画期的な提案をする度量のある人はいないのだろうか。「顔の見えない国」である日本の国際貢献としては、最高の方法だと思うのは私だけではあるまい。今回のインドの大災害を目の当たりにしても、私が出来たことと言えば、多少の義援金を大阪のインド総領事館に持参(1月31日)し、関係者に弔意を伝えたくらいのことである。しかし、こんな"国際救助隊"が出来たなら、私も進んで参加するし、喜んで財的貢献もする。何を隠そう三宅三兄弟の次男坊である私は、幼少のみぎり、トレーシー家の次男坊で、サンダーバード2号の操縦士バージルに憧れていた。日常生活では芸術家肌のバージルが「いざ出動!」となると、冷静な判断力と迅速な行動力を持ち、どんな危険な現場にも果敢に飛び込んで行った。因みに、真っ先にロケット型のサンダーバード1号で現場に駆けつけながら、自らの手を汚さずに指揮だけ執っている長男スコットは、どうしても好きになれなかった。私は声高らかに提言したい、「国際救助隊を創設せよ」と…。
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