スタン・ハンセン:中央アジア回廊 
01年09月28日


レルネット主幹 三宅善信

▼「アジア」とは欧州側からの呼称である

 読者の皆さんは、「ユーラシア大陸」という言葉を聞いて、何を思い浮かべられるであろうか? もちろん、地球上最大の大陸であり、なおかつ、世界の総人口の85%上を含む大陸であるということをおそらくイメージされるであろう。しかし、地理学(地球物理学等の科学の一分野であるgeology)以外では、通常「ユーラシア大陸」という言葉はあまり使わない。文明圏としてのヨーロッパとアジアを分けて考える考え方が一般的であるからである。例えば、アフリカ大陸とか、アメリカ大陸とか、アジア大陸とか、ヨーロッパ大陸とかいった感じである。英語のcontinentalも、島国である英国から見た時のフランスやドイツといった「大陸側の」という意味である。オリンピックのマークである5つの輪も「五大陸」を表わしているというが、この「五大陸」とは、ヨーロッパ・アジア・アフリカ・オセアニア・アメリカのことを指している。文明史的にいうとアメリカ大陸(オセアニアも)というのは、ヨーロッパの文明の延長であるから、「五大陸」すなわち「全世界」というのは、あまり意味はないと言える。

 ユーラシア(Eurasia)大陸は、ヨーロッパ(Europe)とアジア(Asia)を合わせたものであるということは誰でも知っている。「大陸」という呼称は、地理的に他の大陸と分けらることができる、ひとつの大きな陸のかたまりということを意味している。もちろん、アフリカとユーラシア大陸の間にはスエズ地峡があり、また北米と南米大陸の間にはパナマ地峡というごく狭い陸地(運河で両方の海を繋ぐことのできる程の短距離)で繋がっているから、厳密に「分けられた」陸という訳ではないが、地球的規模からいうと明らかに「別の大陸」である。ところが、"ヨーロッパ大陸"と"アジア大陸"の間には、何処にもそんな"線"はない。両者は、概念上(文化史上)の区分なのである。しかも、これはヨーロッパ人が一方的に付けた区別である。トルコのボスポラス海峡を境に、イスタンブールのある側(西)がヨーロッパで、橋で渡った側(東)から「小アジア」が始まる。ギリシャ時代に「オリエント(東方)のペルシャ文化圏とこちら側のヘレニズム文化圏の境界線として、そう分けられて以来、そういう区分をしているのであるが、これは、明らかに地理学的には間違っていると言える。ちなみに、欧亜両大陸に跨る大ロシア帝国では、ウラル山脈よりも西をヨーロッパと呼び、東をアジア(シベリア)と呼んだ。

 よく、ヨーロッパ中心の地政学的(geopolitical)な呼び方の例として、イスラエルやレバノン、パレスチナ辺りのことを「近東(Near East)」と言い、アラビア湾岸地域のことを「中東(Middle East)」と言い、そして、日本や中国辺りのことを「極東(Far East)」と言う人が今でもいるが、これは明らかにユーロセントリックな考え方に毒されている。素直な気持ちで地球儀を見てみればよく判る。ユーラシア大陸というのは判りやすくいうと、大きな逆三角形をイメージしてもらえばいい。左右対称の二等辺逆三角形をイメージである。その一番右側、つまり北東側に、漢字文化圏を共有する北東アジア(中国、朝鮮半島、日本などを含む)があり、それと全く左右対称の形で逆三角形の左の端(北西側)にヨーロッパがある。ヨーロッパは、アルファベット文字を使う文化圏であり、なおかつキリスト教という宗教を共有している文化圏である。そして、逆三角形にはもうひとつの頂点、すなわち下の方に尖がっている部分であるが、これが南アジアのいわゆるインド亜大陸(Indian sub-continent)と言われるインド文化圏である。

 そして、南アジアと北東アジアの間に、いわゆる「インドシナ(=Indo-China)」と呼ばれる東南アジア文化圏がある。東南アジアの文化圏には、一応、上座部仏教(Theravada Buddhism)という共通項がある。なおかつ、高温多湿のモンスーン地帯で、米を主食にしている。一方、南のインド文化圏と北西のヨーロッパ文化圏との間にいわゆる南西アジア――ヨーロッパ側から言うと中近東――と呼ばれる地域であるが、この地域はアラビア語の文字を使って、イスラム教という宗教が支配的である。


▼中央アジアのスタン連合

 このそれぞれまったく歴史の異なる5つの文化圏があるということは、よく知られていることであるが、これだけ見ても、「ヨーロッパ」という概念に相当するのは、アラブ文化圏とかインド文化圏というものであり、それらを包括する「アジア」とは決して同格ではない。その上、ユーラシア大陸の逆三角形を見たときにあと2つの重要な地域が抜けている。ひとつは逆三角形の上辺、すなわち漢字文化圏とヨーロッパとの間に横たわる細長い針葉樹立地帯、気候の厳しいシベリアという世界である。この地域にはアルタイ語族のツングース系の人々がいるが、これについて考察するのは、またの機会にして、今回、取り上げたいのは、この逆三角形の形をしたユーラシア大陸のど真ん中に位置する「中央アジア」という地域についてである。この地域は、遊牧を主体としている地域であり、北東アジア・インド・南西アジア・ヨーロッパそれぞれの間を行き来するためには、この地域を通過することなしではできない。かつて、中国からは「西域」と呼ばれた地域であり、シルクロード沿線の国々である。今から1400年ほど前には、大唐の僧玄奘三蔵法師が仏典を求めて天竺まで行く道中に通ったコースに該当する諸国と言ってもよい。今回はこの地域のことについて話をする。

 この地域にどういう国家があるかということになるのであるが、そもそも近代の主権国家という概念が持っている統治領域(当該国の法律が及ぶ範囲)という言い方をすると、一応、現在は、それぞれの「国」の間に国境線が定まっているが、この地域に住む人々は主に遊牧生活を営んでいるから、本来この地域には国境線というものはなかったと考えてよい。そして、歴史上多くの民族がこの地域を通過して興亡を繰り返していったのである。

 現在、この地域に存在する国々にはひとつの共通項がある。それは何かと言うと、国名に「○○○スタン」と付くことである。旧ソビエト連邦を構成していた15の共和国のうち、中央アジアにある5つの共和国がまず挙げられる。すなわち、カザフスタン・トルクメニスタン・ウズベキスタン・キルギスタン・タジキスタンの5カ国である。「スタン」というのは英語の「State」と同じ意味のトルコ語に由来している。であるから、カザフスタンとは、カザフ人の国、トルクメニスタンというのはトルコ人の国、ウズベキスタンというのはウズベク人の国、キルギスタンというのはキルギス人の国、タジキスタンというのはタジク人の国という意味である。この5つの国々にもうひとつ共通するのは、イスラム教の国であるという点である。しかし、「○○○スタン」という国なら、これら以外にあと2つの国がある。今、話題のアフガニスタンとパキスタンである。旧ソ連の中央アジア5カ国と同じ、「○○○スタン」と付く国である。人々の生活や文化は、ほぼ同じような形態を保っている。

 さらに、もうひとつ重要な「○○○スタン」が逆三角形のユーラシア地図には隠されている。現在は中華人民共和国の西側の約4分の1くらいを占める地域で、中国側ではこの地域を「新疆ウイグル自治区」と呼んでいる。もちろん、現在の彼らの所属する(させられている)国は中華人民共和国であるが、文化的にも宗教的にも生活的にも、漢民族よりも、彼らははるかに中央アジアの「スタン連合」の5カ国に近い。事実、旧ソ連の5カ国側からは、この地域は「ウイグルスタン」と呼ばれている。つまり、「ウイグル人の国」という意味である。ちなみに、イスラム教のことを別名「回教」ともいうが、これは、中国の唐代に、西域のウイグル人が長安にも多数来朝していて、ウイグル人のことを当時の唐人は「回疆」人という字を当てて読ませていた。その回疆人たちが信じている宗教という意味で「回教」と呼ばれるようになったのである。であるから、旧ソ連邦が中央アジアのイスラム系遊牧諸民族の台頭によって解体したように、実は北京政府は、よく問題にされる人口の遥かに小さな、ダライ・ラマを中心とするチベットのラマ教文化圏よりもはるかに"国土"の面積も広大で、なおかつ、隣接する諸国家から、多くの軍事的支援が考えられる新疆ウイグル自治区で独立運動が起きることを一番恐れているのである。


▼「敵の敵は味方」論が世界に混乱をもたらせた

 現在、アメリカはアフガニスタンを攻撃するため、これまで「核開発をしている危険な国だ」ということで、敵対視していたパキスタンを味方に取込み(日本政府も、経済制裁を解除させられたどころか、多額の援助をさせられた)、なおかつ、タリバン政権を攻撃するために、アフガニスタンの中では少数派に追いやられてしまっていた故マスード将軍ら率いた北部同盟に肩入れをして、おそらく米国の傀儡政権をでっちあげ、これを承認し、その傀儡政権とアメリカとが安保条約を結ぶという形で、「安保条約を結んでいる一方の国が攻められた時は、もう一方の国は同盟全体に対して攻撃されたと見なす」という条項を適用し、そのことによってタリバンを攻撃することを合法化するという手を使うのであろう。

 しかし、この手は、旧ソ連共産主義政権が世界中で起こした社会主義革命と同じ方法である。このような計画が上手くいくとは思えない。むしろ、アメリアがCIA等を通じて過去50年間に世界中でしてきたことは、これらの失敗ばかりではないか…。カンボジアのロン・ノル政権しかり、南ベトナムのグェン・バン・チュー政権しかり…。また、イラン・イラク戦争の時には、アメリカ大使館人質事件を起こしたイランのホメイニ神懸かり政権が憎いばかりに、イランに敵対しているイラクに大量の兵器を供与し、その結果がフセイン体制を揺るぎなきものにして、アメリカから言えば「飼い犬に手を噛まれる」状態になったのではないか。今回のアフガニスタンのタリバンも同じである。

 ソ連がアフガニスタンに侵攻(1979年)したときに、ロシア人と戦わすための代理戦争として、CIAはアフガニスタンに軍事的に肩入れをし、アフガン人をして(米国人の兵隊をひとりも失うことなしに)、ソ連軍を撃退させたのである。そのソ連軍といっても、この時、ソ連から派遣された兵隊は、ロシア人よりも隣接する中央アジア地域(現5スタン国)で徴兵された兵隊が主だったので、彼らから言うと、同じ「ソ連」とはいっても、ロシア人が支配している遠いモスクワのソ連中央政府よりも、ご近所のアフガン人のほうにシンパシーを感じるのは当然である。このような戦争はうまくいくはずはなく、ソ連軍が手痛い一敗地にまみれて撤退し、そのことがソ連におけるクレムリンの威信低下に繋がり、結局はソビエト連邦が崩壊したのである。そして、ソ連が崩壊することによって、アメリカが肩入れしていたアフガニスタンが強くなり、そして、今度は彼らが「イスラム共通の敵」アメリカに牙を剥いてきたのである。自業自得とはこのことである。

 アメリカの「敵の敵は味方」という何の信義もないやり方が、第二次世界大戦後の世界秩序の混乱に拍車を駆けてきたことは明白である。今回、「アフガン憎し」でパキスタンに協力したら、力をつけたパキスタンが必ず将来がアメリカに反旗を翻すことは目に見えている。しかも、パキスタンは核兵器を保有してしまっているのである。もし、パキスタンのムシャラフ政権(註:この政権自身、最近、軍事クーデターによって成立した非民主政権で正統性がない)が崩壊し、タリバンがパキスタンで実権を握ったらどうなるのか? アメリカが言うところの「ならずもの」勢力が、核のボタンを握るという最悪の事態になるのである。とんでもない話である。最初に言ったユーラシア大陸の逆三角形を考えて欲しい。パキスタンも入れるとアラビア海にまで通じるパキスタン・アフガニスタン・タジキスタン・ウズベキスタン・キルギスタン・トルクメニスタン・カザフスタン、そして、ウイグルスタン。これらの繋がる8つの国をいかに安定させるかということが、実はユーラシアの安定に繋がるのである。


▼ "反戦"の国々

 今から20年くらい前に、西部劇のカウボーイの恰好をしたあるプロレスラーが鮮烈に日本のマット界にデビューした。彼のリングネームは「スタン・ハンセン」という名前で、彼の必殺技は「ウエスタン・ラリアット」という、「く」の字型に曲げた腕の肘の内側の部分で、相手の首を前から叩いて倒すという極めて単純な技なのであるが、アメリカの西部男独特の丸太棒のような腕っ節で、首をへし折られるようになる必殺技なのである。以後20年の歴史が経つが、今でもラリアットという技を使うレスラーはたくさんいる。圧倒的な強さを誇る彼は、試合で相手を倒した後、高々と拳を差し上げ、「ウィー(回)」と言って雄叫びを上げるのである。絵に描いたような西部の荒くれ男であるが、今回こうしてユーラシアの地政学的混乱を収めるためには、どうしてもこの8つの中央アジアの「スタン連合」の国々が、内戦をせずに安定するということが大変重要であり、その意味でも、これらの国々で反戦(ハンセン)の動きが広がることを期待するのである。

 もともとこれらの中央アジア諸国というのは、オアシス単位――点(オアシス)と点の間には、砂漠という大きな緩衝地帯があった――でそれぞれ独立した生活を送っていたが、現在ではそれぞれの共和国――面(主権国家)と面の線で接するが故に緩衝地帯がない――の中に、また、少数民族を抱えるという、いわば、旧ユーゴスラビアと同じような国内の不安定要因を抱えている。なぜ、こういうことが起きたのかと言うと、答えは簡単である。旧ソ連がソ連邦を構成する際に、これらの中央アジアの遊牧の国々を飲み込み、そして、それらの国々がロシアに反旗を翻さないように、意図的にそれらの国々の人々をシャッフルしたのである。また、圧倒的に人口の多いロシア人をそれらの国々に移住させ、そして、各地で支配的な地位に就かしたのである。であるから、これらの5カ国はトルコ語系の言語の国々であるが、お互いに会話をする時は、共通語として今でもロシア語を使っており、各国語を表記する文字もロシア語のキリル文字を使っていることが多い。旧ソ連が勝手に国境線を引いて、民族をゲリマンダー式にモザイク化した(最も進めたのはスターリン)のである。さもなくば、彼らが暴動を起こすと考えたからである。

 パキスタンも同じようなことが言える。英国がインドを植民地支配していた時のインド帝国というのは、旧ムガール帝国の全版図より大きく、現在のインド以外に、東はバングラデッシュ、ビルマから、西はパキスタン、南はセイロン、北はネパールまで、全てを含んで大きな意味で「インド」と言っていたのであるが、英国の植民地支配が終わった後、独立運動の指導者マルトマ・ガンジーの望みとは逆に、ヒンズー教系の人々はインドを創り、イスラム教系の人々はパキスタン――当時は東パキスタン(現バングラデッシュ)と西パキスタン(現パキスタン)に分かれた飛び地国家であった――および上座部仏教系の人々は、ビルマ(ミャンマー)とセイロン(スリランカ)として、「別の国」として独立したのである。このように、ヨーロッパの列強の都合によって民族が分断され、そして、そのことが現在の世界の各地における民族紛争の火種となっている。しかも、その20世紀においては、欧米の「死の商人」たちは、その紛争の両者に武器を売って儲けてきたが、そのしっぺ返しが今回のアメリカにおける同時多発テロのような行為となって表われてきたのである。運命の皮肉としか言いようがない。

 


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