夢とは何か、初夢とは何か

萬遜樹 E-mail:mansonge@geocities.co.jp

年越し」の気分は、いわゆる普遍的なものでもあろうが、おそらく日本人にはひときわ強いものなのではないかと思う。これまでの「正月特集」で縷々延べてきたように、日本人は「死と再生」意識を強く持っている。年をくぐることによって、これを果たすのである。

しかし、それは今のようにテレビの「ゆく年くる年」を見ながら、元旦の時報を聞くことで果たすことではもちろんない。もう少し重層的なものだ。大晦日の夕食、おこもり、朝食、初詣でなど儀礼行事を一つ一つ済ましていく中で果たされていくものだろう。 

それにしても奇妙だ。人間は使うモノサシに合わして、どうにでもなれるのだ。何を言っているかというと、暦についてである。いま日本では太陽暦を暦としている。紀年すら、年号に加えて西暦紀元を併用している。 

今年は西暦1999年、平成11年であるが、「世紀末」という言葉は言うまでもなく西暦上の言葉だ。しかも「日本で」1999年を特別の年とする「ノストラダムスの大予言」がベストセラーになった。日本人がいかに西欧基準を「普遍的」なものと受容しているかが、ここにいみじくも露呈している。 

太陽暦の正月について、もう少しだけ述べたい。太陽暦の元旦は単なる日付け、区切りにすぎない。古代ローマにおいて太陽暦が採用された時に、それまでの「正月」であった「マルチウス」(英語の「マーチ」=今の3月)の前に2つの月を差し入れたのだ。 

おかげで太陽暦の正月は「春」ではなくなった。ちなみに今年の元旦は、旧暦で言うと、まだ11月14日だ。最寒とされる節気「大寒」が今の暦の1月20日。とても「初春」と言えたようなものではない。ついでに言い添えておくが、旧暦の元旦は「立春」後の、今の暦で2月16日である(さらに言えば、小正月は3月2日となる。まさに春である)。
 

▼夢とは何か  

さて、暦の話はともかく、正月と言えば、初夢や七福神というようなことが一つの風物詩である。宝船の絵を枕の下に敷いて寝ると、よい夢を見るとか。しかしこれはどうやら江戸時代以降くらいの話らしい。二つの問題がある。夢とは何かということと、「初夢」とは何かということである。 

夢とは何か。夢にも歴史がある。現代の私たちは「精神分析の夢解釈」以後の時代にいる。「無意識が夢を見ている」と考える前には、夢とは神聖な体験であった。夢とは勝手に見るものではなく、神仏によって見せられるものであった。 

かつて、夢はイメ(寝目)と呼ばれ、古代においては特権者のものであった。シャーマンが特別な場所で特別なやり方で見るものがイメであった。イメは神と出会う場であった。日本最高のシャーマンとは、言うまでもなく大王(天皇)であったが、神政政治上の判断を神に仰ぐ場が夢であった。 

仏教が伝来してからもこの夢見のスタイルは変わらなかった。法隆寺に聖徳太子の夢殿というものがあるが、本来仏教の三昧堂であるこの建物が、人々には夢を見る特別な場所として認識され「夢殿」と呼び習わされてきたわけだ。 

仏教は日本に個人を持ち込んだが、夢もしだいに特権的神政政治的なものから一般的個人的なものへと拡散していった。寺が夢見の場所となり、夢には仏や菩薩が登場するようになる。 

しかし夢はもともと仏教のものではない。神仏習合のすべてがそうだが、本(もと)は仏教以前の「日本」のものである。寺や仏は、新たな社であり新たな神である。

夢見の原型のスタイルとは、聖所でのこもりである。こもりとは何もしないことである。人として何もしないことがただ神に尽くすことになる。聖所とは洞穴であり、その意味は墓所であり母胎である。すなわち、死する所であり生まれる所である。 

それ故に、聖所は同時に神の国の出入口である。だからこそ、そこでの体験は神の国での体験となる。吉野は金峯山の笙の岩屋にこもった日蔵上人の冥界巡りが有名であるが、修験道とは山の洞穴で死して再生することを体系化したものだ。山ごもりができない人々は寺にこもった。 

いかに死ぬのか。それはあの世に、黄泉の神の世界に連れて行かれることだ。夢を見るということはそういう体験なのである。あの世から再びこの世に黄泉がえること、すなわち目覚めることが再生できたことを意味する。


▼初夢とは何か  

聖とは俗と同じ絶対値をもつ逆方向のベクトルである。俗生活の変化は聖生活にも変容をもたらす。鎌倉時代以降くらいからは、夢は誰でもがどこでも見られるようになり、その神聖性も失われていった。 

そういう中で「初夢」が誕生する(初夢という言葉の初出は西行らしい)。現代の夢解釈理論こそないが、昔には昔ながらの夢解釈理論があった。「夢合わせ」がそうであり、中国伝来の『夢書』という夢解き書もあった。 

日常化した夢は、神と出会い絶対的な命令や宿命を受け取るものではなくなり、個人的な何がしかのサインとして理解されるようになった。今と同じような意味での悪夢も見るようになった。 

初夢は文字どおり初めての夢だろうが、そこには宝船も七福神もなかった。特に船は幸福を運んで来るものではなく、不幸を運び去るものであったのだ。今の宝船とはもともと、元旦に出航する船ではなく、除夜あるいは節分に出航する船であったのだ。 

節分とは立春の前日であり、祓えの日である。災厄を流す日である。このときに悪い夢見も流すのである。それを乗せるのが船であった。船の帆には悪夢を食べる「獏」の文字が描かれてあった。

それがいつの間にか、吉夢を乗せてくる宝船となったのだ。古来、ハレの前には祓えがあったのだが、世俗化の進行は初夢自体を聖化してしまったようだ。

正月の聖(ハレ)化は近世以降いちじるしいと思われる(これはいまも続いていると思うが)。何事も影があっての日なたである。晴れの日は望ましいが雨の日なくして生き物は生きられないのである。正は負に支えられている。この自然の理を年頭に記しておきたい。

[主な典拠文献] 西郷信綱『古代人と夢』平凡社ライブラリー折口信夫『古代研究』(民俗学編)中公文庫


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