ケガレからハレ、そしてカミへ――賽銭の弁証法
03年04月12日
 萬 遜樹

 「賽銭」(さいせん)とは何か。それは自らの祈願成就のため、神へ捧げ物として供える貨幣だと思われている。確かに「貨幣」という漢字は「捧げ物」という意味だ。では、なぜそういう大切な捧げ物を裸のまま、しかも投げ込むのか。祝儀や香典など、人に渡す貨幣は袋に入れて渡すのが礼儀だ。ましてや、それを投げ与えるなぞ聞いたことがない。しかし、私たちは尊崇すべき神に向かってこれを堂々と行ない、何ら恥じることがないのだ。

 そこで問題は、「貨幣」とは何かへと遡上する。貨幣とは実は呪物である。それ以前の普遍経済は、呪物たる貨幣が生み出す魔術によって倒立させられた。本来、経済とは生活に必要なものを自給自足することだ。その上で、互いに足りないものや欲しいものが「物々交換」されていた。これが貨幣登場前の普遍経済である。ところが、貨幣は物々交換の経済を壊し、品物と貨幣の交換、つまり貨幣経済を生み出したのだ[注1]。

[注1]さらには、現代では貨幣と貨幣の交換する空虚がおこがましくも「経済」と呼ばれている。

 註して述べておくが、貨幣は出現とともに新たな経済を形成したわけではない。西欧で貨幣が流通し始めるのは中世十字軍以降ルネッサンスにかけてだ。日本では室町時代以降である。しかし貨幣自体はそれ以前からあった。通貨として流通する前、貨幣は直接的な呪物としてあった。そして、以後は間接的な、と言うか不可視の魔術としてある。焦らすのは止めよう。貨幣の本質とは「無」である。普遍経済が持っている価値(モノが持っている価値)を相殺する虚無である。

 普遍経済では、等価の物々交換とともに、片務的な「贈与」という経済があった。贈与は社会関係を構造化する。簡単に言えば、贈り主と贈られた者に上下関係を生じさせるのだ[注2]。普遍経済の世界は、そういう意味で不自由で主従関係性の強い社会であった。この段階では、貨幣は巫祝である王が交付する特別なモノ、聖物や呪物としてある。それは直接魔術的に用いられる何ものかであった。

[注2]今も日本社会に残る贈与には、歳暮や中元の贈り物がある。言葉をかえた「プレゼント」の本質も同じだ。すかさず「お返し」するのは、そこで生じた社会関係の傾きを再び元に戻すためである。

 ところが、貨幣経済の登場はこの贈与による社会関係の形成を無化したのである。これが現在言うところの「経済」であり市場である。流通貨幣によって、上下関係が生じない、品物と貨幣の交換が初めて可能になったのだ。私たちがレストランで食べ物を供してもらっても深くお礼を言わずに済むのは、対価として支払われる貨幣のお陰である。貨幣さえ払えば、私たちは確かに自由である。しかしこれこそが本来の経済の意味を見えなくさせている魔術なのだ。

 貨幣に魔力があると人は思うかも知れない。それ自体はモノでもないのに、あらゆる品物と交換可能なのだから。だが、そうではない。貨幣には本当は力はない。貨幣はただ贈与を無化するだけだ。それが証拠に、貨幣を貯め込んでいるだけでは生きていけない。モノと交換しなければ意味がないのだ。主題とははずれるが、貨幣価値を貯め込んだだけの資産家とは実は富ではなく、皮肉にも虚無を貯め込んだ人だと分かるだろう。

 話がずいぶん迂回してしまった。再び、賽銭とは何かだ。それは贈与に見合う対価としての「貨幣」ではない。では一体何なのか。貨幣経済以前の、呪術的な貨幣なのである。そこでも貨幣の本質は無だ。もう少し説明が必要だろう。貨幣とは、現世と他界を媒介する聖なる王が交付した世界のシンボルなのだ[注3]。時空を超え、現世と他界、そして生と死さえ行き来できる呪物であり形代(依り代)なのである。たとえそれが宝貝の姿をしていようとも。

[注3]古代の王とは神を祭る者であり、シャーマンである。紀記に描かれる「天皇」もそういう王であろう。この巫祝王の誕生は、宗教と貨幣の誕生とも密接に関連した出来事である。

 賽銭が直接的な呪物であることは、紙などに包まず裸のままであることからも分かる。同様に裸の貨幣を投げる例に、厄歳(やくどし)の祭りがある。歳の数だけ貨幣を投げ捨てるのだ、その貨幣にケガレを付けて。公衆の面前で投げ捨てられた貨幣は、たちまちケガレを無化し、地面に落ちた瞬間にはもう通貨としての価値を回復し、さらにハレを孕んだ聖なる呪物(縁起物)に変わっている。だからこそ、祭りに集まった人々はその貨幣を奪い合うのだ。

 以上のように、貨幣は現世と他界を結び、死と生を交換し、ケガレをハレにかえる呪物である。つまり、賽銭とはケガレを神社に、ひいては神に向かって投げつけていることになる。では神社とは何であり、神とは何であるかが次なる問題となる。だがその前に、人々のケガレを背負い、共同体のためにその共同体から追いやられていく神について述べたい。

 そんな奇特な神とは道祖神(「サエの神」とも呼ばれる)である。道祖神は、「ドンド焼き」や「サイト焼き」などと称する、小正月(一月十五日)の前日に村境などで行われる火祭で、門松や注連縄などとともに焚(た)かれてしまう。道祖神は前年の村人たちのケガレ(厄災)を引き受け、身代わりに焼かれる形代の神なのである[注4]。順序が入り組んでいるが、これは小正月というもう一つの新年を迎えるための厄祓い神事だ。

[注4]道祖神には、わら人形と石像がある。先行型のわら人形は、焼くということを前提にした素材で出来ている。主に江戸時代以降の石像でも、灰が塗られたり柴が供えられる。つまり、やはり焼かれる神なのである。

 なお、道祖神には男女一対となったものが多く、それには近親相姦の物語が伴う。これは不毛や不妊を語る、つまりは死に向かうケガレの物語である。これも神が不幸を身代わりに引き受けるということであり、そういう厄災を除いて豊穣へ導く神であることを表明する表現なのである。

 埼玉県には、春に行なわれる次のような祭りもある。これもやはり迎春前の厄祓い神事だろう。村人たちは竹と紙で作った神輿(みこし)を担いで村境に向かう。道中、ケガレをすり付けた貨幣などを包んだおひねりが神輿に投げ込まれる。村境の川岸に着くと、役柄の人が抜刀して神輿を突き刺し、厄除けの呪文を唱える。そしてその後、神輿を川へ放り投げるのだ。ただし、ここでも他村の人にはこの貨幣などは縁起物となる。

 お分かりのように、これらにはすべて逆説がある。ケガレからハレへの転換がある。これこそがニッポンの民俗が本質としては宗教行事であることを示しているのではないだろうか。実存哲学の祖キルケゴールは、逆説にこそ宗教の本質があると言い、キリスト教の神と人間との間には絶対的な断絶があり、そのために抱かれる深い絶望によってこそ、命がけの飛躍を行ない真の信仰に入り得るとの逆説的な「質的弁証法」を説いた。

 残している課題に近づていこう。神社は、現世と他界を結ぶヘソであり、ケガレとハレのゼロ地点あるいは交差点なのである。そしてケガレをハレに変換する場である。だからこそ、ケガレを投げ捨てる場でもあるのだ。太古の「ゴミ捨て場」あるいは「墓場」とも言われる「貝塚」も、実はそういう死と再生の場と考えられる。死に向かうケガレのエネルギーを反転させ、生きる力としてのハレのエネルギーにかえる場が神社なのである。

 「はふり」「はふる」という言葉はそんな両義性を感じさせる。今では使い分けるが「呪」と同義の「祝」(はふり)は、祝詞(のりと)をあげ神に仕えることだ。同音の「屠」は「屠殺」と用いるように家畜を解体することだが、元は犠牲(いけにえ)を用意することだろう。血でケガレた犠牲がハレの祭りに深く関わる。また、「放」と同根の「葬」も「はふる」と読む。死の力であるケガレに命を奪われたものは放るように葬られたのだ。それは祝ることでもあった。

 カミはケガレから誕生した。皇祖神とされるアマテラスとその弟神スサノヲは、イザナギが妻イザナミを追って黄泉国に行き、そこから逃れた後、ケガレを禊ぎ清めたとき、右目と鼻から生まれたことはご承知だろう。キリスト教の救世主イエスは、人間の罪(ケガレ)をすべて背負って犠牲となり、血まみれの姿で死んだ。何と道祖神に似ていることだろうか。そしてイエスは神として復活(再生)する[注5]。

[注5]ケガレたモノこそ、カミあるいはカミの依り代である。流れ着いた水死体はエビス神とされる。女性の毛髪(漁船の守り神である船霊様のご神体)、蛇の抜け殻(財布に入れる金運の縁起物)など、そして貨幣は後者である。

 神社での祭りも、ケガレ(死へ向かう力)をハレ(生きる力)へと変換することだと言える。そこに現れるカミは人々のケガレ・エネルギーを吸収し、これを反転させてハレ・エネルギーにかえて、カミとして絶えず誕生(再生)するのだ。神と死者の棲む他界とは現世が反転した世界だと俗に言うが、カミにとってはケガレこそがハレなのだ。そういう意味で、やはり賽銭はケガレをすり付け、礼を失した形で投げ込むべきものであったのだ[注6]。

[注6]ここでの神社や神、また祭りについての記述は、あくまで神学論理的な問題として理解されたい。

[主なネタ本など]

新谷尚紀『なぜ日本人は賽銭を投げるのか』文春新書

(参考)別の観点から
『賽銭(さいせん)箱と日本の祭り』
『日本の神はなぜケガレを嫌うのか』


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