水神の話:「河童駒引」をめぐる動物考―馬・牛・猿(2) 
03年07月13日
萬 遜樹


(二)牛と水神

▼馬の仮面の下に見えるポセイドンの深層

 歴史の順序を再確認したい。おそらくインド・アーリア語族が、ユーラシア中央部で紀元前4000年ごろに馬の家畜化に成功した。そして同2000年ごろ馬につなぐ戦車を発明し、それを使って文明世界に侵入することによって、馬と戦車が世界に知られるようになったのだ[注2-1]。では、それ以前の数千年にわたる東西の文明世界、すなわち「馬のない」オリエントや地中海沿岸地帯、インド、それに中国[注2-2]などの農耕地帯ではいかなる生活があったのか。それは家畜化された牛とともにある生活だった。事実、馬の到来までは、牛こそが神であった。インドのヒンズー教の牛信仰は、アーリア人侵入以前の古信仰をいまに伝えるものと言ってよい。

[注2-1]騎馬と騎射の技術はこれよりも遅れる。紀元前1000年ごろまでに、インド・アーリア語族あるいはウラル・アルタイ語族の「騎馬遊牧民」が確立し、広めたものと思われる。
[注2-2]中国への馬とその文化の到来は、オリエントなどに比べるとやや遅れ気味だった。それと、その伝播にはウラル・アルタイ語族系の騎馬遊牧民が「中継者」として深く関わっている。

 さてポセイドンだが、この神が着けた馬の仮面の下には、やはり牛の顔がある。ポセイドンには古代信仰の年輪が幾重にも深く刻み込まれている。その深層にある「牛」は、大地に、(月に、)そして水につながっている。事実、ポセイドンは大地の神であり、地震の神であり、地下の冥府の神でもあった。雄牛に乗るポセイドンが左手に持った「花の咲く大枝」こそ、古い信仰を示唆するシンボルなのである。

 海の神であるはずのポセイドンへの犠牲は、古くは海へではなく淡水の泉に捧げられていた。地母神であり農業神であるデメテルとの関わりも曰わくありげだ。ポセイドンが左手に持つ「花の咲く大枝」は、彼自身が大地の神であったことの証なのだ。つまり、こういう順序になる。本来、大地の神および地中の冥府の神だった古ポセイドンは、地を支配するが故に農業に関わる神となる。それと同時に農業に必須の水を操る神ともなる。一方、地中から陸ではない海に出ることもでき、そこも彼の支配する所となった。そして、最後に付け加わったのが新しく到来した馬の文化だった。習合神ポセイドンはこれをも貪欲に吸収し、ついに馬神の仮面をかぶったのだ。


▼ポセイドンとスサノヲの共通性

 ポセイドン神のこの複雑な性格は、実はわがスサノヲ命によく通じるところがある。まず、各神話の主神の兄弟神であり、その主神と争い、結局は敗れること。言わば、腹違いの継子扱いを受けている。スサノヲは追放されさえした。外来神的な扱いなのだ。しかしこれは、こう考えるべきだ。彼らこそ、より古くから信仰を集めてきた神々であったと。だから、本当の外来神とは、実はゼウスであり、アマテラスだったのだ。馬から牛ではなく、牛から馬だったことを忘れてならない。新しい神たちが排斥しきれなかった固有の神が、ポセイドンでありスサノヲなのだ。

 三神を生んだイザナギは、日本書紀では、アマテラスに天を、ツキヨミ(月読)に海を、スサノヲには地を与え、それぞれの支配を命じる。だが、古事記では、アマテラスに天の、ツキヨミに夜の、スサオヲには海の支配を命じている。ここには、明らかに「世界」概念の混乱が見える。天−地(・海)、昼−夜(太陽−月)、地−海、という対概念が入り交じっている。これは、ツキヨミとスサノヲを分離したせいである。本来、彼らは一体のものだったのだ。古スサノヲは、天や太陽(昼)と対になる、大地・冥府(根のカタス国=黄泉国)の神であり、海の神であり、月(そして夜)の神であった。まさにポセイドンと同じ領域を、同じ原理で支配する神だったのだ。

 さらに、スサノヲには面白いことがある。アマテラスが天の岩戸に隠れることになったスサノヲの乱行の中で、馬が登場する。スサノヲは馬の生皮を引き裂き、機織り殿へ投げ入れる。従来はこれを単にスサノヲの非農耕的な縄文性と取り、弥生の農耕文化への反抗としてだけ読むことが多い[注2-3]。しかしこれは、前に言った神話論理的に述べれば、スサノヲこそ馬神であるとも、犠牲として馬を捧げている叙述とも読めるのだ。

[注2-3]縄文が半農耕文化であったことは判明している。しかし水田稲作ではなかったのだ。次に見るオオゲツヒメは稲の神というより、それ以前の穀物神である。すなわち、古スサノヲへの信仰は、古いスタイルの農耕文化に基づくものと思われる。

 古事記にはご丁寧にも、スサノヲと農業神との因縁話さえある。例のヤマタノオロチの話の直前にあるが、オオゲツヒメ(ゲ=ケは食物で、ツはノ、つまり「大-食物-女神」という名の穀物神)をスサノヲが殺して、その結果、五穀が誕生したという話だ。「神を殺す」というのも一つの「交わり」であって、ポセイドンとデメテルの婚姻と、神話論理的には同じことである。スサノヲにはもちろん、水神[注2-4]や牛との関わりがあるがそれは後述することにしよう。

[注2-4]一つだけ、先に述べておく。古事記だが、イザナギに海を統治せよと言われたスサノヲは、妣イザナミの棲む黄泉国へ行きたい泣き叫ぶ。その時、山の水を枯らし、川や海まで枯らしてしまったとある。これはスサノヲの涙が「地の水」そのものであり、彼が水神であることを言っていることに他ならない。


▼世界の支配原理としての月の魔力

 ここで、私たち人間の古代生活を想い起こそう。狩猟採集から農耕生活の始まりの中での「世界原理」とは、果たして何であっただろうか。それは太陽ではなく、月の光であった。光のない月立ち(ついたち:朔:新月)に始まり、徐々に膨らんで上弦の半月を経て、15日目には真円の満月(もちづき:望)となる。すると、今度はしだいに痩せていき、下弦の半月となり、ついには闇に中に見えなくなる(つごもり:月籠もり:晦)。この周期が正確に繰り返される。そうした不思議を、古代人は月が持つ「死と再生」の力と読んだ。

 月には魔力があった。人間の女を、月経周期を通じて支配していたのだ。それは一人ひとり違うが、毎月同じ月の形で始まり、また別の同じ形で終わる。月の魔力が女性に乗り移ったとき、月経は止まり、やがて子どもが誕生した。そして再び、月経は始まる。つまり、月は生殖力を光のエネルギーとして放射していたのだ。この魔力は、人間にだけではなく、地上のあらゆる動植物にも照射されていた。やがて、農耕の始まりとともに、それは大地の力と同一視される。すなわち、「母なる力」である。

 また、月は水をも支配した。洪水は月によって引き起こされるものと理解された。その証拠に、新月と満月は海岸線の干満の差が大きい大潮を、正確に統御していた。農耕を左右する雨も、月によって支配されていたのだ。「暦」は「日読み」(かよみ)が転じたもので、そういう日の推移から気象を知る賢者を「日知り」(聖)と言う。これと同様に「月読」(つきよみ)とは、月の満ち欠けを読み、人々を導くことで、これが古代信仰の神名ともなっていたわけだ。


▼月・大地(母)・水、そして牛

 農耕開始と前後して家畜化された牛は、犂(すき)の発明とともに、犂を引く、農耕に欠かせぬ動物となる。大変興味深いことに、その牛の「角」が古代人には「月」と見えたようだ。三日月のような角を持つ牛は、月の聖獣となる。こうして、月は大地(母)と水と牛とに結びつく。一度結びついたものは、神話論理的に変換が可能となる。例えば牛は、水の中に棲み「再生」能力を持つと考えられた動物、カエルや蛇とも変換される。また、月の力は「渦巻き文」として抽象的にも表現された。

 世界共通に見られる太古の母神像は女性崇拝ではなく、大地の「母なる力」を表現している。中には、牛の角を手にかざす像もある。また、バビロニアの大地母神(大地の神・豊穣の神)イシュタルは月神の娘とされ、雌牛がトーテム(聖獣)だ。エジプトの大地母神イシスも雌牛の角や頭を戴く[注2-5]。インドに渡れば、ヴェーダの主神インドラ(仏教では帝釈天)は雷神だが、その祖神は「豊穣の雌牛」である。三主神の一つ、シヴァ神の聖獣は雄牛ナンディだ。

[注2-5]大地を支配する女神たちは地下の冥界とも結びつく。「再生」は「死の世界」を経てこそ成し得る業であり、秘儀であるからだ。

 豊穣のため水を求めて、月=大地に牛が捧げられる。牛こそが神と同類だからだ。ここで、牛は水神としても変換可能となっている。後ちに農耕にも用いられるようになった馬が牛に代わって、犠牲獣として登場する。そして、馬もまた水神となったのだ。犠牲には人間の乙女(処女)も供される[注2-6]。乙女は懐妊(生命の実り、豊穣)を待つ者であり、地母神の小分身とも言うべき存在であったからだ。水神はしばしば蛇として現れ、また竜ともなった。

[注2-6]柳田国男の『遠野物語』にあるオシラ様の起源を物語る説話(69)で、人間の娘と最後は殺される馬との悲恋が描かれる。これは豊穣神への馬の犠牲譚であると同時に、豊穣神となった馬神への乙女の人身御供の話としてこそ、よく理解できる。次のヤマタノオロチの話でもわかるように、怪物=神は乙女との婚姻=犠牲を求めているのだ。


▼スサノヲ・牛頭天王・雷神菅原道真

 スサノヲ命は天を追放され、地に降り立つ。そこで、わが娘クシナダ姫を人身御供を要求するヤマタノオロチに悩み苦しむ国つ神に出会う。ヤマタノオロチは氾濫する川のことではないかとしばしば指摘されるが、スサノヲがこの怪物を退治してみると、果たして大蛇がその正体であった。大蛇とは水神に他ならない。面白いことに、その尾からは鉄が出る。天叢雲(あまのむらくも)の剣(つるぎ)、すなわち草薙(くさなぎ)の剣である[注2-7]。

[注2-7]不要とも思われるが、若干解説しておく。乙女は水神への犠牲である。それを退治できたのはスサノヲも水神であり蛇であったからだ。死んだ水怪が鉄を残したのは、それを嫌ったからだ。剣名の「叢雲」(むらくも)とは、雨を呼ぶ雷雲のことである。

 なお、この後、スサノヲは地中の「根のカタス国」に向かう。一方、スサノヲとクシナダの末裔に大国主が生まれる。大国主と同体とされる大物主(三輪神社の祭神)が蛇身だったことは言うまでもない。

 梅雨中の祭礼「祇園祭」で知られる京都八坂神社には今、スサノヲ命とヤマタノオロチへの犠牲から救われたクシナダ姫らが祭られている。しかしこれは明治の神仏分離に際して、祭神が取り替えられたからで、それ以前は「祇園社」と称した習合寺社であり、牛神と言うべき「牛頭天王」が祭神であった。なぜ牛頭天王がスサノヲに変換できたかこそが重要である。それはスサノヲが水神であり牛神でもあったからだろう。

 天満宮の雷神菅原道真は牛に乗る。天満宮はそもそも天神社であった、天神とは雷神であり、雨の神である。その牛とは天神そのものであり、同時に天神への捧げものなのだ。ところで、雷を「神立」(かんだち)とも言う。「夕立」は今では雨を言うにすぎないが、本来、神の降臨(降り立ち)を意味する。「祟り」も神の「立ち現れ」を指す。神は雷として雨とともに、地に降り立った。その地の姿はしばしば蛇身であった。そして、天に昇った蛇は竜となる。「竜」(りゅう)を「たつ」と訓じる背景にはこれらのことがある[注2-8]。

[注2-8]大和の竜田(=立つ・た)神社とは、おそらく著名な落雷地としてあったのだ。すなわち、その地が神のよく降りる神地・祭場として定められたことが社名に残されていると思われる。


▼馬と牛の自然弁証法における統合シンボルとしての「竜」

 以上の水神としての馬と牛の相互変換を、中国における「竜」の合流と変貌としてまとめておきたい。中国は南船北馬の国と言われ、南北の本来異なる文明文化が混合して出来上がった文明だ。北方中国は、「天」・男性原理に関わる儒教的な中国で、「馬の文明」と言える。これに対して南方中国は、「地」・女性原理に関わる道教的な中国で、「牛の文明」であると言える。これは北方中国が、馬の文化が由来する中央・北方アジアにつながっていることからも当然であろう。

 今では混同される竜と蛇は本来異なるものである。これは竜が空想の産物だからということではない。竜は元を質せば馬であり、天のものだからだ。それに対して、蛇は地のものであり、その正体は今まで述べてきたように牛である。前者は遊牧文化を、後者は農耕文化を背景にしてある。遊牧文化における馬は、水神ではなかった。それは水神にではなく、至上の天に捧げる供物(主に白馬)であった。しかし、農耕地帯である中国に入った馬はしだいに変貌していく。

 空を自由に駆けめぐる天馬が竜馬であるが、馬が牛に代わる水神への犠牲獣となることによって、竜は天から雷となって地へと向かう。一方、地下水を通じて全世界を行き来できるとは言え、地の水中に封じ込められていた蛇も、空中の降雨あるいは虹を伝って、天へと向かう。南北文明の融合を幾度も繰り返すことで自らを形成した中国文明は、このようにして馬であり蛇(牛)である「竜」を生み出したのだ。

                                  (つづく)


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