「靖国神社」について述べる。まず始まりから考えていこう。
徳川慶喜が大政奉還をしたとき、天皇を中心とする諸候会議から近代国家日本が生まれる芽はあった。しかし、関ヶ原の恨みが残っていたのだろう。薩長は討幕の密勅を手に入れて官軍となった。この勅が偽勅であった可能性は高いが、ここではそれを吟味しない。ともかく幕府方は一夜にして賊軍となり、戊辰戦争が始まった。日本中を戦地としてこの戦争は戦われ、兵制や武器の差から幕府方に多くの戦死者を出して、この戦争は終結した。
明治になり、明治天皇は、官軍の戦死者を「国家に尽くした者」として、その功績を称え、彼等の霊魂を祀る場所として「東京招魂社」を設置した。明治2年のことである。これが後に「靖国神社」と改称されることになる。ここで重要なことは二つある。一つは、当初から、ここは、近代国家日本のために命を捧げた人々のための神社であったということ。たとえ日本人であっても賊軍の戦死者は祀られていない。「死んだら同じ」ではないのだ。もう一つ、明治という近代国家は、西欧文明を取り入れるために、キリスト教を禁教の位置から外し、その布教を認めた。必然的に「信教の自由」という思想を取り入れたのである。しかし一方、西欧市民社会を視察した大久保利通等は、西欧市民社会がキリスト教という生活倫理の核を持っていることに気付き、新生日本も、同様の国民全体の生活倫理の核を持たなければならないと考えるようになった。そこで紆余曲折はあったが、結局、天皇を中心とする家族国家観を基としてそれを形成することとなり、義務教育と教育勅語によって国民教育をなすこととした。しかし、理屈だけではだめなので、神社を「宗教」から外し、「国の宗祀」として、国民倫理の形を、神社祭祀を通じて国民に知らしめようとした。従って当時続々と生まれつつあった近代国家が必ず必要とした「国のために命を捧げた人々を顕彰する施設」は、神社の形を取らざるを得なかったのである。
昭和二十年まで続く「大日本帝国」は、「信教自由」の国であり、神社は「宗教」ではなかった。ここが大切な点である。「靖国神社」の宮司は陸海軍の退役将官に限られており、「陸海軍省」の管轄下にあった。他の神社は内務省の管轄下であった。もちろん全ての宗教団体は文部省の管轄下にあったのである。
昭和二十年の敗戦により「日本国」が生まれたとき、新憲法はGHQの肝いりで作られた。従って押し付け憲法である。しかし法理論的には、「大日本帝国」から「日本国」への引き継ぎは、「大日本帝国」の定めた法的な手続きに則って行われたために、「日本国」は、多くの点で、「大日本帝国」をそのまま引き継ぐことになった。例えば民法や刑法は一部の改正を除いてそのまま使用されたし、何よりも官僚中心の国家運営はそのままであった。軍隊は解散し、「富国強兵」が「経済成長」という目標に変わったが、日本人の従順な勤勉さはそのままであった。新憲法も五十年もたてば定着する。もちろん「令外の官」的な解釈改憲を頻繁に行った結果である。
しかし、軍隊についてはあれほど上手に解釈改憲を行って自衛隊を作り上げた日本政府が、こと「靖国神社」については、全く手が出ない。何故か?理由は二つ考えられる。一つは、「靖国神社」を宗教としてしまった為。「宗教」という言葉は、日本人には戦国時代以来馴染みが薄い、というよりなんとなく邪悪なもの、薄気味悪いものといったイメージが定着している。「靖国神社」を国の施設とすることが、国が「宗教」を体制の中に取り入れることにつながりはしないかという危惧を生んだ。それが一つの原因。もう一つは、「靖国神社」をテーマに右翼と左翼が喧嘩し、また、中国や韓国が文句を付けてくることが、それぞれの陣営のガス抜きとして使われてきたということ。戦死者はたまったものではないが、どうもこの辺が真実くさい。
靖国神社の国家管理の法案は、昭和49年、衆議院を通過し、参議院に送られて廃案となった。理由は、その法案によれば、靖国神社から神道式の祭祀形態が失われることにあったという。その後、国民運動は、靖国神社の国家管理から離れ、総理大臣他の公式参拝実現運動にシフトしていった。
「靖国神社」は、大日本帝国並びに日本国という近代国民国家の為に命を捧げた日本国籍の軍人軍属(従って当然戦前の朝鮮、台湾出身者も含まれる。好むと好まざるとに関わらず彼等は日本人だから)を慰霊し、称揚する施設として、また非宗教の施設として国家がその責任において作り上げたものである。慰霊とは宗教的な行為であるが、大日本帝国は国の宗教を神道と定めるほどの度胸は無かったので、こういうことになったのである。
解決策は一つしか無い。西欧においては「宗教」は薄気味悪いものではない。むしろ「宗教」を持っていない方が薄気味悪いと思われている。また、「政教分離」とは国家と教会という組織の分離であって、国家が宗教的な行為を行ってはいけないということではない。西ローマ帝国(政教分離の淵源を作った国家)以来の常識である。従って「靖国神社」を、現在の祭祀形態を保ちながら、国家の施設とすることが一番理にかなっている。もちろんその場合、それを理由として宗教法人「神社本庁」に国家が特別の援助を行う等という行為は注意深く避けられなければならない。
A級戦犯者の合祀の問題については、取り上げるまでもない。東京裁判が地球規模の合意の元の客観的で合法的な法廷の裁判でない以上、戦犯ということ自体問題にならない。大体BC級戦犯は良くてA級戦犯はだめだ等というのは政治的な妥協の匂いが紛々とする。
最近、靖国神社に替わる戦没者慰霊のための国家の施設をという案が生じ、遺族会や神社界等の反対で潰れたようであるが、この案は「靖国神社」設置の理由と責任を知らない人々の世迷い言であり、政府関係者がこれを論ずることは恥ずかしいことだ。このようなことを考えるのであれば、少なくとも政府関係の職にあるべきではない。まして閣僚であってはならない。政府関係者は、これまでの近代国家日本の歴史を知悉し、それに責任を持たなければならない。
政治家の無知が「靖国神社」の問題をここまでこじらせるのであれば、国民は、政治家の選び方を考え直すべきだ。もう少し利口な人に日本の政治と外交を任せたいと思うのは私だけではないだろう。