日本と中国とは二千年以上前から、交流があります。古代においては、中国は日本人が文化や思想を学ぶときの先生でありました。儒教や道教、そして中国化された仏教が日本に伝わり、同じ内容の文化を共有していました。それが崩れたのは、西欧諸国が近代化を成し遂げ、植民地を求めてアジアに押し寄せてきた時でした。
日本は、植民地にされないために、西洋の技術と思想を学ぶことが必要でした。そのために開国をしたのです。しかし、心はアジアのままでいて、いつかは西洋を屈服させようとしました。「和魂洋才」「臥薪嘗胆」とは、その心構えを示した言葉です。当初は、朝鮮や中国が共に開国し、西洋の技術を学び、日本と連携して西洋諸国に対抗してくれることを願っていました。
しかし、なかなか共同の歩調をとることができないままに、次第に日本人の中に、西洋諸国と同じように力の政治でアジアに植民地を作り、日本人のみが発展するようにしたいと考える人々が多くなってきました。「脱亜入欧」とはその頃の心構えを示した言葉です。
台湾の経営や朝鮮半島の併合、そして満州国の建国にいたるまで、アジアを友人として連携して西欧に対抗していこうとする勢力と、西欧にみならってアジアに植民地を作り日本の国益を得ようとする勢力とが、ぶつかったり、協力をしたり、錯綜していたのが、当時の日本です。しかし次第に植民地を作ろうとする勢力が強くなってきました。そして、中国との宣戦布告無き戦争へ入っていきました。
当時世界的な強国として台頭してきたアメリカ合衆国は、民主主義を標榜していました。しかし、アジアの文明を西洋と同じ価値のものとみなすことはできませんでした。中国への野望を持っていたアメリカは日本の覇権がアジアに広がることを嫌い、日本への経済封鎖を実施しました。資源の無い日本は、戦争を遂行するために鉄鉱石や石油を求めて南アジアに戦争をしかけました。そのための理屈は「アジアの解放」です。そして最後に、開国以来の悲願であった西洋列強との戦争に踏み切ったのです。自身の国力を見誤ったとしかいえません。核兵器を落とされ、壊滅的に破壊され、日本は敗れました。アメリカと連携して日本と戦っていた中国は、共産党によって解放されました。
すでに民族独立の気風は世界を覆っていましたので、結果的に大東亜戦争後にアジア諸国の植民地からの解放が次々と実現しました。日本は、アメリカによって戦力を持たない国家とされ、永久に西洋列強に刃向かえないようにアメリカ民主主義という思想を移植されました。
当時既に冷戦が始まっていました。ソ連邦と共産中国という代表的な東側国家と隣りあっていた日本は、資本主義のショーウィンドウとなるべく、アメリカによって経済発展の土台が作られました。西ドイツも同じような状況にありました。日本と西ドイツの経済発展を通じて、次第にアメリカ中心の世界経済が変わってきました。ニクソン大統領の金・ドル交換停止と米ドルの変動相場への移行は歴史的な転換点です。
その後、政治の世界では中米和解、中日和解、ソ連邦の解体等、大きな出来事が相次ぎ、冷戦に終止符が打たれました。経済の世界では、台湾や韓国の経済発展、EUの成立、中国経済の発展、インドやブラジル、ロシアの発展など、現在にいたるまで、大きな変動が相次いでいます。
この原因は、19世紀は近代国家が相次いで確立した時代、そして20世紀前半は国家間の戦争の時代でしたが、20世紀後半になってグローバル化といわれる世界規模の流通が可能な時代を迎えたことにあります。国家の壁を越えて、ひと、もの、かね、技術、資本が流動化しています。これからの経済的成功は、如何に効率良くそれらを集めて企業化していくかということに尽きるでしょう。トヨタ自動車は20年前までは、日本国内での自動車のトップメーカーでした。保守的で有名なトヨタの経営が、20年後の今日、このような世界企業となることを誰が予想できたでしょうか? トヨタの成功はひとえに生産拠点の国々の文化と人々を信用し、効率的な企業経営に徹したところにあります。
現在の中国は、共産党官僚と行政官僚の二重官僚制の國であり、文化的には古代からのアジア的な体質の文化を色濃く残しており、経済システムとしては 市場の解放と競争による経済発展を志向する極めてユニークな国家であります。欧米の思想に染まること無く、独自の文化の国家を目指そうとする点では、かっての日本と共通しています。欧米のキリスト教的な文化が決して最上のものではありません。地球上には多くの文化があります。それらの価値を相互に認めあい、共存していくことが望ましいと思います。日本は随分アメリカ化されてしまいましたが、中国は、経済や政治のシステムがグローバル化と共に西欧と同じものになっても、古代からのアジア的な文化や思想を大切な価値として守り伝えていただきたいと思います。東アジアの文化価値を共有するという点で、中国と朝鮮と日本は連携できると思いますが、近代史の視点の違いから、最近対立が顕著であるのは残念なことです。
最後に、最近、中国人の経済学者の友人と話したときのユニークな話題を紹介します。彼女は、「日本人は、中国で行われている日本と中国の近代史についての教育や報道を、行き過ぎた反日教育と非難するが、日本でも8月6日の前後には一斉に原爆の被害についての教育や報道が行われている。あれは立派な反米教育ではないか」といいました。大変面白い見方です。あの戦争で多くの非戦闘員の日本人を殺したのは、ソ連でも中国でもなく、アメリカです。しかし、現在の日本では、原爆の被害を核兵器反対の運動と結び付けても、反米の運動に結び付けることはできません。残念なことであると思います。
* 本稿は、2005年9月3日、北京中苑賓館において山東省地方政府の経済官僚を中心とする100名ほどの中国人を相手に講演をしたものに若干の手を加えて作成した。要点は、
1、近代史において、日本が、西洋列強の手からアジアを解放するという大目的を持っていたこと。
2、それは、アジアの文明的な価値が西欧のそれとはかけ離れていることに起因する。
3、従って現在の日本が親米嫌中であるのはおかしい、親中嫌米でなければ筋が通らない。ということである。神社界の立場も、従来の主張からいえばこのようにあるべきであると考える。戦前の立場と戦後の立場が一貫しないのはおかしい。