きのう きょう あした
99/05/18
丹下 学
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"とき"の働きは妙なるものである。 万物は流転するという言葉があるが、いまほどこの言葉がぴったりする時はないであろう。時代は急速に進んでおり、何もかもが変化しつつあるこの頃なのである。昨日まで常識とされていた事が、今日には無用のものとなり、明日には忘れさられると言った事は日常茶飯事となっている。現代世界は国際化社会、情報化社会、高齢化社会などど色々と言われるが、西欧化社会とまとめて言ったほうが良いかもしれない。即ちこれらの"進化"が完了すると「西欧社会」が出現し、これが文明国だと言う訳である。勿論、日本もその例外ではない。
今の日本が急速に進んでいる道とは何か?と聞かれた場合、冷静に落ち着いて答えればこうならねばならないはずであり、現実なのである。
さて、ここで"今日"の「西欧社会」を現実として、文明国としよう。そうすると、この西欧社会に"進化"している日本は、言ってみれば"昨日"の国である。この昨日の国は西欧社会に遅れまいとして必死になっており、涙ぐましい努力を続けている。つまり、国際化社会に取り残されないようにがんばっているのである。ところが、これは実は、非常にヘンテコな状況なのである。と言うのも、"今日"の「西欧社会」は"明日"がないからだ。それはどういう意味かと言うと、西欧社会の明日は西欧世界ではないことが西欧社会で認識されているからである。西欧社会は何かが一つ足りないと思っているらしい。そう、"昨日"の日本が西欧社会という国際社会目指し、西欧化に進み、"今日"
である西欧社会が"明日"に何を見ているのか?
私は現在それをスピリチュアリィティ(Spirituality)と考えている。つまり、昨日から今日へ進み、明日の世界はスピリチュアリティなる世界という訳だ。西欧社会が見ている明日という現実は、我々が現在見ている明日と言う現実とは違うのである。
"とき"の働きは妙なるものである。
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