「万能薬」の幻想
1999.12.2
佐藤進持 Shinji65@msn.com
|
・はじめに
人間は、一つの神秘的な能力を見ると、それがあらゆるものに効果があるという錯覚を起こしてしまう傾向がある。私はこのような誤った認知傾向を「万能薬」の幻想と呼んでいる。「万能薬」は、超能力を始めとした超常現象、新興宗教、健康食・健康法、ジョゼフ・マーフィーを嚆矢(こうし)とする願望実現法など、幅広い範囲に亘って見られる現象である。本論では、このとかく問題を起こしがちな現象について、考察したいと思う。
・「電波少年」と超能力
日本テレビ系で毎週、「進ぬ!電波少年」が放送されている。相手の迷惑も考えずアポなしで有名人に面談に行ったり、猿岩石を始めとする若者のヒッチハイクものでは労働ビザもない若者に外国で不法就労させ(彼らの行っている旅費稼ぎのアルバイ等は、すべて不法就労である)、そのような違法行為を堂々と全国ネットで放送している同番組のあり方に対して、私は常々疑問を持っている。
ところで、その電波少年に最近、「超能力」のコーナーができた。私は基本的にこの番組が嫌いでめったに見ないので、このコーナーも最初からは見ていないが、途中から見た様子では、どうもある部屋にこもって、カードの裏に書いてあるものを当てるという透視能力の訓練を行っているようである。そして、この修練者はどうやら、最近、その透視能力を身につけたらしい・・・・・。
超能力については、米国のスタンフォード大学などのアカデミックな場で真剣な研究がなされており、たしかにそれが存在することが証明されている。だから、今回、この修練者が透視能力を身につけたと称しても、それは十分にあり得ることである。
だが、ご存知の通り、自らを超能力者と称する者には嘘、インチキが多いことも事実である。かのユリ・ゲラーも外国でテレビ放映中にトリックが露見したことがあるという。そこで、番組ではオカルト批判で有名な早稲田大学の大槻教授を呼んで、トリックでないか、吟味させている。
しかし、この大槻教授にしても、この番組の司会者が「超能力を信じない頑迷なおやじ」のように扱っていることが私には気になっている。確かに大槻教授は基本的に超常現象等を全く信じない人のようである。ただしその批判的精神は逆に超常現象等を信じるものも見習うべきであり、信じる側もそれを客観的に証明するために十分な科学による検証を受け入れるべきではないだろうか? くだんの司会者は見たものはすべて信じるべきであり、それを証明することなど無駄、とでも考えているのだろうか?
・地球防衛軍
ところで、このコーナーを見ていて、気になったことがある。まず、このコーナーの名前が「地球防衛軍」とされていること、そして「訓練室」の壁に大きく「地球を守れ!」と書かれた額縁が飾られていることである。
これは一体、どういう意味か? 確かに透視能力はもっと発達させれば、なくなったものを探したりするのに、役に立つこともあるかも知れない。しかし、それが「地球の防衛」にまで役に立つかなどとは、まったく次元の違う話である。超能力は確かに存在することが証明されているが、それがはたして、どの程度の力のもので、何に活用できるのか、などということは全く未知数で、これから何年もかけて調べていくことである。
今の段階では例の透視能力も本物であるとしても、ある程度の厚さのカードの裏を見ることができるだけであり、極めて微弱な能力である。これでは、下敷きで頭を擦った時に生じて髪の毛を逆立たせる静電気などとそれ程変わらない次元のものだろう。その程度のもので「地球防衛」などというのは、完全な思考の飛躍である。
もちろん、このネーミングについても、番組制作者がおちゃらけでつけていることはよく分かるが、しかし、私はこのネーミングは人間が陥りやすい過ちを象徴しているような気がするのである。
・教祖による霊視
私の友人に、ある新興宗教団体にはまっている者がいる。彼の話によると、その団体の教祖は霊能力を持っていて、彼も霊視を受けたそうである。そのとき、教祖は彼に「あなたの先祖に咽喉の病気になった者がいる。」とのたまったとのこと。彼はその際は、思い当たる節がなかったのだが、家に帰って両親に聞いたら、父親か母親に、「お前の曽祖父は食道ガンで死んでいる」と言われ、教祖の霊視が当たっていることを知り、それからは教祖に絶対的な信頼を置くようになった。そして、人生の重大な決断はすべて、教祖に霊視してもらって決めているとのことである。
そもそも「先祖に咽喉の病気になった者がいる。」などというのは、具体的にどの先祖で、また、どのような病気にかかったかを明示しておらず、かなり曖昧な内容である。客観的に見て、これを以って霊視が的中したとは言えないだろう。また、仮に知っている範囲内で咽喉の病気に罹った先祖を確認できない場合でも、「その更に先の祖先だ」とか言って開き直れるような、正に「言ったもん勝ち」の内容である。
ここで、例えそれが的中したと仮定したとしても、だからと言って、人生の重大な問題についてすべて教祖の霊視に頼るのはいかがなものか。なるほど、霊視が的中したと仮定すれば、この教祖は先祖の一部の過去については覗き見ることができたのだろう。しかし、だからと言って、この霊視が現在や未来の問題についても有効であるかどうかは、何の保証もない。
とにかく、一度過去について何か例を使って信じさせられると、現在や未来についても有効であると錯覚を起こしてしまうのである。 そして、このような教祖が「個人のカウンセリング」にはあきたらず、しまいには世界終末戦争とその防止(例えば「人類の浄化」等)などについて語りだすようになったりすることはしばしば見られる現象である
・ユリ・ゲラーの核消滅宣言
私が小学生の頃、例のユリ・ゲラー現象が世を賑わしていた。その頃のユリ・ゲラーは人気の絶頂期であり、ついに彼も「教祖化」してしまったか、大橋巨泉司会の11PMの超能力特集で「地球上のたくさんの人が同時に念じてくれれば、私は世界中の核兵器を一瞬にしてこの地上から消滅させることができる!」と豪語した。
ユリ・ゲラーは何種類かの超能力を披露しているが(先述の通りトリックが露見したケースもある)、彼の得意技はスプーン曲げだろう。そして、スプーンが曲げられるからと言って(「地球上のたくさんの人」の助けを借りるとは言え)、どうして世界中の核兵器を一瞬にして消滅させることができるのか。スプーン曲げの延長に核兵器の消滅があるとは思えない。例え、スプーン曲げのパワーを世界の人々の念によって増強したとしても、あくまでもそれは「曲げる」パワーであり、「消滅」させる現象とはまったく違う次元の力であろう。
思うに、友人の教祖様、ユリ・ゲラーなどは、何か一つの不思議な能力(一部の先祖の過去の霊視、スプーン曲げ)が見られれば、その能力はあらゆるものに効果があり、ひいては、「人生の重大な決断の援助」といった身近な問題解決から、「終末戦争の防止」、「核兵器の消滅」といった最新の科学技術でも困難なことでも解決可能といったほとんど病的に近い誇大妄想を彼らの信者に信じさせているのである。
そして、電波少年の「地球防衛軍」はこのような人間が抱きやすい誇大妄想をうまく言い得ているではないか。
・万能薬
上述のような「理解不能な神秘的な力を見ると、それがあらゆる面に効果がある」と錯覚してしまう現象を私は、「万能薬」の幻想と呼んでいる。
ご存知の通り、薬事法の許可を得て販売されている正規の薬というものは、「風邪薬」、「胃薬」と言うように、一つの薬に対して、それが効く症状は基本的に一種類であり、薬と効果は基本的に一対一で対応している(風邪にも胃にも効く薬などというものはない)。また、薬には多かれ少なかれ必ず副作用があるが、これはある部分(症状)には効くが、他の部分には逆に悪影響を及ぼすということであり、このような点からも「万能薬」というものは、理論的に存在しないことが分かる。
ところが、超常現象の話になると途端に、その効果はあらゆるものに効くという「万能薬」のごとき錯覚を起こしてしまうので、このように命名しているのである。
「万能薬」の錯覚は、超常現象以外にも我々の日常生活で広く見られる。例えば、健康食品や様々な健康法がそれである。薬は薬事法の規制を受けるため、その効能については綿密な臨床検査を経て、厚生省の認可を得たものでなければ、記載することができない。ところが、健康食品や健康法などは、そのような法律の制約を受けることが少ないので、基本的にそれを広めている「教祖」の言うままに通用している。「・・・・・・酵素」、「・・・イオン水」、「・・・・ダイエット法」、「・・・・気功法」などの、「血液を浄化して、細胞を活性化させ、あらゆる病気を治す」といった類いの科学的な根拠のない万能薬的な健康食品や健康法が所を変え、品を変えては、現れ消えていった。そして、極端に偏った食事を長期に亘って摂取して体を壊しとか、健康法を盲信するあまり医学を軽視し、重病にもかかわらず病院に行かなかったために結局死亡してしまったとか、健康教祖が自らの分限を超えて、健康信者に対して医療行為まがいの行為を行い、逮捕されたなどという話はよく聞く話である。
・マーフィーの黄金律(ゴールデン・ルール)と万能薬
アメリカ人のジョゼフ・マーフィー博士が考案した「マーフィーの黄金律(ゴールデン・ルール)」というものがある。これは、「人間が心に思い描いたことは100%現実化する」というものである。ちなみに、これはあの「予想した結果のうち、最悪のものが起こりやすい。」という「マーフィーの法則」のマーフィーとは別人である。
私は、いわゆる「願望実現」型の新興宗教やセミナーは、おそらくこのマーフィーの理論を土台ににしているのではないか、と考えている。
マーフィーの著書には、不治の病に侵され、医者に「余命一週間」と宣告された患者が、病の床でひたすら「自分が復し、家族と楽しくすごしている状態」を心に描いて、実際に癒されたとか、病弱な貧しい少年が「自分はオリンピックの金メダリストになる!」と誓って、十数年後にその通りになった、というような人に感動と希望を与えるような話が次々と出てくる。
読者は勢い、自分の病気も同じようにすれば必ず治り、自分の願望も強く念じれば必ず実現するのでは、と錯覚を起こしてしまう。現にマーフィー先生も、心に描いたことは100%実現する、と言っているではないか、と。
ただし、マーフィーの言っていることもまんざら嘘ではない。例えば、病気の治療について言うと、そもそも薬の効果の内、その30%は暗示によるものだとされている。そして、暗示というものが、心理的な原因による病気だけでなく、心と直接関係のない病気にも効果があることは、周知の事実である。もっと具体的な例を上げれば、ガンの治療法に「サイモントン」療法というものがある。サイモントン療法では、患者にガンが収縮し、消滅して行くイメージを思い描かさせる。正にマーフィーのゴールデン・ルールにそっくりである。そして、同療法を紹介した本によると、これによってガンの治癒率が高まるそうである。ただし、これはあくまで「治癒率が高まる」と言っているのであって、「100%治癒する」と言っているのではない。同療法を実践した患者の中にも、回復せずに亡くなる方もいる、ということである。
マーフィーの信奉者は、亡くなった患者はイメージを描く努力が足りなかったのだ、と言うかもしれない。しかし、他の療法もあるのに、あえてサイモントン療法を選んだ患者が、イメージ療法に真剣に取り組まなかった、などということがあり得るだろうか? そして、ここでもマーフィーのゴールデン・ルールが言う「心に描いたことは100%実現」するというのは間違いで、この法則も決して、「万能薬」ではないことが分かると思う。
また、病弱だった子がオリンピックで金メダルを取ったという話も、確かにこのようなケースがあったのかも知れない。そして、少年の誓いも暗示として、良い影響をもたらしたのだろう。だが、だからと言って、誰でも心に思い描けば、金メダルを取れる、などということはあり得ないことだろう。スポーツに遺伝的素質が関与していることは紛れもない事実である。生まれつき運動神経が極端に悪い者(まるで私のようだ)や四肢に障害を持っている者が、マーフィー流の瞑想と練習の末、世界の桧舞台で活躍し、金メダルを取るなどということは、限られた短い人生の中で恐らくあり得ないことであろう。
・イエスの分別・オーム真理教の無分別
ここで、オーム真理教を取り上げたい。オームの信者の中には教祖のかの「空中浮遊」等の写真を見て、「この人こそメシア」と思って入信した者も多いと聞く。「空中浮遊」自体、教祖はほんとに出来たのか多いに疑問の残るところだが(現にオームに反対する弁護士たちはそれがトリック写真だと主張している)、たとえ、それが本物だとしても、数十センチ空中に浮遊したとして、それが実質上(人類の救済等のために)何の役に立つというのか?(もちろん、これが本物であれば、「科学上の大発見」ではある。そういう意味で、オームの教祖はそれが本物だと主張するのであれば、科学者に協力し、実験室で何回も「浮遊」して、その力を分析させるべきだった。) 今回の一連の事件は、「空中浮遊」等の一連の奇跡の写真やビデオを見たオーム信者が麻原教祖の能力に対して、万能薬の幻想をいだき、同教祖を神格化し
て、その指示に盲目的に従った結果、起こったものと説明できないだろうか。
一方で、聖書を開くと、新約聖書の福音書の中にはイエスの数々の奇跡(病人の癒し、突風を静める、5つのパンと2匹の魚で5千人を満腹させた、など)が見られる。しかし、これらの奇跡を行ったのは、主にイエスがガリラヤ地方で布教を始めた頃のことで、奇跡物語は福音書の後半に進むにつれて、次第に少なくなっていく。また、イエスは例の「カエサルのものはカエサルに」の発言によって、「政教分離」を宣言している。これについては様々な解釈が可能だが、私はひとつの解釈として、「イエスの奇跡を見た信者が、イエスに対して「万能薬」の幻想を抱き、イエスを自分達の政治的なメシア(世俗的な意味でのユダヤ人の王、救済者)だと勘違いしているのを感じたイエスが、とかく誤解を生みやすい奇跡を起こすことに対して慎重を期するようになり、また政治的なメシアでないことを宣言するために「カエサルのものはカエサルに」と発言したのではないか」と考えている。
そういう意味でもイエスは、「終末戦争とその防止策」などとたいそうな予言をする現代の教祖様たちよりも、はるかに自分の分限をわきまえていると思われる。
・万能薬の功罪に対する心理学的分析(そのパラドクシカルな帰結)
今まで、万能薬の幻想について説明してきた。ここで、ではなぜそのような現象が生じるのかについて、心理学的に考察したい。
社会心理学の中に「認知論」という学問がある。この認知論によると、人間は自分が囲まれた状況に対して、対処することができるという「統制感」があると希望を持ち、それがない場合には習得性無気力(learned
apathy)に陥るという。これは例えば、洞穴に生き埋めにされたものが、スコップなどを発見すれば、脱出の希望を持ち、大いにやる気を出すが、スコップもなく、さりとて素手では全く歯が立たない、となれば絶望し、習得性無気力に陥るということである。
万能薬についても、一種の統制感を与えると考えて良いのではないだろうか。例えば件の私の友人についても、ほっおくと一人で悩んでしまうタイプだが、人生の重大な問題につて「教祖の霊験」という万能薬があればこそ、自分の囲まれた状況に対して、統制感を持つことができ、無気力にならないで済んでいるのだろう。
ユリ・ゲラーの「核消滅宣言」にしても、当時はまだ冷戦のまっ最中で、米ソに膨大に蓄積された核がいつ発射されてもおかしくない、といった危惧が抱かれていた時期だった。一部の超能力ファンの中には彼の発言を信じ、錯覚ではあれ、核の脅威に対する統制感を持ったものもいるかも知れない。
マーフィーのゴールデン・ルールは不治の病に罹っている患者に一縷の望みを与え、病弱の貧しい少年に対して、将来に対する希望を分け与えるだろう。
しかし、もちろん以上のようなプラスの面があれば、当然マイナスの面もある。万能薬は、その能力を持っているとされている人やものを絶対化し、ひいてはその人やものに盲目的に服従するように仕向ける。私の友人の教祖様、かずかずの健康食品や健康法と健康教祖、オーム信者にとっての麻原教祖がそれである。
また、万能薬を過信するあまり、客観的、科学的な検証を受け入れることを怠ってしまうのも、既に指摘した通りである。科学的な検証の拒否と教祖に対する盲目的な服従が起こした事故や事件を考えると、万能薬は正に諸刃の剣である。
さらに、万能薬の救いに漏れ、病気が治癒せず、むしろ悪化した患者や、求めた結果を得られなかったスポーツ選手などは、「教祖」に見捨てられ、黙殺される運命にある。健康法の本に、治癒せず悪化した事例など、まず記載されることはない。また、かのマーフィーが出している数々の本の中でも、失敗の例はまったく取り上げられていない。
ここで一つのパラドックスがある。臨床心理学によると、「患者は治癒に対する期待と確信が高ければ高いほど、回復力が高まり」、同じくスポーツ心理学によると、「選手は成功に対する期待と確信が高ければ高いほど、成功の確率が高まる」ということである。つまり、万能薬に対する盲信も、回復力や成功率を高める上では、大いに役立つということである。そして、この場合、科学による検証や失敗の事例は反って水を注すだけであり、文字通り100%治るんだ、成功するんだ、と盲信した方が、本当に実現する可能性は高いのである。
ただし、ここで断わっておかなくてならないのは、先述の通り、万能薬が効くのはあくまでも、限られた人に対してであるということであり、この限られた人達が利用して始めて有効である、ということである。
・万能薬を求める人々(あとがきに代えて)
万能薬のもたらす統制感によって、瀕死の病人も、絶望の淵にある人間にも希望が与えられる。だから、人々がこれを求めて、集まってくるのは納得の行くことではある。しかし、そのような万能薬を与えてくれる「教祖」が多額の金品を要求したり、また自己への絶対的な服従を要求してくるとしたら・・・・。そして、万能薬の効果についても、限られた人間に対してだけであり、その他の万能薬の救済に漏れた者は、「教祖」によって黙殺されるとしたら・・・・。
このような万能薬の虜にされている人々に対して、我々はいかなる対応をすべきだろうか?
万能薬の効果のあった数少ない成功者については、何も言うことはないだろう。こういう成功者は往々にして、自分の成功例が自分だからこそ起こったことであることに気づかず、自分と同じ努力をすれば、誰でも自分と同じことが達成できる、と考えてしまう。余生を万能薬の広告塔として、過ごすことだろう。これもまた一つの人生である。
問題は、万能薬の救いに与れそうもない人々に対する対応である。瀕死の重症なのに、最後の一縷の望みである医学的治療を拒否し、健康教祖のもとに駆込む患者。金メダルからは程遠く、県大会出場すら難しいのに、いつかオリンピックの表彰台に上がることを信じている選手。
治る見込みもないのに、絶望の淵にある患者の足元を見て、万能薬を振りかざし、金をせびり取ることしか興味のない教祖や、オリンピックどころか県大会出場すら難しいことを分かっているくせに、自分の教え子に万能薬を説き、見かえりに多額の指導料を取っているコーチがいたとしたら・・・・。誰でもこのような人間を許すことはできないだろう。、
しかし、当の患者と選手にしてみれば、万能薬は最後の砦であり、例え他人から見て騙されているのであれ、希望を持たせてもらえることに最大の価値を見出しているのであれば、これを誰が非難できようか。瀕死の患者が万能薬に頼って死亡したとしても、死ぬまでの間に絶望することなく心の平安を保つことができたとしたら・・・・・。また、青春時代、万能薬を信じて目標に打ち込んだ青年が、青年期を過ぎて体力の衰えと共に、己の素質のなさに気づいたが、希望にあふれていた自分の青春時代を少しも後悔していないとしたら・・・・。読者の中で、これに対してあえて異議を申し立てる者がいるだろうか?
もちろん、その逆もあり得る。万能薬が効かず、恨みの言葉で一生を終わる患者。信じていた夢に裏切られ、人生に対する全ての自信をなくした選手。
結局、最終的に行きつくのは本人の価値観であり、その決断も本人の自由意思に委ねるしかない、というあまりに当たり前の結論ある。
|