日本人にとっての仏教とは何か・序説
00年03月20日
萬 遜樹
日本人にとって仏教とは何なのか。これは古くからの、しかしすっきりと解明できているとはなかなか言えない難問である。お断りしておくが、ここで考えたいのは一般日本人にとっての仏教である。別に学問問題としてではない。
実は学問問題、つまり仏教学や比較宗教学などの観点から日本の仏教を解明しようとすることが、かえってこの問題を複雑にして来たように筆者には思われる。確かに「仏教はインド起源の一宗教である」ということは歴史的事実である。しかし日本人にとっての仏教とは、そういう宗教ではなく別の何者かである。
何でもいい、適当な仏教入門書をひもとくと、必ず「日本の神と仏教の仏は違う」という内容の記述が見つかる。確かに前者は欲望を叶える神であるのに対し、後者は欲望を鎮める仏である。日本の神は人間を超えた存在であるのに対し、仏教の仏は人間を脱した存在である。さらに前者は直感的に理解する非合理的な存在であるのに対し、後者は理論的に理解する合理主義の果ての存在とも言える。
ここで詳論することはできないが、仏教自体が複雑で多様な展開を遂げていることは周知の通りである。だから、上記のようなまとめ方さえも甚だ不十分であることは承知している。一言だけ言えば、仏陀創唱の宗教として出発したはずの仏教であるが、大乗仏教として発展したときより、悟りを求める宗教から救いを求める宗教に大きく変貌したと言わざるを得ない。
ともあれ、そこではまず日本人が仏教をいかに誤解してきたかが語られるのだ。すなわち、本来の仏教は違うと。明治以降、日本人の「西遊記」が始まった。多くの「三蔵法師」が学問上のインド求法を行なった。これにより、ますます私たち日本人は仏教を誤解、あるいは変容(要は「曲解」)してきたかが立証された。神仏分離や政教分離は、西欧近代産の「宗教」概念に基づくものだが、これらにより仏教も「日本の仏教」を脱し「インド起源の宗教」たらざるを得なくなった。
知識問題、学問問題としてはそうだろう。しかし日本人の「信仰」の実態においてはそれは違う。間違っているとか間違っていないとか言う問題ではない。私たちは私たちなりに受容し、私たちなりに今も仏教を保持(護持)している。そういうものとしての「仏教」の意味を問い直すべきではないか。すなわち、日本人にとって仏教とは何なのか。仏教変遷史の中においては、私たちの仏教はない。
和辻哲郎は『古寺巡礼』において、仏像を美術品として鑑賞してみせた。政教分離ならぬ「美教分離」であった。分けることが分かることだとする近代思考である。しかし私たち日本人の思考の特質は、混然とした知、いや未分離の知である。善し悪しを言っているのではない。日本人の「無宗教性」を述べるによく例として挙げられる、誕生や初詣は神道、結婚や年末はキリスト教、葬式は仏教はこの典型である。
では、日本人の「信仰」に一貫性はないのであろうか。もちろん、ある。それは「ニッポン教」である。いまだこのニッポン教について明瞭な説明ができないのは筆者の非であるが、同語反復的に「ニッポン人の深層信仰」とだけ述べさせて頂く。ここから見れば、神道もキリスト教も仏教も、宗教ではない。それらはニッポン教の展開の一つ一つの相なのである。
本題の日本人の仏教に話を戻そう。日本人にとっての仏教とは何か。それはずばりニッポン教である。別物の宗教ではない。日本人の仏教は、日本人の「信仰」を具体的に展開した姿そのものである。
故に、日本人にとって仏は神そのものとなる。それどころか、日本人にとって、仏は古来よりの神以上にすばらしい神であった。なぜなら、それまでの神々は人々の前に決して姿を現してはくれなかったからだ。日本の神々は依り代には移られるが、その姿はたいてい岩や木、太刀や鏡であった。人である子どもに乗り移られることもあるが、それは一時的なものだ。しかし仏や菩薩様は人の姿形をしておられる。仏像とは人形(ひとがた)の依り代なのだ。
次に、仏様は慈悲深い。神々はいついかなる理由でお怒りになり祟られるかわからない。一方、仏様は気紛れではなく道理や人情がわかる。つまり、話がわかる神様なのだ。それに各々の仏や菩薩がもつ力、つまり霊威もあらかじめはっきりしている。これはとてもわかりやすく、頼み事なぞには手っ取り早い。
さらに、仏教には理屈がある。祈りや修行にきちんとした作法や手順がある。用いるべき用具も決まっている。これらの決まり事は面倒なことではなく、むしろ何をなすべきかが明確化されているということだ。かくして、何ら手立てをもたぬ「神道」もやがて仏教にならって理屈を整備することとなる。
日本人の仏教は現世利益的でさもしいという評がある。確かにそうであろう。私たち日本人にとっては、仏は物わかりのよい神であるのだから当然のことだ。「日本人の仏教は…」という言い回しの中には、「本来の仏教とは…」という声が聞こえる。
また、日本人の仏教は「密教」たらざるを得なかった。なぜなら、アニミズム的カミ観をもつ私たちは呪術的に世界を理解し、呪術的に世界に働きかけるのが流儀だからだ。ここでも「密教」という言葉にこだわり過ぎるとよくないだろう。密教の手法を借りて、ニッポン教を展開したと解すべきだろう。
例えば、雨乞いはもちろん仏教伝来以前からの呪法だが、空海が中国最新仕込みの呪文と法具を用いて本格純密の修法で行なったことを想像してほしい。旧態のシンプルであったろう「神道」風に比べ、いかにも絶大な効果がありそうではないか。
それから、御霊信仰は逆説的だが仏教(特に密教)のおかげで興隆したと言えよう。御霊すなわち祟り神が強力になり得たのは、これを調伏する術があってのことだからだ。菅原道真の冥界説話なぞ、仏教理論なくしてでき得なかった。仏教はニッポン教の魂鎮め呪法としても機能した。
さらに、穢れはニッポン教的思考だが、これを祓い清める最強最終の秘法が仏教であった。古来よりの祓いや禊ぎでは対処し切れない穢れが日本人に広がる。これは先ほどの御霊信仰と同じことで、対抗する術があるからこそ禍の思考も大きくなるのである。最大の穢れは死である。日本人は長い間、死人のコントロールを失ってきた。だからこそ、御霊もはびこったのだった。
いつしか死の穢れへの恐怖は、地獄への転生の恐怖となる。地獄への転生から逃れ、極楽浄土に往生する呪術を仏教が日本人に提供する。その最新の秘法こそ、言うまでもなく念仏であった。死に対し仏教が、神道を排除し専断的に関わることは、実は仏教のニッポン教性とその祓除力の強さを示している。早い話があの世まで祓ってしまうのである。
話を少し変えよう。ニッポン教としての仏教で最も早いものは、観音信仰と思われる。一番、日本の神に近かったからだろう。日本の神は海や山に多く坐した。観音様は見事にそれらの神々が顕現する依り代となられた。神仏習合についてはとかく言われるが、要は神と仏が互いに霊魂とその依り代の役割を果たし合うと考えればわかりやすい。
山の宗教と言えば、修験道だ。いま私たちが抱く神道のイメージには紀記神話の影が濃くかかり過ぎているせいか、弥生的なと言うか平野部に坐す神を想像しがちだ。しかし、ニッポン教の神々のふる里は海や山である。神が変身された観音様の補陀落浄土を求めて、紀伊半島南方の熊野灘へ渡海したのは、まちがいなくニッポン教のあの世信仰からである。
修験道については「山伏」として密教的にあまりにも装飾され過ぎており、やや古態を復元し難いが、ひとまず役の行者をイメージしてもらおう。大和葛城山の役の行者は呪術師とされている。しかし彼は古代葛城氏の神官だった節もある。ニッポン教、すなわち「神道」と密教などが未分離の「宗教」者だった役の行者は何をしていたのか。修行である。では、何のための。「悟り」のための修行である。この日本にも、本来の仏教同様の二方向の、つまり救いと悟りの「信仰」があったわけである。そしてその後者の「場」は神々が坐す山(や海辺)であった。
(中世の伝承をもとに考察するに、その修行は「死と再生」神話に関わるものらしい。黄泉帰り、つまりこの世とあの世の往還である。これを「悟り」と言ってよいのかどうか迷うところだが、自己探求の方向性にあることは間違いないので、一応そう記述させて頂いた。)
ここから、僧とは何だったのかという話に続けたい。日本における僧とは他でもない「知者」であった。「聖」(ひじり)と言ってもよい。専門化世俗化される前の哲学者、魔術師、宗教者などである。ニッポン教の「ドルイド」たちである。神を信仰し自らも神となることをめざした脱俗の居士であった。呪術的世界を信じ、呪術的に世界をコントロールしようとした人々である。古代の僧は多く山間に修行していた。これは彼らが仏教の僧ではなく、ニッポン教の僧であったことを証するものである。
最後に本覚思想について述べて、序説にもならぬ小論を終えたい。本覚思想とは(細かく言えばいろいろあるが)、人は誰でも仏になれるという考え方である。これが日本では万物に仏性がある、つまり草や木まで成仏できるということになってしまう。言うまでもなく、ニッポン教のアニミズムの表出である。読者への投げかけとしたいのだが、今日の「平等思想」とはこの本覚思想に支えられているものではないだろうか。
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