---タリバーンの行為は確かに「蛮行」だろう。しかしその「野蛮」とは何であり、非難者たちが依拠する「文明」とは何なのか。--- (「加藤紘一の乱」の国会でコップの水をまき散らした)わが日本の松浪健四郎議員や諸国家・各種団体、国連機関などの説得と要請にもかかわらず、アフガニスタンのタリバーン政権は、バーミヤンの仏教遺跡の破壊を敢行したようだ。この行為がどのような意図をもって行なわれたのかは、未だ十分判明ではない。 (注)ここで松浪議員の名を挙げたのは、「高尚」な国連の主張と「低俗」な松浪氏の考えが、こと文化財保全という点においては一致しているということを如実に示したかったためだ。 政治的な駆け引きだと専ら言われてきたが、本当に破壊してしまった後では、何の意味もなさない。つまり、政治的打算は無視して成されたものだと考えざるを得ないだろう。いまから述べることはあくまで筆者の妄想であるが、現代の「世界」や「現実」を相対化するには、少しばかり役に立つかも知れない。 失念してしまった(確か坂口安吾か亀井勝一郎かだったと思う)のだが、遺跡や史跡は滅びるのならそのままに任せればよいではないかと述べた人がいた。わざわざ保護や保存なぞする必要はないと言ったのだ。しかし、世界のいまの常識はこれとは違うだろう。遺跡が見つかるたびに「保存せよ!」の合唱である。国連のユネスコは「世界遺産」制度まで作った。これはなかなか意味深長である。というのも、今回の「蛮行」は国連などが有するのとは違う文明観や歴史観によるものであると筆者は考えるからである。 「歴史」という観念をもたない人々がいる。また、歴史という観念をもっていても、欧米流のそれではない人々もいる。こう言われて、それはそうだなと思うのは日本人までである。欧米人には決して通用しない。欧米こそが「グローバル・スタンダード」(世界標準=「普遍」)だからである。 近代ヨーロッパで成立した「歴史」観は、これとは異なる歴史観をもつ、インド・中国・イスラムなどを野蛮で停滞した前近代的文明と規定してきた。インドには直線的な「歴史」はない。輪廻し、循環するのが世界だからである。中国の歴史とは、正統の世界王たる皇帝の相続史であり、分裂・野合する「歴史」なぞ拒絶している。そしてイスラムは、「人間の時間」、つまり「歴史」に対抗する信仰として誕生したのだ。偶像否定とはそういう意味だ。 国連から松浪氏までタリバーン非難論に一致して見られるのは「歴史」の、人間が作った歴史的文化財の擁護である。一方のタリバーンの主張は「反歴史」であり、それは「神の現在」(神がいまここにいること)の擁護である。いまやイスラムは、欧米流「歴史」観によって奪われた「反歴史」を守護する者たちが最後に隠れ棲む所なのである。 イスラムにとっては、祭政一致がもともと「原理」である。スンマ(イスラム共同体)を作り、シャーリア(イスラム法)を完全復活させることがイスラム原理主義集団・タリバーンの夢である。 ユダヤ・キリスト教に「インマヌエル」(神と共に在る)という言葉があるが、イスラム教には「イン・シャー・アッラー」(神の意志あらば)という言葉がある。それは因果的連続時間、つまり「歴史」の否定なのである。「神の現在」だけを生きようとする過激な熱情である。現実は絶えず神の意志によって如何ようにも変容するという、キリスト教世界ではすでに封印された神秘主義的な絶対神信仰である。 タリバーンは、イスラム教徒の多数を占めているスンニー派の過激派で、パキスタンなどの私設イスラム神学校の卒業生を中心に構成されている。イスラム教のもう一派はイランのシーア派である。ご存知の通り、イラン宗教革命を実現したシーア派は、その後は爆弾闘争などを実行し、アメリカからも「イスラム原理主義過激派」と認定されている。タリバーンはそのシーア派を上回る「過激派」であり、その政治的な敵は「反スンニー集団」イラン・シーア派と「反イスラム国家」アメリカである。 タリバーンのアフガニスタン支配の現実的政治的「成功」は、皮肉なことにアフガニスタンに侵攻したソ連と冷戦を戦っていた時代のアメリカの支援、その後はインドと対抗するパキスタン急進派の支援によっている。自分たちの「歴史」作りが「反歴史」を育んでいたわけだ。 神学校で純粋培養されたタリバーンは、もはや「世界」や「現実」とは決別したイスラムの原世界をめざした「永久革命」運動に突入してしまったようだ。それが今回の「曇りのない蛮行」を必然ならしめたのだ。 サウジアラビアやエジプトは言うまでもなく、フセインのイラクも、すでに欧米流の「歴史」に呑み込まれている。イランでさえ「西欧派」が政治を運営しているのが実際である。そもそもイスラムが「歴史」を受け容れたのは、十字軍以来のヨーロッパとの対抗手段としてであった。政治交渉のために「歴史」を認めることが必要であった。それはしだいにヨーロッパに似ていくということでもあった。 世界のヨーロッパによる「世界史」化は、否応なく、世界のヨーロッパ流「歴史」化でもある。わが日本や中国などアジア世界にとっても同様だった。「現実」は文明観や歴史観をさえ変えていき、いまや私たちも、歴史とは欧米流「歴史」しかないように思い込んでいる。そういうことからも、タリバーンとは非「現実」主義者(理想主義者)であることが分かるであろう。 しかし自明のこととして、タリバーンの革命もやがて風化せざるを得ない。欧米的「普遍」は非欧米的「野蛮」を「文明」化してしまう。そう考えると、否応なく「世界史」に巻き込まれていった私たち自身を見ているようで、筆者はタリバ−ンに切なさすら感じてしまうのは過剰な感傷だろうか。 あらゆる宗教的あるいは「革命」的熱情は破滅せざるを得ないのだ。私たち人間は「天使」ではなく、肉体をもった弱き者だからである。アメリカの禁酒法、ヒトラーのゲルマン至上主義、日本の八紘一宇、ソヴィエトの世界共産革命、毛沢東の文化大革命、カンボジアのクメール・ルージュの民族改造、ユーゴスラビアのセルビアによる民族浄化など、どれもこれも「理想」は「蛮行」となってしまって終わるのだ。 私たちが「平和」に暮らすには「ぬるま湯」につかっているしかないのかも知れない。「文化財」とは「ぬるま湯」に他ならないことをタリバーンの爆薬は教えてくれたのだ。
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