平安神宮で神道史学会開催

2018年6月4日

2018年6月4日、平安神宮の記念殿ホールにおいて第64回神道史学会大会が開催され、会長の清水潔皇學館大学学長をはじめ、國學院大学や皇學館大学の院生を中心に若手の研究者約80名が参加した。学術大会に先立つ6月3日、平安神宮への正式参拝や宝物館の拝観、明治維新関連史跡等の見学が行われ、夕方には、平安神宮会館で懇親会が催された。
 今年は、明治維新から数えて150年、また、来春には、200年ぶりとなる「譲位」が予定されているなど、即位式や大嘗祭などの宮中儀礼や国家権力と神道との関係があらためて注目される中での神道史学会大会となり、インバウンドの外国人観光客と6月の大安で日曜日という結婚式の集中日で賑わう平安神宮での学術大会は、神道界以外の人々からも関心を抱かれた。

平安神宮会館で開催された第64回神道史学会大会
平安神宮会館で開催された第64回神道史学会大会

 学術大会では9名の若手研究者が次々と日頃の研究成果を披露したが、中でも、佐野真人皇學館大学助教による『譲位の儀における剣璽の渡御について――平安時代の事例を中心に――』と、江頭慶宣龍造寺八幡宮禰宜による『地方大名と即位式・大嘗祭――佐賀藩の事蹟を中心に――』が注目を集めた。
佐野氏は、いわゆる「三種の神器」が皇位の象徴となった平安時代、当初は、先帝の崩御から新帝への践祚に伴う即位の礼において、剣璽の渡御は昼間の儀式として執行されたのに対し、神鏡はその宗教性ゆえ、伊勢の神宮の遷御の儀同様、夜間に渡御されていたものが、院政が一般的になった平安時代後期には、剣璽を伴った天皇による皇太子への「譲位」の宣命と先帝の高御座からの退出から新帝の登極と摂関諸大臣以下、百官への謁見。さらには、「幼帝」が続出した時代には、譲位の儀式そのものに「主役」である新帝が出席せず、剣璽を摂関(大臣)が先帝のもとから新帝の御座所へ届けるなど、儀式が長時間化し、ついには、剣璽の渡御も神鏡の渡御同様に夜間に行われるようになったプロセスについて詳しく説明した。

三宅善信代表の隣が神道史学会長の清水潔皇學館大学学長
三宅善信代表の隣が神道史学会長の清水潔皇學館大学学長

また、江頭氏は、一般的には『禁中並公家諸法度』によって、天子はもとより公家と徳川将軍家を除く諸大名との交流が厳しく禁じられていたと思われている江戸時代においても、天子の代替わり(即位礼)に際しては、将軍家や御三家はもとより全国の諸大名家から、その家格や石高の応じて多くの金品が献上されていたが、こと大嘗祭に関してだけは、「天子の秘蹟」として、将軍家以外には、その運営に関わることはおろか、その存在さえ隠していたが、実際には、長年にわたる平穏な時代と公家の経済的困窮に起因する宮家や摂関家・清華家と諸大名家との婚姻や養子縁組等を通じて、個別に皇室の情報を得ており、大嘗祭に関する書物も数多く諸藩に伝わっていた。それらのことが、幕末期の尊皇思想の盛り上がりに一役買ったと分析した。
最後に、阪本是丸國學院大学教授による『明治維新と神道の変革』と題する熱のこもった記念講演が行われ、日本が近代国民国家へと脱皮した150年前の明治維新がもたらせた神道の変革をあらためて捉え直し、200年ぶりに行われようとしている「譲位」に伴う諸儀礼の今日的意味、さらには、われわれが初めて体験する「上皇」のもたらす影響など、激動する国際情勢の中で、日本人が日本人たる所以について考えさせられる平成30年度の神道史学会であり、三宅善信代表も隣席した。

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