対馬でフィールドワーク

2019年11月21〜22日

2019年11月21日、韓国文在寅政権による一方的な破棄通告によって日韓間のGSOMIAの失効まで「あと36時間」と迫った「日本から韓国に最も近い島」である長崎県の対馬を訪れた。次々と自衛隊の軍用車両が行き交うのを見ながら、対馬の北端部「韓国展望所」を訪れた。韓国の釜山まで直線距離で約50kmしかなく、お天気に恵まれたので、高層ビル群がよく見えた。一方、対馬から日本「本土」である博多(福岡市)までは150kmもあるので、古来、日本で唯一「外国が見える島」として、常に「夷狄の襲来」を意識してきたであろう。

対馬海峡の対岸には韓国釜山市の高層ビル群が見える
対馬海峡の対岸には韓国釜山市の高層ビル群が見える

続いて、今回の対馬訪問の最大の目的地である和多都美神社を訪れた。「ワタツミ」(別名「豊玉彦」)とは、文字通り「海神」そのものであり、島国である日本の建国神話そのものと直結している。住吉三男神、宗像三女神と共に、古代から海洋民族であったこの国の民の記憶が記紀神話に取り入れたものである。天孫ニニギの息子である山彦が海神豊玉彦の娘豊玉姫との間に設けたのがウガヤフキアエズで、ウガヤフキアエズが豊玉姫の妹玉依姫との間に設けたのが、後に神武天皇となったイワレヒコである。つまり、皇位には、二代にわたって海神(和多都美)の血が入っている。

厳島神社と似た鳥居・社殿配置の和多都美神社
厳島神社と似た鳥居・社殿配置の和多都美神社

この神社の鳥居と社殿の配置は、「安岐の宮島」として知られる厳島神社(宗像三女神を祀る)とソックリである。しかし、厳島神社は推古天皇の御代(6世紀末)に鎮座したが、この対馬には、宗像大社の「沖津宮」が鎮座する沖ノ島同様、弥生時代の祭祀跡もたくさん残っているので、この和多都美神社のほうがはるかに歴史が長い。それにしても、朝鮮半島の南端からわずか50kmしか離れていない対馬に日本の神話と直結した古代遺跡がたくさん残っているというのは、いったいどういうことであろうか? そのひとつが今回のフィールドワークの目玉である「磯良恵比須」を見つけることである。

画面左の三本鳥居に下に「磯良恵比須」があり、満潮時にはこれが水没する
画面左の三本鳥居に下に「磯良恵比須」があり、満潮時にはこれが水没する

韓国展望所に近い上県町佐須奈の港町に近い場所に、島大國魂御子神社が鎮座する。この神社も鳥居の脇(本当は逆)に聳え立つ杉の巨樹の脇から階段を延々と上らなければ、本殿に到達できない。途中、何本かムクロジの木が生えているから、仏教との習合も意識させられる。釈尊が「硬いムクロジの実を108個、穴を空けて紐で繋いで数珠を作れ」と説いたそうである。「島大國魂神社」は、立派な式内社である。それにしても、千年以上も前に編まれた『延喜式神名帳』に、この「絶海の孤島」である対馬に鎮座する多くの神々が記録されていることには、驚きを禁じ得ない。因みに、中国や韓国は、20世紀の中頃に至るまで、日本海や東シナ海に浮かぶ島々を彼らの地図に描くことができなかった…。対馬の神社は、波打ち際に鎮座しなければ、たいてい山の上に鎮座する。対馬の大いなる國魂とは、いったいどういう神々なのだろうかという興味が尽きない。

巨木に囲まれた石段を登って大國魂神社へと向かう
巨木に囲まれた石段を登って大國魂神社へと向かう

「海上交通の神」と言えば誰でも、摂津国に鎮座する住吉大社のご祭神「上筒男命・中筒男命・底筒男命」を想起するが、神功皇后の三韓征伐と共に大和朝廷の本拠地に祀られたこの神々がどこからやって来たのか以前から興味を持っていた。通常は、これらの三神は「海面・海中・海底」を指すと言われるが、それでは、いったい「ツツ」とは何を指すのかが解らない。一説によると、古代日本語で「夕ツツ」金星のことだから、「ツツ」とは、航海する人にとって最も重要な道標である「星」のことで、夜空に三つの星が並ぶと言えば、洋の東西を問わず「オリオン座の三つ星」のことであるという説に一票を投じたい。

島全体が深いリアス海岸という対馬
島全体が深いリアス海岸という対馬

11月22日、対馬の美津島町の「本土」から30mほど離れた「沖島」との間の海峡部故、リアス海岸の最奥部に鎮座する鴨居瀬住吉神社を訪れた。和多都美神社前のようなドンヨリとした海ではなく、鴨居瀬住吉神社を囲む海の水は透明度がメチャクチャ良い。万葉集第16巻に「紫の 粉潟の海に かづく鳥 玉潜き出ば 我が玉にせむ」と、(天孫ニニギの息子である)山幸彦と結ばれた豊玉姫がウガヤフキアエズ(神武天皇の父)を出産する場面の詠んだと思われる場所に鎮座する住吉神社である。

神功皇后と縁の深い鴨居瀬住吉神社はどこか朝鮮風
神功皇后と縁の深い鴨居瀬住吉神社はどこか朝鮮風

私が訪れたもうひとつの住吉神社は、対馬空港に近い鶏知住吉神社である。この神社は、神功皇后が新羅からの帰還の折に鴨居瀬の住吉神社を勧請してこの地に行宮あんぐうを建て、和多都美神社を造営したと伝承されている。玉依姫とウガヤフキアエズ、神功皇后と応神天皇(八幡神)、どちらも母と息子の物語である。そこに深く関わる和多都美や住吉という海神…。鴨居瀬や鶏知といった鳥との関連を臭わせる神社(地)名…。今回の対馬でのフィールドワークで、多くのインスピレーションを得た。

対馬の神社シリーズの最後は「かいじん神社」である。全国に「海神神社」と名乗る神社は、ここと奈良県五條市の海神神社の二社だけである。他に、神戸市と和歌山県紀の川市に「わだつみ神社」がある。この神社は、式内社の明神大社で対馬国一宮である。神功皇后が三韓征伐の帰途、旗八流をこの地に収めたことから、八幡宮の本社となった。また、仁徳天皇の時代に、この山から起こった奇雲烈風が夷狄の軍船を沈めたという伝承もある。明治4年に八幡宮から和多都美神社と改称し、さらに、明治5年に海神神社と再改称し、祭神も八幡神から豊玉姫に変更されたが、中世には、神宮寺であった。

まるで西側の海を見張るように山頂に鎮座する海神神社の豪華な社殿
まるで西側の海を見張るように山頂に鎮座する海神神社の豪華な社殿

「海神神社」という名前に釣られて、駐車場に車を止めて、第一の鳥居を潜ったが、そこから本殿までの階段が途中で二度折れ曲がって延々と続いた。山上に鎮座する本殿は西方を向いており、おそらく大陸から侵攻してくる夷狄を霊的に封じるための社殿の配置になっているものと思われる。この神社は、2012年に韓国人の窃盗団によって「銅造如来立像」が盗まれ、韓国の裁判所が「日本への返還差し止め」判決を出した神社としても有名になった。

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