先代恩師親先生教話選集『泉わき出づる』より
よき己おのれの歴史を綴つづれ
お互いの日にちの営みは、自分の歴史書を書いているのである。尊い歴史の一ペ・ジ一ペ・ジを綴つづる生活こそ信心生活である。
国には国の歩み・・歴史がある。偉大なる人には立派な伝記が残されているのと同様に、お互い自身も、尊い生涯の歴史・・、一日一日の歩みが歴史を書き綴っているのである。
栄枯盛衰の歴史は、お互いの生涯の歴史にも書き綴られて、その人の生涯を閉じてゆくのである。
偉大なる人は、その国の歴史を創り、その歴史の中核をなし、一般の人・は、その時その時の社会の動きとして、歴史の一ペ・ジの内容として綴られている。
一家の歴史でも、初代が営・と築き上げた身しん代だいを、二代、三代で潰つぶしてゆく・・。いわゆる、「親おや辛しん道どう、子こ楽らく、孫まご乞こ食じき・・」こうした歴史の歩みを世間ではよく見る。実に考えさせられることである。
国の栄枯盛衰も、百年、二百年の間にいろいろの形で現されている。
親が一生懸命に辛道して築き上げたものを、ただ、子どもだけが楽をして、孫の代にはもう乞食をする。果たしてそんなものでよいのだろうか・・。厳しいことであるが、苦労したはずの親の中身が問題である・・。また、問題にもなる。
人間の一生を約六十五年として、二十五歳までくらいはその親にかかって、後の残り約四十年くらいの間の歩み方が問題である。それも早や、子、孫を含んでいるものである。
少しの努力∧苦労を経て少しの基盤を得ると、暮らし向きが楽になり、もう初めの苦労を忘れ、楽に着き、思い上がり、その生活が弛ゆるんでしまい、衰えの歴史の一ペ・ジ一ペ・ジを書き始めるのである。
亡びを知らぬ道・・日勝まさり、月勝まさりの栄えの道・・は、生活を良くしてゆく道である。暮らし向きを良くしてゆく道は、その弛み、その慢心を抑え、そういうものを取り除き、あくまでも努力を続け、向上へ向上への歩みを忘れず、日にちにその苦労をこなして行く一ペ・ジ一ペ・ジを書き続け、いよいよ難しさと明るく取り組んで行く営みを続ける。そういう歩み・・営み・・こそ、信心の道であると信じている。
五年前、欧米の視察に行った時、ロ・マでそれをしみじみと感じた。二千年前に、世界最高の文化を誇ったあのロ・マ帝国の崩れ落ちた姿・・。滅びるということの惨みじめさ・・、侘わびしさ・・、恐しさを・・。
昨年、中国にまいり、あの万里の長城を見てもそう思った。あの巨大な事業、今日においてもなお、成し遂げられぬと思われる大長城・・。
だが、外敵からは守れても、内部から腐ってきて、中身から潰れてきてはどうにもならぬ。王朝の内部崩壊の守りとはならなかったのであろう。
あの万里の長城は、山の尾根伝いに城壁を築き、それでずっと山・を縫い、二重にも三重にもしてあるところもある。軍事的には完璧な守りである。
これを築いた秦の始皇帝は、自分は一番最初の皇帝で、その地位は子・孫・万ばん世せい不ふ易えきと、その無む窮きゅうを誇ったといわれる。だが、その大帝国も三代と続かず、わずかな歴史を綴ったのみで崩壊している。万里の長城の形骸だけを残して・・。
何がそうさせるのか? それは、誰もが持っている・・。誰もがそういうところに落ち込んでゆく・・。慢心、腐り、そして、楽しみのみを追い求めてゆく生活になるからである。
多くの人は、生涯かけての努力の場に立ち続けきらぬ。だから、せっかくの築き上げた場を自分で壊してしまうのである。
最近、八十九歳で死なれた日本画の巨匠横山大観氏が、昨年患った後、弟子の一人が「先生、もう筆を持たないほうがいいでしょう」と言ったら、「わしの築き上げてきた芸術を、もうここで終止符を打つのか゜打たすのか・・」と叱しかられたということである。
側近の人は、師匠に少しでも長生きをしてもらおうと思ったのでしょうが、「もう描かぬのなら、大観は死んだのと同じことじゃ」と、最後まで筆を振い、苦心しておられたと聞いている。さすがに一世の画家である。
「あの人は昔はやり手だったが、今はもう隠居でな」といったら、もうその人は死んでいるに等しいものであると思う。
努力、苦心の場から逃げてゆくことは、亡びてゆくということである。
生きてゆく・・。芽を出してゆくということは、難しさを克服してゆくことである。苦心の場に立ち続けてゆくことである。
山登りでも、杖を担かたげて鼻歌を歌って行く人は、必ず「お下くだりさん」である。フ・フ・言いながら、汗を流して景色などどこもよう見ずに歩み続ける・・。坂道を一歩一歩と取り組んで行くその姿は、必ず上がってゆく者の姿である。
高い山に登って、後を振り向いて、今まで上がってきたところを見ると、「あんなところをよく歩いてきた」と思う。
あの山坂の道を、うねりながら歩いてゆく・・。うねうねしているだけ坂を緩ゆるくしたのであろう。まっすぐでは急峻すぎてとても登れないから・・。それは、お互いの人生の歩み、営みの中にも同様なところがある。シッカリと歩みつつ味おうてもらうことが大切である。
朝日新聞の夕刊に・旅人・という湯川秀樹博士の伝記が掲載されている。とても面白い。教えられることが多い。
第一日の書き始めのところに、「自分は非常に恵まれた生い立ちであるし、全てに恵まれたところを通ってきたものである。けれども、自分の歩んだ道・・科学者としての道・・は恵まれていなかった。自分は何の不自由もなしに過ごしてきたものであるが、学問の道は、未知な所を営・コツコツ苦労しつつ歩むものである。今も、今後も、営・と新しい道を開拓しようとしている」とあった。自分というものを書こうとされているのであろうと思う。
湯川博士は、この・旅人・という自叙伝に、まず、両親の偉大さを書いておられる。お父さんが苦労しながら営・と学問の道に取り組んだこと。お母さんは子育てのために全てを捧げられた(註・五人の子供たちは全て一流の学者になった)。一生のうちに映画ひとつも見なかった。そのように書いてある。
だから、湯川博士がノ・ベル賞の栄誉を勝ち得る道は、実に嶮けわしく、苦労の道だった。しかも、その博士を生む土台ができていた。その上になお、努力、苦心を積み上げていたと言える。
お互いは、自分の一日一日の営み・・生活のあり方・・をジッと見つめていただきたい。厳しく自分を見つめていただきたい。どんな場に自分が立っているかを栄えの道を歩んでいるのか、亡びの道に立っているのかを飽かぬ苦心、倦うまぬ努力を続けてください。栄えへの歴史の一ペ・ジ一ペ・ジを、日にちの生活で書き続けていただきたい。
国の・・、人の・・、栄枯盛衰の歴史、歩みをジッと見つめつつ、厳しい、嶮しい人生の道を、倦まず、飽かず、全てを師とし、教えと頂いて歩み続けることが大切である。
(ある日の教話∧昭和三十三年四月)