★★ 教会長三宅歳雄 教話集 ★★

先代恩師親先生教話選集『泉わき出づる』より

出発点に立つわれ

今日、布教記念祭を頂きますに当たり、私も、皆様方も、今日までの祈られて生かされている恵まれて生かされている生き姿を反省し、より良い正しい歩みを真しんに頂きたいと念願するものであります。
自分を反省して恐ろしいのです。私ほど神様に恵まれ、庇かばわれて、生かされてきた者はないと思うのです。
貧しい家に病弱の身として生まれた私が、勿もっ体たいない神様のおかげで、達たっ者しゃで、ここまで来させていただき、今は亡き恩師大先生註=湯川安太郎師□に祈られ、ご神意のまにまに、今からちょうど三十二年前の昭和二年一月二十四日、この泉尾の地に御用を頂いて以来、言葉に言い尽くせぬ神様のお守りを頂いてまいりました。

人の助かりのためにの道一途に奉仕してまいる傍かたわら、いろいろと社会的な御用にも立たせていただき、特に終戦後、日本のため、世界平和のため、足らぬながらに、身を張って使うていただいてまいったのであります。
六年前に、コペンハゲンでの世界連邦第五回世界大会に日本代表として出席。その
前後、ロマ法王註=教皇ピオ十二世□や欧州各国の元首∧要人註=オストリアのコネル大統領他□にも会見し、米国では、旧知のダレス国務長官とも会談し、世界平和への道、人類の真の幸せへの糸口を探り、その後、当教会で世界宗教会議註=一九五五年八月九日に海外から二十六名、国内から約百名の代表を招いて開催された□を持ち、いろいろの平和運動にも尽くさせていただいてまいりました。
また、一昨年六月は、コロンボに於ける世界平和評議会に日本代表として出席させていただき、帰国後すぐさま、八月、原水爆実験禁止要請国民使節として、ソ連に行き、ブルガニン首相と直談判。核軍縮という人類の念願である大きい使命と取り組み、帰途、モンゴルと中国で、それぞれの要人と平和共存の糸口を探ることを得ましたことは、実に御神願、ご神護の賜物であります。

内らにありましては、昭和二十六年四月の会堂註=旧会堂のこと□落成以来、今だにきりなし普請が続けられ、昭和三十二年一月の御布教三十年記念の行事等、忘れられぬ、勿体ない感激の連続ご神護の連続であります。
私にとりまして、この三十二年間、想い出すひとつひとつに、感既無量なものがあります。なんと御礼を申してよいのか、なんと喜ばせていただいてよいのか、どのようにさせていただいても足らぬものであることを思うのであります。
この有り難い神様のご比ひ礼れい註=ご神威が盛んな様子□を頂きつつ、勿もっ体たいないおかげを合掌礼拝しつつ、このすばらしいおかげが、私の不徳のために何ひとつご神意に添いきっておらぬことは、実に相あい済すまぬことであります。
ただ、その時その時の感激で、その節の喜びのみで済ませている。この勿体なさ、申し訳なさ、本当に神様のご祝福を、人助けのご念願を、生活の一新を、改まりを、よう生み出しておらぬ。そこを真剣に考え、相済まぬ自分、足らぬ自分に泣き、詫びているのみであります。
この大みかげ、ご神徳を真しんに生き力として、生活に現させていただくためにどうあればよいのか;神様に恵んでいただき、形はようよう整いつつあるが、この内容をどうさせていただけばよいのか;それを思うと、本当にたまらぬのです。

人の難儀の解決人の助かりの道をどう開かせていただくべきか。そのことの歩みに打ち込み、取り組み、いかにその解決の糸口をつかみ出すかに、祈り悩み続けてまいりました。
今度の記念祭を頂くに当たり、二十日より、行願それは詫びの行であり、自分自身を見つめ、掘り下げる行でもあり、神様の悲願達成の一歩のあゆみでもあるを立て、詫びに詫び、祈りに祈り、練りに練り通して、今日の記念祭を迎えさせていただいたのであります。
今日、いよいよその御祭を頂くときになり、自分の足らぬこと、すべてに自分のなせておらぬことをあらためて肝に銘じて判らせていただき、今朝もしみじみご神前で泣いてお詫びを申したのであります。
祈られ、恵まれている自分。そこを掘り下げ掘り下げ、勿体ない、相済まぬと判らせられ、詫びて詫びて詫びきっていく。その詫びに徹した中に、やらせて下さい゜と願う、縋る。そこに大きい感激の生き方を頂き、今日の布教記念祭を迎えさせていただく心構えを頂かせてもらいました。
神様のお庇かばいに甘え、母親の乳房のごとき神様の大みかげに慕っている自分。そうした自分から一歩でも進めねば相済まぬ。一昨年もやれなかった゜昨年も相済まぬ自分であったという、その殻を破って、ヨチヨチの歩みであっても、たとえ一歩でも、進ませていただき、成長させていただき、神様に喜んでいただかねば相済まぬ。その祈りを持って、今日、記念祭を頂かねばならぬと思うております。
神様の助かってくれよの願いお頼みのもと、なんでも゜と祈り、勇み、神様のご悲願成就のため真にお互いの助かりのため、各の生活の一新に取り組み、世の人の幸せのために祈り尽くすことに打ち込まねばならぬと思います。
真にそこのところを皆様方もシッカリと分からせていただき、今日の記念祭を吉祥に御神願に添う助かりへの道を歩まれますようにお祈り申させていただいておきます。

布教三十二年記念祭当日の早朝教話∧昭和三十四年一月二十四日□

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