先代恩師親先生教話選集『泉わき出づる』より
使うていただける喜び ――難儀は大きいほど助けていただける――
御用を頂いて32年......過ぎ去った年月を振り返れば、ただ、感激合掌するのみであります。32年間と思えぬのです。1、2年のような気がいたします。
御祭(みまつり)を迎えますに当たり、私自身の信心の問題......。その歩み、その成長の跡を根本からひとつひとつ見直し、改まり、正したい。そういう念願に燃えて、お迎えさせてもらったのであります。
特に、この4、5日の間、神様に祈り、自分のドン底から掘り返してみました。いろいろと教えていただきました。まず、「根本的にお詫びが足らぬ」と神様からお叱(しか)りを頂き、詫びて詫びて詫びぬいていると、「喜びが足らぬ」と教えられた。その一言は胸に五寸釘を打たれたようでした。本当にその通りであると判らせられ、詫びつつ御礼を申しぬきました。
お詫びが足らぬ、喜びひとつできてない自分というものを神様から曝さらけ出され、これはまたなんとしたことか......。そう自分を突きつめてみて、「いかにお礼を申してもお礼が足らぬ。いかにお詫び申してもお詫びが届きませぬ」と、その場にひれ伏しきりましたら、「阿呆(あほう)の一心でよし......。神が足してやる!」とのお言葉を頂いた。
ということは、「お前が、そんなにちちくり舞うてもどうにもなるまい。ただ、祈れ!縋すがれ、阿呆の一心で励め!神が足してやる!」との有難いお言葉に救われて、そのお詫びが足らぬまま、喜びが足らぬままで足して下さるとおっしゃる。そこで、「なにとぞ、足して下さい」と縋りきると同時に、足してもらう自分作りのために、自分を鞭(むち)し、行じ、祈り続けましたら、今度は「心配するな。神が使うてやる」とのお言葉......。なんという有難い思召し!そのままの姿で、この阿呆を使うて下さるというお庇(かば)い、ただただ感泣いたしました。なんともいえぬ感動を受けたのであります。
ただもう、地に伏し、天を仰ぎ......感激、感動、感泣......「お前の身を神に任せ。使うてやる」とおっしゃられる。神様のご慈愛に泣きました。
そういう場に置いていただいて、今日の御祭を頂き、今の私は、詫びの足らぬまま、喜びの足らぬまま、ただ、御神願(人よ幸いであれ)に添いきる祈り......。ひれ伏し、ただ、行じ祈るのみであります。
32年間使うていただいた自分の歩みを回顧いたしまして、不徳な自分――何ひとつ御用らしい御用のできておりませぬ自分――に対して、実に神様のご悲願は強く、「使うてやる」と仰せられるその御用は、世の難儀の救い一途であります。
人類が未だかつて味おうたことのなかったほどの複雑多岐な現代社会のあらゆる問題の解明・・救い・・と、真(しん)に取り組ませてもらう歩みを、今日の御祭を吉祥に進めさせていただくことのできますことを喜んでおります。
おそらく、いろいろの宗教も、そこで悩み、そこを苦心し、教えようとされているのであろう。だが、私が判らせられ、皆さんにも解ってもらいたいことは、助けを求めるお互いが、あまりにも甘えすぎ、神様のみにご苦労をかけて、自分の成長がちょっともなされておらぬということであります。
だが、私の言いたい本当の人間の助かりという道――神に縋る、神に祈るということ――は、人生の歩みの中で、非常に困難な立場に立たされ、例えば、焼け火箸(ひばし)をグサッと突き刺されるような苦しい立場に置かれても、自分の場――自分の役前――を果たしていくという営みがピリッとも動ぜぬ......。それが「役前」に対するお互いの構えであると思います。それが助けを求める信仰の心構えでなくてはならぬ。そこまで肚(はら)が据わったものにならねばならぬと思います。
「親先生、信心して3年経ちますのに、ちょっともおかげを頂いていません」と言うている人がある。そんな3年間の居眠り信心、フラフラ信心でどうなりますか? その自分の歩みが分からず、掘り下げられず、棚からボタ餅式の甘い考えで人生の複雑多岐の問題がこなせていけるでしょうか?
信心しているが、おかげが頂けぬ――自分をちょっとも改めず、信心せぬ以前と変わらぬ自分であり、また、改まりへの苦心も払わず、神一心に祈ることさえせずに――その自分が甘い......。それが全ての問題であります。祈りに祈り、改めに改めて、日々の暮らしに努めていっても、何ひとつ問題がなくなったというようなことがないかも判らんのです。
自分一人で住んでいるのでない。いろいろな人――家族・友人・近所・商取引、その他の人々――との交わり、交渉の中に生活が進められていくものであるから、自分だけが少しばかり改められたからとて、問題・難儀・煩(わずら)わしさが、すっかりなくなるというようなことにはならぬものであります。
そこをひとつひとつこなしていく......。どんな小さい問題でも、よい加減に済ましたり、誤ご魔ま化かしたりせずに、真剣に取り組んでいく......。行わせてもらう自分にならせてもらわねばならぬのです。
しかも、今の時代は、今までの宗祖・教祖や偉大なる先覚者らが未だかつて味おうたことのないほどの複雑なる難問題が、われわれの頭上に覆(おお)い被(かぶ)さってきている現実があります。
例えば、今日の科学技術の発展の面を見ても判る。数年前までは思いもかけなかった人工衛星の打ち上げ。これまでの科学というものは、もう小学校の生徒がやるようなものとなっています。
人生の問題でもそうである。宗祖・教祖が悩み続けられた生老病死の問題も、どんどんと寿命が延びて行っており、この先いったいどうなることやら......。いまに人工臓器や人工生命だって可能になるでしょう。このような事態に直面して、宗祖・教祖が今おわせば、何と教えを説かれるでありましょうか......。その意味で、宗教の課題は、なお未解決で残されていると言ってよい。そこを私は、祈って祈って、縋って縋って、神様の杭をシッカリとそこに打ち込みたいと念ずるのみであります。
今日(昭和34年1月24日)は大相撲初場所の12日目ですが、一度は大関まで務めた大内山――実に巨漢な力持ち力士。一度パーンと押すだけで、誰でもいっぺんに飛んでしまうような関取――が、実に、負けるも負けるも見苦しい黒星を連日続けています。
相撲解説者の批評に「あの力士は、大関から落ちて前頭になったときでも、親方の言うことを聞かなかった。先輩横綱の言うことも聞かぬ。力はあっても人の言うことの聞けぬ人である。だから一度十両にでも落としたらよい。そうしたら聞けるかも判らぬ......。聞けてもう一度、出直したらものになるであろう。体もあり、力もあるのだから......」とありました。
あるいは、今度は十両近くまで落ちるかも判らぬ。横綱になるであろうと期待された大関でも、人の言うことの聞けぬ、聞かぬ人――自分を改めぬ人――「これでよい」と思い上がり、頼りにならぬもののみに頼っているから、進歩の道が塞ふさがれ、一度は上がっても、それが長続きせず、転落するのであります。
相撲の世界のみでなく、人生の全てがこれだと思います。聞いて聞いて聞きぬいて、求めて求めて求めぬき、改めて改めて改めぬいてゆく生き方がいかに大切であるか......。しかも、それをどこまでも続けてゆかねばならぬことをしみじみと思うのであります。
それに、今場所が「いのち(力士生命)を張っての大切な場所......、一番も負けられぬ横綱への道を切り拓いて行く場所」と言われた朝汐が負けています。解説者の言うには「あの人は気力が足らぬ」と......。
気力が足らぬ。それは「なんでも!」が足らぬということでしょう。判っていることであるが、その時その時の「なんでも!」では、なんでもの本当の力が出ぬものである。「なんでも! なんでも!」の稽古の積み重ねた「なんでも!」でなくては、本物の「なんでも!」にならず、世にいう気力充実ということにならぬものであると思う。
お互いでもそうです。もうひとつ打ち込むべきであるのに、もうひと押し、「なんでも!」と祈り、通るべきところを祈りきれず、崩れる。
まあ、経済力もいくらか恵まれている。身体も達者、能力もある。それに頼って、もうひとつのところが打ち込めぬ。改まりへの努力が足らぬ。聞き方が足らぬ。「もう聞かぬ」生き方になり、祈りも薄らぎ、求道がなくなる。それでは、最後の最後までの大みかげが頂けぬ。お相撲さんなら、大関まで行けても横綱にはなれぬ......。
いかがでしょうか。お互いはそうした気力に満ちていましょうか。その気力というのは、日にちの祈り・・なんでもの積み重ねから湧いて来るもの・・でありますが、なされているでしょうか?
お相撲でいうなら押し(押忍(オッス))。押しというのは、お互いで言えば、祈りに祈り、いかなる出来事からも逃げず、腰を折らず、それと取り組み、自分を掘り下げ、改め続けるということ。自分の一番嫌な場にジッと座りぬくということ。その場を自分の場になるまで押し切っていく......。言い換えれば、忍んでいくということであります。おかげになるまで、磨き、鍛(きた)え、祈ることであります。
それには、気合が懸(かか)らねばならぬ。気合というものはひとつの祈りであると思う。祈りの上の祈り......。実際、祈ってみると判ることですが、祈りひとつお互いはできぬ......。すると、「そこを祈らせて下さい」という祈りが湧く。そういう祈りが大切であります。
それこそ、気合であります。しかも、その気合というのは、押忍ということであります。石の上に座りきって「その石が温もってきた」というところまでなしきることが大切であります。
御用を頂いて32年、今ようやく恥ずかしながら、そこのところを一歩踏み出させていただきました。神様の御前にひれ伏し、天を仰いで、神様から「使うてやる。お前の身体を貸せ」と仰せいただき、「そうさせていただきます」というところをやっと歩ませていただけました。
ここで私の一番申し上げたいことは、神様自身が悩みきっておられるということであります。われわれよりも、むしろ神様のほうが「助かってくれよ。人が助からぬと神が助からぬ」と悩み続けておられる。これが神様のお姿だと思います。
例えば、極道息子を一番心配しているのは親です。親は、「どうしたら、この子供が良くなってくれるのか? 子供が良い道――助かってくれる道――を歩んでくれなければ、親が助からぬ」と親が悩む......。もし、子供が病気にでもなれば、「私は死んでもよい。子を助けたい」それが親の心であります。それがそのまま神様の御心(みこころ)だと思います。
私1人が真に助かってあげねば、神様が助かりなさらぬのだと判っていただきたい。
私が御用を頂いて32年、その当時に所帯を持たれた皆さんのお子さんでも、早や25、6歳から30歳くらいになっていられましょう。お子さんのことでの問題がかなりあるのです。子供が助からぬと親が助からぬ。富や繁栄もおかげの成果ではありますが、それだけでは安心ができぬものである。子に裁かれると、それこそ人にも言えず、夜も寝られず、悩まされる。泣かされる......。
だから、いったいお互いの一番の幸せは何か? というと、年勝(まさ)り代勝(まさ)りの幸いを頂かねばならぬ。それ以外にないと思います。そのために性根を据えてやらせていただくことです。一途に神様を頂き、どんな苦難の中にもめげず、「われに七難八苦を与えたまえ」と、自分の基盤作りのために、「たとえ、何ひとつ失くなってしまっても、なにとぞやらせて下さい。そこからやらせていただきます」という心構えができねばならぬのです。
そのことが立派に言え、その再出発を鮮やかにさせていただく日、それが私の申す布教記念日の意義であり、願いであります。
私は32年間、足らぬながらに、自分を忘れて、この道を歩ませていただいてまいりました。身体でも、すでに幾度となく死線に直面をいたしました。だが、その都度、養生に専念したのでなく、お役前に打ち込み、神様の思召しに添いきることに専念してまいりました。役前に生ききらせていただいたことによって助けられ、生かせていただいたのです。
しかも、今日こんなに元気に使うていただいております。今日でも、十分な体調とは言えぬのですが、どうということなしに、御用の場に座らせていただき、おかげを蒙(こうむ)り、元気に使うていただいているのであります。
また、財という面でも......、私は財を集めることに苦心したのではなく、ご神意に添う使い方に苦心をしたのです。だが、実に不思議なおかげを蒙っております。
泉光園(註=現在の境内地)に来させていただいて以来、「その維持だけでも大変」と人に言われ、「今後がやれる(続く)か、やれぬか判ったものか」と、落成式のとき、教内の相当な人(註=高橋正雄師)から言われたのでありますのに、あれからずっと、切れずの普請(ふしん)を続けさせていただき、増築に増築し、祈りの塔その他の建設をさせていただきました。その間、外遊3回、また、宗教世界会議もこのお広前で開催させていただき、それこそ驚くばかりのおかげを蒙ってまいりました。
私にはなんの自信もなかった。ただ、神様が「やれ」とおっしゃったからやらせていただいた。その代わり、私は自分の立場・役前について、たとえ、いかなることがありましょうとも、「なにーっ!なんでも!」と祈り、打ち込ませていただきました。私のなさせていただけることは、ただ、使うていただくこと――お役前をどう立派にこなさせていただくか――に苦心し続けて来ただけであります。
常に、自分の優(やさ)肩にぐいぐいと食い込むような重荷を背負いつつ来させていただきましたが、それをしんどい(辛い)と思わず、私の楽しみとして頂いてまいりました。神様がやらせて下さったのですね......。本当に勿体(もったい)ないことであります。
私は、皆様方が、今日のお話をよく聴いて解っていただき、その歩みを続けて下さるならば、神様が皆様の悩みや望みを全て引き受けて下される。きっと助けて下されると信じております。そのことが言い切れます。
問題は多いほど良い......。問題が多いから、難問題であるから助からぬということはない。否、難問題ほど、助けていただけると信じています。
「私はあまり問題がありません」という人は、未だ本当に自分の掘り下げができてなく、人生生活の深さ、複雑さに触れておらぬように思えるのです。
表面上、恵まれている人、自分の少しの賢さに自惚(うぬぼ)れている人、達者な人たちが、あまり信心に打ち込めぬのはそこにあると思います。
私は昭和2年、泉尾に来させていただいた。その布教初日の最初の場に帰り、そこに身体を張ってやらせていただこうと念じております。
皆様方も、ひとつ私の行く道を確(しっか)と見つめつつ、ぜひ共に歩んでいただきたいのです。神様は必ずおかげを下さると信じています。
(布教32年記念祭での教話・昭和34年1月24日)