★★ 教会長三宅歳雄 教話集 ★★


先代恩師親先生教話選集『泉わき出づる』より

真(まこと)信心
  ―壊れぬ宝、濡れぬ宝、焼けぬ宝――

 人生六十余年……。その間、いろいろなことが起こる。それはお互いの十分体験するところである。決して良いことばかり続くものでもなく、また、悪いことのみも続くものでもない。時には、もう朽ち果てるような、花も実も散って落ちてしまうような、惨澹(さんたん)たる場にも立たされることがある。

 その両面に対してのあり方が、その人の将来を決めるものであると思う。順風に帆を上げて走るときこそ、いっそう心せねばならず、逆風の不遇な立場に立ったときこそ、いよいよ勇み励み、自分を作り上げていく一階段とせねばならぬと思う。
私の歩んでまいった御用の道の32年を回顧しても、実にいろいろなところを通らせていただいた。出来事のひとつひとつに教えられ、学ばされたことが多く、「よくぞ通していただいた」と、感慨無量なものがある。

 水害だけのことを申しましても……。
昭和9年9月21日、関西一帯を襲い、実に、最大風速84メートル、3,000名以上の死者・行方不明者を出した室戸台風の風水害。お広前(註=旧教会)の床上約4尺の高潮……。1階の物はすっかり浸かってしまった。しかも、ドロドロの油の混ざった潮水が5、6日間も浸していた。

 高潮が引いた後は、2階の8畳の間の畳を降ろして、お広前に敷いて、後はムシロを敷かしてもらっておかげを蒙こうむった。その時「こんなに低いところ(註=ゼロメートル地帯の大正区)はもうあかん!」と親戚、知人らが言うてくれた。しかし、私はそうは思わなかった。「ぜひ、ここをおかげにさせてもらわねばならぬ。浸水で困っているこの地域の信者及び一般の人々を立ち上がらさねばならぬ。救わせてもらわねばならぬ」と、決してくじけず、腐らず、いよいよ祈りを強め元気を出させていただいた。(濡れた畳が全て腐ってしまったので)約1年程は、ムシロの上で寝起きし、いろいろの面で、今でもなお教えられている。有難さの根にさせてもらっていることは、実に有難いことである。

 2度目の高潮(註=3,500名の犠牲者を出した枕崎台風)、あれは確か昭和20年9月18日のことであったと思う。その時は、室戸台風の時よりも1尺も上まで水かさがあった。終戦後1カ月のこととて、未だ電気も点いていなかった晩11時過ぎに、床上に急に海水が上がって来た。宵から、神様に私のお願いしたことは、「戦災後のことでもあるし、信者が皆、それぞれ掘立小屋か防空壕の中で住んでいますから、なにとぞ、信者一同の救命にご神護頂きたし!」と祈らせていただいた。

  2、3時間祈っているうちに、私の祈っている座へ、ひたひたと高潮が来た。「親先生! 親先生! 早く早く!」と呼ぶ家内(註=三宅ツ子(つね))に促されて2階に上がり、裸になって、また、下へ降りたときは、早や床上2尺程水が来ていた。ご神前で腰まで水に浸かりながら、裸で立って、なお、皆の助かりを祈らせていただいた。だんだん水かさが増す……。床上4尺以上……。祈り続ける自分に、不思議に「なんでも!」のお力が頂けて有難かった。

 すると、ご祈念をしている前で、チャポンチャポンとイナ(註=ボラの幼魚)が跳ねる。異様な感に打たれた。何事も恵まれてなさせてもらうよりないことを、本当に知らされた。ご神前で、裸で立ってご祈念。その前でイナが跳ねる。思いも及ばぬ事実! 全てが神様に守られ恵まれてこそ、いろいろのことがなされているので、ひとつ間違えば、いのちすら、どうなるか判らぬのがお互いの実態である。ことのない常平生はあれこれと理屈を言い、筋道を立てているが、これもみな恵まれてこそ言えることで……。何事も恵まれねば、どうにもならぬことを、この事実でしみじみと思わせられた。

 とにかく、終戦直後の不自由な時でもあり、物が少なく物価も高く、そのために、高潮が引いても、しばらくは畳が敷けなかったのである。

 1週間程して、潮水が引いて、早速2階の畳を降ろし、広前に敷き、2階も1階の居室も、皆、ムシロの上の寝起きである。「これは有難いことになった。本当に布教当初に帰ってご修行させていただける時期をお与えいただいたのだ」と、明るく勇めて有難かった。
特に、お結界を板敷きにして、「私はもう一度、根本から自分を叩たたき直し、やり直さねばならぬ。それを教えてもらったのだ」と、それから昭和25年に泉光園(註=現在の境内地)を頂きますまで、そのまま(板敷き)でやらせていただいたのである。
しかも、それから後、泉光園建設中の昭和25年9月3日、会堂の建設が7割くらいまで工事が進んでいたとき、あの激しいジェーン台風(註=大阪市内の全半壊家屋12万戸、浸水家屋40万戸)に遭あった。当時、大阪では、四天王寺の五重塔、生玉さん(註=生國魂(いくたま)神社。四天王寺と共に絶対に水に浸からない上町台地の上に鎮座している)と、うちとが建設中であった。

 忘れもしませぬ。ジェーン台風後の2日目、他教団(註=真宗大谷派=東本願寺)の幹部の方が、うちの教会へ見舞いに来てくだされた。教会のほうは、未だ高潮が引かず、床上約2、3尺くらいの水が残っていた。その方は、さぞ、私が沈んでおるのではないかと思われたのであろうか、いろいろと慰さめて下さったが、私は非常に元気であった。

 「四天王寺も生玉さんも強風で倒れたが、君ところの建物(当時、大阪の宗教界で規模の大きい建築中の建物では、この3つが挙げられていた)は残っているね。でも、この高潮でこれからどうする?」、「いや、こういうところ(難儀)をおかげにしていただくのがお道(金光教)です」、「とにかく、君の元気な顔を見て嬉しいことだ。裏方様(註=大谷智子様)にも、お伝えいたしておきます。ご無理をされぬように」と申されていた。

 それから、だいぶしてからの他教団の人々との会合で、各所のジェーン台風の被害の大きかったことを話し合うたことがある。どことも、あまりにも被害がひどいので、「手のつけようがない」とのこと……。そこでも、「どうや、君ところは? どないするのや?」と聞かれた。

 その時も、「建設中のもの(泉光園)も、今のところ(旧教会)も、被害がかえっておかげになっている」と答えたのである。が、それでも、「あの広い場所(6,000坪の泉光園のこと)の整理だけでも大変であるし、今のところもクシャクシャ(旧教会の惨状を知って)であったが、今後、どうしていくのか?」と言われる。また、ある人は「なんぼ君が気張っても、今度はちょっと挫折するだろうな」と言われる。むろん、私自身にはなんの成算もなかったが、「私には神様が付いて下されている。神様がさせて下さる」という強い信念、明るい強い祈りを持たせていただいていたことが有難かった。

 確か9月8日の月次祭(つきなみさい)の朝になっても、お広前の床上1寸か2寸水が残っており、「参拝の人が座れぬから、月次祭ができません」と役員が言う。それでも、「させていただこう」と私が申しますと、「親先生、させてもらいましょうといっても、水がまだ床上にあるのですから、参拝されても座る所がありませんが……。また、参拝される道中が水浸しですから、参拝も困難と思いますが……」、「いや、参拝者が無くてもよろしい。私一人でもさせていただく。今度のジェーン台風に守っていただいた(教会、信者の家も)御礼と、あとあとのお願いをさせていただくのである」と言った。

 あのとき、参拝された方なら覚えていられよう。ちょうど、昼2時からのお祭が始まる1時間前くらいに、漸ようやく、床の下、1寸か2寸のところまで水が引き、「ああ有難い……。神様が月次祭をさせてくだされる。さあ、させていただける」、「親先生、板が湿っていますからちょっと無理です」、「心配ない。神様がさせてくださるのだから!」と言って、湿っている板の上へムシロを敷いてお祭を頂いたのである。

 そのときの参拝者は、舟で、または人におぶってもらいなどして、平常とあまり変わらぬ参拝者数であった。参拝者は皆、感激してご拝され、忘れ得ぬ有難いお祭であったということである。神様がなさり、させてくだされた月次祭であったことをしみじみと有難く思った。

 そのお祭のときのご教話に、「今度の10月25日は、泉光園のほう(註=当時、お広前はまだ旧教会にあった)で、ご大祭を頂きます!」と話したら、役員が「親先生、どうかしてはる」と言ったそうである。無理もない。

 そのことだけでなく、台風・高潮から2、3日して、水没した6,000坪の泉光園で、私は胸のところまで水に入って、植木の枝切りをしていた。というのは、その植木が皆、潮に浮いてしまっている。これはその年の5月に、淡路(の信者)から、「泉光園を緑の聖地にさせてもらいたい」との願いをもって第1回分(ウバメガシ50本)として移植された真(まこと)の献木である。買うた植木でない。真心である……。「これは死なされぬ(枯らされぬ)。これを生かさねばならぬ」と思い、胸のところまで水の中に浸かりながら、剪定(せんてい)をしていたのである。

 すると、ひとりの役員が舟でやって来て、「親先生、何をしておられます。体に堪(こた)えます。もう上がって下さい」と言われる。「ああ、もうちょっと……」と、その鋏(はさみ)の手を止めなかったら、その信者が旧教会へ行って、家内や子供に、「親先生、ご無理をされ過ぎていられます。ちょっとおかしい(頭が変だという意味)ように思いますが……。早く呼びに行かれるように」と言ったとか……。潮に浸かってしまった木、あんなものをいくら手を入れても、どうにもならぬ。まだ植えて半年にもならず、潮水で浮いて、ここ、かしこ、と流れているのである。しかも、(潮水に浸かって)2、3日にもなるのやから、枯れるは必定と思うたのでしょう。むろん、常識的にはそうなるのでしょう。それを一生懸命に水に浸かって枝切りしている……。そら「ちょっと頭に来ている(気が狂っている)」と思うのも無理はないと思う。

 夕方、旧教会に帰ると「親先生、頭に御神酒(おみき)さん頂き(吹いてあげ)ましょうか?」と家内が言う。「なんでやの?」、「いや、なんでかて……。まあ、疲れておられるでしょうから……」、「いや、それには及ばぬ。疲れるどころか、いよいよ元気を頂いている。本当に不思議なほど力が湧いてきて、有難いのである。心配せぬように」と言うたのであるが、後から聞くと、前の役員がいろいろと報告し、「親先生ちょっと頭に来ている」と言われ、家内が心配したとかで……。後から「ああそうか、そうやろ。私もおかしいと思うた。でも心配してくださるな。私は今度の台風で、いろいろと教えられた。元気も頂いた。と同時に、その生きた教えによって改め、伸びたいと思うているのです。そのひとつとして、『真(まこと)は死なず』ということを拝みたいのです。だから、胸まで浸って真の植木……真の枝切りをしたのである」と家族の者に話をしたのである。

 私は信じている。物すべては水に濡れても、濡れぬものもあるはず。それは真(まこと)であり、信心であるべきである。そういう真、そういう信心を頂くことが大切である。その真、その信心こそお互いが助けられてゆく上に実に大切なものであると固く信じている。

 常識からいえば、植えて半年も経たず、水で浮き上がり、流されて、しかも潮水で根を洗われて、2、3日経っているもの……。しかも、いまだに浮いている植木の剪定をして何になる。そう思うのは当然であるが、私は植木を通して、真を生かそうとしたのである。しかも、勿体(もったい)ないことに、その真は死なぬ! 真はどこどこまでも生かされ、生き延びるものであることを今(昭和34年)もなお、泉光園でいきいきとその生き姿――立派に生長したウバメガシの樹姿――が示されていることが実に有難いのである。

 これと同様に、家は焼けても、真は、信心は焼けてはならず、共に焼け落ちるような信心であってはならぬと思う。

 話はちょっと横道に逸れましたが、このジェーン台風のおかげで、泉光園の建設が、いよいよ真になり、かえってスピードアップし、信者一丸となった信心造営として進められ、願い通り、その年10月25日に、ご大祭を泉光園で頂き、予定よりも一年早くご遷座のおかげを頂いたのである。

 信仰は、そういう働きをするものであると信じている。

 真まこと信心――壊れぬ宝、濡れぬ宝、焼けぬ宝――を持たせてもらうことが、実に大切である。

 世間一般では、人を利用して何かことをする。偉くなったりすると、「あの人はやり手である」という。しかし、信心はそうでない。人に利用されて、それが結構である(有難し)と喜べるような生き方をすることである。

 「そんなこと、親先生ちょっと理屈に合わぬ」という。そうである。だが、そういう理屈に合わぬところに、私は、壊れぬ宝、濡れぬ宝、焼けぬ宝――真信心――の造られてゆく生き道があると思う。私は、事あるたびに、そうした人間づくりの道が歩めるように、神様がお互いに望んでいなさると信じている。

 お互いは、信心させていただきながらでも、人生の営みの上に、順調にのみ事が運ばれていくものと思うことは甘い。また、それではおかげを頂いても、人間づくりができぬことになる。真(まこと)に腐りができると思う。

 だから、いろいろのご試練、お仕込みを受けて、腐りを取り、良いものにしていく信心成長の努力を忘れてはならぬと思う。たとえ家が焼けてしまっても、焼けぬ宝を確(しっか)と頂き、いかなる事が起こっても、その事によって、いよいよ勇み改め、より良きものにしていくお宝(信心)を頂き、しかも、それが子供に継がれ、代勝(まさ)りの道の歩みにならなければ信心の歩み、営みの本筋のものとは思えぬ。

 何もかも全部失くなり、または取り上げられてしまっても、この尊い宝――真信心――だけは失わぬように……。その尊いお宝を頂き、あとあとにしっかり残せているのであろうか……。そういうことのために、皆さんは骨を折っておられるであろうか……。

 火にも焼けず、水にも濡れぬ宝。それを得るために、お互いは、常平生から信心の稽古をしなければならぬ。「今、私はピチピチしている。働き盛りや。何も申し分がない。おかげを頂いている」というて安心していられるでしょうか? この台風のようにいつどうなるやら判らぬお互い人間生活である。今こそ、お互いの一番大切なこの道歩みのために本気で打ち込むときであるとしみじみと思う。

 3回の水害で、ムシロ生活で、グンと全てにおかげを頂いた。信心成長の上にも、人の助かりの上にも……。

 ご試練(お仕込み)の中に、込められている尊い、有難い、泣けるような深い思召しを判らされたとき、本当に勿体(もったい)なく思うと同時に、それによって信心の成長をさせてくだされ、御用にも十分使うていただけることは、心の上にも形の上にも大みかげを頂くことのできるのは、実に有難い勿体ないことである。そこのところを十分解って、明るい力強い信心をしてくださいませ。

(ある日の教話・昭和34年6月)

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