先代恩師親先生教話選集『園に集う人々』より
『人類の危機を救うとき』
われわれ信仰者は、立派な人間作り、立派な社会作り、立派な国家、立派な世界作りをしてゆくために、惜しみなく努力を続けてゆかねばならぬ。その努力にこそ、神様がお恵み下されるものであると信じます。
今日、人類の危機を救うために、われわれ自らが喜びを持ち、勇気を持って、進んで御用に使うていただこうではありませんか! そのことをしてゆくのは容易ならぬ道歩みであるでしょうが、御神願を頂いて生かされている私たちは、人の助かりのために成し、立派な社会作りに身を捧げ、平和にして共栄を楽しめる世界建設のために、いきがいを見出してゆく生き方に打ち込んでこそ、神様に喜ばれる氏子(人間)になれる。そこで真【しん】のお恵みも頂ける。幸福が授かる。その実践・実現なしに、現代の難儀は救えず、世界に平和も来ぬと思います。
現代の世界の難儀(不安・危機)を救いたい! 現代の世界苦、社会苦の解決の願いを持って、私はイスタンブール(トルコ)の宗教人の集いに参加したのです。
それは、平和に対して宗教人の果たすべき役割についての世界会議(註:後のWCRP=世界宗教者平和会議のこと)の準備会として開催され、世界の7カ国から、各宗教の代表が集【つど】った。そこで「今こそ宗教人が立って、人類共栄のために世界平和に貢献しよう」と誓い合うた。
私は、世界の宗教人が、それぞれ(他の)の宗教の良さを拝み、その立場・伝統を理解し合いつつ、宗教の本質――「人よ幸いであれ」と祈り、人を助け、立派な社会を作り、共存共栄の世界作りの願い――に立って、そのことを実践・実現してゆくことに全宗教人が宗派を超えて協力して、これをなすことこそ、神の悲願であり、地球の願いであり、人類の大願であることを強調したのである。
人の幸いを祈り、人類の共存共栄を願い通して来た。その道こそ、私を使うて下された御神願でもあり、私の42年間(註:昭和2年の布教開始以来)の歩みでもあった。
イスタンブールでの3日間の会議を終え、その翌日、各国新聞記者との会見で、会議の経過と今後の計画を発表したとき、「このことが成功すれば、世紀的な事業、これまで誰もなせなかった宗教人の壮挙である」また、「政治、経済、思想の行き詰まりから来る現代の諸問題、危機を救うのは世界の宗教人が立つ以外にない」とのジャーナリストの声であった。ジャーナリストに言われるまでもなく、今世紀にわれらのなさねばならぬこととして、さらにさらに、決意を固めた。
その会見に参加した日本代表の3名(註:立正佼成会会長庭野日敬先生、日本仏教鑚仰会理事長中山理々先生、三宅歳雄)もその世界宗教会議が日本で開催されることでもあるから、「人類の悲願に応えられる意義のある働きの実【じつ】をあげるために、すべてを捧げ、すべてを超えて人類の悲願に応えん」と誓い合うたのである。
来年(註:1970年)10月の世界宗教会議(註:WCRP=世界宗教者平和会議)には、バチカンの代表や英国国教会のカンタベリー大主教、ソ連やトルコの東方正教会、その他、世界各国の宗教代表が大挙、来日されることになるでありましょう。
人類の悲願である世界の恒久平和、人類の共存共栄の実現、人間の真【しん】の幸せが、そこから打ち立てられることを、皆さんも共に祈ってもらいたいのです。
42年間、このことを願い続けてきた私の祈り……。泉尾教会願の結実をこのことに打ち込みたいのである。そのことが、金光教の願いであり、教祖様の願われ通されたことでもあると信ずるのである……。このことに、この身を捧げたい私である。
このことは、人類の歴史が願うて止まぬことであり、今日の時代が望み願うているところでもあると思う。
皆さんも、共に成してもらいたい、歩んでもらいたい、と私は祈る……。と共に、また、人間が助けられるのも、この道ひとつであることを私は世に示したいと願っているのです。
(ある日の教話・昭和44年4月)