大恩師親先生教話選集『神が世に出た』より
『わが祈りを頂け』
三宅歳雄
8月も末になって思いますことは、特に6月17日の青年大会のことであります。今年の青年大会…。これは私の布教以来の大変な節目として頂いてのことでありました。
神様のお祈り、お仕込みが、私をして本当に一新するように仕組んでくだされたのであります。
今、着させてもらっているこの羽織…。昭和二年から、青年会創立当時の幹部が着た揃えの木綿の羽織…。それからもう五十余年も経っていますから、色も褪(あ)せている。
その羽織を6月17日、青年大会の当日の朝、お結界の横に用意してあった…。青年会員の誰かに着てもらって信心決意を語ってもらうつもりであったが、青年らに一新の決意が窺(うかが)えなかった。
それで突然、自分が着させていただく気になって、お結界で着させてもらいました。その時、何故か、非常に感動いたしました。
この私に、神様が「昭和二年に立ち返って、24歳の青年教会長としてなせ。布教の当初に帰れ」と、そうおっしゃったように思わせていただいた。それを今も着させてもらっています。本当に有り難いのです。(註:皆が薄い夏物を着ているのに、大恩師親先生お一人は、その羽織と冬物の袴(はかま)を召されて、午前4時の特別ご祈念から朝のご教話、お取次ぎを9時頃までご修行なされておられる)
そして、当日の青年大会を見させてもらい…。自分の不徳を思い、神様の思し召しの有り難さを一層、分からせていただきました。
昭和二年6月17日、泉尾青年会の創立総会…。4、5名の幹部が中心になって、三十数名が集まりました。
なんでもの祈りに満ちた創立総会であった。今年の青年大会は、それの10倍、400名以上の青年が参拝されたが、皆、恵まれているのか、泉青の芯の精神であるなんでもの祈りに燃えている者がなく、実に静かな大会でした。
その日から、私はそのまま、この厚い色褪(いろあ)せた羽織を着させてもらっています。袴も、その当時の青年会員の制服として渡した、そのものを履かせてもらっています。そして、この夏を、ずっと、それで過ごさせていただいています。このことは実に有り難いことであります。
布教五十七年の泉尾教会の歴史を、もう一度、布教の原点に立ち返らせていただいて…、24歳の青年教会長のわれに返らせていただいたのです。そのこととして、今日までおかげを蒙(こうむ)ってまいりました。
でも、肝心の泉尾教会は…、あれから2カ月以上経っていますが、恵まれるままに、信心奮起―なんでもの願い―に燃えることなく、それどころか、暑さに負けているような気がするのです。それは私に、なんでもの願いの一心に欠けているところがあると気付かせていただいて、いよいよ有り難い行願に打ち込み、この青年らを背負って祈り、勇み、歩ませていただいていることは有り難いと思うています。
ただ今の私の心境は、求道一心―なんでもの願いの鬼―であります。
今日(きょう)は昭和五十九年8月28日ですが、私は昭和二年8月28日として頂かせてもらっています。しかも私は今、アフリカのナイロビで、第四回世界宗教者平和会議(WCRP)に参加をさせてもらっているのです。このお話は、その出発前に皆さんを祈りつつ、テープに吹き込み、特に日参の青年諸君に語りかけたものです。
早朝参拝の皆さん。どうか、元気を頂いてください。健康を喜ばれて、今の大みかげに慣れずに、甘えずに、入信当時の困難と、おかげを頂いた感激を忘れずに、そして暑さに負けずに、初心の信心に帰り、常にまっさらの信心努力を続けてください。
日参している若い人ら…。私の信心を分かってください。信心はひとつひとつ実践して行くことです。婦人会も、求道会も、祈り改まり、信心の努力をしてください。
皆さんたちのご家庭にも、青年がいらっしゃる。若い人に、信心がないということは、その人たちの将来に不安を感じます。若い人はつい思い上がり、努力少なく、目先目先の楽しみに溺れやすい…。
泉青はなんでもの願いをもって、苦労を楽しむ青年である。利己と戦い、ちょっとでも世のお役に立つことを生きがいとして神様と共に歩むのである。日参の若い人よ…。このことを実践してくださいよ。頼みます。
皆さん、神様から生き力を授かってください…。今日の1日を有り難い1日にしてください…。有り難うございます。
(1984年8月28日 ナイロビで開催されている第4回WCRP世界大会に出席するため、事前に収録された教話)