10月3日から4日まで、ネパールの首都カトマンズで、インド・バングラデシュ・タイなど東南アジア各国から代表約九十名が参加して、『平和と人間性のための青年の連帯』をテーマに、世界連邦アジア青年センター(略称「AYC」)創設25周年記念大会が開催され、日本からは、AYCの会長を務める三宅光雄人類共栄会会長をはじめ、AYC日本支部代表6名と、ナチュラリストの藤岡眞理氏やゴスペル歌手の文屋範奈氏らが参加した。
■感慨深い開会式
10月3日午前、カトマンズ市内のホテルヒマラヤで開催された開会式では、地元代表の挨拶とヒンズー教徒が人々を歓迎する時に行う「献燈の儀」が行われた。この儀式は、先頃の政変で成立したネパール共和国共産統一党のマダブ・クマル・ネパール政権のミネンダ・リザール社会経済大臣と三宅光雄AYC会長の手によって点火され、総会の円成を祈った。
執行委員会の様子
|
まず、三宅光雄AYC会長が、25年前に三宅歳雄師によって創設された時の会議に自分も一青年として出席した感動から今日至るまでのAYCの歴史を振り返りながら、特に、2004年末、南アジア各地で30万人を越える犠牲者を出したスマトラ島大地震によるインド洋大津波の際に、AYCのネットワークによって各国で迅速な救援活動を実施したことを通じて、現在では世界各地のWFM(世界連邦運動)加盟団体の中で最大の数万人の有償会員を誇る国際NGOに成長したことを感慨深げに述べた。
M・リザール社会経済大臣と三宅光雄会長
|
続いて、前ネパール王国副首相でまた駐日特命全権大使の経験もあるケダル・マテマ教授による基調講演と、AYC創設期からのメンバーであるWFM執行理事のジェームス・アルプサラジ博士による『AYCの歴史とその発展』について報告があり、大会参加者に機関誌『グローバル・リンク』誌が配布された。
■日本支部代表遅れて到着
午後には、三つのテーマ別プレゼンテーションが行われた後、グループディスカッションに移り、その結果が全体討議に諮られた後、閉会式と記者会見が行われた。
実は、日本支部の一行6名は関西空港出発直前のタイ航空機の不具合により、丸一日遅れてのカトマンズ到着となり、初日のプログラム終了直前の会場入りとなった。なお、三宅会長のみルートを急遽変更して、中国経由の便でカトマンズ入りして開会式に間に合った。
また、この日の晩餐会には、ネパールの伝統的な音楽や舞踊で、各国からの参加者を歓迎した。
OB会議をリードする三宅光雄会長
|
翌4日朝は、ホテルマウンテンに会場を移し、OB(既に「青年」ではなくなった元執行理事たち)会議が、長年コルカタでマザーテレサの活動をサポートしてきたアルンドハティ・ムクヘラジ女史が議長となって開催され、先年逝去したスリランカの元AYC役員キングスレー・ロドリゴ氏の功績を称えて黙祷を捧げた。今回の会議の目的は、年々活動が盛んになってゆくAYCと比べて、長年、活動が停滞していたWAC(世界連邦アジアセンター)を立て直すため、WAC会長にも就任した三宅光雄師がOBの中から適任者を選んでWAC役員を委嘱することになった。
■新たにパキスタン支部が加盟
続いて、AYCの正式の意思決定機関である執行理事会が開催され、三宅光雄会長による施政方針演説に続いて各国支部からの活動報告や次年度の活動計画と予算等が審議された。特に、今回から正式加盟したパキスタン支部代表の積極的な発言が目を引いた。また、この会議の直前(9月30日)に発生したスマトラ島沖地震の被災者に対して、AYCインドネシア支部を中心に復旧支援活動を行う案が緊急提案され、各国支部がそれを支援することが満場一致で承認された。
各国支部の報告を聞く三宅光雄会長
|
昼食後は、AYCネパール支部のシャンタ・ムルミ氏が議長となってOB会議が開催され、今では各国で社会の中枢となっている旧役員たちが、いかにAYCの活動をフォローしてゆくかについて意見交換された。今回、関西空港出発直前のタイ国際航空の機材のトラブルで到着が遅れた日本支部の6名も、吉村昇一郎執行理事のリードで、短い滞在時間となったが、積極的な発言が目立った。
翌5日は、人類共栄会の創設者である故三宅歳雄師が、この地に25年前に創設した「ミヤケホーム(孤児院)」と「マイトリシシュー(愛の学校=小学校)」をはじめ、AYCがカトマンズ近郊で行っている様々な社会活動の現場を視察した。