☆真珠湾に沈む遺体
本当に大変な事件(註:六月八日に大阪教育大学附属池田小学校で発生した児童殺傷事件)でございました。いったい「いのち」というものを宅間守容疑者はどういうふうに考えていたのか、本当に多くのことを考えさせられる問題であると思います。その「いのち」といえば、われわれはやはり、ただ「いのち」と言われたってどうしようもないので、それがいったいどういう「いのち」であるかということを明らかにしませんと、文部科学省が今しております「いのちの教育」と言ったって、それは何を意味しているのか全然解らない(のと同じこと)……と、私はそのように思うのであります。でありますから、池田で起こりました事件のような、そういう(人が人を殺傷する)ときに、いったい、われわれは「いのち」というものをどういうふうに理解していたのかということを、きちんとそこで整理しませんでしたら、それは、ただ単なる「生命現象」ということになるわけですね。ただ単なる「生命現象」としてだけの「いのち」であったら、それは果たして本当に大事なものかどうか、私は判らないと思うんです。
われわれ東北アジアの人間は、「いのち」に対するひとつのきちっとした考え方を持ってきたわけでありますが、それが、もう忘れられてしまっておる。そして、のみならず、そういう「いのち」に対する考え方を体系的に持っていた思想というものの代表的なものが儒教でございます。けれども、そういうものを忘れた上に、足蹴にしてきたというのが、この五十年間の戦後の日本の歴史でございます。で、ありますので、ほんとうに、ああいう池田で起こった事件のようなことが、なぜ起こってしまったのかをわれわれ自身が反省するならば、われわれ東北アジアの人間、とりわけ日本人が考えてきた「いのち」というものは、どういう意味であったか?ということを、この際、われわれももう一度、噛み締めるべきであろう。そのように思っておりますので、そのことについて、今日はこれからお話させていただきたいと思います。
そのことを考えるヒントが、この一月に、宇和島水産高校の実習船が、アメリカの原子力潜水艦に追突されて多くの方が亡くなられましたね、その事故にヒントがあります。その後、起こりましたことは、「ともかく、沈んだ実習船を引き揚げろ」という議論がやかましく出てましたね。はっきり言って、あんな船引き揚げたってしょうがないですよ。潰れた、まあいえば原潜に比べれば、それはもう問題にならない小さい船でありますし、しかも、深い海底から引き揚げて、それを日本まで引っ張って帰るのかということになりますね。
だから、あれは船体そのものを引き揚げることに目的があったんじゃないんですね。あの船の中に、ひょっとしたら、どなたかの遺体があるのではないかと……。でも、それを表に出せないですよね。そこで、遺体を引き揚げるということでなくて、船を引き揚げて、もう一度調査してみれば、どなたかのご遺体があるかもしれないと、そういうことが、実は、引き揚げ要求の大きな理由ですよね。船体を引き揚げて、事故の原因を調べたって、そんなものもう、理由なんて判ったって、判らなくったって、どっちでもいいんですよ。要するに、「遺体もろともに沈んだ」という結果だけがあるんですからね。ですから、海に沈んだ船の中のそのご遺体ということに対する強烈な「取り戻したい」という意識が日本人に表れているという、いい例だと思うんですよ。
しかも、もうひとつ、実はもっと意味を持ってきますのは、いわゆる「パールハーバー」という問題ですよ。ハワイには、今からちょうど六十年前に、わが国がアメリカと開戦したとき、最初に真珠湾を攻撃した。そのパールハーバーですね。真珠湾では、わが国の奇襲攻撃によって、多くのアメリカの艦船が沈んだわけでありますが、そのうちの一隻の戦艦アリゾナ号は――ハワイにいらっしゃった方はご存知かも知れませんが――浅い湾内ですから、「沈んだ」といっても船の一部(煙突)は海面上に顔を出しているんです。こういう形(註:身振りをして)で沈められた戦艦をそのままの形にして、それを跨またぐようにして、建物を造って、これを記念館にしてですね、いわゆる日本に対する反感ということを記憶するための記念館を造っていますね。
しかも、このアリゾナ号というのは、じゃあ、船だけが沈んでいるのかと思うと、そうではなくて、あのアリゾナ号の乗員約千五百人の遺体はそのままで、ずうっと六十年間、遺体もろともに沈んでいるんです。アメリカ人はこのアリゾナ号の中の米兵の遺体を取り出すということをしてないのですね。これは、事実です。それはもちろん、日本軍によって撃沈されたアリゾナ号という船を、永く残すことによって、「日本人がパールハーバーを奇襲攻撃をしたことはけしからん」といって怒っているわけですけども、それに対する反感を煽あおっているんです。
このことは、知っている人は知っているんですけども、こんなの海の底に沈んだんじゃないんですよ、すぐそこに見えているんですから……。日本人的感覚からすると、この船からなぜ遺体を出さないのか?という疑問が出てもおかしくないですね。わが国の場合は、南方の前線で亡くなられた多くの方々の遺体を、厚生省は何度も何度も人を派遣して、遺体の収拾をしてきたわけであります。この皆さんの中でも参加された方がいらっしゃるかもしれませんが、われわれは、東南アジアの多くの島々で可能な限り遺体、遺骨を集めるということをしてきました。同じハワイの場所で、片一方(日本人)は遺体を引き取ろうということ強硬に主張して船の引き揚げを言って、もう一方(アメリカ人)では、六十年もそのまま亡くなった……それは名誉の戦死になるわけですよ。そういう方々の遺体をそのままにしておく感覚……。これは、決定的に違うところです。
そうすると、われわれの遺体ということに対する考え方は、それは、文化の相違、その背後にある宗教の相違として、そこにあることをやはり知るべきだと、私は思うんですね。その遺体に対して、そのままにしている文化、遺体を引き取るという文化、南方の亡き方々の遺骨を収拾するというそういうもんだと……。何十年経っても、たいへんな手間とお金をかけてでも遺骨は収拾するという、そういう発想ですね。しかも、南方で亡くなられた方々の遺骨を集めてまいりましても、実際にはほとんど、どなたの遺骨か判らない。兵隊ですから、たまたま認識票があって、その認識票の傍で、一体だけが独立した形で収拾されるときは、どなたの遺骨か判りますよ。しかし、多数折り重なって亡くなられておるところなんか、どなたの遺骨だか全然判らない。あるいは、もう認識票も何もなくて、どなたの遺骨か調べようもない遺骨もたくさんある。そういう遺骨は、南方から厚生省(援護局)が、ずっと集めてきたあと、ご承知のように、「千鳥が淵」という、皇居の北側に御苑を造って、そこに納めて、毎年、首相以下、最高裁長官も、衆参両院議長も、のみならず、皇族もお参りしているというわけであります。このことは、一般の国民にはあまり知られていないだけのことでありますけども……。先の大戦によって、亡くなられた方々のご遺体は、そういう形で、ずっとわれわれは、そのお墓を維持して、毎年、お参りを欠かさないという事実があるわけですね。このように、遺体ということに対する大変なこだわりというものを、われわれは持っているわけであります。
☆日本の大学は欧米コンプレックス
そういうことで、本日のテーマ『いのちを繋ぐ「孝」の世界〜先祖供養から遺伝子まで〜』は三宅善信先生がお創りになったのですね。お題はこれで結構なんですけども、そういう意味合いということは、私が今申しましたところでもう、すべて表れておるんでございますけども、それを、もう少し私が専攻としてきました「儒教」というものから申し上げたいと、このように思うわけであります。
そこで、話はずっと私の学生時代――と申しましても今からもう四十数年前になりますが――一応、京都大学に進学いたしまして、文学部でありますが、そこで「中国学」というものの専攻をはじめたわけでありますが、私は哲学科に属しておるものですから、哲学の講義というものも、もちろん出ておりまして、中国学の講義と両方受けるというかたちでありました。
そこで、私が大学というところで感じましたものは、率直に言いまして、欧米コンプレックスの塊のような場所ですなあれは、正直言いまして・・。
本日、お集まりの先生方の中にも、学生時代に欧米の学問をやっておられた方もおられると思いますけども、もう、欧米学の研究はいいんですよ。例えば、フランスのことを研究している人は、いつの間にかフランスのファンになってしまってね、フランスのすることはなんでもすばらしいかのように思っている・・。ドイツのことを研究している人は、ドイツのしていることはなんでも正しいかのように思っているという、そういう雰囲気を、私は、京都大学で感じました。
率直に言って、現在でもその路線は変わってないでしょう。今でも、大学というものは、だいたい、欧米文化の紹介をしたり、自分自身も一番優れている欧米文化の一翼を担っているんだというような、そういう雰囲気の抜けないところと思いますね。そりゃあそうですよ。欧米人からしてみれば、日本人なんて今でも黄色い猿ですよ。それはもう、そういう侮蔑意識は明らかにあるわけなんで・・。問題なのは、それを、猿・日本人が今度は逆にですね、その欧米文化を這はいつくばって崇あがめておるという、そういう状況を私は大学で感じました。私は、根っからの民族派ですから、そんなのは大嫌いなんですが、そもそも、そういう欧米に追いつく目的で、大学というものが創られたのだから、仕方ないと思ってたんですよ。だんだんと、学年が上がるにしたがいまして、なぜ、こんなに日本の教師たちは欧米コンプレックスなのかと自分でいろんなことを考えていったわけであります。
それは、非常に大雑把に申しますと、明治以来の、日本の近代化に原因があるわけですね。明治になって、それまでの江戸時代の体制を一掃するために、一気に欧米諸国の文明∧文化というものを導入して、それを日本中に徹底していくという方針が出て、その方向に走り出したわけですね。日本の優れたインテリたちは全部、欧米に留学に出して、そして、欧米で学んだものを持って帰ってきて、日本の近代化へ資するようにさせるというようなことを、明治初年から必死になってするわけですね。それは、ある意味では成功したわけでありますが、ただ、成功すると言ったって、そこに大きな落とし穴があったわけですね。
一般に、ある文化や文明なるものを真似る場合、やはり、見えてるところだけ切り取って、パッと持ってくるわけですよね。ところが、どんな文化であっても、必ずその底にあるものがある。背景がある。しかし、背景とか底にあるものは、見えないものですから、そのまま入れずに、表層に見えているところだけ持って来て、それを日本にポンと持ってきたわけですね。ところが、われわれの感覚は、完全に依然として東北アジア的、日本的なものでありますから、システムの運営自体は日本的なものでありますね。そこへ、欧米の理念の全然違った異質のものを持ってきますから、結果的にはめちゃくちゃなものになるわけですね。
ここは宗教家たちの集まりですから、宗教を例にして言えばいいのでしょうけども、極めて世俗的な例を挙げさせていただきます。そのほうがある意味でよく判りますから・・。それはこういうことですよ。向こうの表面的なシステムだけを取ってきて、大失敗している例を申します。いろんなものがありますが、判りやすい例を申しましょう。
☆保険制度が理解できない日本人
新聞なんかを見ていますと、日本の財政の大赤字にはいろいろありますが、その赤字の中でも、社会保険制度の赤字には絶望的なものがあります。国民健康保険は、既にもう大赤字。年金制度も近い将来、大赤字になることが判っていますね。介護保険もスタ・トしましたけど、これなんかもう初めから絶望的ですね。そういうふうに、社会保険制度というものが全部大赤字になるということは、数字的にも判っていますし、その巨大な赤字が日本の経済を締め上げているというわけですね。ですから、この社会保険問題というのが、日本の社会の命取りになりそうな大きなひとつの原因になっているわけですね。その赤字をどうするか;ということで、日本の政治家は必死になって考えているという状況ですね。われわれもそれは、いろいろな形で感じているわけであります。
私は、あるところで日本では、こんな保険なんか、絶対に黒字にならない。永遠の赤字であると言いました。私は、経済学は何も解らないし、コンピュ・タ・はおろか電卓すらうまく使えないので、今だに算そろ盤ばんでやってるんですが・・。算盤で計算したって大赤字なんですわ。それは、なぜか・・・
それは、そもそも保険というのは、欧米のシステムなんだからです。欧米で生まれたシステムであり、欧米で社会化された制度なんですね。日本はそれの、形式だけを切り取ってきたわけですわ。
保険という、特に社会保険というものの発想の根本は何であるかというと、こういうことです。すなわち個人主義に還元できるのです。一人ひとりの人間は、弱いわけですよ。そこで、個人主義の国では、お互い助け合うにはどうしたらよいか;ということを考えたわけです。ここが大事なところです。そこで、不特定多数の人がお金を出し合って、それを集めて、そして、困った人がいたら、病気の人がいたら、そこからお金を支出する。老人で生活困難の人がいたら、そこから生活用にお金を出して助けるというように考えていったのが保険です。ですから、この保険というものの根本にあるものは、自分の幸せじゃなくて、誰かが幸せであれば良いという思想ですから、はっきり言って、掛け捨てですよ。自分に返ってこなくてもいいわけですよ。誰か困った人が助かれば良いというシステムですね。その背後に、キリスト教的なものがあると思います。欧米人はそれに、プラス個人主義というイデオロギ・で生活を送ってますから、社会保険という思想が発展したのですよ。
日本は欧米社会からそれを、切り取ってきたわけですよ。そもそも保険というのは、自分が掛けても、必ずしも自分がその恩恵に与からなくてもかまわないということでなければならないわけですよ。ですから、自分は健康保険を掛けているけれども、もしかしたら、一生、保険のお世話にならないかもしれません。それは、幸せというものです。自分が健康でずっといられるのですからね。
では、そういう相互扶養のシステムという発想は、東北アジアに無かったかといいますと、ありましたよ。現に、韓国で今も行なわれているシステムがあります。それは・・年配の方・はご存知と思いますが、お若い方は、ちょっと分かりにくいでしょうから説明しますけども・・東北アジアの相互扶助システムというものです。まず、家族の助け合いがありますが、これは、ヨ・ロッパでもありますから、ちょっと別として、いわゆる、血の繋がらないもの同士の助け合いのシステムについて考えて見ますと、これは、欧米では保険ですね。東北アジア型のわれわれの場合のシステムでは講という思想です。日本でも明治になるまでは、頼母子講たのもしこうとか伊勢講とか、いろんな講があったんです。
☆東北アジア的講の世界
それは全部、原理は一緒です。どうするかというと、特定少数の者が集まるんです。これが大事なところですよ。保険は、不特定多数の者が集まるんです。どこの誰だか、顔も知らない人から金を集めるんですね。ところが講はまったく考え方が違うんです。特定少数の者が集まって、ファンド基金を作るんです。それも、期限付きで・・。三十年というような、長い年月ではなくて、例えば、一年間、というように限るわけですね。講というものは、まず最初に、特定少数の信頼できる人を、三十人なら三十人を集めます。一年間に区切って、例えば、毎月十万円ずつ、一人年間で百二十万円お金を出すわけです。全体からいうと、一カ月に三十人ですから、三百万円集まる。二カ月目には六百万円集まるというふうにして、年間三千六百万円というお金が集まるシステムを作るんですね。
そして、その途中で、例えば、三カ月目に子供が病気をしたとすると、それじゃあお金が必要だから二十万円借りますと言って二十万円借りる人がいる。あるいは、おばあさんが体の具合が悪く、ヘルパ・が欲しい。だから、十万円を借りるという人がいる。もちろん、借りた人は、返さないといけませんよ。返す時は、当然、利子を付けて返す。そうやって、例えば、商売人なら百万の手形が明日必要だからと借りたりもできます。返すのは返すんですけど、同時に毎月の掛け金も払わなくちゃいけないんですよ。毎月の掛け金も払いつつ、借りたお金も返す。
そして、一年経ちましたら、そこで決算をする。すると、利子がいくらと出てきますね。いろんな人からの利子が・・。三カ月借りる人の利子や、一年借りる人のもありますよね。その利子分をト・タルしまして、それからあとは、一定配分率で、何にもお世話にならなかった人には、当然その利子の配分に与かるというかたちで、その回の講は一年で解散するわけですよ。そして、また、よかったな。それじゃもう一度、・講・を組みましょうかと言って、また一年の期限で、新しく講を組む。そのときに、どうもBさんは払いが悪かった。二カ月滞納していたと言って、そういう人は除けてしまう。そして、二十九人でスタ・トするのですが、ちょっと人数が足らんなということで、じゃあ、もう少し探しましょうといって、信頼のできる人を四人ほど探してきて、こんどは三十三人でスタ・トして、また次の年も同じことをする。こういうのを講というのですが、これの大型版が、後に相互銀行となるのです。
こういう講というものが、われわれ東北アジアにおける血の繋がらないもの同士の助け合いのシステムだったのです。韓国では、今だにこれが生きてますよね。韓国では銀行経済よりも、講の経済のほうが大きいんですよ。動いてるお金がですよ。それぐらい、東北アジアの人間には独自のシステムがあった。この講の特徴はなんであるかというと、今申しましたように、信頼できる特定少数の者が集まってのお金の掛け合いであって、期限がちゃんとありますね。毎年清算をしますから、掛けたお金は必ず返ってくる。うまくいけば利子も付いて返ってくる。これが、われわれの頭の中に刷り込まれている。掛け捨てはダメなんです、掛け捨ては・・。必ず返ってくる。必ず取り返すぞ゜ということなんです。
日本人には、心の奥底にこれがあるから、こういう感覚で保険に入ったらどうなりますか;保険は不特定多数で、講は特定少数なのに、特定少数でなくて不特定多数の保険を、講の感覚でするわけですよ。ですから、例えば、健康保険を掛けていて、私はひとつも病気をしとらんから、国民保険は勿もっ体たいない。たまには病気でもしようか(会場笑い)というわけで、病気でもないのに病院に行って、ビタミン剤と胃腸薬をもらって帰ってくる。取り返しているわけですよ、掛けた分をね。
だから今でも、年金を取り返さなくちゃと、考えてる人ばかりですよ。若い人は気の毒と・・。若い人は若い人で、年金を掛けても、自分たちがもらう頃には破綻(はたん)しているだろうからもらえないなだから年金には入らんとこかと思っておる。これは、完全に講の思想ですわ。出したものは、取り返さなくっちゃという思想ですわ・・。これを、制度だけは欧米の保険のように、出したものは返ってこない、掛け捨てだというようなシステムでやりますでしょう。これでは、初めから赤字になりますよ。
☆社会保険制度の破綻は必定
一昨年、介護保険法というものが成立しましたね。介護保険というのは、身体が動かなくなった方を六段階に認定して、一番重い人の場合は、たしか週に六日でしたか、ヘルパ・さんが来て助けて下さる。そのように認定するというようになりましたね。すると、出てきた議論はどうですか・・。あの認定審査で重く認定してもらえなかったら、ヘルパ・は週に三日しか来てくれない。高い掛け金を掛けるのに三日では困る。六日来てもらうにはどうしたらよいか;どうやって、一番重く認定してもらおうか;という議論ばっかりやっていましたよ。経済学者まで集まって・・。
これはもう完全に講の思想ですよ。違うんです。あの時は、介護保険で掛け金を掛けて、一生ヘルパ・さんのお世話にならなかったら、幸せと思えという議論をやらないといけないですよ。それをどうやって、毎日来てもらうかという議論ばかりやって・・。全員がヘルパ・さんに世話になったら、大赤字ですよ。こんなもの目に見えておる・・。
それを経済学者から私たち庶民に至るまで、こんな議論ばっかりやってて、どうやって黒字にしようか;なんて、できませんよそんなことは・・。だから、われわれの生命保険、民間の生命保険でもみんなそうでしょう;掛け捨てじゃなくって、みんな貯蓄型です。十年後になんぼいくら返ってきますとか、そんな話がないと日本人は生命保険には入りませんよ。掛け捨てで返ってこなくてもいい。誰かが助かればいいというシステムを、貯蓄型の感覚でするからうまくゆかない。こういうことなんですよ。これは、最近の事情の中での典型ですわ。(社会保険制度の破綻は)いかに、他所の文化で生まれたもののシステムだけを導入したって、(背景にある文化を理解しなければ)どうにもこうにもならないという典型例です。なら、これ(保険制度)をうまく運用するにはどうしたらいいかというと、「保険」という思想ですから、ヨーロッパ型でやるしかないんです。それ以外には、どうしようもない。
日本でも、今は社会保険という制度は徹底していますから、この「保険」というものを黒字にするためには、教育しかないんです。「保険というものは掛け捨てですよ。出したら返ってこないんですよ」と小学校一年生から教えないといかん。「掛け捨てよ」と毎日やかましく言って・・。もう嫌になりますね、「掛け捨てよ」という話ばっかり聞いて・・。それを、小・中・高・大学に至るまで、「保険というものは、掛けたら返ってきません、誰か困った人が助かるんですよ」という教育を徹底しない限り、だめですよね。しかし、経済学部で教えてる保険制度はそうじゃないですよね、きっと。「保険を掛けたら、少ない掛け金でいろいろなメリットがあって、いいことがある」と・・。そんな話ばっかりしているわけでしょう? それは「講」の思想を教えとる。それでは困るんです。「文化の相違」ということをきちんと踏まえなければいけないのに、明治以来われわれは、それをみんなごちゃまぜにしてきたんです。それで、今、いろんな矛盾が出ておる。そして「その矛盾の解決の方法がない」と言ってるけども、ありますよ。それは、われわれ日本人が持っている元来の感覚とはどういうものかを明白にし、そこのところに戻って、そしてそういう形でシステムを運用していくということでなくてはいけないと思うのです。
☆文化の本質は「死」の解釈で捉えられる
そうしたら、日本文化「元来のもの」とは何かといいますと、先ほど申しましたとおり、特にこの五十五年間、忘れてきたし、それどころか足蹴にしてきたもの、ということを私は言いたいのです。それじゃあ、そういうものの根底にあるものは何か? ということになりますね。これは、当然、文化論ということになりますから、さまざまな文化の問題ということになると思いますけど、しかし、そんな「文化」を論じ始めたら、われわれは五十歳くらいまで学校に通わないといけないけれど、五十年も学校に通えない。一定のところで卒業して働かなければなりませんね。そこで、それじゃどうするかというと、まずわれわれの「文化の本質」というところを学校は教えなければいけないわけですね。
ですから、私は、かつて大阪大学におきまして「儒教概論」というものを教えていたわけですが、これで、東北アジア人の感覚・・いろんな考え方とはこういうもんだ・・というようなことを教えていたわけですね。そういうかたちで教える以外ない。本日は、皆さん方とこれから九十分間の授業を年間三十回するかというと、そんなことはお互い忙しくてできないから、これを今から、コンパクトに三十分間でやるわけですね。濃縮してやろうというわけでございます。だいたい、三十分あれば大丈夫ですよ。極端に言えば三分でも大丈夫です。大学の教師はこれを水増ししながらずっとやってるわけですよ。そうしませんと給料がもらえませんからね(会場笑い)。だから、学生が欠伸あくびをしたり眠たくなったりするのは、当たり前のことですね。ですから、今日はぐっと圧縮してエッセンスだけを申し上げましょう。それが、お互いのためということでございますので・・。
そこで、ある文化の本質というのはどこで捉えればよいかということになりますが、それはもう決まっております。優れた文化には、必ずそこに、それを動かす宗教があります。欧米には欧米文化を動かしてきた宗教がありますよね。インドにはインド文化を動かしてきた宗教が、われわれ東北アジアには東北アジア文化を動かしてきた宗教があるわけですよ。その宗教というものを理解することが一番早道ですよね。じゃあ、その宗教をどうやって勉強していくかというと、その宗教の根底にあるものを理解する。どの宗教も必ず「死」について論じてますよ。その「死」ということに対して、どういう考え方をしているのかということをtukamu把つかむことが一番早いと、私はそのように思うのであります。そこで、われわれ東北アジアの人間が考えてきた「死」というもの、それをtukamuむ。そのことによって、その上に創られてきた文化が見えてくる。そうすると、その周りの諸現象が見えてくると、そう思うのです。
そこで、その「死」についての考え方でございますけども、これは、一般的には、思想∧宗教というかたちで表されていますけども、私は、そんなもの、突然、あるひとりの天才が考え出したものとは思いません。だって、われわれは、元は皆、猿だったんでしょう(会場笑い)? 天王寺(動物園)の猿を見てたら、あの猿が死生観を考えたとは思えないでしょう。中には夕陽を見つめて、もの思いに耽ふけっている猿がおるらしいですね(会場笑い)。頭の中で何か考えておるんでしょうな、天才的なことを・・。しかし、そんな夕陽を眺める猿は、だいたいにおいて、猿仲間から虐いじめられておる。そんな猿がおるとしても、われわれの祖先である人類の先祖が、一気にあらゆる死生観を創ったわけではないと思う。やっぱり、みんなの経験があって、その経験を天才が集約して、ある思想に創り上げた。その思想が逆にまた、皆の行動を支配していく・・。こういうものでしょうね。
これを見ていくと、こうだと思うんですよ。皆さんは宗教者ですから、「死」については絶えず考えておられるとは思いますが、この「死」というようなことについて、私たち人間が、他の動物と違う、人間らしい、人間としての一番動物と違うところが、一点ございます。それは「死」に関する感覚ですよ。われわれ人間は、奇妙なことに古今東西、皆どこの地域でも、「仲間の死体の処理をする」というところが共通しています。これが、他の生きものと決定的に違うところです。ヒトは自分の仲間の死体の処理をするんであります。犬や猫は仲間の死体の処理をしませんよ、放ったらかしですよ。たまたま、母親の猿が亡くなった子猿の死体をいつまでも抱いていることはあるかも知れませんが、それは、「死」の意味が分からずに持ってるだけですよ。死体を処理してるわけじゃないですよ。ですけども、われわれは必ず死体の処理をする。
これが、単なる知識であったならば、どこかで誰かが始めて、そこから全世界へ学習されていったはずですね。しかし、そんな形跡はない。遠くアフリカであろうとアメリカであろうと日本であろうと、みんな違った地域でそういうことが行われていますから、学習したとは思えない。時間的にも、地理的にも離れていても起こっていますから、一種の人間の本性のようなものがあるんでしょうね。それ以上の説明はできませんけども・・。私は生物学者じゃないから分かりませんけどもね。
生物学者といえば、これは少し横に外れますけども、この間、ある人から話を聞いて、あちこち皆さんに受け売りをやっているのですが、ある生物学者と対談しましたら、こういうことを言ってました。生物学者の話は、やはり聞くに値しますな。
その生物学者の話によりますと、動物が主体的になったあるポイントがあるそうなんです。動物の進化のプロセスの中で、そのあるポイントから「動物が主体的存在になった」という、重要なポイントがあるんですよ。どんなポイントかといいますと、動物は、進化のスタ・トの段階からずっと顎あごがなかったんですってね。食べる時は口を広げて、入ってくる水や食べ物が自然に胃腸に入る・・。そういうような生物だったらしいんですけども、初めて、顎というものが魚類あたりからできてくるんですね。顎ができてくると、自分で餌をtukamuむということができてくるわけですよ。それまでは、ただ口を開けて餌が入るのを待っておったが、それが、顎ができてくると、自分で餌を集めるという行為になる。どうも、ここから、動物に「主体」というものが生まれてきたようですね。ですから、その後に進化した動物は皆、顎があるんですわ。われわれも顎があります。顎があるというのは、ただ単に物を噛むというだけじゃなくって、自己主張のスタ・トから来ているものらしいですね。生物の進化を見ても顎ができてくるのと、できてこないのと、ものすごく大きな違いがあるようです。
☆まず死体処理の経験があった
少し話が外れましたが、そうすると、死体の処理をするというわれわれの特徴ですけども、その死体の処理の仕方が地域性や風土によって変わるんだと思うんですよ。今、ここには仏教関係者の方が多いですから申し上げますけども、例えば、南アジアのインドの場合、人間が亡くなるとすると、いくら何万年も昔の人間であっても、「死」というのはなんとなく判るわけですよね、呼吸が停止しますから。そうすると、南アジアで死者が出ますと、この後は、はっきり判ります。暑いところですから、腐るのが早い。腐敗がね。日本でも、梅雨が明けたらこれから暑くなってきますが、魚をポンと置いといたら、すぐ腐りますよ。腐敗が始まると死臭が漂う。身体も崩れてきますね。はっきり言って、これは汚い、生物的な腐敗はね・・。そうすると、そういう死体を処理する一番手っ取り早い方法は、焼き払うことでしょう。しかも、インドは暑い所ですから、死体を焼くための植物が生えるのは簡単ですね。そうすると、「死」イコ・ル焼き払う。捨てる。ということをおそらく何万年もしていたと思われます。
私は別に見てきたわけじゃないですけど、だいたいそうでしょう。そういうふうな死体処理経験がまずあったと思われますね。死体処理をなぜ行うかということは別にして、そういう経験があったところへ、宗教的天才が現れてくる。一人じゃないでしょうね。何人もの複数の宗教的天才が出てきまして、それに一定の意味付けをしていくんでしょうね。そうすると、例えば、「焼き払った骨灰を母なるガンジス河に戻そう」という理屈付けになっていたんでしょうか。大昔は、骨灰をその辺に播き散らかしていたんでしょうなあ。それを母なるガンジス河に、生命の源へ戻すというような、こういうことだったんでしょうね。
これで遺骨の処理は分かるとして、死後の精神のほうは、どう解釈するんでしょうね。仏教ではいろんな難しい問題がありますけども、後の「輪廻転生」という思想を使いますなら、精神はある一定期間後、生まれ変わるという説明をしたんでしょうね。輪廻転生の原形みたいなものですね。こういう思想が生まれますと、今度は逆に、その思想が死体処理の仕方を支配していく・・。理屈付けをやって、死体処理というのをしていくと、こうなったと思うんですよ。思想というものは経験の蓄積の、本当に皆が「間違いない」と考える経験から生まれ、体系づけられ、それが逆に現実の行動を支配していく・・。そこから、バリエ・ションが生まれて、さまざまな宗教が生まれてくる。というふうに思うんですよ。
そうすると、東北アジアではどうなるか?東北アジアは今日、考古学の発掘が極めて盛んでありまして、いろんな古代文化があちこちにあったということが明らかになりつつあるんですけども、少なくとも、文字文化として記録性の高いところでは、黄河中流域です。
黄河中流地域のところ(緯度)をずっと東へ東へ引っ張っていきまして、日本列島へ当てはめると、どこになるかと申しますと、だいたい山形県の緯度なんですよ。ところが日本は島国ですが、黄河中流域は大陸性気候ですから、いったん冷えたらとことん冷える寒い地域ですよ。だから、実質的には北海道の札幌ぐらいの気候であると思われますね。そうすると、ある人に「死」が訪れても、肉体の腐敗はすぐ始まらないですよ。あたかも、揺り起こしたらすぐ起きてくるかのような形で「死」を迎えるわけですよ。そういう死者の死体処理方法としては、焼き払うなんてことはできませんよ。
どうするかというと、「別れることができない」という悲しみに溢あふれるわけでしょう。これは、古代人といえども同じです。悲しみに溢れ、別れることができがたいけれども、結局「死は死だ」ということで、やむなく、「別れる」という気持ちになるような儀式を行って、「別れ」というその気持ちの整理を行う。それでも気持ちのどこかに別れることができないという感情があるから、その遺体はそのまま土に埋めて土葬をする。それでも、まだその亡き人との別れができないから、その人の霊魂との出合いを行うわけでしょう。「死」・別れの儀式・土に埋める・死者の霊との出合い。ということを同じく何万年とやったんでしょうね、経験的に......。
すると、そこへ宗教的天才が現れてきて、それを意味付けするわけでしょう。そこで、この別れの儀式というものを体系化して、「葬儀」というものを創るわけですよ。そして、「墓」ということの意味合いを付けるわけですね。これは、亡き自分の祖先の霊との出合いを行う。それを祀る。祖先を祭祀する。そうして、「死」、「葬儀」、「土葬」そして、「祖先を祭祀する」という理屈をシステムとして創っていった。これが「儒教」です。散骨は日本では絶対に定着しない。
そうすると、今度はそのシステムそのものが、逆に、現実の死体処理のあり方に対して支配をしていくことで、また、何千年も過ぎていったということだと思うんです。ですから、今のインド人の感覚から、「死者の遺体を焼き、そしてガンジス河に戻す」ということは、確実に彼らの感覚に擦り込まれていますよね。われわれ日本人も同じです。死者が出れば、葬儀をして、墓を建て、そして、亡き人の霊と出合う。この行為は、感覚として擦り込まれている。私はどこで講演する時でも「いかに日本の社会が変わろうと、どうなろうと、これだけは変わらない」と言っています。言い続けているんです。
良い例を申しますと、ここは宗教者の集まりですから、事実をお話しします。東京に『葬送の自由をすすめる会』という団体があります。「散骨」といいまして、亡くなった方の骨灰を山野にあるいは海に戻すということをして、お墓を否定するという運動をしているグループですね。これは、はっきり言って、インド式の火葬です。日本には火葬というものはありませんよ。法律上、「火葬」という言葉を使っていますが、宗教学的には意味のないことですよね。われわれは、仮に現在いろいろな方法で荼だ毘びに付しますけども、その遺骨は必ず骨壷に集めてお墓に納めてます。これは「土葬」です。遺骨式土葬ですね。インド人みたいに「お墓を建てない」という意味じゃないですよ。しかし、『葬送の自由をすすめる会』の方々は、要するに「インドの火葬をやろう」と言っているんですよ。簡単に言えば、インド式火葬の日本的変形みたいな形を創ろうとしているんですね。
しかし、あんなもの、日本人が賛成(マジョリティになる)しますかいな。十年前だったか、あの連中が、「シンポジウムをする」といって、私のところに電話をかけてきた。「出演してくれ」というんですね。私は、「散骨なんか大反対。反対の人間がなんで行くんだ」と言ったら、「いや、反対の人が一人ぐらいいないとシンポジウムにならない(会場笑い)」と......。そういう言葉に惑わされて、私は行ったわけであります。
たしかに、パネリストの中で散骨反対論者は私だけ。あとは全員散骨論者......。これまでこの大阪国際宗教同志会の講師をされました大村英昭先生も、山折哲雄先生もおられました。皆さん散骨賛成ですわ。私は、「散骨大反対゜」というよりも、「そんなこと、日本人にはできない」と言ったんですよ。それで、「こんな会はいくらやっても会員は増えない」と言ったんです。あの会場にいた人は全員会員だったらしいですけども......(会場笑い)。しかし、私が予言したとおり、未だに一万人を超えてないでしょう?超えませんよ。日本人一億二千五百万人のうちのたった一万人......。お調子者たちがこんなことをやっているだけですよ。
それは、実は歴史で実験済みなんですよ。いつ、実験をやったかというと、鎌倉時代にもう実験済みなんです。インド式の火葬なんてだめだということは......。その実験は、親鸞の門徒たちがやったんですよ。ここにも、真宗・浄土真宗の方がおられるかと思いますが、これは事実ですから申し上げます。親鸞聖人は叡山で勉強された。あの人は天才ですからね。ただ、悲しいかなサンスクリット語を知らなかった。そりゃあそうですよ。当時サンスクリット語の文献は比叡山にはありませんでしたからね。サンスクリット語を勉強しているのは真言宗という密教系の人たちだけですよね。親鸞も始めは勉強しようとしたでしょうけど、サンスクリット語の文献がなかったから、主としてお読みになったのは漢訳仏典です。漢訳仏典をお読みになってるうちに・・さすが天才です・・どうも、漢訳仏典には「二種類あるな」ということが判ったんですよ。一種類は、純粋のインド仏教文献の翻訳ですね。もうひとつは、いわゆる学問的には「偽経」と言われるところの中国系のお経です。
これは、歴史的事実からご承知のように、インドから仏教が中国に入ってきた西暦一世紀に・・そんなものは、儒教的死生観が既に定着している中国では問題にもしない。そこで・・親儒派と親仏派との間の論争が激しくなるうちに、仏教は、中国で教え拡げていくために儒教的死生観を採り入れた。葬儀・お墓・祖先を祀るという、インド仏教には絶対無い、そういう死生観を採り入れなければ広がりませんから、入れたんですよ。
しかし、入れたけれども、その根拠となる仏典がないわけですよ。あるはずがない。そこで、中国人は多くの・仏典・を創っていった。そこには、先祖供養の話もある、お墓の話もある、葬式の話もあるわけですよ。こんなのは全部、儒教の考え方を焼き直して、仏典であるかのように創作したから、この言葉の通り「偽経」というんですよ。「いつわり」の・・お釈迦様が語られたことにして、あとでどこかで誰かが創作した・・お経である。インドの本来のお経ではありませんよ。というのは、学問的には当たり前のことです。
比叡山でいろんな漢訳仏典を読み比べて、「このグループは偽経だな」ということを、親鸞はさすがに判ったわけですよ。そこが、われわれ凡人と違うところですね。そして、どちらを採ったかというと、彼はインド仏教を採った。どうも、「お葬式をしたり、お墓を建てたり、祖先を祀るということは、仏教の本来のものとは違うな」というように思ったから、それを切り捨てた。
そこで彼は、浄土思想を自分なりに解釈して、自分の亡き後は、阿弥陀仏に縋って極楽浄土へ往って生きる(往生)という思想を徹底したわけでしょう。ですから、手紙に「自分が亡くなったら、葬儀はするな。死体は鴨川に投げ捨て、魚に食わせろ」と仰言ってる。つまり、葬儀とお墓を否定している。当然、祖先祭祀を否定しているわけですね。ただ、極楽浄土に往って生きることができるということを願ったわけでしょう?
親鸞が、たくさんの門徒を集めてお亡くなりになりますね。しかし、その後はどうですか......。親鸞のお弟子さんたちは皆さん、全部お葬式やって、お墓造って、先祖供養してるでしょう?ほんとですよ、これは......。
ですから、ご承知のように、日本仏教は、私の在所もそうだったのですけども、ずっと天台宗だったのに、江戸時代の檀家制度で無理やり真宗に変えさせられたというお寺があるんですよ。真言宗でもそうですわ。本当は真言宗だったけれども、隣も真言、向こうも真言、ひとつの村に真言宗の寺ばかりがあったりすると、じゃあ、お前のところは真宗にせよというように強引に変えられてしまう。ですから、仕方なく、昼は真宗でやって、夜は皆集って、真言宗の儀式をやってたという、そういうところがありますよ。九州でもあります。あれなんかは、現実を政治制度に組み込んでゆくときに変えさせた。そういうことがあるわけですから、私は、檀家制度もそんな単純な、単なる政治制度として創られたものとは思えない。あれはちゃんと支持する形があったところをうまく政治家が利用したんじゃないかと疑いを持っているんですね。しかも、アイディア的にはヨロッパの教会制度というものがあったんじゃないかと思うんです。
もちろん、この説には実証性はありません。しかし、そういう目で見なくっちゃ、宗教という現実を説明できませんよ。日本の社会保険制度がうまく機能しない例でも話したように、よそ様のシステムだけを持ってきた宗教なんて無理ですよ。ですから、大変失礼ですが、ここにキリスト教の方もいらっしゃると思いますけど、日本のキリスト教はおそらく、先祖を祀ることについて黙認しているんじゃないですか。そこまで否定したら、大変なことになる。
☆霊肉二元論と一体論の相違
中国にも、宣教師がやってきて、何度も何度もバチカンに手紙を送っているわけですよ。中国人は、何度言っても、祖先を祀ることから離れられないと。だからそれを布教手段上許してくれませんか;ということをね。本質じゃなくって、布教のテクニックとして祖先を祀ることを許してくださいと、バチカンへ手紙を出している記録が残っていますよ。ところが、バチカンの答えは全部ノ絶対だめです。祖先を祀るというようなこと神以外のものを礼拝することはやってはいけないということになっていますね。ロマにいる偉い人たちは中国人の実態を知りませんから。ですから、中国大陸ではキリスト教徒はそう増えませんでした。そういうふうに、その民族の根底的なところの死生観というものを動かしては何にもならないなと思うんであります。
そうすると、そこからさまざまなことが判ってきますね。じゃあ、どうして遺体ということに東北アジアの人間は執念を持つかというと、これはもちろん、天才が創った理屈付けだと思いますが、世界の成立に関係があるわけです。どういうことかと申しますと、キリスト教文化では、世界は唯一絶対の神が創りたもうたわけですね。創造主がお創りなさったわけです。そういう死生観でありますから、明快にスタト地点が判るわけです。
ところが、東北アジアの世界の成立の仕方はそんなんじゃないんです。ひとりの全知全能の神が創ったとは絶対に言っていない。とくに、中国は大きな文化的影響を持っていますが、中国人の考え方が世界の成立ということについてまとまって言っておる。とにかく、最初はガス状の現在の天文学といっしょですが混沌とした世界があったと言っておる。これは、いつ誰が創ったか判らないんですね。ともかく混沌としたものがあって、それを成立させているものは気であると。これは、物質的なものですよ。気という原子状のものがあって、時間が経つにつれて、軽いものが上に昇っていく。重いものは下へ降りていく。
そういうふうにして、だんだん両極へ分かれていってこの世界ができたと、こういう説明なんです。精神とか肉体とかの分け方はできないわけです。あくまで陰と陽という物質的な世界です。プラス陽とマイナス陰という物質の性質のことは言っているけども。それが後に、プラスのほうが精神に、マイナスのほうが肉体になるという理屈付けは、後からやりますけども、初めは、精神と肉体は混交してるんですよ。それが自然とこうなったというのがわれわれの東北アジア人の天地開かい闢びゃくのプロセスなんですよ。ですから、精神と肉体を分けるという感覚がないわけですよ。
ところが、キリスト教は、ご存知のように、神が世界を創造した最後に、そこらへんの土くれで、自分の姿に似せて人を創りなさって、それに息を吹きかけられて、人間アダムを創ったというふうになっていますね。精神と肉体は明らかに分れているわけですね。ですから、そういう思想をバックに、医学医学なんて人間の生活に非常に深い関係がありますからが発達してきたのです。西洋医学と東洋医学の発達の仕方を見たら、全然対照的なんですね。だから、西洋医学は、基本的に外科なんですよ。医学の発展していった中心は。外科で、どんどん悪いところ肉体を切り取っていく。やはり、死ねば肉体は土くれに帰りますから、外科的に切り取るということに余り抵抗のないという医学ですね。精神と肉体を分けておるから。
例えば、大人でも子供でも精神は人間のどこにありますか;と問えば、現代の日本人のほとんど百パセントが、精神はここ頭にあると言うでしょう。たまには、心臓を指す人がおりますけども、ほとんど皆ここ頭です。これはヨロッパの思想です。ここ頭に精神があるなんていうのは、ヨロッパの思想です。われわれは、近代百年の間にそういう思想になってしまったわけですわ。小学校の時から、自然科学ヨロッパの学問を学んでいますからね。
☆東洋医学の考え方
しかし、江戸時代の日本人に、精神はどこにありますか;と問えば、こんなところ頭指しませんよ。全身です。血色にしても、皮膚の艶にしても、これは精神の表われなんですね。そういうふうに考えるわけです。だから、そこから発達してくる医学というものは精神と肉体とを混交した医学ですわ。内科的にもね。例えば、経けい絡らくという言葉がありますけども、これは精神と肉体に共通する、あるひとつの流れが走ってるんだという、そういう医学なんですね。
そうすると、例えば、大腸が悪いとしますね。大腸が悪かったら、ヨロッパ医学ではどうするかというと、お尻肛門から内視鏡を入れて、入口から四十二センチのところにポリプがあるので、これを取りましょうといった形でするのが、今日の大腸の治し方ですね。東洋医学はそんなことはしませんよ。大腸が悪いということが判った。どうするかというと、大腸を司る大腸経という経絡に問題がある。それが整ってないから、それを整え、精神が流れを整えると、肉体の流れも整いますよという思想ですわ。
ですから、どうするかというと、大腸経に順番に針を打っていく。大腸経の先端は、人差し指のここ先ですわ。ここへ針を打ちますね、最初にね。それから、合ごう谷こく註=親指と人差指のつけ根の部分という所に針を打ちますね、それから、手の三里註=ひじの外側付近と。順番に、大腸経の流れに沿って針を打っていくんですよ。そうしたら、その経絡が整えられて、免疫力も高まっていって、結果として大腸も治る。これが、東洋医学の考え方です。
われわれは、大腸が悪い、あの鍼灸師針医者は上手だから行ってやってもらおうと行きましたら、手に針を打ってもらって、ああ、気持ちいいですわというでしょう;アメリカ人の指に針打ったらどうなりますか;大腸が悪いのだったらここ腹に打ちたいと言いますよ。そんなところ指に大腸はない。大腸はここだと言いますね。ここ腹に百本でも打ってくれといいますよ。しかし、お腹に百本打っても効きませんよね。でも、アメリカ人にしてみたら、悪い大腸はここなんだから、ここに打てという論理になりますよ。精神と肉体を分けておるからですよ。
われわれは精神と肉体が渾然としているから、ここから行くんですよと針医者に言われたら、素直に手を出す。日本のどんなインテリでも、針医者に行ったら、手を出せと言われたら合理的にそう思わなくとも、素直に手を出しますよ。
日本のインテリで、そこ手は違う。ここ腹に針鍼灸を打てという人は絶対ないですよ。やっぱりわれわれは皆、感覚的には同じなんですね。そういうふうに世界はできあがっているんだと考えるのは、われわれの考え方なんですね。これは、大事なことなんですよ。
そうすると、世界はそうなってるというわけですから、体についても、もちろん同じことです。そして、われわれは肉体と精神を分けることができないから、肉体も大事にするんですよ。精神と同等に。肉体は土くれからできたというキリスト教思想は、われわれには絶対に理解できない。だから、肉体も精神も共に大事ですよということを言い続けているのが東北アジア人なんですわ。世界観と関係があるんですよ、あの宇和島水産高校のこと沈没したえひめ丸の引き揚げ要求を激しくしたことは当然です。
☆物質こそ精神の依りどころ
われわれは、世界は肉体=物質だけでできあがっているなんて絶対に思わない。この机にしたって、このマカペンにしたって、今日のわれわれの科学の知識からいえば、炭素がなんぼで窒素がなんぼで、という成分分析をやります理解しているよ。だけど、その一方で、われわれは、色が出なくなったマカをどうしますか;かわいそうにと言って、このマカのための供養筆供養をするじゃないですか。いのちあるものとしてね。日本人は、これにもいのちがあると思うわけでしょう;われわれは、この物質の中に精神があると思っとるんですよ。この感覚は抜けません。そこへ、多少けちくさい節約の精神と、両方があってね、ものを大事にしていくということがありますけどね。
それは別としても、われわれは、どんなものを見ても、そこに精神と肉体の両方があるという感覚が抜けないんですよ。だから、例えば、誰かの顔写真が大きく載っている新聞紙が床に落ちていたとしたら、これをわざわざ踏んで歩きますか;普通は踏んで歩かんですよ。新聞紙を台の上に置いてやる。新聞にいのちがあると思ってるわけですよ。そこですよ。われわれは、世界中に存在するものは、単なる物質だと思わない。ものに精神が必ず絡まってあるんだということが、決定的なものを見る見方となっておるんです。ですから、まして人間の肉体については、特別に精神との連動がありますから、大事にするということになるわけですよ。
しかし、私の本をお読み下さった方は、もうご存じかと思いますけども、私が儒教を勉強し始めてから最初に気付いたことは、日本では皆儒教は道徳であって、宗教ではないなんて、バカなことを言っているんですね。そこで、この宗教というものについて、私は学生ながらずっと勉強してきましたが、ほとんどの人が言っている宗教についての考え方というものは、明治以来の日本の学問のあり方とまったく一緒ですよ。つまり、明治以来の日本の宗教学の主流は、ヨロッパの宗教学です。その根底はキリスト教なんです。
だから、キリスト教に基づく宗教学では、まず絶対的な神があってという話から始まるでしょう。今でも、大半の人はそうですわ。宗教というのは、超越的なそういうものの存在があって、そういうものに対する絶対的な信仰という形で定義づけますでしょう;それは結構ですよ。だけど、われわれ日本人の本心の宗教観はそういうのとは違う。われわれは、もっともっと経験的なものから、本当に自分たちの宗教観というものがあると思うんですよ。日本の宗教学にはそれがない。だから、私はそこでいろいろと宗教について勉強して、儒教はわれわれの感覚で言う宗教そのものであると結論づけたのです。
その最大の根拠は死の問題への継続的取り組みです。医者は死を扱いますが、死以後のことは、絶対に扱いません。死までが医者の領域ですね。死から死後に関してが、われわれが学ぶ宗教の領域なんですよ。そういうふうに見ないと、宗教は解らないわけですね。私は、宗教の定義条件を死ならびに死後の説明者であるとしています。これが宗教のあるべき形でありますから、わが国にあります伝統的な様な宗教は、すべて宗教としての必要条件を持っていると、私は思っています。超越的存在云なんて糞くらえですよ。ただ、その中で、基本はそうですが、その後の展開があります。
そうすると、いわゆる死という重大なものに対して、われわれはどう考えているのか、その儒教的なことは何であるかと言うと、今、申しましたとおり、根本的な精神は肉体というものと離れることはできないものだということですから、自分の亡き祖父母やあるいは祖先ということと、現に生きている自分との関係をどう説明するかということになってきますね。
☆孝とはいのちのリレである
そこで、儒教の古い文献を読むと、そこに、遺体という考え方が生まれてくるわけです。これは、遺ゆい言ごん公式にはいごんと言うらしいのですが遺言が遺のこす言葉であるように、遺体というのは、親が遺した体、すなわち、今、生きている自分の体は親が遺した体、親の体は祖父母が遺した体、祖父母の体は曾祖父母が残した体。というふうに、一連の流れの中で、自らの肉体というものを理解していこうというのが、儒教の本質です。いのちの連続ということを自覚して大事にしましょうというのが、儒教でいう孝の意味です。
孝というのは何も、子供が親に絶対的に服従するとかそういうものじゃないんですよ。それは、孝のうちのひとつの要素にすぎません。孝には三つの要素がありまして、この三つがセットなんです。ひとつは祖先の霊を祀ること。それから、目の前の親に対する孝。そして、子孫自分に直接、子供がなくてもいいんですよ。甥や姪、誰でもいいんです自分の血の繋がった者を愛しましょうということです。遺伝子といういのち生命の本質が代の体を乗り換えるのですから。この自分の体個体は、残念ながらいつか消滅しますけれど、いのちは連続して流れていくんだから、いのちは戻って来るんだということです。これが、遺伝子DNAの思想ですね。
遺体の遺と遺伝子の遺の意味が、偶然、一致しとるんです。古代人は直感的に本質を解ったんでしょうな。
祖先を祀るということが、とりもなおさず、己のいのちがずっと続いていくということの証明であり、その中間に、たまたま自分がいるということです。だから、自分は、リレで言えば、バトンを今持ってるだけですね。自分が受け取ったバトンをまた次の人に渡すという、儒教はそういう思想です。ですから、自分のいのちが後へ続くように努力をしなければなりません。何度も申しますけど、儒教では子供がない場合には、甥や姪を愛すとされているわけですよ。それでいいんです。いのちが繋がっているんですからね。
これらを合わせて孝と申すんですけども、私はいつも言っているんですが、孝というのは、祖先∧亡き人の霊を祀ることと、子孫を愛すことがワンセットになった概念です。そうすると、この祖先を祀ることや孝というのは、儒教の専売特許みたいな概念ですが、古びた言葉です。これを今日の状況に摺り合わせて本質は常に変わらなくとも、表現はその時代に摺り合わせていかなければいけませんからいつも、宗教はその時代の状況に合わせて、その時代に合う言葉で説明しなければいけませんね。儒教で言うならば、祖先を祀ることというのは、今日の言葉で言うと、亡き人の思い出を語るということです。
これは素晴らしいことですね。皆、寂しく死んでいきますけども、人に思い出として残ってくれれば心に安定があるわけです。今、末期医療で、死にゆく人に対してどうすればいいかという問題がありますけども、死にゆく人の手を握って皆、あなたのことを忘れないと言うというのは大切なことですね。孝は、いのちの連続を自覚するということです。そういう言葉で説明すれば解るんですね。そういうことを、日本人は怠ってきた。足蹴にしてきたんですね。そして、自分にはとても使えそうにない欧米のシステムを表面上だけ持って来て制度として運用しようとするから、おかしなことになっているんだと私は思うんです。その具体的なことはまた機会がありましたら申し上げるとして、一応ここで区切りといたします。
司会者三宅善信:ありがとうございました。加地先生には、限られた時間の中で、たいへん解り易いお話をしていただきまして、また、最後に、私が予めお願いした講題に、ちゃんとまとめていただきまして、ありがとうございました。
医学の世界では、最近はタミナルケア(末期医療)とさかんに言いますけども、宗教界は、ずっと昔からアフタケア(会場笑い)をしてきました。タミナルケアよりもっと先を行くということでございます。
そして、欧米流の霊肉二元論ではなくて、東北アジアでは、一元論だと文化理解の本質を捉えて下さいました。私の好きな日本語の諺(ことわざ)で、身から出た錆(さび)という言葉がございます。もし、精神と肉体、すなわち物心が別のものでしたら、身から錆は出ないわけですけれども、身から錆が出るというのは、いわば心の埃(ほこり)であるということを考えてみたいと思っております。
この後、十五分間、隣の部屋でコーヒーブレイクがございます。その後、加地先生にそれぞれの質疑をさせていただきたいと思います。ありがとうございました。