大阪国際宗教同志会 平成14年度総会記念講演
最近の国際情勢と日本の対応

外務省 大阪担当 特命全権大使
望月敏夫

2月27日、辯天宗大阪本部(茨木市西穂積)において、大阪国際宗教同志会(大森慈祥会長)の平成14年度総会が開催され、外務省大阪担当特命全権大使の望月敏夫(前アラブ首長国連邦特命全権大使)氏が『最近の国際情勢と日本の対応』と題する時宜にかなった講演を行い、神仏基新宗教各派の宗教者約65名が参加した。本誌では、数回に分けて、本講演の内容を紹介して行く。


▼いつも地図を見ながら考える習慣をつける




望月敏夫外務省駐大阪大使

 ただ今、ご紹介いただきました外務省の望月でございます。今日は、伝統ある大阪国際宗教同志会にお招きいただきまして本当にありがとうございました。宗教の門家であられる皆さま方、指導者であられる皆さま方と、国際的な問題をお話する機会を頂きまして、大変光栄に存じております。せっかくの機会でございますので、ぜひ、私からも、あまり国会答弁のようなうわべだけの話ではなくて、できるだけ本音で、外務省の考えている本当のこと、私が特に皆さんにお伝えしたい私自身の経験・印象、そういったものを皆さま方に、今日はお伝えしたいと思います。新聞等でも国際問題がいろいろと議論はされておりますけども、なかなか感覚的に理解し難い点があると思いますが、本日は1時間頂きましたので、何か皆さま方の国際的な問題、最近の情勢についてのご理解をお手伝いできればと、考えております。

 今日はここに世界地図を用意いたしました。おもちゃのような地図で恐縮なんですが、私はいろいろ講演の機会がございますと、必ず地図をこのように持って来るんです。何故かと申しますと、世界の問題、国際情勢、外交問題などを話す時は、必ず目で見る。すなわち、目で訴えて、地図を見ながら、皆さまに理解していただいくように話をすると――そういう習慣を付けていただきますと――物事がたいへん臨場感をもって理解でき、かつ、抽象的じゃなくて、具体的に感じられるということが確実でございます。私は職業柄、いつもそのように心掛けておりますし、ぜひ、皆さまも、今後、宗教の立場で国際問題を論ずる時にも、このように地図を、世界地図をもちろんご覧になってもいいですし、それぞれの地域の細かい地図などを参照しながら、議論していただきたいと思います。その臨場感とか距離感とか方向性とか、世界を見る場合に非常に重要でございます。本日お持ちした世界地図は小さなもので、私の講演において具体的にどこを指して、どこの地域を指しながら話をするということはいたしませんけども、そのためにお持ちいたしました。


いつも地図を見ながら距離感を大切に

 この地図というのは、いろんな地図がありまして、実は私ども外交を職業としている者の中でも、今申し上げた方向性とか距離感とかが、意外と身についていないのです。例えば、外務省に入って10年くらいの、バリバリ前線でやっている者たちに、1枚の白い紙を与えまして、「世界地図をその場で描きなさい」と言って書かしたところ、まず、日本の周りの朝鮮半島と中国と、それから、右の方にアメリカがあって、左の方にロシアがあって……。そこまでは、だいたいなんとなく描けるんですが、さて、タイがどこにあるとか、ベトナムとかとなると、だんだん怪しくなりまして、バンコクなんて、毎日のようにいろいろな議論の話題になっていますが、どの辺にあるかとなると、地図の下のほうだから南のほうだというのは解るんですが……、という次第でして、ましてや、中東とか、アフガニスタンとかアフリカとかブラジルとかなると、ますます怪しくなるということが多々ございます。私ども自身もそうなんですが、そういうことで、いつも地図を念頭において議論するということが大事だと思います。

▼インターアクション・カウンシルについて

 それから、本日は、皆さまのお手許に3種類の資料をお届けいたしました。ひとつめは、『Inter Action Council』という英語の表題が上に入っていまして……。『宗教に嫌悪なし』という対談の記録でございますが、それがひとつめでございます。それから、2つめが、『インターアクション・カウンシル』の『普遍的な倫理基準の探究』というもの、3つめが同じく『インターアクション・カウンシル』という表題のもとで、『人間の責任に関する世界宣言案』という、この3つがございます。
最初の『宗教に嫌悪なし』という対談は、ムハメド・サイエド・タンタウイというエジプトはカイロのアズハルという、イスラム教世界の最高権威である一種の大学の総長なんですが、そのタンタウイさんとエジプトの日本大使の須藤さん――須藤さんというのは、「外務省のアラビスト」と言いまして、アラブ・イスラムの専門家の先輩なんですが――この2人が、イスラム教が現在どういうふうになっているのかと……。特にテロの関係で、非常に中身の濃い議論を交わしておりますので、それをコピーしてまいりました。

 これは、『外交フォーラム』という毎月1回出している雑誌に掲載されたものでして、外務省がかなり支援をしているという雑誌です。もちろん外務省の見解は書いてありませんけども、主に学者・専門家のための非常に程度の高い、中身の濃い雑誌でございます。ぜひ、これを購読されることをお勧めします。これはPRですが......。この対話の中身もちょっと後ほど引用させていただきたいと思っております。ぜひ皆さん、後ほどこれをお読みくださって、「イスラム教とは何ぞや」ということを最高権威者の口で、いわば生(なま)の声がもらえておりますので、ご参考にしていただければと思います。

 それから、後の2つなんですが、この『Inter Action Council』という横文字が書いてある2つの文書でございますが、これは、皆さんご承知だと思いますが、いわゆる「OBサミット」というのがございますね。サミットというのは、今、経済問題については世界の7カ国が、政治問題については8カ国の首脳が、年1回集まって開催される主要国の首脳会議でございますけども、このサミットを卒業した世界のリーダーたちが、「OBになってさらに世界の問題を議論しようじゃないか」ということで、今年で20周年になりますけども、そのOBサミットで議論された問題でございます。正式名はそこに書いてあります『インターアクション・カウンシル』というんですが。「普遍的な倫理の探究」と「人間の責任問題」この問題がまさに皆さま方の大阪国際宗教同志会が、日頃議論されておられる「現代社会における宗教の役割」といった問題意識に非常にマッチするんじゃないかと、そういう思いがいたしまして、これをお持ちいたしました。

 たまたま私が、そのOBサミットを課長の頃、主管しておりまして、もともと福田赳夫さんが総理を退任された後に提唱をしてできたという会議でございます。それで、私も福田さんと一緒にあちらこちらで会議に出まして、ちょうどこの宗教倫理の話がテーマになっている会合にも参加いたしましたので、今回の総会にご招待いただきました時に、これを思い出しまして、テキストを取り寄せて持ってきた次第です。お帰りになられてから中身をぜひお読みくださると、現代の世界、今後の世界を宗教家はどのように対応したらいいのか、世界平和の問題にどう対応したらいいのか、ということがうまくまとめられて、しかも、解りやすく書かれてあります。これもご参考にしていただけたらと思います。

▼眞紀子大臣のこと

 さて、本論に入る前にもうひとつお話申し上げなくてはならないのは、私自身大阪に参りましてちょうど1年くらいになります。私の役割は多々ございますが、そのうちの大事なものは、東京というか、外務省というか、霞ヶ関というかそこいらへんの意見・態度・政策といったものを関西、西日本の皆さまに直にお伝えするという役割でございます。そういうことで、講演やセミナーの機会等も週1回か2回ございます。そこで、最近は、だいたいこのような、非常に一般的な茫漠とした『最近の国際情勢』というようなタイトルで、講演に参りますと、だいたい皆さまの関心の置き所は、「国際情勢ではなくて、外務省の省内情勢を話してくれ」(会場笑い)ということになっていまして、それは、今、皆さまの話題の中心のひとつでございますので、無理からぬところがあるわけですが、今日は、せっかくのこういう大事な機会でございますので、国際的な問題を中心に話をしたいと思います。ただ一言だけ、その省内情勢について申し上げますと、川口(順子)大臣が来られまして、もう2、3週間になりますが、外務省改革の『骨太の方針』というのを打ち出しまして、私どもはまさにそれに従いまして、「外務省内部の話、これまでのいろんな問題を克服して姿勢を正す」ということで、今後邁進(まいしん)していくつもりでございます。それによっていろんな問題で外務省の失われた信頼感というものを皆さま方から取り戻すという、強い決意をしております。

 外務省という役所は、明治の2年か3年に太政官布告でできて百何年の歴史があるんですが、ちょうど去年1年は、おそらく最悪の年ではなかっただろうかと思います。ひとつは去年早々、いろんな不祥事が出てきました。公金を使いこんで競馬に注ぎ込むとか、いわゆる空(から)出張を作ったとか、いろんな大小の問題が一気に吹き出てまいりまして、これらの問題への対応を深く反省して姿勢を糺(ただ)すということで再出発をしたわけですが、ちょうどその時、去年の4月27日に、田中眞紀子議員が外務大臣に任命されまして、外務省に乗り込んで来られました。その2つがいわば絡み合って、振り返りますと、非常に難しい1年を、というか、7カ月を過ごしたように感じております。私自身も週のうち大阪に3日か4日おりまして、あとは本省に勤めていますので、その問題の渦中に、直接参画したり、巻き込まれたりしておりますが、現在は外務省自身の話からやや発展というか、延長して、国内の政治問題になりつつあると……。ないしは、政治家と官僚との関係とか、一般国民・大衆と政治の問題とか、そういう大きな問題に今、なっているという状況だと思います。

 田中眞紀子大臣は一生懸命やっていただいたと、私ども(外務省員)思っているんです。今でもよく思い出しますけれども、眞紀子大臣が初登庁された時に、講堂に皆を集めて――外務省というのは6000人近くおりまして、その半分は海外勤務をしておりますので、本省にいるのは2000人くらいなんですが――「ただ今、外務省に嫁いでまいりました眞紀子です」と言って、皆も「眞紀子さんはりきっているな。われわれも本気でやらなきゃいかん」ということで、大歓迎……。たいへんな熱気に包まれておりました。それは、今でもよく覚えておりますが……。彼女も「皆さん一生懸命やりましょう。日本の外交は、中国もあるし、韓国もあるし、北朝鮮もあるし、アメリカもあるし、大変だ。困難に向かって大いに一緒にやりましょう」と……。「外務省のスキャンダルもあったし、出直しを図りましょう」ということで、われわれ省員も「これはうまくいくんじゃないか」という期待が強かった。

▼国内政治の問題にされてしまった

 今でもそういう期待はあるんですが、なぜかその後、なんと言うんですか、「ボタンの掛け違い」というか、眞紀子大臣自身の個性とか――小泉総理に言わせると、「非常に感性的な方」という表現がピッタリだと思うんですが――今ひとつ、霞ヶ関の体質に合わないところもあったりしてですね。指輪だとか、招待状を出したとか出さないだとか、ささいな問題もいろいろありましたし、言ったとか言わないとか、話がだんだん矮小化していって「つまらない」と言ってはなんですが、しかも、悪いことにそういう話題が、今の日本の閉塞状況というんですか、経済が非常に悪い状況で、マスコミの集中的な興味の対象になりまして、それが新聞だけならまだいいんですが、テレビのワイドショーとかの、そういう対象になったものですから、話が事実関係から離れてしまったり、ずいぶん誇張されたり、面白おかしく報道されたりしたということだったと思います。

 そういうことで、ここだけの話ですが、私自身もはっきり言って、後味が悪いという感じなんですね。もうちょっと、眞紀子さんと「外交」を論じて、眞紀子大臣にどんどん世界中を飛び回ってもらって、彼女なかなかアピール感があるし、非常に弁舌爽やかですし、チャーミングですね。そういうことで、野上事務次官が先々週辞める時に、最後に言っていました。「いろいろあったけど、眞紀子大臣とは外交をやりたかったな」と、そういう感じなんですよね。ですから、われわれ事務方は、そういう気持ちで、なんか割り切れない気持ちが多いんですが、今はどうもそれが国内政治の問題になってしまって、外務省自身の若干手の及ばぬところもあるかと思いますけども……。まあ、そういう状況です。

 ただ、一言だけ申し上げたいのは、こういう状況で、外務省の内部の問題がある故に、日本の外交が「機能不全だ」とか、「ずいぶん遅れをとった」とか、「あまりうまくいっていない」とか、そういうことを言われていることがあったんですが、かつ現時点でも言われておりますけども、私の立場から「そんなことは絶対ない」と……。実務的な外交は粛々(しゅくしゅく)とやっておりますし、非常に難しい問題が出て来ているわけです。日本をめぐる問題は、一朝にして解決できるような問題ではないと……。靖国問題にしろ、教科書問題にしろ、ミサイルの問題にしろ、北朝鮮の不審船の問題にしろ、これらは、外務省だけでなく、政府全体、およびすべての国民、日本人全体が一丸となって、当たらなきゃならない問題でございます。私どもは事務方として、ないしは、それに携わる専門家集団として、一生懸命やっているつもりでございまして、皆さま方もまた、サポートをぜひお願いしたいと思います。それと同時にですね、もちろん外務省もいろんな諸問題、積年の弊と申しますか、積もりに積もった問題点というのはこの機会に全てを解決するという決意でございます。

 そんなことで、アフガン復興支援会議についても先ほどちょっと触れられましたけども、あの1月という時期に、これだけ世界中の問題を一心に集めているアフガンの会議を東京でやったという事実……。それまでに、外務省が――もちろん官邸の指導の下に、総理の指導の下に――どれだけの苦労をしてきたかということは、ぜひ皆さまにもご理解いただきたいと思います。成果も非常に上がりましたし、これはひとつの例でございますけども、それに限らず、いろんな二国間関係・多国間関係でも、私ども内部の問題に邪魔をされずに、正常にやっているつもりでございまして、また、成果も出ているのではないかと思っております。この話を始めると、だいたいあと10時間くらいかかります(会場笑い)ので……。また、「聞くも涙、語るも涙」の話もありますし、私の友人も何人か外務省のポストを捨てざるを得なくなった人もいますが、また別の機会にお話し申し上げたいと思います。


▼アメリカの一極支配は確立されたか

  さて、本論に入りたいと思います。本日は、「イスラムの問題」ということを皆さまに少しお話して、普段あまり接触のないお話かと思いますが、極めて大事な問題でございますので、皆さまのご理解をお助けできれば幸いかと存じます。

  先ほど地図の話をしましたが、国際システムというものが――もう12年前になりますが――米ソ両超大国の二極構造=冷戦構造というものが終わりまして、いわゆる「ポスト冷戦(冷戦後)の世界」になりましたが、その二極構造から、「世界はいったいどういうふうになってゆくのだろうか?」ということで試行錯誤しながら10年ちょっと過ぎたわけです。現時点では、アメリカの一極支配――表面的にはアメリカだけがいわゆる超大国として残っている――という感じがいたしますが、一概にこういう結論を出すのはまだまだ早い、というのが私ども(外務省)の見方でございます。

  世界は、まだ、どのようなシステム、どのような構造になるのか非常に混沌としているというのが現時点でして、一種の移行期と言いますか、端境期にあるという気がします。一見、アメリカへの一極集中が目立ちますが、アメリカだけが世界の権威ではないと……。他方、国連とかそのような世界政府とか世界的な権威というものも、まだ、できてない訳です。したがって、今は、世界自身が暗中模索といいますか、どういう方向に行こうとしているのか、そういう中途半端な状況にあると言って差し支えないと思います。

  ただ、中途半端と言うだけでは、お話になりませんので、それをさらに分析してみますと、今の世界は、いわゆるグローバリゼーションと言われている動き、すなわち、世界中の国境が低く(註:ヒト・モノ・カネの自由な移動のこと)なって、ひとつの世界になるという方向に進んでゆくこと。これを私は「求心力が働いている世界」といっております。もうひとつは、それとはまったく逆に、世界がバラバラになっている。ひとつの方向にまとまるんじゃなくて、むしろ分権化している。そういう動きを私は「遠心力」と呼んでいるんですが、そういう遠心力が働いている世界と、こういう二つの力学がせめぎ合っているのが、今の世界の状況ではないかという感じがいたします。

  最初の求心力の世界というのは、グローバリゼーションやボーダレス化とも言われておりますけども、例えば、民主主義とか人権とか女性の地位とか、誰もチャレンジ(異義申し立て)できない、こういう(普遍的な)価値観というものが世界中に広まって、「中国ですら」と言えば、中国に失礼ですが、民主主義というのは――彼ら流の民主主義ですけども――否定できないものになっています。

  経済に至っては、マーケット・エコノミー(市場経済)が世界中で普遍化してしまいました。社会主義のはずの中国やベトナムまでもが、市場経済を標榜し、もちろんロシアも完全にそのようになりました。今では、世界中に行き渡っていると言えます。

  それから、情報革命、IT化、さらには地域統合……。ヨーロッパはご承知の通り、通貨が「ユーロ」で統一されましたね。私もこの間、10ユーロ紙幣を人に貰いましたが――「貰う」と賄賂になるんで、ちゃんと交換しましたけども(会場笑い)――ずいぶんきれいなお札ですね。ピカピカ光って、偽札が造れないように工作してあって……。新通貨ユーロが1月にEUに導入されて、もうフランス人でもドイツ人でも、スーパーでも本当にあっという間に流通しているそうですね。最初は皆、マルクとかフランとかに郷愁があるんじゃないかと思ったんですが、結構、人間というのは早く慣れるものだと……。そういう地域統合というのが、ヨーロッパだけでなくて、アジアでも南米でも北米でも起きている。したがって、これらみんな、地球が一個になると、そういう動きなんです。

  他方、そればかりではないのが、これまた悩ましいところです。世界中が分権化する。つまり民族対立、宗教上の対立、それから、過激なナリョナリズム。そういったものが、まだまだありまして……。

  非常に面白いことを言う学者がいるんですが、このまま世界がバラバラになる分解的な動きを放っておきますと、世界の独立国の数は、あと10年くらいで600くらいになっちゃうと言うんです。今、国連に加盟している国は188カ国ですか……。小さな民族集団で「独立したい。独立したい」というのを放っておきますと、600くらいになってしまうそうです。というほど、世界中がそのように分権的、多極的な動きも、一方で存在しているんです。これを忘れてはいけないんだと……。

  したがって、本日のテーマになります「宗教的な問題」というのも、今申し上げた両方の動きに関わっていると思うんです。それぞれの宗教は、本来、世界の平和と、人類の平安を念じておりますから、それは、冒頭に申し上げた求心的な力を応援しているのだと思います。他方、宗教戦争とまでいかなくても、宗教上の対立というものが、まだまだあちらこちらありますので、それがまさに、世界の遠心力を助けているというか、遠心力を加速しているというふうにも、両用に働いているということが言えるんではないかと思います。


▼テロリストが生まれる背景

  今まで一般論を申し上げましたので、ここで具体的にひとつ、この間のテロ事件との関係で説明したいと思います。9月11日のテロ事件は、今、私が話した枠組の中で考えますと、「文明の対立」ということになるかならないかの瀬戸際ではないかと思います。というのは、その容疑者であるアルカイダとかウサマ・ビンラディンたちは、これを文明の対立、宗教の対立、人種の対立に持ち込もうとしています。そこに「その手に乗るな」というのが、アメリカや日本や欧州のその他の国だと……。そういう図式ではないかと思います。

  つまり、そのテロリストを煽動した人たちは、まさにウサマ・ビンラディン自身が9月の事件の後に語ったようにですね、これは「イスラム教徒対ヨーロッパ・アメリカとの闘争である。戦争である」と……。そういうことなんです。「イスラムに対する欧米からの攻撃を防御し、さらに未然に防ぐ、そういう争いだ」と……。まあそういうふうに定義しているんです。もちろん、これは、彼らの一方的な定義だと思いますが、まさに世界がバラバラになる方向を助長する恐れがあると……。そういうことが言えると思います。

  それでは、なぜ、このようなテロ事件が起きたのかと言いますと、これは、新聞・テレビでも、最近は少し静かになりましたけれども、既に報道されております。実は、このアメリカで起こった9月11日のテロ事件というのは、たしかに、非常にセンセーショナルで、大規模なものでしたけれども、今に始まったことではなくて、この十数年、世界的な問題として取り上げられていた頭痛の種のひとつが、この国際テロという問題でした。今度だけではなくて、以前からあちらこちらで、いろんなテロ事件が起こっていたのです。
皆さん思い出していただければ判ると思うんですけども、ケニアだとかタンザニアだとか、あちらこちらで、似たようなテロがありました。ニューヨークでも、実は同じ(世界貿易センター)ビルの地下の駐車場で爆弾テロがありましたですね。その最後の非常に大規模で深刻なものが、9月11日のテロだったと思うのです。

  それでは、そのような事件が、ここ十数年、なぜ次から次へと起きてきたのかと分析してみますと、その実行犯が、ほとんどがイスラム教徒であり、さらにアラブの人が多かったということが言えます。今度のニューヨークの場合も、実行犯はほとんどサウジアラビアやエジプトの人で、かつそれを匿(かく)まったのは――まあ、アラブ人ではないんですが――タリバンというアフガン人でした。そういう地域の人たちが、なぜテロに走るのか? ということで、私はこれを彼らのテロリストを生んだ理由、背景として全部で5つ挙げております。

 まず、第1は、伝統的なイスラムの世界と西欧キリスト教世界との、この千年以上に及ぶ確執が背景にあります。これは、その昔(中世)、イスラムが世界の文化をリードしていたという時期がありましたけども、近代になって、それが逆転して、その上、ヨーロッパの植民地にまでなってしまったということが、まず挙げられます。そこに、イスラム――特にアラブの人たち――は非常に高い誇りを持っている人たちなんですが、「やられた!」という非常に根深い、反西洋、反ヨーロッパ、さらには反アメリカのそういう深層心理があるということは確かです。これは非常に長い――イスラム教が成立したのは7世紀ですから――1500年からの戦いの結末から出ている「反欧米」という気持ちです。これが、他のアジアの国々にもあります。反米、反ヨーロッパ……。われわれ日本人も、アメリカが勝手なことをすると、「けしからん!」と、私自身も時々思いますけども、それよりももっと根深い、アメリカやヨーロッパに対する非常に複雑な気持ちが彼らにある。これが第1です。

  第2は、これがもっと最近の事件になって、歴史上の話だけでなくて、今、現実にイスラム系の人たちが、ヨーロッパ各国や、特にアメリカに苛(いじ)められている、各地でイスラム教徒が「アメリカに攻撃されている」ということが、またひとつイスラム教徒の反発を呼んでいるんです。その例としては、当然イスラエルとパレスチナの問題。それから、バルカン半島(旧ユーゴ)のコソボとかボスニアとかでの民族紛争がありましたね、今、ちょっと静かになりましたが……。それから、ロシアの南にあるチェチェンの問題とか、イラクの国民が経済制裁にあって非常に苦しんでるとか、カシミール(印パの国境紛争)のイスラム教徒の話とか、数え挙げればキリがないくらい、苛められるのはいつも世界中に散らばっているイスラム教徒が、ある意味で、ヨーロッパやアメリカの被害者だという意識が非常にあるんですね。

  しかも、10年前の湾岸戦争の後、アメリカはイギリスと共に軍隊をアラビアにいまだに駐留させていると……。イスラム教徒にとっては、この上なく聖なる土地であるサウジアラビアに、異教徒のアメリカが軍隊を置いているということは、非常にイスラム教徒の疳(かん)に触るところでして、それがまた、ウサマ・ビンラディンが犯行声明で言っているところでございます。

  それから、最近のアメリカの「一国主義」といいますか、ソ連が崩壊した後、アメリカの力が相対的に強くなり、やや勝手な振る舞いをするように見えると……。独善主義というところがけしからんと……。それに対する反発もあります。そこら辺が、今度の9月11日の攻撃がアメリカに向かった理由なんですね。つまり、憎しみの対象が、ひとつは経済の一番象徴的なニューヨークの世界貿易センタービルというものに向いたという。それから、もうひとつは、アメリカの力を象徴する軍事、それが、ワシントンの国防総省ペンタゴンのビルに向かったという。テロリストの側からすると、「訴える(メッセージ性のある象徴)」というものだったと思います。


▼人間には常に狂気が存在する

しかし、ただそれだけでは、あれだけの準備をして、過激な行動(註:同時多発テロ)に出るとは思えません。それはなぜかと言うと、さらに、そこには、じゃあ――ここからが難しいんですが――イスラム教の教えは、こういうこと(テロ行為)を許しているのか、ないしは、それを勧めているのか? と……。「アメリカ人であれば殺してもいい」ということをイスラム教は教えているのですか? ということになるんですが、そこがまたそうではない訳で、後ほどもう少し詳しく説明しますけども、イスラム教は本来は、本当に寛容を旨とする、そういう平和な宗教でございます。先ほどの資料を是非、よくご覧になってくだされば、エジプト人のイスラム教の最高権威(アズハル総長・M・タンタウイ師)がよく説明しておりますが、そういう宗教なんです。

 今、世界には10億から12億人のイスラム教徒がいます。世界の人口は60億ちょっとですから、全人類の6人か5人に1人はイスラム教徒なんですね。たいへんな数なんです。これも後ほど説明しますが、意外とイスラム教というのは入り易い宗教なんです。私も任地(アラブ首長国連邦)でよく見ていましたけども、ある程度の毎日の与えられた義務を履行すれば、必ず天国に行けるという宗教ですので、これは誰でも非常に入り易いというところで、今、全人類の5人か6人に1人がイスラム教になっているということです。

しかも、本場の中東だけではなくて、今やもうヨーロッパにも非常に増えていますし、中東から始まって、アジアでも、インドネシアには2億人近いイスラム教徒がいますし、日本のすぐそこのフィリピンまでイスラム教徒が増えているという状況なんですが、その中に――これは他の宗教についても言えることですが――非常に過激なセクト、過激な一派がいて、こういう人たちが暴力に走っていると、そういうことが言えるんではないかと思います。

お手許の資料に書いてありますように、イスラム教は決してそれ(テロ行為)を許している訳ではないんですが、イスラム過激派は、各地でここ十数年、かなり勢力を伸ばしてきておりまして、中東の当局も一応、これを取り締まっているんですけども、一方で、彼等(当局)自身の思想もイスラムですので、自己矛盾がある訳です。われわれも自分の子供を見て考えますよね。いわゆる「今の子供は、アメリカ式の風習に染まってだらしない」と……。「もう(伝統的な)道徳もへったくれもない」とか「行儀が悪い」とか……。

やっぱり西洋文明が人類を堕落させるという気持ちが非常に強くなって、一種のイスラムの復古主義、「源流に戻ろう」という運動になって……。さらにそれが、反西洋どころか、反近代というところまで行ってしまいます。これは哲学的な次元になると思いますけども、かつて日本でも近代の超克――超克というのは乗り超えるという意味ですが――とよく言われました。

ところが、これが、反近代・反文明にまでいっている。それがいわゆるイスラム原理主義です。(サウジアラビアの)ワッハーブ派とか、十数年前のイラン革命を起こしたホメイニ師をご存知ですね。それからアフガニスタンのタリバーン。女性は表に出ちゃいかん。教育もいけない。亭主以外に顔も見せちゃいけない。医者にも行っちゃいけないと……。そこまで完全に過激な人たち。それが結局、先ほど申し上げた反米意識と結びついたのが、今度の事件ではないかと、そういうふうに考えたらよろしいかと思います。

そこで、過激派の人たちにもいろんなグループがありますけども、オウム真理教を思い出したらいいかと思います。そういう一種のマインドコントロールをされている人たちです。つまり、自爆するわけですからね。何年間も飛行機の操縦法を習って、最後は突っ込むということまでして……。それは、もう狂気の沙汰なんですが、ごく一部のイスラム教徒にはそういうグループがいるということでございます。

人間の社会というものは、自分たちの身の回りを見てもそうですが、常にそういう「狂気」が存在すると思います。ロシアのスターリン、中国の毛沢東、ルーマニアのチャウセスクといった共産主義時代の独裁者たちは、一般の市民を何十万人、何百万人殺したことか……。中国の文化大革命の時なんか、本当に酷いもので、まさにもう人間の常識を超えた狂気の沙汰としか言いようがない大量虐殺ジェノサイド。カンボジアのポル・ポト政権下では、その人が「知識人」というだけで、だいたい100万人殺されています。サダム・フセインというイラクの独裁者も、かなり同じようなことをやっています。日本の戦前も、そこまでは酷くなかったけれども――やや、こういう集団ヒステリー的なところがなかったかどうかというところを、われわれも胸に手を当てて考えないといけないんですが――人間は、どうしてもそういうところに過激になる素質があるようでございます。そこらが今度の事件の背景だと思います。


▼テロをなくすためには

最後に、もうひとつ重要なテロの背景は、テロリストを生む、そのような過激な行動を取らなければならないような状況に追いやる社会的・経済的な土壌ですね。それがあるんではないかと思います。つまり、「貧困」の問題です。中東には、石油のおかげで非常に豊かな国があります。私が行ったUAE(アラブ首長国連邦)や、アラビア半島の辺の国は豊かなんですが、これらは例外でして、イスラム世界の大半は、まだまだ貧しい人々がたくさんいます。

 それから、人口増の問題があります。これらの地域では、若い人が急激に増えていまして、若年失業者が非常に多い。その経済面の問題に加えて、中東地域には、まだ残念ながら民主主義が完全に発達していませんで、一種の政治的な未成熟――抑圧的といえばそうなんですが――必ずしも自由民主主義の世界になってない。実際、政権側に腐敗も非常に多いということで、若い人たちの絶望感とか、幻滅とかいうのが非常に強いと……。これが、テロリストに追いやる背景ではないかと思います。

しかも、ヨーロッパやアメリカに行きますと、イスラム教徒というだけで、迫害というか、偏見を持たれるというところで、そこら辺を直さないと、テロリストというのはいつまでも出てくるということが言えます。しかしながら、これは、ハッキリ言えると思います。つまり、イスラム教が「テロをしていい」と言っているわけではないんです。むしろ、社会・経済・政治体制がそのような連中を生み出して、イスラム教のごく一部の過激派と結びついている。そういう状況ではないかと思います。

そういうことで、今、申し上げた今回の「テロ事件の背景」を裏返しにすれば、それがそのまま、「今後テロをどうやって撲滅していくか?」とか、「テロを防止するにはどうしたらいいか?」ということになってくるんじゃないかと思います。つまり、できるだけイスラムの世界と他の世界は交流をし、宗教面でもできるだけ協調性を持って、お互いを理解する、偏見を止めるということがまず第一。それから、「イスラム教徒は苛(いじ)められているんだ」という意識を取り払うために、さっき言ったパレスチナとかチェチェンとかイラクとか、そういう政治状況をできるだけ早く解決すること……。これは、なかなか難しい問題ですね。

それから、アメリカの行動にも一国主義的な、批判を受けるべきところがありますので、それをアメリカにも反省をしてもらう。それと、もうひとつは、イスラムの世界の人たち自身が、自分で自力で民主化・近代化を図るということ。それはまた、経済面では、日本をはじめ先進国が支援するということでですね。時間がかかると思います。しかし、今すぐやりませんと、テロリストの予備軍というものが、いつまでも出てくるということが言えるんじゃないかと思います。


▼イスラム世界と大阪の意外な繋がり

与えられた時間が残り少なくなってきましたが、最後に、私は皆さんにイスラム教の講義をしに来たわけではありませんが、イスラム教徒を現地で見ておりまして、非常に印象の深い人たちで、イスラム教の重要性というものをまざまざと知った訳です。イスラム教は、とかく日本には馴染みがないんですけれど、大阪というのは、イスラム教世界と日本との最初の接点だったんですね。大阪の商社の人たちが、早いうちからイスラム社会に行って商売をしております。彼等はいろんな立派な文献を残しております。ひとつの例としては、中東の男たちはこういう白い服を上から巻いてベールのように被っております。女性も下まで長い白いガウンのようなものを着ておりますね。あれ、カンドーラというんですが――私ども日本人は、陰口で「オバQ」だなんて言っておるんですが――あれは、実はほとんどが明治時代に、大阪の船場でできたんです。船場でできて、それを神戸にいるインド人の貿易業者が中東まで輸出していたと……。だから、ずいぶんそういう繋がりはあるわけです。

それから、彼等は「巡礼ハッジ」をします。巡礼というのは、イスラム教徒にとって非常に重要な行事ですが、ちょうど、つい2、3日前に今年の巡礼月が終わりました。今年のメッカ巡礼は184万人だったそうです。184万人もの大勢の人々が小さなメッカの街に行きますと、もう大混乱です。だいたい街の周りにテントを張って、巡礼者を泊めるんですが、そこで、自炊をしたりしますので、いつも火事が起きる。そこで、サウジアラビア当局に頼まれて、日本の大阪にあるテントの専門会社が、不燃性のテントを造って輸出している。したがって、今は巡礼の時にメッカで一切火事がなくなったというようなこともありますし、大阪・神戸というのは、意外とイスラム・中東地域に近く、日本の中では、一番接点になっていたということが言えると思います。

しかし、まだまだわれわれのイスラム理解というのは、非常に薄いものでございまして、今後、日本のいろんなレベルで彼等と接触を強めてゆかねばならないと思います。外務省自身もイスラム・中東地域との連携を強めるというのを外交政策の柱のひとつにしております。ですから、皆さまも、最初からイスラム教徒というと、一夫多妻だとか、女性が虐げられているとか、バグダッドの盗賊のような顔をしているとか、それから、ハーレムだとか、なんだかネガティブなマイナスなイメージを抱きがちですが、それは大きな間違いで、その10億人の人たちは、本当に敬虔なたいへん信心深い人たちです。

彼等は基本的に来世信仰なんですね。現世のご利益は求めないんです。キリスト教とユダヤ教と根っこが同じですので、「いつか終末の日が来て、アラー(神)が自分を天国に連れて行ってくれる」と……。そのために1日5回拝む。それだけなんです。それで、本当に高速道路の脇でもですね、1日5回のその時間がきますと、パッと自動車を止めて――全員ではありませんけども――メッカの方を向いて礼拝をしているという人たちです。その他にも、ラマダンといって、断食を実施したり、ザカートといって貧しい人々に喜捨をしたりしてですね、最後はメッカに巡礼をするということですが、われわれとは生活のあり様がかなり異なりますが、異質な物に対する嫌悪感というのは一番いけないことで、まず、知り合うことということが、大事なことではないかと思います。

最後になりますが、そういう意味で、今日私がお持ちした2つの資料をぜひお読みになってください。これは、宗教会議というのを開きまして、今日の集会と同じですが、キリスト教はカトリックとプロテスタント、それからギリシャ正教、イスラム教のシーア派とスンニ派、それから神道等を集めた宗教者会議と、専門家の会議を開いて、そこで、その宗派を乗り超えた倫理基準、世界の平和のための基準があるはずだということで、議論した結果がこれです。プロセスというか、なぜそういうことになったのかということも、克明に書いてありますので、ぜひ皆さまの問題意識に合致すると思います。

それで、その最後にできたのがこの『人間の責任宣言』。つまり、人間は義務だけでない。これまで世界は『人権宣言』とかなんとかいって、「こうあるべきだ。あるべきだ」という、義務ばかりをやっていたんですが、「本当はそれを裏づけるものは責任感だ。義務を果たさなければ世界は安定しない」というそういう問題意識でできたのが『人間の責任に関する世界宣言』というものでございます。いろいろ、必ずや得るところがあると思います。ご参考にしていただければ幸いかと思います。

それでは、時間が足りなくて、残念だったんですが、とりあえず私の話は終わりたいと思います。後ほどまた、質問やご意見をいただけたら幸いです。どうもありがとうございました。


<質疑応答>

■三宅善信
 それでは、ただ今から質疑応答に入らせていただきます。先ほどは望月大使から、非常に有意義なお話をお聞かせいただきました。また、現在の世界の諸問題の背景にある構造的な問題について教えていただきました。私のほうから、最初に2点ほど質問をさせていただきたいと思います。

 先生のお話の後段の部分で「4つの提案」ということをなさいましたが、そのうちのひとつ「テロの温床をなくす」ということについてお尋ねしたいと思います。近代化とか民主化とかいうことが成熟していない社会――もちろん、これは欧米的観点から見て成熟していないという意味ですけど――において、本当にそのこと(近代化と民主化)が彼らにとって良いことなのかという根本的な問題があります。

 今から30年くらい前になるかと思うんですけども、豊かな石油資源に恵まれたイランのパーレビ王朝が、近代化というものを進めた――これは、経済的な意味での近代化をアメリカ資本と組んでしたという意味ですけども――その時に、経済の資本主義化というものを進めたんですけども、同時に政治体制の民主化というものが、当時、十分行われなかった。皇帝による専制体制のままであったということが、結局、後になって1979年のホメイニ革命という形で政権がひっくり返るわけですけども、そういうことから見ますと、現在のサウジアラビアをはじめとする湾岸諸国は、石油によって経済的には豊かかもしれませんが、いずれも民主主義という政治体制からはほど遠い……。

 しかも、宗教的には、例えばサウジアラビアのワッハビズムのように、非常に原理主義的な宗教体制でありますから、そういう点で、現在のイスラム諸国の中で、経済的には非常に豊かであるサウジアラビアを中心とする湾岸諸国においても、実は、政治的に非常に危ういものがある。今回のテロ事件の首謀者とされているオサマ・ビンラディン氏も「サウジの大富豪の出身」ですけれども、そういう危険なことを生み出す可能性をこの地域の国々は、構造的に持っているのではないかというのが、1つ目の質問でございます。

 2つ目の質問は、ご講演の前段の部分の、現在の世界の「求心力としてのボーダレス化・グローバル化、遠心力としての分権化・民族対立」という話についてです。大使のお話では、「このまま(各地の民族独立運動を)放っておくと、あと10年で世界には、600ものNation State(国民国家)ができてしまう」ということで、まあ、実際にそうなるかどうかは別としまして、そういう予測・可能性があるということをおっしゃいました。

 しかし、その一方で、現在、全世界に約6,000の言語があるといわれていますけれども、こちらのほうは、急速に少数民族の言語が消滅して、「あと100年で人類の言語は300言語に集約される」という説も出ております。日本語と先祖を共にする(ツングース語系の)シベリアにいる少数民族の言語などは、急速に失われていると思いますし、また、中国の少数民族の問題……。例えば満州語は、今から100年前の中国は清朝だったので、北京の公用語は満州語だったんですけども、現在、満州語を話せる人は100人程しかいないというような事態になっています。

 これは、インターネットの普及とかグローバル化とか、あるいは英語のドミナントな(支配的な)言語としての支配ということとも関係するのだと思います。一方で、民族というものは、どんどん際限なく細分化されてゆき、この10年間にユーゴスラビアで起きたようなこと(註:ボスニア紛争やコソボ紛争)が、世界の各地で起きていったとして、独立国が増えるということと、にもかかわらず、そこで話される言語の数が非常に少なくなって、ある特定の言語――英語の場合が多いでしょうけども――が支配していくということとの関係はどのようにお考えか、ということの2つの点についてお聞かせいただきたいと思います。


■ 望月大使
 最初のご質問、すなわち「テロを生み出す背景、原因は、まだまだいろいろ中東にありうるんじゃないか?」ということですが、今の体制を見ると、私も先ほど申し上げたとおり、まったくそのような状況が現実に存在すると思います。というのは、いろんな理由がありますが、今、三宅さんがおっしゃったとおり、まず第一に、アラビア周辺の湾岸諸国は政治的に完全に民主化されていません。王政ないし首長という、エミールとかスルタンとかキングとか、そういういろんな称号を持っているごく一部の支配階層が、国民を支配している。

 それから、豊かな石油・天然ガス――因みに、日本はこの地域に日本の輸入原油の9割近く、89パーセントを依存しているわけです。極めて日本の首根っこを押さえられているといってもいいほど大事な地域なんですが――そこから上がる収益も、ほとんど一部の王族とか実力者に行ってしまう。まあ、彼らは彼らで「富は一般国民に分け与えている」と思っているでしょうが……。これはイスラム教が「やるべし」と言っている「ザカート」という喜捨を行っているということです。喜捨ですから、「喜んで捨てる」という、そういうイスラム教の根本の教えのひとつなんです。それに基づいて、石油収入も国民に分け与えているんだと……。そうは言っているんですが、現実は必ずしも平等ではないというところに、(テロの温床となる)ひとつ大きな問題があります。

 それから、言論の自由もないし、現に議会とか選挙権とかもない国がかなり多いと思います。仮に議会があっても、女性の選挙権がまだないというところもありますし、そこら辺を早く民主化して、その民主主義のバネというものを使って、社会を強いものにしていかないと、必ず落ちこぼれ的な狂った奴が出てくると、それがテロリストのもとになるということは間違いないと思います。

 そういう意味で、彼ら(中東イスラム諸国の政治的指導者)自身の努力がもちろん必要とされますし、また、最近よく専門家が言っておりますのは、「イスラム教の権威者たちがそういう努力をすべきだ」と……。つまり、イスラム教というのは――日本も昔はそういう時代がありましたけども、仏教や神道が政治的権威と結びついている例が非常に多いわけです――ほとんどのイスラム教国が、祭政一致なわけです。トルコとかインドネシアは、かなり世俗主義といいまして、政治と宗教が分かれていますけども、中枢部分であるアラビアの辺はまったく祭政一致でして、そうなりますと、それを乗り越えてイスラムの宗教指導者たちが、もっとものを言わなきゃだめじゃないかと……。そういう気が、特にテロの問題に対してはいたします。「テロリストの主張は、イスラム教の教えではない」ということをはっきり言わなければいけないという気がします。

 実は、イスラム教というのは、お坊さん(プロの聖職者)というのがいないんですよね。ご承知と思いますけども……。私は外務省に入ってから、イスラム関係の担当は何回かしたことがあります。イラン・イラク戦争とか、アフガン問題とか担当したことがあって、イスラムとは割と深い付合いなんですが、例えばモスク(イスラム寺院)に行きますと、宗教施設というものは、たいてい祭壇とかなんかあるものですが、例えばキリスト教会に行きますと、正面に祭壇とかサンクチュアリとかマリア様やキリスト様がいる。もちろん、日本の神社やお寺でも何か祀ってあるところがありますね。しかし、モスクというのは、本当にガラン堂で何にもないんですよね。「お祈りする体育館」みたいな感じですね。お坊さんもいないんです。

 ただイスラムの教えコーランを解釈して皆に伝えるという――法学者と呼ばれているんですが――コーランに人間の規範が出てくるわけですが、それを解釈して人に教えるそういう学者がいるというだけです。まあ、彼らの間にはいろんな問題があって、必ずしもイスラム教の内部も、単純ではないんですが、それは、先ほど申し上げたように、イスラム教が政治権力とまた結びついていることもありますので、サウジアラビアの場合などは、王政を維持することと、イスラム教の法学者とうまくやっていくということがなかなか微妙なんですね。ある程度イスラムの過激な人たちの考えにも目を瞑(つぶ)ると……。そうしないと、イランのように「王政という体制を打倒しよう」というところまで来る恐れがある。というところに、またサウジアラビアなどと、イスラム過激派原理主義者との繋がりが出てくる背景がひとつあるんです。なかなか難しいんですが、この種の話は「難しい、難しい」と言っていては進まない話なので、皆で声を上げて議論するというところが大事ではないかと思います。

 2つ目は「分権化」の絡みで、言語の話ですが、ユネスコが今、一種の無形文化財というアプローチで、「世界の少数言語を保護しよう」という運動をやっております。これは、いわゆる「世界の文化遺産」という概念で考えたらいいかと思うんですが、姫路城だけが文化遺産、京都だけが文化遺産ではなくて、「無形の言語という遺産も保護しよう」ということで、ユネスコの松浦事務局長以下が、懸命にやっておりますけども、やはり、対策としてはお金がいるでしょうね。文化というのは――私も外務省に入って文化関係の担当をしたこともあるんですが――文化はお金がないと何もできないという、そういう現実がありますので、やはり、予算の配分をできるだけ合理的にして、そのような保護の分野でお金を使って、専門家を育て、投資すること。それから同時に大事なのは、NGO(民間団体)の働きだと思いますね。NGOの方たちが、これはもう献身的な……、お金ではなくて――もちろん適当な財政的支援は必要だと思いますが――それだけではない熱意と献身的な努力で、そのような「少数言語を守る」という、そういう努力が併せて必要ではないかと思います。


■ 三宅善信
 ありがとうございます。モデレータの特権で先に自分が質問をしました。今のお答えにひとつ関連しまして、皆さんご承知かと思いますが、大阪国際宗教同志会では、社会主義政権の崩壊と市場経済化の後、国内が混乱して、貴重な仏教の経典が散逸いたしておりました「モンゴルの仏教経典を保存する」ということで、多少でございますけどもお金を出させていただきまして、今宮戎神社の津江先生とご一緒に行かせていただいて、贈呈式をさせていただいたことがあります。そういうことで、少しですけども、私ども国際宗教同志会も少数言語の保存に役立っているということをご報告いたしておきます。

■ 葛葉睦山
 本日はどうもありがとうございました。大変奥深いお話でございました。素朴なことなんですが、私は仏教徒(臨済宗)でありますが、いろんな方とお話しますと、「宗教というのは個人個人の幸せ、平穏な生活、そういうのが保証されるためにあるんだろう。そのために信仰するんだろう。にも関わらず、宗教に関わるジェノサイド(大量虐殺)の問題にいたしましても、殺戮・戦争、そういったことが宗教が原因になって行われている。いったいどういうことなんだ?」という疑問が絶えず出るわけですね。

 そういう中で、今、資料として頂きました、特に『人間の責任に関する世界宣言』というところの8ページでありますが、一番下のところに「われわれは思想・良心・信仰の自由の権利があるとすれば、当然、それは他者の思想や原則を尊重する義務がある」んだと、これは先ほども権利と義務ということで触れてお説きになられたのでありますが、もちろん、そのとおりなのですが、実際にはなかなかそうはいかないというところがありますね。そこで、私どもは、宗教に関係した者であるわけですが、及ばずながら、そういった意味の宗教というものをどういうふうに考え、しかも、敷衍(ふえん)していったらいいのかということを大使のお立場からちょっとご助言いただければ有難いと思うわけであります。

■ 望月大使
 難しいご質問で、私のようなものにはなかなか答えにくい点なんですが、最近の日本や世界の情勢を見ておりますと、やはりおっしゃっているとおり、「個人をどのように導くか?」ということが一番の根っこというか、土台ではないかと思います。そのためには、まず教育だと思います。教育というのは、まさに今日お渡しした資料に書いてあります。今の日本の状況ひとつ例にとって見てみましても、新しい教育指導要領ができるようですけども、それが本当に良いことなのかどうか? ただ、教育の内容が学校だけに頼っているというのが、残念ながら、今、日本の大きな流れだと思いますが、私はそれは、基本的に間違いだと思うのです。やはり、家庭ですね。親が自分の子供に道徳を教えることなしに、何ができるのか? それと、もうひとつは、親の気持ちを支えている信心とか宗教。それらが一体だと思いますが……。そこにいろんな問題が帰するのではないかと思います。

 この「権利の裏には義務がある」ということですが、確かおっしゃった通り、義務といわれても、それを実行に移すのはなかなか難しいのですが、そういうふうに物事はやらなきゃいけないんだよということを、もう「三つ子の魂」ではないですが、小さなうちからやるということです。今の日本の最大の悪い点は、それがなくなっているから、社会が乱れているんだと思いますね。

 東京の東村山市の事件を聞いて、私は非常に怒り狂ったんですが、ホームレスの人を小学校の塾の帰りの子供たちが、気に食わないからといって殴り殺したと……。もっとけしからんのは、その後の記者会見で、学校の校長先生と教育委員会の先生が、テーブルの前でこういうふう(頭を下げて)に謝っているわけですね。「申し訳ありません」と……。その様子が、新聞やテレビで大きく出てるんです。とんでもないことですよ。その子供の親父とお袋を連れて来て、謝らせるべきなんです。

 学校じゃないんですよ。学校も大事ですけど……。私は本当にそう思います。私はそういう問題をいつも外務省員と論じているんですが、賛同してくれる人も多いんですけどもね。でも、日本の中でそういう力点の置き所がかなり狂っているんじゃないかと、そういう気がいたします。したがって、社会のもとにあるのが個人。それをどうやって導くか……。そこにまた宗教教育の問題があるわけですが、もうひとつ、宗教の働きうる余地があるという感じがいたします。


■ 三宅善信
 先生ありがとうございました。本当に時間があればもっともっとお聞きしたいのですが、時間の関係でここまでにしたいと思います。外務官僚の先生が、実は私ども宗教家と非常に近い感性を持って、世界のことを思っておられるということを聴かせていただいて、私どもも本当に安心した次第でございます。先生どうもありがとうございました。

■ 望月大使 
  今日は、時間の関係で言い足りなかったこともたくさんありますし、差し上げた資料のお話もできませんでしたので、いつでもよろしいですので、私の日程が合う限り、またいろんな集会等、皆さまが機会があると思いますので、是非、呼んでくだされば喜んでまいりますので、どうぞ連絡してください。
                                      (文責編集部)

戻る