大阪国際宗教同志会 平成17年度 総会 パネルディスカッション
『水・森・いのち』発題


          パネリストの面々

5月23日、「愛・地球博」長久手会場の「地球市民村」において、大阪国際宗教同志会(三宅龍雄理事長)の平成十七年度総会が神仏基新宗教各派の宗教者が出席して開催され、60名以上が参加する盛況であった。本誌では、田中利典金峯山修験本宗宗務総長の基調講演に続いて、3名のパネリストの発題を紹介する。


カレン・ブライアン 先生
名古屋工業大学 情報工学研究科 助教授
カレン・ブライアン

みなさん、こんにちは。アイルランド出身のカレン・ブライアンです。1991年に、最初は1年間の滞在のつもりで日本へやってきましたが、1年が2年となり、3年となり……。そんなこんなで日本に来てもう14年が経ちました。月日が経つのは本当に早いです。

本日、私も発題者のひとりに加えていただきましたが、私の解釈が他の先生方と違うようでしたら、お許し下さい。本日のシンポジウムのテーマは『水・森・いのち』ですが、私の祖国アイルランドも本当に美しい国です。私が生まれ育った町は、当時で人口が3,000人。今はその3倍程度になっていますが、だいたい日本の中規模の町に相当します。町そのものは小さいんですが、600人は収容できるカトリックの大きな教会がありました。私は毎日曜日、その教会に足を運びましたが、いつも満席でした。

さきほど田中利典先生がおっしゃったように、キリスト教においては「神は上(天上)」にいますね。教会堂に入った真正面には、十字架にかけられた大きなキリストの像がありましたが、幼な心にそれがとても怖かったのを覚えています。そのオドロオドロしい印象が、「悪いことをしてはいけない」という気持ちを私に与えていたように思います。

この像の左右には、2つのボックス(小部屋)が備え付けられているのですが、小さい時、私はそれをエレベータだと思っていました。そして、「人間は、死んだらこのエレベータに乗り、善い行いをした人は天国に行き、逆に、悪い行いをした人は地獄に行くのだ」と思っていました。12歳ぐらいになってからやっと、それが人々が神父さんに対して自分の犯した罪を告白する「コンフェッション・ボックス(懺悔(ざんげ)室)」だと判りました(会場笑い)。

幼い頃の思い出で、こんな記憶も残っています。私のアイルランドの実家の隣は女子修道院で、毎週火曜日は、そこの尼さん(シスター)にピアノを教えてもらうために通っていたのですが、実はここも「怖い場所」のひとつでした。何しろ、薄暗くて静寂で、あまりに怖かったので、ピアノが大嫌い(註:ブライアン博士はミュージシャンでもある)になったほどです(会場笑い)。

けれども、私にとって、毎週教会に行くのはごく自然な行為だったと言えます。むしろ、教会に行かない人のほうがあまりいなかったように思います。教会に通う人皆全てが真面目な信仰者とは限りませんが、何しろ狭いコミュニティーですから、お互いをよく知っている反面、教会に行かない人を訝(いぶか)しげな目で見るところがありましたね。当時は、まだまだ教会の勢力が強い時でもありました。今はそういう訳にはいかないようですが……。

というのも、去年、私は久しぶりにアイルランドに帰国したんですが、その時、日曜礼拝に足を運んだところ、会衆は100人程度しか来ておらず、「私が子供だった頃から比べると、参拝者数がずいぶん減ったな」という印象を受けました。もちろん、それは教会だけの責任ではなく、社会全体の変化も反映していると思います。

私が子供の頃のアイルランドの教会はとても厳しく、当時はまだ「(カトリック教会が禁じる)離婚」は、国家の法においても禁じられていました。これは、1995年に法的に解禁されましたが……。妊娠中絶にしても長年禁じられてきましたが、1996年に合法化されました。海外に行っての中絶手術すら最近まで禁止されていました。もちろん、避妊具や避妊薬も駄目でしたが、これも近年解禁になったようです。こういった社会変化は、人々に多くの自由な選択権を与えましたが、反して、教会の力が弱まった事実は否めません。

私は日本に来てすぐの頃、堺にある教会が主催している日本語センターに通ったのですが、一緒に学んでいる人はフィリピン人が多かったですね。神父さんはオーストリア人の方でしたが、とても気さくで冗談好きな、感じの良い方でした。

私は音楽もやるのですが、そこへ行って本当に驚いたことがあります。と申しますのは、この教会の音楽はそのフィリピン人の方たちがやっていまして、神父さんが説教をする時など、話が興味深い時は皆真剣に聴くのですが、そうでない時は聞く態度もそれなり……。皆、着席して、神父の説教を唯々諾々と聴いている訳ではないんです。そして、ミサの終了後は必ず毎週日曜日、信者の誰かの誕生日や何かの記念日を祝うといった調子で、何かしら企画をしてパーティを開いていました。そんな活気のあるコミュニティーに、私は教会本来の役割を垣間見たような気がしました。宗教は、人々の人生やいのちを豊かにするためにあるのだと思えば、私が子供の頃に体験した「怖い教会」よりも、私はこういったコミュニティーを支える「温かい教会」に惹(ひ)かれます。
去年の夏にアイルランドを訪れた時、教会が率先して無農薬栽培の農業に取り組んでおられました。社会の構造の急激な変化によって、教会にはかつてのような「権威」はなくなり、人々から単純には尊敬されないようになりましたが、その一方で、このような活動を積極的に推進することによって、現在はアイルランドの環境保護運動をリードするといった面目を施していますね。今後、キリスト教会はさらにその方向に力を注いでゆくことが大切なのではないでしょうか。私の発表はこれで以上です。ご清聴有り難うございました。


宇都宮精秀 先生
岐阜県神社庁 庁長・美濃国一宮 南宮大社 宮司
宇都宮 精秀

宇都宮でございます。本日は『水・森・いのち』がテーマだと伺いましたが、なかなか大変です。こういったテーマは、どちらかと言いますと、三輪隆裕先生や三宅善信先生がお得意かと思いますが、いかんせん、ご両名とも主催者(「愛・地球博」出展委員会)側でございますから無理ですね。「それならば、(猿田彦神社宮司の)宇治土公貞明先生あたりに出ていただくのが筋ではないですか?」と申し上げましたら、「彼は忙しい」と言われてしまいまして……。私も忙しいんですがね(会場笑い)。まあ、お誘いも受けたことですし、せっかくの機会ですから、発表させていただこうと思います。しかし、未だ力不足な私の発表のこと、これだけを聴いて「日本の神道とはこんなものか」とどうか早合点なさらないでいただきたい。

「本日は何の話をしようか?」と逡巡したところ、5月4日・5日に南宮大社で行われます「お田植え神事」が、本日のテーマである『水・森・いのち』に関わっており、なおかつ神道への信仰が形になったものではないかと思い、選ばせていただきました。今、お手元にお配りしたパンフレットが、そのお田植え神事の案内になります。

岐阜県の西端に関ヶ原があることは、皆様も周知のことと思いますが、この一帯を含むのが不破郡です。不破郡には、美濃国の古墳群や国分寺などの古代史跡、そして美濃国一宮の南宮大社などがございます。海抜400メーターぐらいの南宮山という山がありますが、南宮大社はその麓に位置し、山頂には奥宮がございます。本社のご祭神は金山彦命(かなやまひこのみこと)で、先ほど基調講演をなさった田中先生の金峯山寺がある吉野山の総地主の神でもある神様です。奥宮は高山神社と申しまして、「山の神」ですから、木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)をお祀りしていますが、それはどなたでも納得がいくと思います。

その高山神社と並んで、子安神社がございます。これは「龍神」を祀る水分(みくまり)神社と同じで、分水嶺があるんです。「語呂合わせ」という訳ではないんですが、この「水分(みくまり)」が「身籠(みご)もり」→「子守(こもり)」と変化しまして、「子供の神様」になったんです。このお社の前がだいたい分水嶺になるんですが、ここでは、それが御前谷川という名の川に変わり、麓まで流れ着いた所が神田代(みたしろ)神社でございます。ここには「神田」がございまして、実際に「お田植え神事」を行います。もう現在はあまり残っていませんが、『(延喜式)神名帳』という平安時代に編纂された(全国の主な神社の)リストがございますが、美濃国の項目に、ちゃんと神田代神社の名前が残っています。ここは可児(かに)明神という子供の神様です。

この「お田植え神事」という行事は、まだ幼くて純粋な3歳?7歳の「稚児」もしくは「早乙女」に神様のエネルギーを移して田植えを行うのですが、実際に田圃でする場合もあれば、松葉を用いて模擬的に田植えの動作を行う「庭田植え」というのもございます。いずれにせよ、田植えをする仕草をして、その年の豊作を祝う神事です。昔の人は、「五風十雨で稲が実る」と言ったり、「稲光が光るエネルギーで稲が実る」などいろいろ言っていますが、最後は神様のエネルギーで以てして「稲が実る」と信じられていました。

同じような例でもっと知られたものですと、祇園祭の山鉾巡行の稚児も、同じ信仰から来ています。この時、稚児は肩に担いで運ぶのですが、これは「子供が幼くて歩けないから」ではなく、「その稚児に神様が宿っている」から、直接地べたを歩かせないんですね。他にもいろいろありますが、日本では「神は稚児に宿る」という伝説が神事などにその形を留めています。私の発表はこれで以上です。有り難うございました。


村山廣甫 先生

曹洞宗大阪宗務所長 萩の寺 東光院 住職   
村山廣甫

どうぞよろしくお願いいたします。実は、今回のシンポジウムのテーマ『水・森・いのち』というのは、本当に私の坊さんになったときからの命題でした。と申しますのは、私の住んでおります豊中の曽根という地は、昔、北大路魯山人が彼の美意識に徹した料理と環境を実現した『星ヶ丘茶寮』という日本有数の料亭があった場所なんです。豊かな自然に恵まれたこの地を、魯山人はとても愛しましてね。しかし、皆さん。今、萩の寺にお出でになっても、その面影はまったくございません。私はその面影が壊されるその時に萩の寺に(後継者として)参りました。ですので、「なんとかこの萩の寺の環境を守ってゆこう」として36年間やってまいりました。

何故、この寺の萩を守ろうとしたのか? と申しますと、ちょうど私がこの寺に来た時に、檀家の方々から「実は、戦時中に(食糧増産のため)『芋畑にせよ』と言われても、なんとか頑張って古(いにしえ)からこの寺で守られてきた萩を咲かせてまいりました。そのため、当時のご住職が飢え死にしたんです」と伺ったからです。その頃、私は母と京都に疎開しておりましたが、芋畑も作ったし、麦も、トマトやキュウリ、胡麻やサヤエンドウも作ったのを覚えております。ですから、あのご時世に芋畑にせず何の腹の足しにもならない「萩の花を咲かせていた」というのですから、「これはドン・キホーテ以上だな」と思いました。何故そこまでして必死に守ったかと言いますと、「これはただの萩の花ではなく、このお寺の開山である行基菩薩(註:奈良時代の名僧。貧民救済や灌漑(かんがい)事業で手腕を発揮。朝廷からの依頼を受けて、東大寺建立にも協力)の願いの籠もった本尊様そのものである」と、萩を世話してきた歴代の和尚様のこころだからなんですね。

大阪で万博の開催された昭和45年当時、萩の寺は屋根も落ち、畳(表)を換えようにも、畳屋が引き取ってくれないほど、畳(床)も腐っていました。そのような状態の中、1年の間に台風が4度ぐらい来ましたが、私はずぶ濡れになりながら杭を打って、今の萩を守ってきました。そうこうしているうちに、近所の方がぼちぼちと助けに来てくれるようになりました。そうして残ったのが今の萩なんです。その頃は、座禅をしようにも、それをできる場所すらなかったので、中山寺(真言宗中山寺派大本山)の総持院を借りてやっていました。そのことを聞いた様々な方が現場にお出でになったことがきっかけとなり、テレビで紹介されるようになりました。私は、大阪の天王寺区にある大きな寺の長男として生まれ育ちましたが、後に萩の寺に入ります。その寺の畳は腐り、萩は放ったらかし。本堂の中では土足で盆踊りの稽古をしている……。その様子を見て、私は「日本はこんなことで良いのだろうか?」そして「日本の宗教界はこのままで良いのだろうか?」と義憤に駆られます。

それから、今も「ここに萩が在る」という事実が、私にいったい何を求めているのか? と考え始めますと、少しずつ判ってきたんです。萩は決してものを言いません。水が切れたから「喉が渇いた」とも、カミキリ虫が来たからとて「痛い」とも言いません。変な輩(やから)が来たからとて、自らの根っこを引っこ抜いて走って逃げる訳にもいきません。植物なんだから当たり前だと思われるかもしれません。けれど、その植物ですら、太陽の光と大地の水と、そしてわれわれの愛の心がなければ、今日まで続いては来なかったのです。これを私は「仏の間垣」と考えております。そのようなことをずっと訴え続けてきた結果、平成元年に、わが宗門(曹洞宗)が取り上げてくれたのが、この『グリーン・プラン』という、今日皆様にご紹介するものです。


大勢の人がシンポジウムに耳を傾けた

皆様のお手元にご用意したものは、グリーン・プランの概略を記した『生命と環境の調和を目指して』という資料が1部。その中で取り上げられている最初の歌二首が、永平寺を開かれましたわが宗門の創始者である道元禅師の歌でございます。二首目の日本の四季を歌った「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり」は、大阪の茨木市出身の作家、川端康成さんもスウェーデンで行われたノーベル文学賞受賞記念講演『美しい日本の心』の冒頭で引用された根本の歌ですね。

それから、この宗派には、手鞠をついた良寛(註:江戸時代の僧・歌人)さんの歌が残っているのですが、それが残るもう一首「やまかげの 岩間をつたう 苔水の かすかに我は すみわたるかも」です。ここには良寛さんの自然観が投影されていますね。それから、2番目の資料が、公募された800曲の中から選ばれたテーマソングで、中にCDが入っています。3分ほどですので、今日のお話の最後に皆様に聞いていただこうと思います。この「グリーン・プラン」に、何故テーマソングがあるかというと、われわれは「緑を守る」という行為を行動規範ではなく、信仰規範として考えているからなんです。

そういうことを広く知っていただくために、先ほど三宅善信先生からご紹介があったように、わが宗門の末寺は全国津々浦々に1万5000カ寺ありますが、その中の重点地区にある各寺の全てに百葉箱を設置し、酸性雨の測定を5年間実施しました。今年からは、新たにより高性能の機械を設置しまして、今後10年間測定する予定をしております。この『第一次酸性雨総括報告書』の中には、恐ろしいことが一杯書いてありますが、恐ろしいからといって失望する必要はありません。

お釈迦様は「人間は動物と違うところが二つある」と経典の中でおっしゃってます。人間は自己破壊(自殺)をする。犬や猫は自殺しない。そして、自殺するものが外へ向かうと、戦争になる訳です。しかし、昔は自殺をしても、戦争をしても、死者の復活儀礼を行う宗教性があったんです。しかし、現代は、戦争にしろ、自殺にせよ、宗教性がないんです。イラク戦争やアフガニスタンの戦争にしてもそうです。死んだ人の映像が何処に出てきますか? 

もうひとつは、「人間とは自然を改変する唯一の動物である」ということです。まず、人間は食糧増産のために自然界を変えましたが、そこまでは許せたんです。ところが、「食料が欲しい」という目的の先に、どんどん欲望が湧いてきたんです。その欲の行き着いた場所が生命操作です。成長した羊の乳腺から取り出した細胞から生まれた「クローン羊」のドリーは、元の羊と全く同じ遺伝子を持った個体として生まれました。この行為は、今のところ「倫理に反する」と言われてますが、臓器移植問題(註:クローン技術を用いて拒絶反応が出ない自らの臓器を予め用意しておくこと)ができてきた今、認められつつあります。しかし、これがどういう結果を引き起こすのか、われわれはよく考えなければなりません。仮にこのまま進むと、「ライオンの染色体と、トラの染色体と、ヘビの染色体と、カエルの染色体を入れて、ヒトを作ってみたら、果たしてできあがったそれは人間だろうか?」という時代にまもなく突入するでしょう……。

これを仏教では「少欲知足」といって戒めております。少欲とは「欲望とは、ある時点で絶対理性で抑えなければならないもの」だ。しかし、人間は、地球に自然を求め、なおかつ自然に依拠しなければ生きられない存在なので、その分、われわれは自然に対して「お返し」をすることを考えなければならない。さもないと、われわれはただの寄生虫です。「片利共生(へんりきょうせい)」といって、貰うばかりではスネを齧られる親もかなわないでしょう? 親は、たとえ一本の花でも、誕生日に「おめでとうございます」と子供から贈られると嬉しいですが、「(親元に)来たかと思えば、小遣いばかりねだる子供」では、親もかないません。そのような意味において、われわれは地球に対して感謝の言葉、そして、われわれに対する戒めの言葉が必要なのではないでしょうか。
そこで「皆、もう欲望のままに生きることは止めましょう」と難しいことから始めたのが、京都の水会議(註:1996年、関係機関に政策提言を行うことを目的に水に関する国際政策のシンクタンクとして、ユネスコや世界銀行などが中心となって、WWC世界水会議が設立された。また、2003年3月には、第3回世界水フォーラムが京都・大阪・滋賀を結んで開催された)や、アマゾンの森林の会議(註:1992年リオ・デ・ジャネイロで開催された「地球サミット(環境と開発に関する国連会議)」)でした。しかし、いくら国同士が話し合っても結論は出ないんです。そこで日本政府は「仕方がないから、適当にやりましょう。発展途上国には1兆円出しましょう」と言っていますが、そんなことでは絶対駄目なので、「小さなところから始めましょう」という提案が、このグリーン・プランの冊子の最後に書かれている10項目です。

このようないろいろな活動を通して、われわれは地球に恩返しができます。最後に今日お話ししたことを思い浮かべながら、このグリーン・プランのテーマソングの2番目の曲を聞いていただくことで、私のご挨拶とさせていただきます。有り難うございました。          


5月23日、「愛・地球博」長久手会場の「地球市民村」において、大阪国際宗教同志会(三宅龍雄理事長)の平成17年度の総会が神仏基新宗教各派の宗教者が出席して開催され、60名以上が参加する盛況であった。本誌では、田中利典金峯山修験本宗宗務総長の基調講演に続き、3名のパネリストの方々から発題を掲載したが、今月はそれぞれの発題を受けたパネルディスカッションを紹介する。


パネリストの面々

三宅善信: では、ここで村山先生にご質問をさせていただこうと思います。まず、禅宗、とりわけ曹洞宗は、「只管打座(しかんだざ)」すなわち「ただ座る(座禅する)だけ」の宗教とわれわれは思いがちですが、実は、日本一末寺の多い宗派である曹洞宗が全国の末寺15,000カ寺に百葉箱を置いて、毎月酸性雨を観測し、自然保護にも積極的に関わっておられます。これは気象庁のアメダス(AMeDAS=地域気象観測システム)が観測データを収集する1300カ所よりもはるかに多い数字ですから、データもより正確なものになります。この曹洞宗として、環境問題に深くコミットするようになったきっかけや理由は何処にあるのでしょうか?  


村山廣甫: お釈迦様の教えというものは、「釈迦教」ではなくて、「仏陀(目覚めたもの)の教え」であります。現在、105歳になられた永平寺貫首・不老閣猊下(げいか)宮崎奕保(えきほ)ご禅師がよくおっしゃる言葉に、「『仏』というのは仮の名前だ」というのがあります。「天地宇宙の絶対的真理を、仮に「仏」と名付けている。したがって、仏教は天地宇宙の真理に従った教化をしなければならない。その教化の状態が法である」と……。

宗門として直接申し上げますと、「町田発言(註:1979年に米国プリンストンで開催された第3回世界宗教者平和会議で、当時の宗務総長が差別問題について不適切な発言をしたことが波紋を呼んだ)」というのがございましたが、こう言うと語弊があるかもしれませんが、この出来事が契機となって、宗門として「人権」に対して目覚め、現在の取り組みが始まったと言えます。現在は「人権・平和・環境」を教化の基本方針においておりますが、これらの活動の先に辿り着いた考えが「仏法僧の三宝がこの世で最も尊いものである」というものであります。

「仏」とは、われわれが思っていた観念よりももっと広いものでして、もしかすると、神様も仏様もキリスト様もすべてを包含した存在かもしれません。私も最近になってようやく解ってきたのですが、それこそが「只管打座」です。例えば、ブッシュ氏とフセイン氏が椅子に腰掛け、あるいは立ったまま話をしていたらすぐに殴り合いの喧嘩になってしまうでしょうが、これが畳の上で正座したままでしたら、仮に殴り合ったとしても大事には至らないでしょう? 互いに一触即発の状況ならば「まあとにかく座れや」というのが「只管打座」です。ですから「座る文化」というのは非常に貴重な一面を持っているのです。日々修行を積んでいるはずの僧侶でさえ、役目柄、喧嘩になりかける方もございます。そんな時も「まあとにかく座れ。それから話を聞こう」となる訳です。

私は禅宗と同じように修験道もカトリックも非常に尊敬しておりますが、われわれ(禅宗)は、「ある程度修行を積めば悟りの道が開ける」とは考えておりません。これも「只管打座」に通じる考えですが、決して刹那(せつな)主義(註:今この瞬間さえ幸せであれば、将来のことは憂わないという生き方)というのではなく、「今、ここに生き、仏の絶対的真理に見守られている自分自身が、この場で最善を尽くして生きている」と考えております。ですから、例えば直感で「このままでは地球が危ない」と感じ取った時、「それなら、こういった活動をやりましょう」といった動きが起き、大地に撒いた水が地中に染みわたるがごとく、自然と全国に拡がっていったんです。

もちろん、最初は文句を言う方もいらっしゃいましたよ。雨が降るたびに毎日、試験管に水を取って送らなきゃなりませんからね……。しかし、この地道な観測の結果が明らかになるにつれ、「これは大変なことだ」ということが判ってまいりました。この冊子を見ていただいたらお解りいただけると思いますが、現在日本に降る雨の90パーセントが酸性雨なんです。場所によっては、ストッキングが破れるほど pHの強いところもあります。われわれはそんな雨に濡れている訳ですが、「では、この3連休に森林へ散歩に行った人は?」と尋ねてみますと、東京で2・6%です。しかし、同様にドイツで「週末に黒い森(シュバルツバルト)(註:ドイツ南部に広がる針葉樹を主体とした森林地帯。鬱蒼として暗い森林を形成していることから名付けられたとされるが、1970年代に大々的な樹木の立ち枯れや衰退が観察されるようになり、ドイツ国民に大きなショックを与えた。被害の原因として、酸性雨や大気汚染が指摘されたことから環境問題の被害の象徴として国際的にも有名になった)へ行こう」という人々がどれほどいるかと言いますと、実に60パーセントもいるんですよ。

ただ『水・森・いのち』と、観念だけで言っていても駄目なんですね。実際に森に行ってみて初めて、動植物が生きている様を目の当たりにし、文化を感じ取ることができるんです。吉野でしたら、金峯山、熊野三山や那智の滝などがありますが、私は南方熊楠(註:明治・大正期から戦前にかけて活躍した博物学者で民俗学者。世界的な業績である粘菌の研究をはじめ、自然保護運動の先駆けとなる神社合祀反対運動などを起こしたことでも知られる)氏の頃から(吉野の自然に対する)考え方が変わって来たように思います。


三宅善信: 有り難うございます。日本は国土の3分の2が山林ですが、日本人に「『森林の国』というイメージを喚起する国は?」と尋ねますと、たいてい北欧のフィンランドやカナダが挙げられますが、フィンランドやカナダも国土の3分の2が森林なんですね。比率だけからいうと、確かに日本はフィンランドやカナダ並みの森林大国です。では、このように国土の大半を森林が占める国が世界にどれほどあるかと言うと、それほどありません。これだけ人口が多く、工業化が進んでいるにもかかわらず、日本には依然として森がたくさん残っています。

ところが、今、村山先生がお話の中で触れられたドイツのシュバルツバルトは平地にありますが、日本の森はことごとく山にあります。平地の森は、稲作が始まった弥生時代以来、開墾され田圃にされてきましたが、現在ではそれも道路や工場、宅地に取って代わられ、どちらにしても自然の森が残っているところなどほとんどありません。残された森といえば、神社の鎮守の杜ぐらいでしょうか。先日、熱田神宮を訪れる機会があったのですが、名古屋のど真ん中にもかかわらず、境内に樹齢1000年を超える樟が生えていましたが、これはむしろ例外でしょう。現在、日本に残されている森は、「開発するのが難しい山地が、結果として自然のままポコンと残された」と言ったほうが正しいのかもしれません。けれども、それでも「自然が残された」ということは非常に大事なことであります。昨今では花粉症など、新たな問題が生まれていますが、これは人工林として商品価値の高い杉や桧ばかりを植林したことが原因ではないか? と言われていますね。

地球観測衛星ランドサットというのがありますが、この衛星から日本の上空を撮影したものを見ますと、手つかずの自然が多く残されている場所として、熊野や大峰山、九州の英彦山、山形の羽黒山などがあります。これらの場所はすべて、修験道の聖地であったため、長年一般の人の立ち入りを制限してきたことが、意図的にやったことではなかったにせよ、結果的に日本の国の自然保護に貢献してきた訳です。街なかの鎮守の杜も同じですね。

また、日本は世界的にも降水量の多い国で、河川もたくさんあります。ところが、狭い国土に急峻な地形の島国のため、何も遮(さえぎ)るものがなければ降った雨は、1日か2日で太平洋か日本海に流れていってしまいます。しかし、先に挙げたような深い森が自然のダムの役割を果たし、水を蓄えてくれるんですね。戦後、日本はあちこちでダムを建設してきましたが、それ以前に、すでに自然の山林がダムの役割を果たしてきたことを忘れてはいけません。

それでは、先生方同士で何かご質問等ございますでしょうか? 


田中利典: 今、三宅善信先生がされたお話の続きになりますが、確かに西洋には森がたくさんありますが、あれはいったん平らに均(なら)したした上に森を造っているんです。自然の森ではないんですよ。日本は明治以降、国家神道の成立により、昔から存在した多くの神社、鎮守の杜を壊しています。その過酷な時期を経てなお残っている鎮守の杜や山林は、ずっと以前から在ったままの姿が残っているんです。こういった価値観こそ現代の世の中では非常に大切だということを、私は世界中の方に気付いて欲しいと思います。そういった意味でも、今回の世界遺産登録が、その気付きのきっかけになればと思います。また、日本人の方々には、そういった自分たちがもともと持っている自然や文化に対して、もう少し自信を持って、気付かなければならないと思います。一神教の価値観に洗脳されたまま、この先どこへ向かって行けば良いのか判らないままでいるのではなく、われわれの先祖が脈々とこの国土で営んできたものをもう一度見つめ直し、帰るべき場所を探す時に来ていると思います。

私はいわゆる「エコロジー」も怪しいと思います。何故なら、19世紀、ヨーロッパはあまりに環境破壊をし過ぎたため、「このままでは自分たちの住む場所も危うくなる」と、自然を対象物として捉え、人間中心にこの問題に歯止めをかけようとしたことが「エコロジー」の考え方のきっかけだからです。けれども、それよりもっと以前に、人間は良いものを持っていたと思います。それが古来日本にあった「森のかたち」であり、「山のかたち」ではないでしょうか。


三宅善信: 有り難うございます。日々、山で修行され、祈っておられる先生のご発言として、私も深く心に留めたいと思います。ではここで、会場にお越しの方の中から先生方への質問をお伺いしたいと思います。ご質問のある方は、どうぞ挙手をなさって下さい。


質問者A: 田中先生にお伺いしたいのですが、お話の中で無神論者について触れられたと思いますが、宗教における習慣の位置づけとは何でしょうか?


田中利典: たぶん、私が今日お話しした、日本人が「宗教」と呼んでいるものは、一神教的な宗教を指していると思います。神と人間は断絶していて、人間はすべて神に帰依しなければならず、神はすべての人間を統御する。こういう形が「宗教」だと……。「そういった形でないものは宗教ではない」という考え方が一神教的ですね。ところが、実際、習慣や習俗は宗教から切り離されたものではなくて、その中にすでに宗教性を持っていますし、それこそが古来日本人の持っていた宗教観だと思います。日本は明治以降、宗教と言えば、「一神教によく似たものが宗教であって、それ以外のものは宗教ではない」という考えを植え付けられてきたのではないか? というのが私の提言です。よろしいでしょうか?


三宅善信: 有り難うございます。先ほど田中先生もおっしゃっていましたが、日本人に「あなたは何か信仰を持っていますか?」あるいは「どこかの宗教に属していますか?」と尋ねますと、3分の2の人が「私は無宗教です」と答えます。けれども、毎年お正月の三賀日に初詣に行く人の数も、同じく全国民の3分の2なんですね。そうすると、初詣に行く人は皆、無宗教ということになってしまいます(会場笑い)。この状況をどう理解するかということです。それでは、次の方どうぞ。


質問者B: 田中先生に質問を伺いたいと思います。この度、吉野・大峯と熊野三山そして高野山が世界遺産に登録されたことは、非常に喜ばしいことだと思います。そもそもユネスコの世界遺産は、文化遺産、自然遺産ともに非常に観光産業との結びつきが強く、観光客の誘致を勧める要素が強いように思います。当初は日本の議員の認識も浅かったんでしょう。1980年の直前ぐらいに、パリから世界遺産局長が日本の国会に説得に来ておりますが、当時は、全然注目されませんでした。

ところが、バブル経済の絶頂期になってようやく日本も世界遺産の商品価値に気付き、この条約を批准。それ以降、世界遺産がブームになったと言われています。そして白神山地や屋久島がブームになり、観光地に変化してきました。ですから、日本人にとっての世界遺産は、まず観光の要素が強いと思いますが、吉野・大峯などでもそういった動きがあったのではないか? と推測するのですが、田中先生は「観光と自然保護の調和」をどのようにお考えなのか、お聞かせ願えますか?


田中利典: 少し長くなるかもしれませんが、先生のおっしゃるように、「世界遺産」とは、国連の中のユネスコ(国連教育科学文化機関)という機関が創ったもので、この条約は1972年の第17回ユネスコ総会で採択されましたが、実は日本は、先進国中では最も遅れて、この条約が発効してから20年も後になってやっと批准しました。「そんなところ(ユネスコ)に面倒を見てもらわなくても、自分たちで自国の文化財は保護できる」と考えたのでしょうが……。世界遺産はもともと、ユネスコ憲章に謳われている「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」という精神から発したものですが、そのためには、まずそれぞれの国の文化、風習の違いをよく知ることが大切です。と同時に、自国の宝物である文化を大事にしなければなりません。しかし、自分の国だけで大切にするのではなく、「今後は世界共通の宝物として保護していこう」というのがユネスコが世界遺産を提唱した経緯なんですが、現在は、その本質が忘れられつつあります。

保護・保全を謳(うた)ったユネスコの世界遺産が、こと日本においては、世界遺産公害と揶揄(やゆ)されるように、政治家や地域社会によって、観光や地域おこしのために利用されていることは否めませんし、私自身、候補に名乗りを上げた時にはそのような諫めを受けました。と申しますのも、この十数年で吉野・大峯の自然環境はものすごく壊れたんです。もともと奥駈道というのは、「靡(なびき)八丁修験のもの」と言いまして、私たちのものだったんですが、明治期の神仏分離で取り上げられ、すべて民地・官地となってしまったため、自分たちの手で護ることができないんです。

ですから、「世界遺産を通じて、環境保護・保全をしていこう」というのが本来の目的です。そうは言いましても、多少の謗(そし)りは免れられないと思いますが、一方で、これ以降周囲の方々から「こうして手を挙げた以上、あなたたち住民がこの土地のカス・トーディアン(第一の門番)になりなさい」と言われました。カス・トーディアンとは、環境を護っていく担い手であると……。ですから、私がこうやって様々な場所へ赴き、皆様にお話しするのも、カス・トーディアンのひとつのお役目だと思っております。

こういったことは誰かがしなければならないことでありますが、もう一歩踏み込んで言いますと「これは宗教者の役目であり、声を枯らしてでも、何かするべきことはあると言えるのではないだろうか?」と思っています。紀伊山地の参詣道や霊場は、馬鹿な県の役人に言わせると、宗教のことは手伝えないらしいですが、「あの地から宗教という要素を取り除いて、どこを世界遺産に指定するんだ?」と思いますね。そこに霊場があり、修験者の営みが続けられてきたからこそ、この自然が護られてきたのですから……。観光開発によって、地域が潤うことも結構なことだと思いますが、本来の目的はそれではありませんから、宗教者はそこに目を据えて役目を担っていかなければならないと思います。


三宅善信: 有り難うございます。確かに世界遺産は観光に関して問題を抱えていますが、今の田中先生のお答えは非常に解りやすかったと思います。それでは次の方、お願いいたします。


質問者C: 有り難うございます。私は村山先生にご指導を頂きたいのですが、パンフに「風呂場の湯を洗濯・掃除・水まきに利用しましょう」とありますが、実は、私が所属しています新日本宗教団体連合会も、今から11年前に環境問題に取り組み始めました。私自身、特に水問題に関心を寄せておりまして、風呂水の再利用などできることから取り組んでまいりました。しかし、どうしてもいつの間にか当初の意識が薄らいでまいりますね。時折、日々継続して環境問題に取り組むのは「祈り」よりも難しいと感ずる次第です。祈りは、毎日なんの抵抗もなく繰り返せるのですが……。村山先生は、日々どのように問題に対する意識を喚起し、地球に優しく、なおかつ、自分自身のいのちに優しく愛情を込めた指導をされているのか、お聞かせ願えますでしょうか?


村山廣甫: 私どもの宗門は、全員が必ず永平寺で修行をしなければなりません。雲水修行をしない者は僧侶の資格がなく、たとえ大学を出ていても、私のような一般大学の卒業(註:村山師は大阪市立大学の大学院卒業の高学歴であるが、駒沢大学等の宗門系大学以外の学歴は斟酌されないというシステム)であれば、中卒待遇で修行年限だけ長くなります。この修行は、鎌倉時代からひとつも――食べ物、時間、行動、規範もすべて――変わっておりません。この『グリーンプラン』に話を戻しますと、実は私も風呂場の残り湯を使った洗濯、掃除、水撒きをずっと続けております。最近は家電製品も便利になりまして、お風呂から洗濯機へ直結して水を上げるモーター式の装置もありますしね。

「継続は力なり」と言いますが、やはり「良いことはどんどん続けていきましょう」ということを、教育の場で伝えていかなければなりません。永平寺で修行を行う方の中には、3年あるいは6年居る方もおられますが、毎日同じことの繰り返しで、「今日起きても永平寺、明日寝るのも永平寺」です。目が覚めると「ああ、目が開いた。生きていたんだな」と思う訳ですが、それでは駄目なんですね。毎日毎日が新しいものでなければなりません。そして、習慣とは「歯を磨かなければなんとなく気持ち悪い」と感じるように、性根に染みなければなりません。繰り返しますが、私が申し上げていることは決して命令ではありませんし、この他にもいくつでもやれることはあります。要は工夫なんです。ですから、今の教育に「工夫を凝らす」という考えをもっと取り入れていくべきだと思います。

また、先ほど田中先生もおっしゃいましたが、まずわれわれが「継続は力なり」ということを宗教家の使命として、信者の方々にも「良いことを続けていくことこそ力だ」、「祈りこそ力だ」と伝えて行くほかないと思います。このような答えで参考になりますでしょうか。


三宅善信: 有り難うございます。拙いモデレータでしたので、どれほど先生方の思いを引き出せたか判りませんけれども、密接に繋がった『水・森・いのち』は、それぞれが「宗教」というキーワードのもとに保存されてきたことを、今日お集まりいただいた方々に、そして万国博覧会協会関係者の方々にご理解いただけたらと思います。万国博覧会協会は、経済産業省の所轄ですから、われわれが言っているような精神性にまで関心を払うことはあまりありませんが、今回はわれわれ宗教家のほうが自ら万国博覧会に出向き、現代社会に対して何らかのメッセージを発することができたかと思います。それでは、もう一度拍手をして、講師の先生やパネリストの先生方にお礼を申し上げたいと思います。有り難うございました。

(連載おわり 文責編集部)