オ・ソンファ(呉善花)先生
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▼近くて遠い国
皆様、こんにちは。オ・ソンファ(呉善花)と申します。来日して22年が経ちますが、にも関わらず、未だに名前を日本読みでなく韓国読みのまま「オ・ソンファ」と名乗っていることを不思議に思われる方も居られるかもしれません。一般に、在日韓国人が名前をそのままハングル読みを好む理由のひとつに、政治的な理由がありますが、私の場合は特にこだわりはありません。ただ、自分の名前を日本語読みで上手く発音できないのです。というのも、韓国人にとって、日本語で最も難しいのは、ハングルにはない「濁音」なんです。もちろん、意識すれば濁音を発音することはできますが、話の内容に夢中になっていたり、特に意識せず普通に会話をしている時は、濁音なのかそうでないのか区別できないものなのです。ですので、来日して二十余年が過ぎた今でも、私は自分の名前の日本語読みの「ご・ぜんか(呉善花)」という発音が難しいので、「それならそのまま韓国読み(オ・ソンファ)で通したほうが良いな」と思っている次第です。
不思議なことに、20年も過ぎれば、韓国的な感覚より、かなり日本的な感覚を理屈の上でも理解していますが、27歳の時に来日しましたので――こう言うと私の歳がバレてしまうのですが――すでに韓国的な自己を確立してしまってからの来日になるため、なかなか理屈に体(感覚)がついていけないことがたくさんありました。先ほどの発音の話を例に取りますと、私も含め、ほとんどの韓国人は、いくら長きにわたって日本に滞在していても、濁音は発音が難しいだけでなく、聴き取るのも難しいんですね。私は、今でも日本人との会話を書き取る時「これは点々(濁点)が付いているのだろうか、付いていないだろうか?」と迷い、相手に尋ねることがしばしばありますので、まるで点々病患者(会場笑い)です。そのため、私の話がところどころ聞きづらい箇所があると思いますが、全体の話の流れで内容をんでいただければ幸いです。
満堂の聴衆はオ・ソンファ先生の講演に大いに盛り上がった |
言うまでもなく、日本と韓国は、とても近しい関係にあります。文化的にはもちろんですが、それ以外にも顔かたちや街並みや風景なども、他の国と比較してみても非常に似ているため、親近感を感じる部分であります。ところが、親近感を抱いている分、ある程度交流(人間関係)が進んでいきますと、今度は錯覚してしまうんです。「この人は、韓国(あるいは日本)のことを全部理解してくれるに違いない」と……。実は、そこに異文化、考え方の違いがたくさん出てくるんですが、先ほどとは逆に、それを互いに理解できなかった時に「もうお手上げだ(=この人とは解り合えない)」となってしまう訳です。そのような部分は、日本と韓国そして北朝鮮の間にはたくさん存在しています。それが、現在「近くて遠い国」と言われてしまう所以(ゆえん)だと思うのですが、私は、こういった小さな違いを違いとして見つめていないところに原因があると考えています。
▼うちの社長様におかれましては
韓国は徹底した儒教社会ですが、日本という国は表面的には極めて儒教文化系の社会に見えますが、実際の日本社会は、儒教だけでは説明できない部分が多々あります。韓国人は、つい儒教的な発想で日本を見よう(解釈しよう)としますから、そこにズレが生じてくる訳です。
ひとつ例を挙げますと、互いの国の敬語の使われ方があります。日本語も韓国語も、世界においては最も豊かな敬語表現を持つ言語だと言われていますが、その使い方が、実は正反対なのです。日本の場合は、敬語とは他人をおだてることになりますが、韓国や北朝鮮では身内をおだてる言い方をしなければなりません。
例えば、誰かが自宅に父宛の電話をかけてきたとします。その時私は「今、私のお父様におかれましては、お出かけになられたのでいらっしゃいません」と言うんですね(会場驚き)。仮に、私が日本語のように「今、うちの父は出かけておりません」と答えると、韓国では「とんでもない。教育のなってない人間」と見なされる訳です。ですから、韓国では相手が誰であれ自分の両親のことを話す時は「お父様、お母様」と呼ぶんですね。
日本に来て、日本語を勉強した韓国人は、頭ではいくら「日本の敬語表現は韓国の逆だ」と解っていても、なかなかそうすんなりと納得のいくものではありません。敬語の使い方が一番最後まで母語に引っぱられて、感覚に残るものなのでしょう。「うちの社長様が」とか「うちの先生様が」と、常に「うちの○○様が」と言いたくなってしまい、仮に「うちの社長が」と口に出すと、まるで自分の勤め先の社長を蔑視しているかのような感覚に襲われるんです。「うちの社長様は、そちらに行っていらっしゃいませんか?」これは、韓国での最も丁寧な敬語を使った表現ですよ。もし、日本と韓国が全く異なった言語構造を持つ国であったならば、はじめから「日本語の場合はこうだ」と素直に受け入れることができるかもしれませんが、日本語と韓国語は中途半端に似ているために、なかなかそのようにはいきません。
私の体験談をひとつお話ししましょう。来日したばかりの頃に、私はある会社でアルバイトをしていました。その時、別の会社に電話をかけ、「鈴木社長様はいらっしゃいますか?」と尋ねたところ、若い女性の声で「今、鈴木は席を外しております」という返事が返ってきました。これを聞いた時、私はとても複雑な気持ちで、「いったい、この会社はどうなっているんだろう? もしかしたら、この鈴木社長様におかれましては、若い女性社員に舐められているに違いない(会場笑い)」などと思い込んだものでした。
しかし、これは敬語に限った話ではありません。仮に、韓国人が自国の敬語表現、あるいは丁寧な態度や行儀・礼儀作法で日本人に接すると、生意気な言い方や態度に取られてしまったり、逆に、日本人が同様に自国の敬語や礼儀作法で韓国人に丁寧に接すると、今度は「日本人は、なんと行儀が悪いんだろう」といった印象を韓国人に与えてしまうのです。このような問題は、日韓の間には実にたくさん起きていますが、私はある時、外交問題、政治問題、そして韓国人の反日感情の在り方の多くの部分も、このお互いに理解していない、多くの小さなズレに端を発しているということに気が付きました。
▼もしヨン様と結婚したら?
最近、日本で巻き起こっているヨン様をはじめとする韓(ハン)流ブームあるいは韓国男性ブームとでも言いましょうか、これはかつて日本には無かったものです。何故、日本の中高年の女性たちがヨン様にハマッているのか? 私はそれを、韓国に帰った時に韓国女性たちに尋ねてみました。日本の女性たちがヨン様を熱狂的に迎えているシーンは、テレビなどで多くの韓国人女性が目にしていましたが、大半の人はそれを見て「私は日本女性のことがどうも解らない。あんなナヨナヨしたぺ・ヨンジュンのどこを好きなのだろう? 私にはさっぱり解らない(会場笑い)」と答えてました。と申しますのも、韓国では、今でも、見た目に強そうな男性のほうが受けが良いんです。それでも、日本の爆発的なブームの影響を受けて、韓国でもドラマ『冬のソナタ』が再放送されました。しかし、あらためて、その「ヨン様の格好良さ」を探そうとしても、「やっぱりどうもはっきりしない(会場笑い)」というのが、韓国女性たちの正直な感想だったようです。「何故、これほどの韓流ブームが起きたのか?」あるいは、男性にとったら「何故、自分の妻が韓国の男性にハマッているのか、その理由がよく解らない」と思われている方も多いのではないでしょうか?
そういう現象を受けて、私はこの度、文藝春秋からその謎を解くための、日本および韓国社会のある現象――私は「現象」だと思っておりますが――を分析したものを書いてもらえないだろうか? との依頼を受け、一年ほど前から書き進めてきたのですが、ようやくその本が近日発売されることになりました。私の手元にあるこの本『日韓、愛の幻想』は、昨日できたばかりの見本刷りですので、まだほんの数冊しかないのですが、「今日会場に来られる皆様には、何とかお見せしたい」と思い、持って来ました。たぶん、今月の22、3日頃には全国の書店に並ぶと思います。
この本は、「実際にヨン様と結婚したらどうなるのか?」といった内容を、主に「男性の方たちに解っていただきたいな」という思いで執筆しましたが、もちろん女性で韓国男性にハマッておられる方にも「私は韓国男性のどんなところを好きなのかな?」という疑問を解く鍵にしていただけるんじゃないかな、と思っていますので、ここで少し紹介させていただきました。
いずれにしても、私はこれを一種の「日本探し」の現象だと考えております。この『冬のソナタ』というドラマを熱心に視る女性は、「このドラマには、今から30年から40年前の、現在の日本には失われた、ゆったりとした古き良き恋愛のあり方(純愛)が描かれている」あるいは「何かとても懐かしいものを感じる」と心惹かれるようですが、まさに今、日本社会は「懐かしさ」が商品となる時代に入ってきたように思います。長い間、日本人は欧米に憧れていましたし、消費経済の中心である女性たちにしてみても、「欧米の一流ブランド商品を持ちたい」という傾向が強かったと思いますが、最近になって、この価値観も一段落し、欧米志向もいったん行き着くところまで行ったように私は感じています。
これまで日本人は、より艶のある欧米的なものを求めて来た訳ですが、その結果、精神的な潤いに欠け、日本的、あるいは伝統的なものが失われたことで、殺伐とした気持ちを抱えているような気がします。経済的に豊かになり、欧米的な生活を手に入れることは、確かにある段階まで生活に豊かさをもたらしてはくれたのですが、そういった暮らしは「精神までも満たしてくれるものにはなっていなかった」ということではないでしょうか。
その辺りから、より近いところに目を向け、ある時、日本ではASEAN(東南アジア)ブームが巻き起こります。いわゆる「エスニック」ブームですね。しかし、これは日本人の感覚には合わないものがあり、あっという間にこの流行は消えてゆきます。そして、今度は隣の国である韓国に目を向けます。折しも多くの韓国製ドラマが日本に入ってきましたが、それを見た日本人は「なんと、韓国には、日本では既に失われてしまった古き良き精神があるのではないか!」という気持ちになっていったのです。そこに人々の気持ちがスッと入っていったということは、裏返してみれば、「日本社会がいかに自国の古き良き伝統を軽視してきたか」ということの現れだと私は感じております。
▼日本人のアイデンティティーを求めて
これはこの問題に限ったものではありません。私は、日々、日本全国を走り回っておりますが、10年ほど前は「国際化の中の日本人」、そして数年前は「グローバル化の時代の中での日本人」というテーマが頻繁に話題に上っていたのに対し、最近はこの「国際化、グローバル化」といった言葉が薄れてきているように思います。では、現在はどうかと申しますと、「日本人とは何か?」とか「日本人のアイデンティティーとは何か?」といった話題が非常に多くなってきています。この傾向は日本のトップ企業においても同じですから、社会全体にこの傾向が広まっているように思います。また、これは大人社会に限った話ではなく、若者たちにおいても同じことが言えます。最近の若者の持ち物やファッションを見てみても、日本的なもの――つまり、京都的なものと言ったらよいでしょうか――が密かに流行っているんです。「誰も持っていない、私だけが持っている」小物や、着物の流行などが良い例でしょう。
私は現在、拓殖大学の国際開発学部で教えているのですが、去年からこの学部で『日本の歴史と文化』という講座を設けたのですが、なんと私がその担当教授に選ばれたのです。最初は私もこの決定に反発して「この教科を外国人である私が教えるといって通るんでしょうか?」と言い、最初の授業まで、どうなるのか全く見当が付かなかったのですが、「まあ、学生が2、30人でも集まってくれれば、こぢんまりとやれるか」と思い、いざ教室のドアを開けると、なんとそこには、200名が定員の教室に溢れて入りきれないほどの学生たちが待っていました。そのため急遽、大教室に変更して授業を行ったのですが、聞くところ300名の学生が私の講義を取っているとのことでした。
同じ時間帯に必修科目の授業があるにも関わらず、一学年の総学生数360人のうちの大半の学生が、選択科目である私の『日本の文化と歴史』の授業を取っていることに驚き、数人の学生に「何故、この授業を取っているの?」と尋ねてみました。それに対し学生たちは、「巷では国際化、国際化と叫ばれていますし、私もこの国際開発学部へ海外のことについて勉強するために入学しましたが、海外の人と接する時、いかに自分が日本のことを説明できないかということに気が付いた。だから、自国のことも知らずに何が『国際なのか?』という気持ちからこの授業を取った」という答えが返ってきました。
私はこの授業の他に、『朝鮮半島』と『朝鮮半島の政治』という講座も担当させていただいているのですが、この授業を受けている学生の目は何だかだんだん暗くなっていくのに比べ、『日本の歴史と文化』の授業を受ける学生の目は、なぜか皆キラキラと輝いているんです。今、1年を通して教えてみて強く感じたことは「いかに、今の日本の若者は、日本の伝統文化に飢えているか」ということです。ここに至るまで、若者たちは「個性や能力の時代である」といった教育を盛んに受けて来ましたが、この「とにかく自分だけが抜きん出たら良い」という教育が、いかに日本人に合わなかったかを実感します。
私は授業の中で、日本の伝統文化にはどのような流れがあり、どのようなものがあったのかを話し、それを聞いた学生たちに毎回感想文を書いてもらっているのですが、「(短期間でも)こんなに変わるものなのか」と正直驚いています。やはり、若者の頭は柔らかいですね。私は、彼らの中に日本人としての遺伝子がしっかりと受け継がれていることを強く感じました。彼らの多くは、今までご先祖様と自分の繋がりなんて考えたこともなかったであろうに、「日本にも素晴らしい文化がたくさんあったんですね。私の先祖や親たちも決して悪くなかったんですね」と、いのちと歴史の長い繋がりの中に自分が生きていることを再確認し、感謝の気持ちが生まれたことを感想に書いてきます。そのことによって、今まで持てなかった日本人としての自信を持つことができた学生もいたようです。私は最後の授業で、「自信を持つことと、自慢することは明らかに違う」と学生たちに伝えましたが、それを聞いて涙を流す学生も大勢おりました。そして私は「日本的なものは、それ自体がそのままで良いのだ。それを踏まえて、われわれはどのような未来を創っていけば良いのか?」という話をしたのですが、私自身、「一年でこれだけ変わるものなんだな」と本当に感じました。
▼来日何年かによって変わる韓国人の対日本人観
学生の中には「今の日本を駄目にしたのは、今の日本の大人たちではないのか?」と言う者もいました。そうしますと、「日本人とは何なのか?」ということが一番問題になってきます。日本人が「日本とは、いったいどんな国であるのか?」ということを外国に向かって説明することができないために、現在、外国人の多くが日本のことを誤解し、文句を言っていますが、私はその背景にある「日本人が自分の国に自信を持てないこと」や「外へ向かって日本のことを体系的に説明できないこと」が問題なのではないか? と思っています。果たして、日本人とは、どんなものなのでしょうか?
私自身の日本での体験を踏まえて、来日後、多くの韓国人が日本を理解していく典型的なプロセスがあるのですが、これをお話しさせていただくことで、今の日本人のあり方、あるいは韓国人のあり方がある程度見えてくるのではないかと思います。もちろん、理解の過程で個人差はあると思いますが、皆、似たようなプロセスを辿ると思います。
まず1年目は、好印象を持ちます。戦後、韓国では強烈な反日教育が行われ、「日本人とは未開人、野蛮人である」と教えられましたが、しかし、来日して実際に日本人と付き合ってみると「日本人はなんと親切で優しいのだろう。韓国の学校で教えられたような野蛮人の日本人なんて、何処にも居ないんじゃないか? むしろ、日本人から見た韓国人のほうがよほど野蛮人ではないか?」と、皆一様に日本のことを好きになっていきます。
その他にも、日本の美しい景観や治安の良さなど魅力がたくさんあるんですね。そう言うと日本人は「いやぁ、最近は日本も治安が悪くなっているよ」と謙遜して答えますが、日本国内にのみ目を向けた場合、年々犯罪率が増加しているとはいえ、少なくとも近代国家の中では日本は桁違いに治安が良いことは事実に違いありません。このような調子で、在日1年目は日本の良い面ばかりが見えてきますが、問題は2年目、3年目に訪れます。
1年目はなんとなく表面的な付き合いだけで問題はなく、言葉の面でも日常会話が通じればそれで事足ります。しかし、1年も経過すると、そうも言っていられなくなります。そして、人間的に一歩踏み込んだ付き合いをしようとした時に、日本人のことがさっぱり解らなくなり、「やはり日本人は野蛮人だった」と韓国人は思ってしまうのです。人によって差はあれど、皆、だいたいこの時期に日本や日本人に対する理解に苦しみ、落ち込む傾向があります。私自身も2年目、3年目は「何故、ここまでおかしくなるのだろう?」と自問自答を繰り返し、まったく理解できないことに本当に苦しみました。しかし、それを乗り越えて5年ぐらい居座っていますと、再び日本の良さが見えてくるんです。
1年目は「なんとなく良いな」といった漠然とした好印象が、2、3年目は「これが日本なのか」「あれが日本なのか」と思い、異質な部分にとまどいを覚え、理解に苦しむ……。けれど、5年目になると「一言では言えないけれど、日本はとても深くて幅広い魅力を持った社会だ」と感じ、「日本は人間が最も人間らしく生きている社会ではないだろうか?」と感じるようになってきます。そうして、だんだん日本を好きになっていくんですね。反日感情を口にはするものの、5年以上日本に滞在している韓国人はだいたい「感覚的には日本を好きになってきている」と言っても過言ではありません。
▼壁を乗り越えられなかった人が日本の悪口を言う
ですから、どんな人にとっても最初の2、3年目の壁を越えることがひとつの課題だと言えますが、私は現在、日本と韓国のうまくいかない原因は、多くがこの「2、3年目の問題」に起因しており、韓国人の反日感情のあり方も、この問題を未だ乗り越えることができていないからではないか? と思っています。一昨年、日本の巷では韓流ブームが巻き起こり「日韓友情年」などと言われていますが、一方の韓国人は「日韓友情年」だなどとは思っていません。これは極めて表面的なものに過ぎず、一歩踏み込んだ付き合いはできていないと言うしかありません。それでは、日本人のどんなところが理解できず、お手上げになってしまうのでしょうか?
オ・ソンファ先生の興味深い講演に耳を傾ける
大阪国際宗教同志会会員諸師 |
ひとつの例を挙げますと、数年前に韓国で日本を批判する本が出版されたのですが、本の内容は、論理的に批判するというよりは、むしろ、ずいぶんと日本を感情的に中傷したものでした。この本は日本に2年半滞在したジャーナリストのチョン・ヨオク(田麗玉)氏が韓国に帰った後に執筆したものですが、ちなみにタイトルが『日本はない』(註:日本語版は『悲しき日本人』)でした。「日本はない」とは、いったいどういう意味なのか? と言いますと「この世に日本が存在する限り、世の中の幸せはありえない」といったニュアンスが込められているようです。では、この本はどういった内容でしょうか? 冒頭で作者はこのように書いています。
「私は、2年半日本に滞在して、ひとつ良かったと思うことがありました。それは、日本のような国に生まれなくて、韓国のような国に生まれたことがどれだけ幸いなことか悟ったこと」であり、そして「最近、韓国でも『日本に学べ』という動きがありますが、私は『日本には学んではいけない。たとえ学んだとしても日本のような国にはなってはいけない』という使命感を持ってこの本を書いている」と続いています。なぜ日本に学んではいけないのか? というと「1億2千万すべての日本人は異常な人たちだから」と説明しているんですね。この「日本人を異常だ」とする理由は本題で綴られているのですが、これはまさに、かつて私が来日して2、3年目に感じていた習慣や文化の違い、価値観の違いなんです。彼女は、韓国の価値観に照らし合わせてみて異なる部分はすべて「日本人は人間じゃない」という表現をしていますが、これは極めて恐ろしいことなんです。
例えば、文中に「日本人も韓国人も部屋に入る時は靴を脱いで入ることは一緒??韓国の住居はオンドル(註:寒冷な朝鮮半島や中国の東北部で普及している床下暖房)ですから、日本と同じように玄関で靴を脱いで入ります??ですから、とても親近感を感じます。ところが、韓国人は部屋側に靴を向けたままで、それがたとえ乱れようともそのままスッと部屋に入ります。本来、人間の在るべき姿とは、こういう素直なものでしょう。しかし、日本人は体をわざわざ後ろにねじ曲げて靴を外側に向けて揃えた後に、再び体を曲げて部屋に入ります。これはいかに日本人の心がねじ曲がっているかを象徴する習慣だ(会場笑い)」とあります。
これは、書いていることの他愛のなさは別としても、注目すべきは、韓国でこの本がなんと300万部もの売り上げを記録した「戦後最大のベストセラー」と話題になっている点です。そして、日本研究を専門とする第一の学者の中でも、この本はあたかも日本を研究する定本であるかのように読まれているのです。作者は文中で、日韓歴史問題や従軍慰安婦の問題、そして靖国問題や竹島問題など懸念材料となっている問題にはほぼ触れていますが、歴史認識などに対する日本人の意見はすべて、(この靴の脱ぎ方のように)「ねじがった考え方をしている」と言います。
韓国人の反日感情は、ほとんどこの程度の日本理解から発していると思われます。現在、韓国のノ・ムヒョン(盧武鉉)大統領がヨーロッパを歴訪し、盛んに日本の悪口を言って回っていますが、その言い方は「この世の中に日本のような国がある限り、近隣国の幸せはありえない」といったように、先ほどの女性ジャーナリストの本とまったく同じような言い方をしています。これは本当に大きな問題です。
現在、韓国は政治の上(外交上)では、同盟国であるはずの日本やアメリカとは距離を置きながら、親北朝鮮、親中国路線を執っています。民間(経済界)はどうかと言いますと、「長年日本と付き合ってきたが、どうも彼らとはシックリこない。われわれには日本人の気持ちはどうも読みづらい」と、外交と同じく、以前に比べて距離を置いているのが実情です。かつて、留学先として人気があったのはアメリカや日本でしたが、最近は日本への留学生の数はグッと減っています。これとは対照的に、中国への留学生は急速に増加しています。
▼百年の恋も冷めるご飯の食べ方
なぜ、韓国と日本の間に温度差が生じるかという原因を考える時、私は、目に見える習慣の違いはさほど大きな問題ではなく、目に見えない習慣や価値観の違いが悩みの根源だと思います。先ほどの女性ジャーナリストにしても、靴の脱ぎ方といった目に見える現象に対して腹立ちを覚えたと言うより、その習慣の背後にある目に見えない日本的な価値観の理解に苦しんだと思うのです。そして、それが何なのか解らないために、判りやすい目に見える習慣の違いを挙げて日本叩きをしたのではないでしょうか。目に見えない日本人と韓国人の違いは、いったい何処にあるのでしょう? では、このことを私がどのように乗り越えたのかをお話ししようと思います。
韓国人が日本に来ますと、日本の高度で深遠な文化に触れる前に、日常的な場面で習慣の違いをたくさん見つけることができます。中でも、着いたその日に見ることができる習慣の違いは、なんとご飯の食べ方なんですね。一般的に日本人は、茶碗を手に持ち箸でご飯を食べますけれども、韓国においては、左手を茶碗に持っていくことほど行儀の悪いことはないんです。日本も韓国も、アジアの国として米を主食にしていることは同じなんですが、多くのアジアの国々においてはタイ米のようなパサパサしたご飯が好まれます。一方、韓国は日本と同じく、粘りのあり甘みのあるご飯が理想的とされます。しかし、日本のほうがはるかにお米の改良が進んでいますから、日本を訪れた韓国人は、皆一様に「ご飯が美味しい」と言います。
最近では、韓国の電化製品も性能が良くなりましたから、それほど大きな差はないように感じます。けれども、数年前までは、韓国に帰国する人は皆、日本の炊飯器をお土産に持ち帰ったものです。炊飯器といえば、韓国人の主婦であれば知らない人がいないほど有名なブランドがあります。濁音の多いブランド名ゆえに、私には発音が難しいのですがお判りになられますでしょうか?(会場から「象印」の声)そうです。「ゾウジルシ炊飯器」です。私も、韓国に帰る度に、皆から「この炊飯器を買って帰ってきてくれないか」と頼まれるので、いつも両手に抱えて帰国しました。もし、空港でこの象印炊飯器を持っている人を見かけたら、韓国人だと思っていただいても良いかと思います(会場笑い)。韓国人にも大変人気のあるこの炊飯器は、実は他の国の人の口には合わないと思います。と申しますのも、この炊飯器は(米の)粘りけと甘さを出すことを目的に作られているものだからです。ですから、味覚においても、いかに韓国人と日本人が似ているかということがお解りいただけるかと思います。
ところが、いざ食べ方を見ますと「日本人はなんと行儀の悪い食べ方をしているのだろう」(会場笑い)と……。しかし、日本人の目にも「韓国人の食べ方は行儀が悪い」と映るはずです。もし仮に、韓国人や日本人がインドを訪れ、「インドではカレーを手で食べるよ」と言われたら、「これが習慣の違いなんだから、われわれも一度やってみよう」と思えますが、顔色もまったく同じ日韓の人がお互いの違いが見えてきた時は、習慣の違いよりもむしろ抵抗感がそこに生まれてしまうんですね。しかし、このような目に見える習慣の違いに対する抵抗も、一年経てばだいたい変化していきます。最初は抵抗がある韓国人も、日本に1年も暮らせばいつの間にか茶碗を手に持って食べるようになります。
韓国式の食べ方をすると、よく日本人から「犬喰いのような食べ方をしている」と指摘されます。最近、日本人男性が韓国人女性に一目惚れをすることが多いと聞く反面、初めて食事に誘った席で韓国人女性の食べ方を見ると「百年の恋も冷める」(会場笑い)そうです。しかし、ひとたびその女性にハマると、なかなかその魅力から離れられないんですね。そうなりますと、今度は「食べ方など問題ではない。日本人と韓国人はもっと深いところに繋がりがあるような気がしてならない」と彼らは言いますが、私は日韓がうまくやっていくヒントが、そこ(男女関係)にあるのではないかと思います。つまり習慣の違いは、ある段階を超えればそれほど抵抗を感じなくなるものだということです。
▼花は盛りにして、月は隅なきを…
もう時間があまりないのですが、これはなんとしてもお話ししたい点です。問題は、本当に本質的な感覚の違いであり、生き方の問題だと思います。キリスト教文化圏や儒教文化圏で「どんな生き方が正しいか?」と問いを投げかけた場合、「人道的・道徳的に生きようとすること」を理想とするんですが、日本に限っては、「人道的・道徳的にどのような生き方が正しいか?」というよりも「どのような生き方が美しいか?」という美意識で生きようとする傾向があると思います。日本人にとっては「悪い人間」と言われるよりも「みっともない人間」と言われること、あるいは、自分が悪い人間であるよりも、みっともない卑怯な人間であることを最も嫌がるんですね。
私はこのことを非常に強く感じるのですが、この感覚は外国人にはなかなか解りづらいものがあります。日本人は倫理道徳よりも、まさに美で生きている人たち。「日本」と聞いて思い浮かぶ言葉は、「経済大国・技術大国」をイメージすることが多いですが、私はそれに加えて「美の大国としての日本を捉えていかないと、この国のことはまったく解らないのではないか」とある時から感じるようになりました。
しかし、この日本人が感じる美のあり方は、おそらく他のアジアの国々とは根本的に大きく異なると思います。中でも、外国人が理解が難しいものに「侘寂(わびさび)」と「もののあはれ」が挙げられます。中国や韓国にもかつて仏教が広範囲に流布した時代がありましたので、「侘寂」や「もののあはれ」を説明する上で、極めて似ているとも言える仏教的無常観を用いることができるのではないか? とも言えますが、日本的な美意識(無常感)は、この仏教的無常観だけでは、説明できない部分があると思います。
では、日本以外のアジアの人々に共通する美意識は何かと言いますと、これはなんと言っても派手な色彩ですね。なんでもピカピカに輝いて、満月のように均衡の取れた左右対称(シンメトリー)の美。こういったものが一般的に好まれます。対する日本人は、左右非対称(アシメントリック)のものに自然美を見出し、鈍色や枯れた色やもの、歪形などの美に風情を感じます。
美の象徴として、まず「花」を例に挙げてみましょう。「花はやはり満開が最も美しく、満開の花が溢れんばかりに咲き誇る光景を眺めたり、また、その中にわが身を置くことが人間として一番良い気持ちになるでしょう」と私が言うと、日本人の方からは「いや、花が美しいのはそれだけではありませんよ」と答えが返ってきました。「満開の花も良いが、蕾(つぼみ)の花のほうがより落ち着く」と……。最初聞いた時は信じられませんでしたね。私は、人ならば誰しも満開の花を好むと思っていましたから……。しかも、人によっては「萎(しお)れて落ちる花にも風情がある」というのだから、ますます解らなくなります(会場笑い)。花を例にとってみましたが、「品があるか、ないか」を考えた時に、日本と日本以外のアジアの国々との間には、まったく違う感性がある訳ですね。そして、アジアの国々では、完璧な人間には「品がある」ということになります。
次に「月」を例にとって、対称・非対称の美意識の違いを考えてみましょう。日本と同じように韓国でも旧暦の8月15日にはお月見をする習慣があります。どこから見てもまん丸でピカピカと輝くお月様は大変美しいものです。しかし、日本人は「まったくの満月よりも、ほんの少し欠けた月のほうが風情がある」とか「若干雲がかかり、霞んで見えるお月様のほうが良い」と言うじゃありませんか! 韓国人だったら、月に薄雲がかかろうものなら、風情どころか「早くあの雲がどこかへ行ってしまわないかな」(会場笑い)と思いますよ。この感覚の差異について、私は日本人とずいぶん喧嘩したものです……。
私は、日本は極めて精神文化の強い国ではないかと思います。そのことがよく表れている言葉が、実は韓国と日本の双方にあるのですが、皆様もよくご存じの「八方美人」という言葉です。この言葉は、韓国ではとても素晴らしい言葉です。格好も良い上に頭の回転も速くて品もある、まったく申し分のない人のことを「八方美人」と呼びます。女性に限らず、男性でも「あなたは八方美人ですね」と言われて喜ばない韓国人はいないというぐらい相手を褒め称える言葉です。
しかし、私は以前、日本人の男性に向かって、褒(ほ)めるつもりで「あなたはなかなか八方美人の方ですね」と言って、大変怒られたことがあります(会場笑い)。日本では「いたるところで良い顔をする」ことを指しますが、一見、この言葉が指し示す内容は似ているようですが、内包する価値観は、日韓ではまったく正反対ですね。
▼いのちの移ろう様に感動する日本人
衰えた生命も未熟な生命も、完成された不動の美ではなく常に生々流転(しょうじょうるてん)を繰り返す動的ないのち。そのいのちの移ろう様に自分と同じ魂を感じて感動するのが日本人……。そんな日本文化をあえて一言で言い表すとしたら、私は「生(き)の文化」ではないかと思います。日本人ほど素材を活かし、鮮度や季節感に敏感な人々はいないでしょう。言葉においても「取れたて」や「炊きたて」といった日本語は、韓国語に訳すことができません。また、日本は古いものをいくところまでいった時(原点へ立ち帰ろうとする時)、あるいは古いものを再生しようとする時、最もプリミティブ(原初的)なところへ戻ろうとする精神性が強く残っているように思います。
最後に、結論を述べる前に、韓国と日本の比較でひとつ例を挙げさせてもらおうと思います。私は来日したばかりの頃、韓国に行ったことのある日本人にやたらと「韓国は焼き肉とキムチは美味しいけれど、あの食器はなんとかならないのか」(会場笑い)と言われた経験があります。韓国はステンレスの食器を使うのですが、スプーンや箸にいたるまでステンレスでできています。「何故、ステンレス食器が駄目なのですか?」と私が尋ねると、「せっかくの美味しい料理の味が全部打ち消されてしまう」と答えが返ってきました。初めてそれを聞いた時、私は本当にショックでしたね。その他にも「ステンレスの茶碗と箸がぶつかる音が嫌だ」と聞いたことがありますが、韓国人にしてみれば、ステンレスの食器が触れる音はなんとも心地よい音なんです(会場笑い)。ですから、わざとぶつけて音を楽しむ人も結構いるんです。
戦前まで、韓国の上流階級の人々は真鍮(しんちゅう)の食器を使っていました。真鍮はちゃんと手入れをしないと曇ってしまいますが、きちんと磨くと顔色が映るほどピカピカと輝きます。これは一般的な韓国人にとって、最も美しく品のあるものとして憧れの対象でした。そして戦後、ある企業が「磨かなくてもピカピカに輝く」ステンレスの開発に成功しました。このステンレス製の食器が店頭に並んでからというもの、韓国の台所は革命と言ってもいいほど、それまでの状況から一変したのですが、私も隣の家に遊びに行って台所に置かれたピカピカのステンレス食器を目にした時、幼心に「なんと美しいのだろう」と感動した記憶が残っています。これは27歳で来日するまで「韓国の食器ほど美しいものがあるだろうか」と固く信じていましたから、日本人に「韓国の食器は品がない」と言われた時はそりゃあショックでしたよ(会場笑い)。
今度は逆に、私が「では、日本人にとって品の良い食器とはどのようなものですか?」と尋ねますと、相手の方が「このようなものです」と見せて下さったのですが、今でもその時の様子を鮮明に覚えています。確か茶の湯に使われる器だったと思うのですが、色はどす黒く、分厚い上にクネッと曲がっているんです(会場笑い)。それをいかにも高価そうに持ち上げて見せてくれるではないですか。聞けば、この器は何万円、何十万円もする代物で、ものによっては何百万円もするとか……。私の目では、いくら見ても犬の茶碗のようにしか見えず(会場笑い)、信じられない思いでしたね。一方、日本では最近ペット用にステンレス食器が使われているそうですが(会場笑い)。
▼常に「未完成である」という日本人の美意識
日本に来て5年の月日が経過しても、私は「日本人とは何か?」ということが解りませんでした。それはいくら本を読んでも同じことです。日本人が感じるところの「品がよいもの」や「美しいもの」を、自分は同じように感じられない……。この日本人の美意識を理解するための方法として、意識的に行ったことがあります。それは「最初見た時、まったくその良さが解らなかった和食器を集めてみる」ということでした。韓国の台所では、茶碗や皿、コーヒーカップに至るまで、全く同じものを10個程度揃えて整然と並べておくのですが、韓国人はその様に美しさ、安らぎを感じます。対する日本の台所では、用途によって器の形はバラバラ、お父さんとお母さんの湯飲みですら、違う柄で大小がありました。
以前、私はイライラとそれを眺めながら「早くこれを全部同じ柄に統一して、整然と置きたい(会場笑い)」と内心思っていましたが、一度、この日本的なやり方を逆に試してみようと思い立ちました。時間があれば食器売り場に立ち寄ってみたり、旅先ではわざとセットで買わないようにしました。色はできるだけどす黒く(会場笑い)、形もクネッと曲がったコーヒーカップなどを集めてみたのです。だんだんと私の食器棚はくすんだ色合いのものが幅を利かせるようになってきましたが、この棚が一杯になるころ、私は「もっと和の器を集めたい」という気持ちが止まらなくなってきました。「これだ!」と思いましたね。そして「日本文化は、いったん惹かれ、深く関わり出すと終わりのない文化だ」と感じました。
その後、「食器棚の中から日本文化の根源を見つけた」と言っては笑われました。けれども、私にとっては、これは本当に大きな発見でした。それまで謎だった事柄を当て嵌(は)めて考えてみますと、全部解けてくるんです。これは何故でしょうか? 正円や正四角形の皿は、それ自体が完成された形ですから、そこに「何かを加えよう」という発想が出てきません。何年間か飽きるまで使って、いったん飽きてしまえば全部新しいものに取り替える……。飽きる時点まで、私たちの内面には変化が起きないのです。ところが、土で作られた素朴な形――ひとつは右に、もうひとつは左に曲がっているといった具合に――には、「これで完成だ」という形がない。つまり、終わりのない無数の段階を磨き、極めてゆくのが日本文化なんです。
また、モノ文化で言えば、一般的により艶が出るように磨きをかけていくものですが、日本の文化は、いかに艶を消してゆくか? ということに磨きをかけているのではないでしょうか。それが、このくすんだ色の食器に表れているように思います。先ほど、「何故、満開の花よりも蕾の花が良いのか?」という例を出しましたが、これは、満開の花は散るばかりで後がないけれども、蕾の花は「明日になればどんな花が咲くだろう」という動きを内に秘めているからです。一方、枯れた花はなぜ良いのでしょうか? それは「生あるものは、死んでも必ずまた再生する」という日本人の自然観が強く反映されているように思います。韓国人は、日本人に比べて死に対する恐怖が強いように感じますが、それは、日本人にはこの自然の循環に基づくいのちの再生観があるからだと思います。
日本の文化は、常に揺れ、動きを持っています。左右対称(シンメトリー)になっていると言われる日光の東照宮でも、どこかの柱が対の柱が無いか、短いと聞いたことがあります。これは常にお宮は造り続けられているということの象徴なんですね。東照宮よりももっと古い社に出雲大社がありますが、ここも同様に対の柱が無い所もしくは柱が短い箇所があるそうです。京都にあるお寺でも、一見整然と並んでいるように見える屋根瓦に、一枚わざとずらしてある瓦があるそうですが、これも「常に造り続けている」という印を残すためだそうです。
そう考えていくと、日本の文化とは、自然に対して絶対的な受け身思想ではないのかという気がしてきます。もちろん「自然」といっても、そのままの自然がある訳はありません。砂漠地帯は延々と砂漠が続き、大陸は行けども行けども大地が広がるばかりで山が見えません。一方、海岸地域は目の前に海が広がるばかり。このように、山岳部、大陸部、沿岸部と全く異なった自然環境で暮らす人々は、自ずと思想も異なるため、出会った時に対立を起こします。その最大のものが「戦争」ですが、現在世界各地で起こっている大半の紛争の源にはこの違いが起因しています。
では、日本とはどのような自然環境を持った地域でしょうか? 山あり、谷あり、川あり、海あり……。ある人が山に登り四方を見渡してみますと、全ての自然環境の要素がひとつになって調和していますし、食生活を取り上げても、山に住む人が海の幸を、海辺に住む人が山の幸を頂くことができるのです。このように、日本の自然はありとあらゆるものが調和していますが、私はこの「調和」というキーワードが、日本人の遺伝子の中に刷り込まれているのではないか? と思うのです。日本人は対立を嫌い、融合しようと試みる、すなわち「和」を重んじる国民ですが、今日に至るまでこの国民性が育まれてきた要因のひとつとして、地政学的に日本は島国であったことが幸いしたと言われています。
朝鮮半島にも似たような自然環境がありますが、日本列島と大きく異なるのは「高度な文化・文明を持った中華帝国と陸続きであったために、常にその文化や文明に圧倒されてきた歴史を持っている」という点でしょう。ですから、韓国人の内面に古(いにしえ)から続く自然観を見つけることはほとんどできませんが、日本は昔から継がれてきた自然観が土台となり、その上に、大陸から入ってきた文化・文明に圧倒されることなく都合よく吸収してきたのが日本ではないかと思います。幸いなことに、日本は外国の侵略をほとんど受けませんでしたから、歳月を経て他の国では無くなってしまった文化を日本文化の中に見つけることができるんです。しかも、ただ見つけられるのではなく、「日本が他国の文化の花を咲かせた(完成させた)」とも言い換えられると思います。これに対し、朝鮮半島は2000年の間に1,000回以上に及ぶ外からの侵略を受けたため、昔からある自然観は、だいたい消えてしまいました。
▼「もうひとつの世界」がキーワードになる
今の日本には、大きく分けて3つの社会があるように思います。1つ目は「欧米化された日本」で、2つ目は「朝鮮半島と似た農耕アジア的日本」なのですが、この2つの世界は、どの国の人にとっても理解しやすいと思います。ところが、このどちらの世界にも含まれないもうひとつの世界が、かつて日本が自然と一体となって生きていた頃の感性の世界――私はこれを「縄文的自然人的な世界」と呼んでいますが――であり、なかなか解りづらい世界だと思います。先ほど挙げた調和や融合しようとする性質は、この世界に含まれますが、私は、ここに日本の大きな未来性を感じるのです。これは日本に限らず、世界の未来性でもあると思います。
そうすると、もうひとつの世界は、現在世界が陥っている限界の突破に向けて、何を提示できるのでしょうか? 全体と個の調和の構築を高い理想としますと、日本は世界一貧富の差が少ない中間層社会を基盤とした経済を実現し、また、伝統的な職人技から最先端技術まで抱えている技術大国、さらには、世界で最も治安の良い安全な社会を実現させています。この「経済、技術、安全な社会」は、いくらでも世界に誇れて、なおかつ世界の人々に貢献できるものだと思います。これらのいずれも、世界中の国々が理想としながらも、なかなか達成できなかったものばかりです。
何故、日本はこれを達成することができたのか? これが一番のキーワードになると思いますが、私はこの日本の「もうひとつの世界」の精神性なくして、経済発展は有り得なかったと思うのです。しかし、今までは無意識でなんとなくやって来たと思いますが、これからは、如何に意識的に、そして体系的に、これを構築してゆけるかが、今後も日本が世界の最先端を維持し、拡げてゆくことができるかどうかの分かれ目になるのではないでしょうか。私はこれに期待し、そうなることを確信しております。
来日して2年、3年目の頃、日本のことを嫌いになりながらも、私がここまで深く日本文化にコミットすることができたのも、「今、韓国に帰ってしまったら、あの日本は掴めない」という気持ちになっていたからです。しかし、そんな中にも日本は不思議な魅力を放ち、韓国へ帰ろうかと迷う私の足をこの地に留めました。今、私はそのことに感謝の気持ちで一杯です。私はこれからも長く日本に滞在し、様々な世界性を具体的に探し出し、世間に発表してゆこうと考えておりますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。本日はご清聴有難うございました。
(以下、質疑応答)
三宅善信: それでは、どなたかご質問のある方はおられますか?
質問者A: 日本には正倉院という立派な文化財がありますが、韓国には正倉院に匹敵するようなものはあるのですか?
呉 善花: ありませんね。もちろん、現在の韓国にも仏教は仏教としてありますけれども、正倉院のような長い歴史を持った文化財どころか、日常的な生活レベルにおける仏教文化もほとんど消滅してしまっています。
質問者A: 全く無いのでしょうか?
呉 善花: ありません。ただし、戦前まで517年間続いた李氏朝鮮王朝時代以前は、仏教を基盤として国が造られていましたから、古代から14世紀までは非常に仏教文化も盛んであったと思います。ところが、それから500年余り儒教を国の政治政策として執ってきたため、特に、西海岸地帯は仏教の弾圧が非常に厳しく行われました。その時に仏教的なものはずいぶんと壊され否定されました。寺院など、長い時間を経て造られたものもずいぶん壊されたため、現在発掘された仏像も鼻や耳が欠けたものが多いです。
例えば、韓国にはお茶を飲む習慣がありません。もちろん、日本には茶道というものがありますけれども、それだけではなく、日常的にどこの国にもそれぞれ固有のお茶の葉があり、お茶を淹(い)れて飲む習慣がありますが、朝鮮半島にだけはありません。ただ、「茶礼(チャレ)」という言葉に痕跡を留めていまして、これは儒教における行事のひとつで、陰暦の元旦の朝早くに親戚の者が本家に集まり、祖先にお供え物をして年長者に挨拶のお辞儀をするのですが、この習慣を「先祖祭を仕える」という意味の「チャレ」という言葉で呼びます。現在、韓国の民俗学者が、何故先祖儀礼に対してこの言葉を用いるのか調査研究していますが、おそらく、これはかつて仏教時代に、寺院において仏様にお茶を供えた習慣の名残ではないかと思われます。
現在に至る習慣で残っていないため、かつての韓国で、どのようにお茶が飲まれていたのか未だに判りませんが、最近では西洋文明の影響でコーヒーを飲んだり、十数年前から、隣国日本に残る茶道の文化に触発された茶栽培が営まれていますが、今では家元も誕生し、韓国流の茶道も普及しつつあります。しかし、そのスタイルは、伝統と呼ぶよりは全く新しいものだと言えます。それほど現在の韓国には、仏教文化の思想、匂いといった痕跡を探すことが困難です。そのため、日本を訪れた韓国人は、日本のいたる所に仏教文化の影響が今日も色濃く残っていることに驚くのです。
三宅善信: 有難うございます。韓国の政党に「ウリ党」というのがありますが、この「ウリ」とは「われわれ」という意味で、主語を明確に主張して話す韓国語の特徴を想起させます。一方、日本語の場合は、主語を省略して話すのが一般的です。この「主語を抜いても(自己主張しなくても)意味が通じる日本語の構造」に対して、韓国語は主語(自己主張)の要素が強いように感じますが、如何でしょうか?
呉 善花: これは日本人の気質にも通じるものがありますが、日本語には自分が無いです。それに対して、韓国は個々人の主張が強いと思われる方も多いかと思います。しかし韓国人の場合は、西洋人と異なり、「個人」ではなく血縁の「家族」なんです。この「ウリ」という言葉は「われわれ」を指しますが、日常的には「私」よりも、この「われわれ」という主語を頻繁に用います。仕事場は「われわれの会社」や「われわれの社長様」、家庭では「われわれの子ども」や「われわれの妻」(会場笑い)といったように、この「ウリ」という韓国語は、韓国人の情緒的な意味において、非常に強い力を持っています。ですから、この名前を冠した「ウリ党」は、現在与党ですが、この政党名も人々の情緒を引きつける要素として、極めて重要な働きをしていると思います。
三宅善信: 有難うございます。他にご質問のある方はございますでしょうか?
質問者B: 韓国は先祖崇拝の盛んな国ですが、日本の祖霊崇拝と比較した場合、どのような違いがあるのか教えていただけますでしょうか?
呉 善花: 日本の場合は「ご先祖様」と呼んで、主に仏教において死者を祀りますが、韓国仏教では、死を扱うことはまったくなく、ただ信仰としてのみ存在しています。僧侶は葬送儀礼に関わることはなく、韓国では亡くなった先祖はその子孫にしか祀る資格がありません。会社関係など、故人と家族同様に親しく付き合っていた周囲の人々もいますが、あくまでも祀るのは血族である子孫が優先されます。また、先祖は家単位で祀られますから、韓国は他国に比べ、子孫に対する愛着が一際(ひときわ)強い国だといえます。
しかも、韓国では、先祖を祀ることは息子にのみ許されていて、女性にはその資格がありません。そのため、出産に関しては「世界で最も男の子が望まれている国」でもあります。韓国の出生率は日本よりも低く、現在は1・2から1・3人ぐらいでしょうか。そのため、心底男の子を望む夫婦が多く、幼稚園に行きますと「男の子の姿しか見えない」などという不自然なことも起きてきます。毎年、四代前までのご先祖の命日になりますと、長男の家に親戚が集まり、霊前でお辞儀をしますが、この時女性は、後ろで何かを作ったり手伝うことはありますが、霊前でお辞儀をする資格はありません。そのため、息子の居ない親はものすごくコンプレックスを感じるんです。
また、この命日の祭は、ご先祖様一人ひとりに行うため、多いところでは年に三、四十回命日祭を行う家もあります。そんな韓国人が日本に来ますと、たくさん驚くことがあります。街中にお寺がたくさんあり、そこに多くのお墓があることにまず驚きます。私も、日本人にとって死者は非常に身近な存在なのだと感じました。また、家の中にも仏壇や神棚があり、死者は常に人々の近くに居るという感じがします。
一方、韓国では、たとえその人が生前に立派な業績を残した人であっても、死は不浄なものとして扱われます。例えば、「この部屋は誰それが亡くなった場所だ」などと言いますと、なかなかその部屋で眠れないといったように、人は死後、怖いものへと変化してゆきます。そのため、亡骸は山奥など遠くに葬られ、1年に一度、子孫の男子が霊魂だけを家に呼び寄せ、ご馳走を食べさせた(供えてもてなした)後、再び元の山奥へと戻ってもらうのです。ですから、お墓が日常生活をする場のすぐ隣にあるということは、来日したばかりの韓国人にとっては、非常に驚くことのひとつです。
三宅善信: 有難うございます。そうしますと、今、日本で話題の「女系天皇」容認論なんて韓国では大変なことになりますね。女性に先祖の祭祀を任せることになるのですから、議論そのものがまったくナンセンスになってしまいますからね……。
そろそろ時間になってしまいました。まだまだ質問したいことがありますが、本日は総会と重なっているため、ひとまずこの辺で終了させていただこうと思います。後日、また機会がございましたら、呉善花先生をお招きしたいと思います。先生、本日は有難うございました。
呉 善花: 有難うございました。
(連載終わり 文責編集部)