四戸潤弥教授
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▼イスラムとは何か
ただ今ご紹介いただきました同志社大学神学部教授の四戸(しのへ)と申します。今、三宅善信先生もおっしゃられたように、一般に「イスラム世界は解りにくい」と言われますが、何故解らないかと申しますと、イスラムそのものを解説する方と、現代のイスラムを捉えようとする方とに二分化されていることが端的な理由だと思います。1990年には、アメリカとイラクが対峙(たいじ)する形(「湾岸戦争」)で中東が世界の注目を集め、2001年にはビン・ラディンがニューヨークで「9・11(米国中枢同時テロ)」を起こし、アメリカと対決します。この「アメリカと対決」することで、非常にニュースバリュー(価値)が上がるのです。9・11が起こった時、マスコミはイスラム研究の専門家をやっきになって探し出し、「これはいったいどういうことか解説してくれ」と請いましたが、マスコミによく出ている評論家の人たちは、身近な教科書を漁って「イスラムとは本質的に何か?」ということを探した訳です。そこに書かれた内容が「いつの時代のイスラムなのか」も判らない状態で、大抵は、欧米の研究者の研究成果(伝統的なイスラム観)を元に解説していました。それは、現実のイスラムとはまったく違う形であります。
今のイスラム教徒の人たちの中で、「アメリカと対決したい」あるいは「アメリカに抑圧された」と叫ぶ人たちが、いったい何を考えていて、何故、イスラムというものを(対米闘争のイデオロギーとして)結論として出し、アメリカと対決するに至ったのか? つまり、現代のイスラム教徒たちの「イスラム解釈がどこにあるか?」ということを説明しなければ、全くイスラムに関する議論が噛み合わないのです。
しかし、実際にその問題点をきちんと話しますと、講演を聴きに来られた方々やテレビの視聴者は「難しい」と逃げてしまうのです。それどころか、他のパネリストや司会者の方々も議論を避けてしまいます。イスラムそのものに馴染みがありませんから、「前日に付け焼き刃で読んだ高校の教科書に『イスラムとはこうである』と書かれていたが、(四戸のような)専門家の話とは内容がずいぶん違うぞ」となる訳です。本日お集まりの宗教の専門家である皆様は、もちろんそのようなことはないと思いますが・・・・・・。実は、日本における多くのイスラム文献は、仏教用語が援用されていますので、先生方にはかえって馴染みがあるかもしれません。今日は私がお話をさせていただいた後に、各宗教に造詣が深い皆様から逆にいろいろと教えていただけたらと思います。
▼世界は平和から遠のいている
「現代のイスラム教徒が何故このような結論を出すに至ったのか?」という視点を中心として「イスラムとはいったい何なのか」考えていきたいと思っています。もちろん、私自身、すべてのイスラムを知っている訳ではありませんが、カタール大学に在学中の4年半の間、イスラム教徒と共に寮生活を送った経験があります。この時、私はイスラム教徒の本当に良い面も悪い面もつぶさに見ることができましたし、頭の理解だけでなく、体で理解した部分も少なからずあると感じています。仮に教科書に「イスラムではこう言っている」と書かれていたとしても、それが必ずしも皆から承認された前提だとは限りませんから、その場合「では、あなた方の主張に則(のっと)って話をするならば、この矛盾はどう説明するんだ?」と切り返すことで議論を深めることができます。私はこの矛盾点を知っておりますので、今日はそのあたりも含めてきちんとお話ししたいと思います。
開会の挨拶をする左藤恵会長 |
まず、会長の左藤恵先生もご挨拶の中で「世界はだんだん平和から遠のいている」とおっしゃいましたが、私もその点にはまったく同感です。その現状に対し「われわれはどう対応してゆけば良いのか?」について、本日お配りしたレジュメは、その点も踏まえてまとめてみました。私と同じように、サウジアラビアのメッカというイスラムの聖地にある大学を卒業した方が拓殖大学におられまして、2週間前にもその方とお会いしてお話ししたのですが、互いに思わず「アラブ人が叫べば叫ぶほど、イスラエルは妥協するどころかますます頑なになり、和平などあり得なくなるであろうということを解っているのだろうか? アラブ人たちは本当に国際社会というものを理解しているのだろうか?」と意見を漏らしてしまったのですが、それほど今の状況は、本当にどうしようもありません。イスラムという世界を知っている者は、今後は憂鬱で喜びもないままに研究していかなければならないのだろうか? という気すらしてきます。
その友人は9年間、メッカにあるウンムルクラ(「村々の母」の意)大学で寮生活を送ったのですが、その間、アラブのイスラム教徒だけでなく、インドネシアやマレーシア、そしてタイのイスラム教徒とも生活を共にした経験がありますので、ただ単に本から得られる知識を学びに行ったのではなく、イスラム教徒の間で論争が起きた時、それをどのように解釈すべきか? また、その論議がどのような結論に行き着くのかをつぶさに見てきた方です。私は日本で大学を卒業した後に中東の大学へ行ったため、彼ら若いイスラム教徒の学生たちの中に入ると、ちょっと薹(とう)がたった学生でしたので、ただ大学で学ぶだけでは面白くありません。学生たちが、様々な問題点について先生たちに論争を挑む場面で、先生たちがどのように答えるのか? また学生たちはその答えに対してどのように反応するのか? そういった見聞のひとつひとつもキチンとメモを取りながら留学生活を送りました。そういった経験を通して「今のイスラム教徒が何を考え、何故そういう教えを結論づけたか?」という点に注目しております。
▼公平な秩序維持こそアラブ人の関心事
まず「何故、今平和が遠のいたのか?」というと、知らない人はもはやいないだろうと思われるほど報道され尽くした2001年にニューヨークで起きた航空機による世界貿易センタービルの破壊、すなわち「9・11」以降に、アメリカがアフガニスタンのタリバーン政権を崩壊させたことが第一のイスラム政権の崩壊です。それから、2003年の3月20日に、アメリカはイラクに対し戦争を起こしました。この事件はイラク国民へ喜びをもたらしましたが、これはイスラム的観点からではなく「アメリカがサダム・フセインによる独裁政権を倒してくれた」ということに対する感謝です。しかし、アメリカはその後、イラク国内の秩序維持を図らなかった訳です。ですから、アメリカがサダム・フセインによる独裁政権を倒したことについては、イラク国民の多くは悪く言いません。けれども「その後ちゃんとアメリカのお金をつぎ込んでイラク再建をやってくれなかった」と・・・・・・。
その結果、今イラク国内で起こっているのは、部族あるいは宗派間における権力争いをどう処理するか? という問題です。アメリカ軍が駐留している間に、イラク国内における権力の何パーセントを掌握できるかということ。さらにアメリカ軍が撤退した後、誰がイラクを支配するのか? あるいは自分たちの政治権力がどこまで及ぶか? そこの争いに集中していて、本当にイラクを安定的に保つためならば、秩序維持が一番早急の課題でした。
これは私の意見ではなく、例えばサダム・フセインが倒された時、それまでほとんど学校に行けなかったイラク人の婦人が「何故、父ブッシュの時(註:一九九〇年の湾岸戦争時に、米国は巡航ミサイルや空爆でイラク軍を圧倒しながら、自軍に犠牲の生じる地上戦を行わず、結果的にフセイン政権の支配を温存強化させた)に倒しに来ないで、10年後に倒しに来たんだ。あの時倒してくれていれば、もっと楽だったのに・・・・・・」と言うんですね。実はこれはテレビで放映された映像の一部なのですが、その時、一緒に居た家族はただ下を向くだけで、その部分を日本語に翻訳しないままニュース映像が流れてしまいました。アラブにとって、誰が政権を握るか? ということは、個々の人々が参加する政治(西欧型の民主主義)でない以上、公平な秩序維持が一番大切な関心事です。
講師の四戸教授の話に熱心に耳を傾ける
国宗会員各師 |
しかし、アメリカはそれをしてくれなかった・・・・・・。アメリカはそれ(秩序維持)を行わなかったけれども、「(社会秩序の崩壊で)大変なことになった」と、憲法だけを創り、その憲法の枠組みの中で政治を運営させようとしました。そういう枠組みの中で、当初、旧支配勢力(サダム・フセインと同じスンニ派)は「この政権に参加しない」と反対したのですが、多数派を占めるシーア派がこれに参加し、国会議席の大半を占めたため、権力装置を奪われることに焦ったスンニ派は、次の選挙に参加して、ある程度の政治的ポジションを得た訳です。今現在も、この憲法の枠組みの中で動いていますが、彼らが問題としているのは「どのように自分たちの影響力を拡大できるか?」という一点ですが、それは多数決で決まるかというと、中東政治においてはそのような民主的なプロセスが問題ではなく、「気に入らなければ殺す」というオプションもありです。
彼らは「実際にはそのようなことはやらない」と言っていますが、ある女性の大臣は出勤前に殺害されましたし、モスクに対してすら自爆テロが行われていますから、やっていることは事実なんです。「誰がやったか?」ということではなく、そういう方法を許す社会的土壌があるということ。例えば、要人に対する自爆テロにしても、衆目注視の中でやる訳ですから、誰か協力者がいない限り要人には近寄れないはずなのに、爆破テロが巧くいくということは、やはりそういう方法も手段のひとつと考えて「自分たちを蔑(ないがし)ろにすると、どういうことになるか?」ということを実際に見せつけている訳です。こんな風に言いますと「まるでヤクザじゃないか」と思われるかもしれませんが(会場笑い)、そういう点もないことはないと思います。
▼イスラエルにとっては願ってもない展開
少し話が逸れましたが「アメリカが2001年以降にアフガニスタンのタリバン政権とイラクのフセイン政権を倒して、これらの国を占領した後、非常に大きな問題を抱えることになった」というところへ話を戻します。その問題点とは「9・11」以降、イスラエルが対テロ戦争に参加したことです。イスラエルという国にとって、アメリカが(国際法に基づいた正規の戦争でない)テロに対して正規軍を動員する全面戦争を開始したことは、本当に願ってもないチャンスでした。それまでのクリントン政権の時は、イスラエルに新兵器を供与しようとしても、議会の反対にあってなかなかできませんでした。そのため、アメリカは中東のパワーバランスを考えながら兵器を供与していましたが、アメリカが対テロ戦争を始めたことを契機に、イスラエルは招待されないまま対テロ戦争に参加したのです。
彼らにとって「テロとは何か?」というと、「それはパレスチナ人だ」ということになります。そのことに対しアメリカは、「俺たちのこと(対テロ戦争)は俺たちでやる。イスラエルは口を出すな」と言うのではなく、イスラエルの対テロ戦争への参戦を何も言わずに許してしまった。このことが今、大変な問題を呼んでいます。2001年12月以来、イスラエルはパレスチナに対し、政治指導者を家ごとアパッチ攻撃ヘリから発射する空対地ミサイルで攻撃して妻子もろとも殺してしまうような攻撃を何度も行いました。また、2年前に亡くなったパレスチナのカリスマ的指導者アラファト議長は、その死の直前まで、イスラエル軍により議長府(パレスチナ政府)ビルに長らく包囲・軟禁状態に置かれました。
そしてとうとう2006年7月下旬に、イスラエルによるヒズボラ叩きが起こってしまいました。この「ヒズボラ」という組織は国家ではありませんから、イスラエルにしてみれば「ヒズボラはテロリストだ。だからわれわれはテロを叩いているのだ。だから、(対テロ戦争をしている)アメリカに協力している」という論理でやってしまったのです。イスラエルによる「アメリカへの協力」というのは、(世界的なバランスの中での軍事行動ではなく、単にイスラエルの)国益に準じてやっている訳ですから、大変なことになってしまって誰も止めることができませんでした。イスラエルは、南部レバノンを支配しているヒズボラという勢力に対して宣戦布告しましたが、これもまた大変なことでした。
とにかく、戦争を起こす時に、相手国がない形で始まった以上、(相手国の降伏による)勝利を得ることはあり得ないんですね。ですから、今でもタリバーンが勢力を吹き返すということがありますけれど、とにかく独立国の政府の形態を取り、国際法に則って動くような相手でない場合、「いったん戦闘を起こすと、処理に非常に困る」ということに気づかぬまま、「とにかくわれわれに仇なすテロリストをやっつけられるんだ」と、今度はイスラエルがレバノンに対して空爆を行いました。しかし、行ったはよいけれども、(ヒズボラが支配していない)他の地域もとばっちりを受けたことで、結果、イスラエルはレバノン人全員を敵に回してしまったのです。それにより、アラブ世界の穏健派イスラム学者ですら「これは、アメリカとイスラエルがアラブ・イスラムに対して敵対行為を始めたのだ」と認識し、9・11以降、徐々に盛り上がっていたものが「ジハード(イスラムを守る聖戦)」という形になってしまったのです。
▼中東諸国では民主主義体制は存在しない
私はよく「ジハードは解決されるか?」という質問を受けますが、実はジハードを支持する人々は、(イスラエルによって7月に)レバノンが攻撃されるまでは意見が分かれていたんですが、レバノン空爆が行われた後は、アズハル大学の穏健な「中道派」と呼ばれる学者でさえも、このジハードに対して敏感になり、なおかつ、9月下旬にローマ教皇のベネディクト16世が(教皇の母国であるドイツの大学での講演において)発言した「イスラムは理性的でない」という表現に非常にヒステリックに反応し、ジハードのほうに雰囲気が移ってしまった。
これが大変な問題です。まず、そもそもイスラムに熱心な人たちは、「9・11」以前は何を実現しようとしていたのか? と言いますと、素朴な正義感を推し進めていって「(イスラム諸国の)現在の政権は反イスラム的(欧米的)で悪い。(社会正義を保障する)イスラム社会が実行されていないから、現政権を倒すのだ」と、政俗的独裁政権を倒し、自分たちの国にイスラム的な神聖国家を作ることでした。
では、いったい「何がイスラム的ではないのか?」と言いますと、皆さまご承知のように、アラブ諸国はことごとく軍制国家あるいは君主制国家ですから、中東諸国における議会制民主主義国家というのは現実には存在しません。あるのは王制(首長制)の独裁政権、あるいは、「王制打倒」をスローガンに軍事クーデターによって成立したにもかかわらず、これまた独裁政権となって、たとえ「共和国」の名前で政権が樹立されたとしても、結果的には権力の承継が親子間で行われるようになってしまっているため、君主制とまったく変わらない国家ばかりです。
例えば、リビアの国家元首であるカダフィ大佐は、息子を後継者にしようとしていますし、チュニジアのハビブ・ブルギバ大統領は、1985年に息子へ政権を移そうとした時に、逆に側近たちの白色(無血)クーデターによって監禁され、結果、ゼン・アービディン(現チュニジア大統領)に政権を奪取されています。エジプトのムバラク大統領も長期政権で、1981年に就任しているはずですから、実に4半世紀に及ぶ政権を握っていますが、彼も息子を後継者に考え始めています。それから、2000年に亡くなったシリアのアサド大統領も既に息子が政権を継いでいます。これはつまり、息子が独裁を行うのではなく「親の周りにできた利権体制が、王制的な形で以てして継承されてゆく」ということで、民主主義は何も行われていません。ペルシャ湾岸諸国の王制にしても世襲ですから、どこに国民の政治的意見が反映されるのか?と言っても、まったく無い訳です。
これに対し、正義感に燃えたイスラム教徒(いわゆる原理主義者)が「イスラム世界を樹立するんだ」となった訳です。しかし、彼らが樹立しようとする政権は、やはり議会制ではなく、自分たちの奉じるイスラム主義による独裁政権であることに変わりはないんですね。そういう動きが、既存の独裁政権によって弾圧されていたため、「9・11」までは、世界に目を向けるのではなく国内で政治闘争を繰り広げ、アメリカが自国の独裁政権を後押ししている」という形を取っていました。ところが「9・11」以降は、アメリカとキリスト教世界に対するジハードに変わってしまった・・・・・・。そういう風に見ていくと、だいたいイスラム教徒の対非イスラム世界への動きが掌握できると思います。
もうひとつ、中東世界で理解しておかないといけないのは、先ほど左藤先生もおっしゃった「宗教が政治に関与しているというのはどういう形なのか?」という点です。お話を聞いていて私も思ったのですが、イスラムの場合は、非イスラム世界と対峙(たいじ)する場合、文化によって対峙します。ここで言う「文化」とは、四季の移り変わり??中東には日本のような四季はありませんが??や宗教行事、年中行事やお祭りといったすべてを含めて「イスラム文化」として展開されていく訳です。
そういう意味で、すべての人が宗教的行事である断食(サウム)をしたり、あるいは巡礼(ハッジ)に参加したりしますが、そういう意味で、他の非イスラム世界と対峙する場合には、「イスラム文化」という枠組みで捉えないといけないんですね。ですから、われわれ日本に暮らしている者が「イスラム文化圏の地域の人々はどんな風に生きているのか?」ということを捉えれば、彼らがどのようなサイクルで生活しているのかを理解できると思います。
▼対話や和解の道はありえない?
では、イラクのようにイスラム教国内部において対立している場合は、どのように理解したら良いのか? これはコミュニティにおける「所属」の問題なんです。スンニ派やシーア派、あるいはキリスト教徒??イラクにも様々なキリスト教徒、例えばマリアム派やシリア正教派など??が居ますが、彼らはそれぞれ日本の住民登録のように「コミュニティ登録」を行っています。そこで結婚も葬式もすべて行いますし、コミュニティの肝煎(きもい)り(いわゆる相談役)も教会やモスクの中でされています。
では、何故、政治的対立が宗教内部で各派に分かれているのでしょうか? コミュニティは宗教を土台として形成し維持されていますが、それぞれのコミュニティの指導者が政治を執り行っている訳ではありません。各コミュニティに所属している政治家が政治を行うのです。ですから、アラブ人やイスラム世界内部で対立がある場合は、「所属」という観点から見れば非常に理解しやすいです。
それから、イスラム世界との対比で理解する場合は「イスラム文化とそうでない文化との関係における問題」というように見れば良いと思います。国際政治の枠で見る場合は、一番最初に申しましたように「アメリカと対峙するようになってしまった状況をどう捉えるか?」という観点からの問題の理解が必要だと、私は区別して見ています。とはいえ、なかなか難しい話ですから「いったいどうやって見るんだ?」と思われる方もいるでしょう。
最近私は、研究者として憂鬱(ゆううつ)な日々を送っています。昔は、イスラムを知れば知るほどに喜びがあり、日本で教えられた枠組みとは違った観点からイスラムを見ることを通して、新たな視点から日本を見ることができました。また、イスラムについて勉強し、知ることによって、自己主張や意見も述べることができるようになり本当に楽しかったのですが、「9・11」以降は、「これ(イスラム)以外の研究テーマはないのか?」と非常に憂鬱になっています。
何故なら、イスラム教徒がジハードを戦い続けている以上、平和共存や対話も無い訳ですから・・・・・・。多くの人たちにとって、自らの信仰証明、あるいは仲間内における自分のステータスを高めるために「ジハードをせよ!」と声高に訴えることで、まるで「自分が偉い人」になったような気分になってしまった・・・・・・。これはまったくどうしようもない状況です。
やはり、私は研究者ですから、教科書に載っている内容だけをなぞって「イスラムとはこうですよ」と言っても何の意味もありません。今日の話の中で重要な点は、現在のイスラム教徒は、ある国内において、お互いの宗派や宗教が違う場合、それぞれをコミュニティの所属として見ており、また、非イスラム世界と対峙する場合、彼らは自分たちのイスラム文化を誇りとして捉えている。そしてアメリカと対峙する場合にはジハードとしてみている。それが彼らに対する適切な理解です。ジハードが叫ばれていたら、話し合いも何もありません。「そんなことはない、どんな戦争の時も対話はある」という考えもあるかもしれませんが、戦争において対話は存在しません。
ちょっと話が逸れますが、これも非常に重要な点です。イスラエルの現国会議員であり、シャロン前首相の補佐官だったヨエルさんという方が、外務省の招きで八月に来日したのですが、その際に講演会が開催されました。その時、私がレバノン攻撃に触れ、「あなた方が攻撃したきっかけ(イスラエル兵2人がヒズボラに拉致された)は解るけれども、ヒズボラの支配地域以外の地域も攻撃してしまったのだから、レバノン政府は、その被災地を支援し再建しなければならないが、そのお金を国際社会が分担しなければならないのはおかしいんじゃないか? 直接の加害者であるイスラエルは、いったいどのぐらい払う用意があるのか?」と尋ねましたら、「そんなことは必要ない。われわれが爆撃した地域は、すべて間違いなくすべてヒズボラの町であって、他の人々には被害を与えていない」と自信ありげに答えたのです。
爆撃後、国連のアナン事務総長自らがレバノンに出向き「誤爆もある」と表明したにも関わらず、自己主張を繰り返してまったく反省の色が見えませんでした。さらに「レバノンからわれわれが少しでも撤退しようものなら、彼らは『アラブは勝利した!』と叫んでますます暴れるだろうから、これは力で抑え付けるしかない」と何の衒(てら)いもなく堂々と言うのを見て、私は「戦争とはこういうものか」と感じました。
それは決して驚くような発言ではなかったんですが、イスラエル人が言うのを直接耳にしたのは初めてでした。それ以前にどこでこういった話を耳にしたかと言いますと、中東で寮生活を送っていた時に、同じ寮生であるアラブ人たちが、逆の立場からまったく同じように「イスラエルのやつらはおかしい。あいつらは間違っているんだ。アメリカと結託してわれわれを攻撃しているんだ」と悪びれる様子もなく言っていたのを覚えています。彼らは、地図にイスラエルと書かれているのを見つけた途端に「パレスチナ」と書き換えるほど非常に憎んでいました。本当に対話など存在せず、戦争当事者というのは何の後ろめたさもなく本当に憎み合えるものなのだと驚きましたが、先々月に行われたイスラエルの国会議員の方の講演会の折にその記憶が甦りました。
しかし、とにかく戦争を止めるためには、誤爆であろうが、正しい爆撃であろうが「損害を与えたら弁償をしなければならない」という国際法を作ってほしいですね。たとえその攻撃の発端が政治目的であっても、軍事目的であっても、「損害を与えたものは修復し、原状回復しなければならない」という国際法を作ってもらえたら・・・・・・。私の素朴な願いです。そうすれば、お金がかかりますから「攻撃は止めておこう」と思う人もいるのではないでしょうか?
話が逸れました。本題に戻りましょう。そういった現状でジハードが叫ばれている以上、対話や和解の道といったものは、現実問題としてありえません。そういった状況で私たち研究者が何の役に立てるかというと、やはり彼らの論理に立って、彼らの解釈が果たして本当に正しいのかどうか? 仮に彼らが正しいとしても、また別の正しさもあり得るのではないかということを提言して、少なくともイスラムという本来の宗教が他の宗教に対して開かれた部分を抽出して、それを日本の人に伝えることが研究者の義務ではないか? と思います。そういう思いで今日まとめました。
同じイスラム教の研究者であっても、欧米の文献で勉強している人ではなく、中近東のアラブの大学を出た方を私は大勢知っていますし、また研究会も開いておりますので、できればそういう学者をサポートして研究費を頂ければ、どんどん翻訳も進めることができますので大変有り難いです。現在、われわれのような中近東の大学で実際に学び卒業してきた者は、国立大学のイスラム教研究の場からキックアウトされているのが現状です。そういった辛(つら)い状況の中で、アラビア語を駆使しながら副業で生き延びているような状態です。が、少なくとも、中近東の大学を卒業した者は、肌感覚でイスラム世界を理解しているという利点もあります。
▼イスラムとは一神教ということ
まず「イスラムとは何ですか?」という問題提起に対し、かいつまんで答えますと、「イスラム」とは、「預言者ムハンマドが説いた宗教」という意味ではなく、コーラン(アラビア語の発音では「クルアーン」)そのものから解釈すると、単に「一神教」という意味しかありません。ここが非常に重要なポイントです。イスラムの啓典には、最初の人類としてアダムの名も書かれてはいます。コーランにおけるイスラムの意味なんですが、渡したレジュメの参考資料3ページ目を開いていただけますでしょうか。ここではコーランにおけるイスラムの意味について、解りやすいように表にしました。
イスラムの聖典コーランに書かれている「イスラム」の意味を抽出すると「一神教」という結論しか出てきません。ですから、現在のイスラム教徒が「イスラム教」と呼んでいるものと、コーランに書かれているイスラムは違ったものなんです。彼らイスラム教徒はそのことを知っているんですが、決して自らは言わないですね。ですから、われわれは原典の研究を進めることによって、たとえ彼らイスラム教徒が頑(かたく)なであったとしても、「イスラムに対するあなた方の歴史的解釈があるし、成果を生んだ事実は解るけれども、そのままでは対話も何も無くなっていくのだから、今一度、神(アッラー)の言葉に立ち返り、もう少し時代を超えて見ていく必要はあるんじゃないか?」と彼らに言えると思うんです。
3ページに掲載したのはコーランの引用なんですが、ユダヤ人の先祖であるヤコブやノア、あるいはキリスト教のイエスなど、全て同じ神(アッラー)を信仰する一神教の預言者として位置づけられています。しかし、この人たちは断食(サウム)は行いませんし、現在のイスラム教徒と同じような作法で礼拝(サラー)をしている訳でもありません。また、巡礼(ハッジ)が頻繁に行われた訳でもありません。
ただ、イブラーヒーム(アブラハム)とその息子イスマエルが、メッカのカーバ神殿を造ったと言われていますが、ここに登場するイスラム教徒と呼ばれる人々は、今のイスラム教徒と同じ戒律を持っていた訳ではまったくありません。にもかかわらず、コーランに於いて「この人たちがイスラム教徒だ」といえるのは、どういうことかと言うと、――これは皆様のご専門だと思いますが――教義と戒律(実践行為)とは異なるんですね。
この2つは別物だということが、実は非常に重要です。宗教の核でもある「一神教」という点は、信仰と深く関わってきます。「信じる」とは、見えないものを信じ、神を信じることですが、それはひとつなのだと言ったのが、アダムであり、ノアであり、ユダヤ教の預言者たちです。その形においてコーランは「彼らはイスラム教徒だ」ときちんと言っています。ですから、「イスラム教は、6〜7世紀に実在した歴史上の人物であるムハンマドによって始められた宗教だ」と一般に理解されていますが、彼らイスラム教徒にとっては「イスラムは人類史の最初から存在していた」とコーランでは展開されています。
では、人類の救済史の中における預言者ムハンマドの存在意義とはいったい何なのか? というと、これはつまり「このイスラム(一神教)の救済史にアラブ人が参加した」ということを言いたいんです。実際、当時の預言者(ムハンマド)の伝記にも「預言者に啓示が降りたということに対して、アラブ人たちは喜んだ」という記録が残っています。これは、「アラブ人たちも一神教の系譜に繋がることができて、啓典の民になった」という喜びなんです。よく「イスラム教は、キリストとユダヤ教をまとめて否定し、確立した」と言われますが、実は、まったくそのようなことは言っていません。それならばアダムもイエスも否定されるはずですから・・・・・・。
そうではなく「アダムやモーゼやイエスを承継して、救済史の道筋の中にアラブ人たちが参加できた」ということがイスラムなのです。戒律という側面だけを見れば、アダムに下された戒律と、モーゼに下された『十戒』は違います。また、キリストに下された戒律(新約)も違いますし、ユダヤ人であるヤコブやソロモンに下された戒律も全部違います。にもかかわらず、「すべてイスラム教徒である」ということは、「戒律とは実践なのだから、たとえ戒律が異なっていても信仰(一神教)が同じ」であることがイスラムの要点なのです。この事実に、ほとんどの人は触れていません。一般に、イスラムとは、中近東に現存するイスラム教徒の宗教を指し、アラブ人自身も自分たち以外はイスラムではないように言っています。
▼一神教徒に加わることができたアラブ人
しかし、どうしてそのようなことを言えるのかといいますと、現実問題として、「経文(コーラン)は暗唱してるけれども意味がまったく解らない」という状況があります。コーランは礼拝の時に使いますから、多くの人が諳(そら)んじることができますが、国民の大半がイスラム教徒であるインドネシアから来た留学生でさえ、アラビア語で書かれたコーランの文言の意味がよく解ってないことがありました。ある時、私が「これはこういう意味だよ」と教えると、彼は「初めて意味を知った」と言うので、驚いて「経文の意味を知らなくても構わないのか?」と尋ねると、「いや、意味が解らなくても文句を唱えることはできる」と言うんです。「経典(コーラン)そのものの神学的理解は必要ないのか?」とさらに突っ込むと、経典に記された神の言葉を唱えるのは、「神に聞かせるためであって、自分が神を崇めたということを確認すれば良く、本人がどの程度、原典(コーラン)の内容を理解しているかは関係ない」と言うのです。ですから、イランなどに行きますと、経典を読めない人たちは「お金が貯まったら、コーランを読める人にお金を払い、自分たちが礼拝をする脇でコーランを読んでもらう」というようなことを頻繁に行っています。
啓示である原典に立ち返ることは宗教的に非常に重要なことなんですが、実際には、原典に立ち返らないイスラム教徒が圧倒的に多い。こういった人々は、何かの問題に直面した時、近所に住むイスラムの知識を持った人に質問し、「それはこうだ」と返ってきたその人の解釈を優先し、預言者ムハンマドやコーランに立ち返らないのです。それが、現在存在する12億人のイスラム教徒の実態なのです。もし彼らが皆、本当のイスラムの原典(に記されたままのあり方)に立ち返ったら、全世界にこれほどの数のイスラム教徒は存在できないでしょう。そのことを、われわれは普通の感覚で理解しないといけない。
イスラム教徒にとって重要なのは「理解」ではなく「導き」なんです。正しく導いてイスラムの教えを実践することが理想なんですが、多くの人は日常生活に溺れて戒律を実践できませんから、代替行為として、聖者の体に触れたりすることで少しでも戒律を実践した人の功徳を貰おうとしますが、これは民間信仰になります。ですので、(イスラムの教えに矛盾するように思える)聖者を祀るという行為は、聖者を崇拝するからではなく、その人に触れることで神に近づくという思いがあるんですね。ホメイニ師にしても、彼を尊敬し、ホメイニ師の言うことを聞いたり、触ったり、師の墓を訪れることで、ホメイニ師が修行して積んだ功徳にあやかろうとする人々が結構いるのです。それが現実のイスラムです。
ですから、彼らはイスラムの原点に立ち返っているのではなく、教えられたイスラムを学んで理解している訳です。その教えられたイスラムとは、すなわち歴史的にいろんな解釈が構築され、文化的に受容されたイスラムです。今、日本の研究者は、イスラムの原典から論じはじめる人が多いですが、彼らと現実のイスラム教徒との話が噛み合わないのは当たり前なんです。参考資料3ページから4ページにかけて掲載したコーラン10章では、「イスラムとは一神教だ」ということが強調されていますが、これが重要な部分です。この10章において、彼ら(アラブ人)は、「(同じ一神教徒である)ユダヤ人とイスラム教徒は和解すべきだ」とも言うことができるんですね。
では、「(現実に存在する)イスラムはインチキなのか?」というと、そうではありません。コーランは戒律も含んだイスラムについて言っています。アラブ人たちが「自分たちこそ本当の宗教(イスラム)だ」と主張する時に用いるコーランの一部を読みますと、「今日、われ(アッラー)はあなたがた(アラブ人)のために、あなたがたの宗教(一神教)を完成し、また、あなたがたに対するわれの恩恵を全うし、あなたがたのための教えとして、イスラームを選んだのである」とあります。ここで彼らは「だから、自分たち(アラブ人)こそが(真の)イスラム教徒なのだ」と言う訳ですが、解釈書はそんなイデオロギー的な解釈を行っていません。
戒律は、一度に降りた訳ではなく、信仰告白、礼拝、喜捨、断食などの異なるものをひとつずつ確立していき、最後の巡礼が行われたことで「ようやくイスラムも完璧な一神教になった」という部分がこのコーランなんです。これを現実のイスラム教徒は「自分たちの一神教は完璧になって、ユダヤ教とキリスト教を統合するものだ」と言っていますが、解釈書を読む限り、これとはまったく別の解釈も可能です。
それはどういうものかというと、「(長い)修行を経て、ようやくアラブ人たちも一神教の啓典の民に加わることができた」という確認のメッセージだと理解することもできるのです。ですから、コーランにおけるイスラムという意味は、今私たちが考える「イスラム教徒が独占している宗教」ということには絶対ならないのは確実なのです。
しかし、こういった研究はまったくされていませんし、また、アラブ人たちも自らそのようには言いません。アラブの学者の中には、こういった内容を記録として残している人もいますが、もしわれわれが欧米の文献からのみ「イスラム研究」を進めていたら、こういった内容は出てこないでしょう。
▼預言者が理解したとおり一神教を実践してゆく
次の話に移ります。預言者自身にとって「イスラム教とは何か?」というと、これは教科書に書かれてあるとおり、「六信五行」を指します。一神教としてのイスラムと、預言者ムハンマド固有のものとしてのイスラム。つまり、イスラムには「一神教としてのイスラム」と「現実のイスラム教徒のイスラム」の2つの意味があるのです。では、同様の定義で「ユダヤ教とは何か?」と質問しますと、「一神教という意味でのイスラム」にユダヤ教の戒律を併せて用いたもののことで、同様に、「キリスト教とは何か?」といいますと、一神教の部分と、戒律としてのキリスト教が合わさったものです。
この「戒律としてのイスラム教」は、五行と言われる部分で、一方、六信はイスラム教徒が信じなければならない信仰の問題です。この「六信とは具体的に何か?」と申しますと、まず啓典の書に記された啓示を信じ、神(アッラー)は唯一であって、預言者たちが遣わされたことを信じる。それから、天使(御使(みつかい))たちの存在を信じ、来世の存在を信じ、良い運命も悪い運命も信じることです。要するに、六信と呼ばれる信仰の部分において、一神教のことしか述べていません。
しかし、五行の部分では、実際に口でもって「神はひとつで、ムハンマドは預言者である」と告白(シャハーダ)しています。しかし、これは何も「ムハンマド以外に預言者はいない」と言っている訳ではなく、「ムハンマドは預言者である」と述べているだけです。2つ目は「礼拝(サラー)」ですが、どんな形で礼拝を行うのかというと、「ムハンマドが当時行っていた形でやれ」と・・・・・・。3つ目は「断食(サウム)」ですが、この断食にしても「当時行われていたとおりに断食を行いなさい」と言っています。日本語で普通「1カ月の断食」といえば、そのまま1カ月間何も食べないで食を断つことを意味しますが、ムハンマドの場合は、明け方30分ぐらい前から日の入りまでしか断食しませんでした。この断食のやり方は非常に特異なものですから、やはり、この断食は戒律として考えなければならないでしょう。4番目が「喜捨(ザカート)」ですが、これはいわゆる救貧税で、必要経費を除いた所得(利益)から2・5パーセントを義務的に出すことです。これも、当時の宗教的施しである自発寄付(サダカ)という行為をするにはどうしたら良いか? という知識が要る。
五番目は「エルサレムではなく、アブラハムとその息子イスマエルが作ったカーバ神殿に礼拝しなさい」というものですが、アッラーは至る所にいる訳ですから、別にカーバ神殿に礼拝しなくても良いのですが、それでは、礼拝時に方向性が判らなくなるので、これを礼拝の規範としたのでしょう。この5つの戒律を実行することがイスラム教徒であるということなんです。
以前、イスラム教徒の方を伴って京都の西本願寺を訪れた時に、仏教における宗派とは「宗祖の理解の仕方で以って生きていくことである」ということをお聞きしましたが、まさにイスラムとは「預言者が理解した、預言者がなされた戒律に従って、一神教を実践していく」ということです。このように理解してゆくことが本当のイスラム理解なんです。
例えば、イスラム法を用いて「イスラムはこうである」という説にどんどん押し切られ、そのまま聞き入ってるだけでは、私は対話も何もないと思うんです。しかし、そこで「あなた方が戒律に従ってこのような行いをした場合、このこととあのことは矛盾するんじゃないか?」と指摘できることはたくさんあるんです。
例えば、コーランの矛盾した部分のひとつに「(イスラムは)女性を尊重しているので遺産の分け前の半分は女性がもらえる」とありますが、これは「子供が女の子1人だけだったら」という前提が付いてるんですね。男の子もいる場合は、この文章の前に出てくる「男の子は女の子の2倍のハッズ(幸運)がある」という文章と調和させて理解させるために、女の子は男の子の半分しかもらえず、結果的に、全体の3分の2を男の子が、3分の1を女の子がもらうことになってしまいます。これは決して条文では理解されませんし、コーランに書かれていることをそのまま適用している訳ではないんです。この場合では、「幸運(ハッズ)=分け前」と解釈しているがゆえに矛盾が生じている訳です。
こういった余地があるからこそ、われわれも彼らの勉強をする訳です。また、矛盾にしても、どこが正しいのか判らないこともたくさんありますが、これは「人々の生活に応じて一番やり易い方法を取れ」というやり方を採っているだけです。そういった意味でも、もっとイスラム研究を進めれば、彼らとの対話の道は開けるのですが・・・・・・。先程述べた2番目の意味、すなわち「今のイスラム教徒のイスラムは戒律」という意味ですから、この戒律を基に欧米やイスラエルと戦っているのだとしたら話し合う余地はありませんが、一神教という枠であれば、何か話し合う糸口が見つかるのではないか? と私は思います。
▼宗教間対話の可能性
最後に、本日お渡しした資料には書いていませんが、日本の宗教について触れてみたいと思います。日本の宗教をイスラム教はどう見ているかと言いますと、「仏様はもしかしたらアッラー(神)の御使(みつか)いかもしれない」と思っています。つまり、仏教という宗教は、イスラム側の歴史的な記録には残っていないけれども、コーランには「神はすべての民族に啓示を下した」という一節がありまして、それが神の言葉である以上、「自分たち(イスラム教徒)の知らないことも神は行った(啓示を下した)かもしれない」ということで、もし仏教の教えに、一神教とか戒律に共通した部分があるとすれば・・・・・・。つまり、「ひとつに収斂(しゅうれん)する」という一神教的な要素を見出せれば、彼らはそれに非常に関心を持ちます。
例えば、エジプトのアズハル大学(註:スンニ派の世界最高学府とされている)では、インドに比較宗教学の学生を送り、現地で生活をさせて、10年ぐらいの研究期間を経た後、本国に呼び戻し、比較宗教学の教授にして学生たちに教えさせるようにしています。また、(華僑の多い)インドネシアでは、儒教に関心を持って、孔子の教えの中に一神教的要素があるかどうか検証し、「これまで自分たちが知らなかった世界の歴史の中に、一神教と共通するものがあるんじゃないか?」と探っています。そういう意味で、アラブのイスラム学者たちは、決して他宗教を排除している訳ではありません。他宗教に対して非常に関心を持ち、その中の一神教を見つめようとしています。
1993、4年だったと思うのですが、私は千葉県野田市に本部のある新宗教教団の霊波之光に行ったことがあります。野田市には、出稼ぎで来ているイラン人たちが数多くいるのですが、彼らは休日といっても特に行く当てがある訳ではないので、週末には野田市にある霊波之光教団へ足を運び、そこで一緒に祈ってるんです。「あなたたちは何故、ここで一緒に祈っているんですか?」と私が尋ねますと、「日本に居る間はここで祈っていて良い。イランに帰ればジャアファル・アッ=サーディク(註:シーア派を確立した八世紀の人。第六代イマーム)のもとでお祈りすれば良い」と言うんですね。その時は、その2つの行為は矛盾していないのかと驚きましたが・・・・・・。
私が訪れた時、教団の方が(イラン人の話す)ペルシャ語と(私が話せる)アラビア語は同じだと勘違いされて、彼らイラン人に「霊波之光の説明をしてほしい」と頼まれました。霊波之光教団の紹介に出てくる最初の絵は、雲の上に光が出てくる様なのですが、これを説明し始めると、イラン人たちは「これはイスラムだ」と言うんです。何故イスラムなのか? ご存知ない方もおられるかもしれませんが、イスラム教とは「光の宗教」なんです。「光が善である」というのがあるのですが、最初に啓示が下った場所はメッカの郊外にあるヒラーの洞窟です。そこへ私も何度か小巡礼(ウムラ)で行きましたが、その場所は「ヌーリスタン」と呼ばれています。ヌールは「光」、スタンは「土地」を表すので、「光が降りた場所」という意味になりますが、光というのは神の意味を表しているため、イランの人たちは霊波之光の説明を聞いた時に「これはイスラムだ!」と思った訳です。
(次号へつづく 文責編集部)