大阪国際宗教同志会 平成19年度第1回例会 記念講演
『平和を実現する祈り』
              

国際政治・軍事アナリスト
                        小川和久

2月16日、金光教泉尾教会神徳館国際会議場において、大阪国際宗教同志会(左藤恵会長)の平成十九年度第3回例会が、神仏基新宗教各派の宗教者約60名が参加して開催された。陸上自衛隊除隊後、同志社大学神学部で学び、1984年、日本初の軍事アナリストとして独立。2006年、国家安全保障に関する官邸機能強化会議(議長・安倍首相)民間議員をはじめ、危機管理に関する多くの役職を歴任されている国際政治・軍事アナリストの小川和久先生をお招きして、『平和を実現する祈り』という講題でお話しいただいた。



小川和久氏

▼唱えるだけでは…

皆さん、こんにちは。ただ今ご紹介いただきました小川和久です。宗教家の先生方を前に本日の『平和を実現する祈り』は、大変罰当たりな講題かもしれません。

実は、1989年11月に、同志社大学が、かつて授業料未納で除籍になった私を講師として呼んでくれたのですが、神学館の礼拝堂を会場に開催されている「チャペルアワー」という講演会がありましてね。聞きに来る人は、教授や牧師さんが多い訳ですが、そこで私は、最初に「(平和を)お祈りして戦争はなくなりましたか?」あるいは「お祈りで平和は実現できましたか?」と切り出しました。

「平和、平和」とお題目を唱えるだけではアカンのです。やはり、祈る気持ちを形にしていかないと平和は実現できません。それは宗教界だけでなく、日本国中、右を向いても左を見ても同じこと。皆、ブツブツと一丁前のことを言うけれども、「平和を実現できるような営みはどれだけできているのか?」ということが、今後問われるでしょう。その辺りを皆で考えていこうと、このような演題を付けさせていただいた次第です。

本日はスライドを使ってお話しさせていただこうと思いますが、今日ここで扱うものは、時事的な内容ではありません。時事的な話は、コーヒーブレイクの後、いくらでもいたします。一応、私は政府の公職に就いている人間の一人であり、ある意味、そのど真ん中に入っています。さっきも「国家安全保障に関する官邸機能強化会議のメンバーだ」とご紹介いただきましたが、官邸とは総理大臣官邸を指しますが、安倍政権になりまして「ここ(官邸)に(各省庁を統合的に動かす)司令塔がないから創ろう」ということになりました。因みに、この会議のメンバーは、委員ではなく、議員と呼ばれます。

確か大阪の大学の教授で経済財政諮問会議の民間議員だった方が、東京都心の国家公務員官舎を格安で借り、北新地のホステスだった愛妾と同棲していることが発覚し、辞任したでしょう? 彼と似たような立場です。しかし、この会議には、塩川正十郎さんをはじめ、経験豊かな方が多数加わっておられます。そこでは、現在進行形の六カ国協議の問題、あるいはイラクの問題、あるいはイランに関する問題などをやっていますが、本日紹介するのは、基礎的な問題であります。


パワーポイントの画像を使って解り易く講演される小川氏

そして、このスライドは、先ほど三宅善信先生にもお話ししたのですが、去年の6月30日、慶應大学経済学部で、ある意味で相反する意見の人間を二人呼んできて、一日がかりで特別講義が行われました。テーマは『日本国憲法』で、相方は土井たか子さん。私は、土井さん自ら相手としてご指名してくださった売れっ子ホストですよ(会場笑い)。護憲派の土井さんが小川を選んだ理由は、「小川は憲法改正を謳(うた)っている。しかし、あいつが憲法改正派の中で一番ロジカルだし、筋が通っている」と…。思わず「土井さん、私に気があるんじゃないか?」(会場笑い)と思いましたが…。

土井さんは同志社の先輩ですから、「憲法学者ならば、憲法改正の手続きを踏まずにどうやって護憲の理念を実現するんですか?」と率直に尋ねますと、「そのとおりだ」とおっしゃる。「憲法改正の手続きを踏みながら、ある一定の振幅に収まっていくのが先進国の民主主義だ。なのに『憲法改正をしたら、右カーブするだけだ』というふうに思いこんでいるのはおかしいんじゃないか?」と…。慶應大学の階段教室での講義の冒頭、土井さんは「私は『憲法改正するな』とは言いません。改悪してはならない」とおっしゃった。「そのとおりです。それでいきましょう」ということになった。それで議論が噛み合ったんです。その時、使ったスライドを用いて、まず一時間ぐらい駆け足でお話をさせていただきます。


▼憲法前文の精神を具現する

最初のスライドからいきますが、講義のポイントが十点ぐらい書いてあります。慶應大学での講義の時は『日本国憲法と日本の役割』という演題だったため、そこから書いております。二番目は、軍事問題をとりまく議論の問題点、あるいは科学的な視点等を列挙しています。これを駆け足でお話ししていきたいと思います。

あの時は「日本の役割」がテーマとして与えられていたため言ったんですが、「『世界の恒久平和を実現するために役割を果たす』ということは、既に日本国憲法の前文で謳われている。ただ、「どうやって役割を果たしていくんだ?」という問題が残ります。前文に書かれている文言と、九条との整合性の問題などいろいろありますよ。けれども、それを高らかに謳い上げているにもかかわらず、それを形に(具体化)していくための営み(方法の指示)が何もない。これでは嘘つき以外の何者でもない。世界中どこへ出しても「嘘つき」と言われるし、また、どういう立場の国からも「嘘つき」と言われている。日本国憲法については、「諸外国からそういう目で見られていることを前提に取り組んで欲しい」というようなことを申し上げました。ここに書かれているように、憲法の前文には、「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う」とありますが、これはすなわち、日本国民に「平和の実現への取り組みが求められている」ということです。

私はこの話を経済界でもよくしますが、以前「今の経済界は、欲の皮ばっかり突っ張って、金儲けの方法を知らん」というようなことを経済同友会で言った時、反論はゼロでした。まあ「お前に金儲けの方法を教えてもらいたくない」と思っておられるかもしれませんが(会場笑い)。しかし、世界が平和でなければ、世界を舞台とした日本の企業の経済活動は成り立たないんですよ。あるいは、世界が平和であることによって、日本国の安全もより確かなものになる。その世界の平和と日本国の安全を足場にして、企業活動もあるんですから…。物事には順序ってものがある。世界平和と国家の安全があって、はじめて経済的繁栄があるんです。安全なくして繁栄なし。

それなのに、経済人まで、ただブツブツと「平和、平和」って唱えていたら、平和も安全も繁栄も全部向こうからやって来るように思いこんでいる。だから、「もっと儲かるのに、よう儲けない訳です」などといった話をしていきますと、日本の経済人は皆下向きますよ。日銀総裁まで下向いちゃったからね。「アカンわ、これは」と…。それぐらいの激烈な話を私はいつもします。

では、実際にどのようにすれば戦争を回避できるのか? また、現在はテロの問題がいろんな場面において深刻な課題となっておりますが、どうすればそれを克服できるのか? これには、愚直なまでに、ひとつのロードマップを描いて、それを実行していく以外にない。そこのところを話していこうと思います。次にまいります。


▼軍服を着た市民として

とにかく、日本においては、軍事について話をすること自体「羮(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」というか、そもそも「軍」という言葉が嫌いなんですね。そこで「軍」という言葉を避けて「自衛隊」とかね…。しかし、話はそう単純なものじゃない。では、言い換えて平和により近づくことができたのか? 嘘でしょう。後ほど話しますが、自衛隊はある部分しか能力が高くないけれども、立派な軍隊です。それを言い換えているだけで「軍隊じゃない」なんて論理は世界中どこへ行っても通じません。防衛庁もそうですね。今度「防衛省」になったけれども、マスコミは「(庁より上の)省になったから暴走するんじゃないか? 独走するんじゃないか?」と聞いてきますが、あれは文部科学省や法務省と同じような国家国民のための装置に過ぎない。「装置が暴走するかどうかなどと、当事者意識を欠いた状態で眺めていてどうするんだ」と思います。

ですから、「国民が税金の使い道を通じて、自衛隊をきちんと健全かつ適正な格好にコントロールしてゆく。それが民主主義やないか。阿呆なこと言うな!」と、私がこんな情けない話をしなきゃならんのです。こんな議論ばっかりで、やってられません。だから、実態としては、軍隊としての自衛隊をコントロールできていないというところがある。

僕の場合は、たまたま家が潰れて仕送りしなきゃならなくなったから、15歳で自衛隊に入った訳ですよ。僕だって「高校行って、東大行って、外務省入って…」という普通の道を歩みたかった。ただ、そういう道自衛隊は、傍(はた)から見るよりも、実際はすごく民主的な組織なんですよ。しかし、中には危ない奴も結構います。だから、(内閣府の外局の)防衛庁から独立して防衛省になった延長線上に、自衛隊をいきなり軍隊にするのはあかん。それをこの間、総理官邸で行われた会議の時にも、私は、安倍総理を前にして言いました。やはり、その前にドイツの連邦軍が歩んできたような、民主主義の軍事組織の位置づけを明確にする必要がある。例えば、「国家」あるいは「民主主義」、「市民社界」、「宗教」、「文化」、「異文化」といったカリキュラムを軍人に徹底して叩き込んできているのがドイツ連邦軍です。


小川氏の熱弁に真剣に耳を傾ける国宗会員の宗教家諸師

それでも、軍事組織というところは、末端にいくとおかしなことが一杯起こる。そんな営み(教育)を一回もやっていない自衛隊に、軍の地位は与えられない…。さすがに統合幕僚長まで行く奴は、そういった面(自衛隊員教育の不備)をよく解っていますけれど…。しかし、トップまで行く奴でも、あの閉鎖的な組織である自衛隊の中しか知らないから、「自分の世界しか知らない」という面において、宗教界と一緒です。自分の世界しか知らないから、一般社会で同じように傍若無人に振る舞っても同じように通じると思って、山賊みたいな面(つら)して御輿(みこし)に乗って、問題を起こすカルト教団の大将がいるんですが…。自衛隊にもそんな奴がいるということは、一般の人は判らないでしょう? だからやっぱり「軍服を着た市民」というコンセプトの下に、自衛隊員にもキチッと社会教育をやっていくということをやらないと、いずれわれわれはその番犬(自衛隊)を殺さなきゃならなくなる。

軍人を犬に例えるのが嫌いな人は嫌がるかもしれませんが、僕は犬好きなので、犬に例えるんです。軍事関係者は、自衛隊も含めて国家国民の番犬なんです。そして今、われわれはより大きくて強い番犬を飼おうとしているのです。しかし、犬は大きければ大きいほど、飼い主であるわれわれ国民の手に負えなくなるという危険を孕んでいる。やはり、犬は何処へ出してもキチッと振る舞えるような犬として、子どもの時に、厳しく訓練し、仕込まないと駄目。そうしないと、後で犬を処分しないといけないという悲劇に見舞われます。それをやろうという話です。


▼野犬の出番

ドイツ軍には内面教育というのがあるんですが、去年の7月末に、かつて防衛庁長官だった石破茂さんと、大阪府選出の公明党の衆議院議員である佐藤茂樹さんに、これを見に行ってきてもらいました。そういった動きもやっています。

とにかく日本の場合、「軍事」というと、言葉を変えるだけで済まそうとしますが、これはまやかしですよ。とにかく「軍事大国化批判」が周辺諸国から出るし、それを気にするような議論があるし。あるいは、逆に『蟻の一穴論』というのがあるでしょう?「国際貢献の美名の下に自衛隊を海外へ派遣し、それを突破口にして海外に軍隊を派兵できるようにしよう」と…。しかし、この議論も全部一般論から入っているため、根拠はないし、説明が付かない。おかしな、ありそうな話を言っているだけなんです。

あるいは、最近『核武装論』が出ていますよね。これだって、麻生太郎外務大臣や中川昭一自民党政務調査会長、彼らの気持ちは解らないでもないけれども、これも「根拠がないから、いい加減にその話を止めようよ」という話なんです。核兵器だけ持ったら、日本の安全保障が成り立つような議論なんです。しかし、実際には核兵器だけを持つことはできないんです。その前に巨大な通常戦力を持ち、その上で核を持たないといけないし、その時は、アメリカとの安保体制を全部解消しないと駄目。その場合、ものすごいリスクと、その軍事力を維持するためのコストが必要となる。これも後でちゃんと話します。「そんな議論もしないでどうするんだ?」という話です。

そんなことばっかり言っていたら、安倍政権になったら、総理大臣のお膝元に専門家を一堂に集めた会議ができて、私にもお声がかかりました。この会議は14人で構成されていますが、3人は安倍総理大臣と塩崎恭久官房長官と小池百合子安全保障担当補佐官という国会議員で、残りの11人が民間選出ということになっていますが、実際、純然たる民間人なのは私だけです。何故なら、座長が石原信雄さん(元内閣官房副長官)、塩川正十郎さん(元財務大臣)、佐々敦之さん(元内閣安全保障室長)、岡崎久彦さん(元駐タイ大使)。みんな公務員じゃないですか! 他にも防衛事務次官だった佐藤謙さん、初代統合幕僚長の先崎一さん。私より若いのは東大の北岡伸一さんぐらいですが、彼も前の国連次席大使ですから官僚みたいなものです。15歳で自衛隊に入って、高校は通信教育で出て、大学は同志社を途中で除籍になって、田舎で新聞記者や週刊誌の記者をやった後、フリーで食べてきたのは私ぐらいです。ですから、犬に例えたら、他の議員の方は皆「血統書付きの純血種」みたいなもんで、私だけが野犬です。けれど野犬も役割を果たさないとあかんからここに居るんだろう。だから「言いたいこと言うぞ」と言っています。


▼政治がリードしないと本当の力が発揮できない官僚機構

(国家安全保障に関する官邸機能強化)会議では「外務省が駄目だ」あるいは「防衛省のどこに問題があるか」といったことを、各省の事務次官がずらっと並んでいる(註:会議の構成員ではないが、主要省庁の事務次官が後方に陪席している)前でひとつひとつ指摘していきます。「官僚に任せておいて、この国がなんとかなるならば、この会議は必要ない」と…。そこから始めるんですが、私は何も「官僚が悪い」と言っている訳ではありませんよ。官僚と官僚機構には限界がある。これはアメリカでもフランスでもどこでもそうです。選りすぐりの秀才を集めても、それだけでは駄目なんです。
官僚は頭が良いですからね。とにかく「この問題について答案を書きなさい」と言われると、「こういう答案が必要だ」と、パッと頭に浮かぶんです。ただし、そのままではものごと(政策)は実現できません。合格点の答案を書くためには、自分の役所だけではなくて、他の役所に手を突っ込まなければなりません。4つ、5つ、6つの役所に同時に手を突っ込んで答案を書かなければ、良い答案は書けない。ところが、政治がそれを可能にしてくれない限りは、自分の役所の責任と権限においてしか答案が書けない。そうなってくると、日本の官僚が書いてくる答案は、100点満点のせいぜい20点から30点ぐらいのものです。これじゃあ駄目。これを80点にもっていくために、「この方向に行かなあかん」、「この役所とこの役所が一緒に仕事やれ」と、政治が官僚機構をリードする責任があるんです。しかし、そのリードする組織もなければ能力もないというのが、これまでの日本の政治ですよ。「官僚たちは、東大を優秀な成績で卒業したんだから、任せておいたら良いだろう」などといった馬鹿な幻想の下にいるからです。東大出の人を有り難がっていたら、身が持ちませんよ(会場笑い)。因みに、私の下にいる課長は5人とも東大を優秀な成績で出た人たちですが、何故、中卒の私に使われてるんでしょう? それは、彼らにも限界というものがあるからなんです。

ですから、官僚機構というものは、政治がリードしないと持てる能力を発揮できないということを解る必要があります。アメリカにしてもどこの国にしても、NSC(国家安全保障会議)のような指令塔があって、一歩二歩必ず官僚機構をリードしながら行きますが、日本にはこれまでそれが無かったんです。その意味において、安倍総理は「こういった組織が必要だ」と以前から思っておられたし、総理の座に就かれたので実際、それを創ろうとした訳ですが、選任された民間議員は11人ともそれなりの立場で発言してきた連中ばかりです。マスコミはよく「会議では何を議論しているんですか?」と尋ねますが、議論は必要ないんです。教育再生会議とは違うんだから…。後はもう「日本版NSCを創っていくためには何をしたら良いか?」という具体的な話をしているだけです。ところが、そういったものもなくて、よくあるような話をしているものだから、実態が伴わない…。「平和を実現する方向」には行かないんです。


▼軍事は事実とデータに基づいて

では、次の話にまいります。この議論の中身については、これからお話ししていきます。とにかく、科学的な視点でないと、世界のどこに出しても通用するような物の見方ができない。議論が出てこない。平和を実現しようとしてもロードマップひとつ作れない状態です。国際水準を満たしていないと、世界に出しても通用しない。だから、科学的な考え方、あるいは論理的な考え方をできるようになるためには何が必要か? 「何とはなしに…」というのは駄目です。「これはそういうことじゃないかな?」程度のことならば、誰だって思い付きますけれども、やはりその中身は、事実とデータ(fact and figure)によって裏付けられなければならない。

日本の議論でそういったものは、いったいどれぐらいあるでしょう? 事実とデータをもとに見ていったら全然違う見え方がするものが一杯あります。あるいは、税金の使い道を通じて「日本の安全や平和」といったものを見てください。それが国会にも、官僚機構にも、バカデミズムにもないんです。私が何故、大学教授になるのを断ってきたかと申しますと、現在の多くの大学機関は、バカデミズムであって、アカデミズムじゃないからです。大学の中だけで、空腹の蛸が(己の空腹を満たすために)自分の脚を喰うように、教授のポストにばかりしがみついて「ここから離れるのは嫌だ」と言って、世界的には通用しない学者が大部分ですよ。それでは全然あかん。

例えば、この資料に「アナリストか、評論家か?」と書いていますが、私は「お前はいったい何者か?」と尋ねられた時は、必ず「私は軍事アナリストだ」と答えています。もし、私がどこかの組織に所属していたら、例えば「金光教のどこそこに属しています」となる訳ですが、その人の所属組織に関係なく経済の専門家のことをエコノミストと呼びますが、あれと一緒ですね。けれど、「軍事評論家ではないんですか?」と聞かれますが、これは違う。日本では「肩書き」というものは、人様が付けてくださるもので良いのだから、あまり言うと大人気ないと言われますから、軍事評論家でもいいんです。ただ、23年前に独立する時に、「お前は何者だ?」と聞かれたら「軍事アナリストです」と答えていましたら、新聞記者などは「こんな学歴もないような奴が言うのだから…」と、眉に唾をつけて相手にしてもらえませんでした。それでも私は、敢えて聞かれると「軍事アナリスト」と言わなければならない理由がありました。

それは、軍事に「評論家」という肩書きは先進国にはないからです。そもそも「軍事」は評論や批評の対象ではないんです。何故なら、軍事は国民のいのちに関わるからです。これが文芸の評論・批評となると、芸術的ですし、私も高く評価しています。政治評論というのも面白いですよ、無責任なことを言うやつばかりですが…(会場笑い)。しかし、軍事は「感想」では困るんです。事実とデータに基づいて分析しないと、国が方向を誤って、国民により多くの犠牲が出るんですよ。だから、軍事は分析家(アナリスト)の仕事なんです。英語の「ミリタリー・アナリスト」にあたる言葉を、ロシアもフランスも使っているじゃないですか!

そのような人たちが書いた論文を読んできたにもかかわらず、何故、日本には今まで軍事アナリストが不在だったんでしょう? 日本の学会(アカデミズム)が駄目(バカデミズム)だというのは、そのことからでも判るじゃないですか! 私は相当きついことを言うでしょう? きついから敵ばかりいるんです。私はお酒が飲めませんから良いんですが、もしお酒が飲めて北新地あたりに行っていたら、一発で後ろから刺されますよ。「あいつは都心の官舎を無償で使っている」(会場笑い)というのも、私は横浜在住ですから、これもあまり関係ない。とにかく、こういったことをまったく整理せずに来たのがこれまでの「日本の安全保障議論」です。


▼彼を知り己を知れば百戦殆うからず

次に、「孫子の兵法」についてお話しします。古代中国の戦略家である孫子が書いた(と伝えられる)『兵法』の書があります。これは「1人の人(いわゆる「孫子」と呼ばれた孫武)がまとめたものだ」という説もありますし、「(春秋時代の)孫武という人と(戦国時代の)孫●(月へんに賓)(そんぴん)という人が、異なる時代にまとめたものを、いくつか集めひとつにしていった」という説もありますが、この書は、古今東西、軍事だけでなく、政治を手がける人にとっても必読の書とされていました。ところが、今、軍隊でこれをちゃんとカリキュラムに入れて教えているのは、米国軍の高級将校だけです。中国もやっていない。だから中国にも駄目なところがあるんです。もちろん、日本も駄目。けれども、誰でも孫子のこの有名な言葉だけは聞いたことがあります。「彼を知り己を知れば、百戦殆(あや)うからず」。これは戦前の帝国海軍のエリートや、800年前の源義経だってこれを言っていたんですから。しかし、今までこれだけで来たから駄目なんです。孫子を誤読しているんです。

2番目のフレーズが大事なんです。つまり、1番目のフレーズは、「とにかく敵のことも情報収集して知っておこう。なおかつ自分のこともちゃんと解った上で、戦争に臨めば、負けることはない」つまり「情報収集は大事だ」という場面ではこれを言う訳です。ところが、実は孫子が言っているのは、次の2番目のフレーズです。「彼を知らずして己を知れば、一勝一負す」これは「もう最悪だ。敵に関する情報を集められなかった。相手がどういう能力・戦力を持っているか判らない」そんな場合であっても、自分のことを弁(わきま)えて戦に臨めば、一勝一負する(トントンである)ということです。

ここでハッキリしているでしょう? 物事には順序があるんです。まず敵のことを知ろうとする前に、己のことを知ることが先決である。と同時に、その下の「まず己を知り、次いで相手を知ると、外交力も生まれてくる」これは世界の情報の専門家が、共通認識として同じことを言っています。情報(インテリジェンス)というものは、それを取りにいった人間の知的レベル(インテリジェンス)に応じたものしか手に入らない。だから、自分のレベルを知らないと、手に入る情報も入らない…。いわゆる「猫に小判」、「豚に真珠」みたいな話になってしまうんです。

そういったことの定義づけを、帝国陸海軍ですらやっていなかったんです。そりゃあ負ける戦(いくさ)をやりますよ…。できれば、戦というものは、たとえ勝つ戦でもやっちゃ駄目なんです。戦わずして勝つのが上策です。そこまで行けなくとも、土下座してでも戦を避けて、実質的に勝つのが基本です。なら、「勝ちさえすれば良い」かというと、これがそう単純ではないんです。負けた側には千年でも恨みが残るんですよ。日本人だけですよ、三歩歩いたら忘れるのは(会場笑い)。何らかの折に必ず蒸し返してきますからね。ですから「必ず勝てる戦も、できれば避ける」というのは、国際水準を満たした考え方(常識)です。そのためには知恵を絞らないといかんと定義されています。


▼日本の戦闘力分析

次の『日本の防衛力を科学的に見ると』についてですが、現在、日本の防衛予算(国防費)は、年間4兆8,000億円ぐらいですが、これは結構な額です。しかし、その額面を聞いて勝手に「凄い軍事力だ」と思う連中が外国にもずいぶんいます。韓国軍でも、教えに行って判ったのですが、頭から信じ込んでいるので「日本は戦争できないよ」という話をしていたんです。「防衛力」は構造から見ないと駄目。よく「自衛隊は人数が何人? 戦車は何台?」といった、数の話から入りますが、これはあまり意味がありません。軍隊というのは、どれぐらい強いか? ということでしかランキングに入れないのですが、その意味において、日本はランキングに入る資格がないんです。

それには理由があります。結論から申しますと、現在の自衛隊の姿とは、憲法九条を絵に描いたような軍事力なんです。つまり「専守防衛」つまり、戦うのは常に日本の中ですから、海を渡って外国と戦い、外国を壊滅させるような能力は持っていない。これは人為的にそうされたのだということを解っていないから、議論にならないんです。何しろ、自衛隊の高級幹部を集めて私が講義しないと駄目なんですから、そりゃあもう遅れてますよ…。

次に「自衛隊の現状」を見てみましょう。「防衛予算の使途」、「自衛隊の能力の突出部分」、それから「戦力投射(パワー・プロジェクション)能力の欠如」。この「戦力投射能力」とは、軍事の専門用語で「外国を壊滅させることをできる能力」という意味ですが、日本の自衛隊にはこれはないんです。このところを次のデータを基に見ていきます。

例えば、次ページに自衛隊員の数や戦車の台数が記載されていますが、これはこれで意味があるけれども、これだけでは見られません。自衛隊の構造を一番よく表しているのは、防衛費の使い道から見ていくことなのかもしれません。ここにあるのは平成18年度の予算ですが、今年も同じです。全体の45パーセントほどが人件費と糧食費(給料と飯代)です。国家公務員特別職として給料出しているんですから…。その他にもこれだけの項目がありますが、簡単に申しますと、この4兆8,000億円の予算の中で、純粋に軍事力の整備に使えるのは、30パーセントから35パーセントなんです。その中でやりくりをしていかないといかん。しかも、次の問題が出てきます。

それは、「自衛隊の能力の突出分」ですが、現在、世界有数のレベルにあるのは2つだけです。ひとつは海上自衛隊の潜水艦に対する能力。これは世界で2番目ぐらいのレベルです。もうひとつが航空自衛隊の防空能力。日本列島を空の脅威から守る能力は、世界においても3番目、4番目のレベルにきました。しかし、他の能力は無いに等しい。アメリカが日本を独立させる時に「とにかくこの部分だけ世界有数のレベルにもっていってくれ。他はアメリカとの同盟関係で補ったらどうだ?」と持ちかけました。当時の西ドイツに対しても同じでした。これはハッキリしています。自己完結した軍事力を日本やドイツが持ったら、将来また戦争の相手になる可能性がある。この連中(日独)は自立させたら危ないから、自立できないような構造に縛ってしまったんです。それをちゃんと解った上でどうやっていくか? という話をしなければならないのに、それを全然解らないで、変なことばかり言っている…。


▼世界トップクラスの対潜水艦能力

海上自衛隊が持っている能力の90パーセント以上は、潜水艦に対する哨戒能力なんです。それから、機雷を取り除く掃海能力がちょっとあるけれども、あとは無いのと一緒。2004年11月に、沖縄の先島諸島の石垣水道のところを中国の原子力潜水艦が領海侵犯したでしょう。あの時だって、政府としては「海上警備行動」(註:日本周辺海域における軍事的脅威に対して、海上における治安維持のために、防衛大臣が発令できる最高度の自衛隊の出動命令。発令にあたっては、閣議を経て総理大臣の承認が必要。過去に二度しか発令されたことがない)の命令を出すのが遅れて駄目だったんですよ。

では、わが海上自衛隊はどうだったか? あの中国の潜水艦が青島(チンタオ)の基地を出て、グアム島を回って、帰り道に日本の領海を侵犯して中国へ帰った。あれを海上自衛隊のP3Cという対潜哨戒機が、2機ずつリレーして追跡していましたが、このP3Cは、潜水艦を標的にして撃沈する訓練をずっとしている。高橋という私の同期生が、海上自衛隊の航空部隊の最高指揮官、航空集団司令官という海将だったんですが、私が「高橋(もし、実際に自衛隊機が攻撃していたら)、何回撃沈した?」と尋ねますと、「数え切れないよ」と返事が返ってきました。これは虚勢を張っているわけでもなんでもなく、海上自衛隊には本当にそれぐらいの能力があるんです。

中国人民解放軍に対して「次、同じことがあったら撃沈するからな」と伝えたのも、実は私なんです。それに対し、中国側は「解っています。けれども、日本に対して中国政府や人民解放軍全体がああいったことをしようと思っているとは思わないでください。ただ、軍の一部が、共産党の指導部を困らせるためにああいったことをやるんです」そういう説明でした。

「では、二度とそんなことやるな」あるいは「東シナ海のガス田の現場を海上自衛隊の対潜哨戒機が偵察している時に、全く離れているのに軍艦が出てきて、自衛隊機に砲を向けたりミサイルの照準を合わせたりしている。そんなことをやっていると、5、6隻撃沈するのは簡単だぞ。そりゃあ確かに中国は大国かもしれないが、戦争の初っぱなに5隻ぐらい撃沈されて、そこへ国連が入ってきて『まあまあ』(停戦)ということになると、中国軍も様(ざま)ないだろう」と言うと、「ああいうこともやらせません」という返答でした。

中国人民解放軍は、あの潜水艦の領海侵犯事件の翌年、第一線部隊の指揮官に対して共産党から派遣された政治将校―これは軍が勝手に動かないように付いているお目付役ですが―がいるんですが、これが「(国際問題に対して)軍が勝手に嘴(くちばし)を挟んではならない」と通達を出しました。だから東京の駐日中国大使館に徐京明という人民解放軍の陸軍少将が国防武官でいるんですが、彼に「早速、通達を出してくれて有難う」と伝えると、「あんな領海侵犯事件のようなことで日中関係を壊す訳にはいきませんからね」と言っていました。向こうだって日本との関係があまりギクシャクしたら困るんですよ。

この話からも判るように、海上自衛隊の能力は高いです。中国海軍が70隻ぐらい潜水艦を持っているので、日本の周辺海域で何かやるんじゃないか? とか、台湾を何かの時に封鎖するんじゃないか? といった議論が、日本だけじゃなくアメリカでもありますが、それは潜水艦の使い方を知らないからです。素人は、もしある国が潜水艦を70隻持っていたら、70隻全部同時に使ってくると思うでしょう?

しかし、仮に台湾を封鎖しようと思っても、一度に投入できるのは7隻までです。数持ってても駄目なんです。いったん海に潜らせたら、潜水艦というものは目が見えないし、耳は聞こえない。海の中のデータをしっかりんで、自分が作戦行動する海域を把握していないと動き回れない。ですから、いくら潜水艦をたくさん所有しているからといって、同じ海域に大量に突っ込んだら同士討ちになってしまうので、ポツン、ポツンと何百キロ四方に1隻しか入れないんです。そういうことをちゃんと解った上で議論しないといけないんですが、日本の政治家やマスコミは、そういうことを全然知らないので、彼らにそういう話をするのは、実に大変です。


▼自らの実力を知ることが基本

海上自衛隊の対潜哨戒能力、あるいは航空自衛隊の航空作戦能力は、世界的にみても高いレベルです。しかし、そのレベルを維持しようと思ったら、使う武器は費用もかかるし数も揃えないとあかん。先ほど申し上げたように、防衛費の中の30パーセントから35パーセントは、これで全て消えるんです。(アメリカから)自立できる軍事力へ移行したいと思っても、現状ではできない。外国を叩き潰すような戦力投射能力を持とうと思っても、持てない。その現実を押さえた上で「どうするのか?」と議論をしなければならないはずです。

周辺国による「日本の軍事大国化批判」に対しては、われわれはこう返答すれば良い。「では、この自衛隊の軍事力を以てして、おまえの国を攻める作戦計画を立ててみろ、もし立てられたら、おまえはマジシャンだよ…」そんな話です。防衛関係者は、本来はそういう議論ができなきゃならんのです。これも事実とデータ(fact & figure)の世界なんです。事実とデータを押さえてなかったら話ができないじゃないですか。防衛省の役人でもこんな議論はできないですよ。困ったことです。

これが日本の教育の現状です。本日は、教育関係の方々もいろいろいらっしゃいますが…。「小川さん、もし、あなたの子供が大学進学する適齢期だったら、どこの大学へ行かせますか?」というアンケートがある雑誌から来たことがあるんですが、私はそれに「日本の大学へはやりません。阿呆になるから」(会場笑い)とはっきり答えました。だって、日本でしか通用しない子供を育てる教育しかしていないですからね。これでは子供たちの将来はないんです。最初から世界で通用するような教育をしないとあかんのです。知識は後から付いてきます。知識を身に付けたいと思えば、自分でいくらでも手に入れることができる。

それよりも、人間として生きていくための骨組みを作っていくことが、教育者の基本ではないでしょうか。「意思の疎通が図れない結果、言葉の通じない見知らぬ奴から撃ち殺されないようにするためのプレゼンテーション能力を備えさせる」とか、「スピーチの仕方を教える」とか、「作文を書く上での論理展開の骨組みを教える」とかそういったことが、アメリカの小・中学校での教育の基本になっています。日本では、東大に行ったって、そんな能力は備わらないです。全く世界を意識していない…。それなのに、何が「世界平和だ!」 という話…。済みません、興奮してきて(会場笑い)。そんなところです。

とにかく(日本の自衛隊は)戦力投射能力が決定的に欠けています。そういったことも押さえないと、防衛論議は空論になってしまうということであります。そういった中で、日本の安全というのは、外国を攻めることのできない軍事力とアメリカとの同盟関係によって成り立っています。これをちゃんと抑えておかないと駄目です。アメリカとの同盟関係を科学的に見た議論があるのか? 23年前に、私がアメリカの正式な許可を得て調査し、本にまとめたのですが、外務省も防衛庁もそれまで一回も調査したことがありませんでした。にもかかわらず、データも根拠もないのに、勝手に「アメリカに守っていただいてる」とか「アメリカに逆らったら、安保を切られるんや」なんてね。東京帝国主義大学阿呆学部お世辞学科を出た官僚たちがずっと言ってきた訳です。そして、それを有り難がってきたのが日本国民です。

この間、彼ら(外務官僚)が「飯倉公館(外務省のゲストハウス)で夕食会をやる」と言うので行きましたら、「小川先生―私も61歳になったからか「先生」付けですよ―のご指摘に応えられるような能力はございませんが、私どもにも自慢がございます。この飯倉公館にあるワインのコレクションは素晴らしいんですよ」なんて言いましてね。私が酒を飲まないのを調べてないのか、それとも皮肉か(会場笑い)? 彼らはワインリストの読み方しか知らないから…。三宅善信さんの1年後輩にあたる「外務省のラスプーチン」佐藤優―今、裁判中の外務省の元主任分析官―あいつなら何でも知ってますよ。まあ、あいつもしゃべったらしゃべった分だけ捕まるかもしれないですがね。とにかく無茶苦茶な世界ですよ、本当に。国民の役に立たない方向で、税金をなんぼでもジャブジャブ使ってくれますよ…。いっそ、あいつらには偽札でも渡しておいたら良いんです(会場笑い)。


▼在日米軍とはいったい何か?

けれども実際、アメリカとの関係もどうなのか? 「日本こそ、アメリカにとって最も重要な同盟国である」ということは、データで押さえることはできる。アメリカは一貫して「日本が安保を切ることを怖がっている」という姿勢を見せていますが、だからといってアメリカに偉そうにしちゃいけないんですよ。あの久間防衛大臣は阿呆ですよ。言っちゃいけないタイミングで言っちゃいけないポジションの奴が発言した(註:安倍新政権発足直後にチェイニー副大統領が来日した際に、「イラク戦争は間違いだった」と公言したこと)んですから…。ある医者は「彼はたぶん病気だと思う」と言ってましたが(会場笑い)。だからすぐに代えられますよ。アメリカだって、あんな傷口に塩をすり込むようなことを、少なくとも日本の防衛大臣には言ってほしくないじゃないですか…。では「根拠のある議論ができるのか?」というと、久間大臣もできないんですよ。何とはなしに聞いたようなことだけを言っている感じです。ですから、日頃から本当に激しい議論をやっておくべきなんです。それができないもんだから、アメリカからも足元を見られる訳ですが…。

まず、在日米軍とはどういう位置づけなのか? 日本に母港をおいているアメリカの軍艦にはどういったものがあるのか? 後方支援能力がどれぐらいあるのか? また1年間に僕らはアメリカ軍を支えるためにどれぐらいの税金を使っているのか? 日本を根拠地(足場)にしているアメリカ軍の行動範囲はどれぐらいなのか? これらの問いには全部数字を示すことができる訳です。けれでも、先ほど申し上げたように、日本の学歴社会の中においては、役人は(中身ではなくて)端(はな)っから私の学歴を馬鹿にする訳です。私も23年前ぐらいに独立した当時、「安保を切られるのを怖がっているのはアメリカですよ」と言うと、皆「フン」てな感じでね。


だから私のほうもだんだん意地が悪くなりましてね。アメリカ側との協議の席で(アメリカの役人の威を借りて日本の官僚たちに)外圧をかけようと、外務省・防衛庁の役人が居並ぶのを後ろに置きながら、わざとアメリカ側へ尋ねるんです。「日本が安保を切ったら、アメリカは今までどおり世界のリーダーでいられるかどうか?」まるでシンガポールを占領した時の山下将軍(註:帝国陸軍第25軍司令官山下泰文中将。圧倒的な速さで英国治下のシンガポールを陥落させ、「マレーの虎」と恐れられた。英国軍司令官パーシバル中将との降伏交渉で、いろいろと条件を付けてねばる英国側に一刀両断「イエスかノーかで返答せよ」と迫った)が乗り移ったようなもんです(会場笑い)。

「イエスかノーか?」と問うと、もちろん、アメリカは同盟国ですから「日本なしにはいられません」と答えます。すると、日本の役人も「アメリカの担当者が言うんだから本当だろう…」と、何とはなしに思う(会場笑い)。お粗末ですよ、本当に…。悲しいと思いませんか? それが日本の学校教育…。東大でも京大でも阪大でもそうです。ですから、泉尾教会さんも学校を創ってちゃんと運営したら成功しますよ。生徒も一杯来ます。大阪国際宗教同志会で作っても良いですね。そうすれば「予算がない」などと言わなくて済むんですが(会場笑い)。本当ですよ。

例えば在日米軍。後に図が出てきますが、地球上のあらゆる地域で軍事展開する米軍の半分を日本列島で支えている。

在日米軍の守備範囲は、ちゃんと緯度経度も決まっていて、アフリカ最南端の喜望峰からハワイまでです。インド洋のすべてと太平洋の3分の2の海と、その沿岸で行動する米軍を全部日本の米軍基地が支えている。他の国に日本の代わりなどできはしない。在日米軍の基地は、米軍が単独で使うものだけで基地で88カ所。まるで四国のお札所のようですが、これは小さい基地から大きな基地まで含みます。無人の無線中継所も入っています。それから、自衛隊の基地や駐屯地の中にも、必要に応じて米軍が使うことになっている「日米共同使用施設」というのがありますが、これらをすべて含むと、日本国内に135カ所の米軍基地があります。現在、日本に置かれている兵力はこれだけですが、ただ数だけで計ると、イソップの寓話みたいな話―「明日あの雲の下で待ち合わせしましょう」と言っておいて、翌日出かけてみると、その雲がなかった―になるんです。人数のデータなどは、いくらでも動くんですから…。

ところが、防衛庁長官を歴任して、もう軍事問題に精通した政治家だと言われているクラスでも、これで「意外と米軍は少ないんだな」などと言う。ちゃんと語れるのは石破茂さんだけです。石破さんは「テレビでは目つき悪く映るから」とか「軍事マニアのオタクのように言われる」などと気にしていることもあるので、僕は「可愛く映ってることもあるよ」と彼を慰めたりしていますが、彼は日本キリスト教団鳥取教会の教会員、クリスチャンです。クリスチャンの中には右も左もおりますが、彼の中には「クリスチャンとして誠実にやろう」という気がはっきりありますし、ある意味、一番リベラルで、一番よく勉強しています。日本の国会議員が皆、彼のレベルにきたら日本も相当変わります。健全になると思いますよ。ですから、彼を是非皆さんにも支えていただきたいし、ここ大阪国際宗教同志会に呼んでいただいても良いと思います。たとえ一晩中でも、彼はひたすらしゃべりますよ。立派なものです。今回僕はたまたまスライドを使っているけれども、彼はこんなものなしで話せる。そんなレベルの議員がどれぐらいいるでしょう? 「やっとまともな奴が出てきたな」という感じです。これが簡単な在日米軍の形です。


▼在日米軍ではない第7艦隊

日本に母港を置くアメリカの軍艦というのも結構あるんですが、実は、これには仕掛けがあります。役人の悪知恵なんですが、「在日米軍という言葉を使うと、日本周辺でしか活動できなくなる」ということで、アメリカ海軍第七艦隊だけは、わざと在日米軍に入れなかったんです。この問題を国会で議論しなかった野党の阿呆さ加減というのもあるのですが…。第7艦隊の任務区域は、アフリカ最南端までありますから、仮に在日米軍に編成されてしまうと、(日米安保条約が機能する日本の周辺地域に該当する)フィリピンから北は箍(たが)を填められて、自由に動けなくなってしまうので、わざと在日米軍から外している。そのくせ、横須賀に母港を置いている。第7艦隊の旗艦であるブルーリッジ―これはコンピュータの固まりですが―の司令部は船上にあるんですが、それが地球上の半分の領域で動き回る海軍と海兵隊を全部指揮している。それと一緒に航空母艦キティホークの機動部隊がいて、巡洋艦と駆逐艦、フリゲート艦9隻で守っているという格好です。

あと、長崎県の佐世保に揚陸艦が7隻ずらっとおりますが、これは朝鮮半島で同時に4カ所から上陸作戦をする時の司令部を置いた船です。これは「いざという時は、やる準備がありますよ」ということを北朝鮮に突きつけるシグナルとして極めて重要なんです。「船が足りないから上陸作戦できない」というのは子供の議論で、アメリカの海兵隊というのは、上陸作戦をする場合は戦闘の最後の段階でやるけれども、基本的には飛行機でどんどん移動していくんです。そこから体制を組み直して戦ったりする訳です。そういう時のための船がずっと佐世保を母港化している。それから、上陸作戦を行うような時には、相手が海の周りに機雷(陸上でいうと地雷)をばら撒いていますよね。これを取り除くための船(掃海艇)もいる訳であります。


▼軍隊の補給について

それから、軍隊といえども、ご飯も食べれば燃料も必要です。汚い話ですが、当然排泄もします。これは、場合によってはおしめも必要になります。事件を起こしたNASAの宇宙飛行士もしていましたが…。やはりパイロットもおしめをしないと駄目な時があるんです。だんだん齢を取ってくると、6G、7Gという背骨がきしむような重力がかかる中にいると、耐えられなくなって漏らしてしまうことがあるんです。そんなものもすべて含めて、補給能力、後方支援能力を持っているのが軍隊なんです。

最近は女性の自衛官も多いでしょう。男性の自衛官の場合、パンツだけは自前なんですが、女性自衛官はパンツも官給品なんです。普通のパンツ(若い女性で一般的なショーツ)で匍匐(ほふく)前進しますと、捲(めく)れあがってパンツが脱げてしまいますから…。ご存知かどうか判りませんが、体の体型を整えるためにギュッと締めるような「ガードル」って下着があるでしょう? あんな格好のやつがあるんです。今流行のローライズ(註:お尻を半分見せるくらいにズラして履くズボン)なんてもっての他ですよ。あんなの、泥が入ってすぐにアウトですから。そういったものは全部補給しないと駄目な訳です。

武器があっても、まず、燃料が無かったら軍隊は動かない。弾が無かったら戦えない。実は、米軍はそのほとんどを日本列島に置いているんですよ。燃料は、アメリカの海軍が普通の基地にあるものとは別に戦略的に使うものを3カ所に置いています。これを合わせると1,107万バーレル。アメリカの燃料補給能力において、日本は最大のオイル・ターミナルですよ。内訳でいっても神奈川県の鶴見―これは横浜にも分散していますが―は、アメリカ本土も含めて米軍全体で2番目の規模です。

これは別に軍事機密でも何でもありません。アメリカ側に聞きに行ったら資料として出てくるものを、日本の役人もマスコミも学者も持ってなかったから、阿呆やと言う訳です。「小川さん、こんなマル秘の資料、よく手に入りましたね」と言われるけれども、「マル秘でも何でもない。電話したら送ってきてくれたよ」(会場笑い)という話です。日本人はこの分野が全然駄目。情報に対するアクセスの仕方を小学校の時から学んでないから…。

長崎県の佐世保だって全世界の米軍の中で3番目の規模ですよ。湾岸戦争の時は、佐世保を拠点にしながら、湾岸にどんどんオイルタンカーと弾薬補給船を出した理由はこれなんです。弾薬もそうです。陸軍は戦うための部隊300人―特殊部隊のグリーンベレー―を沖縄のトリイ(鳥居)ステーションという通信基地に置いているだけ。それ以外、日本には施設を維持する部隊しかアメリカ陸軍はいないけれども、広島県内に3カ所巨大な弾薬庫を持っている。貯蔵能力は11万9,000トン。日本の自衛隊全部合わせても11万6,000トンしかないんですよ? なのに、米軍が広島に貯蔵している弾薬だけで11万9,000トン。そんなものが被爆地・広島の横にドーンと3カ所もある。何が「平和都市宣言」ですか!

しかも、1991年の湾岸戦争の時は、これに入りきらず海の上に筏(いかだ)を組んでウワーッと弾薬を積み上げ、また日本で積み直して湾岸に持って行った。広島の中国新聞はその写真を全部撮っています。こういったものが全部、われわれの税金で維持されているんですよ。それを国会議員すら知らない…。海軍や海兵隊は船に弾薬を乗せているから、陸上弾薬庫と区別されるんですが、陸上弾薬庫の中では、地球の半分の範囲で最大のものを佐世保に置いている。空軍の嘉手納にある弾薬庫は、やはりアメリカ空軍全体で最大の弾薬庫です。


▼日本のおかげで米軍が活動できる

湾岸戦争の時、「日本は金だけ出して何もしない」とか「血を流さない」などと国際社会からいろんなことを言われて反論もできなかった。確かに人を出すことも大事ではあるんですが、あの時の日本の状況では人(自衛隊)を出せなかった。それでも、日本のこの後方支援能力を中心とする貢献は、湾岸戦争に参戦した多国籍軍の中では、米軍に次いで2番目です。7万人の兵隊を戦場へ運んだイギリスの実に3倍以上ですからね。その上で「ちゃんと人を出せるようにならないと申し訳ない」という言い方を日本政府がしていれば、「日本は凄い!」となるはずです。しかし、その説明をできる人が官僚にもいなかったんです。「阿呆じゃないか」という話ですよ。まあ、悲しいですよね。

こういったものを維持するために、僕らは年間6,000億円を「在日米軍経費」として税金を使っている。よくマスコミに出てくる「思いやり予算」(註:日米安保条約の地位協定の枠を超える法的根拠のない日本側の負担。1978年、金丸信防衛庁長官時代に始まる)は、2,400億円弱ぐらいですが、これを含む約6,000億円が在日米軍経費です。アメリカ兵一人あたりのお金は、ドイツの3倍。そして在日米軍が必要とする経費の70パーセントは、日本が負担しています。アメリカ軍が日本に居たがるのは当然ですね。これらの数字は皆、アメリカの国防総省が出している報告書にもちゃんと出ていますし、同様に国防総省のホームページにアクセスしても簡単に出てきます。それなのに何故、日本の学者は持っていないんでしょう? また、マスコミは「日本はIT先進国だ」などと言っているけれども、IT面においても日本は20年ぐらい遅れています。そんな要因もあって、今申し上げたようなことが普通に語られていないのが現状です。

これ(図表)は「在日米軍の基地の位置づけ」ですが、網目がかかった範囲(インド洋のすべてと太平洋の西3分の2、及びその沿岸)で活動する米軍は、全部日本が支えています。このグリーンの曲線(中東から東南アジアまで)は、「不安定の弧」と呼ばれる地域ですが、貧困や差別や格差、宗教対立や民族対立が渦巻いていて、世界の不安定要因になると言われているところです。この地域で活動する米軍も、全部日本が―すなわち「皆さんの税金」で―支えているということです。それを解っていて「世界の平和に対する責任」というものを話し合わないと駄目な訳です。

ついでながら申し上げますと、日本がこの地球の半分の範囲で活動する米軍を支えている訳ですから、仮に日本が「日米安保を解消する」と言い出すと、日本の代わりをすることができる国がない。だから、アメリカは、日本が安保を解消することを恐れている。そこで、在日米軍が事件や事故を起こした時でも、他の国で起こった場合と違って、向こうはひたすら謝るでしょう? これはそんなことがきっかけとなって日本国内で反米気運が高まった場合、「日米安保解消」というアメリカにとって最悪のシナリオがあるからです。ですから、最初に謝ってしまうというのは、アメリカという国の危機管理として当たり前なんです。

では何故、他の国が代われないか解りますか? この地球上の半分で行動するアメリカ軍は、場合によっては凄い規模になります。アメリカ本国から来る。ヨーロッパからも来る。しかも、世界の最先端を行くハイテクの武器で固めている。これを支える(メンテナンスする)ことができる国といえば、三拍子―「工業の力」と「技術の力」そして「お金の力」―揃ってアメリカと同じレベルじゃなきゃ駄目なんです。日本以外にそんな国がありますか? 無いでしょう。これも事実とデータで示すことができます。
これからお話ししますが、日米安保が無くなったら日本が失うものも大きいですよ。しかし、アメリカが失うものはもっと大きい。世界のリーダーの座…。日本が手を引くことで、地球の半分で行動する米軍を支える能力の8割が失われるんです。そんなアメリカの言うことは、ロシアも中国も北朝鮮も聞かなくなり、「スーパーパワーではなくなる」ことを指します。そこをちゃんと解っておく必要があります。


▼自前の軍隊を持つには年間30兆円必要

そういう日本でありながら、とにかく日本の軍事戦略を定めた『防衛計画の大綱』についても、非科学的な議論に終始している。私は国会に参考人や公述人で呼ばれる度に「やり直せ」と言っています。『防衛計画の大綱』を一本の木に例えると、日本は、いわゆる有識者を集めて枝葉にあたる部分の議論しかしてないんですよ。まず、幹を語らないと枝葉を語る意味がないでしょう? 枝葉といっても「ミサイル防衛」などの部分で語っている訳ですが、私は何も、この「ミサイル防衛が重要でない」と言っているんではないんです。「幹を語ってないのにそんな話をしても宙に浮いていますよ」ということなんです。

この「幹を語る」ということを考える時、そもそも『防衛計画の大綱』とは何か? というと、例えば「日本は、防衛力あるいは軍事力をどういう選択肢で持つことができるのか?」ということから始めないと駄目です。そのためには、まず現状を押さえなきゃ駄目。今がどうなのか? それを押さえた上で、このまま行くのか。あるいは違う方向に行くのか。という選択…。それが幹に関する議論です。残念ながら、これが一回も行われたことがない。

日本は「戦力投射能力なし」と書かれている通り、確かに外国を叩き潰すことのできる能力は持っていません。それをアメリカとの同盟関係で補っているのが現状です。そこから出てくる選択肢は、ここに書いたように2つぐらいあるでしょう。ひとつは、自立した軍事力(戦力投射能力)を持つ。しかし、この場合には巨大なコストとリスクを覚悟し、最悪の場合、日米同盟を解消しなきゃいけない。何故か? 日本が自立した軍事力を持つことをアメリカは嫌がるから、その方向へ行きたければ、どうしても日米安保を解消しなければならない。おそらくアメリカは「解消しないでくれ」と言ってくるでしょうが、それでも解消しなければならない。

では、解消後、今と同じぐらいの安全を保つために自衛隊をどのぐらいのレベルで持たなければならないのか? またどれぐらいのコストが要るのか? そこにはどのようなリスクがあるのか? 今のレベルで日本の安全を維持しようと思うと、自衛隊の兵力はだいたい120万人ぐらい必要になりますね。予算はいろいろ算出方法がありますが、いずれにせよ巨大なものになります。120万人の自衛隊員に国家公務員特別職としての給料を出すとしたら、人件費だけで年間13兆円ですよ。また正面装備の規模も大きくなるから、おそらく軍事費はおよそ30兆円(現在は総予算で4兆8,000億円)になります。年間の国家予算が80兆円ですから、軍事費は北朝鮮並みの割合(60パーセント)です。

そうすると「人件費をもっと削減しなければ駄目だ」ということになり、その方策として国民皆兵(徴兵制)という選択肢が出てきますが、それをしても軍事費に20兆円ぐらい必要でしょう。しかし、アメリカとの同盟関係もないから、20兆円かけても心細い。いろんな選択肢を検討して「もう少し安心できるようにしたい」と思うようになりますよね。その中で現実味のある案として出てくるのが、麻生太郎(外相)や中川昭一(自民党政調会長)が言っているような「核武装論」です。

日本は技術面では、いつでも核兵器を持てるぐらいの技術力がありますよ。しかし、「核武装の選択肢」とは何かというと、「核兵器だけ持っても駄目」だと先ほど申しましたでしょう? 核は巨大な通常戦力を持った上に持たないと意味がないから、そのコストは凄いものになります。その上で、核武装するとどういう問題が出てくるか分かりますよね? 国際的に、核を拡散させないNPT(核拡散防止条約)という体制がありますが、日本はまずこれから抜けないと駄目です。北朝鮮は出たり入ったりしていますね。

では、日本がNPT体制から抜けるとどういう問題が生じるでしょう? 今、この部屋に点いている電気も全部消さなあかん。原子力発電を稼働できなくなるんです。関西電力の発電原子力比率は60パーセントですからね。「NPTを抜ける」ということは、核について世界の秩序を乱す動きですから、原子力発電のための核燃料を輸入するために、あるいは、使用済核燃料を再処理するために、現在、日本は7カ国と協定を結んでいますが、これらも全て破棄することになります。そうすると、核燃料がだんだん入ってこなくなります。

このように「自立した軍事力を持つ」という選択肢を選ぶと、国際的で大規模なコストとリスクが発生しますが、それを覚悟でやれるような日本国民ならば、とっくにやってますよね? やらなかったということは、多分この選択肢は現実的ではないんでしょう。ちょっと冗談を言わせてもらうと、北朝鮮と同盟関係を結べば、原子力発電はできますよ。北朝鮮はウラン鉱山を一杯持っていますから。けれども、国際的には孤立して高句麗と倭国は滅びていく…。そういう選択肢もあります。


▼現状維持を表明するという選択肢

もうひとつの選択肢は「現状維持を表明する」です。「日本の自衛隊には、外国を叩き潰す構造の軍事力はありません!」と言ってしまう。そうすると、周辺国から軍事大国化批判は出なくなりますよ。周辺諸国は皆、解っていることです。それを日本政府が表明しないから、機嫌が悪いといちゃもんつけてくるんです。では、現状維持を表明するとどうなるのか? これは「日本国が誇り高く自分で自分の手を縛る」ということですが、これはそれなりの生き方だと思います。憲法の前文にもあるように「日本はとにかく国連中心主義外交」と謳っているぐらいですから、本当は国連を通じた平和が実現されるような活動に、もっとちゃんと出ていかないとあかん。必要な所に、キチンと自衛隊を出せるようになるということ。自衛隊を国際貢献活動にフルに参加させても、誰も文句を言わなくなる。そして、この活動に対する評価と信頼が世界の平和を実現し、日本の安全を実現し、日本の経済活動を保証し、繁栄に繋がる。こちらのほうが現実的だということです。

「自衛隊をイラク復興支援に出す」といっても、そもそも日本の政治家には、右も左も思想がない。だから変な話―「自衛隊というと軍隊でしょう? イラクへ行ってドンパチやるんですか?」―になるんですよ。皆さん、今から3年間ぐらい自衛隊に入隊してみましょうよ。そうすると解りますよ。自衛隊がサマワに持って行った武器(小火器)であの状況に放り込まれたら、北新地か宗右衛門町を警察官が丸腰で歩いているぐらいのレベルでしかない。個々人が自分を守るにも十分な武器も持って行ってないし、部隊としての編成でもないということ…。それすら、日本の納税者は知らないですし、まったく整理されていない。

安倍総理が「やろう」という集団的自衛権の議論もそうであります。政府の統一見解は「権利はあるが行使しない」ですが、「こんな一般論で語るな」という話ですよ。「日本はアメリカと同盟関係にある。アメリカが攻撃された。日本は攻撃されていない。それなのに助けに行けないのは肩身が狭い」とか言うでしょう? これは一般論です。正確には、助けに行きたくても戦力投射能力がないから行けないんです。アメリカはそのことを解っているから、それを押さえた上で、日本ができる選択をしないとあかん。

選択肢は3つあります。自立できる軍事力を持ったらアメリカ軍をいくらでも助けに行けます。でもこれは、アメリカが日本の自立を望んでないから成り立たない。2つ目の選択肢は何か? 先ほど言ったように、地球の半分で行動するアメリカ軍を支えている日本列島。それを自衛隊で守り、お金も出している。これを以て「日本は集団的自衛権を行使している」とアメリカに見なさせる。とはいえ、日本の周辺地域では、日本本土の防衛も含めて米軍と作戦行動を一緒にできますからね。これがひとつ。あともうひとつの選択肢は、2つ目と重なるけれども、「国連憲章第五十一条」というのがあるんですが、ここでは「国際的な紛争や何かに対して、国連安保理が機能するまでは、どの国も個別的集団的自衛権がある」と定めている。だから、国連安保理が平和を実現するために機能した状態というのがどういうものかを定義して、それまでの期間は、日本の周辺でしかできないけれども、アメリカ軍と作戦行動を共にする。そして、安保理が機能したと見なしたらピタッと止める。この選択肢がある。それを示してアメリカに認めさせたら、これで「アンフェアだ」と言われなくなる。「そんな説明もしないでどうするんや」という話ですよ。


▼コントロールされた力でしか暴力を封じられない

とにかく、観念論を捨てましょう。平和を実現するためには客観的、科学的、論理的に考えなきゃ駄目。よく「暴力の連鎖論」がありますが、イラクでもそうです。「日本が軍事組織(自衛隊)を派遣したら、日本も暴力の連鎖に巻き込まれる」と筑紫哲也さんなどが言っています。私は筑紫さんは好きだけれど、これは阿呆な話です。どういうことかというと、暴力の連鎖を断ち切るためにも力が必要。しかし、それは暴力ではなく、コントロールされた力なんです。民主主義国家がシビリアンコントロール(文民統制)を貫く。納税者が税金の使い道を通じて軍事組織を健全かつ適正にコントロールしていく。これがシビリアンコントロール。このコントロールされた力を使って、暴力を封じ込めていく。それが国連平和維持活動などの考え方です。

よく「自衛隊を送るより、医療支援の人たちを送ったらどうですか?」と聞かれますが、「じゃあ、あなたは、今のイラクの治安状態で『行け』と言われたら行きますか?」という話です。武装集団が敵対し合っている所に、「医療支援がビューティフルだから、お医者さんが行きなさい」なんてことになったとしても、行った途端に男も女もレイプされ、その後、細切れにされて捨てられますよ。そんな阿呆な話ありません。だからまず、コントロールされた力として、軍事組織を警察活動として使う。本当の軍隊同士の戦いに使うような武器は要りませんよ。けれども、強制力として、武装集団同士を引き離すためのものは持って行きます。そして、まず引き離してから、安全地帯を作った上での医療支援じゃないですか。それがものの順序なのに、そんな議論すらない。

ですから「コントロールされた力」というのは「高速道路でいうところの中央分離帯あるいはガードレールの役割」ということなんです。そういったこともキチッと踏まえた上で、ロードマップを描いて平和実現のためのマネージメントをしていくということなんです。先ほどもお話ししましたけれども、ドイツと日本の違いは、シビリアンコントロールを貫くための営みがあるかないかなんです。「軍服を着た市民というコンセプトのもとにキチッとやっていく。民主主義を機能させる」ということが基本。マスコミは「防衛庁が防衛省になったことで、あいつら肩で風切って歩くんじゃないか?」なんて言いますが、「日本の民主主義にそんなに自信がないのか? だったら止めろ」と…。キチッとやればやれるということです。

土井たか子さんを相手にお話しした時は、やはり触れておかなければならないから触れたんですが、法律や制度は、改正することによってしか完成度は高まりません。どんな立派な理念を掲げていても、そこに近づくことはできません。日本は、プロトタイプの一番原型のモデルで、まだ完成も何もしてないラフスケッチみたいな憲法を、アメリカからポーンと渡され、「どうや」と言われ「ハハーッ」とそれを頂戴して捧げ持ってきたものだから、どの条文も未熟で完成していない。現実の社会は憲法違反状態だらけですよ。それは何も九条だけじゃありません。何故、「男女は平等」と謳いながら「女子学生の就職氷河期」なんてあるんですか? これは憲法違反ですよ。そういったことを全部直していくためには、できれば、何十回も憲法改正を重ねる必要がある。その中で、それなりに妥当だと思われる振幅に揺れ幅が縮まっていって落ち着くんです。これが、先進国の民主主義だと思います。日本の憲法論議とは、すなわち日本の民主主義のレベルが問われているということでもあります。そういったことも意識してやっていこうと…。


▼傍観者みたいな観念論ではいかん


とにかく、何もやらずに傍観者みたいな一般論の議論ばかりしている。自分たちの国じゃないですか! 安倍さんは、見た目のイメージとは異なり、わりとちゃんと外交や安全保障に取り組んでいるんですよ。それでも私は「もっとやって欲しいことがあるが、それをやっていないから支持率が下がるんだ」と言っています。例えば、老後に対する不安に応えているのか? 自慢じゃないけれど、私なんか年金に加入していないんだから…。入る資格ないんです。制度がむちゃくちゃだから…。そのことを、31年来の友人である民主党の大物議員に「俺は年金に入ってないよ」と言うと「お前は稼いでいるからいいじゃないか」と…。「元社会党書記長の民主党の大物議員が言うな、馬鹿もん」そりゃ、制度がおかしいんですよ。やはり、国民はどこかに不安がある。今の日本社会は安心して老後を託せるような社会ですか? スウェーデン辺りに行って、生活保護レベルの老人ホームに入ったほうが余程に良いですよ、本当に…。

その他、安倍さんに言ったのは「国会議員や高級官僚はその女房も含めて、職安へ行ったことある奴はいるか? 俺はあるぞ」と…。あるいは「生活保護を受けたことがあるか?」うちはあるんです。親が凄くプライドの高い人で、人に援助を請うのが嫌だから、病気になって家が完全に潰れた時に、1年間余り受けました。その実態がどんなものか? 社会福祉士が家にやって来て、うちのお袋に「やらせろ」と迫る。凄いよ。そんなのばかり…。しかし、その一方で、やくざが凄んだらなんぼでも生活保護を入れている。大阪だったら、そこに部落問題を曲解するような関わりがあったりする。むちゃくちゃやないですか! それを全部直していって、初めて日本は「美しい国」―私はあの言葉は嫌いなんですが(会場笑い)―になる。

私は、外交安全保障危機管理の専門家としてこの角度から言っていますが、同じような話は一杯ある訳です。「一般論で傍観者みたいな観念論の議論を止めよう。一個一個、世界のどこへ出しても通用するような考え方を持ち、議論し、実現していくためのロードマップを持とう」ということです。

宗教界の皆様方は、自分たちが思っている以上にリーダーとして見られているんですよ。ですから、その中でこういった議論も健全に進むようにこれまで以上に舵取りをしていただけたら、私も、今日ここで乱暴な話をさせていただいた甲斐があると思う訳です。本日はお招きいただきまして、有り難うございました。

(連載おわり 文責編集部)