棟居快行教授
|
▼世界は対立し、混迷を深めている
ただ今ご紹介に与(あずか)りました棟居(むねすえ)と申します。本日はこのような場にお招きいただきまして、大変光栄に存じます。また、左藤先生(註:国際宗教同志会の左藤恵会長は元法務大臣)には直々にお越しいただき、非常に緊張しております。こちらの会合のご趣旨を、私は事前に三宅善信先生からある程度伺ってはいたのですが、本日皆様の会合の様子を拝見いたしまして「なるほど、まさにこういった活動は、まさにその(必要な)時を迎えているな」と思いました。そこへ私がこういったまさにグローバルなテーマで馳せ参じていることも、何かのご縁ではないかと思う次第でございます。
皆様にお配りしたレジュメの中身は、憲法学者の視点から総花的に「この15年、20年を、われわれ(日本人)は世界のなかでどうすべきか?」というテーマに基づいて作成したものです。本日は講演時間として、普段の大学講義(90分)に近い時間を頂戴しておりますし、何より宗教界の重鎮の方々のせっかくの集まりでございますから、本日は身近な話題をまず切り口として始めたいと思います。
それは何かと申しますと、「現在、世界は対立をし、混迷を深めている」という、言うまでもない事実からであります。もちろん、そう言われて久しいですが、いざ宗教界の皆様の前に出て、こういったお話をするとなると、私は若手と申しますより、小僧っ子のようなものですから、非常に有り難く感じるのと同時に、むしろ文字どおり「雑巾懸けでもしなければならない」というような気持ちになりますが、「それだけの気力・体力・気構えが自分にあるかな?」と考えますと、非常に心許ない。「何をして今まで生きてきたのか」と身の縮む思いです。
他方で、私共の学会で何十年かやっておりますと、ある種の「慣れ」のようなものが出てきます。私はかれこれ30年ほど教壇に立ち、授業をしている訳ですが、その都度、その時々の若者に向かって、世界への混迷を深めるような―ある意味では囃し立てるような―話をしてきたかな、ということを思い起こしております。しかし、人の弱さや嘘を瞬時に見抜く術を心得ておられる宗教家の皆様の前で、私が学生に対して―4月の始めにいつも言っているのですが―言っている「世界は混迷を深めている」といった脅し文句は通用しないということは、百も承知であります。
にもかかわらず、同じ科白(せりふ)を吐はかざるを得ないのは、この21世紀、冷戦が終わってもうそろそろ落ち着きを見せても良いこの時期に、何故かますます混迷を深めており、極めて先行きが不透明であるということが、今日(こんにち)まさに説得力を持っていると思いますので、これは決して、皆様に対する脅かしや誇張などではありません。この国際宗教同志会の会合で、私なりの素朴な一学者としての問題意識を開陳させていただきまして、先生方のご反応を―あるいはご反論を―伺い、それによって私も小僧っ子として新しいスタートを切れたら…。そのように思っております。
「世界は対立し、混迷を深めている」ということをもう既に何度か申し上げました。今日(こんにち)この見解は、ますますリアリティを持ってきておりますが、われわれは、その混迷に対してどう対処するか? あるいは現実にどのように対処しているか? ということであります。これは、例えば本日のお天気のように、「今日(きょう)吹雪が…」と申しましても、先ほどのご紹介にもありましたように、数年前まで北海道で2、3年過ごした者(註:棟居先生は2004年から2006年まで、北海道大学で教鞭を執られた)からしますと、今日の程度の吹雪は吹雪のうちに入りません。見上げれば青空が広がっているにもかかわらず、チラチラときれいな雪が降ってくる。私には「これも何かの天啓ではないか」という程度の受け止めにしか過ぎないのですが…。ともあれ、本日の天候が非常に荒れている…。
そうした世界の中で、しかしながら、それに対して人間ができることは、気候をどうこうするということは短期的にはどうしようもない話でありますから、「どう対処するか?」という話になってまいります。一番単純な行動は「傘を差す」とか「オーバーを着込む」あるいは「家の中に籠もる」といった消極的条件反射的対応を、われわれは自然に対してしてきている訳でございます。つまり、世界が混迷を深めている中で、われわれがどう対処するかという時に、さしあたり国家というものがあり、ある種の「抑え込み」―混迷化している世界に対して、国家がいわば、自らを精一杯膨らませ背伸びした状態で―世界の混迷に立ち向かおうとするドン・キホーテ的なチャレンジをする。あるいは身構える訳です。
これは言うまでもなく唯一の超大国―中国あるいはロシアという大国の追い上げもあるかとは思いますが―であるアメリカが、ドン・キホーテ的に世界の混迷に立ち向かい、その結果、ある種の「抑え込み」として、あちこちに爆弾を落とし、世界の平和に対して様々な軋轢(あつれき)を生じさせております。もちろん、それには原因がある訳ですけれども、こうした国家による世界の混迷への立ち向かい方―これは言うまでもなく軍事力ですが―がさらに混迷に拍車をかけるように見えるのは何故なのか? それはつまり、国家や力あるいは秩序といったものが最終的な答えではないからなのです。
もちろん、そういったものは、平和を構築する上で不可欠の要素ですが、悲しいかな、人間世界では必ずルールを破る人間が存在し、弱い者を殺す輩(やから)すら居るのが現実です。ですから、力や秩序無くして人間社会の平和はありえません。しかし他方で、それだけが最終の手段(あるいは回答)であるというのは、ある種の思いこみと言いますか、「そう信じる他ない」と思っているかのような人たちが世界中に居るのではないかと思われます。特にワシントンDCには居るかもしれない。混迷の時代には、こうした「力への信仰」といったものが、どうしても出てきてしまいます。
▼諸宗教間の相互理解もひとつの答え
そこでパッと後ろを振り返ってみますと(看板を見上げながら)「国際宗教同志会」…。「なるほど。これがもうひとつの答えだな」と私には思える訳であります。調子の良いことを言っているように思われるかも知れませんが、先ほど(註:講演に先立って、国際宗教同志会の平成二十年度総会が行われた)皆様方の取り組んでおられることを伺いましたが、ダライ・ラマ法王との交流や、モンゴルの文化財保護、G8宗教指導者サミットへの協力、その他にも様々な寄付を行うなど、非常に有意義なことをされていると思います。しかし、それと同時に、従来のまさに世界を不透明にし混乱させていた主な要因は、宗教でもある訳です。
今日「イスラム過激派」などと呼ばれる人々は、ある種の宗教的な動機付けがあると言われておりますから、混迷の主要因のひとつはまぎれもなく宗教なのですが、しかしまさにそうであるからこそ、混迷を逆に解決できる最終的な回答は、先ほどから申し上げている国家による力による抑え込みではなく、宗教者同士が和解をし、相互に了解をする。いや、むしろその前に、相互に話し合いをすることで、異質なものとしてお互いをまず知ること。その上でいわば「神々の争い」ではなく「神々の共存・協調」といった選択があるのではないでしょうか。
棟居教授の熱弁に耳を傾ける国宗会員諸師 |
宗教家の方々を前にして、こういった物言いは非常に非宗教的で失礼に聞こえるかもしれませんが、私の雑駁(ざっぱく)な比喩をお許しいただけるならば、まさに八百万(やおよろず)の神々が手を携え共存して、互いに寛容の精神で臨む。本日も多くの宗教・宗派の方々がおられると思いますが、そういった方々がまさに席を同じくして共通の問題について理解を深めていく…。仮に、その過程でより異質さが際立つことがあったとしても、既に同じテーブルに着いている以上、寺に帰って僧兵を集めて「これは戦争だ!」ということにはならない訳です。とことん終わりのない議論をすれば良い訳です。そこには平和があり、また新たな解決口も見えてくるだろうと思います。
国家の力による解決とは、不可欠のひとつの手段ではあるけれども、それが最終の回答ではない。また、そうであってはならない。「では、どうするのか?」という問いには、むしろ異質さを最も極めていると思われる宗教間の相互間の協調、そこまで至らずとも、少なくとも話し合い、和解する。これこそが、まさに混迷を解く最終の回答であると私は思います。その観点から見ますと、これだけ多くの有力な宗教界の方々が取り組んでおられる国際宗教同志会の運動は、活動を通してたくさんの人も汗をかいておられるでしょうし、必要な時にはご浄財も集まってくるのだろうと思います。そうした「魂を惹きつける」大きな力は、国家のそれと比べた場合、結局、より継続的に平和構築へ貢献することができると思いますし、同時に強靱(タフ)で公平(フェア)だと言えると思います。
「私がこの場で何をしているのか?」といった自己正当化も含めまして、本日の講題の粗筋を前振りとして申し上げたつもりであります。どういうことかと申しますと、「日本国は」または「日本国憲法は」という主語、例えば「日本国は如何に生きるべきか? その中で憲法はどうあるべきか?」といった物の言い方は、それ自体が最終的な回答を求める言い方・問い方ではない。まず、この点を申し上げたいと思います。つまり平たく言いますと、「憲法さえ弄(いじ)れば、世の中パッと明るくなる」とか「日本が抱えているすべての問題が解決する」あるいはそれとよく似た考え方ですが、「内憂外患いろいろな問題が起きている。これは憲法に大きな問題がある」と、善くも悪くも過剰に憲法を語る、存在を位置づける。これは私のような憲法学者にとってはある意味都合の良い、こそばゆい、くすぐったくなる「悪くない話」であります。しかし、そんなに憲法あるいはそれを頂点に掲げる国家が最終回答なのか? 本当にこれのみで以てしか、問題を解決できないのか? 逆に言いますと「これにすべての責任があるのか?」と尋ねますと、これは違うだろう。では何なのか?
▼混迷は好転へのチャンス
では、何故私はここに立って話しているのか? 国家にしろ、憲法にしろ、あくまでも「手段」だということをまず申し上げたい。では、何のための手段か? と申しますと、これはまさに人間一人ずつ異なります。信仰を持っている人はそれぞれの神々があります。あるいは、そうした多数の神々を認めない神(一神教)を信仰する方もおられるでしょう。世の中にはそういった複数の宗教が存在することは、私ごとき者が申しても不正確になりますからあまり深追いはしませんが―まさに「釈迦に説法」という言葉はこういう場面で用いるのでしょう―、内心冷や汗をかいております。
ともあれ、そのように「国家」が最終的な答えではない。「憲法」が最終的な答えではないことは明らかです。まさに異質なものが、否が応でも共存しなければいけないこの世界…。それを単なる混迷と見るか、新たな語り合い(コミュニケーション)や新たな秩序の構築の取っかかりのチャンスと見るか。これは、先ほどまで吹雪いておりました粉雪が、今後ますます荒れ狂って視界も閉ざしてしまうようなブリザードになるのか、それとも、その後―おそらく今頃、外はきれいな青空が広がっていると思いますけれども―そうした天候回復へと向かう前振りの吹雪なのか? あるいは、別の譬(たと)えでいうなら、このコップの水を「もうあと半分しか残ってない」と見るか、「あと半分もあるじゃないか」と見るか? まさに「目の前の混迷をプラスとマイナスのどちらの兆しと捉えるか?」ということであります。
私は、今の世の中の混迷とは、まさに「人々が異質さをお互いに認め合って協調する。国家とか憲法とか、そういうレベルのものではなく、あくまでも人々のレベルで手を繋ぐ。主役は、目的は、人々それ自身なのだ」という原点に立ち返るチャンス―チャンスと呼ぶには現状はあまりにも酷いですから、この言葉は使いづらいですが―あるいはひとつのスタート地点になりうる。あるいは、楽天的に「水はまだあと半分もある」と思っています。「このコップにどんどん水を注いでゆけば、また、溢れんばかりに水が溜まってくるだろう」といったようにプラス思考で私は捉えたいと思っております。
私が代理人のような顔をするのは口幅ったいですが、国家や憲法といった世俗を極めた存在は、いったいこの宗教や人々の個性あるいは固有性、あるいは人々の神々。こういったものに対してどういう立ち位置で臨むべきか? 大変申し訳ございませんが、私の話の本来の地平と申しますか、次元の話をさせていただきましたが、以上がレジュメには書かれていない、いわば「ゼロ番」の話でございます。では、これからあと1時間ほど、1番以降のレジュメの中身に入っていきたいと思います。
▼憲法や国家は名脇役であるべきだ
まずは、日本国の国家あるいは憲法、これをどういう立ち位置、次元、地平に位置づけるか? そういう話をしました。そして、先程来「それ(国家や憲法)はまさに手段であり、またそうであるべきだ」という話をしてきた訳であります。目的や主役は、あくまで生ける人々であります。これは多様で、だからこそ愛くるしく、生きるべき存在でありますし、そこにそれぞれの悩みがあり、宗教がある…。では、それに対して国家や憲法は「手段」として―いわば脇役として―何をすべきで、何ができるか? これをお断りした上で、中身に入っていこうと思います。
憲法なり国家は、どういう脇役なのか? 私はまず端的に「名脇役であるべきだ」というふうに思っておりますが、この名脇役は「ほとんどその存在が空気のようである」こういう意味であります。普段はその存在をほとんど意識しないが、なくなると、これは空気がなかったら生きていけないぐらい大事なものです。しかし一方で、別にわれわれは空気のために生きているのではない。むしろ、空気を手段として人生を営んでいる。つまり、いのちを維持しつつ、それによって泣いたり笑ったりといった人生を営んでいる。だから、空気が目的であったり主役であったりといった、そういう馬鹿げた話はない…。
しかし、今まさに「馬鹿げている」などと一蹴した話が、実はそんなに馬鹿げてもいない訳で、「現在どんどん酸素が薄くなっている」という、非常に恐ろしい統計が昨日、一昨日あたりの新聞に出ていました。要するにCO2がどんどんと増えているということですが、私のような世俗の人間は、それだけ聞いても、自分が車に乗る時に「ちょっと遠慮しなきゃならんな」といった程度のことしか考えませんが、「お前が吸っている酸素がどんどん薄くなるぞ」と言われますと、そう言われただけで何やら息苦しく感じますし、われわれは実際に呼吸困難になるかもしれない。そうなりますと「空気が主役になる時代が来るかもしれない」という、とんでもないことであります。
少し話が脱線しましたので話を「国家や憲法―特に日本国や日本国憲法―はあくまでも脇役、すなわち空気のようなものであるべき。しかし、名脇役である」というところへ戻したいと思います。
では、どういう意味での名脇役であるべきか? それは、あくまでも合理的な手段であるべきであります。人々の生活や夢、あるいは悲しみを克服してゆくために、宗教などの様々なツールがありますが、それによって人々は、喜びに満ちた人生を歩んでゆける。皆少なくとも、そのチャンスを公平に与えられていて、こういう公正な世の中でそれぞれが生きてゆく…。この公正な世の中を名脇役として支えてゆく合理的な手段として、国家なり憲法は普段は目に見えない空気のような存在として、存在し続けるべきであります。
いわゆる「立憲主義」―憲法によって国の政治なり、行政なりが立ってゆく―という言葉がございます。突然、昔の漫画みたいな話になって恐縮ですが、「立憲主義」とは、合理的な手段、良くできた鉄人28号といった、あくまで人間を補助するロボットのように、非常に性能の良いものであるべきです。さて「憲法なり国家なりは、鉄人28号のような力強い大きな存在だけれども、あくまでも補助的で合理的な手段であるべきだ」と言う時に、具体的には何をすべきか? 本日ここにお集まりの皆様の主旨に合わせてものを申しますと「人々の平和の祈りを、裏方に徹して支えてゆく」これが、国家なり、憲法なりのひとつの大きな役割です。
そうした人々の平和の祈りに対して、「いや、平和などというものは夢物語に過ぎないのだから、むしろ戦争の準備をせよ」とか、あるいは「平和の祈り方について、特定の宗教の方法で行いなさい」とか、あるいは「宗教なんかに拠らずに、むしろ国家の元首を拝みなさい」などといって、人々の平和の祈りに対して自ら脇役に甘んじることなく、しゃしゃり出て自分が主役になろうとする国家、あるいは憲法。これは極めて筋が悪いということであります。
そういった全体主義のような国家像は、もう二度と来ないだろうと思いたいところでありますが、憲法というものに対してはどうでしょうか? 今、私は国家と憲法を並べて論じてきました。「国家とは、あくまで合理的な手段として、人々の平和の祈りを裏方で支えるべきだ」そして先ほどは「空気のようなものであるべきだ」とも言いました。「普段はその存在を気付かせない。そのぐらいが良い」という意味で申し上げた訳であります。
▼「主役」になりたがる九条
しかし、国家が仮にそのようなものであることは疑い容れないとして、憲法についてはどうだろう? ようやく中身の話に近づきつつあります。今、お聞きの皆様の中には「棟居(むねすえ)の話はまどろっこしいな。これが寺の説法だったらもうとっくに信者は帰っているぜ」(会場笑い)とお叱りの向きもあるかもしれません。私の場合は、大学の教員ですから、ある意味「90分間、教室に閉じこめられた(あるいは帰りたい者、寝たい者はそれぞれ自由にしている状況の)」学生を相手に話をしておりますので、こちらもいわばひとり舞台をやっている訳です。―「劇団ひとり」という芸人が最近売れているそうですが、ネーミングは良いと思いますが、彼を見ていると「俺たちは皆そうだけどな」という気がいたします―そういう意味では、カラオケで1人で歌って「点数が何点だ」と、しかも自分で点数を付ける「カラオケ名人」のような、ちょっと始末の悪い手合いが、私も含む私の同業者に多いかもしれません(会場笑い)。
国家や憲法というものは、手段に甘んじることを自らそれに納得せず、主役に躍り出ようとすることがままあります。「国家」についてはさすがにそういう全体主義のような話はないだろうと仮定しましても、「憲法」については―ここが「今日のポイントその1」ということになるのでしょうが―例えば「九条」はどうでしょうか? 「九条には素晴らしい平和主義が書いてある。あれを世界遺産にしたらどうか?」と芸人の「爆笑問題」が言っていましたが、憲法学者の中には、まさにそれを地でいくような活動をしている方々もおられます。私は別にそれを笑ったり非難することを言いたいのではない。また、真っ正面からそれをとやかく申し上げている訳でもない。むしろ、ひとつの平和の祈りとしてのそういった活動は、大いに賞賛されるべきであります。
しかし、「そこに憲法を持ち出すことはどうなんだろう?」と…。つまり「手段(空気)であるはずの憲法が、もっと前に出てきてしまってはいないか? 主役になってきてはいないか?」ということです。これは言い方を変えますと、今日ここに皆様がお集まりの国際宗教同志会といったような宗教家の集まりにおいては、それぞれが非常に大きく異なる神々への信仰を乗り越えて、手を携え世界の平和の祈りをされる。また、さらにそれ以上に積極的な活動をされる。こうした民間、個人あるいは宗教団体レベルの自発的な活動と、日本国憲法第九条はいったいどういう関係に立つのか?
ひょっとすると、憲法第九条これ自体に非常に力点を置いている人々の一部には、むしろ「ひとつの宗教として九条を受け止めている」方がいるかもしれません。そして、その宗教とは、「憲法という聖典に書かれた九条に対する信仰」でございますから、逆に言うと、別の宗派の方々が自分たちの宗教心の自然な芽生えとして世界の宗教者と手を繋いでいくという、そうした心の内側から信仰を深めていく中で自然に生まれてくる平和主義に対し、憲法第九条とは神から与えられた、あるいは国家が与えた平和主義…。
「憲法はあくまで手段に過ぎない」と説く棟居教授 |
実は、これらは似て非なるものであります。全く違う。仮に内容が非常に近いとしても、私の同業者がふたつの活動を同一視して「あなた方の活動は要するに九条ですね」などといった風に、勝手に皆様の活動と九条に関わる運動を結びつけたとすると、私は「これは違うんじゃないか」と言いたい訳であります。
つまり、九条ですら、所詮「憲法」という手段であるべきものの一部であります。これを「空気」あるいは「手段」として、平和を説くことは大いに結構であります。しかし手段である以上、単なる祈りではむしろ不完全です。目的(ゴール)としての「平和」を祈り続けるということであれば―つまり宗教心を以て祈り続けるということであれば―世界の平和もそれだけで近づいてくるでしょう。
祈っている時には誰も「他人を殺してしまえ」などといったことは普通考えないはずであります。ある種の厳粛さ、神の前での無力さ、自分という個人を超えた崇高な気分に皆さん導かれているはずでありますから…。そういう人々が、翻(ひるがえ)って「他の宗教を持っている」というだけで、自分より弱い者の存在を否定してしまうといったことは、考えにくいことです。
しかしながら、こうした宗教心の追求としての平和主義きごう―いわば自己目的化した平和主義ではなく―、ひとつの手段として憲法の中に位置づけられた手段としての九条、平和主義。これは同じであってはいけない訳です。何故かといいますと、手段としては、先ほど言いましたように、憲法も国家も「合理的な手段」であるべきであります。「合理的な手段」というものは、単に「平和が良いですよ」と言っているだけでは駄目で「具体的にそれをどういうふうに実現し、どういうふうに維持していくか?」という、いわば手順を含んでいなければ「手段」とは言えないからであります。
▼大切なものがあっても「見えない」人もいる
つまらない話になりますが、本日、私は電車で大正駅というところにやってまいりました。行き方について、ある程度地図などを見てはいたのですが、こちらの事務局から「大正駅から大きな教会堂が見えますからすぐに判ります」と聞いておりましたので「大正駅の改札を出ればすぐに判るだろう」と思っていました。
しかし、残念ながら駅の目の前にそびえ立っていたのはパチンコ屋…(会場笑い)。とにかく、吹雪の中を風に煽られながら、トボトボと大通り(大正通り)を歩いて行きました。大きな交差点(三軒家)のところで、向こうからやって来たお婆さんに「金光教さんはどちらでしょう?」と尋ねますと、そのお婆さんは本当に嬉しそうな顔をして「金光さんへ行くには、とにかくここ(大正通り)を渡って…。けれど必ず青信号になってから渡るんだよ」そして、「あとは真っ直ぐ、真っ直ぐね。絶対に横道に入っちゃいかん」とおっしゃった。
私は「良い所で良い人に会ったな」と思いながら―実際に「青信号で渡れ」とおっしゃった所(大正郵便局の前)は自転車用の通路でしたので、地元の人は普通の歩道として渡っておられるんでしょうが、一応私も法律学者の端くれですから、その辺は頭も固く、また運動もしなきゃいかんということで―、目の前の歩道橋を渡りました。陸橋の上から再びそこらを眺めましても、巨大なお堂らしきものは、私のような世俗の者の目には入ってこない。しかし「先ほどのお婆さんは絶対に嘘は言っていない」こう思いまして、ひたすら歩きました。
すると、不思議なことにきれいに晴れわたってまいりました。「晴れたな」と思った瞬間、目の前に交番があり、木立がある。「交番にしては大きな木立があるな」と思っていると、何のことはない、そこがまさにこちらの教会の正門でした。腰を抜かすほど驚いたと言いますか、これほど形のきれいな建物は私個人は修学旅行等でも見たことがない。そういう景色をパッと見ますと、「これは駅からでも見える人には見えるんだろうな」と本心から思った次第であります。
ちょうど曲がるべき場所でお婆さんに導かれて、うまい具合にこちらに辿(たど)り着いた訳ですが、「大きなお堂が目の前にあるじゃないか」と言われても、見えない者には見えない。しかし、見える方には見えている…。このように、世の中には「見えている人」と「見えない人」といった風に、いろんな人がいます。これらを乗り越えて混迷の中を、宗教が違う人も、たとえ不信心の人でも、何か身が引き締まるというような場所とでもいいますか…。という印象を、この泉尾教会で受けました。
これも脱線ついでで恐縮ですが、こういった神殿のような建築物は、空間を非常にきれいに使っておられますが、と同時に、時間が止まっているような印象も受けます。いわば、「空間と時間がきれいにリセットされている」。自分の頭の中にあるゴチャゴチャした日常空間や日常のスケジュールに追われる時間。われわれは、そういった非常にゴチャゴチャしたいろんなものに囚われてしまっている既成観念があり、「人生とはそれしかあり得ない」と思いこんでしまいがちであります。しかし、たまにこういった場所へ足を運びますと、サッとそれがリセットされて、自由な―ある意味、心が軽くなったような―不思議な感触に襲われます。そういった意味でも、本日こちらに来させていただいて良かったと思っている次第です。では、レジュメの順に沿って、中身に入らせていただきたいと思います。
既にいくつかの点は触れていますが、「憲法を教典のように考える平和主義」というのは、根本的な前提の時点で、ちょっと何か間違っていないだろうか? 憲法はあくまで「国家の最高法規(すなわち手段)」として考えるべきなのではないか。人々の心を導くべき宗教のような存在(註:客観的な合理性を必要としない存在)ではありません。したがって、九条それ自体は合理的手段として徹底されなければならない。あるいは、そこに合理的手段として何か足らないものがあるとすれば、本日、会場の看板にも大きく出ております「『憲法改正』といった手段に―これはなにも聖書を書き換えるような類の話ではないのですから―躊躇(ちゅうちょ)することはない」ということになろうかと思います。
要は、目的をしっかりと弁(わきま)えていれば「何がその手段として相応(ふさわ)しいか?」ということを合理的に議論して詰めてゆけば、良いのです。「九条もそうした議論の俎上(そじょう)に乗るべき存在だ」ということであります。先ほどの大正駅からここまで歩いてきたという話は、要するに、泉尾教会の会堂が「目的」で、道中歩いて来ることが「手段」だった訳ですが、往々にして私のような不信心な者は、吹雪の中で路頭に迷うと、手段自体が目的化するというか、そのこと自体に囚われてしまいます。ところが無事到着してみると、何が目的で、それに対して何が手段に過ぎなかったかがよく解る。道の途中では往々にして迷うけれども、そういう時に今日のお婆さんとの出遭いのようなことがあれば、救われる…。ちょっと説法の真似をした下手な例えを申し上げました。お笑いください。
▼冷戦後の世界をどうみるか
今日は、レジュメの中でも、本日ご参加の皆さまのご関心があると思われるところを中心にお話ししていきたいと思います。まず一番に『90年代以降をどう見るか? 日本国憲法をとりまくマクロ的変化』と大きく書きました。言うまでもなく、冷戦が終焉いたしましたが、その後、2001年に起こった『9.11』米国中枢同時多発テロ事件まで含めて、私は「冷戦の終焉」と捉えております。
どういうことかと申しますと、『9.11』テロは世界を揺るがした大事件でありましたから、あれこそが世界の歴史の大きな節目のように思ってしまいがちです。また、「国家」という単なる「手段」に過ぎない、「空気」に過ぎないはずのものが、過剰にその存在を示すようになったということであります。
最初に申し上げた「ワシントン中心に軍事力で世界の秩序を」といったような、力に対する過剰な信仰、あるいは思い入れ…。これはもちろん『9.11』以降の現象でありますが、この「冷戦が終わった」ということによって、冷戦時代、熊のように眠りこけていたわれわれ(世界)は、良くも悪くも冬眠から覚めた訳であります。そこから1990年代以降の混迷が、この『9.11』によって更に深まった訳ですが、このことは1989年にベルリンの壁が崩れる―もちろん、ドイツの人々にとっては非常にハッピーだった訳ですが―といった事象を通して、すでに世界の混迷の幕は切っておとされていた訳であります。
と同時に、こういった政治的な混迷と手を携えるかのように、経済のグローバル化が急速に進行します。さらにIT革命―何代か前の総理はこれを「イット革命だ」と言いましたが、「糸電話かな?」などと―という言葉が広まり出したのはほんの数年前の出来事ですが、この変化を受け止める側は今より暢気でありました。つまり、大概の人が「便利になったな」という程度で済んでいたんです。ところが、今日どうでしょうか? 情報についての知識、ノウハウがある者と、それがない者の間で「格差社会」などと申しますが、すでに大きな格差が存在しています。
さらに「環境」という問題…。これは「いや、私たちは古い人間だから、新しい技術(IT)は解らない」で済ましてくれない。いずれは「こんな非効率的なことでは駄目だ」とばかりに、どんどん環境対応の新しいものを「自動化しろ」、「コンピュータ化しろ」、「人間がウロウロするな」となるかもしれません。例えば、「会議はインターネットを使ったテレビ会議で済ませるほうが良い。こうやって実際に皆が集まるだけでも、どれだけCO2を排出してしているのか」などといった説教が何処からか出てくるやもしれません。
今日、私は、普段授業で使っているICレコーダーという、とても小さな、しかし長時間録音可能な、いつも大事に使っているものを、不信心のせいか忘れてしまいました。そこで、事務局の方に「こちらに代用するICレコーダーがありますか?」とお尋ねしたところ、昔、私も使っていたようなカセットテープレコーダーが出て参りました。実は、これが一番安全確実でございまして、「門前の小僧習わぬ経を読む」類の下手くそな説法がここに安全確実に録音されている訳ですが、そのうち学生に聞かせて反応を尋ねてみようかなどと考えております。
さて、一番の話に戻ります。これは日本国、日本国憲法あるいはわれわれそのものといった、いわゆるマクロ的な(大きな)レベルで3つほど挙げましたが、非常に大きな、かつ質的な変化がありました。冷戦が終わる。経済がグローバル化する。コンピュータが大幅に生活の隅々にまで行きわたる。さらに、環境問題も生じてくる…。私は昭和三十年(1955年)生まれ(山口県出身)で、ある意味「谷間世代」(「団塊の世代」の後の世代)でありますが、同時に「幸福な世代」でもあります。つまり、映画『三丁目の夕日』のような素朴な昭和三十年代を数年間記憶しています。
わが家にテレビがやってきたのは私が5歳ぐらいの時でしたが、ご近所数件の中では一番乗りで、そのことは子供なりに非常に誇らしい話でありました。何故かというと、近所の方が「大村崑さんの『とんま天狗』を見たい」ということで、ご家族揃ってわが家にやってくる。しかし「手ぶらでは来れん」と蜜柑なんぞを持ってきてくれるものですから、子供心に「ウチは凄いんだぞ」などと思ってました。しかしもちろん、これはテレビ様のお陰ですから、当時、テレビは床の間に鎮座しておりました。
そんな時代からスタートし、「電話がついた」、「冷蔵庫がついた」と、ひとつずつ順に確実に日本の高度経済成長の恩恵に与(あずか)っていった訳です。コンピュータにしましても、最初にワープロというものを覚えたかと思うと「今度はウインドウズだ」と…。その度に、「金がいちいちかかるな。誰かの陰謀なんじゃないか?」などとブツブツ言いながらも、ちょっとずつ順を追っていれば、それなりに何とかなる有り難い世代として生きてこれたように思っております。
しかし、1990年以降は、もの凄いスピードで変化しています。私はちょうど四十代にさしかかったあたりでしたが、それまでの「高度成長期に養った日本的な上昇志向の中で、人の和を大切にしていて、ちゃんと挨拶さえできればご飯が食べられる」というような有り難い世の中でしたが、そこそこ中堅の世代になっていた時に、ルールが変化していった訳です。
ですから、私よりも15歳から20歳ほど若い人のほうが、はるかに上手にコンピュータを使いますし、さらにいろんな言語を自由に操る。ともすれば、そんな彼らに「オッサン、何やってんだ」と邪魔者扱いされてしまいかねないご時世…。このように、この15年間の変動が凄まじいものであることは、今さら皆さまに言うまでもありません。ですが、こういう時こそ心の平和を維持することが肝要であります。「心の平和を維持するのは、国家や憲法ではなく宗教だ」ということを、私も不信心者ながら、皆さまと共に思いを深めていきたいと思っております。
▼憲法改正三段階論
次に、2番の『冷戦の終焉の影響(1)=九条へのインパクト』で、ようやく九条の話に入ります。ここでは、非常に生臭い「手段としての九条はどうあるべきか?」というテーマについて、私なりの持論をここで少し開陳させていただきたいと思います。
この数日前にも、沖縄でまた米兵による不幸な事件が起きました。しかし、あの手の事件は、結局「基地という存在」があることそれ自体が惹起する、ある意味―必然的と言ってしまうと悲しいですが―、「人間の性(さが)」として起こしてしまうような事件であります。そういうことからいえば、「日米安保条約なるものを解消し、自衛隊だけで日本国を防衛すれば良いではないか」という意見も出てまいります。もちろん、自衛隊員が皆、高邁(こうまい)な紳士ばかりだという保証はない。しかしながら、文化的な摩擦や相互の不理解から発する事件は防げるはずであります。今回のような事態が引き続き起きていくということから、逆に日米安保に影響した安全保障の矛盾―つまり一部の方にしわ寄せがいっているということ―を重く受け止め、「日米安保から自衛隊にシフトしていく」ということを考え、国会で議論する向きもあろうかと思います。これからお話しする、私は「三段階論」と呼んでいますが、この順序付けについて私もゆっくり考えてみたいと思います。
この「三段階の安全保障論→九条改憲案に書けないか?」というところですが、私は一応「改憲を容認する立場」ですから、憲法学会ではごく少数派の「改憲派」ということになっているかもしれません。私自身は「護憲的改憲論」などという風に、本来の憲法の魂を生かすために枝葉を整えていくつもりでいるのですが、この考えは、残念ながら憲法そのものをあたかも聖典のように捉える多くの同業者からしますと、「一行たりとも書き直すことは許されんぞ」ということで、私は憲法学者の間では、若干「異端」あるいは「異教」ということになるかもしれません。そういう変わった観点からの議論だということをお伝えした上で、この「三段階論」に触れておきたいと思います。
要するに、「手段として平和を実現するために、どうあるべきか?」を考えれば良い訳で、また、それが本来の九条の役割であります。単に「平和の祈り」をすることが九条の役割、憲法の役割ではありません。それはあくまで個人や宗教者の役割であります。では、国家なり憲法なりがどうすべきかというと、手段として合理的な戦術を執るべきであります。その第一段階は、やはり外交です。つまり「友だちを増やす」ことが、安全確実な日本自身の安全保障のあり方で、国家としてはODA(政府開発援助)つまり「お金」ですが、もちろん単なるお金では駄目で、「人の顔が見えるもの」でなければなりません。
そうしたものを第一としたその上で、「しかし、それでも日本の平和が守りきれるか?」というと、長期的には「友人」が国際社会の圧力として、日本を侵略した国家を退けてくれるかもしれませんが、短期的にはそう暢気なことも言えない。そこで、まず主たる手段は平和外交ですが、第二段階として―これは保険のような位置づけですが―、「力の保険」としての日米安保を二の矢として位置づけている訳であります。しかし、昨今のような事件(米兵による不祥事)が繰り返されるようであると、「米軍基地の存在自体が、実は日本国民の安全を脅かしている」という逆説的な事態になっていますから、そうすると、日米安保は「手段」として合理的なものではなくなって、むしろ自衛隊を強化して駐留させるほうがまだマシだということになるかもしれません。
すると、ここで私が位置づけている第三段階、つまり三の矢としての自衛隊。これを二の矢に繰り上げて、日米安保なるものをこの矢に格下げにするという順序の変更もありかな? という風に考えたりしております。また、安保の相手を別にアメリカに限る必要もない。ASEAN(東南アジア諸国連合)といった存在が、どんどんと経済的、政治的に成長し、また軍事的にも力をつけてきておりますので、そういったアジアの隣人諸国との地域的な安全保障条約というのも、手段たり得るかと思います。「こうした優先順位を含めた書き方が九条についてできないか?」―もちろん改憲した暁にはですが―という風に私は考えております。
これは既存のいわゆる改憲論と何が違うのか?ということですが、既存の改憲論は、例えば「自衛軍」といった自民党の新憲法草案―実質は改憲草案だと思いますが―を見ましても、自衛軍という位置付けは、要するに「軍事力によって平和を守っていく」という手段が全面に出てしまっております。もちろん、これには「固有の自衛権に基づく必要最小限の軍事力」という縛りがかかっておりますので、いわば量としての行き過ぎはありません。しかしながら、手段としてまず「他国を信用しない」ということを前提にした力による自己防衛。これを選択してしまうと、やはり「力による平和」という発想があると言わざるを得ない。
それに対して、私の三段階論によりますと、まず「外交」…。これは国レベルの話ですが、平和友好の関係、国家と国家が相互に依存し合う関係です。経済分野においては既にそうなっていますが、これ(経済)をお互いに「相手の存在抜きではあり得ない」ぐらいどんどん近しい存在にしていくことで以て、日本国の平和と安全を確立し、このことは同時に、相手国にとっても、日本との良好な関係が自国自身の生命線となり、固有の利益となる。ODA(政府開発援助)という単なるバラ撒きと同一視するのはいささか失礼かもしれませんが、そこには、単に貧しい国にいろんな物を与えるというだけではなく、経済そのものがすでに平和外交の手段のひとつになろうかと思います。
例えば、「日本製の車がないと自分は通勤ができない」という人が世界中に居れば、「日本国の安全が脅かされていたら自分の生活にも不利益が出る」と感じる人が世界中に居るということと同義語になります。そうした経済のグローバル化は、世界を激変させ、先ほど挙げた二番目の要因である日本国それ自体の平和外交の結果として、大きな手段になっている訳です。
このような「手段としての九条」を整理し直すことができるのではないか? その際は「軍事力による平和ではなく、外交による平和を第一義に打ち出せないか?」と私は考えています。「日本固有の自衛軍による平和」というよりは、相手国との「安全保障条約による平和を優先させる」という発想も、一般論としてあり得るんじゃないかと思っております。
▼二大政党制か大連立か
話を先に進めたいと思います。三番目に『冷戦の終焉の影響(2)=1955年体制の終焉』と書きましたが、これまで世界を睨(にら)んだ話ばかりしてまいりましたので、このあたりで日本国内の政治状況について考えてみたいと思います。55年体制―ちょうど私が生まれたのも1955年(昭和三十年)ですが―というのは、敗戦後、10年経った1955年に、左派社会党と右派社会党が統一されたのに対抗して、保守政党の自由党と民主党が合同して自由民主党(自民党)が結成され、その「自・社」体制が1993年まで続きました。
ここでいう「二大政党制」というのは、現在の自民党と民主党の(ような政権交代可能な)二大政党とはまた異なりますが、皆さまや私の世代には非常になじみ深い社会党が、組合的な労働者の利益を一定程度代表し得た。そして、社会党という政党は、決して与党にはなり得ないが、国対政治の中で、表にはなかなか出ない裏取引的なものも有効に機能して、労働者の権利や福祉は、それなりに高度成長の中で確保されていきました。こういった、ある意味では、日本にとってハッピーな時代が続いた訳であります。
しかし、これは90年代にバブル経済が弾けた(註:1993年の非自民細川政権の成立と翌年の自社さ連立政権=村山内閣の成立)ことによって終わってしまいます。そうした政権交代がないことを前提にして、与野党双方が利益を分け合っていくという55年体制の「調整型」ではもう駄目だ。政権交代が可能な二大政党の「対決型」が良いという、いわばある種の強迫観念に拠って政治改革が行われました。
しかし、この試みが今日それほどうまくいっていないということは、昨今の政治情勢を見ても―皆さまはどうお思いか判りませんが―決して「政権交代は可能」ということにはなっていません。また、二つの政党(自民党と民主党)がそれぞれに魅力ある選択肢を有権者に提供してくれているようにも見えない。ただ現実に起きたのは「衆参のねじれ(国会)」というやつであります。
しかしこれは、逆手に取ると「両党足せば定数の3分の2を満たす」ではないかということで、頭の良い方は「みんなで上げれば怖くないぞ」と消費税アップを唱えていますが、これは役人たちにとって願ってもない大連立でありましょう。それからもうひとつ、改憲案を国民に発議する上で衆参それぞれの3分の2の賛成が必要であります。この「改憲」という大きなハードルさえも、大連立で超えることができる。この「改憲」と「消費税アップ」という、いわば今日の日本の課題…。これを一挙に解決するという、連立方程式の答えのような「大連立」のという解が何人かの頭に閃(ひらめ)いた。
もちろん、私は経緯を知りませんが、結局この十数年間の日本の政治改革というものは、小選挙区制を導入したり、政党助成金だなんだとやってきました。確かに社会党はなくなりましたが、相変わらず、喧嘩しているんだか手を握っているんだかよく判らない長年連れ添った夫婦のような自民党と民主党の密室的なよく判らない状態―まさに、福田さんと小沢さんの大連立協議自体が密室協議でありましたから―が未だに続いているような可能性もあります。また、元々似たもの同士だったのだから、「いっそのことくっついてしまえ」という考えもあります。「消費税アップでも憲法改正でも何でもできちゃうよ」と―悪魔の囁きというと怒られますけれども―ある種の閃き、囁きに何人かの政治家はグッときた訳です。
しかし、もし本当にくっついてしまうと、元自民党に居た人やそれに近い人が多い民主党などは「オウ、元気か?」などと同窓会の調子になりますから、これはもう誰が誰だか判らなくなる。ということで「緊張感のある連立政権にはおよそなり得ない。自分が溶けてしまう」ということで、結局、最後にブレーキがかかったのでありましょう。ともあれ、「現状は迷走している」と言って差し支えないと思います。
ですから、冷戦が終わって五五年体制も潰(つい)えた……。その後日本は「もがいているが、まだはっきり答えが見えていない」という状態でございます。「憲法改正」という本日のお題に繋げますと、衆参二院制を止めて衆議院一院制にしてしまえば、いわゆるねじれ現象は物理的に解消される訳ですから、そういう提案も、もちろんあります。これは、第二院である「参議院が強すぎる」とか、むしろ「参議院は要らないのではないか?」という提案であります。しかし、私はまだ日本的な二大政党制のままで―実際には、それぞれが二大政党制を名乗るにはちょっと苦しいですから、ある種の再編が必要ですが―異なる理念に立った二大政党制的なものが相互に政権を執りながら、日本全体のバランスを取っていく。こういうことがなおチャンスとしてあるかな? と思っております。この点では、私個人は第三者として、改憲を急ぐよりは、むしろ現状でもう少し経験を積んでいくほうに賭けてみたいと思っております。
▼グローバルエコノミーの影響
授業のようになってしまって恐縮ですが、このようにいくつも問題があります。続いて四番目の『グローバルエコノミーの影響(1)=既得権行政の終焉=護送船団方式(大きな政府=市場のアクター+審判+ルール制定者)の終焉』にまいります。先日来の「毒入り餃子」問題を見ていただいても判るように、現在の中国は経済発展を第一義とするために、かなり無理をしているんでしょうが、それでも、事実、強大な存在になりつつあります。日本が「世界の工場」というお株を取られてしまった訳ですが、それに止(とど)まらず、アメリカ経済も、実体経済からサービスや金融のほうに移行しつつあります。
そうした中で、日本も、もっと身近な大阪府だけを取り上げてみても、シャープに多額の補助金を払うことによって、大阪府内にようやく液晶パネル製造の大工場の誘致に成功したようですが、その一方で、大阪出身の武田薬品が逃げてしまったり(註:大阪府が関西経済再生の起爆剤として、北摂地域の都市開発を実施してきたが、200億円の補助金まで付けて誘致した武田薬品の新設バイオ研究所が、その3分の1しか補助金を提示しなかった神奈川県藤沢市に取られた=大阪が将来性のない地域として見捨てられた)と、残念ながら大阪の空洞化が進んでいます。
しかし、これは何も大阪に限った話ではありません。松下電器産業株式会社はパナソニック株式会社へと社名変更することが決定されましたが、そういったおばあちゃんがすうっと読めないようなカタカナ社名に変更するということは、松下電器は「大阪どころかそのうち日本を見限るんじゃないか?」と不安に駆られる方もいるでしょう。企業なり、お金なりというものには、もはや国境など関係ない。そうした中で、今までの既得権をお互いに尊重しながら利益(パイ)を分け合っていく…。「本格的な競争は、日本的な和を乱すからしないんだ」といったいわゆる「護送船団方式」の経済も、やはり大きな打撃を受けている訳であります。
▼政府自らは市場(マーケット)でプレイしない
政府の役割が、「大きな政府から小さな政府へ」と、小泉政権の時には、耳にタコができるほど聞かされましたが、「小さな政府」という言葉の中身には、福祉を切ったり教育予算をカットするという、そういう物理的な意味(財政削減)における「小さな政府」という、有り難くないがやむを得ないというニュアンスもあります。しかし、それだけではありません。素敵な意味での「小さな政府」というのもあります。
これは、政府自身が、従来の郵政省のように「市場(マーケット)の大きなアクター」として、いわば民間事業を退けながら利益を独占してしまうといった国家ではもはやない。いわば、郵政民営化というのは、まさに「今後は郵便局自身も数ある事業者の中の一アクターとしてやれ」ということでありますから、国家自身は市場のアクターとしては退場する。つまり「民営化された郵便局は、一金融機関あるいは一宅配業者に過ぎない」ということに本来なっていくはずであります。いつのまにか事業にローソンが参入し、ローソンの制服を着た郵便局員がニッコリ笑ってサービスする―これまでの郵便局もサービスは良かったと思いますが―とか、制服が郵政公社時代の緑色の制服からローソンの縦縞の制服になっても不思議ではない。私などの世代にはなかなかついて行けないこういう事態になりつつあります。
ともあれ、「小さな政府」とは、政府自らは市場でプレイしない。審判役あるいは、ルールを作るというコミッショナー的な役割。そういったものに自らの役割を限定する。これが質的な意味での「小さな政府」であります。かつては「野球と言えば巨人軍」といった感じで、政府が自分でチームを持っていてプレイして、ドラフトやFAなどで自分に有利なルールを強いて、巨人の試合しかテレビで放映されないとか、「巨人が優勝したら景気が良くなる」とか、おかしなことまで言われていた訳ですが、今ではプロ野球界でも「小さな巨人軍」などと言われるように、巨人軍自体が一球団にすぎなくなってしまっています。このように、小さな政府に先駆けて、プロ野球界では、巨人軍が小さくなっておりますけれども…。阪神タイガースの存在は大阪では相変わらず大きいようですが、こちらは「弱くても贔屓(ひいき)にされる阪神」から「強いから贔屓にされる阪神」へと質的な変化が起きていまして、もし再びタイガースが弱くなると、今度は見限られるという、従来にはない事態が起きています。
野球の話はともかくとして、経済レベルでも「小さな政府」そして「構造改革」…。これも小泉用語で今ではあまり使われなくなくなりましたが、そこから格差が生じた。「格差というならば、バブルの頃のほうが大きかった」とも言われておりますが、少なくとも「日本人は平等であるべきだ」という意識が非常に強いにも関わらず、現在では格差が目立つ社会となり、六本木ヒルズ的なもの―裕福な人が自己の経済状態を晒(さら)け出す。勝者の雄叫びとでもいうような、格差を露骨に見せつけるといった―が登場する嫌な時代になった。そういうことも含めて、格差が顕在化してきております。
それから、最近使われる言葉で(首相公選制的な)「国民内閣制」などといった言葉があります。安部前内閣の時にも、「内閣機能を強化して、国会よりもむしろ内閣が国民に直接責任を負う。二大政党制の選挙は、政権(首相)を選ぶ選挙だ。だから、首相が国民の負託を受けているのだ」という大統領制的な考えに基づいて―憲法がそうなっている訳でもないのに―運用しようとか…。九〇年代はいろいろありました。今さらおさらいする時間もございませんし、またその必要もございません。それに左藤恵先生のように政界のど真ん中に身を置いておられた方を目の前にしてにいい加減なことを申しますと、私も恥を掻きます。せっかくここまで調子よくきておりますので、ここら辺で国内政治の話は切り上げましょう。
▼日本型集団主義の終焉と人権
次に5、『グローバルエコノミーの影響(2)=日本型集団主義の終焉=利害対立の複雑化・価値の多元化』に行きます。経済の世界、あるいは社会全体が集団主義的な日本はもう終わった。そして、利害の対立が複雑になり、価値も多元化してゆくということがあったと思います。ここで宗教の話を持ち出しますと、また皆さまから「素人が何を…」と言われるかもしれませんが、「江戸時代には幕府(国家権力)が神社仏閣、特に仏教を利用するといった向きがあった」と私は教科書で学びました。ですから、江戸時代の間は、仏教各宗派というものが新たな展開がない中で、ひとつの行政機関的な位置づけに甘んじていた時期があったかもしれません。
しかし、これが明治になりますと、今度は江戸時代に抑え込まれていた神道がドッと表に出てきた訳ですが、今度は、国家と宗教との関わり方が、天皇制国家の下、神社神道が国家に利用された面があったかもしれません。しかし、他方では、様々な新しい宗教あるいは宗派が、混迷の時代の中で一筋の光を求める人々の思いを支えにして次々と生まれるといったようなこともありました。
昨今では、日本型集団主義の古き良き日本は何処かへ行ってしまった。価値が多元化して複雑化してしまったことによって、人々の心の中でも、見えにくい、まさに漆黒の闇が広がっているようなことになってしまいました。しかも、一皮むいてその闇を晴らしてみると、「これが同じ日本人か!」と思うほどです。言葉にしても「PとかKなどと言われても何のことだか判らない」といったように、同じ日本人同士さえも言葉すら通じにくくなっている、とんでもない時代になってしまったようですが、そういう時代にこそ、まさに新しい導きの星が求められているのかなと個人的には思います。
ただ、私ども憲法学者からしますと、現象面として人権というものがこうした時代にはことさらに叫ばれることになります。つまり、いろいろな人々の利害や価値観が複雑化し、普通にしていても相互にぶつかってしまう。干渉してしまう。そうすると、それまでスムーズに流れていた人間関係が巧くいかなくなる訳ですから、自己主張せざるを得ない。あるいは、ことさらにそうする人々が出てくる。なんでも「人権! 人権!」とよく叫ばれますが、そうなると人権論の負荷が増えている訳であります。
また「人権」と言う時に、憲法の本来の主旨からしますと、「人権を侵害するな」という言葉は本来、国家に向けた言葉のはずですが、人々の間での人権―教科書用語によると「私人間効力(しじんかんこうりょく)」という言葉に表されるような「個人と個人」あるいは「個人と法人、団体」という、いわば横の関係―が非常に大きな意味を持ってくる。つまり「町内会から爪弾(つまはじ)きにされた」とか、「会社でいじめに遭っている」といった風に、本来対等なはずの横の関係で、人権が叫ばれる。あるいは、叫ばざるを得ない状況が多々ある。
また、国家と個人という関係に留まらず、国際社会において、それぞれの国家は、一定の人権条約というものを結んでいますが、『国際人権規約』(註:1966年の国連総会で採択。1976年発効。日本は1979年に批准。ただし、国内法との関係で一部に留保宣言している)、あるいは『人種差別撤廃条約』(註:1965の国連総会で採択。1969年発効。日本は1995年になってようやく批准)などの国際人権条約を使って、国内の人権団体が政府に「人権を充実させる政策を執りなさい」とか「今の運用はおかしいのではないか?」といった批判を浴びせ、また、裁判でもそういった主張をすることになっております。つまり、人権というものが、もはや「国家が個人に保証するもの」というだけではなく「国際社会が、主権国家の壁を越えて個人に保証」という時代になりつつあります。
「新しい人権」といっても、もはや老舗になる「プライバシー権」などもそうですが、現行の日本国憲法には、これらの人権については、一言も書かれていません。そこで、憲法に書かれてはいないけれども、大事なもの、守るべきものを一括して「新しい人権」などと言っております。こうした事柄は、日本国憲法の単なる不備というよりは、社会の現実がそれだけ動いているとも言えると思います。あるいは「自己決定権」―つまり「自分のことは自分で決められるんだ」などというと、何か生意気盛りの中学生の科白(せりふ)のようですが―これを自己責任とセットで考えれば、人間の本来あるべき姿であると思います。「自分は自由である。だからこそ悩む。しかし、そこには喜びもある」という訳で、人間存在の原点であります。これも憲法には直接の用語はありませんが、今日、非常に重要な概念になってきていますが、逆に言うと、これも混迷した現代社会ならではの現象ではないかと思います。
Aのところで司法改革というものに少し触れておりますが、これは裁判員制度、あるいは私も所属しているロースクール(法科大学院)の教育を通じて、従来よりも飛躍的に法曹人口を増やしていくという試みであります。政治によって公共的な物事を決定していくという、政治の公共空間とはまた別の市民による公共空間ができようとしているのかもしれないという、少々妄想的なビジョンも持っておりますが、これは時間の関係と、テーマがやや小さくなるため端折らせていただきます。
▼情報化社会にこそ価値観を磨け
次の「IT革命の影響=情報化社会の加速」ですが、情報化について、ここではレジュメに書かれた個別の内容に入るよりも、一括した物言いをさせていただきたいと思います。情報には、もちろん、プラスの面は山ほどあります。例えば、中国製の農薬入り餃子の問題がありましたが、あの事件を受けて「成分をもっと丁寧に開示しなさい」という方向にたぶん法律が変わると思います。例えば、すべての食糧品にICタグのようなものを付け、消費者はスーパーへ買い物に行った際に、そこへ自分の持っている携帯をパッとかざすと、その商品の産地は何処で、農薬はコレとアレを使っており…といったことがすぐに携帯電話上に表示されるようになるかもしれません。あるいは、スーパーのそこかしこに画面が設置されており、その画面に触れると、銀行のATMのようにいろいろ表示されるようになるかもしれません。とにかく、いろんな形で情報が瞬時に取れるという、便利な社会になっております。
それはさらに「ユビキタス」(註:従来のパソコンのように、キーボードを使って入力するといったような機器操作を抜きにして、例えば音声で入力するように「情報端末にアクセスしているんだ」ということすら意識させないレベルで「いつでも、どこでも、だれでも」が情報ネットワークにアクセスできる状態のこと)などといった言葉で表される、よりきめの細かい情報化社会になるでしょう。
しかし、人間は情報だけでは次の行動に移れないという問題があります。つまり、人間が行動に移るには、判断基準としての「価値観」というものがどうしても要る訳です。天気予報で「明日は雪ですよ」と言われた時、「じゃあ、明日は家で猫と一緒に寝ているか」というのは、ひとつの選択であります。しかし、選択というのは、ある種の価値観に支えられてそういう行動を取っているのです。例えば「明日は雪が降るそうだが、国際宗教同志会の総会に出席しようと泉尾教会までやって来た。なんと当日、空は晴れ。講師の憲法学者は長々と話をしていた」という場合、「講師の憲法学者は…」の部分は、蓋を開けてみないと判らないことでありますが、今日、皆さまがここへ来られた理由は、皆さまの価値観や義務感、あるいは信仰心が引き寄せたのかもしれません。
ともかく、人間は価値観を以って決断をする生きものですから、情報だけでどうこうなる訳ではありません。「情報を増やせば、人間が正しい行動を取れるか」というと、これは大間違いであります。情報が溢れれば溢れるほど選択肢が増える訳ですから、価値観というものを磨く必要が出てきます。しかし、これは誰かが与えてくれるものではありませんから、自ら悩み、宗教の中で考えを深めたり、あるいはボランティア活動を通して人の苦しみや悩みに直面することなどによって、はじめて得られるものなのかもしれません。こういった情報化社会は「便利な反面、答えは与えてくれない」というのが申し上げたかった1点目です。
他方、「情報化社会がうまく機能しない」と言う時には、それが「答えを与えてくれない」というだけでなく、むしろ積極的にわれわれから奪い去り、失わせるものもあるということです。例えば、今日ここに皆さまは足をお運びになっていますが、ここにお集まりになる代わりにインターネットに向かって画面を通してこの話を聴いて、議論する…。そんなことが日常的に可能になる時代もすぐそこまで来ています。
しかし、そういった形の参加は、「理事会で投票する」とか「総会で話を聴く」という行為を満たすには十分であっても、それ以上の偶発的なプラスアルファは起こりえません。例えば、泉尾教会で「何十年ぶりかに懐かしい顔に出会った。聞けば、その教団の上席の方の急な体調不良から代理で来たらしい。しかし、偶然彼に会えたおかげで、さらに他の知人の現況を聞くことができた」とか、「帰りに食事をしながら話し込んでいると、新しい活動案が閃(ひらめ)いた」といったように、人間とは、面と向かっていろいろなことを考えたり、思いついたり、行動に走ったりします。
また、人間は基本的に「群れる動物」なのですが、情報化社会は、それを機械でもって遮断し、人間の活力を削(そ)いでしまう訳であります。頭の良い人が創り上げた「電脳化社会」というか、「情報化社会」で止まってしまう。これでは大阪の町工場的なエネルギーのように、様々な業種が密集している中から「これはウチでは造れんけど、ちょっとあそこへ行って聞いてみるかな」といったように、相乗効果的な結びつきから何かが生まれてきていた訳ですが、情報化されて「これは何処かの山奥で製造しているらしいけれど、(商品は)ネットで取り寄せられるからいいわ」などと言っていると、顔を突き合わせて話し合ったような結果の新しい知恵のようなものはおそらく出てこない。ですから、情報化社会が加速することは、良い面と悪い面がある。その中で大切なのは「価値観を磨くこと」と、「人間ならではの面と向かってのコミュニケーションを失ってはいけない」この2点をここでは押さえておきたいと思います。
▼「小さな政府」は何を目指すのか
では、Fから後はざっと見ておくことにしようと思います。「ポスト9・11 =〈自由から安全へ〉」とありますが、これは国家のあるべき姿として、自由を背後から擁護してゆく、空気のような存在たる「夜警国家」(註:国家の機能を安全保障や治安維持などで最小限にとどめた自由主義国家体制のこと。「小さな政府」の典型。反対の概念は「福祉国家」)という標語の下で、19世紀以来言われ続けてきましたが、現在は「安全」ということがもっと前面に出てきております。これは「テロ」という、人間の醜さや弱さが生んだ、一種のモンスターに直面してのことであります。
では、「人間は身の安全だけが確保されれば生きていけるか?」というと、そうではない。自由に生きてゆけないと、人間とは言えない。そこに大きな矛盾、逆説が在ります。ビルに飛行機を突っ込ませて何千人もの人を一度に殺してしまう行為―「蜂の一刺し」などといった表現で済む話ではありませんが、仮にこれを人間文明に対する「蜂の一刺し」としましょう―われわれはこれに対し、過剰なまでに免疫体をこしらえて、現在ではいわば「自己免疫疾患」のような状態になってしまいました。チクッと刺された直後の毒そのものよりも、さらに自分自身でそれに対処しようとして過剰な反応をしてしまい、むしろそちらのほうが致命傷になってしまう…。現在は、そうならないように気を付けなければいけない時期ではないかと思います。
続いて、最後のG「統治機構をめぐるミクロ的状況」に行きます。先ほども政治改革について触れましたが、昨秋の(自民党と民主党の)「大連立」騒ぎでは、一種の茶番的な、情けない終わり方で幕を閉じたものの、「改憲」と「消費税アップ」という、誰もが手をつけたがらない積年の課題を一挙に解決する(大連立という)「魔法の杖」的な話も、まだ完全に消えた訳ではないでしょう。そうした話が今頃出てきていることひとつを取り上げてみても、この国における政治改革は決して巧くいっていないということなのかもしれません。この話はそんなに急ぐべき話ではなく、もう少し時間をかけて議論する必要があるのかもしれない。しかし、その一方で「われわれにそれだけの時間があるのか?」ということも同時に考えなければならない。
行政改革についても、検証が必要であります。「小さな政府」を語る時、問題は「何を切るのか?」であります。これは国家財政を圧迫している「従来の福祉行政、あるいは福祉国家を捨ててしまう」などといった単純な話ではありません。むしろ、現在の「下がり相場」といいますか、予算が縮小し政府の役割が減っていく中での「同じ減らすのでも、どこから切っていくのか?」あるいは「何処を守るのか?」という点で、国家自身の、憲法自身の価値観が問われることになります。あらゆる支出を「一律に何パーセント減らす」ということではありません。これ以上日本全体のパイは増えないし、高度経済成長の頃のように「少し待っていただいたら、いずれあなたにも順番が回ってきます。整備新幹線も直にあなたの町に開通するでしょう」といったように、いずれ皆に豊かさが行き渡るような状況でもありません。巧くいって現状維持、下手すれば縮小という現実を前にして、何処から減らしていくのか? どこにより多くの皺を寄せるのか? どこは最後まで守っていかなければならないのか? といった、シビアな分け合いやぶん取り合い。その配分の成否…。これが、今こそ問われている訳です。
行政改革というものは、単に「行政機構を小さくして安上がりにすればよい」とか、「公務員を減らせば良い」という話ではありません。「行政が行っている巨大な再分配機能をいったいどうするのか?」という話です。本来「ガソリン税云々」というのは、こういった大きな国家の役割の一コマのはずですが、国会議員の人たちは一般受けを狙ってか「ガソリンの値下がりすることをどう思うか?」、「道路財源はどうか?」といった語り方しかされないことは、残念であります。
司法改革という問題については、今日はそれほど触れずに、もう少し様子を見たいと思います。「裁判員制度」をひとつ挙げてみますと、例えば、死刑判決に対しては、プロの裁判官ですら苦しみを味わうというのに、果たして素人の裁判員がその精神的苦しみに耐えられるのだろうか? また、素人にそういう役割を望むべきだろうか? こういった根本の問題が、なお残っているように思います。
以上、非常に雑駁(ざっぱく)な話で、また、脱線や前振りが長くなってしまいましたが、このような天気の悪い中お出でくださった皆さまの、貴重な時間をこのようなありふれた話で潰してしまい、大変恐縮です。しかし、私にはこういった話しかできませんので、これも何かのご縁ということでお許しいただければと思います。どうも有り難うございました。
(連載終わり 文責編集部)